独語・空笑 〜日記風に〜


とある病院に勤務していた(現在は某国に逃亡中)精神科医の日常の雑感です。




平成15年8月18日 お盆雑感

さあて。

気が付くと季節はめぐり,暦は8月も後半になっていたりするわけだ。

思えば3月,前回の独語をした時すでにこういうことになるんじゃないかという予感はあったが,やはりこういうことになっているわけだ(笑)。

いや,別にこのサイトのことを忘れていたわけではないですよ。いただいたメールには必ず目を通してますし。ゲスブもキチンとチェックしています。ただ,サイトを更新したり,ゲスブやメールに返信するということは,肛門期的性格の持ち主である私にとっては(ここでこんな言葉使ってもなぁ;;)大変な労力の要ることでして...ま,いずれにせよサボっていたことには変わりはないけど,だな。

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ということで,もうお盆も終わりですな。

お盆というのは,死者が一時的に現世に帰ってくると言われ,あの世とこの世が交錯する不思議な一大イベントである。この時期に海で泳ぐとあの世に引き込まれるとかいうし(こわ;;),人々は鎮魂のため盆踊りを踊ったりする。そしてなぜか世の中全体がお盆休みということで休業となり,みんなが一斉に田舎へ帰るので高速道路が大規模低速道路と化す。そしてなぜかウチの病院はお盆休みがないので,私はいつもと変わらず外来をやってたりする(ま,それはいいけどね。いつもより患者さん少ないし)。

精神病院に長い年月入院を余儀なくされている患者さんにとっても,お盆は,正月と並んで外泊で家に帰ることのできる数少ないチャンスである。ずっと精神病院で暮らす患者さんにとって,病院の外の世界は「別世界」であり,1年に1回か2回わずか数日の間家へ帰るのは異界を訪れることにも等しい。

かつて日常を過ごしていた自分の家でも,そこを離れ精神病院に暮らすこと久しい患者さんにとって「家」というのは,懐かしい憧憬の対象でもあり,何となく「ゲンの悪い」ヤバイ場所でもある。帰りたくもあり,何となく足がすくむ感じもある,そんな場所である。

そして彼らを迎える家族の反応は様々である。腫れ物を扱うようにご機嫌をとりご馳走攻めにする家族もあれば,全くの厄介者扱いをする家族もいる。ご近所の目に触れないように外泊期間中ずっと患者さんを家の中に幽閉してしまう家族もあれば,あちこち連れまわす家族もある。家族の心境も複雑なのだ。どう扱っていいのか分からないというのもあるだろう。だって彼ら(患者さん)は普段家にはいない「お客さん」であり,わけの分からない病気を持った別世界の住人だからだ。そういう意味では,彼らはこの時期だけ現世に戻ってくる「あの世の住人」のように扱われている,と言っていいだろう。

あの世とこの世の交錯する数日間...お盆。

でも彼らは亡者ではない。彼らには彼らの生々しい現実があり,日々を懸命に生きている。それは我々シャバで生きる人間と何ら変わるところはない。

外泊から帰ってきた患者さんに,外泊は,家はどうだった?と尋ねると,みんな口をそろえて「良かったです」と短く答える。でも彼らの顔は固くこわばっている。自身が待ちかねた外泊であっても,外泊の前後に調子を崩す患者さんは多い。

彼らを安んじてシャバで暮らすことのできない「亡者」にしてしまったのは誰だ?お盆と正月の数日間だけ現世に帰ってくる異界の住人にしてしまったのは誰だ?俺たち精神科医か?病気そのものか?それとも,家族?社会?...本当の亡者はどっちなんだろう...

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メールを下さったたくさんの方々,本当にありがとうです。日本に帰って来てはや5ヶ月。一人の精神科医として毎日元気に(結構くたびれてるか)お仕事してます。ただ,まことに申し訳ありませんが,今後も当分の間,メールにもゲスブにも一切レスはできません。私がサイトを続けていく上で今はどうしても必要な条件ですので,どうかご容赦ください。

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平成15年3月3日 ついにTVデヴュー

さあて。

気が付くとすっかり陽も長くなり,暦は3月になっていたりするわけだ。

しかしだ。

寒いよ。寒すぎ。
3月にもなってマイナス20℃って,あんたねえ,北海道じゃないんだから...っていうか,北海道より寒いよ。

ナイアガラの滝もいまだにバシバシ凍ってるし,うちのボロ車,バッテリーが逝ってしまってエンジン全然かかりまへんがな(泣)。
ええ加減にしれ,ってご近所連中も言ってます。昨冬が比較的暖かかったのでこの冬の寒さは一段と厳しく感じられるようです。

私の場合はもう2週間ぐらいしかここにいられないわけで,荷物の整理をしたり,お土産品を買い込んだり,諸契約の解約をしたり,車を売却したり,車を売却したり,車を売却したり...でめちゃくちゃ忙しいはずなのですが,寒くて動けん...クルマもちょっと走るたびにドロドロ...これでは売れん...
エライことになってまいりました(泣) そーとー追い込まれてます。

そんなわけで,書きたいネタはいろいろあるものの,気分がのらないというか,正直,落ち着いてモノが書けない(言い訳)。仕方がないので,とりあえず近況報告がてらにこんな話を...

ええー,先日こちらのTVに出演しました。

日本でもTVに出たことなんてあるわけがなく,当然,これがYASU-QのTVデヴューです。
私が今やっている研究プロジェクトが某ニュース番組の「あなたの健康コーナー」みたいなので紹介されたんです。ま,せいぜい5分かそこらのミニコーナーですが。

当日は,お昼頃からレポーターのお姉さんとカメラマンのお兄さんがやってきて,隣りのラボからも野次馬が集まり,もともと狭いラボの中は人間だらけで大騒ぎでした。メインはラボのボスのインタビューで,延々1時間ぐらい撮影。その間,外野はラボの外に追放です。私はこのプロジェクトの実質上の発案・責任者で,ハード面でもソフト面でも主に動かしてるのは私なんですが,え,俺って外野なの,って感じで当然のように追放されておりましたとも。しかも外で院生と関係ないことしゃべってたらドア閉められました;;

で,その後,実際に脳波をとってるところとかをいろいろな設定で撮りました。
ここでやっとYASU-Q登場。電極を院生の兄ちゃんの頭に貼り付けたり(さすがに自分の頭にはつけませんわな),ヘッドボックスの設定をしたりするところを撮影。いやーー,手ぇ震えました。カッコわりぃ。ついでに少しだけど一生懸命しゃべりましたよ。もち英語で。

で,何やかんやで2〜3時間は撮影して連中帰って行きました。放送はその日の夕方6時。

恥ずかしながら,新しいVHSテープ買って,5時半ぐらいからTVの前座ってスタンバってしまいました。気分はまるで小学生。どきどき。バカだねえーー。

で,問題のコーナーがやってまいりました。

でたーーー。俺,映ってる映ってる。何かカッコわりぃーーー。もっとちゃんとした服着て行きゃ良かった。しかもガニマターーー。ちゃんと足閉めときゃ良かった...

