Episodes in America
(1993年夏にアメリカへ行ったときのことをPC-VANの埼玉BDに書き込みしたも
のをhomepage用になおしたものです)
Episode in America 1砂漠の町で
アメリカを一番感じたのは片側5車線もあるハイウェイや、摩天楼ではなく、ネバダの砂漠の中をまっすぐ延びる1車線の道路だった。道路脇には潅木がポツポツと生えてて、遠くには地肌むき出しの山。その手前に時々おこるつむじ風。小高い山あいの谷間を越えるとまた同じ景色。対向車が来るのも2,3時間に一度、、、。わざわざでかい国道を避けたのだから、こうなったんだけど、、、。
州の地図に出ているような町にたどり着いて、その小ささに驚くのには慣れてきた頃、ある町についた、、。でもどこを見てもその町の名前を書いたさびれた看板がかかった小さなガソリンスタンドしかない。前にも後ろにもまっすぐの路。視界を遮るものは何もない。スタンドの事務所を兼ねた小さな食堂で、ガソリンを入れるついでにでっかいハンバーガーにかぶりつく。 キャップ(帽子)を集めるのが趣味の店主は、日本に来た事があるといい、沖縄はよかったという。厚木、三沢、、、、。ベトナムの帰還兵だった。日本での色々なことを話してくれたけど、ベトナムの事には触れなかった。俺も聞けなかった。
州道沿いにある小さな町。と言ってもあるのは1軒のガソリンスタンド兼食堂だけ。一番近い町へ行くにも30マイルはある。そこにかたくなに住むベトナム
帰還兵。 The States is a big country.(アメリカはでっかい田舎だ)って向こうの誰かが言っていた。「国」って意味だけじゃまだまだアメリカを知らないね
、、と言われたのを思い出した。
Episode in America 2 マクドナルド
ホームステイ先のホストファミリーには、6歳の男の子がいた。日曜日に空手を習っていたが、空手と言っても大技ばかり教えられているらしく、飛び蹴り
とか回し蹴りの相手をよくさせられていた。その子を道場へ迎えに行くのについて行くと、その帰りにマクドナルドでランチとなった。そこにはやけに大きな遊
び場があるのが目についた。日本でも郊外のマックでは見かけることもあるが、派手な色彩の滑り台やブランコで遊ぶ子供たちがやけに多いような気がした。
ホストファミリーに、大きな遊び場があっていいですね、と話しかけたら、そうでもないんだよとの返事。サンディエゴは治安が悪い方ではないが、それで
も自衛のために小さな子供を外で遊ばせる事は少ないんだ、と。だから家でテレビゲームか、外から見えないように塀で閉ざされた庭で一人で遊ぶか、マクドナ
ルドへ連れて行って遊ばせるくらいしかないんだって。
よく見るとたしかに高い柵があって、店内からでないと入れないようになっていた。このマックのサービスは好評なようで、あちこちのマックにこの施設があ
って、子供連れで賑わっていた。そのにぎやかな光景とは裏腹に、ちょっと寂しい現実があるようだった。
Episode in America 3ボビー
ボビーは日系3世のアメリカ人だ。俺が通った語学学校の講師だったが、ほとんど習う機会はなかった。俺がいたホストファミリーの家はボビーの通勤のル
ートに近かったので、ボビーのエスティマに拾ってもらい、ボビーの家にホームステイしているアンドレアスやエリックと共に通う事となった。
気さくなボビーは色々と相談に乗ってくれ、綺麗なビーチに連れて行ってくれたり、安くてうまいサンドイッチが食べられる店を紹介してくれた。
ボビーとの会話は本当に通じないときは日本語の単語を織りまぜたが、ほとんどは英語で通した。ドイツ系スイス人のアンドレアスとはすごく仲がよくなり
、色々なところへ二人で遊びに行ってぎこちない会話を随分楽しんだが、ボビーとクラスの奴らと一緒にランチに行くと、大抵ボビーと喋っていた。他の奴らは
同じ国の奴と母国語で喋っているし、彼らのスペイン訛りやドイツ訛りの英語はとても聞き取りにくかった。もっともボビーの話す native の発音はもっと聞き
取りにくかった。ボビーは更に聞き取りにくい Japanese English に辛抱強く付き合ってくれた。
北海道で起きた地震の話やミシシッピーの洪水の話なんていう挨拶のような
会話が多かったが、ある日だんだん銃の話になりいつの間にかYOSHIの話になっていた。アメリカ南部で射殺された少年の話だ。
あまりアメリカでは詳細に報道されていないのか、それともボビーが疎いのか、細部については知らなかった。俺は日本で読んだ記事を思い出しながら状況
を説明して、ハロウィンの衣装をつけた少年を撃つなんて crazy だと言った。ボビーはハロウィンは子供がやるものだからYOSHIのように大きな人が夕闇に仮
装して来たらそれは恐いに違いない、ましてや"Freeze"と言ったのに向かってくるなんて普通ではないと言う。
それでも、銃を構えたら後ずさりした人に向かって撃つ必要はない、威嚇で十分だ、と言っても取り合ってくれなかった。また、南部はもともと保守的なと
ころであり、自分は自分で守るという伝統があり、それに従ったのだとも言った。
銃規制について触れると、隣の家まで車で何十分もかかるようなところで誰が身を守ってくれるのか、と一蹴された。
とにかくアメリカと日本では報道の質や視点や量が違い、更にアメリカ人と日本人の意識の差があるのがわかった。そしてアメリカ人独特の人を説得するよ
うな自信ありげな喋り方もあって、圧倒されてしまっていた。ボビーに通じなかったのは未熟な英語のせいもあるかもしれないと思い、ボビーに日本での報道を
英訳して送ろうかとも思ったがすぐに思い直した。通じないのは言葉でなく日本人の精神(と言っていいかどうか)であったような気もするし、ボビーが日系人
という事に対する甘えから、同情心がおこるだろうと油断した論の組み立てにも原因があるように思えた。
せめてボビーは銃の規制には賛成すると思っていたが、そんなことはなかっ
た。第二次世界大戦中の日系人がアメリカに忠誠心を示すために率先して従軍したのを思い出しボビーにだぶらせたが、そんな卑屈な考えでは説明できないと思
われた。
最近アメリカでは銃規制に対しての世論の高まりがあると聞く。しかしそれは日本のマスコミが拡大して取りあげているだけで、一部の高まりなのではない
かと思う。YOSHIの事件の時のように、日本とアメリカでは取りあげ方も意識も違うだろう。
きっと僕が「ボビーはアメリカに染まっている(アメリカ人なのだから当たり前だが)」と思ったように、ボビーは僕が日本人でありその視点でものを見て
いる事を強く意識しただろう。それでいいと思う。ただアメリカは移民の国であり彼らをまとめる唯一の共通点は英語でコミュニケーションをとれるということ
であり、それですら最近は崩れてきている。これからあの国をまとめていく吸引力は一体なんだろう。力か?思想か?金か?銃か?外に対する敵対心か?内に求
めるものがあるだろうか。
ボビーはYOSHIの民事裁判の結果をどう思っているだろう。