精神障害者の犯罪と報道

〜匿名報道と私たちの「知りたい」欲望について〜


重大事件に関わった精神障害者の処遇に関する特別立法への動きが本格化し始めた。マスコミがまたこれを大々的に報道するので,精神障害者=犯罪者予備軍という公式がますます一般の人たちの頭に植え付けられる。もちろん従来の措置入院の制度や,不起訴になった精神障害者のその後のフォロー体制には大きな問題があったと思うし,何らかの制度の整備は必要かもしれない。ただ,もう少し静かにやってもらえないだろうか。どうも池田小学校事件以来,こういう社会防衛的な動きこそが正義であり,それに少しでも異を唱えると,左翼だの人権ヲタだの言われてしまう風潮がある。

私は犯罪者を擁護するつもりは微塵もないし,精神障害者の犯罪が多いとか少ないとかを論じるつもりもない(そんなものは数字の操作でもっていくらでも自分に都合のよい結果を出すことができる)。ただ,「報道」と,それを通じて「知る権利」,これらの持つ加害性を再確認したいだけである。

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私達は,何か出来事があると,それについて「知りたい」という欲求を持つ。その心理学的な起源は様々だろう。出来事によって生じた何らかの不安を,詳しく知ることによって緩和したいのかもしれないし,出来事によって触発された性的な興味に満足を与えたいのかもしれない。出来事によって様々な強い感情が起こり,それを向けるべき対象をはっきり同定したいという欲求かもしれない。いずれにせよ出来事は,それがあいまいであればあいまいであるほど,我々の心の中に「詳しく知りたい」という欲求を起こさせる。これは誰にでもある心理である。好奇心と呼ばれるかもしれないし,探究心と呼ばれるかもしれないし,単なる野次馬根性と呼ばれるものかもしれないが。

「報道」というのは我々のこの欲求に直接応えてくれる,ありがたいものである。我々の「知りたい」という欲求が報道を作り,維持する。たくさんの「知りたい」に応えた報道が儲かり,生き残る。新聞や雑誌の販売部数や,TVの視聴率などはその目安であろう。報道も,それぞれそれなりのポリシーはあるが,結局は商売だから「知りたい」に応えざるを得ない。私達一人一人の「知りたい」が報道を作っているのである。これを忘れてはいけない。

加熱報道による冤罪事件や犯罪加害者の家族の悲惨さなどを例に出すまでもなく,犯罪の報道は報復・処罰的である。加害者のプライバシーだけでなく,加害者の家族や関係者のプライバシーまでもが晒され,どうでもいい細かいことまで厳しく批判される。子供時代にまで遡って,小学校時代の友人とか称する人がひっぱり出され,さもそのころから犯罪傾向があったようなコメントを引き出される。親に謝罪文を要求する。あげくの果てには,親の育て方がどうとか,地域社会がどうとか,大した情報もなしに断罪する精神科医が出てくる*。司会者もゲストもコメンテーターも等しく「正義」に酔い,晒すだけ晒し,罵るのである。これが報復でなくて何であろうか。ひどい場合には被害者までが晒される。プライバシーを様々に曝され,どうして逃げなかったのかとか,そこにいたから悪い,などひどい意見を投げつけられることまである。そして,これら全てが「言論の自由」「報道の自由」「知る権利」ということで正当化されてしまう。
だが,それらを望んでいるのは我々である。それらのプライベートな情報を享受し「知りたい」欲望を満足させているのは我々である。加害者や家族が制裁を受けているのを見て楽しんでいるのは我々なのである。
「報道被害」という言葉があり,この際に通常は「報道者」が加害者であると考えられているが,むしろ加害者は報道者を含む「我々全て」であると考えるべきである。「知りたい」と願った人全てが加害者なのである。我々が報道を通じて「知る」という行為は,「知られる」者にとって侵害的なのである。他人が身に纏ったプライベートな情報を剥ぎ取り,奪う行動なのである。それは限りなく暴力に近い。

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精神障害者が犯罪に関わった場合,匿名で報道されるという原則がある。これは刑法において,精神障害でかつ心神喪失・耗弱の場合は罪を免じるかまたは軽減されることになっているのを受けてのことであるようだ(ということはやはり報道=処罰ということを報道者は自覚しているわけだ)。ここで,精神障害者もしくはその疑いのある者が重大な犯罪を犯して,これを匿名で報道する場合を考えてみよう。大きな事件であればあるほど,より多くの人がより多くの「知りたい」を抱いて報道にべったり期待するだろう。ところが,みんな肩透かしを食うわけだ。代わりに与えられるのが「匿名の精神科通院歴のある〇歳の男/女」という情報である。「精神障害者である」という報道でもって全ての「知りたい」を封印してしまうのである。私たちの「知りたい」はひどい欲求不満状態となって,行き先を失った不安や怒り,恐怖などの感情がそのまま「精神障害者」という言葉に殺到する。これでは「精神障害者は怖い」「精神障害者は何をするか分らない」という感情を抱くなと言う方が無理であろう。

