<資料> いじめ・自殺問題に対する「提言」(案) 1994.12.23.




なくそう,いじめ・自殺  まもろう,子どもの人権・いのち (案)


愛知県教職員労働組合協議会






T、今回のいじめ・自殺をまねいた愛知の教育の矛盾 

 「・・まだたくさんやりたいことがあったけど、・・・。本当にすみません。いつも心配かけワガママだし、そだてるのにも苦労がかかったと思います。おばあちやん長生きしてください。・・・ぼくはもうこの世からはいません。お金もへる心配もありません。一人分食費がへりました。お母さんは、朝ゆっくりねれるようになります・・(大河内清輝君の遺書から)」
 こんなやさしい気もちを持った子が、自らの手で命を絶たねばならなかったことに衝撃を受けました。今、相次いで起きているいじめ・自殺に対して、「どこでも起こりうること」として、総点検が言われています。しかし、いじめというのは、起きるのが当たり前のことなのでしょうか? 昔から、子ども同士のトラブルとしてのいじめはありましたが、それと今日起きている「いじめ」とはまったく違ったものです。子どもたちの成長を保障する学校では、あってはならないことです。このことを見誤った論議では、今日的「いじめ」をなくすことはできません。
 自らの命を絶たなければならなかった彼の書き残した文を読むとき、教師の責任の重大さを思い知らされます。けれども、「学校や家庭が、見逃したり、見て見ぬふりをしているのが原因」といった対応の誤りだけに論議をとどめず、なぜ、いじめが頻発するのか、今の愛知の教育の在り方自体を深く間い直さなければ、間題の根本的解決にはなりません。教師や親の総懺悔でなく、いじめを作り出している根源をえぐり出す必要があります。今の愛知の管理主義教育は、「いじめ発生装置」とでも言うべき重大な欠陥を持っており、大河内君等は、自分の命でもって、そのことに「異議申し立て」をしたものと、私たちは受けとめます。

1.子どもたちから,学ぶ喜びを奪う新学習指導要領のしめつけ

 多くの中学生が、いつもいらいらし、不安定な状況にあります。ちょっとしたことで逆上する姿に、「これがわが子かしら」と不安な思いにかられた親が少なくありません。子どもたちのいらだち・あせりの第一の要因は、「三分の一の子がわかればいい」とする現行の学習指導要領にあります。そして、「わからないのも個性」とする「新しい学力観」にしばられ、わからない子をほったらかしにしてでも進められる授業、絶えず序列がつけられ競争させられる受験用授業、このような、子どもに冷たい教育行政こそ、最大のいじめではないでしようか?
 単に思春期の不安定さだけでなく、勉強が苦役以外のなにものでもないことへのいらだちが、自暴自棄の中学生を生み出しているのです。

2.子ども・親・教師を競争に駆り立てる愛知の過酷な受験制度 

 さらに指摘すべきは、他府県とくらべて圧倒的に悪い高校進学率と、複合選抜制度がもたらした愛知県独特の中学生の苦しみです。

(1) オマエの入れる高校はない! 

 下から2番目という低い高校進学率が、排他的競争・劣等感を生む愛知県の平成六年度の高校進学率は92.3%(含、定時制)と、全国の都道府県の中で下から二番目という厳しさです。さらに清輝君の通っていた東部中の全日制高校への進学率は、88.9%、とりわけ男子は、81.6%と低く、男子の二割近くは、高校進字をあきらめざるを得ませんでした。ほとんどの生徒は、中学入学当初,高校進学を希望しています。それが様々なテストをくり返して序列がつけられ、ふるい分けられていくのです。中二くらいになると,高校へは行けないとあきらめる生徒が出てきます。一方で、学校・教師は、何とかして合格者を増やしたいと、いろんなテストのたびに順位を出し、序列をはっきりさせることで子どもたちを競争させることに必死です。こういう競争の中で、ばらばらにされた子どもたちの間にいじめか生まれても、教師は忙しさに追われ、気がつかないことになります。

(2) 偏差値教育を加速させた複合選抜制度

 エリート校から教育「困難」校まで、広がる格差。運よく,高校進学の枠に入れたとしても、複合選抜制度により、高校間格差が激しくなり、少しでも上位ランクの高校へと競争は激しくなっています。このように、絶えず競争・競争で責めたてられ、多くの中学生は自分のことに精いっぱいで、ひとのことに無関心ということになるのも無理からぬことです。

