(924)「シューパロ塾」「三菱大夕張鉄道保存会」からのご案内 投稿者:奥山道紀 投稿日:08月31日(木)22時15分12秒
●9月2〜3日は「シューパロ展」です。 三菱大夕張鉄道保存会でも出展を予定してますのでご来場下さい。 場所は南部新光町・南部体育館(旧三菱南大夕張体育館)です。飯田さん制作の 「大夕張色の情景」も展示されます。 1.エコレール(自転車改造のトロッコ)の試乗 2.HO模型運転(DLによる混合列車) 3.Nゲージモジュール展示(大夕張色の情景) 4.講演会(2日15時より予定) 15時より「シューパロ塾」主催で北海道開発コンサルタント取締役進藤氏によ り「シューパロの橋」というテーマで講演があります。 その後、私が「映画の舞台・三菱大夕張鉄道」としてビデオにより映画の舞台と なった大夕張鉄道を解説する予定です。 時間があれば、他の三菱大夕張鉄道の映像も上映したいと思ってます。 ●9月17日の作業日に「南部汽車フェスタ2000」を開催します。 11時開催の予定で エコレール(自転車改造のトロッコ)の試乗の他、鉄道書・グッズの販売(益金 は活動費とします)、ダルマストーブを使いコーヒーを入れるなど楽しい企画を 用意しています。 皆さんのご来場をお待ちしています。
(923)ミミズの謎 投稿者:内川 准一 投稿日:08月31日(木)20時13分49秒
自分のことを言うと、物好きな人間で、興味がわくといろんな所に出向きます。 同時に、わからないことにはいつまでも拘泥するナンタラ質の面があるようです。 そんな私が、無農薬農作物を買いに、かみさんを連れて北広島まで出向きました。 そこで、虫食いの穴だらけのキャベツを発見しましたが、さすがにこれは買えま せん。無農薬では葉物野菜の栽培はつらいのです。 キャベツの葉っぱの青虫取り。昔はよくやりました。 青虫だけでなく、鹿島小学校のみそ汁の給食には、ミミズも時々入ってました。 飲み干した椀の底から出てきたこともあれば、クラス全員が無事に食べ終えた後 になって、何気なくかき混ぜた給食バケツ(?)の残りの中からワワと言うくら い出てきたこともありました。何でこんなにいるんだ? オエー 笑ってください。私は最近まで、このミミズたちはキャベツの中から出てきたも のだとばかり思いこんでいた。 だけど、職場の同僚にこの話をしていて言われた。「ミミズはキャベツにはつか ない」。「当たり前じゃないか!」 それでは、あのミミズ達はどこから来たのだろう。これが私の疑問です。 これに対する推測はこうです。 ミミズは水道の蛇口からでてきた。そこで、水にうるかされているキャベツの葉 の中に潜り込んだ。おばさん達はよそ見しながらそれを刻んだ。 なにせ、2千人に近いマンモス小学校だったのだ。当時。 実は、小学校の厨房の洗い桶の中にミミズがいるのを見たことがあったのだ。 では、なぜ水道にミミズが紛れ込んだのだろう。そして、どうして、一般の水道 には(知る範囲で)ミミズがいなかったのだろう。 これには、さらに、こう推測する。 1 小学校の水道は、他とは別系統で川から直に引いていたのではないか 2 水道管から小学校の厨房の間に、外部に水をためておくマスかプールがあっ て、そこから入ったのではないか 3 水道は時々断水した。そのとき、水が抜け負圧になった水道管の中に、泥と 一緒にミミズが逆流して入ったのではないか。昔の管はつなぎ目だらけだ。 本当の所は、全くわからない。推測だけだ。 もし誰か、ヒントになるようなことを知っていれば教えてください。 「なぜ大夕張だけに小児マヒがはやったのか?」 関連があるのかどうか分かりませんが、こちらの疑問も、私の中では謎のままです。