...しかしだ。

おい。俺,出たの一瞬やないか。しかも,音声はカット。俺が何かしゃべってる場面でもレポーターの姉ちゃんとボスの声がかぶってて俺の声はなし。なんじゃゴルァァーーー,なして俺の必死のしゃべり in English を使わんねーーー!!! などと錯乱のあまりヘンな方言を吐いてるうちに「あなたの健康」コーナー終了。なんじゃゴルァァーーー,あんだけ撮影して出演こんだけかぁーーー!!!




思えばゴルァ連発の寂しいTVデヴューでありました。結局は外野なのね...やっぱ日本帰ろ。

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てなわけで,これまで以上に,非常に,多忙な日々を送っております(少なくとも気分的には)。おそらく次の更新は帰国後かなーり経ってからになると思います。
しばらく前からリンク報告なども含めメールには一切返信できておりません。もちろん全てに目は通していますがキチンと返信はできない状態です。キチンと返信できない以上,返信はしない主義なので,どうかどうかご了承下さい。申し訳ないです。
ゲスブの方には何とかレスをつけるつもりですが,こちらもこれまで以上に遅れがちになると思います。サボってるわけではなく(若干はサボってることもあるが),私自身の強迫的な性格のせいなので,どうか暖かく見守っていただけるとありがたいです。もちろん,早くレスしろ,お前最低,など批判カキコもOK。しかし怒られてもたぶんレスの早さは変わりませんので,あしからず。

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平成15年1月22日 2Dな国・3Dな国

オッサンに先立って嫁さんと子供達が日本へ帰国するので,一緒に日本へ一時帰国することにした。わずか数日間だけだが久々の日本だ。

カナダから日本へは16時間のフライトだ。地球の自転に逆らって飛ぶのでこちらに来る時より1〜2時間よけいにかかる。今回はたまたまずっと昼間を飛び続けることになったので(朝カナダを発ち夕方に日本着。日付は次の日だけど),子供と一緒に窓からずっと外を見ていた。

気付いたのは2つの国の国土の違いだ。

カナダは(アメリカもだけど)基本的に土地が平べったい。もちろん多少の凹凸はあるけれども,基本的に「大陸」だから,どこまでものっぺりした平らな大地が広がっている。その平らな大地の上を真直ぐな道路がところどころで交差しており,街はそこここにちょこちょこっとかたまって存在している。川は行き場を見失って曲がりくねり,大小さまざまな湖が点在している。見事な絵柄だ。

それに比べて日本の土地の凹凸は顕著だ。いたるところ山だらけ。平らなところはほんの一部だ。そこを切り開いて家々が密集している。川は山を削って勢いよく流れ下り,川の流れに沿って人家が山の奥の方にまで入り込んでいる。道路は曲がりくねっているだけでなく上がったり下がったりして縦横無尽に走り回っている。カナダやアメリカが2D的な国土とすると,日本は見事なくらい3Dな国土だ。

もちろんカナダにだってカナディアンロッキーという立派な山々がある。しかしそういうところにはほとんど人家も道路もないし,そもそも広大な国土のごく一部に過ぎない。日本のように全体が山ばっかりで平野が一部というのとは全然逆だ。

それぞれの国の国土の違いをあらためて目にし,そりゃ住んでるところがこんなに違えば人種云々を言う前に気質も生活様式も違って来るわなぁ,と妙に納得させられた。

こっちでは,住んでるところが平らで広いから,基本的に人の視線は高さがあまり違わず,万事が対等な関係で進んで行く。それに比べて日本では,みんなが上になったり下になったりしてひしめき合って暮らしているから,必然的に視線の高さに違いが生じてくる。人間関係の基本的なところも3D的で,こちらと比べると次元数が一つ多いような感じがする。

次元数が多いというのは,それだけパラメータが増えてややこしくなることでもあるが,自由度が上がる,つまり逃げ場が増えることでもある。向きが違うベクトルが二次元上で出会えば,そこには逃げ場がなくぶつかり合うしかない。三次元ならば上になったり下になったりしてすれ違うことが可能だ。

世界には,対立することしか知らないバカな国もある。日本という国の柔軟さ(優柔不断ともいう)はこの狭くて凸凹した3Dな国土が産み出したものなのかもしれないなあ,などと評論家じみたことを考えているうちに大阪に着いた。

トロントを出るときの気温はマイナス12℃。関西空港に着いたときの気温はプラス12℃。温度差24℃は暖かいなんてもんじゃなかった。

そして数日後にはまたカナダへとんぼ返り。帰ってきたらマイナス17℃。寒いったらありゃしない。

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平成15年1月10日 オッサンのにわかな苦しみ

みなさま,明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

オッサンの帰国に先立って,嫁さん・子供はもうすぐ日本へ帰るので,その帰国準備に明け暮れていたら,えらいことになってしまった。
ゲロゲ〜ロのゲリゲ〜リである。(新年早々汚い話で大変恐縮。食事中の人,スイマセン)

これがまたひどいゲ〜ロ様で,食った晩メシ全部どころか,胃も腸も肝臓も膵臓も,つながってるモンは全部出てくるんじゃないかというくらいみんな出てしまう。物心ついてこの方,ここまでのゲ〜ロ様にはお目にかかったことがない,というぐらいの天晴れなまでに根気強いゲ〜ロ様であった。安い日本酒とワインとチューハイのチャンポンをウォッカでしめくくった次の日の朝に訪れる生暖かいゲ〜ロ様など瞬殺のレベル差だ。

そしてゲ〜リ様が後に続く。「全てを水に流す」というのはこのためにある言葉かと言いたくなるくらい,これまた見事にすがすがしいゲ〜リ様であった。みーんな流れちゃう。しょーちょーも だいちょーも みーんな。古くて固まりかけたヨーグルトと遠足の日に食べ残して3日後にリュックの中から発見された糸引きオニギリを一緒に食べた次の日の朝のゲ〜リ様とは...経験がないので比較不能だ。しかし○ーロガン10粒ぐらいではとても堰き止められない勢いがあったな。

