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2017年
「認知症施策、「本人の集いの場ある」自治体の56%」(2月17日)
診断を受けた後の素晴らしい人生:引退したCBCのジャーナリストがアルツハイマー病の生活を語る(1月8日)
2016年

「認知症支える社会に 京都、支援5団体「介護離職防ぐ環境必要」(9月20日)
毎週開催の認知症カフェが認知症の人を支える(7月5日)
「<支えられるココロ> 認知症でミス 専務解任(上)新たなわが家に光求め(下)前を向く」姿見せたい」(4月20・21日)
「宇治の街ぐるみ認知症支援 広がれ、本人意思の尊重」(3月16日/京都新聞)
2015年
「<支えられるココロ> 「認知症」からの“復活”(上)(下)」(12月23・24日)
「医療・介護 大転換【第38回】普通のサラリーマンでも認知症になる。そのときどうする? 映画で学ぶ「認知症ケア」の今」(9月2日)
「認知症でも働ける! 「若年性アルツハイマー」を発症したトップセールスマンの戦い」(7月17日)
「認知症患者が認知症患者ケア 相談窓口開設へ」(5月20日)
認知症と在宅で生きる人たち(4月8日)
作家でアルツハイマー病のテリー・プラチェット卿、亡くなる。享年66(3月12日)
「若年性認知症、初期支援を 患者ら意見交換会で訴え」(2月20日)
「認知症の悩みトップは「現金どこに」…半数以上」(2月16日)
「若年性認知症でも働きたい 有償ボランティアで社会参加」(2月4日)


過去の情報
2005年〜2012年
2013年・2014年



2017年


★「認知症施策、「本人の集いの場ある」自治体の56%」(2月17日/日本経済新聞)
認知症の施策づくりに当事者の声を生かすため「本人たちが集まり、自らの体験や必要な支援を話し合う機会がある」とした市区町村は約56%に上ることが17日、高齢者問題を研究する国際長寿センター(東京)が実施した初の自治体調査で分かった。回答があったのは869自治体。これまでの施策は家族や支援者の視点に偏りがちだったが「本人重視」に変わりつつある。
政府は2015年に策定した認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)で「当事者視点の重視」を掲げ、保健師らが生活実態や希望する支援について、本人から聞き取り調査をしている。
しかし「認知症の人は意思表示ができない」と周囲が思い込み、家族や支援者が代わりに答えるケースもある。専門家からは「本人調査とは名ばかりだ」との指摘が出ていた。
こうした中、認知症の人が互いに本音を打ち明けられる機会が増えている。同センターが昨年12月〜今年1月、全市区町村の担当者に尋ねたところ、約半数の869自治体から回答があり、このうち当事者が必要な支援を話し合う場があるとしたのは490自治体(56.4%)だった。設置しているのは自治体の他、本人や家族の自助グループ、介護事業所、医療機関など。
センターはこのほか全国10カ所で実施状況を調査。仙台市では認知症の当事者自身が企画、運営を担い、医師や行政担当者らがオブザーバーとして参加し、ニーズに合わせた支援策づくりに生かしている。「親や家族の前では申し訳なくて、悩みを打ち明けられなかった」(静岡県富士宮市)との声も聞かれた。
調査に関わった認知症介護研究・研修東京センターの永田久美子研究部長は「本人が意見表明できる場を設けるだけでなく、政策決定プロセスに参加できるような仕組みが必要だ」と話している。〔共同〕
日経Web版 2017年2月17日 原文のまま

★診断を受けた後の素晴らしい人生:引退したCBCのジャーナリストがアルツハイマー病の生活を語る(1月8日/カナダ)
ダース・ファーディDarce Fardyさんと妻のドロシアDorotheaさん(写真)は、アルツハイマー病の人を支える物語を共有しています。
長くCBCのジャーナリストだったダースさん(84才)は、おおよそ5年前ニューファンドランドのセントジョンスSt. John's空港に居ました。その時、ある男性が彼の隣にどんと座り込み話し始めました。
彼の話が終わると、ダースさんは妻の方を向いて「この人だれ?」と尋ねました。それはカナダの「ホッケイの夜Hockey Night」(訳注:カナダ放送協会の番組)の司会者のボブ・コールBob Coleさんで、ダースさんは「CBCセントオジョンズCBC St. John's」で一緒に働いて知った男性でした。
ダースさんは「彼をよく知っていましたが、顔を思い出すかどうかわからない」と話しました。
この奇妙な経験についてダースさんは妻と家庭医を受診し事実「アルツハイマー病です」を知ったのです。
さらにダースさんは「その日は絶望したわけではない」と話しています。
その代わりノバスコティアなどの4州での語り部として過ごして人間のためのふさわしい行動を取りました。
また彼は「これはすばらしい物語です。そのことを書いてもいいか」と家族に話したことを思い出します。
とても多くの人たちが困惑
ダースさんは、「クロニクルヘラルドChronicle Herald」(訳注:ノバスコティアの新聞社)と接触し新聞に自分の認知症について二十数回のコラムを書きました。目下「アルツハイマー病啓発月間Alzheimer Awareness Month」で、彼は妻と再び自分たちの物語を共有しています。ノバスコチィア州でおおよそ1万7000の家族がアルツハイマー病などの認知症に直面しても、孤立した怖い生活になるわけではないことを学べるのです。
さらにダースさんは次のように話しています。
「とても多くの人たちが困惑しています。残念なことです。診断を受けた後にすばらしい生活があります。私は定期的にジムに通い、多くの社会的活動をしています。この地に26人が関わり、別の日にさらに26人が関わり、さらにクリスマスパーティには多くの人が来ます。私のパティーに来るのです。しかし、誰もが認知症だからと反応することもなく過剰に反応することもありません」
ダースさんは、認知症と闘う人の既成概念には合わさないのです。彼はこの病気と闘うために、いろいろな薬の飲み、定期的に運動し、本などを読みます。彼の豊富な語彙を使っています。彼の記憶は「ラジオカナダRadio-Canada」との20分のインタビューの間は良好に見えました。とはいえ診断後、かなり悪くなっていると彼は話しています。
別の争い
またダースさんは「受診した日から車の運転はしていません。近所を歩く楽しみも残念ながら止め」と話しています。
もはや飲酒はしないとことにしていましたが、休暇中に娘さんが二杯渡しました。そして狂気の夢を観ます。2度転倒しましたが、身体的疾患より認知症を責めるという問題があるのです。
彼女は思想的な人間
ダースさんは、妻が17才の時、初めて会いました。彼女とほかの人たちからの支援に感謝して、肩をすくめて自分が回復するのか疑問に思うと答えるのです。
彼は次のように話しています。
「妻は理想的な人間です。ことの対応ができ、『オー、哀れな人』などと言って私を見つめることはないのです。彼女はやるべきことをやっているのです」
妻のドロシアさんは次のように話しています。
「本当に最初の時、夫に『関節炎だからと恥ずかしいことはない』と言いました。なぜアルツハイマー病が恥ずかしいのでしょう。本当のことなのです。他人が病気にどのように反応するかを知るまでは夫は診断を公表しませんでした。そのことで疲れ果てました」
さらにドロシアさんは次のように話しています。
「公表すると、堤防から指を抜いたように、人々は通りで夫に近寄って、叔母が同じ病気でした。叔父がそうでした。姉がそうですと話すでしょう。突然に自分たちの家族についてのあらゆることが明らかになりました。話すことですべての人々が、話すことができるという救いを知るのです。そしては大きな助けだと思います。そのことについて話すことで受け容れることができると思います」
この夫妻は自分たちの生活についてともに笑い、ともに微笑みます。
そしてドロシアさんは次のように話しています。
「私は頑丈です。それが今の私です。変えることができないと本当に多くの選択肢を持っていないことになります。立ち上がり、一歩前に踏み出し、笑われていると思いながら、いずれは戦わなければならないと知るでしょう」
#iNoticedWhen
リンダ・バードLinda Birdさん(ノバスコシアアルツハイマー病協会Alzheimer Society of Nova Scotiaの制度・サービス部長)は次のように話しています。
「実際のところ多くのアルツハイマー病の人は元気に暮らしています。しかしあまりに度々、病気に伴う偏見によって生活の質が落ち、さらに孤立させられます。同じ病気である他の人と話さない、あるいは将来の計画を立てない、あるいは診断を受けに受診しないかもしれません。このため可能なはずの最善の質の生活を送れないかもしれません」
協会は、認知症が単なる記憶障害以上のもので人格や自発性を変えることを知ってもらうためにネットで#iNoticedWhenのハッシュタグを使っています。
そして彼女は「トラブルを始まると、受診して検査を受け認知症であるかどうかを調べる時です」と話しています。
CBC News  Jan 08, 2017 'A great life after diagnosis': Retired CBC journalist discusses life with Alzheimer's
編者:カナダ政府のよる毎年1月のアルツハイマー病啓発月間に関連したいいニュース記事だ。


2016年


★「認知症支える社会に 京都、支援5団体「介護離職防ぐ環境必要」(9月20日/京都新聞)
今月21日の世界アルツハイマーデーを記念したフォーラムが19日、京都市南区の京都テルサで開かれた。認知症患者や家族の支援団体が集まり、認知症を抱えていても希望を持って生活できる社会の実現に向けて意見を交換した。
来年4月に京都で開かれる国際アルツハイマー病協会国際会議の事前イベントを兼ねて、京都府などが主催。約600人が参加した。
パネル討論では認知症の当事者や家族、支援者らでつくる5団体の代表が活動を報告した。
男性介護者と支援者の全国ネットワーク」の西野玲子監事は、男性介護者が離職に追い込まれる問題を挙げ、「介護をしながらでも働ける雇用環境が必要」と指摘した。
認知症患者でつくる「日本認知症ワーキンググループ」の奥公一さんは「認知症は、だれもがなり得る病気。自分の問題と考えてほしい」と強調した。「認知症の人と家族の会」新潟県支部の金子裕美子代表は「命を支える介護者を、ねぎらいと温かな気持ちで見守ってもらいたい」と訴えた。
5団体の共同アピールも発表され、「認知症になっても暮らしやすい世の中を創るためにはどうしたらよいのか、私たちと一緒に考えてほしい」と呼び掛けた。
写真説明:認知症患者にかかわる5団体が共同アピールを発表したフォーラム(京都市南区・京都テルサ)
京都新聞 2016年09月20日 原文のまま

