独語・空笑 〜日記風に〜





平成14年8月12日 カナダ東部縦断旅行 〜プリンスエドワード島への苦難の道のり〜 その1

At French River
PEI "French River" にて
行ってまいりました。プリンスエドワード島(Prince Edward Island, PEI)までカナダ東部縦断の旅,往復3600km。
しかもオンボロ自家用小型車で。
プリンスエドワード島というとカナダ国内の観光地としてはかなり定番化しているので紀行サイトも結構多いのだが,さすがに自家用車で行ったという話は珍しいので,バカと言われることは覚悟の上でこの紀行文をアップしてみることにした。

3600kmというと,直線距離なら鹿児島から札幌まで往復しておつりがくる距離だから,普通の自家用車で移動するなんてほとんどバカ,というか完全にバカですな。ただ,飛行機で往復するとなると結構な額になるし,年間3万キロ近く走り込んでいた元・峠野郎としては車を直しながらでも自分の愛車で行くのが筋だろう,ということで,行くのだプリンスエドワード。待っていろよ赤土の大地,緑の草原,青い空,青い海。

ウチの車,Plymouth製"NEON Expresso"(ネオンと発音する。ナオンではない) は96年製,すでに7年目を迎えている。マイレージは11万kmを少し越えたところ。クライスラー製の大衆車に軽くスポーツチューンを施したこの車は,かつてワンメイクのレースがあったことからも分るように決して素性は悪くない。1500cc SOHC 132psのエンジンも数値的には大したことはないが,車重が1トン少ししかないため,意外なほどのパフォーマンスを見せる (これでMTなら言うことないのだが,嫁さんが...)

とはいえ,7年目というのは,車は10年以上乗るのが当り前の北米でも,働き盛りを少し過ぎつつある年代である。人間でいうと,30代半ばを過ぎて己の限界と現実の厳しさをイヤというほど思い知らされ人生の悲哀をかみしめている年頃,あ〜ちょうど俺と同じぐらいね,な車だ。現にATオイルは常にポトポト漏れていて月に2回の補給を要するし,Vベルトも怪しくて時々キュルキュル妙な音がする。ドアのヒンジはガタガタしているし,悪路をしばらく走っていると後席の窓が勝手に開いてくる。右の後輪は2回パンクしているし,左前輪もよく圧が下がる。

こんな車で3600kmも一気に走ろうというのだから,当然ながら入念な準備が必要だ。しかも途中,何10kmも人家がない区間や,フランス語しか話してくれない地域もある。英語すらまともにしゃべれない私としては,何があっても自分で街までたどり着けるようにしておかないと。
まずATオイルの予備を3リットル。エンジンオイルも1リットル。Vベルトの予備も1セット。パンク修理のキットは当然のこと,スペアのバルブ(ヘッドライト)も用意した。エンジンオイルを換え,エアフィルターも交換してキレイに洗車。そしてKTC製の愛用工具一式を積み込む(日本からわざわざ持ってきたやつ---やっぱりバカだね)

旅の全行程は,

1日目:自宅(ナイアガラ)→オタワ
2日目:オタワ→ケベックシティ
3日目:ケベックシティ→サマーサイド(プリンスエドワード島)
4日目:サマーサイド
5日目:サマーサイド
6日目:サマーサイド→ケベックシティ
7日目:ケベックシティ→自宅(ナイアガラ)

という感じ。3,6,7日目は移動日で,ほとんど一日中走り続けることになる。特にケベックシティからプリンスエドワード島までは800〜900kmもあり,一般道や深い森林地帯を抜けるためかなりの難関である。普通は途中で一泊するところだが,面倒くさい(オイオイ)のと宿泊代を節約するためにぶっ飛ばすことにした。最後のケベックシティから自宅までも同じくらいの距離があるが,面倒くさいのと宿泊代を節約するために(やっぱりかい)ぶっ飛ばすことにした。仕事の都合もあるのでそんなにのんびりもしてられないのである。ビンボー研究者のつらいところだ。



平成14年8月13日 カナダ東部縦断旅行 〜プリンスエドワード島への苦難の道のり〜 その2

前日のうちに庭の芝にたっぷり水をやり,荷物を積み込んでおく。最後にもう一度買いだしに行って,車のタイヤの空気圧を最終チェックしておく。恥かしながら,明日から久々の旅行と思うとなかなか寝つけない。眠れない眠れない早く寝ないとヤバイよ長距離運転すんのになどと思っているうちにいつのまにか寝てしまったのだろう。車に乗って釣りをしながらオンタリオ湖を渡っているバカな夢を見ながら目が覚めるともう朝だ。出発だ。

1日目はトロントを抜けてオタワまで。距離的には大したことないので,休憩をとりながらのんびり行って,夕方までに着けば市内観光を少しするつもり。それでも子供達を車に乗せて走り出すともう9時過ぎだった。

