タシケントのタンタン人の皆さんの生活
■入国審査
タシケントの空港に到着、この入国審査がまた、モスクワと違った
意味で大変だった。
まず横はいり攻撃。私たち日本人はこんなところで弱い。ルーズボールに
事ごとく競り負ける山口状態だ。なんと強引なタンタン人
謎の大きなつづらを持ったタンタン人は、その荷物を人の体の前にどんと
起き突き進む。そして、なんか強引に出ていこうとして、入国審査官と
押し問答。おいおい。当然荷物検査に時間がかかる。
私たち自体はそんなにチェックされることはないのに。
添乗員の大塚さんも、こんなに大変な事はめったにないと言っていた。
空港を一歩出ると、謎のつづらを受け取るタンタン人たち。その中に
混じって日本語の出きるガイドさん二人が立っていた。無茶苦茶
きれいだ。白い足フェチであれば間違いなくノックアウトされていた
事だろう。だがこのガイドさん、ほとんど会話が無理なレベル。
添乗員さん曰く、大学で習っているらしいが、いるだけで全然役に
立たない。この後このガイドさん二人はすっかり写真を撮るときだけ
活躍するマスコットになるのだった。
#まあ活躍しないマスコットの事を思えば。鹿。
#モスクワのガイド二人は、少々ゼンジー北京な日本語だが、私たち
#の言ってる事を理解できた。偉い違い。
季候は今の時期は思ったより暖かかった。日中は1〜2枚で全然大丈夫。
冷え込みも少ない。街にはポプラの木が多い。
ウズベキスタンホテルまでの道のり、ここが如何に、日本から遠いか
いや距離もなんだけど、マクドナルド、ケンタッキーがないと言えば
理解できるだろうか。(中東にはあった。)
ウズベキスタン、ロシアはコカコーラが幅をきかせており、
いろんなところに宣伝の看板があった。
通貨はシム(1sym=1円と考えた。若干違うが。)この通貨、一端
両替すると、もうドルやルーブルには代えてくれない。おいおい。
結局2000シム残ってしまった。逆にドルは強い。やみではより高い
レートで取引されている。
ウズベキスタンホテル、ロビーやエレベーターはぼろだが、部屋の中は
まあまあだった。ただし、TVは2チャンネルしかなく、電話はつながら
ないが。
#帰りの飛行機に乗って知ったのだが、電話もオペレーターに頼んで
#かけれたようです。
ウズベキスタンの食べ物、焼きめしはびちゃびちゃしているが、まずい
焼きめしよりちょっとおいしいぐらい。なんのこっちゃ。
結構ライスを目にする。後は肉じゃがのような汁物。
ハンバーグもおいしかった。
羊の串焼きはおいしい。一串25シム。
(何人か食べ過ぎておなかを壊した人もいた)
だいたい200〜300円も出せばそこらの露店でいっぱい食べれる。
ビールは安くはない。普通。
ウズベキスタンでは、イスラム教が旧ソ連時代には禁止され抑圧され
ていた。1991年の独立で、イスラム教徒がモスクでお祈りができる
ようになったようだ。イスラムの街並みで、貧富の差が出来始めている
ようだ。これも独立の影響。人種はロシア系は10%、ウズベクが70%
だそうで、結構イラン人みたいな顔立ちの人が多い。またモンゴル系
の顔の人もいた。
街には立派な地下鉄が走っている。(どこまで行っても10シム)
核シェルターにもなるからではないかと思う。
街を走るのは路面電車とバス。自動車も結構走っている
第二次世界大戦中の抑留日本人が建てた、建物(オペラ劇場かな)
があった。すばらしい建造物。
博物館では、タシケントの伝統工芸らしいものが置いてあったが、
どうも歴史が短く、つまらなかった。
#見てるだけでわくわくするものではなかった。
歴史を感じるには250km離れたところにあるサマルカンド
に雰囲気のある街らしいが、行き帰りだけで10時間かかると
いうことであきらめた。
バザールは、活気があった。でっかいメロンが山のように積まれている。
こんなに売れるのか。乾き果物、香辛料のコーナーなど。
まるでインディジョーンズにでも出てきそうな光景だった。
赤の広場より広い、広場があったが、ただの広場だった。ひろけりゃ
いいというものではない。
W杯観戦記目次へ
ホームに戻る