SHORT STORY

このSTORYは、PC−VANの「AWC(アマチュアライターズクラブ)」
というSIGで発表した短編小説です                   
それに多少手を加えて、ここにUP致しました.m(_ _)m           



『企業戦士の独り言』

朝。                                       
俺は珍しく、カーテンの隙間からの日差しで目を覚ました。              
まぶしいなぁ・・・ん・・・?変だな・・・                     
いつも5時にセットしている目覚ましが、今朝は鳴らなかった。            
何時だ・・・あれ・・・?時計がない・・・                     
手探りしたが、ベッドの枕もとにあるはずの目覚ましがない。             
何気なく目をやった、壁の掛け時計を見た瞬間、俺は飛び起きた。           

9時!?                                     

うそだろーっ!やっべぇ!今日は10時から会議が入ってんだぞ。早めに行って     
準備しねえといかんのに。ったく美佐子の奴、どうして起こしてくれねぇんだ。     
俺は、勢い余ってベッドから転げ落ちた。その拍子に、向こう脛をベッドの棚に     
思い切りぶつけてしまった。                            
だが、痛いなんて感じている時間はない。                      
何で何時もの場所に背広かかってないんだよ。美佐子の仕業か。此処に掛けといてくれって
何時も言ってたろうが。                              
タンスから、ネクタイとスーツを掴み出し、脇に抱えたまま引き出しからYシャツを   
引っ張り出す。                                  
必要ないシャツまで出て来たが、そんなもん拾ってる暇はない。            

くそお。なんでクリーニングから帰ったシャツを、袋に入れたままにしとくんだよ。   

あせってる俺は、無造作にビニールの袋を破る。                   
ご丁寧な紙の蝶ネクタイを、引き抜いて着ようとした。                

ああもう、なんで何処までもご丁寧にいちいちボタンなんか止めてんだ。        

イライラしながらボタンを外し、バッサバッサ振って着る。              
パジャマのズボンを脱ごうとして、片足を引っ掛けて、俺はまた転けた。        
腰をしたたかぶつけた。痛くない。今はそれどころじゃない。             
ああ。なんか、身体が重たい。昨日の残業の疲れが残ってるのかな。          

おーい!美佐子!                                 

スラックスのファスナーを上げながら、女房を呼ぶ。                 
読んでも返事はない。まぁ、あいつが実家に勝手に帰るのはいつものことだ。      
そんっなに会社が大事なの。とかなんとか言って、こないだも大喧嘩を         
やったばっかだった。                               
ええい。こんな急いでる時に限ってネクタイが上手く結べない。            

えっと、靴下。                                  
あれ?靴下、何処の引き出しだった?昨日のでもいいか。昨日のは何処だ?       

靴下を捜すついでに家族も捜す。                          
女房と二人の娘の名前を、かわるがわる呼びながら、俺は家中を徘徊する。       
リビングにも、ダイニングにも、子供達の部屋にも、女房と子供は居なかった。     
やっぱり実家に帰りやがったな。そんなにあの喧嘩を根に持ってたのか。        

脱衣所に小走りで行く。脱衣籠を覗いても靴下はない。弱ったな。           
どうせズボンと靴で見えねえんだ。いっそ素足で・・・あ、あった!ラッキー。     
ベランダの取り込み残した洗濯物の中に、靴下がぶら下がっていた。          
片足で立って、よたよたしながら靴下を履く。                    
いかんな。やっぱり、身体がやけに重い。                      
俺ももう、40越えたしな。今度人間ドックにでも・・・いや、そんな暇はないか。   
今、一番の追い込みなんだ。                            
おっと!肝心の鞄は何処に置いたろう。あれには、今日の会議で使う大事な資料が    
詰まっている。俺の出世を賭けた、一大イベントがな。                
その大事な鞄様が、所定の位置のクローゼットの中にない。              

えっと・・・俺は、あれを何処に置いた?                      