3.ゆったりとふれあうことのできない過密な教師の勤務と子どもの日課

 競争,競争で子どもと教師を追い立てる「差別・選別体制」と細かいことまで管理・統制する「管理主義」が、子どもからも教師からも「人間らしさ」を奪い取っています。

(1) 勝敗至上主義の部活動とはじき出されるいじめグループ

 競争は、勉強だけではありません。勝敗至上主義の部活動があります。早朝練習と日没までの長時間練習、もちろん土・日も猛練習です。こういう毎日に、子どもも教師も疲れ切っています。多くの教師の学校にいる時間は、軽く十二時間を超えます。
 一方で、いじめグルーブと言われている子どもたちは、このような部活動に耐えられず、ゲームセンターにたむろし、ぶつけどころのない不満をつのらせ、ゲームやいじめで、満たされないさびしさから逃れようとしていたのではないでしょうか。

(2) 非常織が常識化している愛知の管理主義教育

 管理主義が教師を多忙と統制の渦に巻き込み、マニュアル人間化させる

 岡崎市を筆頭に、長髪禁止・丸坊主強制、トレパン登校など、三河の管理教育は全国的に有名になりました。さすがに批判の高まりの中で、少しずつ改善が進みました。しかし、管理主義教育は、依然として続いています。
 典型的な例として、岡崎市内のある中学校は、体育祭の時、応援席を離れてトイレに行くのに、いちいち許可証を見せなければならなかったという事例があります。このほか、あまりのばかばかしさに信じられないような規則が、三河では強制されています。誰もが疑問に思い、反発するであろうことが、平然とまかり通り、自分を殺して、みんなと同じにしていなければなりません。そこからはずれると罰やいじめを覚悟しなければならないという「マニュアル人間つくり」の愛知・三河の管理主義教育の弊害が、自殺しないまでも、岡崎市の中学生の登校拒否が全国平均の一・七倍、小学生で一・六倍ということにも表れています。
 このことが、子どもたちだけでなく教師をも締めつけています。欧米各国では考えられないような過密学級、教師の管理・統制からくる些細な管理事項の連続による多忙化、そんな毎日をくり返すうちに子どもの心のつかめない教師になる危険性が強まっています。とりわけ、指導のあせりからくる教師の「体罰」が「いじめ」の誘因となっていることに目を向けなければなりません。

(3) 子どもに背を向けた官制の押しつけ研修

 出世をにらみ、見栄えばかりを追う研究指定校制度

 かつて、ある教育長は、辞令伝達式の席で「勤務時間などということを言う教師は、三河には要らない。」と、言い放ちました。また、西尾市の教育長は、「今回の原因は、教師の情熱の不足と、力量の不足」と言明しました。しかし、東部中は本年度から二年間にわたって、生徒指導の研究指定を受けています。研究指定校の勤務条例無視のすさまじい勤務実態は、教師なら誰でも知っています。問題は、子どもの実態とかけ離れた、出世がらみの押しつけ・官制研修制度です。発表のためのぶ厚い要項・資料集つくり,細部にわたるきまり・しつけなど見栄えを良くするため、無理に無理を重ねるのです。過去、発表が終わるとともに、荒れ始めた学校が少なくありません。こういう子どもから遊離した研究指定校制度を押し進めた教育委員会に責任はないのでしようか。

4.出世主義の秘密人事が、学校運営の混乱を生む

 前年まで小学校一年生を担任、しかも教師経験そのものが少ない、またカで押さえられている生徒たちのはけ口として、反発が集中しやすい女性教師を、ある意味でいちばん指導の難しい中学二年、それも荒れていることのわかっている学年の担任にしたことに、誰もが疑問を感じます。学年の教師集団のフォロウ体制への指導・配慮はどうだったのでしようか。そういう人事を行う管理織の教育的識見と、そういう管理職か登用される人事制度が批判されても仕方がありません。今回の学校の対応は、市教委の指導のもとに行われているのでしようが、ますます不信をあおるようなことの連続です。長期にわたる学閥優先、花木一宮市元教育長の出世がらみの収賄事件に見られるような暗闇の中で進められる秘密人事の弊害がここに現れています。

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U 私たちの決意

 わたしたちは,自殺に追い込まれた子どもたちだけでなく、いじめグループと言われる子どもたちも、今の教育の犠牲者と受けとめます。かけがえのない命でもって今の教育に「異議申し立て」をしてくれた子どもたちの声に応えるために、文部省や教育委員会に言われたことを、言われたとおりにやることを強制する愛知の管理教育の徹底した見直しと再建に取り組みます。

