(昭和32年頃 ) @@画像をクリックすると拡大表示されます@@
昭和33年6月に,鹿島小学校の鉄筋校舎ができたので,この写真は昭和32年頃だと思います。大夕張神社からの写真。鹿島小のグラウンドに新校舎建設工事のための資材がつまれています。大夕張駅のホームがよく見えます。中央に緑町の浴場と,理髪店があります。このころは,まだ,道路も舗装されていなかったようです。
涼風ふく緑町あと(平成10年初夏)
緑町2丁目と3丁目の間の道路に立ち,弥生町方面にカメラを向けて取った写真です。
初夏の快い風の吹く6月。
駅前通りの方から,シューパロ川の方へゆっくり歩いてみました。かつての道路だったところは,ルピナスの花咲く道の跡になっていました。
人が去り,建物も重機による取り壊しが進み,街はほんとに静かになっていました。
草の中に,瓦礫の跡を見つけました。冷蔵庫が茶色くさびついて,ころがっていました。そして,黒い石炭がいまだにころがっていました。かつての生活の跡を感じさせます。記憶を辿り深い草をかき分け通りの外れのシューパロ川が見下ろせるところまで出ました。ここから崖にそって下に降りる細い坂道があり,その道の先は岳富町の加川写真館裏に出ていたはずです。
ずいぶん急な坂道だったんだなあ,というのが,少年時代からおよそ30年の時を隔て,たどり着いた印象でした。遥か眼下をシューパロ川が静かに流れていました。
かつての駅前通りにでると,巨大な重機がおいてあり,そのそばに出来たばかりの真白い瓦礫の山がありました。大夕張生協のたっていたところでした。
20数年前,数多くの破壊があり,その傷口を緑の草木が覆い隠しました。そしてまた,わずかに残る建物がとどめをさされるように,無残な廃墟と化しています。こんどは,それを青い水のベールがすべて覆うのでしょう。
一人でいると複雑な思いにとらわれ,地面に伏し,大地のぬくもりを感じていました。この感触を決して忘れたくありませんでした。
<緑町からシューパロ川を見下ろす。 道の跡は,確かにここからまだ続いていた。>→ |