Rokuoh-Sha |
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Konishihonten Cherry Cmera | |||
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軽便写真器と児童用教育カメラについて |
ブリタニア零番 |
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明治二十一年、二年のころ、東京・日本橋人形町のあたりに有田商店という店があった。この店主は、なかなか商才にたけた人で、 当時ようやく盛んになろうとする写真熱に眼をつけて、軽便写真器という粗末なカメラを発売した。小西、浅沼の店頭に並ぶ写真機
を高嶺の花とながめていた人々はこの安カメラに殺到し、たちまち門前市をなす活況を呈した。これに刺激されて、日本橋田所町の(注.東京市日本橋区人形町通田所町18番地、写真器械問屋東京冩眞館)や京橋新富町の内藤政愛商店でも一組三円五〇銭ぐらいの軽便写真器をまた大阪でも、西区京町上通りの扶桑商会
が一組一円二○銭のもの(ブリタニア零番と考えられる)を発売して写真趣味の普及に大いに貢献したのである。しかし、軽便写真器はあまりにもお粗末であった ため、せっかく育てた写真趣味の芽ばえをそこなう恐れもあった。いままで写真師や比較的高い社会層ばかりを営業の対象としてきた小西本店も、新しい需要層を無視できなくなった。こうして
生まれたのが、明治三十六年九月に発売された教育用写真器械「チェリー手提暗函」であった。木製革張ボックス型、名刺サイズ レンズは単玉、シャッターはT・I。種板は乾板で、撮影のつど次々に前に倒れて交換される、いわゆる乾板倒置式で、取枠は使
わない(ブリキ製の簡易片面取枠に乾板を入れる方式と考えられる。6枚を仕込む)。価格は二円五〇銭。なお「チェリーカメラ」は、小西本店製カメラでは、はじめて固有名称をつけたカメラである。 [小西六写真工業株式会社刊 写真とともに百年より引用] |
ブリタニア零番(零番は乾板サイズ)は児童向け簡易練習カメラでありシャッターが付いておらず、レンズキャップにより露出の加減をした。また1枚撮りであった。1900年(明治33年)頃、英、独国で児童用教育カメラが流行し、 小西は英 ブッチャー社の児童教育用カメラであるリトルニッパー及び同社の旅行用手提暗函ミッグ(Midg)を模しての国産化に着手した。(小西は当時、 英 ブッチャー社のカメラ、レンズを輸入販売していた)。明治36年9月、リトルニッパーを模したチェリーカメラ1號(名刺判)を発売、続いて明治37年1月に同じく英 ブッチャー社の手提暗函を模したチェリーカメラ2號(名刺判) 3號(手札判)を発売した。2號3號は回転絞り(3つの絞り穴がある)を備えた児童から大人向けの製品であった。チェリー1號は1907年(明治40年)頃に販売を終え、チェリー2號3號はミニマムアイデアとともに大正9年頃まで販売された。 |
カメラ名 | 乾板 | 暗箱 | レンズ周り | 乾板仕込 | 価額 |
プリマー | 普通名刺判 | ブリキ | 単玉 クロスコープ式シャッターT・I (ニッケル鏡胴) | 1枚 | 二円 |
リトルニッパー | 普通名刺判 | ブリキ | 単玉 クロスコープ式シャッターT・I (ニッケル鏡胴) | 6枚 | 三円 |
チェリー 1號 | 普通名刺判 | 単玉 クロスコープ式シャッターT・I (ニッケル鏡胴) | 6枚 | 二円 | |
チェリー 2號 | 普通名刺判 | 木製 | 単玉 シャッターT・I 絞り大中小 | 6枚 | 二円50銭 |
チェリー 3號 | 手札判 | 木製 | 単玉 シャッターT・I 絞り大中小 | 6枚 | 三円90銭 |
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チェリー1號のレンズ周りはニッケル鏡胴にクロスコープ式の軽便シャッター、単玉を収めたものであり、ニッパーやプリマーと同様のものを輸入し、久保工場において自製暗箱と組みあげた。Goerz
社製の真鍮鏡胴にペッツヴァール氏設計の風景用レンズ〈色消し単玉)とシャッターを組み込んだChoroskop鏡玉を小西本店は明治30年頃から輸入販売している。クロスコープ鏡玉は7円80銭、チェリー手提暗箱2円である。 |