そしてオッサンはスッカラカンになった。もうマンガのようにスッカラカンだ。

スッカラカンなだけではない。
ゲ〜ロ様は普段あまり使っていない筋肉の使用を人々に強制する。だから,後で腹筋やら背筋やらが痛くてしょうがない。38℃台の熱も出る。まる2日何にも食ってないからフラフラして起きられない。脱水で唇が渇いてひび割れる。ビタミン欠乏で口内炎が出来てくる。そういや,何だかケツも痛い。って,ボロボロやんか。まだ厄年には早いぞ。

しかし,身体というものは痛んで初めてその存在を感じるものである。大病しないのをいいことに普段身体を酷使しているからいざと言うとき痛い目に合う。胃が痛んで初めて胃の存在を意識する。腰が痛んで初めて腰の存在を意識する。

スッカラカンになってしまったオッサンは,全身に痛みだけを抱えながら,「身体」というものの圧倒的な存在感に苦しみもがくのであった。

それにしても「ウイルス」というヤツ。自分は核酸とタンパク質の固まりでしかないくせに,人間様にこんなにも実存的な苦しみを与えるとは。
因みに今回俺を殺ったのはこいつだ ("Norwalk virus information"より)。

あ〜,まだ何かフラフラする。家帰って寝よっと。

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平成14年12月30日 オッサンの密かな愉しみ

もう日本は大晦日に突入しているというのに今日も大学にいる。

もちろん大学は冬休みが続いていて,構内には人っ子一人いない。そんなところでオッサン一人が何をやっているかというと,別にローカを裸で歩いてみるとか,カフェテリアのテーブルの上であぐらをかいて鼻糞をほじってみるとか,そういう怪しいことではなくて,なかなか言うこと聞かない脳波計の調教プレイをしているだけだ。
自分の頭にいくつか電極を貼り付けて脳波計に接続し,実験刺激プログラムを走らせて自分でボタンをカチャカチャ押しまくり,ちゃんと脳波がとれるように装置のキャリブレーションをくり返しているのだ。いや別にローソクや鞭を使うわけではないが,はた目に見れば十分怪しいプレイに見えるかもしれん。いや,見えるに違いない。誰もいなくて良かった。

しかしおかげ様で,やっとまともなデータがとれるところまでこぎ着けた。年が明けたらすぐに実際のデータ録りが始まるのでギリギリのタイミングだ。あとは共同研究している学生さん向けにデータ記録方法のメモを書くだけだ。

しかしまあ,日本にいてもいなくても同じように忙しなく年は暮れていくもので,今年ももう終りだ。
大変な一年だったなあ...
来年は日本か。何だかなぁ...(以下略)
まあいいや。

みなさま,本当にいろいろお世話になりました。どうぞ良い年をお迎え下さい。

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平成14年12月27日 雪ダルマと轍

しばらく独語をサボっているうちに,ぬわんともう年末ではないか。えらいこっちゃ。

その後しばらく暖かい日が続いて雪はほとんど融けてしまったが,クリスマス直前には寒さが戻り,今年も白銀のクリスマスになった。子供達と庭に出て雪ダルマを作り,さらに雪かきで溜まった大量の雪を使って子供達にカマクラ(みたいなモノ)を作ってやった。まる2日かかった。腰が痛くなった。アホです。

YASU-Qが育ったのは関西のとある田園地帯だが,決して雪の多いところではない。だから雪が積もると子供達はみなお祭り騒ぎだった。小学校の校庭にはあちこち特大の雪ダルマができ,放課後にはみんな雪合戦をしながら帰ったものだ。家に帰った後もまたみんな色とりどりの防寒装備で外に飛び出し,暗くなるまで野原で駆け回った。
カナダみたいな雪の多い所に住んでいるクセに,雪が積もるとジッとしてられず子供達以上にはしゃいでしまうのは,ガキの頃の習性がいまだに残っているのかもしれない。いずれにせよ一種のバカには違いない。

雪の思い出というと,こんなことがあった。

小学校低学年の頃,ある冬の日にたくさんの雪が積もった。学校が終わるのを待ちかねて,放課後,真っ先に家に帰って一人で大きな雪ダルマを作った。その頃で自分の背丈と同じくらいだったから1mは越えてたかな。とにかく近所のガキどもの機先を制してたくさんの雪を確保するため家まで走って帰ったぐらいだから相当気合が入っていた。暗くなる頃まで近所中をゴロゴロ転がして大きくし,家の玄関先に展示した。横丁を通る大人がみんな「大きいねえ」「すごいねえ」と声をかけてくれるし,近所のチビどもは指をくわえて尊敬のまなざしで見上げるし,大得意だった。

この雪ダルマ,周囲の雪がほとんど融けてしまった翌日にもウチの玄関先にそのままデーンと構えていた。

次の日も,表面が少し融けて小さくなったものの彼はまだまだ雪ダルマとしての存在を主張していた。

次の日,すでに顔面は見る影も無く崩壊していたが,彼はまだまだ雪ダルマだった。この頃になるともう周囲にはどこにも雪は残っていないので,家の前に雪のかたまりが残っているというだけで意味も無く優越感を感じたりした。

次の日も次の日も,徐々に小さくはなりつつも,我が愛しきダルマは不思議とダルマの形態を保っていた。こうなるともう大変である。朝起きたら,学校から帰ってきたら,まず必ず彼の存在を確認する。ああ,まだあった。ああ,まだダルマの格好してる。

ところが1週間ほどしたある日の午後,出かけるときにはまだダルマだったのに,習い事から帰ってくると,彼はペッチャンコの雪のかたまりと化していた。そして彼の背中にはハッキリと自転車の轍が残っていた。何本も何本も。誰かが自転車でひき潰したのだ。

ちくしょう。誰だ...誰が俺の愛しきダルちゃんをひき殺したのだ。俺達は長い間苦楽をともにした無二の親友だったのに。
私は冷たくなったダルちゃんの骸を抱き上げて男泣きに泣き...はしなかった。さすがに。でももうちょっとで泣きそうだった。