毎週開催の認知症カフェが認知症の人を支える(7月5日/イギリス)
スコットランドのフォルカークFalkirkに在る日当たりのよい喫茶店で人々がテーブルの周りに座り、話したり笑ったりしています。一人で来る人もあれば、連れ合いと来る人もいます。
この人たちに厳しい運命が待っていますが、昼頃まで各自、状態をちょっとよく重い、より前向きになります。
これは毎週開催の認知症カフェで、全国各地に多くあるものの一つです。参加者から認知症についてあまり多く話を聞けそうにないのです。
病気について不満を語るような場所でうつ状態でいるよりは、集まってくつろぎ人生を肯定的に捉えます。
近くのボニーブリッジBonnybridgeから来たトム・アークハートTom Urquhartさん(写真右上)―3年前の63才の時に血管性認知症と診断―は次のように認めています。
「診断を受けた後、家に座って外出しなくてよいと思っていました。しかし ここのスタッフが私にもっと提供するものがあると教えてくれました。現在、ここに来て違ったグループの人たちと話します。私は「スコットランド認知症ワーキンググループScottish Dementia Working Group」の一員です。このグループは認知症に関してスコットランドアルツハイマー病協会Alzheimer Scotlandへ考えを伝えます。認知症カフェは、スタッフやそのほかの人たちと似たような立場での繋がりをつくることができます。とりわけ新たに診断された人たちとつながります。この人たちをちょっと元気づけます」
ジャスティン・ダヴィドソンJustine Davidsonさんはトムさんが話したスタッフの一人です。認知症アドバイザー(訳注1)で、2014年に認知症カフェを始めました。当初、毎月でしたが、とても人気になってすぐに毎週に集まる場所となりました。
さらに彼女は次のように説明します。
「8週間の『診断後情報コース』を実施しています。コースの終わりまでに、誰もが互いに教え合い、求め続ける法を知りたがっていました。そこで認知症カフェを設立したのです。最初、8人で始めましたが、今は毎週20人以上が参加します。ほとんどの人が認知症の初期ですが、かなり進行した人もいます。毎年、『診断後コース』を3回か4回実施しています。こうしていつも新しい人が認知症カフェに来るのです。これは社会的な活動であり、地域の一員として留まる支援をするだけでなく、互いに助け合って他のグループへ参加する自信をつけます。面白さがあふれ、同情と理解もあります。ここから多を学びます」
キャシー・マックギーチーKathy McGeachieさん(写真左下)もそうした人達の一人です。
彼女は夫のステファンStephenさん(79才)(同写真)と認知症カフェに来ます。夫は2年前、混合型認知症を診断されました。
熱愛する二人―デニーDenny在住―は、今年56回目の結婚記念を祝いました。
妻は次のように話しています。
「最近夫は言葉を見つけるのに苦労していて私たちは不満な思いです。長く一緒に居ても残念なことに夫との会話がもはやできません。でも夫は料理、掃除、アイロンなど家事を助けてくれます。毎朝、夫は起きて私が助けながらクロスワードをします。私たちはとても愛し合っています。ほんのわずかの間でも家から出て、認知症カフェへ行って話をするのはよいことです」
ステンハウスミュアーStenhousemuir在住のイアン・マックアルパインIain McAlpineさん(写真右下)は妻のクリスチンChristineさんと一緒に参加し、次のように話しています。
「認知症カフェに行けないとイライラします。認知症カフェはすばらしい。病気のことを話さないで座って話すだけがよい」
イアンさんはアムステルダムでの「ロッカビー爆撃裁判」(訳注2)の仕事など30年間の公務に従事し3年前に警察官から退職しました。
さらに彼は次のように話しています。
「警察官との仕事はとてもすばらしい仕事でした。多くの楽しみも得ました。裁判に関して3か月間仕事をしました。事件に関係する家族すべてに私たちが行っていることを思いとても謙虚になりました」
イアンさんは、退職生活を楽しんでいましたが、先の5月に診断を受けました。さらに次のように話しています。
「とても大きなショックでした。記憶が失われ始めました。実感していたわけではありません。妻のクリスチンーが何かをさせようとするのですが、5分以内に忘れてしまいます」
イアンさんと異なり、66才のトムさんは、自分の心が以前のようではないと認めて次のように話しています。
「何か起きているのか知っていました。救急医療隊員で緊急対応班を担当して、30年間走り続けました。進んで私のポストを辞し、技術的な役割を担当しました。2度の小さな脳血管障害になってからしばらく後、医師は私の記憶が何かおかしいと指摘しました。人生で1日として病気になったということはありません。実際、退職しないように就労の延長を依願することを検討していました」
ちょうどそのように人生が変わり、妻のディDeeと暮らすことでトムさんが順応しなければなりません。
彼は次のように話しています。
「人は一生、対処するための戦略を改善します。学校でのいじめ、結婚、子供を持つといったことに取り組みました。いつもと変わりません。頭に活気がないので、言葉を考え出すのが一層困難な仕事をしなければなりません。こうした会話はとても多くの知的な集中や拘束が欠かせないので容易に疲れます。15錠の薬をのむ午前中が最善で、紅茶の時間までに衰え、別人になります。午後8時までに床に就きます」
しかしトムさんは自らの病気に冷静でいて、幸運だと感じると主張して以下のとおり話します。
「まったく幸せなことに、認知症になるほどの年まで生きました。救急医療隊員として、多くの人―若い人も―が亡くなるのを観ました。「ダンブレーン事件」(訳注)をも担当しました。二人の兄弟姉妹がいますが、二人ともがんと診断され、幸い、二人は生き永らえています。私はがんではなく血管性認知症になったのです。ものごとを大局的に捉えることが重要です。診断を受けた後も人生があります。認知症になったからといって世界の終わりではありません。最初ははっきりしませんが、辛坊して、あいそうがよく、できそうなことすべてに関心を向けると、ほとんどすべてが可能です」
Sunday Post  05/07/2016  Weekly dementia caf? helps those living with the condition
訳注1:認知症アドバイザーDementia Adviserはアルツハイマー病協会が行うサービスで認知症の人を地元のサービスにつなげる役割を持つ。
訳注2:1988年12月ロッカビーLockerbie上空でパンナム機が破壊された事件の裁判、2000年5月開廷。
訳注3:1996年3月ダンブレーンDunblane小学校で男性が銃を乱射し16人の子供と1人に教師が殺して自殺。この事件が契機となりイギリスでの銃規制が強くなる。
編者:スコットランドの地方都市での認知症カフェの取り組み、毎週開催はめずらしいと思われる。

★「<支えられるココロ> 認知症でミス 専務解任(上)新たなわが家に光求め(下)前を向く」姿見せたい」(4月20・21日/東京新聞)
「<支えられるココロ> 認知症でミス 専務解任(上)新たなわが家に光求め」(4月20日/東京新聞)
四月上旬、広島市西区の診療所を改装したシェアハウス。「昔はスーツで格好良く決めたばりばりの会社役員だったのに、今となってはねえ」。一階の共有スペースで、シェアハウスを運営するNPO法人理事長の竹中庸子さん(56)が、認知症の竹内裕さん(66)に軽口をたたいた。二人はともにシェアハウスに住む。
「じゃかましいわ。髪の毛だってな、昔はビシッと決めとったんじゃ」と竹内さん。髪を整えてネクタイを締めたかつての写真を自室から引っ張り出してくると、二人で笑い合った。
竹内さんがここで暮らし始めたのは二〇一四年十一月。風呂やトイレ、台所などは二十〜八十代の住人六人の共用で、掃除は一週間交代で担当する。
もの忘れすることはあるが、自分で買い物をして料理を作り、趣味のゴルフや水泳を気ままに楽しむ。住民で食事を持ち寄り、酒を酌み交わすことも。「病気で生活は一変した。でも、自分らしく生きられている」とはにかんだ。
認知症は、「仕事一筋の人生」だった竹内さんに忍び寄った。
プラスチック製の包装資材を扱う商社で専務を務めていたが、会議中に議事録を書こうしても、文字が思い浮かばない。「接待で二日続けて午前二時まで飲んだから、疲れているんだ」。そう言い聞かせ、「代わりに書け」と部下に命じた。商談をすっぽかすこともあった。
社長から体調を心配され、受診を勧められたが、心療内科の診断はうつ病。処方された睡眠薬では改善せず、別の病院で検査を受けると、認知機能に低下があったが、認知症とまでは認められなかった。
会社人生から脱落の烙印(らくいん)を押されたのは七年前の冬だった。
「おい竹内、ちょっと」。社長に呼び出され、示された書類に言葉を失った。
かにかまぼこの容器の材料変更に伴って、表示を変えるよう得意先の食品会社に求められていたのを忘れ、以前のまま印刷を発注していた。損害は約一千万円。「こんなミスをするはずがない」「いや、これほど大きな取引を誰かのチェックなしで通せるのは立場上、俺ぐらいしかいない」。混乱していると、その場で告げられた。「専務解任、自宅待機を命じる」
後日、別の病院で検査し直すと認知症と診断された。
仕事を失って無気力になり、自宅に引きこもった。取引先との話題づくりのためくまなく目を通していた新聞を手にしても、「もう読む意味がないな」とむなしくなった。記事の代わりに目につくのは、認知症の効果をうたう漢方薬の広告。心配してかけてくる知人からの電話も「誰とも話したくない」と拒否した。
無気力に引きこもる自分に、妻と三人の息子が戸惑っているのを感じた。一方、「好きで病気になったわけじゃない。理解してほしい」とも思った。
転機は診断から半年後、還暦のお祝いを兼ねて中高一貫校の三百人ほどが一堂に会した同窓会だった。嫌がるのを旧友に無理やり連れて行かれ、宴会場の隅でちびちびとビールを飲んでいると、久しぶりのアルコールに酔っぱらった。
「もともと明るい性格で、人と話すのが大好きな営業マンだったじゃないか。どうしてこんな暗い生活をしているんだ」と思った。
そんな時に、認知症のシンポジウムで出会ったのが竹中さん。近くオープンするシェアハウスを紹介され、「新たな一歩を」と入居を決めた。 (諏訪慧)
写真説明:シェアハウスで竹中庸子さん(左)と冗談を言い合う竹内裕さん=広島市西区で
Tokyo Web  2016年4月20日 原文のまま
「<支えられるココロ>認知症でミス専務解任(下)「前を向く」姿見せたい」(4月21日/東京新聞)
花柄のハットに淡いピンク色のジャンパー、緑色の手提げかばん。派手にきめた竹内裕さん(66)=広島市西区=が四月上旬、平和記念公園に近い県立総合体育館のプールに向かって歩いていた。ピンク色のリュックサックから取り出した携帯電話も、同じピンク色だ。
「こんなに目立つおっさん、他におらんじゃろ」。カラカラ笑う。この日は、日本泳法「神伝流遊泳術」の練習日。中学から続け、五段の腕前を誇る竹内さんは愛好家を指導している。認知症になってからも一人で出歩き、趣味を楽しむのは変わらない。
派手な格好は、「もの忘れ」が避けられないため。認知症になった当初、電車や喫茶店に、財布や携帯電話、サングラスなどを何度も置き忘れた。そのたびに落ち込んだが、発想を変えて他人の厚意に頼ることに。目に留まりやすい身なりにすると、見ず知らずの人でも「おじさん、忘れてるよ」と気づいてもらえるようになった。
プールまでは、体育館に通じる百貨店の地下通路がある。「近道になるはず」と入ったものの、迷ってしまった。「病気になる前だったら、簡単に行けたんだろうけど」。困惑気味にエスカレーターで地上に戻ってから再び歩き、ようやく到着した。
そんな竹内さんを見かけた女性から「先週、練習が中止になったのを忘れて来ちゃったわ。私も認知症かしら」と笑いかけられると、「こっちの世界にも楽しみはたくさんあるぜ。待ってるよ」と手招きしながらおどけた。
指導は一時間あまり。帰る際に原爆ドームに立ち寄ると、観光中の若いスペイン人女性に「写真を撮って」と求められ、渡されたカメラのシャッターを切る。「宮島に行きたい」という女性に英語と身ぶり手ぶりで行き方を伝え、「ハブ・ア・ナイス・トリップ(良い旅を)」。そう告げて別れ、「迷わずたどり着けるといいんだけど」と優しげな目で見送った。
五十九歳で認知症と告げられた時、医師を前に頭が真っ白になった。「認知症と診断された人は、残りの人生をどう生きたらいいんだよ」。無気力になって自宅に引きこもった。
それまで仕事一筋に生き、家庭をあまり顧みなかったことが影響したのか、認知症をきっかけに妻と溝が深まり、結局離婚した。
「いずれ息子や孫の顔も分からなくなるのではないか」と、症状が進行することへの不安も消えない。花壇の手入れなどのボランティアをしている地元のグループホームで、少しずつ体が弱って最後は寝たきりになったお年寄りを目の当たりにし、「自分の行く末を見ているようじゃ」と恐怖することもある。
でもそんなときは必ず、「認知症になっても、自分の言葉で思いを伝えられるのは幸せ」と前を向く。
趣味を楽しむだけでなく、全国各地で講演し、認知症の当事者の暮らしぶりや思いを伝える。「言葉を奪われずにいるのは『人のためにいいことせえよ』ってことだと思う。認知症でふさぎ込んでいる人が、自分の姿を見て元気になってくれたらうれしい」 (諏訪慧)
写真説明:水泳指導のためプールに向かう竹内裕さん。いつも派手な格好で出かける=広島市中区で
Tokyo Web  2016年4月21日 原文のまま

★「宇治の街ぐるみ認知症支援 広がれ、本人意思の尊重」(3月16日/京都新聞)
昨年、国内の自治体で初めて「認知症の人にやさしいまち・うじ」を宣言した宇治市で、街ぐるみで認知症の人を支えるネットワークが全国に先駆けて動きだす。「宇治市認知症アクションアライアンス(通称・れもねいど)」。英国の取り組みをモデルに、医療や福祉、介護関係者だけでなく金融機関や交通機関、商店なども参加する。認知症の人を「支援される側」と固定せず、ともに社会を築く仲間と捉え、本人と家族がワーキングチームの一員として施策の立案から評価まで関わるのが大きな特徴だ。今後の展開が注目される。
「認知症は一部の機能低下が起こるだけ。人間が持つ力が全部崩れるわけではない」。種智院大(京都市伏見区)事務長だった2014年にアルツハイマー型認知症と診断された杉野文篤さん(62)=伏見区=は強調する。
杉野さんは昨年、認知症であることを公表した。「認知症初期に能力が継続できれば、自分らしく生きていける」。各地で講演し、近所の高齢者サロンに卓球をすることを提案したり、大学教授に若年性認知症患者の居場所づくりについて相談したりする。
ワーキングチームに加わり、左京区で来春開かれる国際アルツハイマー病協会の国際会議を運営する委員も務める。「絶望からはい上がろうとしている人に、私のような人間がいると知ってもらいたい」。病気に向き合い活動的な姿は、多くの人に勇気を与えている。
しかし杉野さんは認知症と診断された当時、本人を見ずに家族にばかり話をする医療関係者の態度にショックを受けた。腹が立ち、病院に行きたくないと駅の改札から動かず、妻の由美子さん(60)を困らせた。仕事や生活について相談できる場がなかった。引きこもっていた時期もある。認知症への偏見や思い込みが苦しめたのだ。
「認知症の人たちの『私たち抜きで私たちのことを決めないで』という当たり前の思いを大切にしなければ」。中心メンバーで府立洛南病院(宇治市)の森俊夫医師は指摘する。95歳まで生きたとすると、92%が認知症や軽度認知障害になるという。超高齢社会の中、いずれ自分もかかる病気だ。ネットワークの始動で本人の意思を尊重する動きが広がるよう願う。
またチームは、認知症を生きる過程は3段階があるとして各段階の本人や家族の思いを書いた冊子「旅のしおり」を作成している。森医師は「内側から眺めて初めて社会の不備が捉えられ、どんなサポートが必要なのかが分かる。認知症の人に必要なサービスを開発する企業も出てくるかもしれない」と期待する。
しおりは21日、ネットワーク始動を宣言する認知症フォーラムin宇治で配布される。私たちの人生を照らす光になるはずだ。
[取材ノートから]南部支社今口規子
写真説明:認知症フォーラムin宇治の内容について話し合う認知症の人や家族(宇治市五ケ庄・府立洛南病院)
京都新聞 2016年3月16日 原文のまま


