(昭和40年代)@@画像をクリックすると拡大表示されます@@
【岳富町商店街と私】
岳富町はゆるやかな窪地に沿って商店が立ち並んでいました。小学生の頃,夢中だったプラモデルを求めて,中ほどにあった玩具屋(田村模型店っていったかな?銀髪の年配のおじさんがいました)に買い物にきました。加川スタヂオが中間くらいのところにありました。当時から素敵な建物で周囲の画一的な似たような造作ではなく前面に庭を配し写真館らしい個性的な建物でした。小学校の学級写真といえば加川さんがきてくれていました。現在も建物自体は古くなったものの御主人の加川さんも元気で,先日大夕張を取り上げたNHKの番組の中で取り上げられていました。やや緑町よりのところには自転車屋さんもあったと思います。武田自転車店といったでしょうか。四角い顔に黒ぶちの眼鏡をかけ,いつも白いつなぎの作業衣を身につけたおじさんの姿を思い出します。パンクなどの修理の時にはここでお世話になっていました。中学生になってからは,登下校の時に楽器店の前にはってあったレコードのジャケットや広告を眺めることが,新譜の貴重な情報源になっていました。手前にあった小田桐履き物店は店の思い出は特にありませんが,小学校中学校 を通して同級生に娘さんがいました。色白でほっそりとしたきれいな娘さんでした。今はどうしているのでしょうか。
【岳富町の坂】 真田 裕一 さん (99.2.18)
先頃アップされた、「昼下がりの駅前」と、「緑町から岳富町方面」の写真、
ひときわ嬉しく拝見させてもらっています。
どちらも昭和40年代ということで、僕が小学生の時分です。
自転車のパンクをよく直してもらった岳富町の自転車屋さんとか、3日遅れ
くらいで入荷する漫画雑誌(少年ジャンプ)を買いに行った本屋さんとか
思い出されます。
ふたつとも、いつもよく見ていた風景だけに、懐かしさで一杯です。
岳富町の坂道は、よく自転車で猛スピードで駆け下りた道路でした。
日曜日の昼下がりなどは、父の乗る自転車とよくすれ違ったものでした。
この写真にも、自転車に乗った人が写っていますので、もしかして父では
ないかと目を凝らして見てしまいました。(^^;
この写真のアングルから、坂道を駆け下り、また少し登ると、宝町の風呂屋
がありました。これが頻繁に壊れて休業する風呂屋で、そのたびに富士見町
(だと思う)の風呂屋まで自転車で通ったのでした。結構遠いのですよ。
ふたつとも、僕の小学生時代の思い出そのもののような光景です。
【平成9年 夏】
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