今まで使用してきたPCのこと等
1.ことの起こり。
初めにコンピュータに興味を持ったのは、高校生の頃父親が買っていた雑誌(RAM、マイコンピュータ、I/O、アスキー)等に載っていた、ワンボードマイコンを見たときである。
それらの雑誌に載っていたTK-80,EX-80等のマイコン欲しくてたまらなかったが貧乏高校生に手が出るわけでもなく、指をくわえていた。
初めて、プログラミングの出来るマシンを手に入れたのは、カシオのプログラマブル電卓fx502pという電卓だった。
これとて、自分で購入できたわけではなく父親のお古で、父親が自分の電卓をfx602pにアップグレードしたため譲り受けることが出来たものである。
2.ポケットコンピュータ。
その後、父親がプログラマブル電卓(ポケットコンピュータ)を買い換える度にお古が頂けるというありがたい状態が続いた
ということでポケットコンピュータの遍歴。
fx502p(カシオ)->fx602p(カシオ)->PC1500(シャープ)
ちなみに、fx602pは未だに現役である。
3.はじめてのPC。
初めて我が家にPCなる物やってきたのは、1982年に父親が東芝製のパソコンPASOPIAを購入したときである。
このマシンは後にPASOPIA5として、名前を変えて再発売(?)されることになる。
4.PCにはまる。
PCの深みにはまったのは、予備校時代からの友人T君(彼とは同じ大学に進学した。)とその大学のマイコンサークル(当時はパソコンとは呼ばず、マイコンと呼んでいた)に入部するために部室に行ったときである。
そこには、サークルの先輩のPC8001(決してPC9801ではない。)があり、ゲーム(BugAttackって名前だったかなぁ?なんか混乱してるかも。ちなみにI/Oという雑誌に掲載されており見たことはあった。)が走っていた。
5.APPLE][。
サークルのご本尊は、APPLE_][のコンパチマシン(御免なさいです当然海賊版なのです。でも本物のAPPLE][なんて手が出るわけもなく、このせいでAPPLE社の売り上げに影響なんかでないです。)で、当時はケースもなく、また外部メディアは、カセットテープレコーダー(しかも裸のメカ!!)だけだったが、本体、テープレコーダのケースの作成(なんと木製!!)、FDの追加などを行い、また6809ボードを追加してマイクロマウスの開発(サークルとしてです。私は殆ど足手まとい。)何かをやっていた。
サークルのメンバが某所からAPPLE用のゲームソフトを大量に仕入れてきたことをきっかけに(またしても海賊版です。)部員の何人かがAPPLEのコンパチ機を個人用に作り出した。
かくいう私もその中におり、APPLE地獄へと堕ちていくのであった。
(現在、APPLEは実家で母のゲームマシンとなった後、具合が悪くなり冬眠中。)
6.MSX。
家のPASOPIAはついにメジャーになることはなく、父親も何かメジャーなマシンが欲しくなり、松下製のMSX2(FS-A1FM)を購入。(但しPASOPIAは未だに現役選手です。FS-A1FMも現役です。)
私は、家にいる間は主にAPPLEコンパチを使っていたが、就職のため実家を離れたのをきっかけに、Sony製のMSX2(HB-F1)を購入した。
MSXは、以後8年間メインマシンとなる。(途中、三洋製のMSX2+(PHC-70FD)に買い換えたが。)しかも、6年ほどパソコン通信用のマシンとして活躍するのであった。(1200bpsだよ、1200)
(HB-F1は後に弟に譲る。弟はMacを購入したのでその後は不明。PHC-70FDは現在息子、娘のゲームマシンとなっている。)
7.AT互換機。
1996年2月、ついにAT互換機を購入することとなる。マシンはPackard Bell Axel。P5−100、16M、1.2G、28800bps、14inchモニタ、¥218,000というスペックである。当時としてはなかなかのコストパフォーマンスであった。
実は、ほかのマシンが欲しかったのであるが、プリンタ込みで25万という予算の中で上記のスペックでは選択肢がなかった。当時、この値段では他のマシンはメモリが8Mしか無かったのである。
自作という意見も有ろうかと思うが、モニタ、OS、モデム、取り敢えずのアプリをそろえるとなると結構かかるのである。
その後、スキャナを購入し現在に至る。
メモリー48Mに増設。(^^)
以下、執筆中。
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