介護体験と意見
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介護体験と意見


2017年
アルツハイマー病の祖母が幼い孫娘に日本の童謡を歌う(12月1日)
認知症の人がよりよく生きるのを支える方法(4月28日)
「介護生活敗戦記 「事実を認めない」から始まった私の介護敗戦(3月9日)
「認知症「告白」地域の理解支えに 第1景・超高齢社会(5)」(2月25日)
「<生きる支える 心あわせて>認知症で一人暮らし (上) 役割持ち、生きる自信 (下) 地域の絆が生活支える」(1月25・26日)


介護体験と意見 過去の情報(2008年〜2016年)


2017年


アルツハイマー病の祖母が幼い孫娘に日本の童謡を歌う(12月1日/アメリカ
アルツハイマー病の祖母と幼い孫娘との間の感動的なひと時の様子が拡がりました。この女性の娘さんが日本の童謡を歌って赤ん坊を穏やかにしている記録に撮った取ってからのことです。
8年前、アルツハイマー病と診断されたセツコ・ハーモンSetsuko Harmonさんの娘クリスチン・ストーンChristine Stone(39才)さんは次のように話しています。
「私が妊娠中、母に祖母になることを、毎日、覚えてもらうようにしなければなりませんでした。それは楽しいひと時でした。私が話す度に母の反応を観てワクワクしました」
今年10月11日、ストーンさんはサディー・マエSadie Maeさんを出産しました。その後、この赤ん坊が軟骨無形性症Achondroplasiと診断され、将来、理学療法が必要になるでしょう。
ストーンさんは11月9日に次のようにネットに投稿しました。
「今日、娘が軟骨無形成症で背の低い人になるだろうことを知りました。この病気の女性の平均身長は4フィート1インチ(約124センチ)です。2,3人の特別な医師の診察を受け、娘の成長期になんらかの治療に加わることになるでしょう。起きる、這う、歩くまでに少し時間がかかるでしょうが、いずれ出来ることです。病気に関連した身体障害のほかには、娘は健康な赤ん坊で、脳の機能は正常で、みんなと同じく長生きするでしょう」
南コロラド州に住むストーンさんは、娘さんについて、引き続き個人的なフェイスブックを更新し、家族と一緒にいる赤ん坊の動画を投稿しました。
10月27日、ストーンさんは、母親が赤ん坊を抱きながら「どんぐりころころ」の歌を歌っている動画を共有し、次のように説明しました。
「母は私が子供の頃、よく歌っていました。それはドングリとドジョウは話です」
動画は彼女のフェイスブックで8600回以上、閲覧され、各種の報道機関で取り上げられました」
さらにストーンさんは次のように話しています。
「娘に母が歌っている姿を観ることは本当に特別なことです。私に歌っていたことを思い出すからです。母は、シャワー室で私の髪を洗っている時もこうしたすべて日本の歌を歌っていました。30年以上前の昔の歌を覚えていることは特別なことだと思います。娘の生まれたことが母にさらに何かをする、度々訪れるということを引き起こしたのです。父が母をここに連れてくるのにときどき大変でした。しかし、現在、二人で毎週来ています。父は、クリスティーンの赤ん坊に会いに行こうと話しかけ、それで母親はわくわくして来るのです」
さらにストーンさんは「この動画がアルツハイマー病の啓発に役立つことを望みます」と話しています。
Fox News 12/01/2017 Grandmother with Alzheimer's sings Japanese children's song to infant granddaughter


認知症の人がよりよく生きるのを支える方法(4月28日/アメリカ)
アルツハイマー病は特異な特徴があります。アメリカ人が、がんや脳卒中や心臓病より最も恐れる病気なのです。このことがアルツハイマー病に関わる表現に反映されるのです。
この治らない病気が進行すると、人が徐々に薄れ、悲しいことにアイデンティティが奪われるというのです。このことを私たちは何度となく聞かされました。
しかし、多くの一連の研究によると、アルツハイマー病のこうした話は間違っています。アルツハイマー病やその他の認知症の人は、自己意識を保持し、病気の最期の段階まで概して、前向きな生活の質を保っているのです。
