雨が降り出さなければ、と思いながら、阪急・桂駅からの、のどかな道を歩いていました。大阪・靫公園前のカフェから、京都西岡の革嶋城跡発掘現場へとつながる、ご縁の道をI.T.氏と一緒に。発掘現場での説明会はもう始まっているはず、気ぜわしい思いでした。「9月26日の説明会に来たとき、おばさんが前を清掃していた店が、もうなくなっている」とI.T.氏。空き店舗を感慨げに眺めやる。やっと今井用水を渡って住宅の間を進むと、カメラを吊り下げた私たちを見て、「発掘はあちら」と近所のご婦人方に教えられました。東西25m、南北16mほどの矩形に堀りこまれた現場の底で、研究員がすでに、堀の跡を示しながら説明中でした。熱心な見学者が多勢で矩形穴を囲み、私はなんとも場慣れしない、緊張感に立ちすくむ思いでした。幸いにも、研究員は、入れ替わって、さらに説明を続けてくれました。研究員の胸元には、「入場許可証」の名札が見えました。密かに楽しんでおられるのかと思い、一寸微笑ましかったです。
聞き取れた説明と、不勉強ゆえの私の素朴な質問へのお答えをまとめますと以下の通りです。
家屋は、瓦の出土が少ないことから板葺か、もしくは檜革葺きであること。土塁、水堀に石垣はなく、板を並べて杭で止めていたらしいこと。発掘によって4〜6世紀の古墳時代の住居と見られる柱跡のあること。西岡丘陵先端にある古墳時代の墓は、大和の箸墓古墳の半分の大きさではあるが、同じ設計によるものであること。十分には聞き取れませんでしたが、驚きの連続でした。
人の輪を少し離れた場所に、今この土地の所有者である小西さんの奥様が、談笑しながら立っておられました。この地に住む方々の表情は、どなたも穏やかで、ゆったりとされています。平安の世から続く、革嶋家を始めとする城館群の放つ磁場なのでしょうか、古墳時代から安全な住居地であった地味がなせることなのでしょうか。
今回もテントの下には、出土品が並べられています。その中で注目すべきは、弥生時代の、石の包丁とのことです。I.T.氏の掌にすっぽりと入る小型で黒く、硬い石、片方に削り取って作った刃、その背の部分も丸めていて、持ち心地よく、これはまさしくGood
Designです。これを内向きに手にして、高さも、収穫期も異なる当時の稲穂を一つひとつ刈り入れたのだそうです。
最後に、前回(09.9.26)の発掘説明会の現場写真を撮るために、細かい小雨のなかを移動。道路沿いの学生用マンションの廊下にあがらせていただきました。今井用水越しに、全景写真を撮りました。開発はかなり進んでいまして、館跡は完全に埋め戻され、堀跡の上には道路が工事中でした。開発がすすむと、全景はますます眺めにくくなります。マンションの階段踊り場には、丸窓が切ってあって、阪急電車の走行が見えます。この町の全てが落ちつきと気品を持つように思えたのは単に私の気のせいなのでしょうか。初めてお会いした革嶋恒徳氏の面立は、武士、豪士というよりは、お公家さんに見えました。駅への帰途、I.T.氏は路上に朽葉を一枚発見して、何枚ものシャッターを切っています。さすがに写真家です。実に美しい枯れ方です。(私は持ち帰って水彩で模写してみました。) |
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A.M.10時より発掘現場に立って説明されていました。
弥生時代の宝物。今回出土した土器のなかで一番古い時代の石器。弥生時代の人がこれを手にして、1本ずつ稲穂を刈り取っていたとおもわれます。
マンションの丸窓から、
桂方面を眺める。
説明会の帰途、
アスファルトに一葉の朽葉。 |