トロント市内の401号線は工事の影響もあって常に混んでいるが,まだ午前中なので比較的スムースに抜けられた。しかしトロントを過ぎてしばらく行ったところで別の工事渋滞につかまる。こいつをパスするのに案外時間がかかり,再び快調に走り出した時には午後になっていた。時間節約のため,嫁さんが作った弁当を車内で食べながら先を急ぐ。

オタワに着いたのは午後4時前だった。

この街は2度目だ。とても気品のある街である。ただ,売り物はこの気品しかない,と言ってもいい。観光客として見るべきところは国会議事堂や美術館・博物館・公園ぐらいで,あとはただひたすら街並みがキレイというだけのことである。...何ていうと悪口を言っているみたいだが,実は私はこの街がとても好きだ。私の留学先はちょっとしたタイミングの差で現在のラボに決まったが,渡航の時期が違えばここオタワに来ることになっていた可能性もあった。

家族連れで議事堂近辺をウロウロし,ショッピングモールに入ってレストランで夕食をとる。ホテルのフロントの兄ちゃんもレストランのおネエちゃんもまだみんな英語をしゃべってくれるが,どことなくフランス語訛りがあるような気がする。モールを歩いてたりするとしばしばフランス語が耳に入ってくる。それもそのはず,この街はケベック州境にピッタリ接しており,小さな運河を渡った街の向こう側半分はもうオタワではなくケベック州ハルの街である。

人口も街の規模もトロントの方がはるかに大きい。トロントは「大都会」だが,ここは「街」という表現の方がぴったりくる。しかしトロントではなくこの街がカナダの首都なのは,別にギャグでも皮肉でもなく,この広大な国をめぐるイギリスとフランスの長い長い抗争の歴史と,その後の英国系住民とフランス系住民の対立を考えれば納得がいく。カナダの首都はここ,オンタリオとケベックの中間にあるこの街でなければいけなかったのだ。そう言えば私が子供の頃はカナダの首都は「オタワ(ハル)」と併記されていたっけ。

なんてことを思い出しながらホテルに戻って眠りにつく。

2日目はモントリオールを抜けてケベックシティまで。この日も距離は大したことはないので,午前中は子供のためにオタワの科学博物館に寄り道し,オタワを少し出たところで昼食をとる。ケベック州に入ると店員さんも店のメニューもフランス語ばかり(英語が通じないわけではないが)なので,オンタリオ州にいる間にメシを食ってしまうのだ。

メシを食って走り出すと間もなく道路の表示も何もかもがフランス語のみになる。オンタリオ州にせよどこにせよ,道路の表示ぐらいは必ず英語とフランス語の両方が表記してあるが,ここは別世界。フランス語しか書いてない。カナダ国内とはいえ外国へ来たようなものだ。

ここへ来るたび「イジワルだなあ」と思ってしまうが,これもこの国の複雑な歴史を想えば仕方がない。フランス系住民には,英国系住民に支配され強制移住や大変な苦労を強いられた歴史がある。彼らはその中で必死に自分達の言葉や文化を守ったのだ。彼らにすれば,「フランス語しゃべれへんアホのために英語しゃべってやってる」わけで,道路の標識や街中の様々な表記などは「何で英語を書かんなんねん」ぐらいのもんだろう (それでも実際のフランス本国よりはずっと英語をしゃべってくれる率は高い,らしい)

仮に関西と関東で内戦が起こって (昔そういう小説があったな) 関西が関東に支配されたら,俺も,意地でも関西弁を守ろうとするだろう。それぐらい言葉というのはその人のアイデンティティーに深く関わっている。道路標識なんてみんな関西弁にしてしまうのだ。「止まれ」ではなく「止まらんかい」。「左折可」ではなく「左折してええで」。

などと下らんことを考えながらモントリオールを抜ける。今回はここには停まらず通り抜けるだけ。ここでゆっくりしている時間はないのだ。ひたすら進路を北東にとり,わけのわからんフランス語の道路標示を見ながら走る。

オンタリオナンバーの車は次第に少なくなり,周りはケベックナンバーの車ばかりになる。ケベックでは車のフロントにナンバーをつけなくても良いらしく,車の前面が少し間の抜けた感じに見えるのですぐ判る。でも車種は相変わらず日本車(特にシビック)だらけだが。



平成14年8月16日 カナダ東部縦断旅行 〜プリンスエドワード島への苦難の道のり〜 その3

At Quebec City
Quebec City 旧市街にて

夕方6時頃ケベックシティに着く。夕方と言ってもまだまだ陽は高いので,部屋に荷物を上げて街にくり出す。

うーん,なるほどキレイな街だ。特に城壁に囲まれた旧市街を歩いているとここがカナダであることを忘れる。モントリオールの旧市街も趣があるがここの方がより徹底している感じ。石畳の道を馬車がパカパカ走るありさまはまさに"よーろっぱ"だ。時間がなくあまりあちこち見て回れないのが残念だが,旅行の帰り道でもここに1泊する予定なので,残りはその時に見に行こう。翌3日目はこの旅行中最も長距離を走る移動日だ。早めにホテルへ帰って食事をとり,とっとと寝る。ホテルのレストランのパスタがまた素敵にうまかった。