認知症の人は関係を持つのを好みます。意味ある活動や自分を表現する価値ある機会があると活発になります。そしてこうした状況なかで家庭に居るような感じを楽しむのです。
7年前、アルツハイマー病と診断されたアイオワ州アンケニーに住むジョン・サンドブロムJohn Sandblom氏(57才)(画像左上)は「私の能力は変わるか?変わります。でも内面的には同じ人間です」と話しています。
精神科医、メリーランド大学University of Marylandの教授、そしてアルツハイマー病の人の家族の指針である「1日36時間"The 36-Hour Day"」を共同執筆者のピーター・ラビンスPeter Rabins医師(画像左中)は研究の結果から以下のようにまとめました。
「概して、認知症の人のおおよそ4分の1は、人生は否定的であると言います。しか重症の病気の人よりではさらに多いのです。このことからもし記憶や思考能力に何なかの変化があるとそれ以上悪いことは想像できないと私も考えるでしょう。しかし、すてきな祖父母を私は知っています。彼らは好きな孫の名前を思い出せないのですが、すべての会話についていけないとしても好きな人たちと共にいることで楽しむことができるのです」
このことの意味することは、たとえ、もの忘れ、遅い認知機能、注意散漫といった症状に立ち向かいながらも認知症の人の幸せを向上させることは可能であり望ましいことです。
「病気を越えた認知症:幸せの向上"Dementia Beyond Disease: Enhancing Well-Being"」の著者で、カナダのシェーゲル大学ウオタールー加齢研究所Schlegel-University of Waterloo Research Institute for Agingの加齢・認知症革新部長のアレン・パウアーAllen Power医師(画像左下)は「いまのところ介護者、家族、友人が生活を向上させるためにできることは沢山ある」と話しています。
もちろん、アルツハイマー病やその他の認知症の最終段階はとても困難で、介護者を支える社会的資源は少なく、過小評価すべきでない問題があります。
軽度や中程度の認知症の人の80%までが対応すべき生活の質の以下のような多くの要因があります。
○健康に配慮する
一つの注目すべき研究は、世界的なアルツハイマー病協会の連合体である国際アルツハイマー病協会Alzheimer's Disease Internationalの6つの会議で認知症の人と介護者と専門家との間での長い討論を分析したものです。
その討論で身体的健康の重要性が強調されました。すなわち、痛みがない、栄養が十分である、身体的に活発である、身なりがよい、排尿管理がよい、メガネや補聴器を使う、薬をのみすぎがないことです。認知機能面での健康もまた優先すべき課題です。記憶やもの忘れを補う実際的な技術を学ぶ支えとなる認知機能リハビリテーションが求められています。
アルツハイマー病の人の40%ほどは、明らかなうつ状態です。ラビンス医師らの研究によると、悲しそうにみえる、無関心にみえる、すなわち生きることへ関心がないような人を判定して治療することが重要なのです。
○社会的繋がりを助長する
他の人たちと繋がりを持って関わることは、認知症の人にとってかなり優先すべきことです。何十年にわたって行われた調査によってラビン医師は積極的な生活の質の5つの重要な要素の一つとして社会的繋がりを挙げました。
しかし、いったん診断されると、通常、恐れ、不快、誤解によって関係が壊れます。2014年1月にサンドボロム氏が共同して創設した組織―国際認知症連合Dementia Alliance International―の毎週のオンラインの支援グループを運営するなかで「世界中の人から聞いた最も悲しいことは、ほとんど例外ないことですが、家族、友人、知人が認知症の人と縁を切る」ということです。
○コミュニケーションに合わせる
認知症の人とどのようにコミュニケーションをとったらよいか知らないことはよくある問題です。