2015年


★「<支えられるココロ> 「認知症」からの“復活”(上)」(12月23日/中日新聞)
「ニンチショウ」−。何て絶望的な言葉なのか。毎日、脳細胞が死んでゆき、回復はない。人格は崩壊しやがては衰弱して…。「本当にひどい。その恐怖といったら、発狂しそうになるくらい。必死にそこからはい上がった今、『認知症』は深く誤解された言葉だと、私は訴えたい」
二〇一三年六月、「レビー小体型認知症」と診断された千葉県在住の主婦樋口直美さん(53)(写真)。この七月、「私の脳で起こったこと」(ブックマン社、日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)を出版し、病からの“復活”の軌跡を公表した。体調の許す範囲で講演やテレビ出演もこなし、病気の真実を伝えている。
しかし、絶望のふちから「はい上がる」までには十年以上を要した。
三十代後半。自宅マンションの駐車場に車を止め、ふと隣の車を見ると、助手席に見知らぬ中年女性が無表情で座っていた。「わっ」とびっくりして見直すとスッと消える。別の日も、同じ車に同じ女性が見えては消えた。夜中に殺される悪夢を見て叫んで跳び起きることも。四十一歳のとき急に不眠に陥り、激しい頭痛、倦怠(けんたい)感にも襲われるようになった。
翌年の〇四年六月、病院で受診すると「なぜか」うつ病と診断された。ここから最悪の日々が始まる。
医師から「よく効く薬だから、少し気分が悪くなっても必ず飲んでください」と処方された抗うつ剤。飲み始めた途端、血圧が降下し失神。手の震え、発作のような不安・焦燥感に襲われた。銀行に行って現金自動預払機(ATM)にカードを置き忘れるなど物忘れ症状も表れた。「心が死んで別人になった」感覚。薬に過敏になる「レビー」の症状だった。
毎年変わる病院の主治医に「服薬をやめたい」と訴えたが、これらの症状は「薬が足りないからだ」とかえって増量され、ようやく聞き入れてくれる医師が現れるまで六年近くが過ぎた。薬を中止したら「ひゅーっと霧が晴れるように」苦しみは消え、頭の回転も元に戻った。
ただ、一匹の「虫」が、再び自己の存在を揺るがす。一二年九月、床をはう黒い甲虫を見た。おかしいと思って見直すと、一塊のちりと分かる。が、「悪夢が現実になった」と直感した。前年にも虫などの幻視があり、自身で調べてレビーの特徴と知った。けれど一時的だったので錯覚と思い込もうとしていた。このときの虫は、錯覚にしてはリアル過ぎた。「進行が早く、短命」。レビーの悲愴(ひそう)な情報が頭にこびりつく。
翌月、脳や交感神経の状態を調べる検査を受けたが、レビー特有の異常は出ず。自身も医師もレビーを強く疑ったものの、医師は診断も治療もできないと言った。「進行を遅らせるため私にできることは」と尋ねると「ないんですよ。今まで通りの生活を続けるように」。
死に神が後ろから鎌を振り下ろそうとしているのに「切られるまでほっておけ」と言っているよう。「目の前で命綱が切られた」と感じた。だが、思い直した。うつ病と診断された八年前にレビーを発症していたとすると、進行は極めて遅い。「これからも、自分で進行を止めてやる!」。怒りは闘志に変わった。(白鳥龍也)
ChunichiWeb 2015年12月23日 原文のまま
「<支えられるココロ>「認知症」からの“復活”(下) 最高の薬は周りの理解」(12月24日/東京新聞)
私の人生は、薄い氷の上か…。明日にでもパリンと音を立てて(氷が割れ)、私は、溺れるのか…。
二〇一二年秋、一匹の虫を幻視したのをきっかけにレビー小体型認知症を疑った千葉県の樋口直美さん(53)。治療について医師から突き放され「自分で進行を止める」と誓ったが、当時の日記には、薄氷を踏むがごとくの不安と恐怖をつづっていた。意識障害、疲労感、物忘れなど多種多様な症状も治まらない。
「このままどこかに消えてしまいたい、車にはねられて死ねたらどんなに楽だろう」「崩れていく。滅んでいく。朽ちていく…」
「これから少しずつ記憶力や判断力を失ったとしても、私は私であり続けると思える」「過去はどうでもよく、今を大事にするしかないし、それでOK。今を生きればいいんだ」
つかの間、希望を抱いたり、絶望のふちに沈んだり。心と体の旋律は、日々乱高下。仕事のミスが続きパートの職も失った。
「一番怖いのは、脳を乗っ取られ、魔物と化して家族を苦しめること。考えると耐えられない」。夫と二人の子にも病気のことは話せなかった。言えないことで孤独感に苦しめられた。
一三年六月、体調悪化に耐えかね病院を再受診。症状からついに「レビー」と診断され、初めて抗認知症薬が処方された。胸中は、やっと治療を受けられるという安堵(あんど)と、認知症の烙印(らくいん)を押されたことへの衝撃がないまぜになって複雑だった。しかし、薬の効果は表れ始めた。認知症用の貼り薬に加えて脳血流改善薬、何種類もの漢方薬を慎重に試していった。注意力の低下や自律神経障害は一進一退を繰り返しながらも、幻視などは改善していった。
そして、一気に症状を変えたのは、周囲に病名を告白したこと。「名すら知られていない病気に関心を持ち、理解してほしい」との願いだった。友人はそのままに受け入れてくれた。子には励まされた。「私は一人じゃない。支えてくれる人は最初からいっぱいいた」との安心感が自信を取り戻させた。笑いが薬以上に症状改善に効くと分かり、夫はよく笑わせてくれるようになった。何より「人間として見られなくなるのではないか」と病気を隠すストレスが、病状を悪化させていたのだと悟った。
一時は「百引く七」の計算ができなかったが、現在認知機能テストは満点。抗認知症薬を継続し、日によって体調の波はあるものの、普通の暮らしを送る。
心を重くさせるのは、初対面の相手から「認知症に見えない」と言われること。「認知症の人って何なのか。どんな外見を期待しているのか」と。認知症は本来、状態を示す言葉で病名ではない。信頼する医師からも「樋口さんは意識障害による認知症の状態から回復し、現在の診断は『びまん性レビー小体病』が正しい」と指摘されている。
体験を通し、認知症をめぐる多くの問題は、社会の誤解と偏見、不適切な医療に起因する「人災」と考えるようになった。講演では、認知症があっても普通の人間であり、適切なケアと医療、安心できる人間関係が生む笑いや自信により症状は改善すると訴える。
「そのことを通して人の役に立つのなら、今、私はこの病気になって良かったと思う」。病気を恥じず、堂々と生きる決意が言葉ににじんだ。(白鳥龍也)
写真説明:講演する樋口直美さん。その都度、新しい情報や考えを盛り込み、認知症への誤解や偏見を解くよう努めている=東京都港区で
TokyoiWeb  2015年12月24日 原文のまま