ところが翌日は朝からケチがついた。だいたい,起きたのが8時とは何ごとぞ! 目覚まし時計は6時にかけていたはずだぞ。まあいい。寝坊してしまったものは仕方ない。朝飯を食って出かけるぞ。

しかし昨日行けなかった旧市街のロアータウンにちょっとだけ寄り道をしようとしたのがまたいけなかった。道に迷ってしまったのだ。しかもケベックシティ市内の詳しい地図は持っていないという罠。まあ,ウチの旅行はいつも行き当たりばったりなのでこういうことはよくあるのだが。結局市内を脱出するのに小一時間を費し,予定より2時間ぐらい遅れてセントローレンス河を渡る。

道はここからセントローレンス河に沿って北東に向かう。このあたりから真直ぐ東方のプリンスエドワード島に進むことができればいいのだが,USAの国境と深い森林地帯が大きく北に入り込んだ形になっており,これらを避けるように道は大きく北へ迂回しているのだ。邪魔だぞ,USA。

途中で嫁さんと運転を交代しながらひたすら北東へ進む。途中から次第に雲行きが怪しくなる。悪い予感だ。確かに天気予報では今日から天気が崩れる予報だったが,カナダの天気予報はちっとも当らないので,大丈夫だろうとたかをくくっていた。

お午過ぎまで走ったところで地図を確認して愕然とする。ちっとも進んでいないではないか。途中で高速道路が途切れて一般道になる区間があったのだが,どうもそこでかなり時間を消費したらしい。途中で嫁さんと運転を代わったのも良くなかったかもしれない。ウチの嫁さんは女としてはかなりとばす方なのだが,それでも平均時速は俺の方が早い。そしてとうとう空からはポツリポツリとH2Oが。おいおい待てよここで雨でも降られた日にはさらに平均スピードが下がって時間がかかるではないか。

しかし無情にも事態はさらに悪化する。

午後2時を過ぎてやっと道は南東へ折り返したが,しばらく行ったところで工事の渋滞にひっかかる。カナダでは冬場には(雪のため)道路工事ができないので夏場はやたらと工事が多い。かなり長い区間を交互通行にしているため10分くらいは平気で車を止めさせる。しかもそれを同じ道のあちこちでやってる。お前らな,俺は急いでんだよ。これじゃ今日中にPEIに着かんではないか。

しばらく行くと,今度は工事区間を迂回させるようになっているが,迂回路の表示がフランス語でわけ分んない上にいい加減な書き方なので同じところをグルグル回らされる。あ〜頭に来る。お前らな,迂回路の看板ぐらい英語も書いとけ。もうこの国の複雑な歴史などどうでも良くなってくる。

かなりの時間を消費してやっと工事区間を抜け,ケベックからニューブランズウィック州に入る。やっぱ英語だよ英語。いいねー,英語の看板。などとかつてないほど英語のありがたみをかみしめているうちに,今度は雨が本降りになってくる。いや,本降り,なんてもんじゃないぞこれは。もうヤケクソみたいな雨だ。ナイアガラの滝の中を走っているみたいな感じだ。前が見えない。横も見えない。当然後ろも見えない。全て水・水・水だ。数10m先を走る先行車のテールランプだけがおぼろげながら見える。

俺ももう20年ぐらい車に乗っているが,こんなにひどい雨はちょっと記憶にない。しかも走れど走れどちっとも小降りにならない。いつまでたってもヤケクソ全開だ。その上,途中から雷が鳴り出した,と思ったらバンバン周囲に落ち出した。車に乗ってても腹に雷鳴が響く。道の左右は広大な森林地帯だがあまり高い樹はないので車に着雷する危険性は十分にある。当然ながら路面は河のようになっていて時々ハイドロプレーンでステアリングを持って行かれそうになる。それでもみんな90km/hぐらいで走ってるのね。仕方なく俺も同じスピードで走ってたけど。
子供は怖がって泣き出すし,嫁さんも顔がひきつってる。仕方なくオヤジは景気づけのためにバカ話をしてガハハと笑う。実は自分も顔ひきつってたかもしれんけど。

結局,ヤケクソ猛雷雨の中を1時間半ほどバカ笑いしながらステアリングと格闘し続けて,やっと雨も雷も普通の夕立のレベルになる。その頃にはもうこっちがヤケクソになってるので休みもとらず食事もとらず走り続ける。しかしなかなか目的地は近づいて来ない。夕方の6時を過ぎてもまだ300km近くの道のりが。お前らな,いい加減にせえよ。遠すぎるぞ。

