一瞬の情景

犬(復刻版)

会社からの帰り道、30m程先だろうか犬が自分の方を見て座っている。そのまま歩き続け犬に近寄って行く、まだ自分を見詰めている。さらに進みその犬を横切ろうとする。その犬は自分の歩きに合わせて首を曲げ自分を目で追う。自分も首を犬の方に首を曲げ見ていたが真横まで来ていい加減首がきつくなり正面に戻した。(ふと噛み付かれるのではないかと不安がよぎる)100m程歩き角を曲がる次いでに犬の居た方にまた目をやる、まだこっちを見ている。あの犬は自分に何か用でもあったのだろうか。


金魚(復刻版)

プラカードを持った集団がいる。プラカードには「金魚傭兵組合」と書かれている。そこへ別の集団がやって来た、その集団の手には「動物愛護団体」と書かれたプラカードが握られている。
金魚「金魚にも国民保険を!年金増額ー!」
愛護「君達、なにも人間の為に働かなくてもいいんだよ」
金魚「へ?、お金の為だよ、もう一度言うよ、お・か・ねっ」
愛護「じゃぁ、君達に高級金魚鉢を進呈するから」
金魚達はそのパクパクさせていた口をしばらく開いたままにしていたがやがて何事もなかったように、
金魚「あ、もうこんな時間だよ、後防衛庁と厚生省も回らなきゃ、」「金魚にも国民保険を!」
金魚も高給取りになったものです。


仕事の帰り最終の新幹線の窓から外をぼんやり見つめる。外ではビル達がゆっくり流れていく中、時折物凄い速さで近くのビルが走って行く。あるビルのフロアに一瞬目が止まる。こうこうと蛍光燈が灯ったフロアには書類とファイルの間を昼間と同じに忙しなく動き回る人たちが居た。どこでも同じなんだな・・・。


屋台

毎日通る帰り道にラーメンの屋台があった。そこはガードレールで仕切られた歩道だったが、丁度道がカーブになっていて車が3台程置ける広さがあり仕事帰りの会社員やカップルやらいつも誰かしら客が入っていた。いつも今度食べに行こうと思っていた。しかしある日いつものあるはずの場所にその屋台はなかった、そしてその日を境に2度とそこに屋台は現われなかった。まるでその屋台もそこに居た客達も始めから存在してなかったかのように。


会社

たまたま近くまで来たから昔勤めていた会社の前まで行ってみた。建物は少し古ぼけただろうか、看板は新しくなっていたが昔とあまり変わっていないようだった。だが窓から見えた中に知っている顔は少なかった。きっともう一時も経ては全員知らない人に代わっているだろう。自分が勤めていた時にはもう既にそうだったが、創業時の理念や夢などとうに忘れられ会社の看板だけが脈々と受け継がれていく。そのうち社名すら変わるかもしれない、そしてこの会社が何をやってきたのかも人の記憶の奥の方に追いやられやがて消えていく。今日も目の前の仕事を一生懸命こなしていくのだろう、この会社の存在理由なんか考えてる暇もなく。


夏(復刻版)

外ではけたたましくも透き通った蝉の鳴き声がし、隣の部屋からは微かに甲子園の声援がもれてくる。それを、涼しい風が吹き抜ける畳の部屋でごろんと横になりながらぼんやりと聴く。こんな瞬間が一生のうちに何回あるだろう。


宛先のない手紙

お元気ですか?、今はどこでどうしてるんでしょうね。あなたは自分の目が好きだと言いましたね、あなたは自分にずっと変わらないでねと言いましたね。今の自分をあなたが見たらなんと言うでしょう。あれから随分時は経ってしまいました。


6時

なんだか随分長いこと寝ていたような気がする。
今何時ごろだろうか、寝たのは確か夕方の6時より少し前、窓の方を見てみる。薄暗い。
朝まで寝てしまったのだろうか、、
時計に目をやる、だがその壁掛け時計では午前か午後か知る事は出来なかった。
耳を澄ましてみる、静寂どころか時さえ止まってしまったように何も聞こえない。
少し焦ってきた、何故12時間もの違いがわからないのか。
窓の外の空を覗いた、うまい具合に曇り全天一色で太陽の位置も見当つかない。
テレビをつけてみるが、いつもやっているニュースばかりだった。
時報に電話を掛けてみようかと思ったが止めた。そこまでしないと判らないのなら判らないでいい、きっと今日は休日だ。


永遠

そう、永遠に続くと思っていた。
いつかこの日が来る事はわかっていた。しかし月日が経つにつれ、いつしかこのまま永遠に続くようなような気がしていた、そう思いたかった。だがその日は突然来た。
そこにはいつもと変わらない光景があった、ただあいつがいないだけ。
もう時間に遅れて怒ることも、もうあいつが電話にでる事もない。。
もうすぐ1日が始まる、何も変わらないふりをした1日が。そしてこの1日がやがていつもの1日に取って代わって行くだろう。
携帯のメモリにもうかからない番号だけが残っている。