すぐに犯人は近所のそろばん塾に通う数人の上級生だということが分かった。上級生だとどうしようもない。治外法権だ。それに彼らもそれほどの悪意はなかったのだろう。私にとっては無二の親友ダルマでも,彼らにとっては単なる雪のかたまりだ。こんなところにまだ雪が残っているぞ,つぶしちゃえ〜,みたいな軽い気持ちだったのだろう。子供の無邪気さは残酷さと隣り合わせだ。

どうしてだかは分からない。悲しみとやり場の無い怒りに立ちすくみながら,ペッチャンコになったダルちゃんと自転車の轍を見ているうちに,私はある衝動に駆られた。それは非常に強い力で私を捕らえ,私をある行動に駆り立てた。
私は自分でも自転車を持ち出し,ペッチャンコになったかつての親友の背中を何度も何度もひき潰したのだ。グジャリ,グジャリと潰れていく雪の感触を感じながら,しきりに流れるのは涙ではなく鼻水だった。

小学校低学年。「倒錯」とか「防衛」とかそんな言葉は知るわけもなく,自分の心の闇に気付く洞察力も客観性も無い。大事なものをそのまま大事に守りたいと思う反面,自分の中の破壊衝動がダルちゃんを自転車で乱暴にひき潰すことをアンビバレントに願っていたのかもしれないと気付いたのは大人になってからだった。

それ以来,私が雪を見ると興奮して無性に雪ダルマを作りたくなるのは亡きダルちゃんへのレクイエムなのか,それとも倒錯した破壊衝動への反動形成なのか。
今日も私はダルマを作る。エロスとタナトスに引き裂かれながら。心に闇を抱えながら。
一蹴りでグジャッと潰してしまいたくなる破壊衝動を必死で堪えながら,ゴロゴロ・ぺたぺた雪ダルマを作る私の顔を鼻水が伝って...
マフラーに凍りついた。

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平成14年12月6日 涙の乗車券 〜カナダの精神病院探訪〜

その日のトロントの気温はマイナス15℃。強い風がさらに体温を奪い,体感気温はもっともっと低い。強〜烈に寒い。カナダの寒さももう慣れました,なんて生意気言ってゴメンよう,俺が悪かったよう,などと無意味に謝りながらドアを開けロビーに入った。

ここはトロント,ダウンタウンの一角,カナダでは最大規模の精神科専門病院 "Center for Addiction and Mental Health (CAMH)" の外来棟だ。

いきなり「She's got a ticket to ride 〜」という歌声が私を出迎えてくれる。ヒゲ面のオッサンがロビーを行ったり来たりしながら大声で歌っている。ビートルズの往年のヒット曲「涙の乗車券」の一節だ。ヤケクソの大声でありながら素敵に脱力したその歌声には,病気によって人生の様々な局面で辛酸をなめてきた者のみが持つ「諦念」のようなモノがにじみ出ていて,聴く者にも何だか気だるい気分を抱かせる。

懐かしい。そうだ俺は精神科医だったんだ,精神科病棟でこういう歌声を聴きながら毎日仕事してたんだ。
日本の精神病院でもよくこういうもの悲しい歌声を耳にする。確かに曲目は演歌だったり歌謡曲だったりするし,明るい曲だってあるはずだ。でも患者さんが歌っているとみんな同じ,何だか物哀しい感じに聞こえる。「家に帰りたい」「普通に仕事がしたい」「もうクスリなんてのみたくない」...そういう気持ちが歌声にこもっているのか。

それにしてもカナダの精神病院でいきなりこんな歌声に遭遇しようとは思っていなかった。何だか患者さんみんながもっと明るくて元気なようなイメージを抱いてたんだが...うつむいたまま灰皿を囲んで黙々とタバコをふかす患者さん達の姿も日本と全く同じだ。何だか予想と違うぞと思いながら知人と合流して,ホールで病院全体に関するレクチャーを受ける。

ここで驚いたのはたくさんの高校生達に出くわしたことだ。患者さんではない。普通の高校生が授業の一環として精神病院へ見学に来ているのだ。彼らも私達と同じようにレクチャーを受け,病院の中を見学する。素晴らすぃ! 感動した。
精神病者を彼らの目から隠すのではなく,実際に接触させる。歌ったり怒鳴ったりしている患者さんも見せる。その上で病気についてちゃんと教える。100人に1人の確率で誰もがなり得る病気だよ,初期治療が大事な病気だよ,おクスリを長期にのむんだよ,幻覚や妄想もあるけどもっと大事な症状は周囲から孤立して一人ぼっちになってしまうことだよ,患者さんを怖がる必要はないんだよ...そして,講師をしている精神科医の先生は彼らにくどいほど「スティグマ(烙印・偏見)」の存在を強調していた。スティグマが彼らから職を奪い,家族を奪い,快適な生活を奪い,ストリートへと追いやる。精神病院は常にフル稼働。帰る家のない患者さんはホームレスになって行く。精神病者は常に病気と,もう一つスティグマと闘っているんだよ...
もちろん高校生達に精神病院の中を見せることでスティグマが全てなくなるわけではないだろう。中には実際に患者さんを見ることでかえって恐怖や嫌悪を感じるようになってしまう子もいるかもしれない。でも実情を知って怖がるのと何も知らないで怖がるのとでは全く意味が違う。知らないで怖がっていれば,ますますそこから離れていってしまう。現実を知る機会はますます失われてしまう。マスコミにでもヘンなことを吹き込まれればそれをそのまま信じてしまう。

日本の精神病院でも,地域との連携を深めるため町内会と共同でバザーや運動会をしたり,文化祭を開いて病院を一般に開放したりしているところはある。しかし学校の授業の一環として病院内の見学や精神科医のレクチャーをプログラムしている精神病院は聞いたことがない。多感で好奇心旺盛な彼ら高校生にこそ現実をバーンと突きつけるべきではないのか。現実を何も知らずにマスコミ経由の偏った情報のみから「精神病者」を語っている人の何と多いことか。

