昭和44,5年の記憶ですが,千年町の妙法寺の脇から沢に入る道がありました。
その沢を左に見ながら道を山の方に向かって歩いていくと,道の突き当たりにこの建物があったと思います。
この道の途中には左手の山の方に入っていく小さな橋もかかっていて,そこをわたっていくと鹿島墓地に通じていたと思います。
千年町のはずれの山の中に入った特にさびしい場所にありました。
【みなさんの投稿から】
(95)火葬場
投稿者:飯田 雅人 投稿日:1998年02月17日(火)21時20分57秒
1月末より体調不良とパソコン不調の為,しばらくHPの更新できませんでした。
ほぼ復旧しました。(体もパソコンも)でも昨年秋から今年の1月末までにいただいた皆さんからのメールの一部が失われてしまったのが,なにより残念でたまりません・・・・。
千年町の火葬場,人の顔の噂をはじめ,恐い話はけっこうありましたね。
昭和45年の夏,鹿島中学の級友たちと肝試しにいきました。そこは火の玉が出る場所であるという話があり,ある日ひょんなことから,「みんなで火の玉を見にいこう」ということになったのです。
当時のクラスの男女大勢で夜待ち合わせをして出かけました。
願正寺の脇から沢伝いに入っていきました。その沢に沿った道の突き当たりに当時すでに使われていなかった火葬場の建物がありました。そこまで,2人ずつ歩いていくことになっていました。
「火の玉が出たぞ!」という級友たちの声にふり返ると,手にした懐中電灯の光がいくつも揺らめいているのが見えました。
火葬場まで,結局火の玉を見ることなく戻ってきたのですが,みんなで,夏の夜体験したちょっとこわくて楽しくて思い出に残る一晩になりました。
この他,鹿島小の旧トイレにまつわるこわい噂もありました。
(94)今月最初の投稿 投稿者:片山利明
投稿日:1998年02月17日(火)12時50分24秒
今月に入ってから、投稿が無いので、退屈です。
テレビ放映を見る事ができませんでした。(残念)
千年町の火葬場は、私の家の近所にありました。
当時は、もうつかわれていませんでしたが、同級生と一緒に肝試しをするために何度か行ったことがあります。
火葬場の裏手に朽ちた大木があって一面に蝶がとまっており,その羽には、その火葬場で焼かれた人の顔が浮かんでいると同級生の久々港(くくみなと)君に教わり、藤本君(彼は、藤本医院の三男棒)と見に行きましたが、恐ろしくて近くまで行く事も出来ませんでした。どなたか、こんな噂を聞いた方はいませんか。
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