認知症研究者でジョンズ・ホプキンス大学看護学部Center for Innovative Care in Aging at Johns Hopkins School of Nursingの加齢革新ケアセンターの所長であるローラ・ギトリンLaura Gitlin氏(画像右上)は、「国際リハビリテーション国際百科事典International Encyclopedia of Rehabilitation」の論文で次のことを提案しています。
「ゆっくり、簡単に、穏やかに話す、一度に一つか二つだけを取り挙げる、反応するに十分な時間を用意する、否定的な言葉を使わない、言い争わない、雑音や気分散漫を避ける、相手の目を見る、じっとは見ない、微笑みで感情を表現する、手を握る、ハグをする、認知症の人が異って受け取ることを理解する」
またサンドブロム氏は次のように話しています。
「認知症であると他人がしていることへの多くの自然な感覚が失われます。このため認知症の人へすこし神経質になったり疑い深くなります。これは物事をよくは理解できないことを知ることよる人間の自然な反応だと思います」
○必要だが満たされてはいないことに応える
必要なことが認められていない、あるいは応えられていないことは明らかに苦痛の原因で質の低い生活の原因となります。パワー医師は、苦しみを治すより、背景となる原因を理解し、対応するように努めることを提案します。
通常、必要なことだが応えられはいないことは何でしょう。2013年に発表されて研究のなかでラビンス医師らは、以下のことを確認しました。転倒予防の管理(応えられていない割合はほぼ75%)、健康や医療の関心事に応えること(同63%)、意義ある活動に関わること(同53%)、安全で容易に移動できる家の評価(45%)。
○自律とアイデンティティを尊重する
ラビンス医師はこれを「自己認識」と呼び、積極的な生活の質にとって本質的な要素に含めています。サンドブロム氏はこれを「私の病気ではなく人間全体を観ること」と呼んでいます。
国際アルツハイマー病協会の会議で、認知症の人は話に耳を傾け、価値を認め、自分を表現する機会を与えられることについて話し、さらに次のように話しています。
「尊敬され、霊的に認められ、引き立てられない、傷つけられない、子供扱いされないことを望みます」
また認知症の人が自分たちにとって重要なことについて回答した11の研究論文を評価した結果、彼らは「自律と自立を経験し、受容され理解されたと感じ、病気だからといって過剰に認識されないことを望む」と話しています。
しかしこのどれもが容易なことではありません。しかし、認知症の人が経験することを理解し、彼らに必要なことに応えることの戦略について教えることはできます。
ラビンス医師は「こうしたことが最優先されるべきです。生活の質が改善されたということがすべての認知症治療の基本的な結果とすべきだ」と話しています。
寄稿:ジュディス・グラハムJudith Graham(カイザーヘルスニュースKaiser Health News)(画像右下)
CNN  April 28, 2017 Simple steps to help people with dementia lead better lives
編者:常識的な内容の記事だが、認知症ケアで先駆的なラビンス医師が久しぶりに紹介された。


「介護生活敗戦記 「事実を認めない」から始まった私の介護敗戦(3月9日/日経ビジネス)
松浦晋也:ノンフィクション作家/科学技術ジャーナリスト(画像)
「人生を楽しんできた母が、まさか」
 母は、海軍の軍人であった祖父と、地方の名家の末娘であった祖母の間に4人兄弟の2番目として生まれた。転勤の多い海軍軍人の家庭の例に漏れず、幼少時は舞鶴、佐世保、逗子と日本中を転々と移動して育った。
 戦後、祖父母は故郷に定住し、母は地元の高校を卒業した後、昭和一桁生まれの女性には珍しく大学まで進学して、英文学を学んでいる。大学時代は観劇に熱中。「三島由紀夫は、自分の戯曲がかかるといつも来ていた」「若い頃の美輪明宏はとってもきれいだった」というようなことを言っていたこともある。
 卒業後は東京・丸の内に本社を構える某財閥系大企業に就職した。就職はどうやら祖父の海軍時代のコネだったようである。ビジネス・ガール(BG)という言葉をご存じだろうか。太平洋戦争後の一時期、オフィスに進出した働く女性のことをこう呼んだ。20代の母は世の最先端たるBGだったわけである。
