韓国に勝って、家に戻ってきた私たち夫婦、まだ日本がカザフ戦に勝つ前に
動き出した。妻の所属するmlの石渡さんと言うマレーシアのペナンに在住す
る人がクアラルンプールのホテルをとってくれるというのだ。
場所もバーレーンかマレーシアかきまってないというのに私は妻に
航空チケットを手配できるよう頼んだ。妻は、石渡さんに聞いた「トラベルモア」
というところで格安航空券を手に入れた。マレーシアクアラルンプールまで。
その2日後、マレーシアでやるときは、クアラルンプールではなくジョホール
バルでやるという話を聞く。「どこや??」仕事中だというのに職場の人に
地図を貸してもらい、場所を確認。「おいおい、シンガポールの方が近いで。」
11月7日、夜にマレーシアかバーレーンかが決まる。もしかしたら、努力が
無駄に終わるかもしれないと言うのに私たちはその前にシンガポールのチャンギ
空港行きに航空チケットを代えた。
そしてその日の夜、日本が勝ち進んだときにはマレーシアに決まった。まだ3決
に進むかどうか決まってないというのにガッツポーズをする私たちであった。
もう行くしかないでしょう。
マレーシアでは石渡さんにクアラルンプールのホテルをキャンセルして
もらい、ジョホールのホテルを取ってもらう。
11月8日に日本が勝ち、3位が決まった後、私はなんと言って上司に
休暇を切り出すかで、悩んでいた。どうせ、だめだと言われても行く気
だったんだけど。仕事も今が一番大変な時だし。11月10日、休みの
承認をもらいに行った私に
「そうだよなあ、行きたいよなあ。今更行くなともいえないし、
オレの分も頑張って応援してきてくれ。」
涙が出そうなぐらいうれしかった。
11月12日夜、カタール対サウジアラビア、どちらかが勝てばイラン、
引き分けだとイランが第三代表決定戦にまわる。日本としては、サウジ
が有利と思う私は引き分けを願うが、カタールは逃げ切れず、ドーハの
悲劇を味わう。
相手はイランに決まった。
11月13日現地のチケットが売り切れるほど日本人が移動すると言う噂
を耳にして、あっこさんが何度か石渡さんにチケットの確認メールを出す。
ツアーでは、ツアー会社や添乗員がやってくれたことを全部やらなければ
ならなくなったあっこさんには感謝感謝である。
そして、11月14日出発日を迎えたのである。
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