今迄苦労に苦労を重ねて、仕上げた大事な書類。                    
仕事の虫だの、企業戦士だの、休みの日くらい家にいろだの、女房に言われながら     
必死に頑張って来た、俺の血と汗と涙の結晶なんだ。                  
大体だよ、俺がこんなに頑張ってんのはお前ら家族の為なんだ。             
買ったばかりのこのマンションのローンもたんまりあるし、二人居る子供の学費も、    
塾の月謝も、女房のカルチャースクールの月謝も、俺が寝る間も惜しんで必死に稼いでんだ。
趣味の釣りも、ここ何年かずっと我慢した。酒も付き合いや接待で呑むくらいだ。     
細やかな楽しみの喫煙だって、ホタル族にさせられても我慢した。            
俺の出世はお前らの為だ。なのに、企業戦士なんて言い草はないよな。          
娘達も娘達だ。この頃、俺を見ても寄って来もしない。                 
たまたま早く帰って一緒に食事をしても、俺の顔色ばかり伺っている。          

もしかして、俺が父親だって忘れてないか?誰のおかげでお前ら、大きくなったと     
思ってんだ。                                    
わかってんのかよ、お前ら!                             
俺が居なきゃなぁ、お前ら3人とも困るんだぞ!少しは感謝しろ!            

怒涛のように、誰も居ない部屋に向かって俺は叫んだ。                 
胸の中が怒りでむかむかしていた。                          
今迄、こんなに怒りまくったことがあったろうか。                   
いや、それどころじゃない。                             

鞄、何処にやったんだよ!おい!美佐子!                       

やっぱり女房の返事はない。                             
俺は、マジに顔色を無くしてしまった。遅刻した上に、大事な書類がない・・・      
こんな大馬鹿なミスは初めてだ。                           
俺は、子供の部屋までも、鞄を求めて探る。クローゼットの中の物を、ひっくり返して   
探る。                                       

ない!本当にない!ああ、どうしたらいいんだ。大事な会議が・・・           

俺は、リビングの真ん中に座り込んで、頭を抱えてしまった。              
何処に置いた?冷静に思い出せ。まさか、昨日乗ったタクシーの中か。          
違う。                                       
いや、違うというより、思い出せない。ちくしょう。                  
死んでも死にきれないミスだ!                            
壁の時計は、俺を見下ろして無情に時を刻む。                     
ふっと頭を上げた俺は、やけに家の中の空気がどんよりしているの気付く。        
そういえば、部屋のカーテンがみんな、閉め切ってある。リビングのベランダの方の    
カーテンは、いつも開いたままじゃなかったっけ?                   
ダイニングテーブルの上の、女房のお気に入りの観葉植物が枯れている。         
まるで、何日も水をやっていないように・・・                     

え?じゃ、何日もあいつ、帰って来てないってことか?                 

まさか俺、とうとう女房に本気で愛想つかされたのか・・・               
今の状況を必死で把握する。                             
それに・・・                                    
それに、女房がいないのに、昨日帰って脱いだ服が無いなんて妙だよな。         
リビングの真ん中に座り込んだまま、俺は困惑した。何か、大事なことが思い出せない。  
言い様の無い不安にかられ、背筋が冷たくなった。                   



ガチャン。                                     

玄関のドアが開く音がした。                             
ほっとした。                                    

ほらみろ。あいつら、ちゃんと帰って来たじゃないか。                 
おい、美佐子か?俺の鞄どうした?                          

振り返って開口一番、俺は鞄の行方を訊いた。                     
返事はなく、ひたひたといくつかの足音が、リビングに入って来た。           
そして・・・女房と娘達は、俺の横を素通りして行った。                
ちょっと待て!シカトか?何だその態度は。それが一家の主に対する態度か?       
再び胸の中にむかむかとしたものが沸いた。                      

美佐子は、どっとソファに倒れるように座り込んだ。                  
その両脇に、娘達が寄り添うように座った。                      
「お母さん」                                    
今年10才になる下の娘が、泣きそうな声で母親に話しかけた。             
「お父さん、本当にもう、帰ってこないの?」                     

?俺が帰って来ない?何言ってるんだ?                        
「おばあちゃん達が言ってたけど、お父さん、仕事のし過ぎで死んじゃったって      
本当なの?お母さん、あんなにお父さんに働き過ぎよって言ってたのに」         
高校1年になったばかりの、上の娘が泣きながら訊いた。                

え・・・?                                     

