購買会支所と栄町アパート

 (97/11/25更新)
(昭和48年 閉山直後 ) @@画像をクリックすると拡大表示されます@@


この写真の構図は私にとってはとてもなじみ深いものです。私の住んでいた富士見町から父親の勤務する炭鉱病院の方へ踏み切りを渡って右手をみるとこのように見えるのです。右手に見えるのが三菱購買会の栄町支所。小さい頃,親にお使いを頼まれるといつもここに買い物に来ていました。購買会支所のすぐ向こう側にも富士見町と栄町をつなぐ道があり,私の『お遣いの道』となっていました。夏の夜,お遣いにくると,途中の暗い街灯と,光に集まる虫,笠のついた電灯に照らされた狭い店内を思い出します。左手の栄町アパートには同級生などもたくさん住んでいました。奥には大夕張で買い物をするには,一番大きく,品物もそろっていた三菱購買会が見えています。ここが買い物の中心でした。


思い出を語る

ふるさと大夕張へ


現在の同じ場所 (平成9年8月13日)

 

 右手の購買会,左手の栄町アパート,奥の購買会,すべてなくなっています。人のいなくなりつつある今も新しくきれいな道路だけが何かむなしい感じがします。

 

 



 

 

購買会栄町支所跡(平成9年8月13日)とかつての『お使いの道』

かつてのお使いの道は,残っていました。富士見町と栄町を結ぶなつかしい道路です。栄町から富士見町3
丁目のあたりを見たところです。右手の細い木が立っているあたりに,購買会があったのではないでしょうか。
富士見町の家も数件,ポツンポツンと残るだけになってしまいました。
この道のすぐ先に踏み切りがあり,三菱大夕張鉄道が走っていました。この踏み切りのあたりで,小さい頃,よく線路に耳をあて,汽車の「カタン,カタン」という車輪の音を聞いていました。また,小さい石を置いて汽車がそれをはじいていくのが面白く,置き石をしていて,列車の機関士さんに石炭の雨を降らされたのもここ。
大夕張駅を出た汽車が必ず警笛を鳴らすのもこの場所で,友達と自転車にまたがり,近づく列車を見物していたのもこの場所でした。