平成18年3月17日 文化庁 国宝・重要文化財(美術工芸品)の新指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について 中略 <歴史資料の部> 銀板写真(松前勘解由と従者像) エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影 一枚 一八五四年 大きさ:縦15.3p横12.0p 所有者:北海道松前郡松前町(松前町郷土資料館保管) 銀板写真は仏人ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって1830年代に発明された写真術で、彼の名前をとってダゲレオタイプともいう。この写真は直接陽画法のため一撮影で一枚の画像しか得られず、しかも左右逆像である。撮影者のエリファレット・ブラウン・ジュニアは嘉永7年(1854)に再来航した遣日特使ペリー配下の写真師である。本資料は彼の撮影にかかる松前勘解由と従者三人の集合写真である。被写体である松前勘解由は、嘉永7年の撮影時、松前藩の家老で、箱館においてペリーとの諸交渉にあたった。画像は鮮明さを欠く。右下にブラウン・ジュニアの刻銘がある。本資料は写真技術の黎明を飾るダゲレオタイプの技術により、外国人が日本国内で日本人を撮影した現存最古の写真の一枚であり、幕末開港交渉という歴史上に重要な事象を跡づける遺品として、対外交渉史及び写真史上に貴重である。 江戸時代嘉永7年 銀板写真(田中光儀像) エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影 一枚 一八五四年 大きさ:縦11.8p横9.3p 所有者: 個人 銀板写真は仏人ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって1830年代に発明された写真術で、彼の名前をとってダゲレオタイプともいう。この写真は直接陽画法のため一撮影で一枚の画像しか得られず、しかも左右逆像である。本資料は、幕末に来航したペリー配下の写真師エリファレット・ブラウン・ジュニアの撮影にかかる銀板写真で、田中光儀の全身像である。被写体である田中光儀は嘉永7年(1854)の撮影時、浦賀奉行所与力としてペリーとの諸交渉にあたった。銀板写真の画像は鮮明である。右下にブラウン・ジュニアの刻銘がある。本資料は写真技術の黎明を飾るダゲレオタイプの技術により、外国人が日本国内で日本人を撮影した現存最古の写真の一枚であり、幕末開港交渉という歴史上に重要な事象を跡づける遺品として対外交渉史及び写真史上に貴重である。 江戸時代嘉永7年 銀板写真(黒川嘉兵衛像) エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影 一枚 一八五四年 大きさ:縦15.4p横12.0p 所有者:個人 銀板写真は仏人ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって1830年代に発明された写真術で、彼の名前をとってダゲレオタイプともいう。この写真は直接陽画法のため一撮影で一枚の画像しか得られず、しかも左右逆像である。本資料は、幕末に来航したペリー配下の写真師エリファレット・ブラウン・ジュニアの撮影にかかる銀板写真で、黒川嘉兵衛の半身像である。被写体である黒川嘉兵衛は、嘉永7年(1854)の撮影時、浦賀奉行支配組頭としてぺリーとの諸交渉にあたった。 銀板写真の画像は鮮明である。左下にブラウン・ジュニアの刻銘がある。本資料は写真技術の黎明を飾るダゲレオタイプの技術により、外国人が日本国内で日本人を撮影した現存最古の写真の一枚であり、幕末開港交渉という歴史上に重要な事象を跡づける遺品として、対外交渉史及び写真史上に貴重である。 江戸時代嘉永7年 銀板写真(遠藤又左衛門と従者像) エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影 一枚 一八五四年 大きさ:縦15.4p横12.0p 所有者:神奈川県横浜市(横浜美術館保管) 銀板写真は仏人ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって1830年代に発明された写真術で、彼の名前をとってダゲレオタイプともいう。この写真は直接陽画法のため一撮影で一枚の画像しか得られず、しかも左右逆像である。本資料は、幕末に来航したペリー配下の写真師エリファレット・ブラウン・ジュニアの撮影にかかる銀板写真で、遠藤又左衛門と従者二人の集合写真である。被写体である遠藤又左衛門は松前藩士で、嘉永7年(1854)の撮影時、箱館でペリーとの諸交渉にあたった。銀板写真の画像は鮮明で、襟や刀の位置が正しい又左衛門と、その位置が逆である従者との対比によって左右逆像となる銀板写真の特徴を知る。右下にブラウン・ジュニアの刻銘がある。本資料は写真技術の黎明を飾るダゲレオタイプの技術により、外国人が日本国内で日本人を撮影した現存最古の写真の一枚であり、幕末開港交渉という歴史上に重要な事象を跡づける遺品として、対外交渉史及び写真史上に貴重である。 江戸時代嘉永7年 銀板写真(石塚官蔵と従者像) エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影 一枚 一八五四年 大きさ:縦15.4p横12.3p 所有者:個人 銀板写真は仏人ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって1830年代に発明された写真術で、彼の名前をとってダゲレオタイプともいう。この写真は直接陽画法のため一撮影で一枚の画像しか得られず、しかも左右逆像である。本資料は、幕末に来航したペリー配下の写真師エリファレット・ブラウン・ジュニアの撮影にかかる銀板写真で、石塚官蔵と従者三人の集合写真である。被写体である石塚官蔵は松前藩士で嘉永7年1854 の撮影時箱館でペリーとの諸交渉にあたった。 画像はきわめて不鮮明であるが、劣化進行以前に作成された複製によりその画像を知ることができる。右下にブラウン・ジュニアの刻銘がある。本資料は写真技術の黎明を飾るダゲレオタイプの技術により、外国人が日本国内で日本人を撮影した現存最古の写真の一枚であり、幕末開港交渉という歴史上に重要な事象を跡づける遺品として対外交渉史及び写真史上に貴重である。 江戸時代嘉永7年 |