1812年、カメラオブスキュラのために考案されたペリスコープ
(英)医家、科学者ウォーラストンは1804年、眼鏡の収差の改善を研究し、はじめてメニスカスレンズを考案しペリスコープ(周囲を見廻すの意)と名付け発表した(風景用レンズの祖)。これを発展させ1812年、カメラオブスキュラ用のペリスコープを発表した。絞りは凸メニスカスの凹面の前に置き、平坦な映画で周辺まで使えるようにした。
クラウンガラス、焦点距離 56cm、レンズの直径 102mm、F8より絞ると良好な像を結ぶ。絞りとレンズとの距離 70mm、第1表面の半径は第2表面の半径の2倍。

またウォーラストンは2個の平凸レンズを絞りをまん中に置き対称に配置した複玉を考案した。(均斎式複玉の祖)


シュタインハイル・ペリスコープ


1865年、シュタインハイルの特許。F15

ペッツバール以後長年の間鏡玉は格別進歩しなかったが、コロジオン湿板法が発明されて従来のダゲレオタイプに比して撮影の手間が軽便になったために、専ら営業写真師のものであった写真術も娯楽家の手に分かれるようになった。その結果として娯楽家向きとして映画の角度が大きく歪曲のない鏡玉が求められようになった。独逸の光学者シュタインハイルはこの要求を満たすために1865年に2個のメニスカスレンズを対称に配置したペリスコープを公表した。色収差があるため焦点を合わせた後焦点板を焦点距離の1/40程前進させて撮影する(ペリスコープが付いた低廉な焦点固定式手提暗箱は取枠を焦点板より少し前方に位置するように造られていた)。歪曲無く他の収差は絞り込むことにより目立たなくした。
この後数年してローデンシュトック社はペリスコープと構造が同一で、焦点板を前進させるかわりに鏡胴を後退させる仕組みのビスチグマット鏡玉を出す。

ペリスコープは色収差があるのでこれを除くために両玉ともに色消しレンズを用いた鏡玉が求められた。1866年(独)シュタインハイルはアプラナートを、(英)ダルメイヤーはラピッドレクチリニアを発表する。




ペリスコープタイプによる試写