あれはまだ寒さは残っていたけど暦の上では春になり丁度卒業のシーズンの頃、あるヒット曲がいたるところで流れていた。たださっきから思いだそうとしているのですが、どうしても思い出せないのです。これは今年の事なのか、去年の事だったのか、それともそれより前の事だったのか。。。とっても好きな曲だったのに。


遠い夏

背中に汗がつたうのを感じながら道路を歩く。耳には街路樹に身を隠した蝉の軍団の鳴声が突き刺さるように入る。暑い…なんかそんな気がして、そうか夏なんだと他人事のように思い出す。しかし完璧な仮想現実の中にいるかのように何かが違う…、微かな遠い夏の記憶だけが自分をつなぎ留める。


ある日の夢

その1

会社の子がナイフを持って立っている、自殺しようとしているのかは頭の中で直ぐに分かった。慌ててその子の両手首をつかんで押さえて間に合ったかと思ったその時、その子はプロの様に手の中でナイフをくるりと回し持ち替え手首をつかんでいる自分の手に切り付けてきた。それでひるんだところで更に左肩を続けて切り付けられた。今度は素直に死なせて上げよう(笑)。


その2

また目が覚めた、もう何回目だろう。さっきから夢と夢から覚めた夢との間を行ったり来たりしている。流石に最初は夢から覚めた夢の時は本当に覚めたと思っていたが2,3度となると様子が変なのに気が付く。まず物の存在ははっきりしているのだが、どうも輪郭がぼやけて識別を拒否する。次に登場人物に質問をしてみるがこれがまた要領を得ない、ここに至ってこれは夢なんだと確信した。でも後から考えてみると確信に至るまでも元々そういう夢だったに違いない、何故なら見るのも見せるのも聞くのも答えるのも自分なのだから。


その3

やはりそうか、業績不振で会社が吸収合併される事になった。だが新会社に採用されるのは半数、案の上自分はその中に入っていなかった。嬉しいような悲しいような、別にいつクビになっても構わないと思っていたがあらためてその場面に出会うと複雑な気分がする。ふと見ると2次募集の書類を配っているとこに列が出来ている、自分も並んでみたが自分の2,3人くらい前で終わってしまった。やはりこの会社には居たいと思わないと言う事だろうか?。


その4

昔は時々正夢をみた。最後に現実化した夢は見知らぬ人達と教室の机にすわっている夢だった。この夢を見た時はとうに社会人になっていてこれは無しだと思っていたが、ネタを明かせば簡単な事だった。資格の試験会場になった教室に居る自分と他の受験生ただそれだけの事だった。いっその事、問題がわかればいいのだがそう言う実益になる正夢は見ないらしい。
実現はしていないが正夢か?と言う夢はあと一つ残っている。それは1階以外の何階かで床が規則的に穴の空いた鉄板になっていた。倉庫と言うより何かの施設と言う雰囲気の建物で自分は逃げていた、誰かと言うよりある事象から逃げていると言う方が近いかもしれない。
これを最後に、正夢と思うものは観ていない。もしかしてこれより先は見るべき現実がないのかもしれない。


独論・独説
根拠は不明です。創作の部分もありますので、真面目に反論などなさらぬように(笑)。

時の経つのは早い

最近時間が経つのが早いねなんて、小学生や中学生だった頃には思わなかった。確かに社会人になってやる事や緊張している時間は格段に増えるが、その時間の速さはあくまでも一日単位での事。今週、今月、今年はあっと言う間だったと思うのは記憶の喪失ではないだろうか。人の脳細胞は20歳付近から増加より死滅が大きく上回り、記憶に影響を与える(正確には定着しないと言ったほうがいいだろう)。インパクとが薄い、重要でない記憶はその占める割合が小さくなり自力で呼び起こす事が難しくなる。そして過去を回想した時に思い出される内容がまばらになり、思い出されなかった部分は存在すら感じない。だから飛び飛びの記憶は時間軸上に直結され一年の時間があたかも一瞬であるかの様に錯覚してしまうのでしょう。