などと無茶な言いがかりをつけながら,とにかく走る走る。ホテルのチェックインの時間が気になる。8時9時になっても普通にチェックインできるだろうか。とんでもないイナカのとんでもない小さいホテルで,夜になったらフロント誰もいませーん,なんてことはないだろうな。そもそもちゃんと予約は入ってるんだろうな。「遅くなる」って電話しといた方がいいかな。でもまたよく分からんフランス語訛りの英語でしゃべられてもウツだしな。

しかしここで最後にもう一つ大きな落とし穴が我々を待っていた。やたらと日が暮れるのが早いのである。この時期カナダでは夜8時を過ぎてもまだ明るいのが当り前である。ところが,俺の時計ではまだ7時過ぎなのにもう辺りは暗くなりかかっている。何かおかしいぞ。天気が悪いだけではないぞ。

その時,嫁さんが叫んだ。「あ! 時差!

そうだ。ケベックより東の州には時差があって,時計が1時間早いのだ。ということは今はもうすでに午後8時過ぎだ。忘れてたよ...そんなこと。
PEIのホテルまでの残りの距離は200kmぐらいある。このまま平均時速100km/hですっ飛んでいっても着くのは10時過ぎだ。ズズーン,と音を立てて顔にたて線が入った。



平成14年8月18日 カナダ東部縦断旅行 〜プリンスエドワード島への苦難の道のり〜 その4

At Cavendish
PEI キャベンディッシュ 「赤毛のアン」作者モンゴメリーゆかりの郵便局 にて

もうすでに陽はとっぷり暮れ,前も後ろも右も左も周囲は真っ暗である。街灯なんてものは全くないカナダの田舎道。自分がどんなところを走っているのかもよく分らない。ただただ目の前に現れる真っ暗な道路を時速130km/hで駆け抜けるだけである。

このあたりはオンタリオでもおなじみのアライグマやスカンクだけでなく,ビーバーや鹿,またムース・熊などの大物が路上に出てくることもあり,彼らには道を渡るときに「飛び出さない」とか「右手を上げる」とかいった習慣はないため,こういう田舎の夜道を走るときにはかなり前方を注意する必要がある。あ〜,腰が痛い。目もショボショボしてくる。しかし走らねば。途中で雨が止んだのだけが救いだ。

真っ暗な道をひた走りやっとPEIと本土を結ぶ"Confederation Bridge"を渡る。全長13km,結構長い。渡るのにもちょっと時間がかかる。橋の上からの景色がまた素晴らしい...はずだが真っ暗で何も見えない。

長い橋を渡り終え,やっとPEIに下り立つが何の感動もない。ただただ真っ暗。ただただ目の前には道,道,道。赤土の大地,緑の草原,青い空,青い海はどこへ行った...ま,夜だから仕方ないか。

PEIに渡ってからもしばらく真っ暗な道を走り続けてやっとサマーサイドの街に到着,ホテルは道路沿いですぐ分った。現在時刻午後9時50分(時差修正後)。ほぼ12時間ずっと休憩もとらずぶっ通しで走り続けていたことになる。我ながら完全にバカだ。

幸いフロントはまだ開いていてチェックインは問題なくできる。もうホテルのレストランも閉まる時刻だ。すでに寝ている子供達を抱えてホテルの部屋に上がりメシも食わずシャワーだけ浴びて爆睡してしまう。ちょうど眠りにつく頃,我々を追いかけてきたらしいあのヤケクソ雷雨が外を荒れ狂う音が耳に入るが,そんなことはもうどうでもいい。寝るのだ。ああ長い一日だった。

何やら水に関連した悪夢から目が覚めると,外は昨日の荒天がウソのような青空...だったら良かったのだが,悪夢の続きのようなどんよりした空だ。ホテルのレストランでモーニングを食べ,雨が降り出さないうちにと慌しく出かける。

初めて目の当たりにするPEIの風景。なるほど...これで青空だったらきっと素晴らしいところだ。

しかし今日のようなうっとおしい曇天だと...ただのイナカだ。

それでも日本から直接ここに来た人にはもの珍しい風景だろう。しかしこちとらカナダの田舎風景にはもう慣れっこである。何といっても現在自分がカナダの田舎に住んでいるのだ。何ということだ。俺達はこんな見慣れたカナダの田舎風景を見るために死ぬような(本当に死ぬかと思った)思いをして車を飛ばしてきたのか。

At Inaka
PEI 「ただのイナカ」にて

泣きそうになりながらとりあえず,目的地へ向かって車を走らせる。昨日は耐久レース車両か水陸両用車のような活躍を見せてくれた我らが愛車ネオンも何やら元気がない。ATの変速がスムーズじゃない。ATオイルが下がってきている証拠だ。ガスの補給と同時にATオイルも注ぎ足しておく。

