独語・空笑 〜日記風に〜


とある病院に勤務している精神科医の日常の雑感です。





平成22年4月5日 近況報告
ん〜,な〜んか気がつくと,前回独語してからもう実に5年半も経ってたりするわけですが(笑)。

生きてます。ワタシ。
死んでなんていません。風になったりもしてません。
カナダから帰ってきて就任した病院で丸7年,ず〜っとそのままがんばってお仕事してます。
毎日毎日鉄板の...いや外来の診察椅子に1日中座ったままで,ヘロヘロになりながらお仕事してます。


このサイトについても,内容が古くなってしまって現実にそぐわない記事や,表現が今ひとつの文章など,ちょっとこのままではマズい部分が出てきてます。

いつか大幅に書き直さないと,リニューアルしないと,とずっと思ってはいたのですが,忙しさにかまけて完全放置になっておりました,ハイ(汗)。それでもGuest Bookの管理だけは最低限の義務と思って,毎日スパム書き込みをせっせと削除したり,しつこいIPを撥ねたりはしていたのですが,ここ数日間のスパム攻撃の酷さといったらほとんどDoS攻撃のレベル,あり得ない。とうとう音を上げざるを得ませんでした(→おしらせ)。


内容が古くなり大幅なアップデートが必要になってきたこのサイトを,今後どうするのか?

いろいろ考えてます。

というのもワタクシYASU-Q,今年になってとうとう個人開業を決意したからです。
そうです,自分のクリニック・診療所を開く予定なんです。

そうなると,当然ながらクリニックの公式サイトも持つことになります。また,これまでは「特定の病院や組織から離れた個人の立場から精神科医療を語ります」なんて言ってましたが,個人でお仕事をするようになるってーと,ますますお仕事と個人の領域の線引きが難しくなってきます。このサイトの位置づけや如何に...

いっそ,このサイトをクリニックの公式サイトにしてしまうか...

それもアリかと思いましたが,そうなると当然,患者さんからはこのサイトに書いてあることとリアルのYASU-Qのお仕事を重ねて見られてしまいます。でも実はこのサイトに書いてあることはある程度「理想論」の面もあって,そのまんまリアルYASU-Qに実行できるかというと微妙な部分もある。もちろん,せっかく開業するわけですから自分の理想を現実化できるようにがんばりますけどね。

じゃあ,クリニックの公式サイトは公式サイトで別に作って,このサイトは院長の個人ページとしてブログ的な扱いにするか...

こちらの方が現実的な案かもしれませんが,それでもクリニックの院長としての公的・社会的な「顔」を意識してしまうと,これまでのように好きなことは書けなくなります。本当にプライベートなことは書きにくくなってしまいます。そこまでしてこのサイトを残す価値があるのか。

じゃやっぱりこれまで通り,リアルのお仕事とは全く関係なくこのサイトはこのサイトで独立して置いとくか...内容はアップデート必要なんだけど...
それとも,情報サイトとしてもう一定の役割は果たしたと考えてキッパリ終了するか...


しかし。

これまでいろいろな方からいただいたメールやコメントを読み返していると,もうこのサイトはある意味管理人であるYASU-Qから独立して,自分でネット社会の中に存在しているような面がある。怠け者の管理人が放置していても,いろんなところからリンクしてもらって,いろいろな人に見てもらって,いろいろな人に感謝してもらって,いろいろな人に育てられてきたサイト。今さら管理人がのこのこ出てきて「クリニックの公式サイトに化けます」とか「やっぱり閉鎖します」とか言えないよね。


ということで,Guest Bookは当分閉鎖せざるを得ませんが,今後も何とかこのサイトは「精神科医の個人サイト」という創立の精神を大事にしながら存続させていきたいと思います。内容についてはいずれ大幅にアップグレードする予定ですが,もうしばらくはこのままでご容赦下さいませ。



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PS:ゲストブックで,メールで,たくさんのご意見,ご質問,励まし,お叱りをいただいております。本当にありがとうございます。各々にお返事できずまことに申し訳ありません。

返事を書かないからといって決してメールやコメントを無視しているわけではなく,全てにきちんと目を通して,喜ばせていただいたり,日々の励みにさせていただいたり,ニヤリ( ̄ー ̄)とさせていただいたり,冷汗を流させていただいたり,メールに向かって謝らせていただいたり m(_^_)m しております。

