啓心寮

昭和41年6月頃の写真です。
富士見町3丁目33番地それが私の大夕張での最後の住所でした。そのの当時小学生だった私が住んでいたブロック建ての家の土手下に職員の独身寮がありました。
戦後,炭鉱病院の薬剤師としてやってきた私の父はしばらくこの独身寮で過ごしていました。余談ですが,毎日夕食のおかずにニシンが出されるもので,その後すっかりニシンが嫌いになったということです。寮の玄関はこちらとは反対側になり,夕張岳の方を向いていました。玄関側には道路にそって高い木が何本も立っていて,いつも薄暗かったような気がします。小学生だった私は下に見えるテニスコートの跡地で,夏は,昆虫採集や,ボール遊び,冬は基地を作って遊んでいました。

【啓心寮】  和田 彬さん (’97.6.22)

写真の昭和41年に九州からの転勤で、結婚までの3ヶ月ほど啓心寮に住んでいました。
たいへん懐かしく拝見しました。私はホッケの煮付けが苦手で半年ほど結婚を早めました。
長男は炭坑病院で誕生し、南部を合わせると約9年大夕張で過ごしました。
この秋頃にはもう一度訪ねてみたいと思っています。     

啓心寮の跡地
(平成9年6月22日)

 この写真は土手の上から写したものですが,かつての面影がまったくありません。
 閉山後の早い時期から植林されたのでしょうが,木々が等間隔に植えられて高く育っていました。わずかに中央の辺りにかつてのテニスコートがあったことを思い出させてくれるようです。森へ戻す作業が進んでいたことをうかがわせます。

 


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