まだ日本にパソコン通信のホストが無い頃、雑誌に出ていたアメリカのBBS(sorceだったかな?確か本多通商(現ぷらっとほーむ)が代理店をやってたと思います)の広告をみて憧れていました。当然そのころは300bpsでした。
300bpsといえば学生の頃学内の計算機センタに卒研の研究室から300bpsの音響カプラで大型計算機にPC9801を繋いで科学(化学なんですけどね)計算させていたことを思い出します。
バッチ処理なので今考えても通信速度自身は遅いとは思いませんが、計算結果が2〜3時間かかって、しかも入力したパラメータが悪くて計算機センタに結果のプリントアウトを取りに行ったらエラーだったという結構情けないこともありました。
しかも計算機の実習をしている学部生(この場合3年生以下のことです。私も院は行ってません)がせっかく出てきたプリント結果を何〜だこれっ?!って思ったらしく何回か捨てられていたり (;_;)
PC−VANが始まった頃はまだ学生だったか会社の独身寮に居た頃だったのでこれも指をくわえてました。
寮を出て電話を確保してすぐにパソコン通信のIDとりまくりました。(収入は今の半分ぐらいでしたが、独身の強みで可処分所得が多かったのです)
日経MIX,Ascii−net,Nifty,PC−VAN,Asahi−net,People(有料のところ、無料のところも結構ID持ってました)
結婚してNifty,PC−VAN,Peopleに絞り新たにJustNetを加えました。
MSXでパソコン通信を始めた頃、まだパソコン通信とインターネット(その頃まだインターネットという用語は一般的でなく仲間内ではJUNETの名で呼んでいました。)はメールのやり取りが出来ず、大学のサークルのOB会のメーリングリストのやり取りをパソコン通信とインターネットのメールアドレスを両方持っているメンバが人間メールゲートウェイでやり取りをしていたという、今考えると凄いこともやっていました。
(注)
音響カプラ:
まだモデムが一般的では無かった頃電話の受話器をこの上に置いて受話器を通して通信を行っていた。
当然、雑音には結構弱かった。
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