(昭和30年代 ) @@画像をクリックすると拡大表示されます@@
遅い春が過ぎ,やがて初夏を迎える6月,大夕張の山々の緑が,勢いを増す頃,私たちが楽しみにしていたお祭りが始まります。お祭りになると町中うきうきするような気分になったものです。
子供の私も,町内の子供のおみこしに参加したり,各家庭に配られる竹と紙で作った花を家の玄関に飾ったり,行灯に使われる絵を半紙に描いて応募したりと,楽しいことがたくさんありました。
書いた絵は町内の道々に行灯として夕方から夜にかけてともされ,雰囲気を盛り上げていました。
また,子供にとって大きな楽しみは,鹿島小学校の緑町側の門の下,踏切の近くに連なる夜店でした。
小さい頃は,お面を買ってもらったり,毎年,ここで亀を買ってもらい育てていました。しかし,その亀は,いつも大夕張のきびしい寒さを越せず,死なせてしまうのがとても悔しかったことを覚えています。
もう少し大きくなってからは輪投げで景品をとったり,型抜きをしたり,スマートボールをしたりということも楽しみでした。
【お祭り】 乗田 功一さん 平成9年9月12日(金)
御輿をかつげるのは,威勢がよく元気のいい子供だけ。自分も本当はかつぎたかったが詰め所のおじさんに「賽銭箱」を命ぜられる。鼻におしろいを塗られ,相棒と二人町内を練り歩くが,「元気がない」と,取り上げられる。私はまったくおとなしい子供。
大夕張神社の急な坂道。夜になるとこの道沿いに赤や青や緑の電球が飾られ,街中からもきれいな光が見える。山の中腹では,大きなスリーダイヤ(三菱)形のしかけ花火。
小学校近くの踏切あたりに連なる夜店。わたあめ,スマートボール,ヨーヨー釣り・・・。
【1997年 神社入り口 8月13日】
鹿島小学校バックネットの裏から,山に向かって登る道がありました。今年,大夕張を一目見ようとくる人が私自身も含めて,多いのですが,この時も,それらしい40代後半のご夫婦と高校生くらいの息子さんの3人家族と道の途中で,すれ違いました。どちらからともなく,こんにちは,というあいさつをかわしながら私は下り,その家族はこの坂道を登っていきました。大夕張神社のあとは,まったくありませんが,大夕張を見下ろせる場所へは,真夏であるにもかかわらず,人一人が通れる分だけきちんと刈ってありました。
ここから見える大夕張の街と,夕張岳はとても私の好きな風景でした。
ダムが建設されたあとは,ここに望郷の丘とでも名付けられそうな,そんな場所です。
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