(昭和40年 頃) @@画像をクリックすると拡大表示されます@@
春日町からつり橋がかかっていて,シュ―パロ川向こうのグラウンドにいけるようになっていました。この写真は弥生町の高台になっているあたりからみたものでしょうか。また,グラウンドの向こうには,宝町方面が見えています。大夕張炭坑で働く人達の職場のチームがあって,しばしば,ここで,ユニフォームを着たお兄さん達が野球をやっているのを見た記憶があります。当時ひとなみに草野球少年だった私は,かっこいいユニフォーム姿にあこがれていたものです。 (98/06/13 更新)
【平成9年 春日グラウンド】
下は平成9年に撮影された写真です。現在までバックネットがこんな形ではっきりのこっていることに驚きました。そして木立の合間から見える春日グラウンドは今でもつかえそうな錯覚がします。川向こうのここに渡るつり橋は閉山直後になくなっていたようです。
撮影したのは,乗田功一さんです。ご本人のコメントとともにここに掲載させていただきます。
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去年撮影の春日グラウンドの写真 乗田 功一 平成10年6月12日
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宝町側のガケぎりぎりの所から135mm望遠で、生い茂る木々の隙間から撮影した春日町グラウンドの「バックネット」です。
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春日町の川辺(代々木アパートの先から右に入る道の突き当たり地点)から見たグラウンドへ渡る釣り橋の橋脚です。
私も子供の頃は空き地で野球をしたりしていましたが、この「春日町グラウンド」は、子供が気軽に遊べるような雰囲気のところではなく、「大人のための施設」という感じがしたものです。
実際、球場としての設備も本格的で、スコアボードなども立派なものがありました。
現在、このグラウンドへ行くための唯一の手段である吊り橋が無くなっていますので、ここへは立ち入れないのですが、吊り橋があった辺りは浅瀬で「4WD車がよく川を渡って向こう側へ行っているようだ」と、近くで釣りをしている人が言っていました。
(1)【泊川俊徳さん】
春日町のグランド
もしかして 便所場球場の事でしょうかね。
子供の頃 まだ し尿処理場が無い時代、馬車に木製の大きな箱 トイレの汲み取りを 川渕の上から 流してた時代が有りました。
夏 川岸がウンチの層に成ってました。
ですから 大夕張は衛生状態が悪く 伝染病がヒンパンに流行してました。
し尿処理場が出来て ウンチ捨て場がグランドに成り 便所場球場と呼ばれるように成りました。
昔 大夕張
伝染病で 他の街の旅館に泊まる時、大夕張の地名がだせない時代が有りました。
大夕張から来た客は 断られ 伝染病が移ると 厄介だからと 不名誉な時代もありましたよね。
( 2006/08/24(Thu) 11:17)
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