 余談だが、その後ビジネス・ガールには娼婦という意味があることが判明し、その代替として作られた言葉がオフィス・レディ(OL)という和製英語だった。ちなみにOLという言葉を作ったのは、後に「ノストラダムスの大予言」で一世を風靡するというか社会に多大な害毒を流すというか、ともかく大きな影響を与えた五島勉氏である。
英語塾を開き、旅行にも出かけていた
 かつて母が私に語った、昭和30年代前半の財閥系大手企業に在籍するエリート・サラリーマンの勤務実態は無類に面白く、「ああなるほど。日本の労働生産性が低いのは、こういう連中がこういう働き方をしていた結果か」と思わせるものがあったが、蛇足になるので省こう。ただし「若い女の子なんておまけ扱いで仕事をもらえなくて、暇だから職場で本を読んでいたら叱られた。それならば、と、英語の本を読むようにしたら、誰も文句を言わなくなった」と話していたことはここに書いておいてもいいだろう。
 その後、新聞記者をしていた父と見合い結婚をして、当時の常識に従って寿退社。専業主婦として我々兄弟を出産し、育てた。よくある話だが、嫁姑問題で揉めに揉めて、あわや離婚かという時期もあったが乗り越え、後に英語の能力を生かして中学生向けのごく少人数の私塾を営んだ。
 五十代、六十代は英語塾で作ったささやかな資金的余裕で国内外への旅行を楽しんだ。母七十歳の時に父が死去。その後も、合唱のサークルだ、太極拳の練習だ、フランス語やスペイン語や中国語の勉強だ、とけっこう忙しく人生を楽しんできた。
 体も丈夫で病気らしい病気もしなかったため、子供らはなんとなく「このまま徐々に衰えて、周囲にあまり手間をかけさせることなく、けっこうな長生きをしてすとんと死んでいくのだろう」と思い込んでいた。
 そうではなかったのである。(つづく)
日経ビジネスOnline 2017年3月9日 原文のまま
バックナンバー
母は「認知症?私はなんともない!」と徹底抗戦   2017年3月16日
その名は「通販」。認知症介護の予想外の敵     2017年3月23日
家事を奪われた認知症の母が、私に牙を剥く     2017年3月30日

「認知症「告白」地域の理解支えに 第1景・超高齢社会(5)」(2月25日/福井新聞)
恋の思い出話を周りから勧められ「これからせん(恋をしないと)ならんのや」。福井県若狭町の前町長、千田千代和さん(79)のユーモアたっぷりの返しに、20人の高齢者が笑い声を上げる。同町で開かれる月に一度の集いは、介護の悩みを打ち明けたり、交流を深めたりする場だ。
千田さんは旧三方町時代から12年にわたり町長を務め、2009年に退任。以来、自宅で認知症の妻勝美(まさみ)さん(78)を介護している。症状が出始めたのは約15年前。現在の要介護度は重度の5で、会話もできない。結婚して54年。夜になると、勝美さんの足元にタオルで巻いた湯たんぽを置くのが日課だ。「目が合うと、妻は笑ってくれるんや」
町長在任中、福祉担当者から「高齢者の30%が認知症予備軍」と知らされた。「高齢化社会の大きな課題」と痛感した千田さんは、認知症の理解を進めるため、勝美さんの病気をオープンにした。現在は県内各地で自身の経験を語っている。「つらいときもあるが、認知症は病気なんだと自分を納得させることが大切」
   □  □  □
福井県越前市の田中悦子さん(75)も夫の病気をオープンにした一人だ。認知症と診断された6年前、夫婦で近所約20軒を回り「ご迷惑を掛けるかもしれません」とお願いに歩いた。元気なときからの2人の決め事だった。
夫は昼夜なく「ライオンが入ってくる」と言ったり、布団のしわを見て「人の顔がいっぱいある」と言ったり…。タンスから服を取り出し、はさみで切ってしまうこともあった。悦子さんは「最初の2年間は24時間介護状態。寝た記憶がない」と振り返る。ただ「夫もつらかったと思う」とも。「楽になれる薬がほしい」と頼まれたときは、涙で会話にならなかった。
近所の人から「大丈夫? 奥さん」と声を掛けられたり「こんなおむつを使ってみたら」と教えられたりした。周囲の人たちは、親身になって悩みを聞いてくれた。悦子さんは「何百倍も心が楽になった」と話す。
体力の低下とともに穏やかになっていった夫は昨年6月、悦子さんに見守られながら84歳で他界した。
   □  □  □
