Rokuoh-Sha

Heliar

1900(明治33年) (独) フォクトレンダー会社  ヘリアー鏡玉 (Heliar)   F4.5  

ハルティング博士はクーク(クック、Cooke)のアナスチグマット(AnastigmatであるTriplet)の凸凹凸の3枚のレンズの前と後の凸レンズを2枚貼合せレンズとすることによりコマ、非点収差をさらに修正できることを認め、この原理によってヘリアー(Heliar)鏡玉を設計した。第1群と第3群はイエナガラス。中央は屈折率の低い珪酸ガラスで作られた両凹レンズで外側のレンズの表面の曲率が強くなるのを防ぎ非点収差、像面彎曲を減じている。正弦条件が満足されておりコマも除かれている。
初期のヘリアー
大正時代、肖像写真用として名声を博したヘリヤー
                                                   大正2年と大正3年の比較参照





第1次世界大戦後のヘリアーはダイナーと同じレンズ配置に変更されている。昭和初期の小西六本店広告


dy

ヘリアー(Heliar)鏡玉に続いてハルティング氏(H.Harting)は1902(明治35年)ダイナー(Dynar)鏡玉 F5.5及び F6 を製造。ヘリアー型の接合レンズの凹と凸を逆の位置としたものである。第1次世界大戦後にフォクトレンダー社が販売したヘリアーのレンズ配置はダイナーと同じになっている。またハルティングはヘリアーとダイナーを折衷したオクシン(Oxyn)鏡玉 F9 及びF15を設計した。前群がヘリアーの構造で、後群がダイナーの同じ構造である。