そうこうしていると,奇跡か...幾重にも重なった雲の合間からお日様が顔を出し始めたのだ。陽光のもとで見るPEIの大地はさっきとは全く異なる表情を見せた。見渡す限り広がる牧草地,ジャガイモ畑,雑木林。雨や夜露でぬれた牧草やジャガイモの白い花,赤土の地面がキラキラ輝き目に眩しいくらいだ。キレイだ...言葉を失う。
スマンかった。さっきはただのイナカ呼ばわりして。しかしどうして陽の光のあるなしでこんなに風景が変わるのだ。

At Daichi
PEI 「日光に輝く大地」にて

う〜ん デジカメ画像では感動が伝わりまへん

さあ,気をとり直して今日の目的地キャベンディッシュへ向かおう。この小さな街は「赤毛のアン」とその作者モンゴメリーのファンにとっては「聖地」だ。私も「赤毛のアン」シリーズは読んだことがあるが,もともと女の子の話だし興味がわかなかったようで,あまり内容の記憶がない。嫁さんにとっても特に愛読書というわけではなかったらしい。何しに来たと問われれば「観光」としか答えようがない。この地にあこがれてはるばる日本からやってくるファンの人達から見れば,京都の五条霊山の竜馬の墓前で「坂本竜馬って戦国時代の人だっけ」とか言っている修学旅行の女子高生とケシカラン度においては変わらない。

「赤毛のアンの家」グリーンゲイブルズは見学者でいっぱいだ。駐車場にもなかなか入れない。わずかしかない駐車スペースに何台もの車が殺到してケンカまでしているのを見るとゲンナリしてしまう。道路沿いにはみやげ物屋が並び,ちょっとイメージとは違う感じ。家に入るのにも15分ほど並ばなければならなかった。日本じゃ15分の行列なんてどうということないが,カナダで15分も並ぶことは珍しい。

家の中を見学して,小説にも出てくる「おばけの森」を歩いて抜けると,モンゴメリーの墓がある共同墓地に出る。そのとなりはモンゴメリーが働いていた郵便局,そのまたとなりが彼女が日曜学校で教えていた教会だ。そこここに英語・フランス語と並んで日本語の案内があるところを見るとやはりかなり日本人観光客が多いのだろう。確かに,いかにも「やっとここに来たわ」という感じで雰囲気にひたっている日本人らしき女性を時おり見かける。しかしその横で「コラそっち行ったらアカンて言うてるやろが」とか「ウン○出る前にちゃんと言わなアカンのよ」とか関西弁まるだしの小汚い日本人一家がウロウロしていては雰囲気ぶち壊しでさぞかし迷惑だったろう。申し訳ない。

At Cavendish
PEI キャベンディッシュ教会 にて(電線がジャマですな)

その後,今度は西へ向けて走り出すが,途中から再び天気が崩れ土砂降りの雨となる。お前らな,ええ加減にせえよ。雨降りすぎなんじゃ。

と怒ったところで雨が止むでもなく,これでは「風光明媚」なところへ行っても,再び「ただのイナカ」と化していることは確実なので,ホテルに帰って室内プールで子供と遊ぶことにする。



平成14年8月20日 カナダ東部縦断旅行 〜プリンスエドワード島への苦難の道のり〜 その5

At Port Prim
PEI "Port Prim" にて

晩メシはやっぱりロブスターだろうということで,ホテルの横のシーフードレストランでロブスターを食う。もちろん,ガキはチキンウイング(ナゲットのデカイやつね)でも食っとけということで,ロブスターを頼むのは大人2人だけである。こんな高いモン,ガキの分までたのめるか。

う〜ん,ウマイ。さすがに本場のロブスターだ。日本のイセエビとは身の入り方が違う。しかしふと気が付くとガキ2匹が恨めしそうな目でこちらを見上げている。

...仕方ねえ,食え。

足の先っちょをちょびっとやるが,まだオヤジを見ている。

...仕方ねえ,もうちょっと食え。

今度は足の残りをやる。
しかしまだ見ている。もっとくれと手まで出している。

お前らな,ええ加減にせえよ。普段ろくに食わずに遊んでばっかしおるくせに,こんな時だけバクバク食うなよ!

しかし飢えるガキにメシをやらないわけにはいかない。とうとうオヤジと嫁さんのロブスターはかなりの部分をガキにブン取られ,はっきり言って欲求不満が残る夕食となってしまった。しかもガキども,食い散らかしたロブスターの殻を前に「明日も食べる〜,もっと食べる〜」などと恐ろしいことをぬかしているではないか。それに便乗して「じゃ,明日のお昼はまたロブスターみんなで食べよか」などと裏切る嫁。お,お前らなぁ,ええ加減にせえよ。ウチは貧乏なんやぞ。それにそんなにロブスターばっかし食ってたら来世はエビになるぞ!

