革嶋城
 
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革嶋館跡、現地公開資料
■所在地 京都市西京区川島玉頭町
■調査期間 2009年8月31日〜2009年9月30日
■調査機関 (財)京都市埋蔵文化財研究所 http://www.kyoto-arc.or.jp/


はじめに
 宅地造成工事に伴う京都市文化財保護課の試掘調査によって中世の堀、土坑などの遺構が見つかったため発掘調査を実施しました。対象地は、山城国葛野郡革嶋荘の領主革嶋氏が住んでいた館跡です。革嶋荘は平安時代末期は公家近衛家の荘園で、この管理を任されていた役人が革嶋氏です。当初荘園経営の中心として荘務をつかさどる政所屋敷が設けられ、中世には館となり、さらに堀と土塁で防御する平城へと変遷したと考えられています。革嶋氏が鎌倉時代から代々残してきた『革嶋家文書』(京都府立総合資料館所蔵)の江戸時代中期の絵図には、革嶋春日神社を含む南の位置に、土塁と堀に囲まれた館跡が描かれています。今回の調査地は、東側の堀と土塁が示されている館跡の南東の一角にあたります。

調査の結果
 調査区北側の現地表下0.7m〜0.8mで、南北方向の堀1を発見しました。堀の時期は室町時代後期から江戸時代で、規模は幅約5m、深さ2mで、さらに調査区外に延びています。また、堀1から約7.5m東にも南北方向の堀2が残っていることがわかりました。堀2は幅4m以上、深さ1.6m〜1.8mで、東肩部は調査区外に延びています。調査区南端で西に屈曲しており、調査区外の西約47mで行われた試掘調査において確認された南北方向の堀につながると考えられます。堀2は絵図に示された館の南東部の区画と考えられます。また堀1の西側には井戸3、集石遺構4、棚5、柱穴群などがみられ、館内の施設とみられます。
 出土した遺物は、室町時代から江戸時代の土器類が中心ですが、堀2の埋土からは江戸時代の瓦類が数多く出土し、建物の軒先きを飾る軒瓦もみられます。
 その他に堀1の西側では館築造以前の古墳時代の土坑や溝状遺構が残っていました。堀2の南肩付近でも古墳時代の竪穴式住居がみられ、さらに調査区外の南側では同工事に伴う立会調査で、古墳時代以前(住居2)と古墳時代(住居1)の竪穴住居跡を各々1棟確認しています。また、古墳時代の土器類も出土しています。

まとめ
 堀2と試掘調査で見つかった西側の南北堀との内幅は約47mです。土塁については堀1・2間に造作されていたと推定されますが、すでに削平されていました。堀1は内堀と考えられますが、調査区外の南側の状況が明確でないことなどから、今後の検討課題です。堀1西側の室町時代の井戸、集石遺構、柱穴などは、館内部の建物配置や施設の状況を考える上で重要な遺構です。
 また、古墳時代の遺構や遺物は、館跡以前の当地一帯の開発時間を知る上で注目されます。



「東西47メートルの堀跡が発掘され、江戸時代中期に描かれた古文書の絵図そのままの位置、規模が証明されました。この地は近くに桂川が流れ、土地も硬く、しっかりしているので、革嶋氏が居城を構える以前から、遙か古墳時代、卑弥呼が生きていた時代から、この地で生活をしていた村落があり、竪穴住居跡が2箇所発掘されました。それが今回発掘調査をした最大の成果です」と、京都埋蔵文化財研究所の職員が説明をしていました。

革嶋館跡

土塁の構造
 城は「土より成る」の言葉通り、城造りの初期の段階では土塁が防御の生命線でした。革嶋城も立派な土塁が特徴です。土塁は内部への敵の侵入を防ぐ目的があり、革嶋城も土を盛って造られています。その土は他所から運び込む必要があり、そのために革嶋城も堀を掘った排土が利用されたのです。堀を掘った排土を、そのまま城内側に積んで突き固めればおのずと土塁が完成します。このように、堀と土塁は切っても切れない関係です。石垣と天守閣に代表される近代城郭の進化の過程が解り、堀と土塁からなる平城の代表格といっても過言でないのが革嶋城の存在価値と思われます。
土塁イメージ


調査の成果
 調査区北側の現地表下0.7m〜0.8mで、南北方向の堀1を発見しました。堀の時期は室町時代後期から江戸時代で、規模は幅約5m、深さ2mで、さらに調査区外に延びています。また、堀1から約7.5m東にも南北方向の堀2が残っていることがわかりました。堀2は幅4m以上、深さ1.6m〜1.8mで、東肩部は調査区外に延びています。調査区南端で西に屈曲しており、調査区外の西約47mで行われた試掘調査において確認された南北方向の堀につながると考えられます。堀2は絵図に示された館の南東部の区画と考えられます。また堀1の西側には井戸3、集石遺構4、棚5、柱穴群などがみられ、館内の施設とみられます。
 出土した遺物は、室町時代から江戸時代の土器類が中心ですが、堀2の埋土からは江戸時代の瓦類が数多く出土し、建物の軒先きを飾る軒瓦もみられます。
 その他に堀1の西側では館築造以前の古墳時代の土坑や溝状遺構が残っていました。堀2の南肩付近でも古墳時代の竪穴式住居がみられ、さらに調査区外の南側では同工事に伴う立会調査で、古墳時代以前(住居2)と古墳時代(住居1)の竪穴住居跡を各々1棟確認しています。また、古墳時代の土器類も出土しています。

革嶋館跡、調査区平面図
調査区平面図