★「医療・介護 大転換【第38回】普通のサラリーマンでも認知症になる。そのときどうする? 映画で学ぶ「認知症ケア」の今」(9月2日/ダイヤモンド・オンライン)
筆者:浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)](写真)
アカデミー賞の主演女優賞を映画「アリスのままで」のジュリアン・ムーアさんが獲得した。役柄は50歳を迎えたばかりの言語学教授。若年性アルツハイマー症が進んでいく姿を演じ、その迫真の演技が評価された。
認知症の人が急増していくのは日本だけに限らない。多くの先進諸国で共通する社会的な課題である。普通の家庭を突然襲う「悲劇」と捉えて、映画のテーマにされてきた。
まず、作家の描く文芸作品から始まり、次いで妻や夫の介護体験記をベースにして製作されてきた。そして、社会保障施策として介護が表舞台に登場するとともに、認知症ケアの実態をストレートに描く記録映画が出現し始めた。それぞれ第1類型から第3類型へと位置づけられ、認知症ケアが向上して行く歩みと符合する。
夫婦愛や家族愛のラブストーリーから、ケアのあり方を問う極めて実践的で研修教材と言えるような作品まで相当に幅広い。きれいごとの物語では済まされない厳しい現実を前に、その実情をありのままに突きつけ、その対応法を学び取ろうという方向に向かっているようだ。
認知症を軸に介護を主題とした内外の映画作品を振り返ってみる。
認知症本人の目線で語られる
「アリスのままで」
「アリスのままで」は、アカデミー賞のほかゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞の各主演女優賞や多くの映画賞も得て、昨年の映画界の話題をさらった。これまでの「介護作品」と違うのは、家族や周辺からの目線でなく、認知症本人の目線で作られていることだろう。主役の大学教授が、日々の講義や暮らしの中で突然記憶が抜け落ちてしまう。その驚愕と不安な気持ちが正面から描かれている。
学生を前にした講義中に専門用語が出て来なくなって周章狼狽する。ジョギング中に自宅の方向が分らなくなってしまう。挨拶したばかりなのに初対面の言葉をかけてしまう。
認知症の初期に見られる記憶の抜け落ちである。それを自身で自覚し、「自分が壊れていく」と理解できる。記憶喪失がこの先どんどん広がっていく。その未来像におののく。深刻な事態を予測し、次第に本人の面立ちも変わっていく。その過程が実にリアルだ。
この数年、日本の認知症ケアで強く指摘されているのが「本人本位」。認知症本人の立場に立って接していかねば、という大きな流れの中で作られた作品である。
認知症の本人が自分の気持ちを表現した代表例は、オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんだろう。1995年、政府高官だったクリスティーンさんは46歳でアルツハイマー症と診断される。日本にもやってきてたびたび講演した。
認知症になるとどのようなことで困難な思いをしているか、どのようなケアをしてほしいかなど当事者ならではの発言をし、本も執筆している。
映画の中で主人公は認知症の症状を冷静に分析しスピーチする。
「わたしたちを役立たずだと思わないでください。わたしたちの目を見て、直接話しかけてください。わたしたちが間違ったことをしてもパニックにならないでください。わざとしていると受けとらないでください。なぜならわたしたちは間違いを犯してしまうからです。わたしたちは同じことを何度も言い、おかしなところにものを置き、迷子になるでしょう。でも必死になってその償いをし、認知の喪失を乗り越えようとするでしょう」
この言葉は、ブライアンさんが繰り返し語っていることと重なる。
2004年には京都市で開かれた「国際アルツハイマー病協会第20回国際会議・京都」で福岡市在住の認知症の男性が、日本人として初めて登壇し、日々の生活を語った。その後、各地で主に若年性認知症の人たちが介護関係のセミナーに出席して、自身の体験を披露するようになる。
2002年には、認知症ケアに早くから取り組んできた英国・スコットランドで認知症当事者のグループが世界で初めて登場し、政府や自治体の審議会に参加し政策に関与している。日本でも昨年10月に当事者組織の日本認知症ワーキンググループが発足した。
若年性認知症特有の苦労を描いた
「明日の記憶」
映画「アリスのままで」の原作は、認知症やうつ病の研究者が書いたベストセラー「静かなアリス」(Still Alice)。その後、邦訳名が「アリスのままで」となった。
日本でも、若年認知症になっていく主人公の小説が映画化され大ヒットしたことがある。2006年の「明日の記憶」だ。同じ49歳、広告代理店のやり手営業マンを渡辺謙さんが好演。渡辺謙さんは、この6月にブロードウェイのミュージカル「王様と私」でトニー賞最優秀主演男優賞にノミネートされ、「日本人初」と大きなニュースとなった。
上映時には介護保険制度が始まってグループホームが制度化されるなど、認知症についてかなり知られるようになってはいた。だが、65歳未満の「若年性」は初耳の観客が多かった。普通のサラリーマンでも認知症になる、という衝撃は大きかった。「若年」という呼称に違和感があるが、高齢者の定義が65歳以上なので、その年齢未満を「若年」と呼ぶことにしたからだ。
若年性認知症の人のケアや生活は、一般の認知症ケアと違い多くの難題がある。記憶障害のため仕事の継続ができなくなったり、転職を迫られて収入源を招く。子どもがまだ学生のため、その教育費や養育費に支障を来きたしかねない。生命保険の疾病内容に認知症が明記されていないため、保険金の受け取りが困難な人もいる。
介護保険のサービスは利用できるが、認知症の通所介護(デイサービス)に行っても周囲は親の年齢に近い利用者で、居心地が良くない。若年性認知症で初期のころは、仕事や日常生活で「できること」がまだ多い。中重度者と一緒のレクリエーションは馴染まない。
「カルチャーセンター的な作業がふさわしい」との指摘も多く、写真撮影や大工作業など得意技を披露できる環境作りが必要と言われる。実際に、若年性認知症を支援するNPO法人がこうした活動に乗り出している。だが、極めてまれで、どこでもとは言えない。
ただ映画では、夫婦愛に力点を置きすぎたようで、かなりきれいごいとに近くなってしまった。
様々な人たちが集まる理想の姿を描いた
「ホーム・スイートホーム」
認知症をテーマにした小説の映画化ということで最も大きな影響を与えたのは有吉佐和子さん原作の「恍惚の人」だろう。森繁久弥さんが認知症高齢者を演じ、1973年に上映された。40年以上も前のことだ。歴史的限界もあり認知症への誤った判断を生みかねず、その「否定」になったのが後の映画や小説の歴史である。原作の問題点については前回の第37回で論じたので参照されたい。
その約10年後の1985年には「花いちもんめ」が制作された。千秋実さんがアルツハイマー病になった元教授を、その息子の妻で介護者となるのは十朱幸代さん。
2000年の介護保険スタート時には松山善三さんが原作の「ホーム・スイートホーム」が上映される。松山さんが一風変わった制作会社、シネマエンジェルと出会って公開に結びつけた。シネマエンジェルは、経営者団体の東京中小企業家同友会(加盟約2200社)が会員有志で立ち上げた。配給会社を通さずに、40万円で一日興行主を募る上映法だ。
同社の三宅一男社長が「高齢者をテーマにした映画を作ろう」と強い思い入れがあった。認知症の父親に3年付き添った三宅さんは「同じように苦労している経営者は多い。我々は小さな会社だからすぐに事業に響く」と原作に共鳴したと言う。
元オペラ歌手が認知症になり、周囲を右往左往させて、最後に認知症のグループホームに落ち着くという内容だ。ただ、制度上のグループホームは全員が認知症者だが、ここは4人の健常の女性たちと一緒に過ごす特異な形態。
加えて、素人が簡単にグループホームを運営できると誤解されかねない場面もあり、グループホームの全国団体、全国痴呆性高齢者グループホーム連絡協議会(現・日本認知症グループホーム協会)が製作会社の後援依頼を断る「事件」が起きた。
認知症高齢者の暮らしを考えると、松山さんの想定した「グループホーム」を制度外として簡単に切り捨てられない。というのも、私たちのあるべき理想の社会としてよく言われる「共生型」「共生社会」「ノーマライゼーション」というのは様々な人たちの集まりのことである。
「障害者と健常者の共生」という考え方は知られている。障害者を施設に閉じ込めないで、一般の地域社会の中で共に暮らそう、とする考えだ。認知症高齢者は、介護保険法によると自立者でなく要介護者。健常者ではなく、障害者の範疇に入る。
デンマークで1982年に提唱された高齢者3原則のひとつに「従来の生活の継続性」がある。障害を持ったり、そのため要支援者となるのは普通の人間に起こることで、生活の中ではよくあること。従って、障害者や要支援者だけの生活はありえない。健常者だけの生活もあり得ないだろう。
健常者に障害者、要介護者が混ざっているのが人間らしい普通の生活といえる。映画の中で集団生活を送る場所は、題名通り「スイートホーム」なのだろう。
介護家族の体験記の増加
高齢化率の高まりとともに、介護を体験した家族が増え、その体験記や話が映画の原作となりつつある。介護映画の第2類型だ。中でも、普通の市民の体験がベースになり、さらに周囲の知人、住民が映画作りに積極的に関わる「出色」の作品も現れた。
「認知症への正しい理解が広まってほしい」という関係者の熱い思いが込められている。その背景には、「恍惚の人」以来の、認知症になると「意思の通じない怖い人」に変わってしまうという間違ったイメージが未だに根強いからだ。
2001年に上映された「折り梅」は、主婦の介護体験記「忘れても、幸せ」(日本評論社)が原作である。原田美恵子さんとその義母役に吉行和子さんが出演。
原作者の住む愛知県豊明市で多くの場面が撮影された。というのも、原作者の知人たちが中心になった「映画化を支援する豊明市民の会」(会員310人)が署名やカンパを集めて、豊明市から制作助成金を引き出した。
撮影中も、エキストラだけでなく「煮物や漬物意を届けたり、うどんの炊き出しなど町を挙げて手伝った」。こうしたボランティアたちの活動が、映画にリアリティを与えている。
「ホーム・スイートホーム」の第二弾、「ホーム・スイートホーム2?日傘の来た道」も、愛媛県在住の建築家の体験から2003年に制作された。その建築家が所属する地元のボランティア団体「NALC今治」が、今治市での撮影の手助けや全国での上映会の支援に乗り出した。
親の介護のため、エリート社員の息子が東京から帰郷し、地域の仲間も支援に加わるという内容だ。「女性だけが介護の担い手とする考え方を変えたい」と、前作に続いてメガホンを取った栗山富夫監督は強調していた。
英国映画で2002年に日本で公開された「アイリス」も体験記に基づく。著名な作家、アイリス・マードックが認知症になっていく様子を文芸評論家の夫が綴った。在宅介護に追われる夫の細やかな気遣いに心打たれるラブストーリーである。その巧みな演技で夫役のジム・ブロードベントがアカデミー賞助演男優賞を得ている。
胸に迫る
介護記録映画
介護映画の第3類型となるのが記録映画である。作り事ではない生の実態が浮き彫りになる。
「毎日がアルツハイマー」とその続編「毎日がアルツハイマー2」が傑出している。認知症を抱えながら家の中で暮らす母親。カメラを手にした同居する娘が、その日常生活をどこまでも執拗に追いかける。
その娘、関口裕加さんは監督も兼ねる。手作りそのものの相当な異色作だ。母親が認知症になったため、長年の豪州滞在を打ち切って急きょ帰国、カメラを手にして監督になってしまった。
散らかった家の中が丸見えである。当たり前の日々の生活をこれでもかと映し出す。母親が「うるさい」とカメラに向かってどなる。息子や姪も自然に画面に登場する。
大変な家庭生活なのに、絶えず笑いが起きる。普通の人間が普通の口調で話し、生活を送る。画面が正直にその動きを掬い上げる。認知症をありのままに皆で受け入れている様子が実によく分かる。
「笑いで母を包んであげようとした」と関口さん。
2年半もカメラを回し続け記録したのが「毎日がアルツハイマー」。YouTubeに載せて話題になり、2012年から劇場公開を始めた。
関口さんは、認知症について調べ出し、専門家に会いに行き話を聞いて回った。専門医から「お母さんは認知症になって苦しんでいる。認知症だから閉じ籠っているのでなく、自分で選んで閉じ籠っているのです」と説明されて、母親の目線で見るようになった。
パーソン・センタード・ケア(本人を尊重するケア)という欧州で浸透しているケア手法を知ると、すぐに英国に出かける。英国で研修を受ける姿をそのままカメラにおさめたのが続編の「毎日がアルツハイマー2」である。2014年に公開された。
家族ができることを存分に発揮している。それも実写だから場面の一つ一つが胸に迫ってくる。家族介護に追われる人たちには必見の画像である。これまでの「介護映画」の俳優たちの演技が空々しく思えてしまうほどの面白さがあり、誰しもが我がことのように考えさせられる。
最後に昨年公開されたばかりのちょっと毛色の違う映画にも触れておかねばならない。米国映画「パーソナル・ソング」である。
思い入れのある曲を聴くことで、認知症の人がその音楽に親しんでいた当時の生活の記憶を蘇らせるというドキュメント作品である。
施設に入居している94歳の黒人男性にゴスペルの名曲「ゴーイン・アップ・ヨンダー」を聴かせた途端、若い頃を思い出し自転車好きだったことなどを話し出す。そうした効果が次々実証される。
音楽が脳の広い部分を刺激し、眠っていた心を呼び戻すと言う。ボディタッチが良いと言われるが、脳の奥には手でなく音楽で触れる。医学的にきちんと立証されてはいないが、なんとなく理解できる。実践してみたい気になるのは確かだ。
ダイヤモンド・オンライン 2015年9月2日 原文のまま
編者:浅川氏のよくまとまった寄稿だ。文中のクリスティーンさんがアルツハイマー症と診断されたのは事実だが、その後診断名は変わっている。最終的な病名は何故か聞かない。

★「認知症でも働ける! 「若年性アルツハイマー」を発症したトップセールスマンの戦い」(7月17日/ガジェット通信)
65歳未満の人が発症する「若年性認知症」が増加傾向にあるという。家庭を背負った働き盛りの年齢で発症すれば、仕事を続けられなくなる恐れがあり、大きな問題だ。
7月14日放送の「ガイアの夜明け」(テレビ東京)は、39歳という若さで若年性認知症と診断されながら、仕事を続けている男性の姿を紹介した。ネッツトヨタ仙台で働く丹野智文さん(41)(写真)が最初に異変を感じたのは、6年前のことだった。
「人生終わった」と思ったが「体は動くんだろう」と社長
当時、丹野さんは仙台市青葉区のフォルクスワーゲン定禅寺店のトップセールスマン。しかしお客さんを訪問するときに、車内で部屋番号を確認するが玄関まで来ると忘れてしまい、何往復もするようになった。そのうち新しいお客さんの顔や名前も覚えられなくなってしまった。
2年前、初めて東北大学病院を受診し、1カ月かけて様々な検査を行った結果、「若年性アルツハイマー認知症」と診断された。丹野さんは当時を思い出しながらこう語った。
「アルツハイマー、イコール終わり。人生は終わったと感じた」
丹野さんにはまだ10代の娘2人と妻がおり、一番の気がかりは仕事が続けられるかどうかだった。妻と2人で社長に報告をしに行くと、「体は動くんだろう?」と言われた。クビにはならなかったのだ。
「そんなにないのに、いかにも(できる仕事が)あるという風に気を遣って言ってくれた。本当にうれしくて」
と、丹野さんは涙を抑えきれない様子で話した。
ハンデを補うために2冊のノート。同僚も参考にする
ネッツトヨタ仙台の野萱和夫社長は、社員が安心して働ける環境づくりを考えていた。仕事を続けてもらう理由を「『自分がもしもの時も、ここで働ける』と思えることは、社員にとっては安心できる」と説明した。
現在丹野さんは、自分のハンデを補うために様々な工夫をしながら、総務人事のチームリーダーを務めている。基本業務は20項目。社員の年金管理や退職金の計算など色々あり、すべての仕事を2冊のノートで管理している。
1冊は、「やるべき仕事」と「手順」をマニュアル化したもの。手書きで整然とまとめられており、丁寧で几帳面な仕事ぶりが垣間見える。もう1冊は「やり終えた仕事」を記入するもの。やったかどうか忘れてしまうので、1か月の業務表にチェックを入れていくのだ。
この仕事のやり方は、同僚たちも参考にしている。上司の評価は「特に問題はない」。オープンにしているので、同僚も何かあれば率直に指摘しやすい。
丹野さんは、記憶障害はあっても思考力や判断力は十分にある。新人の営業マンへの指導など、野萱社長は丹野さんが戦力として活躍できる場をどんどん作っていた。
偏見で仕事を追われることがないように
丹野さんは休日に日本各地に出かけ、講演活動をしている。いま若年性認知症の患者は約4万人。発症しても働き続けられる社会になって欲しいと、丹野さんは訴えている。
「若い人でも、認知症になる可能性があることを知って欲しいと思います。認知症は決して恥ずかしい病気ではありません。誰でもなりえる、ただの病気です」
認知症を発症してから違う部署で新しい仕事を覚えたのだから、その努力は相当なものだっただろう。最初は「常に涙。不安と恐怖しかなかった」と言うが、同じ病の患者やその家族が集う「翼の会」に参加し、痛みと楽しみを分かち合いながら前向きに生活している様子だった。
企業側の理解が前提となることは言うまでもないが、「忘れる」を自覚して徹底的に対策を打ち、周囲もそれを理解していれば仕事を続けることは可能だと、丹野さんは自ら証明してみせてくれた。
病人と分かった途端に、実態を踏まえず「ムリだ」「迷惑だから辞めて」などという人もいそうだが、認知症に対する理解が深まり、偏見だけで仕事を追われることがない世の中になって欲しいと思う。(ライター:okei)
ガジェット通信 2015年7月17日 原文のまま
関連情報:ガィアの夜明け2015年07月14日放送 第673回「それでも働き続けたい... 〜認知症と仕事...両立できる新時代〜」(東京テレビ)

★「認知症患者が認知症患者ケア 相談窓口開設へ」(5月20日/河北新報)
悩みや不安を抱える認知症患者の相談に、認知症患者が答える全国でも先駆的な取り組みが仙台市内で始まる。物忘れ相談窓口「おれんじドア」を5月下旬から月1回のペースで開設。認知症への誤解や偏見に苦しむ人を勇気づける大きな一歩になると専門家は期待している。
相談窓口を開くのは仙台市泉区の会社員丹野智文さん(41)。30代半ばから物覚えの悪さを自覚するようになり、39歳の時に若年性認知症と診断された。患者同士が支え合うことで「不安を一緒に乗り越られたら」と思い立った。
「ネットで『30代』『アルツハイマー』などと調べると、数年後は寝たきりになるとか暗い話ばかり。心配で仕方なかった」。丹野さんは診断直後を振り返る。苦境を救ったのは同じ認知症患者との交流だった。
「不安を乗り越えた方々の元気な姿を見て前向きになれた」。認知症ケアの前線に立ち、生きる希望を取り戻すために役立ちたいと決断した。
医療や介護の専門家らでつくる「宮城の認知症ケアを考える会」が、相談窓口開設に向けた実行委員会に主体的に参加し、後押しする。考える会によると、認知症患者が相談を受けるのは全国的に例がない。
初回は23日午後2〜4時に仙台市青葉区の東北福祉大ステーションキャンパスのカフェで開く。毎月第4土曜日に同じ場所と時間帯で実施する予定。今のところ6月27日と8月22日の開催が決まっている。
丹野さんが体験を語り、患者同士が交流、個別相談にも応じる。家族の相談には考える会の専門家が対応する。個人の特定を懸念する参加者に配慮し、匿名参加も受け付ける。
「認知症という言葉に惑わされずに、悩みを傾聴できるのは当事者本人」。認知症ケアに取り組む清山会医療福祉グループ(仙台市)代表の山崎英樹医師は言う。医師などの専門家でさえ偏見から自由でないこともあるという。
山崎さんは「当事者でないと癒やせない不安はある。ぜひ多くの方に足を運んでほしい」と話している。
連絡先は事務局070(5477)0718=平日午前10時〜午後3時=。
写真説明:おれんじドア開設に向けて開かれた実行委員会
河北新報 2015年5月20日 原文のまま