しかしオヤジの悲痛な叫びは闇に空しく残響するのみだった。
お,お前ら,俺ルームキー持ってへんのに先に行ってしもてどうすんねん。あわてて後を追いかけるオヤジの姿には哀愁というより滑稽という表現がぴったりだった。そう,いつの世も家庭におけるオヤジの本質は道化なのだ。

明日こそは晴れてくれと祈るような気持ちで,というか本当に祈りながら眠りにつく。

しか〜し,案の定,翌朝もどんよりした鉛色の空だ。オヤジには,生きたままゆでられさんざん食い散らかされたあげく爪の先までチューチュー吸われた昨夜のロブスターの呪いとしか思えない。だから言わんこっちゃない。もうこれ以上散財して罪を深めることは止めにしようと提案するも,すでに昼メシのロブスターを思って目が血走っている連中に受け入れられるわけがない。

今日の主目的は州都シャーロットタウンに行くことだ。車を東に走らせるが,天気が良くないので風景は今一つだ。途中で木製の手作りおもちゃや陶器の店に寄りながら東に向う。わざわざ赤土のダートの山道を選んで走ってみたりするが,嫁さんや子供を乗せてドリドリもできないので,おとなしく走る。

シャーロットタウンはこじんまりした街で,このカナダで最小の州の州都にふさわしい感じだ。キレイなお店や住宅が並ぶ中に州議事堂などのいかめしい建物が混在している。カナダが1867年(明治維新の1年前だな)に連邦国家として発足した際に話し合いがもたれたのがここシャーロットタウンである。記念の碑などもある。

カナダというと平和国家のイメージが強いだろうが,案外そうでもない。カナダが国際社会の中で独立国家として認知されるようになった背景には,20世紀に起こった主な戦争全てにおいて,平和維持の名のもとに積極的に出兵しそこで活躍したという事実がある。第一次大戦,第二次大戦,朝鮮戦争,湾岸戦争,そしてもちろん今回のイラク戦争も。ここシャーロットタウンにはそういった戦争で出兵した兵士達を称える碑がある。この碑が真に平和を祈念するものなのか,戦争を賛美するものなのか私の英語力ではよく分らなかったが,決して後者ではないことを願いたい。

街をウロウロして土産物を買った後で大きなホテルの近くにある有名なロブスター屋さんに行く。レストランのすぐ横ではロブスターを始めとする魚介類が生きたままかなり安い値段で売られているのだが,一歩レストランに入ると決して安いという感じではない。日本語のメニューまであることを考えると金持ち日本人をターゲットにした値段設定だな。しかしもうここまで来てツベコベ言っても仕方がない。食う以上はしっかり食おう。もうヤケクソになって値段は「時価」と書いた恐ろしげなメニューをたのむ。腹を決めた貧乏オヤジの前に運ばれてきたのは大皿山盛りのムール貝と一人1匹合計4匹のでかいロブスターだ。

ぷはぁ〜,食った食った。

テーブルの上には昨夜以上のロブスターの殻とムール貝の殻が散乱している。さすがのガキどもも満足したようでおとなしいもんである。これで全員仲良く来世はエビ決定だな。

そしてやがておネエちゃんが持って来た請求書を見て貧乏一家はぶったまげる。何ぃ,150ドル〜!

呪いだ...今晩のメシは全員チキンウイングだ...

最後にシャーロットタウンよりさらに東に行ったところにあるポート・プリムという岬の灯台に行く。この島で最も古い灯台だそうだ。中に入っててっぺんに上ることもできるらしいと聞いて,ケムリよりも高いところが好きなこの家のバカな男達は走り出す。ハシゴのような階段をイヤというほど上っててっぺんまで行くと,「絶景〜」のはずだが...呪いだ。垂れ込める暗雲がよけいに目についてウツな気分になる。

さあ下りようとした時,USから来たというお年寄りの団体が下からドヤドヤ上がってくる。かなーりヨボヨボした人も混じっていて,オイオイ大丈夫かぁ。「上がるのはいいけど下りるのは大変よ」と下手な英語で伝えるも,"I'm OK"とか笑っちゃって言うことを聞かない。お前らもロブスター食ったんだろ。呪いには気をつけろよ。



平成14年8月22日 カナダ東部縦断旅行 〜プリンスエドワード島への苦難の道のり〜 その6

At Bridge
PEI "Confederation Bridge" にて

昼食とはうって変わった質素な夕食をとると,もう明日は帰途につく日である。またあの地獄の長距離ドライブが待っている。つべこべ言わずにさっさと寝ないと。

翌朝は無事全員5時に起きることができ,6時にはチェックアウトして走り出すことができた。超朝寝坊関西人一家にしては上出来なすべり出しだ。
そしてこういう「今日帰る」という日に限ってスッキリ晴れるというジンクス。日ごろの行いが悪い者に対して神はいつも容赦ない。本土へ渡る橋の手前で夜が明けてきた。なんというキレイな朝焼けだろう。最後の最後にもう一度寄り道し,浜に下りて橋をバックに写真をとる。しかし...寒い。8月上旬だというのに気温は12℃しかない。