まあいいや。日本のことは置いておいて...さあ,見学だ。

病院は広い。トロントのダウンタウンに広大な敷地を占有していて,その中に7つの大きな建物がある。外来や救急,ホールや受付のある建物,大きなロビーとカフェテリア,売店,プール,体育館からなる建物を中心としその周囲に4つのユニット(病棟群)と管理棟が配置されていて,全ての建物は渡り廊下でつながっている。それぞれのユニットは7〜8階建で,各フロアに病棟がある。全体としては450床ぐらいとのこと。各病棟は20〜40床ぐらいで,看護者は日勤7〜8名,夜勤3名(もちろん病棟によって多少増減するようだが)とのこと。常勤の精神科医は20名強で,非常勤の医師も多いらしい。その他にも作業療法士や心理カウンセラー,ソーシャルワーカー,薬剤師,警備専門スタッフなどそれぞれが少なくとも10〜20人はいるようで,人的資源はかなり豊富だ(看護スタッフの数だけはちょっと少ないと思うが)。
450床というとちょうど日本の普通の精神病院と同じぐらいだ。しかし日本の精神病院だと患者さん450人に対して常勤の精神科医は多くても7〜8人ぐらいだし,ワーカーや作業療法士などはせいぜい3〜4人で何とかやっているところが多い。また日本じゃ一つの病棟に100人ぐらいの患者さんが詰め込まれていることも珍しくないから,こちらでは患者さん一人当たりの空間はずいぶん広い。これだけを見ると,さすがに北米の精神科施設はすごい,人的にも空間的にも日本とはケタ違いだ,と言えるだろう。

しかし実はこの病院はカナダでも「普通の」精神病院ではない。
ここの病院の特徴の一つとしてあげられるのが,"forensic unit(司法ユニット)"の存在だ。これは犯罪に関係した患者さんのうちいわゆる不起訴になった人を収容・治療するところで,きわめて厳重な警備のもとにある。日本でも現在,医療観察法案や処遇困難例専門施設の設置が問題になっているが,これに近い施設と言えるだろう。またここには"Center for Addiction and Mental Health"の名の通り,依存症専門のユニットがあって活発な治療活動が行われている。つまりここは他の施設や病院ではフォローしきれない患者さんを大量に受け入れているかなりハードコアな病院なのだ。それだけに州も力を入れていて,資金面でも他の施設と比べるとかなり優遇されているらしい。決してカナダの他の精神科施設がこんなに恵まれているわけではない。ここは特別,なのだ。

司法ユニットはもちろん閉鎖病棟(入口にカギがかかっている病棟)だが,その他にも閉鎖病棟がある。また,特に急性期の患者さんの場合は,症状に応じて部屋の施錠や抑制帯・拘束衣による行動制限なども日本と同じように行われるという(よくアメリカ映画に出てきますわな)。決して病院全体が開放病棟(カギがかかってない出入り自由な病棟)ではないのである。突っ込んで訊いてみると,かつてはほとんどが開放病棟だったのが,様々な事情で(このへんは英語が聞き取れなかった)次第に閉鎖病棟が増え,現在に至っているらしい。日本でも一時,何が何でも任意入院・開放処遇という時代があったが,最近になって見直しを迫られている。こちらでも似たような事情なのかもしれない。

とは言え,院内を自由にウロウロしている患者さんは多い。カフェテリアの片隅でジッと佇んでいるニイちゃんもいれば,冒頭のように廊下で大声で歌をうたっているオッサン,ベンチで1分おきに一人で大爆笑しているオバさんなどいろいろだ。日本の精神病院の日常と同じ時間が流れている。この病院の患者さんの70%は"schizophrenia",つまり統合失調症の患者さんだということだから,患者さんの病気の比率としても日本の精神病院とそれほど違わない。
北米の精神病院では患者さんの回転(入退院のサイクル)は速いと聞いていたが,必ずしもそうでもないようだ。平均すれば入院期間は数週間から1ヶ月ということだったが,中には20年,30年と入院したままの患者さんもいるらしい。また全体の30〜40%の患者さんは退院してもすぐにまた病院に戻ってくるという。結局平均して常にベッドは98%埋まっていて,いざという時に入院できない患者さんも実に多いらしい。このあたりも日本の事情とよく似ている部分がある。

病院内をひと通り見学する。廊下は広いし建物はちゃんと改装されていてキレイだ。病院内のそこここに患者さんの描いた絵が飾られている。何だかわざとらしい「精神病的な」絵もあれば,ごく自然な絵もある。日本の患者さんが描く絵と変わらない。
日本の病院だと院内の売店は結構モノの値段が高いところが多いのだが,ここの院内売店で売っているものは別に高くはない。街中と同じような値段でドーナツやサンドイッチや日用雑貨が売られている。

病院のあちこちで警棒を腰にしたセキュリティガード(警備員)のスタッフを見かけた。彼らは職員や患者さん同士の安全確保のための専門スタッフだ。看護スタッフと同様の医学的な教育に加え,身体的な訓練やセキュリティ関連の訓練を受けているという。日本の精神病院にはこういう職種はない。男性の看護スタッフが兼ねる形になっている。
おそらく国民性の違いもあるだろう。思えば日本の患者さんはおとなしい。興奮の極致にあって自己防衛的に暴れる患者さんはいても,積極的に他者に危害を加えようとする患者さんなんてまず見かけない。もちろんそれでも警備専門のスタッフがいてくれれば,それ以外のスタッフが医療に専念できるというメリットはある。しかし日本の精神病院では出番はめったにないだろう。こちらではこういう専門スタッフが必要になる合理的な理由があるのだろうか... でもたむろっている患者さんを見ていてもそんな危険そうな感じは全く受けないのだが。

説明を聞きながら院内を一回りしてホールに戻って来るともう予定の時間になっていた。もっともっといろいろ見たかったが仕方がない。

結局,日本の精神病院と違うところ →

日本とほぼ同じところ →

ただ,上述のようにこの病院はかなり特別な病院なので,これが必ずしもカナダの実情を反映しているとは思えない。今後,もっと地域レベルの小さい施設にも見学に行くつもりにしている。

帰るとき入口のロビーを通りかかると,あのヒゲ面のオッサンがまだ歌っていた。

She's got a ticket to ride ...
She's got a ticket to ride ...