★認知症と在宅で生きる人たち(4月8日/イギリス)
番組「ビクトリア・ダービーシャーVictoria Derbyshireの時間」(訳注)は、イギリスに52万5000人以上の認知症の人が在宅で暮らしていることを知っています。
アルツハイマー病協会提供のこの推計数は、認知症全体の85万人のなかで明らかに高い割合です。
今回紹介するのは3人の事例です。認知症の最も多いタイプのアルツハイマー病でありながら異なる期間での、彼らの物語は最初の7年間でこの病気がいかに進むかを描いています。
ウエンディの物語:診断1年後
ウェンディ・ミッチェルWendy Mitchell氏(写真左上:娘と)は、事務所の外で、馴染んだ階段に立っていますが、自分がどこにいるかまったくわかっていません。57歳の時、後に若年期認知症と診断されることになる初めてのはっきりした徴候を経験しました。
彼女は話します。
「ドキッとするほど恐ろしくなりました。人がほんのわずかしか居ません。どこに居るか、誰であるかは正確に知っていますが、突然に心が空っぽになるのです」
それから最大の変化が彼女の人生に生じました。
さらに話します。
「仕事を続けたいと望んでいましたが、そんなことは無くなってしまいました。昔できていたことが出来なくなったことを知りました。かって一度に10のことをやりくりしていました。電話に応対し、コンピューターを操作し、人と話しと。しかし何もできなくなったのです」
国民保健サービスNHSの非医療分野での役割を辞め、より多くの時間を家族と過ごすようになり、ブログを書き、アルツハイマー病協会の仕事を援助し、会議に出席し、臨床試験に参加しました。そのような研究の一部であることに私は価値を感じさせます。アルツハイマー病と診断された時には価値あるとの多くの思いを失いました」
しかしミッチェル氏は、将来の準備をしなければなりません。特別な意味のある写真の思い出の部屋を創ることを検討しています。
また彼女は話します。
「いったんすべて写真での人名録を失くし、どこに行ってよいか忘れると、きっとその部屋に立って幸せに感じられことでしょう」
彼女の最大の恐れは二人の娘を認識できなくなることです。
そこで彼女は話します。
「娘らに言いました。何時の日か、あなたがこの部屋に来ることでしょう。私が娘であること、名前もわからなくなるでしょう。しかし、お互いに抱いている愛という心の繋がりをきっと感じます。娘と認識できなくても、娘らはいつも思い出すことでしょう。私がいつも娘を愛することを」
キースの物語:診断4年後
キース氏は言います。
「他人は、『時々、認知症だとはほとんどわかりません』と言います。本当なのです。よい日にはとてもよくこなせます。でも別の日には、よくありません。しかし、そうした日は、引きこもろうとします。それで外から私が見えません」
キース・オリバーKeith Oliver氏(58歳)(写真左中)は、4年前、診断された時、小学校長でした。現在、彼は「以前より霧の日々が多い」と言いす。言葉を覚えるといった当たり前の能力が簡単にはいかなくなったのです。
彼は、抗うつ剤を絶ち、友人、家族、地元の支援グループがとても大切なのです。
彼はさらに言います。
「それらが私を霧から救い出してくれます。私の話を聴いてくれていると思うようになります。家族の愛は認知症の影響が遅くなるのに役立ちます」
しかし、症状が悪化して病気の暗い面から家族を守りたいのです。
それで彼は言います。
「家族が私にすまないと思うようなことは望みません。家族が恐れることになってほしくないのです。病気が家族内のとても親密な関係の介入してほしくないのです」
オリバー氏は、認知症が他人たちと相互作用するように変化すると信じています。
また彼は言います。
「このことで私はもっと思慮深くなります。もっと情緒的な装いをした人になります。他人との距離がもっと近くなると思います。私との相互作用―とくに仕事での―は、専門家的な対応を中心として展開することでしょう。常にだれも同じように扱うでしょう。専門家のように話すのです。現在、いかなる相互作用も情緒的な経験になると知っています。私は他人の話を覚えてはいせんが、会話は私に他人が感じさせるような感じを残します」
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地域での認知症
○イギリスでは推計52万5000人が認知症を持ちながら自宅で生活しています。これは全体で85万人の認知症の人のうちかなりの割合です。
○イギリスには認知症の人の介護者が67万人います。
○認知症の介護家族は、年間110億ポンドを節約していることになるのです。
○認知症の人1000人についての調査では、10人に1人は、月に1回しか外出していないと答えています。
出典:アルツハイマー病協会Alzheimer's Society
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クリストファーの物語:診断7年後
クリスタファー・デイバスChristopher Devas氏(写真左下)の短期記憶が失われて妻のベロニカVeronica氏が彼を一人にしておくことが稀になりました。
妻は言います。
「本当に離れるようなことをはしません。外出して彼に昼食を用意すると、夫はそれを食べるということを思い出せません」
デイバス氏は、現在70歳で、仕事場でのいじめを受けた人たちの判事兼調停者でした。その頃、初めて「ことがまったく正しくいかない」と彼は実感したのです。
その時、認知症に関する偏見がありました。
しかし、妻は言います。
「『夫はアルツハイマー病です。もっとゆっくりと話してくれませんか』と言っても、人はまちがいなくショックを受けることはありません」
このように広く受け入れられていることが認知症の最善の結果の一つと彼女が信じて、取り組みが容易になるのです。
さらに妻は言います。
「楽しめる趣味を持っているなら続けましょう。アルツハイマー病でない人がするように、人と付き合いながらします。いずれ社会的な行動が困難になってくると、夫がかかわるすべての人の名前を準備万端覚えるようにします。気分を害さないようにするためです」
しだいにデイバス氏は、名詞を覚えるのに苦労するようになりました。
「本当におかしなことをします。私が『フォークをとってくれますか』と言うと、そのフォークは家の反対側のあたりにある物―「鋤」―のことなのです。とってくれる物はフォークではありません」
しかし一つの単純なやり方があります。前向きに努力をすることです。
また彼女は話します。
「今、いろんな人の写真を撮っています。写真だと心に焼きついているようだからです。彼に『休日にすてきなセーリングをした人を覚えていますか』話すと、彼には難しいことがと思います。しかし、写真を見せると覚えているでしょう」
デイボス氏にとって低下する記憶で彼が恐れることはありません。
彼は話します。
「私は過去にしたことをします。常に何か前向きなことがあります。いつも持続することです。止まるようなことはありません」
BBC  8 April 2015 Living at home with dementia
訳注:Victoria Derbyshire(写真右)によるBBCの定時ラジオ番組。記事はこの番組の紹介記事。

作家でアルツハイマー病のテリー・プラチェット卿、亡くなる。享年66(3月12日/イギリス)
ファンタジー作家でデスクワールドDiscworldシリーズの創作者、テリー・プラチェット卿Sir Terry Pratchett(写真)が亡くなりました。享年66。アルツハイマー病と診断されて8年後のことです。
彼の出版社トランスワールドTransworldのラリー・フィンレイLarry Finlay氏は「世界が最も聡明で、最も鋭い精神の一つを失った」と述べています。
作家は自宅で家族に囲まれて亡くなり、「猫が彼のベッドで寝ていた」とフィンレイ氏は話しています。
テリー卿は70冊以上の著作があり、昨年の夏、最後の本を書き終えました。
またフィンレイ氏は次のように述べています。
「世界を風刺したデスクワールドを通してこの惑星を豊かにしました。素晴らしい能力と、豊かなユーモアと、絶えざる創案の賜物です。テリーはアルツハイマー病―彼は『障害物』と呼ぶ―と公に、且つ果敢に対峙しました。最後の2,3年間、彼を支えたのは書くことです。彼の遺産は今後数10年間、持ちこたえるでしょう」
テリー卿の遺族は、妻のラインLyn氏と娘のライアンナRhianna氏です。
彼の死は、12日の午後、彼のツイッターSir Terry's Twitterで公表されました。そこにライアンナ氏は次のように書いています。
「父へのすべての優しい言葉に感謝します。最期のツイートは震える手で目に涙を溢れて書かれました」
テリー卿はアルツハイマー病と診断された後、自殺幇助の運動をしたにも拘わらず、トランスワールド社は「自殺ではない」と述べています。
BBCニュースの特派員のニック・ハイアムNick Highamは「出版社から彼の死は全く自然なもので、かって自分が選んだ時に逝きたいと望んでいると述べましたが、彼の死は幇助されたものではないと聞きました」
作家仲間で友人のニール・ゲイマンNeil Gaiman氏は、テリー卿へ敬意を表している人たちの一人で、自らのサイトで次のように書いています。
「彼のような人は居ません。幸運にも彼とある本を書きました。私たちがもっと若い頃、彼から多くのことを教わりました。テリー、君を失くしてとても悲しい」
友人の俳優のトニー・ロビンソン卿Sir Tony Robinsonは、テリー卿のことを「ちょっと矛盾した人で、黒い帽子をかぶり都会風のカーボーイの服装をした信じられないほど目立ちたがり屋だった」と述べています。
BBC 12 March 2015 Sir Terry Pratchett, renowned fantasy author, dies aged 66
サイト内関連記事:「プラチェット卿は『政府はアルツハイマー病で煮え切らない』と批判」(2013年10月11日)
編者:テリー卿はアルツハイマー病の人を代弁する人として活動や発言が注目された。彼の作品については全く知らない。

★「若年性認知症、初期支援を 患者ら意見交換会で訴え」(2月20日/琉球新報)
厚生労働省は20日、65歳未満で発症する若年性認知症の当事者との意見交換会を東京都内で開いた。「なぜこの年齢で発症してしまったのか」。本人や家族は、発症初期に支援が受けられずに絶望状態に陥る心情を吐露し、仕事など生きがいを感じられる居場所づくりの必要性を訴えた。
政府が1月に決定した認知症対策の国家戦略で「若年性認知症の施策強化」「本人や家族の視点の重視」が明記され、意見交換会もその一環。厚労省は今後の政策に生かすとしている。
 意見交換会には50〜60代の当事者6人のほか家族や支援者が参加した。厚労省に加えて都道府県の職員らも話を聞いた。(共同通信)
琉球新報 2015年2月20日 原文のまま

★「若年性認知症でも働きたい 有償ボランティアで社会参加」(2月4日/中日新聞)
東京都町田市のデイサービス施設「DAYS BLG!(デイズ ビーエルジー)」は、通所者が取り組むプログラムに有償ボランティア活動を積極的に取り入れている。「社会に貢献したい」という若年性認知症の人たちの気持ちをくみ取り、施設を運営するNPOが厚生労動省に掛け合って実現した。 
市内の自動車販売店。一月下旬の午前十時すぎ、自動車メーカーのロゴが入った赤いジャンパーを着込んだ四人が、展示車を洗い始めた。ホースで水をかけ、乾いたぞうきんできれいにふき取る。三十分ほどで、五台の車はピカピカの輝きを取り戻した。
四人のうち、職員以外の三人は認知症を患う。「仕事を任せてくれるのは、ありがたいよ」。若年性認知症の男性(61)はうれしそうだ。洗車から地面にたまった水の掃き出しまで、手慣れた様子で動く。洗車をしたことを午後には忘れてしまうが、洗車の最中はそんな障害を感じさせない。
洗車の仕事は毎日あり、自動車販売店から施設への謝礼は月額一万円。参加者全員で分配する。同じ若年性認知症のため三年前に仕事を辞め、施設に通い始めた青山仁さん(54)は、謝礼で焼き鳥とビールを買って、家で一杯やるのを楽しみにしている。「少し役に立っているみたいで、いいね。車も好きだし」
施設は、NPO法人「町田市つながりの開(かい)」が運営する。「ビーエルジー」は「バリアーズ・ライフ・ギャザリング」の頭文字から取り、「障害のある人たちが集って生きていこう」との思いを込めた。
開設は二〇一二年。理事長の前田隆行さん(38)(写真)が以前働いていた施設で、認知症の人たちから「働きたい」「社会の役に立ちたい」という希望を耳にしたことがきっかけだった。
その施設は一般的なデイサービスで、通所者は塗り絵や折り紙を楽しんだり、一緒に歌を歌ったりしていた。だが体を十分に動かせる多くの若年性の人たちにとって満足できるものではなかったという。介護保険サービスの中で、謝礼を伴う有償ボランティアが認められていなかったため、前田さんは厚労省に要望。最低賃金を下回るという条件での有償ボランティアが認められた。
開設した施設では、職員が近所の会社などを回って、有償ボランティア先を開拓。自動車販売会社の洗車や、青果問屋からはタマネギの皮むきのほか、学童保育での子どもの遊び相手などの無償ボランティア活動を含め、午前と午後にそれぞれ三、四カ所の活動先を確保している。この中から、一日の通所者約十人が自分でやりたいことを選ぶ。ボランティア中の事故などを防ぐため、派遣先には必ず職員も同行する。
前田さんは「社会が認知症の人を正しく理解するきっかけになれば」と期待する。通所者は、自分がやりたい活動に取り組むことで精神的に落ち着くなど心身に良い影響があるという。
このような社会参加型プログラムを取り入れるデイサービスはまだ少ない。「社会の役に立ちたいという通所者の意向より、家族のために預かるという意識が強いためではないか」と前田さんは指摘する。(佐橋大)
Chunichi Web  2015年2月4日 原文のまま


