4.アルマトイ市内観光
10月9日7時起床
決戦当日だというのに心に緊張感はない。二年前のウズベキスタン
に行った時の試合当日の切迫した気持ちが嘘のようだ。しかし、今回
の面々にとってはこれは単なる区切りでしかないのだ。当然のように
勝つはずだ。
例によって朝はバイキング、あっこさんは大好きなナスの炒め物が
なかったのでがっくりしていた。
アルマトイ市内観光
9時から3時間弱のアルマトイ市内オプショナルツアーに参加した。
カザフ人の40代のおばさんが英語でガイドをし、添乗員が日本語に
訳していた。
シルクロード
バスはまずホテルを出ると、昨日のバザールの前の大通りに行った。
「シルクロードだった道の一部です。」
これがずっと、アジアの東からローマまで続いていたのかと感慨深く
なる自分と、(でも旧甲州街道みたいなもんかもね)という自分がいた。
中央アジアは、タシケントの時もそうだったがシルクロードとの関係
が深い。
イスラム教寺院へ
バスはモスク(イスラム寺院の事)に向かう。8世紀にイスラム教徒
が入ってきて、イスラム教徒とキリスト教徒がこの国にはいる。ソ連の
一部の頃はイスラム教は禁止されていたわけだが、独立で、また盛ん
になっている。この国ではイランやイラクなどと違い、宗教と政治は
切り離されている。
ぴかぴかのモスクだった。そして、なんとモスクの中に入り、普段
拝むじゅうたんの上に立つことができた。(もちろん靴は脱いで)
モスクの部屋のじゅうたんの向こうの方角にメッカがあるなんて言われ
ると、へーって思ってしまった。
ガイドさんに「このモスクはいつ建てられたのですか?」と聞くと、
「1999年の7月です。」と言われた。そら、ぴかぴかなワケや。
なんでもトルコの大富豪が寄付した金で作ったそうだ。
職業・教育事情
カザフスタンでは仕事は9時から17時までやっているそうだ。結構
まじめに仕事をやっているんだと思った。教育は、子供は小学校を7才
から11才まで義務教育で行く。ハイスクールはテストがあり受かった
人だけが行く。バスがカザフスタン大学の横を通った。立派な建物
(さすがに広大なキャンパスって感じではなかったが)だった。
カザフスタン全体に100校強の大学があるが、アルマトイには
そのうち20校程度あるらしい。ガイドさんは教育熱心な国であること
をさかんにアピールしていた。
スポーツセンターの前を通り、昨日も行ったスタジアムの前を通る
バス、競馬とレスリングが盛んだという説明に「レスリングが盛ん
ってどういう意味や」と思ったが本当にテレビでアマレスの中継
をやっていて驚いた。
地下鉄工事
地下鉄工事中の横を通るバス。ソ連時代から始まっている地下鉄工事
だが、未だ完成の目処が立っていないらしい。核シェルターを利用して
さっさとタシケントに地下鉄を作ってしまったウズベキスタンと比較
すると市内交通は遅れているようだ。
共和国広場にて
その後バスは共和国広場に行った。ゴールドマンの銅像と昔のカザフ人
の夫婦の象徴をあらわす銅像、そして、未来を表す子供の銅像。
夫婦の銅像はモンゴル系の顔をしていた。
それにしてもゴールドマンである。結局、この後の歴史博物館でも
出てきたのだが、何者かわからなかった。わかったのは体中に金の飾り
をつけている事。このゴールドマンとはいったい何者なのか。謎は
未だに解明できていない。
アルマトイを歩くと多いのがユーリアルバチャコフのような顔の人や
ゼンジー北京をモンゴル系にしたような顔の人。人種の比率はカザフ人
51%、ロシア人34%、韓国人5%そしてドイツ人が数万人との事。
ここでは日本語の文字や英語は全く見ない。しかしハングルはたまに
書かれている事がある。(韓国系レストランなど)そう言えば、ウズベク
にもハングルがあった。日本大使館は1996年から開かれたようだが、
資本援助はアメリカ、ドイツに継ぎ、3番目に熱心にやっているようだ。
#ムダ金になってないことを祈る。^^;;
共和国広場から遠くを見渡すと、4000m級の山々がある。
アルタイ山脈だ。
歴史博物館
この後、歴史博物館に向かった。中に入ると遊牧民の住居と大きな
カザフスタンの地図があった。「この住居を使って、いつまで住んで
いたのですか?」「ちょっと郊外に出ると、いくらでも住んでいます。」
ひぇー、私たちが見ているアルマトイはカザフスタンの一端でしかなく、
いまだに遊牧民が生活しているとは。
カザフスタンの大きな地図ではすでに首都を記す印はアルマトイから
アンカラに移っていた。(首都移転ですね)
カザフスタンはソ連時代には地下核実験も行われており、また、
いまだに宇宙基地として使われているところもある。(バイコヌール宇宙基地)
ここでは移籍から発掘された壺や下水道あとなどがあったが、
説明のたびに、チンギスハン(ジンギスカン)が壊したのだと言い
むっとするガイドさん。12世紀にチンギスハンの侵入により、歴史的
建造物のほとんどが壊されたようだ。
そう言うわけで、ここでは昔の建物のミニチュアの模型がならんでいたり
した。
人類の祖先(原人)の絵もあった。ここで発掘されたりしたのだろうか。
よくわからなかった。^^;;
28人の兵士の像
歴史の後は28人の兵士の像のところへ行った。28人の兵士とは、
ソ連時代、第二次世界大戦中にドイツのモスクワ侵攻をくい止める
ために、カザフスタンからかり出された兵士で、アルマトイの英雄
としてまつられていた。献花が絶えずされている。この像のすぐ近くに
キリスト教会があり、今結婚したばかりの花嫁さんのウエディング姿
が印象的だった。その人たちの顔が本当、東アジアって感じで
日本人もしゃべらなければこの国では違和感がない感じだ。
昼時で、市内観光は終了した。
またバザールでぶらぶら
私たちはその後、迷わずバザールに行った。あっこさんは、ナスの炒め物
をめざとく見つけ、購入した。朝のバイキングの敵討ちだ。なんのこっちゃ。
ガス入りの水を飲み、あっこさんはぴろしきを食べながら、ホテルに帰った。
競技場への集合まで私は横になった。
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