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左写真 STAR CAMERAの内部。小西本店の大阪の販路であった上田写真機店のスターカメラの断面の寸法はチェリー1號と同一であり 内部の金属金具の構造、寸法も同じと推定される。 下写真 左写真の乾板シースの反対の面(左のシースは乾板を挿入した状態)。上部の切込みが異なる2種のシースを互違いに暗箱に収める。 |
リトルニッパー1號は名刺判、2號は手札判で、1號を模してチェリー1號は製造された。英 ブッチャー社は独国のイカ社の前身である会社のカメラを自社ブランドで販売していた。リトルニッパーも
独 ヘルマン社が製造したものをブッチャー社が販売していたと考えられる。 チェリー1號の手本となったリトルニッパー(独 ヘルマン社製造)はグノムと同様のカメラである 明治36年9月発売チェリー1號の手本となったカメラは独 ヘルマン社で造られ 英 ブッチャー社が販売した児童用教育カメラ・リトルニッパー2號である。リトルニッパーはボデーが鉄(ブリキ)であったが、これを模して作られたチェリー1號のボデーはチェリー1號は板厚0.65cm(現存するチェリー2號、3號の板厚と同じと考えて) の木製暗箱であった。外寸はリトルニッパー2號が縦4寸横2寸3分奥行き4寸3分でありチェリー1號が縦4寸横2寸4分奥行き4寸2分と上田写真機店(小西本店の卸・小売店)の目録にあり同じ大きさである。リトルニッパー2號は大陸判乾板6cm×9cmを使用したが、チェリー1號は木の板厚により内部が狭くなり大陸判乾板四分一判は入らず、本邦で主流であった英国判乾板普通名刺判5.3cm×8.3cmを使用した。(当時の乾板の寸法には大陸判と英国判の二種があって、わが国では英国判が使われていたので大陸判は東京、大阪の写真器械材料商店でしか買えなかった。それ故大陸判の写真機は英国式に改造するとか、中枠を用いて一回り小型の英国判乾板を使うよう細工していた。) またリトルニッパーの暗箱の乾板を出し入れする後蓋は菓子のブリキ缶様のプレス成型の嵌め合い式だが、チェリー1號はチェリー2號3號と同様に蝶番で開閉する仕掛けと考えられる。(ただし小西のチェリー1號の木版図像にはそれがうかがえない) さて、上田写真機店は明治42年に「改良新式ニッパー懐中写真機」を発売したが、このカメラは木製ボデーであり、当時本邦で主流であった英国式名刺判乾板サイズであった。上田写真機店の自社製造カメラを改良ニッパーカメラとして販売したものであり、その際小西の木製暗箱・英国式乾板サイズのチェリー1號を参考にしているとおもわれる。また大正時代には、この改良新式ニッパーのデザインを改変して上田写真機店独自のリトルニッパー(スターカメラ)、同店製チェリーカメラ(スターチェリー)を発売している。 |
上田写真機店のスターカメラはリトルニッパ−名でも販売された。 |
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明治40年 | 上田写真機店 | |||
ニッパー1號 | 乾板サイズ 4.5cm× 6 cm | 2円 | 輸入品 | |
ニッパー2號 | 乾板サイズ 6 cm× 9 cm | 3円 | 輸入品 | |
明治42年 | 上田写真機店 | |||
新ニッパー1號 | 乾板サイズ 4.1cm× 5.3cm | 1円50銭 | 上田製 | |
新ニッパー2號 | 乾板サイズ 5.3cm× 8.3cm | 2円 | 上田製 |
小西本店のチェリーは大阪の上田写真機店、扶桑商会の目録に教育用簡易カメラとして舶来のブリタニア零番、プリマー、ニッパーとともに載っている。 |
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明治39年9月 「簡易写真術」 扶桑商会写真部編 |
明治40年4月 「最新写真機 第二編」 上田写真機店 |
チェリー2號手提暗函〈名刺判) | チェリー 3號手提暗函〈手札判) |
チェリーの銘 チェリー2號名刺判には真鍮エッチングの銘板がボデー前面下に取り付けてありCHERRY CAMERAと表記されている。チェリー3號手札判には皮に直接エンボスがあり、桜の花が2つ上に添えられた縁取りの内にCHERRY CAMERAと刻してある。 シャッター周り シャッターは暗箱内の仕切り板内にありブリキ製の横走り式。 はじめのころのチェリーはT・I シャッターの切替えレバーが向かって左側で下にあるシャッター周りに保護プレートが付いているが、大正になると切替えレバーが右側となりシャッターの保護プレートはなくなる。 |
小西製教育用(初学者向)カメラ |
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