上記の通りYASU-Qは相変わらず毎日真面目にお仕事しております(最近は開業の準備でますます忙しくなってます)。日々目の前の患者さんのことで精一杯,ネット上での臨床活動などは全く余裕がありませんし,いい加減なことはしたくありませんので,今後もメールやいただいたコメントに個別にレスをすることはできません。今後もこのサイトの運営や自身の臨床活動にはしっかり活用させていただきますので,どうかご了承下さいませ。



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平成16年9月30日 ん〜,何か8周年っぽい

ん〜,な〜んか,気がつくと9月の末になってたり。
更新ないのか,って催促がいっぱい来てたり(笑)。

いや,独語・空笑の原稿は何度か書いたんですけど,何だか内容がまとまらなかったり,途中で止まってしまったりでアップするに至らなかったんですわ。「よーし,コレ書こう!」と思ってノリノリで書き出しても,途中で気持ちが萎えてきて,そのままお蔵入り...そんなパターンが多くて。
まあ何と言うか,毎日忙しくて気持ちが落ち着かないというか,どうしても日本国内で臨床の仕事をしていると何やかやとケジラミ シガラミが多くて,以前のようにテキトーに書いて気楽にアップして,という風にできないんですな。

...まあ,言い訳はこのへんにしておいて。


このサイトを始めたのはH8年9月下旬...ということはこのサイト,そろそろ8周年っていうことらしい。
ただ,途中でかなりサボってた,というか完全に閉鎖してた時期もあったのでホントの8周年じゃないけど。
あ,そう言えばただ今現在もほとんど放置状態だしね(笑)

おいら自身,サイトを始めた当時はまだ「若手精神科医」と言っていい年齢だったけど,今はもう立派な中堅どころになってしまってます。何せ中間管理職だし(涙)。白髪も増えたし(大泣)。
うつ病のおとーさん達の話を聞いていると,そうそうそれそれ,俺もそうなんだよぅ,とこちらまで涙出そうになります。歳をとっていくにつれて患者さんへの共感能力のようなものはだんだん衰えていくものかとかつては思っていましたが,中年以降の患者さんへの共感力はむしろ増しているようです。
でも逆に,若い患者さんの話を聞いてると,昔なら自分も同じ立場で共感できたと思うケースでも,
いい加減にしなさい!おとーさん,怒りますよ!
とか,いつの間にか親の視点で話を聞いてしまっていて,後で自分で苦笑することが出てきました。気がついたら患者さんに説教しそうになってたり(笑)。まあ,自分も確実に歳をとってるということなんでしょうねえ。まあ,以前のように若い患者さんに感情的に巻き込まれることはなくなったので,治療的には悪いことではないんでしょうけど。

何でも「熱い」ことがいいこと,という風潮が世の中にはあります。もちろんこれに対するアンチテーゼとして「クール」とか「ニヒル」なんてのがもてはやされることもありますが,こと「医療」に関してはとにかく「熱い先生がいい先生」「熱い治療がいい治療」と思っている人が多いようです。マンガでもドラマでも映画でも医療モノではたいてい,出てくるのは「熱い先生」とそれに対する悪役として「冷たい先生」ですな。マンネリもいいところです。

「熱くなる」ことで人は自分の能力を最大限発揮しようとがんばります。でも本当に熱くなってしまうと人は対象となる事物との心的距離が近づきすぎてしまって,かえって客観的な判断や適切な行動ができなくなってしまいます。心に余裕がなくなって,対象となる事物に縛られてしまうんですな。精神科の治療においても然り。
精神科医も,熱くなってしまうと,感情のために視野が狭くなったり曇ってしまったりします。患者さんや家族,あるいは第3者の感情に巻き込まれ翻弄されてしまって,客観的な行動ができなくなってしまいます。こうなってしまうと当然ながら最善の治療は望めません。もちろん最初からまるっきり「冷たい」のは論外ですけど(笑)。「熱くなれる」心の柔らかさは持っているべきでしょうが,実際には熱くならずに,冷静さと心の余裕をキープしているべきでしょう。
...でもまあ,実際にはなかなかこういう「適切な心的距離」を保つのは難しいんですけどね。

ネット上のサイトの管理にも同じようなことが言えると思います (おお!何という強引な話の展開!)

たいてい,最初は理想に燃えてサイトを立ち上げ,熱い想いで高頻度に更新して行きますが...