県内で要介護認定を受けている認知症の人は2万8245人(16年)で、05年比で79・7%増。団塊の世代が75歳以上になる25年には、65歳以上の5人に1人が認知症になるとも言われる。
病気を正しく理解し本人や家族を支えていく認知症サポーター養成などを若狭町で行っている高島久美子さんは「今の薬は認知症の進行を抑えることができる。とにかく早期発見」と話す。病院の外来を担当していた時、受診するのは重症の人ばかりで、途方に暮れる家族の姿が目に焼き付いているからだ。
同町の人口に占める認知症サポーターの割合は70・7%(昨年9月末)で、県平均の12・1%を大きく上回る。高島さんは「地域全体で病気を正しく理解すれば、早期発見につながり、発症しても安心して暮らせる地域になる」と力を込める。
画像説明:仲間と笑顔で会話する千田千代和さん(左から3人目)。介護の悩みを打ち明けることもある=1月11日、福井県若狭町の「ラムサール『わかさ』」
Fukuishimbun Online 2017 年2月25日 原文のまま
関連記事:第1景・超高齢社会
(10)「死は敗北」から脱却を(2017年3月4日)
(9)「延命でなく自然な最期」広がる(2017年3月3日)
(8)ケアマネ、要介護者を支える要に(2017年3月2日)
(7)在宅医療充実「家で死にたい」尊重(2017年3月1日)
(6)介護業界「胃ろう」外しへの挑戦(2017年2月27日)
(5)認知症「告白」地域の理解支えに(2017年2月25日)
(4)男性介護者、焦燥抱え独りぼっち(2017年2月24日)
(3)「下流老人」著者に聞く貧困対策(2017年2月23日)
(2)命の危機、声上げられない貧困者(2017年2月22日)
(1)死を招く孤立、家族や地域の絆どこ(2017年2月21日)


「<生きる支える 心あわせて>認知症で一人暮らし(上) 役割持ち、生きる自信」(1月25日/東京新聞)
「今日はカレーを作ります。みんなで協力してくださいね」。浜松市南区の認知症対応型のデイサービス施設「ここ倶楽部(くらぶ)」。年明け早々の朝礼で、職員の元気な呼び掛けが、七十〜八十代の女性五人の背中を押した。
「十九人分だから、少ない方だね」「ぼちぼちやろうね」。五人は話しつつ、机に積まれたジャガイモの皮をむく。ニンジン、タマネギも、火が通りやすい大きさに切りそろえていく。包丁を扱う手付きは滑らかだ。
「何作ってるの?」。横を通りかかった職員の質問に、市内で一人暮らしをする玉木たつよさん(88)(画像)の手が止まった。「何だったっけ? 忘れた」。噴き出す周囲に、玉木さんの笑い声もいっそう高くなる。
この施設では、昼食とおやつ作りが午前の日課だ。隣の別施設に通う人の分を含め、多い時は三十人分にもなるが、みんなせっせと動き、作業後は野菜くずまできれいに片付ける。「いつもうちでやってたことだから」と意に介さない。
「介護されていると思うと、本人の気持ちがなえるので、職員のように働いてもらっていますよ」。運営会社「LCウェルネス」の代表、見野(みの)孝子さん(68)(画像)は話す。調理のため包丁を持ってもらうが、今まで事故は起きていない。
見野さんは三十年ほど前から、在宅の高齢者を介護するヘルパーの仕事をしてきた。できないことが増え、自宅に閉じこもりがちになる認知症の人が、地域で過ごせる場の大切さを痛感。二〇一二年に施設を始めた。
施設では、忘れていく不安を絶えず抱える認知症の人が、自分たちで作った料理を食べ、皆にも感謝されることを繰り返す中で、生きる自信を取り戻す姿を見てきた。楽しいことを増やし嫌なことを薄めると、イライラしなくなり暴れなくなると実感する。
できることは一切手伝わない。尊厳を傷つけないよう、できないことはさせない。これが、施設の基本的な考え。「利用者の持病などを職員同士で共有した上で、その日の体調も見ながら、どこまで手を差し伸べるかを見極めています」。九年前からこの施設で働く介護福祉士白木小織(さおり)さん(43)は心掛ける。
昼食後は、窓から暖かな日が差す居間で一休み。「カバンのファスナーが壊れちゃった」と困っている玉木さんを見た女性が、別のキーホルダーの金具で瞬く間に修理した。「ありがとう」と目を輝かす玉木さんに、女性が「カバンから財布が見えると、いい人でも気が変わって、とられちゃう時もあるよ」と冗談交じりに笑顔で話す。