忠臣蔵は題目

忠臣蔵を忠実なドキュメントと思い込んでいる人は多いのではないだろうか。忠臣蔵自体、事件から数十年後に作られた庶民うけを狙った芝居の題目であると言う事を忘れてはいけない。芝居なのはわかっていると言う人もいるだろうが領民想いの名君として語り継がれる吉良が幕府の汚名を代わりにかぶされ悪人のモデルにされたのではたまったものではない、そこで今回は吉良上野介を贔屓見してみる。
松の廊下:浅野内匠頭(浅野長矩)が礼金を出さなかった事に吉良上野介(吉良義央)が腹を立て侮辱した為とされている。仮にこれが本当だとしてみよう。まず礼金だが当時は今の結婚式の祝金のごとく至極当然であった、逆に格下で礼法を教えて貰う立場の浅野内匠頭が礼金をケチったりすれば侮辱に当たる、更に名家ではあったが暖を取る薪に事欠くほど貧しかった吉良上野介にしてみれば礼金の内容は死活問題であった。この上切り付けられるのだから踏んだり蹴ったりとはこの事だ。浅野に対して言えば、その場でカッとなって後先考えず刀を抜くなど一国の君主して優れていると言えるだろうか、また一説には浅野はヒステリーの持ち主だったらしい、刀を抜いてかすり傷しか負わせれない程の興奮状態だったならあながちこの説も正しいかもしれない。
討ち入り:吉良邸の崩れた塀もそのまま、警備の人数も増やしていない。吉良にして見れば自分は被害者で討ち入りされるとは考えなかっただろう、だが周りは知っていたいや陰謀と言ってもよいかもしれない。異例の大名屋敷の僻地への交換、大石内蔵助が一年間豪遊した半端でない大金の出所、何時間もの討ち入りの最中沈黙を守った近隣の大名屋敷、武装した赤穂浪士が討ち入りまでどこに潜んでいたのか、不可解な点は多い。
また、演劇の討ち入りは大立ち回りでチャンバラをしているが、実際は吉良側の大半は寝込みを襲われ戦わずして死んでいったようだ、芝居上はそれなにり刃向かってくれなければ面白くなかったのでしょう。
忠臣蔵(事件の総称として)について謎は尽きないが、吉良が完全悪とは言えないんじゃないでしょうか。


「出来るだけ早く」

よく食品や飲料品に「開封後は出来るだけ早くお食べ下さい」や「なるべく早く・・・」と書かれているが、 どのくらい早ければいいのだろうか。
「出来るだけ」、「なるべく」と書いてるとこを見ると最大限の努力をすればいいとも取れるが、 努力しさえすれば1月、2月掛かってもいいのだろうか。逆に1分で飲める人がゆっくり10分で飲んだとして品質に問題があった場合、努力を怠ったとして責は問えないと言うのだろうか。
多くの人達は常識と言うものでこの災いを避けている。一体誰が身を持って実験したか、一体誰に教えて貰ったのかもわからない常識で。
人の数だけ存在する常識の中には運悪く外れる事もある。そう「運悪く」、人はそう思う。なぜなら口にした時点でその責を自分で背負ったからである。


歴史は繰り返す

人類は同じ過ちを繰り返す、それは記憶が世代を超えて伝わらないからである。
人は過ちを起こした時繰り返さないよう規則を持って将来を律しようとする、しかし世代を重ねる事でまずその規則の理念が欠落し文面のみを捉えその時代背景に都合のいい解釈を始める。 そして解釈だけでは逃れなくなるとその規則を邪魔にし無力化しようとする。
それはそうであるそもそも自らを律する法なのだから、その精神の無い者にとってみれば行動を規制させられる障害物以外のなにものでもない。またそれは1人1人の個人のレベルで忘れると言う事でも同じである。
世代が移り記憶の伝播者が少数派に転じると知識としてはわかっていても、軽視したり疎んじたりするようになる。それに危機感を持った伝播者達は声を張り上げるようになるが、普通な人々にはそれが異端に見えその精神さえも異質なイメージを持つ。
人類とは皮肉な事にその時代時代で最適と思われる判断をしていく事で自然に過去を繰り返してしまう生物なのかもしれない。


ハイテクと幽霊

物理的に人間に見えるなら写真にビデオに何か写ってるとかはありえるかもしれない。しかし、携帯に着信とかテレビに割込んで映ると言うのはどうだろうか。
携帯についての考察:300MHz帯の特定の周波数・識別子・プロトコル手順にしたがって発信しているとは考えにくい、同じように携帯に直接作用してというのも殆どがCPU制御のなか回路の一部に電気を発生させるなど出来たとしても精々ランプを点けるくらいのものである。もしCPUを含めた回路を自由自在に制御出来るのならハイテクの神様と言っていいだろう。 それよりかまだ人間に作用して幻影をみせるほうが現実的(?)かもしれない。一番原始的で簡単なのは他の普通の携帯を拝借して非通知でコソコソ発信する事だが・・・。
テレビについての考察:これも携帯と同じように特定の周波数で音声信号・画像信号・水平/垂直同期信号など合成してテレビに入力するのはイメージ的能力では考えにくい。やはり人間に直接作用と言う方法が有力だがテレビの場合、外からブラウン管に画像状の電子エネルギーを放射する事が出来ればある程度の画像は作られると思う。また単に空間に映像を作り出すことが可能であればテレビ機能を使わずに単に位置としてブラウン管前に映像を出すと言うのも手ではあるがテレビ画面がついていればかなり識別は難しであろう。
結論としてやはり将来的な媒体への追従性やイメージ的エネルギー源とするなら人間への直接作用が一番有力と考える。


科学

その物に名前を付け、性質を観測し、構造と構成物質を明らかにする。そしてまたその構成物質に名前を付け、性質を観測し、さらにその構成物質に分解する。またその観測した性質を利用し物を作る。 しかしその物自体が何か、その性質が何かは実は分かっていない。つまり更に細かく分解できなくなった時が科学の限界となる。その科学の限界に気づいた科学者達の中には哲学に解を求める者も少なくないが、私は何か別な科学があるような気がしてなりません。 みなさん、何か足りないと思いませんか?


これより先は工事中につき立ち入り禁止です。
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