熱くなりすぎてネット上の誰かとぶつかったり。
カキコやレスが熱すぎて,誰かを傷つけてしまったり。
アクセスを増やそうとあちこち顔を突っ込みすぎて収集つかなくなったり。
連夜の寝不足で本業がおろそかになってしまったり。
いつの間にか家族や友人などリアルの人間関係が切れかけてたり。

だんだん更新が滞ってきて,ある時点でパタリと止まる。気がつくともう消耗してしまっていて,新たに更新する気力もなく,放置しているのもカッコ悪いし...醒め切った気持ちでサイトを閉じる...と。
やはり,熱くなり過ぎることで失うものは大きいんですな。

このサイトもそういう歴史たどってます。

思えば,我ながら最初は熱かった...(笑)
もう,めちゃめちゃ熱かったですな。燃えてました。このネットの世界からリアルの精神科医療を変えて行くんだ!みたいな(汗)。
でもそういう熱さって,人にもよると思うけど,たいてい続いても半年ぐらい。おいらも半年で燃え尽きました。メールカウンセリングのメールの数がハンパじゃなかったし,リアルで生活環境が変わったというのもあるけど。結局,サイトの管理にのめり込み過ぎてしまって自分の足元が見えてなかったんですな。
で,その後もBBSが荒れたりして,でも今度は逆に醒め切ってしまってて,なかなか適切な介入ができず休止に突入,と...典型的です。

こういう経過があったので,再開後はあまり熱くならず,放置気味になってても「まあ,存在するだけでもいいじゃないか,一定の情報を提供するだけでもいいじゃないか」という感じでやってます。そう,ネット上では使い古された表現ですが「マターリ」してます(笑)。ここでヘンにまた熱くなってしまうと,結局は自分で自分の首を絞めることになるので,もっと更新しなきゃなー,と思っててもあえてしません(笑)。これがおいらの長続きのコツです。

8年続いてるわけですから,まあついでに9年,10年と行きたいもんですが...とにかくあまり熱くならずに,がんばり過ぎずに,距離を保ちながら,これからもマターリして行きますわ。どうぞ急かさずに見守ってやって下さい。これからもよろしくです。

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平成16年2月26日 イタイ話

さあて。

気が付くと季節はめぐり...どころか,年が明けてもう3月近くになっていたりするわけだ。
今さら新年のご挨拶をしても意味ないので,そのまま何事もなかったかのように独語するとしよう。

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さて先日の話。

直径たった4mmほどの丸い石粒だ。そこいらの道端にころがっていたって,誰も目もくれない。スニーカーの靴底に挟まりでもしない限り,誰も意識することもないような小さな石粒だ。そいつが,まあ,道端にころがっていればいいものを,よりによっておいらの身体の中にあったりしたわけだ。しかもご丁寧に左の尿管の一番狭いところにバッチリひっかかりやがったりするわけだ。

それがまあ,痛いのなんの。

痛みのあまり全身から血の気が引いて,ゲロ吐きそうになりましたよ。マジで。

以前,ウチの嫁さんが尿管結石で...という話をどこかに書いたことがあったが,まさか自分も同じ病になるとは。うーむ,こりゃ来世でも仲良くなれるかも。ただの因縁ではないな。

痛み止めの座薬がケツからはみ出しそうになりながらも慌てて泌尿器科に走りました。だって内科じゃラチあかないんだもん。造影写真とってもらったら,左の尿管が完全閉塞とな。痛いわけだよ。ションベンは血で真っ赤っ赤だし。検査の後ますます痛みが増してショックを起こしかけたおいらに痛み止めの注射をしてくれた年配の看護婦さんには後光が射して見えましたとも。そりゃもう,矢田亜希子よりも吉永小百合よりも輝いて見えましたとも(ちょっとムリあるかも)。

それでまあ,この痛み止めの注射がまた,効くのなんの。

注射が半分も入らないうちに,え,俺,今何か痛いとか言ってたっけ?みたいな。 痛みが治まってしまうともうどこもどうもないわけで,さっきまで泌尿器科外来のベッドでフガフガ言いながらのた打ち回っていたのが,さっと立って歩いて精神科の外来まで帰れるではないか。いやホント,痛みというものが精神に対していかに大きな支配力を持つかまざまざと思い知らされました。




