ツアーの皆さんとの語らいと赤の広場での夢想


■ツアーの皆さんとの語らい


前回のUAEのツアーは0泊だったこともあり、同じツアーのみなさんと うちとけるところまではいかなかった。しかし、今回は、タシケントに2泊 したこともあり、いろんな人と話をすることが出来た。 45人のメンバを6つのグループに分けて添乗員の方がしきっていたので、 そのメンバーとは特に話をした。 同室の酒本さんは、30代後半、中学生の子供を持っており、昔サッカーを やってたことからサッカーが好きという感じ。ドーハでは2戦のイラン戦、 3戦の北朝鮮戦を見たらしい。私とはちょうど入れ替わりという感じだった みたい。  いせきさんは、ラモスとジョンレノンが好きな長髪。とても銀行員とは思え ないいでたち(のぞくカバン)、カバンとは一心同体。実は心優しいいい人。  森本さんは、普通の人みたいな顔をしているのだが、どこにでも特攻していく 添乗員の大塚さんには、要注意人物と言われていた。  間宮さんは気さくなおじさん、しかも私なんか彼から見れば若い人にも 丁寧に対応をしてくださる。  落合さんは、サッカーをソレを取り巻く人間関係を含めて注目している。 このメンバーでの引き分けの後の夜の酒盛りは、岡田監督を続けるかどうか で激論になった。  落合さんと私は岡田を代えるべき、いせきさんは岡田続行派であった。 私も落合さんも長沼に対する恨みつらみが爆発していた。^^;;  井関さんは、今やっている人間を応援するのが我々の出来る事という姿勢。  そんな甘っちょろいことをなんていう落合さん、  そんな雰囲気をなごます間宮さん。 間宮「で、近藤さん、監督は誰が良いですか?」 私「宮本とかどうです、いやいやジーコが総監督やるならそういう事も あるっていう意味ですよ。」 いせき「いやいや岡田さんに続けてもらいましょう」 落合「そんな甘っちょろい事を」 私「セルジオ越後とか、そんなギャグですよギャグ」 なんていうどうでも良い話を延々3時間ぐらいしてました。 多分彼らとはまたどこかのスタジアムで会うこともあるのではないか と思います。 #日本に戻って岡田続投の経緯や代表選出メンバを見て #ちょっと頭がくらくらしましたが。

■赤の広場での夢想


 タシケントから飛行機に乗り、モスクワへ4時間のフライト。
タシケントの上空を越え、少しすると砂漠のような景色。
上空からはとても人が住めないように見えた。
そういう景色が30分か1時間ぐらい続いていたと思う。
 だんだん雲が増え、上から道が見え始める。モスクワに近づくと
街並みがはっきりしてきた。

モスクワは本当に寒い。コートがないとつらい。私は革ジャンをもって
いってたので大丈夫だった。

 モスクワでは日本行きの飛行機に乗るまでにしばらく時間があった。
行きのトランジットでお世話になった、二人のロシアおばさんがまた
出てきた。
 赤の広場までは、バス2台でいった。こちらのバスではイリヤさん
(おばさんの一人)の独り舞台。しゃべり続けていた。
途中で、ディナモスタジアムというモスクワ5輪でも使ったスタジアム
があった。あそこの観光の方がしたいと思った。

 赤の広場を観光する。タシケントと違い、歴史を感じさせる。
 クレムリンは、軍服が歩いているが観光地化している。ソ連時代にも
こんなところを歩けたのだろうか。中の教会の一つ(多分アルハンゲリ
スキー聖堂)にはいった。この教会はナポレオンが攻め込んできたとき
ナポレオン軍の馬が中につなげられていたらしい。
こんなところまでフランスから攻め込んできたのかと思った。
(ちなみに第二次世界大戦の時には、ドイツ軍はモスクワの手前で
戻されたらしいです。)

 広場を歩きながら、ウズベク戦を思い出していた。この1ヶ月、つらい
試合を見続けてきたので心が疲れている。
 次の節は、日本の試合がない。韓国がウズベクであっさり勝てるとは思
わない。UAEもカザフでは苦しむだろう。勝つとしたら、それはW杯出場
に値するチームだという事だろう。日本はますます苦しくなる。
 ホーム&アウエー、それは会場の雰囲気はもとより、気候の違い、
時差の違いによる体調への影響、しかも今回は毎週それがあるわけで、
改めて、アウエーで勝つということの厳しさを感じる。
 とは言っても、ウズベクやカザフは本当は勝たなければいけない相手。
今の日本のサッカーでは情けないがアジアでも苦しい。
立て直すには、自信をもって立ち向かう事が出来るスタイルによる
一つの勝ち星。
ガンバレ日本!

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