肉眼における色消しレンズ

1733年(英)ホール(Hall)はフリント硝子とクラウン硝子のレンズを組合せて始めて色消し望遠鏡を作る。1752年ドロンド(Dollond)は別に色消しレンズを発明し、1758年色消し望遠鏡を作る。ドロンドの子ピーター(Peter)は1765年2個の凸レンズと1個のフリント硝子製の凹レンズを組合せた対物レンズを作り多くの良好な望遠鏡を製造したが、フリント硝子は重い鉛と溶解を均等にすることが困難であり、大なるフリント硝子製レンズは作れなかった。そしてスイスの時計師グイナン(Guinand)は当時英国においてのみ製造されきわめて高価であったフリント硝子を入手研究し自ら製造し直径12吋、18吋の均質なフリント硝子レンズを作ることに成功する。グイナンは1804年フラウンホーファーとシュナイダーにそのことを伝え、1820年パリのシュバリエにその技術と製品を見せ、フランスでも屈折望遠鏡の製造が盛んになる。


1820年頃パリのセリーグとシュバリエ(Chevalier)はフリント硝子とクラウン硝子とで作った複合レンズを3ないし4個用いた顕微鏡を発明した。色収差はほとんど修正されたが同じ焦点距離のレンズを用いたため球面収差が残った。1826年リスター(Lister)はシュバリエおよびタルレー(Talley ロンドンの望遠鏡製作者)の対物鏡を比較研究してクラウン硝子の両凸レンズで生じる球面収差をフリント硝子の平凹レンズが補正する能は物体と対物レンズとの距離によって著しく異なり、色消しレンズの平面を前にすると球面集差をよく除くことが出来るという原理を発見し良い顕微鏡製作の基礎を定めた。