まこと「痛み」というものが生き物に及ぼす影響は大きい。

それは生体に何らかの侵害が及んでいることを知らせ,何らかの対処を促すはたらきを持っている。脊髄反射のレベルで逃避反応,例えば手を引っ込めるとか振り払うとかして,痛みの原因となったモノから身体を遠ざけようとする反応が起こることもあるし,もっと高次の,つまり頭を使った反応をすることもあるだろう。しかしながら痛みがあまりに強い場合は,生体はその場に立ちすくんでしまい,痛みの原因から逃げるとかいった正常な反応ができなくなることも多い。

痛みの感覚,「痛覚」というのはあらゆる感覚の中で最も原始的なものだ。同じ皮膚感覚の中でも,「触覚」などは生き物によりかなり発達しており,人間でも触覚だけでかなりの認識ができるのはみなさんご存知の通り。手で触ればだいたいのモノは分かるし,点字なんていうものもある。
ところが痛覚にはそういう広がりや分化はなく,ただ強度,つまりどのくらい痛いかというその方向の違いしか存在しない。

単純で原始的な感覚であるからこそ,言葉にして表現することは難しく,痛みを他人に伝えることは非常に難しい。「ズキズキする痛み」「閉めつけるような痛み」「刺し込むような痛み」「ヒリヒリする痛み」...どんなに言葉を尽くしても,こと痛みの表現に関しては,何だか常に言い尽くせないような隔靴掻痒の感が残る。

そして痛みは記憶にも残りにくい。複雑に分化した,つまり情報量が多い感覚は手がかりが残りやすいが,たった2次元の広がりしか持たない情報では記憶としても残りにくい。どんなに強烈な痛みでも,あっという間に記憶から抜け落ちてしまって,時間が経つと「痛みのあまり血の気が引いた」とか「痛くて大声を出してしまった」とか痛みそのものではなく付随した事象の記憶のみが抜け殻のように残るだけとなる。生々しい痛みの感覚そのものは,どうがんばっても想起できない。痛みというのはとても孤独で,そして刹那的な,他人と共有することの難しい感覚なのだ。

しかし原始的,根本的なものであるからこそ生体への支配力は大きいのだろう。 生き物は痛みに支配されてしまうと冷静さを失い,立ちすくんでしまったり,いたずらにもがくばかりになってしまう。時には痛みから逃れようとかえって痛みの原因に近づいてしまったり,別の危険に身を曝してしまったりする。

そしてこれらは全て身体の痛みだけでなく「心の痛み」についても言えることである。 心の痛みもまた人の精神を支配し,冷静さを失わせる。痛みに支配されてしまった人は,心に痛みを持たない人からは信じられないような,時にはバカげていたり滑稽にすら見えるような行動をってしまうこともある。
でも,あなたは痛みに支配されている人の行動を笑うことができるか?
あなたは同じような心の痛みに襲われた時に,今のように冷静でいられるか?

少なくとも私は言える。

おいらはぜったい取り乱します。ええ,取り乱しますとも。

痛みを持つ人と持たない人の間には絶望的な距離が存在する。でも,痛まない人が痛む人になるにはたった4mmの石粒があるだけでいい。あなたもやってみませんか,尿管結石。私の今年一番のお勧めです。



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メールを下さったたくさんの方々,ゲスブにカキコしてくれた方々,本当にありがとうです。各々の方にお返事できず本当に申し訳ありません。

YASU-Qは毎日忙しく臨床の日々を送っています。私にとっては目の前の実際の患者さんを何とかするのがやっとで,なかなか留学当時のようにサイトの管理に時間をさくことができません。またネット上の対応には絶対的な限界があり,キチンと対応できない限りいい加減な対応はしない,というのがYASU-Qのモットーですので(都合のいい言い訳かも−笑−),今後もネット上で各々の方にお返事することはできません。

中には差し迫った内容のメールを送って下さる方もおられますが,どうかネット上の情報にあまり頼らず,実際に病院や関係機関に相談するようにして下さい。責任を回避するつもりはありませんが,"YASU-Q"はあくまでもネット上の人物であり,実際の精神科医としての私とは別物です。実際の私は決して・絶対・すっごく名医でも理想の医師でもありません。極めて普通の一精神科医に過ぎませんから。

それから,サイトのアクセスが10万を越えました。これも偏にこうやってサイトを訪れていただいている,あ・な・た,一人一人のあ・な・たのおかげです。
なかなか更新もできない状態が続きますが,どうぞ今後ともよろしくです。

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