37.5ドルの通行料(往復分を帰り道で払う)を払って橋を渡ってしまうともうPEIとはお別れだ。さようなら雨のPEI。イナカのPEI。今度来るときは(また来るのか?)ちゃんと晴れへんかったら火ぃつけるど晴れてくれよ。

旅の帰り道というのはいつも少しおセンチだ。何とも表現できない少し淋しいような,胸の中にポッカリ空洞ができたような気分の中で車を淡々と走らせる。いつもはあれだけ騒がしいウチの家族もみな静かだ。みんなそれぞれに心の中でPEIの想い出にひたっているのか...

...って,見たら全員寝とるやないか。ええ加減にせえよ,お前ら。オヤジはセンチな気分にも負けず必死で運転しとるねんぞ。すると娘がモゾモゾ起きる。

「○ンコ出る〜」

もういいよ,お前ら。寝とけ。ずっとず〜っと寝とけ。いや,どうか寝ていて下さい。オヤジの感傷タイムを邪魔するな。

来た時と同じ道では面白くない,というかゲンが良くないので,道を変えて山の中をセントジョン川を溯る形で走っていく。この川の河口は地形その他の条件から潮の干満の差が世界で最も大きく,満潮時には水が川のかなりの上流までドドーっと逆流していくことで有名だ。探究心旺盛な,というか野次馬根性盛んな私としては話のネタにぜひ見ておきたいもんだが,一日にせいぜい2回しかない現象を長い間ボーっと待ってるわけにもいかない。もったいないけど通り過ぎるだけにする。

セントジョン川を溯るドライブはやっと回復した天候のせいもあって実に快適だった。来た時に通ったルートよりも高速道路の区間は少ないのだが,道は広く周囲の景色も開けていて実に走りやすい。おまけにこちらのルートの方が道のりは若干短い。これなら来る時もこっちの道を走ってくれば良かった。あのバカげた雨も降ってなかったかもしれないし。

工事区間も少なく,あれよあれよという間に車は走り,午後1時ごろにはセントローレンス川岸の街に到着する。さあ,ここからまたフランス語圏だ。案の定,いきなりガススタンドで(私の発音が悪く)16ドルと60ドルを間違えられそうになる。怖〜,冗談やないで。「しっくすてぃ〜んだら〜ず」て言うてるやんか。わざととちゃうんか?

しかし結局,10時間ほどのドライブで午後4時にはケベックシティに戻ってきた。やはり往路は明らかにルート選択ミスだった。みなさん,車でPEIに行く時は(誰が行くねん)セントジョン川沿いのルートを行きましょう。生と死の境を極めたい人は北回りでどうぞ。

ケベックシティは何ごともなかったかのように(実際ここは何ごともなかったのだが)お洒落ににぎわっている。ヤケクソ雷雨の中の地獄ドライブも雨のPEIの田舎風景もロブスターの呪いもここの人たちには何の関係もない。今はあの苦難の道のりは私達の心の中だけにある。主観と客観の永遠の対立に少しだけ想いをめぐらせながら,3日前と同じホテルにチェックインし荷物を上げて街に出る。

今日はたまたま旧市街で小さいカーニバルがあるということで結構な人出だ。京都の「時代祭り」みたいに18世紀か19世紀の衣装を身に付けた人たちが歩いている。にぎわう街,もり上がる嫁さんや子供達とは裏腹にオヤジの心の中は今一つさえない。やっぱりオヤジは街よりイナカが好きなのだ。寒くても暗くても雨が降っててもいい。赤土の田舎風景がなつかすぃ。そうだ,私はさんざんボロクソ言っておきながらすっかりPEIに魅せられてしまったようだ。きっと行こう。また行こう。でもやっぱり車で行くのは止めとこう。



平成14年8月27日 カナダ東部縦断旅行 〜プリンスエドワード島への苦難の道のり〜 その7

At Chute-Montmorency
Quebec City "モンモラシーの滝" にて

とうとうこの旅も最終日を迎えた。よくまあ無事に行って帰ってこれたもんだ,ってまだ家には着いてないか。

朝8時。今日も800kmほどのロングドライブになるので車の空気圧など十分にチェックしてから走り出す。最後にケベックシティ郊外のモンモラシーの滝へ寄り道して帰るのだ。

滝は,ケベックシティの郊外というか市からちょっと北へ走るとすぐ目の前に現われた。高速道路からいくらでも見えるところにある。駐車場は有料だが,自転車はタダで停められるので,ケベックシティから自転車で来てる人が多い。