ご本人への情報

認知症の人の「本人会議」サイト
「あなたがアルツハイマー病と言われたら」
アルツハイマー病の人が綴るブログ「認知症一期一会」
認知症の当事者として講演活動を続ける「ひと:太田正博さん(56)」(12月9日/朝日新聞)

もの忘れのある人の運転について


「あなたがアルツハイマー病と言われたら」(アメリカ・アルツハイマー病協会) 
日本語版pdf
 
英語版pdf("Living with Alzheimer's"に改定)

アメリカ・アルツハイマー病協会の”Living with Alzheimer's”

わが国でもアルツハイマー病の人自身が語り始めています。
アルツハイマー病の人が自らのことを知り、残された記憶と判断で自分のことを決め、家族や周りの人の理解を協力を得て、利用できる社会制度をうまく利用して、これから自分の望む生活を送ることができるようにこのページがささやかな支えになればと思います。
みなさまからのご質問などをメールmiyake2@mxb.mesh.ne.jpでお受けしています。(編者:三宅貴夫)

以下は、アメリカ・アルツハイマー病協会のサイトに掲載されている“I have Alzheimer's”('2002年10月1日改定)をもとに日本の制度や現状を考慮して編者三宅貴夫が書いてみました。

だれもアルツハイマー病と言われたくはありません。たとえそのことを知ってしまったとしても、あなたはひとりぼっちではありません。あなたを支えてくれる人達がいます。
アルツハイマー病と言われた人が自分ためにすること、家族のためにすることを簡潔に書いてみました。ここに書いたことが少しでもあなたの役に立てれば幸いです。

自分のことについて
アルツハイマー病と診断されたからといって人生が終ったわけではありません。
アルツハイマー病という病気をもちながら生きてゆくことはできます。病気になる前に思っていたより少し早目に人生計画を立て直さなければならなくなったのです。自分の体や心の健康に注意し、楽しみにしている活動を続け家族や友人たちと生活を送りながら、人生を有意義に過ごすことはできます。

身体のこと
身体の健康を保つことはあなたの生活の質を高める上でとても大切です。次のことに心がけましょう。
○定期的に診察を受ける。
○決められた薬は正しく服用する。
○健康的な食事や毎日の運動を続ける。
○疲れを覚えたら休養をとる。
○飲酒は少な目にする。

心のこと
アルツハイマー病と言われた人は次のような気持ちを抱くことがあります。
○病気を否定したくなる気持ち。
○あなたにとって大切な人を失ってしまうのではないかという恐れ。
○誰もあなたのことを理解してくれないという孤立感。
○まわりの人が自分のことをわかってくれないという不満。
○自分の人生が変わってしまうことによる抑うつ気分や怒り。
こうした気持ちをいだくのは自然なことですが、長引くとよくありません。この気持ちの変えてみる方法を見つけることは大切です。以下の方法を試してみましょう。
○自分の経験や気持ちを日記につける。
○同じような病気をもった人たちのグループに参加する。
○心の問題について医師に相談する。
○カウンセラーに相談する。
○宗教関係者に相談する。
○ あなとの気持ちを友人や家族と分かち合う。
○ 楽しみにしている活動はできるだけ続ける。
○家族の会に相談してみる。
○インターネットで同じ病気の人たちと気持ちや経験を分かち合う。

家族や友人に
アルツハイマー病と言われた人は家族らに話すことに躊躇するかもしれません。病気の話をすると周囲の人が不愉快に思うのではと心配するでしょう。家族や友人との人間関係が変わってしまうのではと心配します。
しかしアルツハイマー病のことや将来のことを大切な人達と話し合うことはとても重要です。

病気を理解してもらう
周りの人にアルツハイマー病について理解してもらうことは、これからのあなたの人生の支えになってもらうために重要です。次のように説明してはどうでしょう。
○アルツハイマー病は普通の老化とは違い、記憶、思考、行動の障害を来す病気であることをわかってもらう。
○アルツハイマー病を説明した冊子を渡す。
○家族や友人にアルツハイマー病の勉強会に参加してもらう。
○病気に対する自分の気持ちをそのまま受け止め、家族の気持ちも同じてあることを認める。
○病気が人生を変えたとしても、引き続き友人として付き合ってほしいと希望を伝える。
○ いつ、どのように自分を支えてほしいか家族や友人に知ってもらう。
しかしアルツハイマー病であることによって、いずれは家族や友人との関係が変化することがありうることは知っておきましょう。

配偶者とすること
多くのアルツハイマー病の人は病気が進行しても家で生活しています。あなたの配偶者が家事やあなたの介護をすることになります。配偶者は病気によって二人の生活やあなたの人生を失ったと思うかもしれません。以下のようにして配偶者との関係をよくしてみましょう。
○家庭や地域でできるだけ多くの活動に関わり続ける。
○変化したあなたの能力に応じてそれにふさわしい活動に変える。
○あなたが配偶者にどうのように支えてほしいか話しておく。
○家事や代行介護などのサービスとその費用についての情報を配偶者と一緒に集めておく。
○あなたと配偶者との関係に問題が生じた場合に専門家の相談を受ける。
○配偶者と親密な関係を続けるために工夫する。
○介護者を支えるグループに配偶者に出席してもらう。

子供たちに
親や祖父母がアルツハイマー病になった時、子供たちはいろいろな気持ちを抱きます。幼い子供は、将来同じ病気になるかもしれない、病気の原因が自分たちのしたことによるのかもしれないと恐れを抱くかもしれません。十代の子供は、自分たちに負担がかかると憤慨するかもしれないし、親や祖父母が「違った人間」になったと困惑するかもしれません。大学に進学する子供たちは嫌がって家から出るでしょう。
○あなたの子供に同じ病気にはならないと説明する。
○子どもに自分の性格や行動が変化することを認めてもらう。
○あなたが子供の名前を忘れたり子供を困らせることを言ったりするかもしれないが、それはあなたが故意にしているのではなく病気によるものであることをわかってもらう。
○子供たちの気持ちを支える方法を見つける。
○家族にアルツハイマー病の人がいる子供のことで詳しい人に相談する。
○子供がどのような状態にあるのか学校の教師に理解してもらい病気についても知ってもらう。
○子供のための支援グループの集まりやカウンセリングに受ける。
○子供に卒業、付き合い、結婚、出産、死などの人生の大切な時に「一緒に生きている」というあなたの気持ちや考えを書いて残しておく。

日常生活の変化にどうしたらよいか
アルツハイマー病によって毎日の生活に大きな変化が起きるでしょう。簡単にできていたことが難しくなるかもしれません。日常生活の変化にどのように対処したらよいか、将来起こるかもしれない事態にどう対処したらよいかについて以下のことを参考にしてください。

難しい作業について
お金の出し入れを調べる、食事の用意をする、家事をするといったありふれた日課が難しくなるかもしれません。以下のような工夫をしてみましょう。
○一日のうちで最も気分のよい時に難しい作業をする。
○十分な時間をとってゆくっり仕事をする。
○難しいと感じたら休みむ。
○難しい場合は他の人に助けてもらう。

コミュニケーションについて
相手が何を言っているか理解しにくくなったり、自分の考えを伝えるに相応しい言葉を見つけるのが難しくなるかもしれません。以下のような工夫をしてみましょう。
○時間をかけてゆっくり話す。
○理解できないと繰り返してもらうか、ゆっくり話してもらうか、書いてもらう。
○集中できるように静かなところで話す。

運転について
○自動車を安全に運転できなくなる時がくることを知っておく。
○自動車以外の移動の方法について家族、友人、地域の団体や施設、ボランティアなどと相談する。

記憶の低下について

○食事、毎日の運動、服薬、就寝など日課を書いて貼っておく。
○食事、約束したこと、服薬などを忘れないように誰かに教えてもらうように頼む。
○電話番号、名前、思い付いた考え、約束、自宅の住所、自宅への道順など重要なことを手帳に書いておく。
○大切な電話番号を電話機のそばに大きな字で書いた紙を貼っておく。
○薬箱に薬の名前を書くのを手伝ってもらう。
○よく会う人の名前と写真を貼っておく。
○何が入っているかわかるように名前や写真を缶の蓋や引き出しに貼っておく。
○引き出しなどを整理してもらい必要な物が簡単に見つかるようにしておく。
○電化製品をスイッチを切る、鍵をかけるといった注意書を貼っておく。

一人で暮らす
他人に支えられながら多くの初期のアルツハイマー病の人は自分のことは自分でできますが、次のことに注意して一人暮らしを続けるようにしましょう。
○食事、移動、その他の生活を支えてくれる人を見つけておく。
○地域で利用できるサービスについての情報を家族の会や医師などから得る。
○収入はできるだけ口座振込ができるようにしておく。
○いつでも支払もできるようにしておく。
○金銭管理のため成年後見制度や地域福祉権利擁護事業の利用を検討する。
○地域で利用できる配食サービスを利用する。
○信頼できる隣人に家の鍵を預けておく。
○自宅の煙感知器を定期的に調べてもらう。
○家族、友人、ケアマネージャーなどに毎日電話か訪問してもらうように頼む。
○大切なことをゆっくり相談できるように聞きたいこと関心あることを書いておく。
○電化製品、食事、食料品など毎日の生活で大切なことを書いておき他人に点検してもう。

仕事について
アルツハイマー病と言われた時に仕事に就いている場合、これからどうするか決めなければなりません。自分で決めたり、雇用者と話し合う時の以下のこと試みてみましょう。
○病気のことを雇用者に話しておく。その際に病気について説明した冊子を渡すか、あなたに代わって説明してくれる人を見つける。
○あなたの能力に合わせて仕事の内容を変えたり仕事時間を減らすことができないか雇用者と話し合う。
○自分の考えや医師の助言でできるだけ仕事を続ける。
○同僚やお客に病気について知っておいてもらったらよいか雇用者と話し合う。
○言われたことを思い出したり、適切な言葉を見つけるのに困ることがあって同僚が不愉快に思うかもしれことを前以って説明しておく。
○効率的に仕事ができるようにメモ帳やカレンダーを利用する。
○早期退職の制度があるか調べる。
○退職金、雇用保険、障害年金など利用できる制度を調べる。
○仕事を辞めた場合、仕事に代る活動を探しておく。

将来の計画
アルツハイマー病と言われた後、あなたは自身のことと家族のことが心配になります。前以って生活設計を立てておくことによって将来への不安を少なくすることができます。将来のことを決める際にあなたも加わってどのような人生を送るか考えましょう。

医療について
アルツハイマー病の人はアルツハイマー病の病気にくわえ身体の病気についても注意しておきたいものです。アルツハイマー病と身体の医療はともに欠かせません。
○どの種類の医療保険を利用するのか確かめておく。
○保険料や自己負担額について知っておく。
○信頼できる医師、通院しやすい病院や診療所を見つけておく。
○通院が難しいなった場合に往診してくれるかも確かめる。
○認知症デイケアを行っている病院や診療所を調べる。

介護保険について
65歳以上のアルツハイマー病の人は介護保険のサービスを受けることができます。40歳から64歳でもアルツハイマー病の人は原則的に同じサービスを受けることができますが、実際には利用制限されることがあります。介護保険の制度を具体的に知っておきましょう。
○介護認定の申請をします。申請方法については市区町村の担当課か通院している病院や診療所のケアマネージャーに聞く。
○要介護の認定が決まると、介護サービスの利用について家族も含めて話し合いケアプランを作ってもらう。
○介護保険の保険料と自己負担額について調べる。

在宅サービスについて
○ホームヘルパーに介護してもらう場合には認知症の人を介護した経験があるかどうか聞く。
○デイケア、デイサービスは前以って2回以上見学しておく。

介護保険施設について
特別養護老人ホーム、老人保健施設、療養型医療施設(病院)、グループホーム、ケアハウス、有料老人ホームで長期入所あるいは短期入所で利用することが将来ありうることを知っておきましょう。
○どこにどのような施設があるか確かる。
○入所者の自立を促しているか、環境は安全か、職員は認知症の介護の研修を受けているか、アルツハイマー病の人への特別なケアがあるか、介護計画は本人や家族の意見を入れて作っているか、アルツハイマー病の人がどのように扱われているか実際に見学する。
○入所者が快適な生活を送っているか入所者や面会人に意見を聞く。
○施設長に会って意見を聞く。
○自己負担額について調べる。
○施設は2回以上見学しておく。