最近は,精神障害者であってもケースバイケースで実名報道される場合が出てきているが,それでも「精神障害である」ということは必ず報道される。「糖尿病である」とか「胃潰瘍で通院歴がある」とかわざわざ報道しないところを見ると,やはり「精神障害」と犯罪行為を特別に結びつけて考えているとしか思えない。そこには前述のような報道姿勢によって既に出来上がってしまっている精神障害者への偏見と同時に,刑法の問題が大きくからんでいる。

それにしても弁護士という人たちは,事実関係で争えないとなると判で押したように心神喪失・耗弱を主張するのを何とかしてもらえないだろうか。現行の法制下では仕方ないとはいえ,もっと他に弁護の方法がないのだろうか。いかに被告の代理として出来る限りの弁護をするのが建前とはいえ,今のような何でもありの安易な弁護方針では,全く関係のないたくさんの精神障害者に計り知れない迷惑がかかる。そのことを彼らは分っているのだろうか。また,いちいち傍聴しなくても報道により裁判の過程が逐一判るというのはいいことである。だが,弁護側が安易に39条に頼っている場合は,結局,報道によって「精神障害者→罪に問われない→何をするか分らない」という偏見を増長しているに過ぎない。そして,あまりにもそういうケースが多い。

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そろそろ話をまとめよう。

私たちの「知りたい」欲望には限りがない。そしてその欲望が報道を造り,維持し,どこまでも突っ走らせる。報道が「言論の自由」と「商業主義」を両手に持って走っていけば,それは限りなく暴力的である。そういうお下品な報道が中途半端に「障害者の人権に配慮」することなどには副作用しかない。私たちのお下品な欲望を途中まで惹きつけておいて,「精神障害者」の前に置き去りにして逃げてしまう。行き場を失った人々の欲望は精神障害者に投げかけられ,奪い,傷つけるのである。人権などに一切配慮しない一部のアングラサイトの方がまだ潔いと言える**。
しかし,どうせエセ人権主義の報道者には彼らのマネなどできっこない。どうせ思い切ったことができないのなら,せめて原則匿名制にすべきであろう。「ケースによっては匿名にする」のではなく,「ケースによっては実名にする」のである。全ての犯罪者の報道を匿名にしてしまえば,我々の「知りたい」欲望は満たされないが,精神障害者だけが特別視され,犯罪に全く関係ない他の全ての精神障害者が犯罪者と同一視されるという被害もなくなる。また仮に,どうしても報道によって加害者に制裁を加えたいのだとしても,特定の凶悪犯だけを実名にする方がより効果的なのではあるまいか。
まあしかし,まず我々が「知りたい」欲望をどこまで禁欲できるか,報道者がどこまで商売を自制できるかが大きな問題だ。

自分の「知りたい」がどれほど人を傷つけるか,あなたは気がついていますか?あなたはそれでも「知る権利」を主張しますか?


*私はこの手の精神科医の存在も害が大きいと思う。何か大きな事件があると,彼らはマスコミに登場し,「営業」する。大した情報もなしに「診断」し,精神医学用語をばらまく。彼らには,精神医学の啓蒙とか,そういう大義名分があるのかもしれないが,むしろ精神医療現場にとっては害の方が大きいと思う。彼らにいちいちコメントを求める報道者にも問題はあるが,それに安易に答えて営業する精神科医の方が悪い。彼らのせいで,人々の頭の中に精神医学=犯罪医学のようなイメージができ上がってしまった。

**匿名報道された犯罪者の実名やプライベートな情報など,この手の情報がアングラサイトで流れることは(お下品だが)仕方ないことと思う。こういうサイトは自分達がアンダーグラウンドであるということを自覚しているし,声高に自らの存在を主張することもない。そしてそこへ辿り着くのには,一定の情報検索能力と熱意が必要だ。どうしても「知りたい」人が苦労して情報にたどり着くことは許されるべきである。
問題は,地声の大きい大手の報道者が「正義」や「言論の自由」の名のもとに安易にプライベートな情報を垂れ流してしまうことだ。伝家の宝刀は振りかざすべき相手を選ぶべきであろう。いかに相手が凶悪犯罪者であろうと,たかが個人や一家族相手にみんなで寄ってたかって手を振り上げている姿はカッコ悪いと思うよ。少なくとも俺的には。

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