なるほど水量は比べるべくもないが,落差はナイアガラの滝よりだいぶありそうだ。滝としてはこちらの方が風情があるような気がする。ナイアガラも雪景色はキレイだが,ここの氷結時や積雪時の美しさも定評がある。

写真にも写ってる通り,滝の真上にかかったつり橋から下を見下ろすことができるようになっているので,高いところが無性に好きな男2人はまた走り出しそうになるが,今日はそこまでの時間はない。というかこの2人,高いところが好きなくせに結構怖がりなので,滝の高さと迫力にちょっとビビってしまったというのもあるかもしれない。

いい加減なところで滝を後にして走り出す。

車はスムースに高速道路を消化し,あっという間にケベック州を後にする...はずだったが,最後にモントリオールでもう一波乱あった。

モントリオールの街は道路事情が悪い(と思う)。高速道路は節操なくあちこちで分岐・合流し,道路の表示は簡素,しかもフランス語のみ。あの悪名高い阪神高速に慣れたYASU-Qでも大慌てすることがある。去年ここの大学にいる先生のところに遊びに来た時も,「よく地図だけで迷わずに来られましたね」とほめられた帰り道にしっかり道を間違い,深夜まで街の中をウロウロした苦い思い出がある。

この日も順調にモントリオール市内を走っていたが,うっかり左車線に出て追い越しをかけた時に急に本流が右へ分岐し,曲がりそこねて支流の方に入ってしまった。こうなると後の処理が大変である。しかも運悪くこの道路はすぐに地下へもぐってセントローレンス川をくぐってしまい,気がついたらここは川の南岸である。やれやれ。あちこちグルグルまわってやっと元の道路に戻った時は1時間近くかかっていた。ええ加減にせえよ,お前ら。道路造るときはもっとよく考えて作れや。

というわけで,この後は特に大きなトラブルもなく大きな渋滞もなくあっさりトロントを通り抜け,陽があるうちに家にたどりついてしまった。何だか拍子抜け。トラブルがないのはいいことなんだが。


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このとんでもない旅の記録を終えるにあたって,何かオチが欲しいところなのだが何も考えつかないままに帰って来てしまった。

往復3600kmと少し。PEIでもあちこち走り回っているのでオドメータでは4000kmほど。これを1週間で走破したわけだから,旅行というより,ただただひたすら走り続けていたという方が当たっている。

昔,TVで「遠くへ行きたい」というのがあった。
様々な事情で社会人になるまで地元を離れられなかった私にとって,自分の車で限界まで走り続け,遠くへ行くことは一つの夢だった。遠くへ行ったところで別に何があるわけでもない,そんなことはよく分かっているけれど,心のどこかに常に「遠くへ行きたい」という気持ちが疼いていた。研究者になり,学会で日本のあちこちへ行き,研究留学で地球の裏側に暮らすようになっても,もっと遠くへ,もっと遠くへという気持ちは消えなかった。ま,単に現実逃避欲求だったのかもしれないけどな。

しかし,今回の旅で実際に限界まで遠くへ行ってみて...そこにあったのはやはり現実だった。

見渡す限り地平線まで続くゆるやかなアップダウンのある丘陵地帯。畑と牧草地。そして全く手つかずで残る果てしない原野。広大な森林地帯,広い空。そしてただのイナカ風景...

青く澄んだ空にモクモク湧き上る入道雲,ヤケクソのようにたたきつける雨,本当に生命の危険を感じるほどの激しい落雷,そして8月だというのに震え上がる朝の気温...

これみんな現実。

狭い車内に長時間閉じ込められて拘禁反応を起こし,全員ぎゃーぎゃー怒鳴り合いながらも走り続ける家族。レストランでメシを食った後,チェックの額面を待つ間の緊張感。そしてやって来たチェックに書いてある信じられない金額...

いくら走ってもちっとも変わらない地図の上の現在地,わけ分んない上に不親切なフランス語の道路標示にバカみたいにのんびりした道路工事。そして確実に観光地化しつつある聖地...

これもみんな現実。

旅先での非日常的な現実も,現実であることに違いはない。これらの現実は今後,時間をかけて少しずつ日常の中に同化して行くのだろう。「想い出」という形をとって。そしてこれらのとんでもない現実が完全に消化された時,私は何か変わっているだろうか...

いや,きっと何も変わらないだろうな。変わらないのが日常だから。「面白かった」これだけでもう十分。

遠くへ行った...自分のクルマで。そうしたら...面白かった。ガキのようだが,これがオヤジの答えだ。
でもマネすんなよ。オンボロ車で3600km。めちゃくちゃ大変だから

つまんない文章をここまで読んでくれた心優しい読者の方々,宿の選択・手配を完璧にしてくれたうちの大家さん,壊れず・文句も言わず淡々と走ってくれた愛車,貧乏オヤジのおかげでえらい旅につきあわされた嫁さん・子供達に深く感謝します。



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