洗脳からの脱却

貴方は洗脳されているのでは有りませんか?
最近私達の身の回りで洗脳という言葉が日常的に使われるようになってきています。
100年ちょっと前の日本人の髪型はちょんまげで前の方から頭頂部までそり上げており現代人と比べて
薄毛について悩むという事は少なかったのではないかと思われます。
大昔から西洋人の方が日本人よりも髪型で悩む機会が多かったのではないかと想像されますが、彼らは
日本人のように薄毛に対して神経質ではありません。
彼らは薄毛は加齢やいろんな原因で起きるものであるという認識が当たり前になっており、
薄毛自体が日本のように哄笑・嘲笑の対照として一般的ではないような環境にあります。
世界的な視野に立てばこのような環境こそが普通であって、日本の薄毛についての認識という物自体が
普通ではないと思われます。
それではなぜ私達は髪の毛が薄いと恥ずかしく思ったり劣等感を持ったり悩んだりするのでしょう。
これは長い長い年月をかけた業界の企業戦略によって
「薄毛=なにかしら劣っているもの・恥ずかしいもの」
というような認識が世間一般にうえつけられたからに他なりません。
かつてカツラの宣伝はほとんどが薄毛の男が困ったような顔をしている写真と
カツラをつけた同じ男が笑みを浮かべているようなものばかりでした。
この写真広告の中にはあきらかに「薄毛=なにかしら劣っているもの・恥ずかしいもの」という意図があります。
さすがに広告について昔と比べて厳しくなってきている昨今、以前のような露骨なものは少なくなって
いますがここまで大衆にイメージを植え付けてしまえば後は暗示にかけられた人々が悩み、彼らの元を
訪れるのを待ち不安を煽りたててカタにはめていけばいいだけなのです。
髪の毛が薄くなるという事は肉体の変化ではありますが、それが生きるというレベルで髪の毛の機能を
考えた時、そんなに大した問題ではないのです。
ここで問題なのは、多くの外国人が髪の毛が薄くなるという現象を「誰にでも起きる可能性のある事」
としてとらえ髪の毛が薄くなった自分自身をも許容できるという価値観を持ち合わせている
のに対して、日本人の場合は過度に神経質になり、いくつになっても一番髪の毛が有った時期
の自分自身と比較しそこから変化していく自分の肉体に恐れおののき髪の毛を維持しなければならない
というような義務感や強迫観念に取り付かれている傾向があるという事です。
これは業界の洗脳だけではなく国民性も有るのでしょうか。
このようなくだらない価値観や強迫観念は捨てましょう。
言葉で書くと大袈裟ですがほんの少し考え方のスタンスを変えるだけでいいのです。
実際の話、街を歩いていて髪の毛が薄い人を「おかしい」とか「恥ずかしい」とか思って注意してみますか?
今日何人の髪の毛が薄い人に有ったか覚えていますか?
答は多くの人が「NO」でしょう。
人間そんなに他の人の髪形など気にして見てはいないのです。
もし気にして見ているのならばそれは貴方が髪の毛の事で悩んでいるからで、
そうでない人にとってはどうでもいい事なのです。
自分自身を許容し他の事に目をむけるだけで貴方の人生はずっと楽しく有意義になるのに、
髪の毛のことで悩んでサロンに走り悲惨な目に合う人の多い事。
貴方は悩んでいるために、身の回りで起きているいい事に目が行っていないのでは有りませんか?
悩んでいる貴方が食べているものは本当は美味しいものなのでは有りませんか?
悩んでいる貴方は回りの美しい景色を見落としてはいませんか?
悩んでいる貴方は貴方の事を心配して見守っている人の事を忘れているのでは有りませんか?
今、気付かないともう二度とこれらのものに出会う事はないのかもしれませんよ。
人生は楽しくなくては、しかしそのために許容するものも有るのでは有りませんか?
許容できないばかりに貴方は自分の人生を不幸にしているのでは有りませんか?
最後に、洗脳から脱却出来た方からメールが届いているので紹介しておきます。
私も先月まで「かつら」を使ってました。
このHPを見つけたのが昨年秋、
以来いろいろ考え悩み・・・・
着けてるストレス
金銭面
毎月カットに行くたびのしつこいセールス
その他いろいろ
えーい、もうやめよう
いやー、すっきりしました
物理的には勿論、とにかく精神的に開放された感じ。
着けてる間、すっかりネガティブ人間になっていた私。
自分らしさを取り戻したようです。
迷っている人・疑問に思ってる人に
声を大にして言いたい!
気になるのは最初の2・3日だけ
勇気を出して
とにかく気持ちがいい
こんな人の弱みにつけ込んだ悪どい商売はないと思います。
でも、そのスキがあった自分にも非はあるんじゃないかと。
私は「自分らしく、あるがままに」で行こうと思います。
きっかけを与えてくれたこのHPに感謝。