その他のこと
○精神障害者保健福祉手帳の申請を保健所にする。

経済的なこと
あなたは将来の生活のための費用について心配するでしょう。今後の収入や支出について検討しておくことは大切です。これはあなた自身だけでなく、家族の守ることにもなるからです。以下のことについて検討しておきましょう。
○医療や介護に関係した費用、家賃あるいは住宅ローン、教育費、税金などの支出について調べる。納税控除についても調べる。
○退職金、障害年金、特別障害者手当、預貯金、有価証券、不動産資、個人資産(宝石、美術工芸品など)などによる収入を調べる。
○障害年金の申請は退職前から準備する。
○不動産などを担保にたリバースモーゲッジ(逆抵当)の制度について調べる。

法的なこと
あなたがアルツハイマー病と言われるた後あなたの財産や生活を守る法的なこととして成年後見制度と地域福祉権利擁護事業があります。弁護士会、司法書士会、社会福祉士会、都道府県の法律相談、社会福祉協議会、家族の会などに家族と一緒に相談してみましょう。

成年後見制度
○成年後見制度では軽度の認知症を対象にした後見制度(補助)がある。
○補助では本人の意思や自己決定をできるだけ尊重して財産保護や生活保障の方法を決める。
○成年後見制度については弁護士会、司法書士会、社会福祉士会、家庭裁判所が相談に応じている。

地域福祉権利擁護事業
○一人暮らしの認知症の人の財産や生活を守ることを目的として社会福祉協議会が行っている。

生前の意思(Living Will)
生命維持装置を使うことも含め将来の医療について自分の意思が伝えられなくなった時のために前以て文書で意思を表明する方法です。
○人工呼吸器、心肺蘇生術、抗生物質の使用、経管栄養、補液などの医療や生命維持を制限するかどうかをについて意思表示しておく。
○アルツハイマー病の人の「生前の意思」は成年後見制度によらないと法的効力はない。
○日本尊厳死協会の発行する「生前の意志」は法的効力はないが医師が医療方法を決め際に参考にすることはある。

遺言
アルツハイマー病の人の遺言も成年後見制度による方法をとることで法的に有効となります。この手続きをとっていないと死後その遺言が有効かどうか裁判になることが少なくありません。

法的な関係書類は、あなた、あなたの介護者、信頼できる家族、弁護士、かかりつけ医師などにコピーを渡しておくことを勧めます。

その他
道に迷った時のために
○警察署によっては「SOSネットワークシステム」をもっているところがある。
○このシステムを利用することであなたが道に迷って家に帰れなくなった時により安全に家に帰ることがでる。
○警察署に前以てあなたの写真をそえて住所と電話番号を伝えておきます。
○いつも自分の名前と住所と電話番号を書いたものを身につけておきます。


もの忘れのある人へ

運転を何時止めたらよいか、自分で判断してみましょう

以下の7つの質問のうちひとつでも該当することがあれば、運転を止めるかどうか考えましょう。

1.なれた場所で道に迷ったことはありませんか。

2.誰かに運転を止めたほうがよいと言われたことはありませんか。

3.停止線に気づかないで通り過ぎたことはありませんか。

4.ブレーキとアクセルのどちらを踏んでよいか迷ったことはありませんか。

5.人か物に当たったり当たりそうになったことはありませんか。

6.最近、警察官に止められて運転について質問されたことはありませんか。

7.お孫さんを乗せて運転すべではないと思ったり、言われたことはありませんか。

アメリカ・フロリダアトランティック大学記憶・健康センター

Florida Atlantic University Memory and Wellness Center

発行の記憶に問題のある人の運転自己評価Driving Self-Evaluation for People with Memory Problems」(英文pdf600K)より(編者訳)


支える人たちへの情報

アルツハイマー病患者からの10の願い
NIA「アルツハイマー病の人を支える支援グループをどう運営するか」 (日本語訳) (原著英文)
ADI"How to include people with dementia in the activities of Alzheimer Associations"(英文:pdf)


アルツハイマー病患者からの10の願い

1.私のことを我慢してください
   自分では何もできない脳の病気にかかったどうしようもない患者であることを思い出してください。
2.私に話かけてください
   たとえ私がいつも答えるとはいかなくても、声は聞こえるし、言葉を理解することができます。
3.私に親切にしてください
   私の毎日は長い絶望的な戦いです。やさしさは私の一日のなかでとても重要なことでしょう。
4.私の感情を考えてください
   私はまだしっかりと感情をもっています。
5.人間としての尊厳と尊敬をもって扱ってください
   私ならベッドによこたわっている患者には喜んでそうするでしょう。
6.私の過去を思い出してください
   かって私は健康で人生と愛と笑いでいっぱいでした。能力と知性も兼ね備えて。
7.今の私を知ってください
   私は家族と家庭を失って寂しい恐れおののく人であり、愛している夫、妻、母、祖父、祖母、叔父、叔母であり、親しい友人なのです。
8.私の将来の思ってください
   将来は暗いように見えるかもしれませんが、私はいつも明日の希望でいっぱいです。
9.私のために祈ってください
   私は時の流れと永遠の間に漂う霧のなかで迷っています。どのような同情よりあなたが居ることがとでも大切なのです。
10.私を愛してください
    愛という贈り物によって私たちは光で永遠に満たされるでしょう。


注:埼玉県にあるヘリオス会病院の森田仁人院長がアメリカ・カルフォルニア州のヘルメットにあるクリスチャン・ヘリテージ・ガーデンを訪問した際に渡されたパンフレットにこの10 Requests from an Alzheimer's Victimを知り、日本に紹介しています。この要望の原典を調べていますが、不明です。しかし患者自身の気持ちを伝えるものとして貴重であり、ここに紹介します。(三宅貴夫)

原文
Ten Requests From An Alzheimer's Victim
1. Be patient with me-Remember I am the helpless victim of an organic brain disease which is out of my control.
2. Talk to me-Even though I cannot always answer you, I can hear your voice and sometimes I comprehend your words.
3. Be kind to me -For each day of my life is a long and desperate struggle. Your kindness may be the most special, important event of my day.
4. Consider my feelings-For they are still very much alive within me.
5. Treat me with human dignity and respect-as I would have gladly treated you if you had been the victim lying in this bed.
6. Remember my past-For I was once a healthy, vibrant person full of life, love and laughter, with abilities and intelligence.
7. Remember my present-I am a fearful person, a loving husband, wife, father, mother, grandfather, grandmother, aunt, uncle or a dear friend who misses my family and home very much.
8. Remember my future-Though it may seem bleak to you, I am always filled with the hope of tomorrow.
9. Pray for me-For I am a person who lingers in the mists that drift between time and eternity. Your presence may do more for me than any other outreach of compassion you could extend to me.
10. Love me-And the gifts of love you give will be a blessing from which we will fill both our lives with light forever.


初期アルツハイマー病の人を支える支援グループをどう運営するか

(原題:初期にアルツハイマー病と診断された人には初期支援グループが必要)

(アメリカ国立老化研究所アルツハイマー病教育情報センター発行情報誌「Connection コネクション」2005131-2号より)

診断技術の向上と病気への関心が高まったことにより、アルツハイマー病の初期段階で診断さる人が多くなってきました。医療専門職、アルツハイマー病協会、その他の団体は初期アルツハイマー病の人と家族へ精神的社会的負担を軽減するため多様な支援を行っています。こうした支援体制が普及するになかで、初期アルツハイマー病の人が以前考えられていたより認知機能がよく保たれていることとが最近の研究から明らかにされました。初期アルツハイマー病の人は人格、対処技術、自分自身のこと、症状についてのよく自覚しています。しかし、こうした人は病気に対する偏見のために、かなりの負担、混乱、孤独を経験しているようです。そのため、家族とともに新しい対処方法、意味ある活動、知的な刺激を求めています。これらの人は、自己教育、ありふれた経験の共有、アルツハイマー病の初期の診断と症状に伴う障壁や孤立を打破することに意気込んでいます。

支援グループとは何か?

アルツハイマー病教育情報(ADEAR)センターは、1年間に家族、専門職、医療のほかにも援助が必要なアルツハイマー病の人から何千もの電話やメールを受けています。こうした人たちは、休息、関心あることを話せる安全な場所、介護の方法、社会資源、自分たちが一人でないことを確かめることを求めているように思います。センターの情報専門家は相談された人に身近の地元のアルツハイマー病協会支部を紹介します。その支部では医療専門職や研修を受けたボランティアの関心と心温まるグループによる多様な活動も行っています。支援グループは、構成、形式、会員、指導者などでさまざまですが、教育、研修、前向きで安全で決め付けない場を提供しアルツハイマー病の人とその家族にとって関心あることを共にあるいは分かれて討論します。多くのアルツハイマー病の人や家族は、同じような問題、喪失、不安、混乱、うつ状態、孤立、悲しみを経験している他の人達とのつながりが必要であると知っています。そして特別な支援グループは適切なときに相応しい支援を提供しています。

初期段階の支援グループ

この10年の間、初期アルツハイマー病の人と家族のための特別なニードに対応する多くの支援グループが作られました。社会的な関心の高まり、初期診断、アルツハイマー病への社会的偏見を減らす活動によって、初期支援グループへの要望が大きくなりました。一般的に多くの支援グループは参加者が同じような状況にあってよく似た個人的な経験を共有する機会を提供しています。初期支援グループは、通常専門職の人や研修を受けたボランティアが進め、1週間に1回の会合をもち6から10週間続けます。参加者は同じ経験を共有し専門職や研修を受けた進行役から用意された考え方や教材から対処方法を学ぶことを期待されています。ケアパートナーであるアルツハイマー病の人と家族の両者のための会合もあれば、アルツハイマー病の人のためだけの会合もあります。アルツハイマー病の人が互いに話すとき、自立、運転、金銭管理、自尊心を失うこと、病名を他人にどうのように伝えるか、社会で失敗することへの混乱や恐怖をどのように軽減するかといった共通の話題を取り上げます。

初期にアルツハイマー病を診断する

研究者や経験豊富な臨床医が初期アルツハイマー病を診断することはとても有意義です。アルツハイマー病の人は最大限に初期治療を受け臨床試験に加わり精神面や実際的なことについても対応でき価値や信念にそって家族といろいろなことを決めることができます。

しかし初期に病名を知ることはアルツハイマー病の人に情緒的心理的に意味ある手段を提供します。ノースカロライナのDuke大学アルツハイマー病センターの精神行動科学部の臨床助教授のLisa Gwyther氏は「初期アルツハイマー病の人は、自分の能力が他人に知れる前にどれだけ誰に何時話してよいかということについて誰かに聞くことができることが大切だ」と述べています。初期アルツハイマー病の人と家族が長期間、上手に対処し活き活き生活できる方法を学ぶため適当な時期に一貫し開放的な支援を得ることはとても大切です。アルツハイマー病の人は、物事を楽しむ能力を持ち成長し他人との関係をもつことを楽しみとしています。Duke大学医療センターでは、いくつかの型の支援グループがあります。Gwyther氏は「アルツハイマー病の人は毎日の生活のなかに心地よく慣れた日課や社会活動の機会を見つける必要があります。毎週あるいは毎月の信頼できる支援グループでこうしたことができるでしょう」Gwyther氏が確かめたことですが、初期アルツハイマー病の人は多くの場合、喜んでオープンに友人になった支援グループの他の人たちと自分が関心あることを話し合います。最近国立老化研究所(NIA)が助成した研究がシカゴのRush大学医療センターで行われましたが、それによると初期アルツハイマー病の人は確かな特徴や記憶上の問題を持っていますが、アルツハイマー病の中期で見られる深刻な認知問題を持ってはいませんでした。これらの問題は、混乱、見当識障害、社会的あるいは仕事上の能力低下、前以て計画を立てることができないといったことです。またこの研究から、記憶の欠落のために難しいこともあるが、初期アルツハイマー病の人は多くの日常的活動―支援グループに積極的に関わることも含め―に参加することができることがわかっています。

支援グループの構成

一般的に初期アルツハイマー病の支援グループは大きく分けて2種類あります。ひとつのタイプは、初めから計画され期間を決めて6週から10週間の開催するグループで20人から30人(家族とアルツハイマー病の人を含め)、11~2時間の会合を持ちます。参加者には会合で話し合うテーマが示され、招待講師がアルツハイマー病の人の家族が直面している法的経済的問題について講義します。介護者とアルツハイマー病の人が別々に会合をもったり一緒にももちます。専門家に言わせると、介護者が居ない、あるいはアルツハイマー病の人がいないなかで関心あることを自由に話すことができます。期間制限の初期アルツハイマー病の支援グループの最後には参加者はその後の援助を受けるために地域にある既存のサービスを受けたり、初期から中期のアルツハイマー病の人を対象とした支援グループに参加するように勧められます。期間制限の多くのグループは毎月「卒業生グループ」を持ち、期間後も会うことができ社会的活動を進める機会があります。時々こうした卒業生グループは社会活動や普通の健康的な生活を送れるような社会的支援を重視しています。多くの事例でアルツハイマー病の家族は徐々にありふれた社会的な集まり、友人の輪、以前の仕事仲間から排除されることを確かめられています。アルツハイマー病協会の支部は多世代のディナーを用意したり、コンサートやボーリングなど外に出かける企画をもっています。バージニア州のFairfaの家族デイセンターのSue Stone氏は「アルツハイマー病の人は、これからの数ヶ月、数年の予測すべきことについて学ぶ必要があり、社会状況をとおして交流と笑いが必要です。明日起こることより今日を生き抜くことを重視している」と話しています。

初期支援グループのもうひとつのタイプは、「進行型」モデルです。これは構成がゆるく、参加者が何を話題にするか決めます・時間を延長して複雑な問題にも対処します。アルツハイマー病の人は、グループ討論に有意義に参加できるように機能低下の程度や継続能力に応じて何ヶ月も何年もグループにいることもあります。こうした毎週開催の進行型グループは家族にも長期の関係を作る機会を与えることになります。多様な支援グループがあり初期アルツハイマー病の人のニードを満たすように組織されています。これらは参加者にはボランティア活動、芸術、書き物、職業訓練を提供する特徴があります。

どこでグループを立ち上げるか

国内の多くの地域でアルツハイマー病協会やNIA助成のアルツハイマー病センターや他の団体が初期支援グループを立ち上げてきました。医療専門職が経験を積み対処方法を向上させているので、より専門的で文化的に多様なプログラムを提供しています。しかしなお社会資源も医療サービスも乏しいがために初期診断が行われてない多くの地域があります。このため認識が低く地域的なサービスへの要求が少なく教育も貧弱でアルツハイマー病に対する社会的な偏見が根強いところもあります。 

誰が参加するか?