「涙の乗車券」...彼女は列車に乗って行っちゃった...失恋の歌である。オッサンの愁いを帯びたダミ声は,がらんとしたロビーにやるせなく響いていた。列車に乗って彼のもとから去ってしまったのは何なのだろう。恋なのか,希望に満ちた未来なのか... 病者の悲しみは洋の東西を問わない。北米の精神科医療とてその未来は必ずしも明るいわけではない。彼らが明るい顔で明るい声で明るい歌をうたえるようになるのはいつのことだろう。

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平成14年11月26日 ゴムとリビドー

気が付いたら11月も下旬になっていた。誰か地球のネジをよけいに巻いてるんじゃないか。日付が進むのがあまりにも早すぎるぞ。

この前,自室にこもって大量の英文と数列の前で泣いていたら,嫁さんから急に電話がかかってきた。何だかうろたえているらしく声が上ずっている。「まあ落ち着け」などと言いながらよく聞いてみると,何と3歳になるウチの娘が小さいゴム風船を食ってしまったらしい。風船と分っていながら食ったのかと一瞬思ったが(アホやがな),どうも口に入れてクチャクチャ噛んでいるうちに間違ってゴックンしてしまったらしい。1歳2歳の子供にはよくあることだが,3歳になってからやるとはわが子らしい。

一般に,小さい子供が異物を飲み込んでしまった時は,異物がどこに留まっているかが重要である。ノドや気管につまってしまえば呼吸ができず,即,危険な状態になる。食道で留まっている場合も何とか取らなきゃならない(内視鏡なんかを使う)。一方,胃まで入ってしまった場合は,ノドや食道という狭いところを無事通過したということなので,その後は放っといても出口まで到達することが多い。もちろんタバコなどの毒物や薬品,ボタン電池や磁石類,尖ったモノなんかは放っておいてはいけないが。

ウチの子が飲み込んだのは小さいゴム風船で,どうもそのまま胃に直行したらしい。まあ緊急性はあまりない。とは言え,自分の目で見ない限りは安心はできない。それに,うろたえる嫁さんを一人にもしておけない。ということでとっとと早仕舞いして家に帰ることにした。

さて家に帰ってみると,うろたえているのは嫁さんだけで,子供達はTVを見てゲタゲタ笑っている。お前らなあ,お袋がこんなに心配してるのにもうちょっとそれなりに深刻そうな顔しろよ。何という緊迫感のない奴らだ。しかも...コラ!そこの娘,お前また何か口に入れてるやろ! 口を開けさせると小さいピカチューが出てきた。っとにもう,油断もスキもない。

本当は危険性の少ないものならムリに吐かせることもないのだが,もしこんな言葉の通じない国でイレウス(腸が詰まること)でも起こしたら大変なので(というかいい加減に英語しゃべれるようになれよ,オヤジ),娘には気の毒だが念のためゲロゲロしてもらうことにする。汚い話ですんません。

さあ,もっともっとお飲みなさあ〜い。場末のぼったくりバーのオバちゃんのように,笑みをうかべながら飲ませる飲ませる。もちろん水をだ。そして,ノドに指を突っ込む。おげー。
ところがウチの娘,いったいどういうノドをしているのか,指を突っ込んでウリウリしても全然吐かない。「あんた何してんの。乱暴なことはやめてよね。ちっとも気持ち良くないわよ」ってな感じで白けた顔をしている。しまいにはこっちがバカバカしくなってきて吐かせるのはあきらめた。すると途端に「おしっこ〜」。さっき飲まされた水を全部ジョンジョロ〜っと流し出してしまう。直通だ。親の過剰な心配なんて速攻で便所に流してしまうのだ。子供は強い。

さあこうなったら後は○ンコになって出口から出てくるのを待つしかない。問題のブツが○ンコと一緒に出てきたのを確認できれば一件落着である。


一日目...出ない。

二日目...まだ出ない。

三日目...おいおい,まだ出ないよ。大丈夫かいな。

と言ってるうちにやっと出ました。○ンコが。


いくらわが子の○ンコでも臭いものは臭い。しかしそんなことは言ってられない。仕方なく鼻をつまんでよーく見ると,確かに何だか白っぽいものが○ンコの中から微妙に顔をのぞかせている。あー,これだこれだ。しかし嫁さんはまだ納得いかない顔。

え,どうするの? もういいやん,これで。え,ダメ? 確認するの? 誰が? 俺が?

結局,割り箸を持って○ンコをつつき回すミッションを課せられたのはオッサンだった。
決死の覚悟を決めたオッサンは,娘の○ンコをまず横に,そして次に縦に,分断していくのだった。そしてやはり中から姿を現したのはしなびた白いゴム風船だった。...可哀想に。まさか3歳の小娘の体内を3日間さまよったあげく,○ンコにサンドされて便所の底に沈むことになろうとは夢にも思わなかっただろう。彼が背負った運命はあまりにも数奇で,過酷であった。
さようなら。同じゴム製品でも今度生まれてくる時はせめて○ンドームにでもなるんだよ。いや,それだとあんまり変わらないかな。

そんなことをつぶやきながら,今度はオンタリオ湖へと旅立って行く彼を見送った。ふと娘を見ると...今度はバービー人形の足をかじっている。ええ加減にせえよ,ゴルァ! 口に何か入れんと生きて行けんのか,お前は!
しかし,どうだ。3歳になっても口唇愛リビドーのめちゃくちゃ旺盛な娘...ゴム製品を大量に消費するような将来を彼女が迎えることにならないよう,ひたすら父は祈るのだった。

お下品ネタで失礼。

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平成14年11月11日 アクセスカウンター雑感

本日めでたく2つめの論文が書きあがり,ボスに渡すことができた。これからシビアに手直しをしていかなければならないので,実際に論文を投稿するのはもう少し先のことになるが,とりあえずホッと一息。

忙しくしている間にハロウィーンも初雪が降ったのも遠い過去になってしまった。この週末の荒天で木々の葉もほとんど散ってしまった。ことごとく独語のネタをはずしてしまったなあ。

そうそう,そう言えばこの間にカウンターの数字も30000になりました。"300000"ではありません。"30000"です。

アクセスカウンターと言えば,サイト開設当初の苦労を思い出すなあ...(遠い目)

このサイトができた頃(96年だからもう6年以上前ね)はアクセスカウンターといってものどかなモンだった。どこの個人サイトへ行ってもたいてい2000とか3000ぐらいのヒット数で,10000を越しているようなサイトはもう「大手」だった。で,「あなたは○○番目のお客さんです」とか書いてあって,実際に「お〜,俺は○○番目にここへアクセスしたんだ」という実感があった。まあ,アクセスカウンター自体がまだもの珍しくて新鮮だったわけだ。アニメGIFで最後のケタの数字がガッチャンと動くカウンターなんか最初に見た時は感動した。だから自分のサイトを作った時も,すぐにカウンターを付けたわけ。

