(昭和30年頃)
大夕張炭山駅の西隣に砿業所へのゲートがありました。子どもの頃,この近くに防空壕の跡だったか,地下に隠れるようなコンクリート製の施設があり,そこに入った記憶が今でも残っています。子どもの頃,この建物へのゲートから先がずいぶん遠い世界のように感じられました。大人の人が働く場所,遊びでは行けないところ,そんな感じでした。そのため,このゲートから先へはほとんど入ったことがありませんでした。
砿業所の向かい,炭山駅の向かいにもなりますが,小さな沢があり,石の川原が広がっていました。川遊びにとてもいい場所で,その頃,富士見町6丁目に住んでいた私は,天気のいい日には木製の船を浮かべて遊んだりしました。昆虫もよく採れるところで,ここには,よくオニヤンマ,ギンヤンマ,アゲハチョウ,カラスアゲハといった子どもの私にとっては,大物を手に入れることのできる場所でもありました。
(1)【経塚あき子】さん
三菱大夕張炭鉱が閉山された年に生まれました。
スペインのピカソが亡くなった年です。国際連合でピカソが活動されていた頃鳩の絵を持っています。
昭和30年というと知理真志保さんが生きていらっしゃる時ですが(昭和36年没)炭鉱は大忙しだったのだという感じがしました。
炭鉱が1000カラットのダイヤモンドに見えます。
明治4年のお話、北の零年の映画を見ようと思います。
( 2006/12/10(Sun) 11:07)
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