やりとりを見守る白木さんは「私も以前、認知症の高齢者は何もできず、手が掛かると思っていた。でも、実際に接してみると、ほかの高齢者と何も変わらず、教えてもらうことも多いですね」。
おしゃべりが好きな玉木さんは、いつも話題の中心にいる。風呂に入るため席を離れると、たちまち別の女性が「今日はたま(玉木さん)来てないよね?」。「お風呂だよ。もう忘れてるね」。どこからともなく突っ込みが入り、和気あいあいとなる。
「認知症の症状を改善することは難しいが、感情の機能は落ちていない。そこを刺激すれば、認知症の人でもその瞬間、瞬間を楽しむことは維持できるし、その人らしさも引き出せます」と見野さん。
「笑うと病気にならないよね。ここにいると楽しいから、百歳まで生きるよ」。施設で洗濯したタオル干しを手伝いながら、つぶやく玉木さんの顔に笑みが浮かんだ。 (出口有紀)
Tokyo web 2017 年1月25日 原文のまま
「<生きる支える 心あわせて>認知症で一人暮らし(下) 地域の絆が生活支える」(1月26日/東京新聞)
お金がないのが心配だけど…」。浜松市内で一人暮らしをする玉木たつよさん(88)(画像)がつぶやいた。「年金が入るから、大丈夫だよ」。ケアマネジャーの徳増知子さん(48)(画像)からそう聞くと、「それ、忘れてた。大事なお金だよ」。ほっとした表情になる。
アルツハイマー型認知症を患っており、現在は要介護1。子どもはおらず、二〇一一年に夫に先立たれた。その前後から、自分で金銭を管理するのが難しくなった。
銀行のキャッシュカードの暗証番号や、印鑑の置き場を忘れたことがあるほか、高価な健康食品を通信販売で定期購入したり、使わないかつらや化粧品を買ったりした。長年、織物製造会社で働き、今は自分の年金を受給しているが、手元にお金があると全部使ってしまっていた。
そこで申し込んでいるのが、市社会福祉協議会(社協)による金銭管理サービス。社協の職員が玉木さんの口座から毎月一定額を本人に届ける。一度に渡すと、玉木さんは全部使ってしまう可能性があるため、徳増さんがいったん預かり、必要な分を渡す。
徳増さんは「買い物をしてしまうのは、一人で寂しいからなのでは。通販の担当者はやさしく語りかけるので、ついつい買ってしまったようです」。以前、金銭的に苦労した時期があって、お金に不安感を持ちがちな玉木さんを思いやる。
そんな玉木さんが自宅で暮らしていけるのは、地域の力だと徳増さんは考えている。
玉木さんが今の家に暮らし始めたのは約四十年前。駅に近い市街地なのに、今も濃密な人間関係が残っている。玉木さんは住民の多くと顔見知りだ。
徳増さんが玉木さんのことを知ったのも、近所に住む知り合いからの相談だった。「がんで夫が寝たきりになっている女性がいるが、何か支援してもらえないか」との内容で、徳増さんが会ってみると認知症の疑いがあることが分かったのだ。
玉木さんは「まだ元気だし、施設に入るのはいや。ここにいたい」と話したため、徳増さんは住民の力を借り、介護保険のサービスを使いながらここで暮らすことを実現しようとした。
熱中症が心配な夏場には、昔から懇意にしていた酒販店に、スポーツ飲料やお茶のペットボトルを週一度配達するよう依頼。その際、手渡ししてちゃんと飲んでいるかを確認してもらっている。酒販店を営む女性は「昔から買っていただいているので、喜んで行きますよ」と快諾してくれた。
認知症になっても、ちょっとした手助けがあれば、地域でそのまま暮らせる場合がある。しかし「火の不始末による火災が起きないか」と不安を抱く住民もいるため、徳増さんは住民に玉木さんの現状も報告している。つながりを深めることは手がかかるが、「本人のことを知らせれば、安心してもらえるから」と意に介さない。
玉木さんはこのほか、認知症対応型デイサービス施設「ここ倶楽部(くらぶ)」(同市南区)に週四回通い、週一度はヘルパーが掃除や洗濯に入る。ガスこんろは使えないようにふたをかけ、食事は配食サービスなどを利用している。
玉木さんは時々、思い出すようにつぶやく。「徳増さんみたいないい人に会えて良かった。ほんとに、毎日安心だわ」 (出口有紀)
Tokyo web 2017年1月26日 原文のまま


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