初期支援グループの参加するために、アルツハイマー病の人と介護者は通常、専門の臨床医やソーシャルワーカーによって餞別されます。アルツハイマー病の人が情緒面、認知面、行動面でグループのうまくやっていく能力があるかどうか多面的な評価と面接が必要です。アルツハイマー病の人が喜んで参加し能力のあるパートナーに付き添ってもらい、ほとんどの場合会合に参加します。1986年にアメリカで初めての初期支援グループを立ち上げ、アルツハイマー病協会などの相談役であるサンフランシスコのソーシャルワーカーのRobyn Yaleは次のように言っています。「心地よくグループでうまくやっていける人かどうかの選別は重要です。自分自身の状況を知る能力、感情や関心を明瞭に伝える能力、支援グループの経験を共有したいという願望をもっているアルツハイマー病の人が相応しい。アルツハイマー病の人を同伴し同時進行の支援グループに出席することをケアパートナーにしてもらうことは必須条件ではありません」。Yaleの著書「初期アルツハイマー病の人のための支援グループの展開」は、国内でも海外でもグループを立ち上げるときの指導書として使われています。そのなかでグループの会合の計画、実施、評価について論じています。話題を選択しグループメンバーに自分たちに大切な話題を取り上げるように働きかます。提案する話題として、物忘れ、家族や友人との関係、新しい状況への適応、幸福、前向きな姿勢などの質問や関心事が含めます。Yaleのモデルは、時間制限型グループから進行型グループに変わりました。もはや参加することができなくなったときにグループの外に置かれた人とも一緒に活動します。グループのリーダーは、参加者の認知機能が低下するので、どのくらい長く参加してもらうかを決めなければならなりません。明確な指針とコミュニケーションは重要なので、グループの進行役とアルツハイマー病の人と家族は、どのように、何時他に移ることがあるかもしれないことを知っておかなければなりません。試行錯誤するなかで、アルツハイマー病の人とグループ全体にとってこれは不可欠な手順のひとつです。Yaleは別のことも言っています。「次のステップとしての適切なプログラムをもったグループは少ないということはデイケアもないなかでは困難です」。会合が終わるときにアルツハイマー病の人と家族を続け援助できるように、グループリーダーは最低限、思いやりの心、問題解決の対処技術、情緒的支援の身につけておきたいものです。多くのリーダーが言うように、重要なことは初期支援グループは全ての初期のアルツハイマー病の人と家族のためにあるわけではないことです。ほとんどの参加者が、自分の生活について管理できる自信や自分が一人ではないことを感じるといったよい結果を受け取っても、家族の葛藤、否定、進んだ認知障害、グループのもつ馴染みへの不快を覚えなどのために参加してない人もいます。

初期支援グループはどのように生活の質の影響するか?

ワシントン大学アルツハイマー病研究センターの社会心理・地域保健部の助教授であるRebecca Logsdon氏は、西部中部ワシントン州アルツハイマー病協会支部と共同研究を行い、同支部が行う初期グループの評価をしました。同氏は次のように述べています。「初期グループはもっと普及しているが、誰が参加しどのようなタイプのグループを提供するかについてアルツハイマー病協会支部の間で活動にばらつきがある。アルツハイマー病協会の助成で行われた3年間の調査の目的は、対象グループと比較して初期グループに参加して人の生活の質を評価することにあります。私たちは初期グループの参加者や進行役と全体的な生活の質、うつ状態、ストレス、管理感覚、参加者と介護者とのコミュニケーション、法律面経済面医療面の計画についての決定といったことについて議論するなかで確認されたグループの特別な利点を評価しています。研究は、初期アルツハイマー病の関わっている本人と家族にとって最も適切で効果的な介入と援助を提供するです」カリフォルニア大学サンディエゴ校の経験豊富なソーシャルワーカーであるLisa Snyder氏は初期支援グループへの参加者の基準は厳密にすべきと確信しています。参加者はグループ内でできるだけ持っている機能を発揮でき、みんなの経験が最大限に活かされるように参加することに専念できるようにすべきと信じています。彼女は進行型のモデルを採用して、本人と介護者のできるだけ一緒におれるようにしています。Snyderが創った冊子である「アルツハイマー病と関連認知症に対応する:初期の人と家族の教育的支援グループ」では、8週間のコースで自己評価、法的経済的関心事、健康維持、日々生活といったことを取り上げています。アルツハイマー病協会の上級副会長であるKathleen O’Brienは次のように述べています。「アルツハイマー病協会は全国に91以上の初期支援グループを持っています。ほとんどは期間制限型です。アルツハイマー病協会はもっと特別なアルツハイマー病介護者を支援のグループを創るように努力しています。特にアフリカ系アメリカ人、ヒスパニック、中国系アメリカ人などマイノリティやバイリンガルの人たち、また男性介護者のためのグループです。支援グループの選択できる社会資源のレベルは国内でもさまざまですが選択肢について考えることを勧めます。教室型の支援グループに変わる実際的で新しい方法として電話やメールによって始めたところもあります。アルツハイマー病の人と家族がもっと多くインターネットや電話のヘルプラインが教室型支援グループに変わる方法として提供されることを発見しつつあります。こうした選択は特に近くの支援グループに行くことができないか、地域にグループがない人たちに役立っています。最も大切なことは、電話であろうが、インターネットであろうが、教室であろうが必要なときにあらゆる方法で援助を実行することです。」

医療専門職も助けてくれる

アルツハイマー病の介護者を擁護する人達は、医療専門職がアルツハイマー病の診断のときに当初驚き落ち込んでいた家族にとって支援グループが積極的な選択肢であることをすこしづつ気付きつつあると信じています。医療専門職に初期アルツハイマー病の人の支援グループの利点について知ってもらうための努力をしなければなりません。カルフォルニア大学サンディエゴ校のSnyder氏は述べています。「もし医療専門職が認知症の人のための初期診断について啓発を行えば、かれらは病気の初期にある家族を助ける支援グループや他のサービスを擁護すべきです。支援グループのモデルが異なるとしても、各グループはアルツハイマー病を生きる人を助け、家族の負担を軽くしようとしています。この有効性についての公式な研究が進められているが、経験から初期支援グループはアルツハイマー病の人と介護者に病気に対処するに必要な情緒的な構造を作ることを助けていることがいえでしょう」

その他の情報

初期アルツハイマー病の支援グループがどこで行われているかを知るにはアルツハイマー病協会に電話(1-800-272-3900)をかけるか、サイト www.alz.orgをみてください。

アルツハイマー病センターのなかには支援グループを持っているところもあります。アルツハイマー病教育情報センターに電話(1-800- 438- 4380)をしてアルツハイマー病センターの一覧表を送ってもらうか、サイトwww.alzheimers.org/adcdir.htmをみてください。

その他の資源:

家族介護同盟:Family Caregiving Alliance (FCA) at 1-800-445-8106 or www.caregiver.org

高齢両親の子供の会:Children of Aging Parents (CAPS) at 1-800-227-7294 or www.caps4caregivers.org

推薦図書

Yale, R. (1995). Developing Support Groups for Individuals With Early-Stage Alzheimer’s Disease: Planning, Implementation, and Evaluation. PRICE: $32.50.

Copies of Lisa Snyder’s manual, Coping with Alzheimer’s Disease and Related Disorders: An Educational Support Group for Early-Stage Individuals and Their Families, and a manual by Lisa Gwyther designed to help families in North Carolina, Working with Family Caregivers of People with Memory Disorders,

ADEAR


資料

推薦図書
リンク(日本・外国)
テレビ:ハートをつなごう <新>「認知症 私たちにできること」
その他の資料


推薦図書

日本語

書名:プログ認知症一期一会ー認知症本人からの発信ー
著者」:水木理
出版社:クリエイツかもがわ
定価:1800円

書名:「認知症がはじまった? −アルツハイマー初期の人を支える−」
著者:ダニエル・クーン 監訳:三宅貴夫  訳:保科京子
出版社:クリエイツかもがわ 
定価:2520円

書名:私、バリバリの認知症です
著者 c太田正博×菅崎弘之×上村真紀+藤川幸之助
出版社:クリエイツかもがわ
定価1680円(本体価格1600円)

書名:認知症と診断されたあなたへ
著者:小澤 勲/黒川 由紀子
出版社:医学書院
価格:1600円
案内:『痴呆を生きるということ』(岩波新書)で認知症の世界を余すところなく表現した小澤勲氏が、回想法の黒川氏とともに、当事者の悩みや苦しみに真っ正面から答える。事実と異なる「なぐさめ」なしの、クールに役立つガイドブック!認知症のあなたへ。認知症が心配なあなたへ。認知症の方と何をどう話したらよいか戸惑う専門職の皆さんへ。(医学書院のサイトより)

書名私は私になっていく  
著者:C.ボーデン 
出版社:クリエイツかもがわ
価格:2000円

書名私は私になっていく―痴呆とダンスを  
著者:C.ブライデン 
出版社:クリエイツかもがわ
価格:2000円

書名:記憶が消えてい
著者: 一関開治
出版社: 二見書房
価格: 1500円


英語
書名Alzheimer's Early Stages (second edition)  
著者:Daniel Kuhn (MSW) 
出版社:Hunter House Publishers

価格:$10.85(Amazon.com)

書名:What To Do When The Doctor Says It's
    Early Stage Alzheimer's : All the Medical, Lifestyle, and Alternative Medicine Information You Need To Stay Healthy and Prevent Progression
著者:Todd E. Feinberg and Winnie Yu
出版社:
Fair Winds Press


リンク

日本
認知症一期一会
いきいき福祉ネットワークセンター

私の「不便」と「対策」(佐藤雅彦) アルツハイマーが軽症のうちは、一人暮らしができることに目を向けて、不便さだけに目お向けないでください。そのための対策です。
NPO認知症の人とみんなのサポートセンター
認知症の人本人と家族介護者の語り(NPO 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン)

外国
国際アルツハイマー病協会(I have dementia) 
イギリス・アルツハイマー病協会(I have dementia) 
カナダ・アルツハイマー病協会(I have alzheimer disease)
オーストラリア・アルツハイマー病協会(I have dementia) 
アメリカ・アルツハイマー病協会(If You Have Alzheimer's) 
スコットランド保健教育局(Facing dementia)
国際認知症擁護支援ネットワーク DASN Internatinal
Welcome to The Trip Over A journal through early Alzheimer's(by Don Hayen).
Richard Taylor Phd( by Richard Taylor)
Shiley-Marcos Alzheimer’s Disease Research Center (University of Calforinia San Diego USA)


テレビ
ハートをつなごう <新>「認知症 私たちにできること」
チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2006年 4月24日(月) 〜27日(木)
放送時間 :午後8:00〜午後8:30(30分)

番組HP: http://www.nhk.or.jp/heart-net/
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石田衣良,ソニン,遙洋子,【キャスター】堀尾正明
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4月のテーマは「認知症」。認知症は、高齢者だけの問題ではない。働き盛りで認知症になったとき、わたしたちはどう向き合い、どう支えていけばいいのであろうか? 認知症と向き合っているご本人とパートナーをスタ肌で感じながら、悩みと認知症にどう向き合っているのか尋ねていく。


その他の資料
○国際アルツハイマー病協会:pdf版(48K)英文
○イギリス・アルツハイマー病協会:pdf版(240K英文
○カナダ・アルツハイマー病協会:pdf版(700K)英文
○オーストラリア・アルツハイマー病協会:pdf版(140K)英文
○アメリカ・アルツハイマー病協会:pdf版(100K)英文
○スコットランド保健教育局:pdd版(120K)英文

○Shiley-Marcos Alzheimer’s Disease Research Center (University of Calforinia San Diego USA):Newsletter "Perspective"
○Perspectives--A Newsletter for Individuals with Alzheimer’s or a Related Disorder--February-April, 2007(UCSD Shiley-Marcos Alzheimer’s Research Center)pdf2.3M*
○The Scottish Dementia Working Group run by people with dementia by James McKillop,Chairman (Arab Conference on Alzheimer Disease March 2-4, 2005 Beirut)ppt5M*