その頃すでにCGIやSSIで(SSRIではない)自前で動くカウンタープログラムもあったが,フリーで配布されているものはまだみんな英語版で,設置するのには一苦労した。したがって「フリーカウンター」というサイトに勝手にリンクを貼る形式のものがメインだった。あるサイトにアクセスするとブラウザがそのカウンターサイトへリンクを読みに行き,鯖のCGIがその回数をカウントして画像ファイルとして送り返し,それがブラウザ上に表示される仕組みだったと思う。フリーなのはいいのだがサーバーにアクセスが集中する上,海外のサーバーだから動作が非常に遅く,ページの読み込みがそこでストップしてしまうことがしばしばだった。当時の回線事情もあっただろう。まだまだ14.4KB/secとか28.8KB/secのモデムが最速で,接続形式も無手順接続だったから,ちょっとしたパケットでもすごく時間がかかった。

96年後半に入ったころから国内でフリーのCGIが活発に配布されるようになったけど,これも初期のものはバグがあったりサーバーとの相性が動作を大きく左右したりでトラブルが多かった。フレーム形式のカウンタープログラムなどはブラクラまがいのトラブルを起こすものがあり,使いこなすのに往生した。プロバイダーが自前でカウンターを用意したり,配布されているCGIの動作が安定してきたのは97年後半だったような気がする。でも,その頃には私はもう自分のサイトからカウンターを外していた。あまりにトラブルが多かったもので。いや,フリーで使わせてもらってたわけだから文句言うのはお門違いですね。スイマセン。

で,それからはもう面倒くさくなってずっとカウンターなしでやっていたから,結局のところ昨年リニューアルするまでの本当のアクセス数は分らない。サイト本体の更新をしていなかったというのもあるし,サイト運営そのものに疲れ情熱を失っていたため,アクセス数なんてどうでも良かったというのもあるかもしれない。
それに97〜98年頃からネット界の人口密度が爆発的に増えると同時に,アクセス数至上主義のようなものが台頭してきたこともある。従来から存在する新聞・雑誌・テレビといったマスメディアがネットの世界に本格的に参入することで,ネットの世界にも商業主義が蔓延するようになってしまった。アクセスの多いところにさらにアクセスが集中し,99年の東芝クレーム問題などは社会現象にまでなった。ワンクリック○円なんていう目がチカチカするようなバナー広告がネット中に氾濫し始めた。

こうなってくると,数字が一ケタ大きくなるにつれてアクセス数一つ一つのありがたみはずい分と薄れてしまう。

そもそもアクセスカウンターのヒット数なんていくらでもインチキできる。カウンターの初期値なんてウソつき放題だし,自分自身でF5連打してカウンターぐりぐり回すこともできる。更新頻度の高い日記サイトなどはどんどんカウンターが回るが,質が高くても更新が少ないサイトはカウンターの回転も静かである。某巨大掲示板にでも自作自演でリンクを貼りに行けば一瞬にしてアクセスは増えるが,黙って地道にサイト運営しているだけではなかなかカウンターは回らない。カウンターの示す「数」は,どこかの誰かがそのページを読み込んだ回数なわけで,その人がどのくらいの時間をサイト内で過ごしたか,どのような感動を示したかなどは一切表れない。たくさんの人が一瞬チラッと見るだけでもアクセス数は跳ね上がる。サイトの質と必ずしも相関するわけではないのである。

そんなこんなで,昨年このサイトを再開した当初もカウンターをつけるつもりは全くなかった。

しかし真面目にサイトを運営していると,どのくらいの人がサイトを見てくれているかはどうしても知りたくなる。BBSやゲスブなどが設置してあってもいきなりカキコする人は少ない。たいていの人はROMだから,どのくらいの人が見てくれているかを把握しようとするとどうしてもカウンターかアク解が必要になる。

ごく少数の友人だけをお客さんにお店を営業するのも面白いだろう。だからそういうサイトもあっていい。でもせっかく一生懸命書いたコンテンツはなるべくたくさんの人に見てもらいたい。ま,何のかんの言っても所詮は自己顕示。となると,客寄せが必要だ。客寄せには何よりサクラだ。カウンターの数字は実に良いサクラの役割をしてくれる。お客の多いところにお客は集まる。

またカウンターの数字は「晒し」警報機にもなってくれる。メンタルヘルス系のサイトには常に「晒し」「荒し」の危険性がつきまとう。他の分野とは違って,理性というより感情のやりとりによって成立する世界だ。当人同士に全く悪意はなくても,ささいな言葉の行き違いから容易に感情的トラブルに発展することがある。またそういうトラブルを煽って面白がる困った人達もいる。アクセス数がある日急に増えたりするのは要注意だ。

お客さんにとってもアクセスカウンターの数字というのはそのサイトに関するある程度の目安にはなるだろう。「このぐらいの人が出入りしているサイトなんだ」ということが分れば,BBSで発言する際にもどの程度の配慮が必要か判断できる。管理人がアクセスに敏感である程度の営業活動をしている人なのか,それとも全然マイペースでやってる人なのかも判る。

またこれはここ2〜3年の流行みたいだが,「キリ番」「ゾロ番」によるサイト管理人との交流というのもある。たまたまカウンターに「10000」とか「33333」とか出てくるとわけもなくうれしくなるものである。11月11日がうれしいみたいなもんだ。その上さらにそれをきっかけにサイトの管理人さんと交流できるなんて素晴らしい。たまに見かける「キリ番踏み逃げ禁止」とかは交流を強制されてるみたいでイヤだが(笑)。

で,そんなこんなで,しばらくしてやっぱりカウンターを付けることにした。

最初は「4」。動作確認してるうちに自分で4回読み込んでしまった。
それが次の日には10になってた。その次の日には20...増えてる。増えてるよ。

うれしい。懐かしい。あの日の感動が蘇ってきた(涙)。サイトを始めた頃の何をやっても面白かったあの日々。誰かがサイトを見に来てくれてカウンターの数字が一つ一つ増えていくあの喜び。
別に客寄せなんかにならなくてもいい。警報機なんかにならなくてもいい。キリ番なんか踏み逃げされたってイイ(笑)。

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あれからほぼ1年。カウンターの数字は30000になりました。大手と比べれば微々たるもんですが,それだけに数字一つ一つのうれしさは忘れていないつもりです。

