暁 橋 

(昭和40年代 ) @@画像をクリックすると拡大表示されます@@            千年町から暁橋におりる急ながけの道


左の写真をみると中学一年生の通学の風景がまざまざと浮かんできます。飲み屋さんのいっぱい入ったサトミ会館の横をまっすぐ行くと,急ながけに出ます。そこから暁橋に降りていく急ながけ。暁橋の下をみると,板の節目や隙間からは泥色をしたシューパロ川の流れが見えます。そこをわたりきると常磐町でした。中学一年の登校途中,やんちゃな上級生がこの橋をよく揺らしました。吊り橋でしたからよく揺れます。私はこの橋の手すりにつかまって青い顔をして,ようやく渡り終えた苦い思い出が真っ先に浮かんできます。本当に橋が落ちるのではという気がして,私はこの橋はあまり好きではありませんでした。やはり危険な橋だったのか,そのうち通学路としては通行禁止になったように思います。しかし,鹿島東小の前を通り,常盤橋を通るよりもかなり近くなるので,その後も時々使っていたものです。
左の写真の位置で暁橋の上空の青い空の一点に私は銀色に光るUFOをみた。いまでは,飛行機のみまちがいかとも思うのですが(そう言えば大夕張上空は航空路の真下にあたっていました),その当時は本当に,「見た!」と思ったのでした。


思い出を語る

ふるさと大夕張へ


暁橋あと (平成9年10月19日)

左の写真と同じ位置に立ってうつしたつもりですが,橋のあとをここに見つけることはまったく不可能でした。中学生の頃は,常磐町の道路からシューパロ川がすぐ近くを流れていて,いつもその流れや流れの音を聞きながら歩いていたように思っていたのですが,ここを訪ねた時は,意外にも川が道路より遠く感じました。道路と川の間を遮る樹木が覆い茂っていたせいでしょうか。大人になって川に対する親近感を失ったせいでしょうか。
高台にある千才町の住宅や急な斜面についた道がかつて見えたはずで,この場に立った時,まっさきにその景色を見出そうとしましたが,すぐにあきらめました。

下の写真は,左の写真のちょうど向かい側にあたります。橋からまっすぐこの道を行くと鹿島中学に行くには一番の近道だったのです。かつての道の跡が確かめることができましたが,自動車の方向転換の場として使われているような感じで5,6メートル先から道路は,草原の中へ消えていました。