1.憲法・教育基本法・子どもの権利条約をもとにした学校づくりを進めます。

 大戦の反省から「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び・・(教育基本法)」という教育の自的を確認しました。しかし、歴代の政府は,憲法・教育基本法をゆがめ、逆方向への管理統制を強めてきました。子どもの最善の利益の保障をうたった「子どもの権利条約」も、しぶしぶ批准したものの、制約的な行政解釈の見解を通知するなど、いっそうの管理と抑圧を強めました。
 今回の「いじめ事件」で露呈した学校の秘密主義・ことなかれ主義がきびしく批判されました。わたしたちは、父母の学校教育への疑問・批判・意見を率直に受けとめることのできる地域にひらかれた学校つくりに努めます。わたしたちは、さまざまな悪条件はあっても、子どもたちの命をかけた「異議申し立て」を深く受けとめ、教師の責任の重さをかみして、肉体的暴力であれ、コトバの暴力であれ、どんないじめも許さず、子どもの人権と人間らしく伸びていく権利を大切にする教育の確立に全力を挙げます。
 すべての学校の職員会議・いじめ対策委員会、PTAの諸会合、地域の教育懇談会等の集まりで率直に問題を提起し、論議を交わし合い、解決のための合意つくりにとりくみます。

2.全国最悪の入試制度の改革運動に父母・県民とともに取り組みます。

 全国最低と言ってもいい狭い「高校受け入れ粋(計画進学率)」と、公立・私立とも「受験の機会が多くなるから」と美化しながら学校格差を拡大している「複合選抜制度」からくる過酷な受験制度に対して、かつては「十五の春を泣かせない」を合い言葉に県民運動が大きく進みました。わたしたちは、今一度、大きな運動になるよう呼びかけます。

3.父母・地域の人々と手をむすんで、退廃文化から子どもを守ります。

 また、今回の事件では、学校教育の矛盾だけでなく、日本の社会的状況・文化的状況の悪影響にも目を向けなければなりません。奥田元教育長の芸文センター汚職などの金権腐敗に見られる、汚いお金でも平気という「お金至上主義」が、「いじめ」から「ゆすり・たかり,恐喝」にまで子どもを引きずり込んでいます。また、ひとをいじめ、弱点をあざ笑うことで「うけ」をねらう番組など暴力や性の商品化を煽り、売れればいい、視聴率が上がればいいという一部のマスコミに見られるような「もうけ第一主義」は、他人を傷つけることに対する罪悪感を弱め、深く子どもたちの心をむしばんでいます。
 父母・地域の人々と手をつなぎ、こういう退廃文化への批判活動を進め、子どもを退廃文化から守ります。

4.わたしたちは、マニュアル人間になることを拒否するとともに、マニュアル人間つくりの教育に加担しません。押しつけの官製研修でなく、専門職にふさわしいわたしたち自身の自主研修体制の拡充と教育条件の改善に努めます。そして、どの子にも学ぶよろこび、生きるカを育てる教育の創造に全力をあげます。

 わたしたちは、子どもが主人公の学校づくりのため、教育の自主性と教師の自主的権限保障のため奮闘します。教師から専門職としての力量と誇りを奪い、対応の誤りを生み出した大きな要因は、マニュアルどおりに動ける教師づくりを第一としてきた官製研修と日常の教育活動への管理・統制の強化を指摘しないわけにはいきません。さらに勤務条例無視の長時間・過密労働です。わたしたちは、このような障害を改善しつつ、自らの力量を高めるための自主的研修をさらに強化します。
 今回のいじめ・自殺に対して、西尾東部中では「解明は、警察の方で進められているので・・」と一般の刑事事件のような扱いになってしまいました。これでは教育の放棄であり、大河内君の声に応えることばできないのではないでしょうか。
 また,岡崎市福岡中では、PTA総会で「いじめではなかった」と報告し、了承を得たということで終わらされました。受験をひかえ、校内の「秩序」を取り戻したいという気もちは理解できないわけではありませんが、「いじめの有無」ということは、PTAの席で決められることでしょうか?
 しかも,自由にものの言えるような雰囲気のない場で。形は民主的ですが、本当に人間を大切にしているのでしょうか。子どもたちの「異議申し立て」に耳を傾けない「ことなかれ主義」が温存されたままではないでしょうか。
 わたしたちは、全力をあげてこうした悲劇がくり返されないよう、父母・県民のみなさんと共同して、愛知の教育の諸問題を解決し、いじめ・自殺をなくし、子どもの人権・いのちをまもる決意を表明します。

1994年12月23日

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