これからもオジサンはこの素朴なよろこびを大事にしていきます。どうぞ今後ともよろしくお願いします。

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平成14年10月28日 10人のさそり座達

先日クルマのナンバープレート更新のため市内のライセンスオフィスに行った時のこと。

日本ではクルマのナンバープレートというのはそのクルマに対して発行されるもんだが,当地カナダではナンバープレートはクルマを所有する個人に対して発行される(つまり個人で買う)。クルマを買い換えたら古いクルマから新しいクルマにプレートを付け替えるのである。で,車検もない。その代わり年に1回排ガスの簡単な検査を受け(もちろんクルマが),ステッカーをもらって来てプレートにペタリと貼る。これでこのプレートは「有効」になる。この年に1回の手続きは何故かその人のその年の誕生日が期限になっており,クルマに乗ってる人はみんな誕生日の前になるとこれをやらないといけない。

前置きが長くなったが,私も誕生日が近いため,この更新手続きに行ったわけだ。

ちょうど昼休み明けでオフィスの中は混んでいる。ずらっと10人ほどの人が並んで順番を待っている。老若男女いろんな人がいる。手にした書類なんかを見てると,みんな私と同じくプレートの更新に来ているようだ。

その時ふと気がついた。
ということは,ここに並んでいる10人ほどの人間は,みな10月下旬から11月前半生まれで私と誕生日が近い。つまり,全員さそり座だ(笑)。占星術の本なんかを読むと,さそり座の人間についてはロクなことが書いてない。「暗い」とか「怒ると怖い」とか「執念深い」とか。極めつけは「実はすごくスケベ」とか(爆笑)。そう,今ここにいる10人の老若男女はみな,暗くて,怒ると怖くて,執念深くて,実はすごくスケベな人達なのだ。

確かに私の前に立っている初老のオッサンなんか,すごく胡散臭い...暗く翳りのある表情で,口元はへの字に結ばれ,苛立ちを抑え切れないかのように時おり何やら小声でつぶやいている。更新の書類を丸めて握ったその手は毛むくじゃらで,いかつい。服装は上下をデニムで固めているが,何だか薄汚れていて,普段着なのか作業着なのか判らない...う〜ん。いかにも執念深くて怒ると怖そうだ。かすかに漂う退廃した雰囲気は,若かりし頃の荒淫三昧の名残かもしれない。

その前に立つ女の子も,何か雰囲気暗いです。いでたちは学生風だが,どこかやつれた感じがあり生活感がにじみ出ているため年齢不詳。何気に化粧は濃い。あっち向いたりこっち向いたりキョロキョロしてちっとも落ち着かない。すごく神経質そうだ。この人もどこか退廃した雰囲気があるなあ...きっと裏では爛れた性生活を...いや,止めとこう。だってこの人も怒ると怖そうだし。

そして何より私。東洋人にしちゃ身長は大きい方だが,ガニ股で,白髪混じりの頭はボサボサ。服装は学生風だがどことなくくたびれていて年齢不詳。周りをジロジロ眺めて一人でニヤニヤしていたり...そうか一番怪しいのは俺か。そういや俺も荒淫三昧の生活の残り香漂わせて...ないない。

...いやそれにしても怖い。さそり座10人。とてつもなく怖い。怒らせると何するか分らんぞ。何だかすごい国際テロリスト集団みたいだ。○○組より怖いかもしれない。1日中こんな人達の相手をしていて窓口のオバちゃんは怖くないのだろうか。

などと考えていたら,初老のオッサンとその女の子が話し始めた。荒淫作業員と爛れた女学生のおぞましきテロリズム会話かと思いきや,今日は混んでるね,とか,エライ時間帯に来ちゃったね,みたいな普通のニコヤカな会話だ。あげくに同意を求めるように私の方を見る。仕方ないので "Yep, I think so." とバカな英語で合わせておく。前の方でもオバちゃんたちがにぎやかに話し始めた。何だ普通の人達じゃん...って当り前か。

占星術にしろ,血液型占いにしろ,「あなたにはこういう人格特性があります」と言われると結構その気になってしまうものだ。
占星術の知識のある人とない人を集めて自分の性格の自己評価を書いてもらうと,占星術を知っている人は見事に占星術の影響を受けた自己評価をするという。占星術の知識のない人だけを集めて心理検査をし,ホロスコープと人格特性の相関を調べると,全く「無関係」だったという報告もある。「自己評価」というのは結構簡単に誘導されてしまうものなのだ。

とすると,罪もないさそり座の人間達を危険な人格へ誘導しようとしているのは誰だ。国際テロリスト集団の陰謀か。
どうでもいいが,「すごくスケベ」に誘導するのだけは止めてくれ。実は本当にスケベなんだから。




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P.S. 現在,極めて忙しくしております。メールその他,連絡が遅れがちですがどうぞご容赦下さい。

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平成14年10月22日 無題な日々

帰国が決まったので,いよいよ大忙しである。どのくらい忙しいかというと...いい例えが全く浮かんでこないほどである。

とりあえずこっちにいる間にしかできないことは全て済ませておかなければならない。データの解析や論文書きは日本へ帰ってからでも何とかできるが,データ録りだけは終わらせなければならない。録れるだけのデータを録って帰るのだ。

それなのに今度ラボに入った新しいシステムは悲しいくらいまともに動いてくれない。納入の時に来ていたイタリア人のオッサンはこれまた素敵なくらいやる気のない人で(笑),私とどっこいの下手クソな英語で雑談ばかりしていてとても楽しかったが,機械の方までやる気がないのには困った。
それでもみんなでつつき回しているうちにまあ何とか脳波はとれるようになったのだが,今度はどうしてもトリガーの信号を認識してくれない。こりゃ信号を出す方のプログラムをまた書き直さなければならないかなとビクビクしながら業者に問い合わせると,ヘッドアンプに直接DCの信号をぶち込めという。数Vあるような信号をヘッドアンプにぶち込んでも壊れないかどうか,大実験は明日だ(笑)。

毎朝の気温が0℃近くまで下がるようになり,いよいよ初雪も間近。紅葉がとてもキレイだったので,散らないうちにと思って,昼休みにデジカメ持って大学構内をウロウロしてみた。ところが,さあ撮るぞ,と思ったら電源が入らない。おいおいお前までやる気を失って雑談モードか,と焦るがどうも建物内外の気温差で結露したのが原因らしい。しばらくすると無事に動いてくれた。

バックに見えてるのは図書館の建物。因みに気温は3℃。
そのへんのベンチでティム・ホートン(カナダでメジャーなドーナツ屋)の
ホットチョコレートをすすっていると身体の内外の温度差が心地良い。
ただし,やり過ぎると結露する(しねえよ)。

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