「お父さん、貴方達やお母さんの為に、お仕事一生懸命してくれてたのよ。        
でも、これでお父さん、やっとたくさん眠れて、楽になれるの」             
言い終わらないうちに、美佐子はソファから崩れ落ちるように床に座り込んだ。      
そんな母親に、娘達が両側から縋り付く。                       
美佐子が床に突っ伏して、わっと声を上げて泣いた。                  
娘達も、つられるように泣き出した。                         

俺は呆然としたまま、家族のそばに立ち尽くした。                   

こんなに太泣きする家族を初めて見て、どうしたらいいもんか判らずに、         
俺はうろたえてしまった。                              
うろたえながら俺は、女房があの大事な鞄を抱いているのに気付く。           



お前、その鞄!                                   

俺は、俺の一生を賭けた書類の入ったその鞄に飛び付いた。               
だが、俺は、彼女を通り抜けて、床に蛙のように這いつくばってしまった。        
間近に見える床の木目が、グニャっと無気味に感じた。                 
今、俺の頭の中も、同じだ。                             

俺は確かにここに居る。                               
でも、俺は死んでるって?                              
でも、確かにここに・・・                              
俺の思考は収拾が付かなくなった。                          

女房は、古ぼけた鞄を愛おしそうに撫でながら言った。                 
「お父さんの形見になっちゃったね。これ・・・」                   
大学を卒業の前、今の会社に就職が決まった時、まだ高3だった美佐子が祝いにと     
送ってくれた鞄。                                  
バイトで稼いで貯めた金を全て注ぎ込んで、買ってくれたんだった。           
想い出深い鞄・・・                                   
その中の大事な俺の書類。                              
俺は・・・                                     

頭の中で、何かのピントが合った。                          

思い出した!                                    

あの日、今日のように俺は寝過ごして、全力疾走して会社に駆け込んだ。         
その甲斐あって会議は無事に終了し、俺の実力を上役達が認めた。            
来春の昇進を期待しておくようにと、専務が笑って俺の肩を叩いていた。         
全てが円滑に終わった満足感、安心感、脱力感・・・                  
そして・・・                                    
俺は、会議室を出た直後に倒れた・・・                        

病院で、俺の手を握って、泣き叫んでいた女房と娘達。                 
仕事よりも、会社よりも、家族の行く末だけが心配だった。               
こいつらを残しては、死ぬに死にきれないと思った。                  
そして・・・                                    
俺はいつの間にかこの家へ帰って来た。                        
どうやら葬式は俺の実家ででもあったらしいな。                    
実家の周辺の、懐かしい畑や田圃が脳裏に浮かんだ。                  

俺は、いつの間にか金色に実った麦の穂波の中に立っていた。              
風が麦の穂を撫でて吹き、さやさやと黄金の波が目の前を過ぎて行く。
子供の頃、大好きだった風景・・・
こんな綺麗な風景を、最後に見たのはいつだったろう・・・               
もしかすると、死ぬとこうやって思い描くだけでその場所へ、行けるのかもしれない。   
愛する家族のもとへも、懐かしい子供の頃の風景の中へも・・・             

「これから大変だけど、みんなで頑張ろうね。くよくよしてちゃ、お父さん心配で     
天国へ行けないわ」                                 

女房の言葉に、田舎からここへ一気に引き戻された。                  
目の前に、抱き合う3人の姿があった。                        
母親に縋り付いたまま、娘達は健気に頷く。                      
「お父さん、天国でたくさんお休みできるんだね」                   
胸が痛んだ。                                    
こんなことになるのなら、もっと、ずっと、親父らしいことしてやれば良かった。     
ここ何年も、俺は仕事に明け暮れてたもんなぁ。                    
最後に家族で出かけたの、何時だったろう。                      
お前らは知らないだろうな。その鞄の中に、お前達の写真ずっと入れてあったの。     
いや・・・もう、知ってるかもな。                          
ああ、金ならきっと、大丈夫だ。労災降りるだろうから。                

「お父さん、ゆっくりおやすみなさい・・・」                     

見えないはずの俺に向かって、3人が手を合わせた。                  

俺の胸の中に、安堵感が満ちた。                           
頑張れよ、お前ら・・・                               
俺はまた、誰にも聞こえない独り言を呟く。                      

安堵の後、「意識」だけの俺は、足元からゆっくりと消えて行った。           

《・・・・・完・・・・・》                             

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