(922)砂金掘体験会(続) 投稿者:伊藤 勲 投稿日:08月29日(火)23時37分40秒
シューパロ塾事務局の伊藤です。 27日の鉄道保存会の作業に参加された皆さん、ご苦労さま でした。所用のため、正午のサイレンとともに逃亡(?)してしま い、申し訳ありませんでした。 飯田さん、お預かりした「Nゲージモジュール」はシューパロ展 までの間、大切に保管しますのでご安心下さい。「Nゲージ・・・ 」の意味を教えてもらいましたが、きれいに忘れてしまいました。 再度、再々度、内緒で教えて下さい。 奥山さん、砂金掘体験会の報告、ありがとうございました。 私から今後の予定を含めて学習会の内容を報告します。 26日、雨のため、9時から砂金掘の講義がありました。 当初は佐久間大さんにお願いしていましたが、佐久間さん の大先輩の藤田進さん(86歳)も同席され、お二人から体験 談を話していただきました。 藤田さんは昭和8年から応召される18年までの10年間、 大夕張で砂金の採掘をしていました。夕張の砂金、砂白金は 良質で、特に白金(プラチナ)は戦闘機のエンジンのプラグに 使用されていたそうです。時の東条英機首相より感謝状を もらったが、終戦後、焼却してしまったそうです。 (残っていれば貴重な資料だったのにもったいない) 当時の大夕張は国内一の生産量を誇っていました。 佐久間さんは、戦後、現在のダム下流の菊水町付近で 3年間、採掘していました。その頃は算出のピークは過ぎて いたそうです。砂金1匁(3.75g)が米1俵に相当したそうで す。 お二人のお話しの後、佐久間さんより、持参した道具を使っ ての模擬実演がありました。砂金掘の方法は200種類くらい あるそうですが、佐久間さんは3つの方法で行なっていたそう です。実演はその中の流し掘という方法で行なっていただきま した。 砂金掘の体験実習は、佐久間さんがかつて採掘していた場 所(南部菊水町)で準備していただき、9月にあらためて行なう 予定です。日程が決まり次第、掲示板等でお知らせしますの で、関心のある方はご参加ください。
(921)砂金掘り学習会と三菱大夕張保存会活動 投稿者:奥山道紀 投稿日:08月26日(土)22時21分15秒
本日、南部のコミュニティーセンターで「シューパロ塾」の 砂金掘り学習会がありました。午前9時より佐久間さんから 砂金掘りの説明があり、午後からは実際に沢に入り実演の予 定でしたが、雨天で実演・体験学習は中止となりました。 明日は、三菱大夕張鉄道保存会の作業日です。 天候もなんとか回復しましたので、近所にお越しの方はお立 ちより下さい。
(920)大変嬉しい!! 投稿者:工藤 孝幸 投稿日:08月26日(土)14時35分36秒
ヒロさん、私の同期生の鷲谷は、只則さんの 弟です ちなみに私の従兄弟の 佐藤嘉明は ヒロさんと同期生ですね。 斎藤敏幸さん、中学の時たしか体が大きくて、目が大きい人でしたよね? 自分は、小さくて結構、生意気だった 工藤です あ〜あれから30年、今わぜんぜん小さくないんです それでは また・・・
(919)懐かしい 投稿者:長屋敏子 投稿日:08月26日(土)09時56分58秒
林鉄の名前が、載っておりました。今は亡き父母の言葉にあったように懐かしい 響きがあります。ちなみに母は千年町で喜多乃屋の屋号でそば屋を営んでおりま した。今も年一度、何も無い家の跡地を訪ねます。 S25年頃から48年頃までの思い出が心に刻まれております。特に大夕張劇場 がボリュウムいっぱい上げて本日の上映映画は・・・ときれぎれのアナウンスが あったこと。隣家の割烹ロマンの事やきれいだったいち子姐さんのこと。そんな 中で母が私達を育ててくれたこと、いっぱい思い出されます。 当時自宅にお風呂が無く、うまやはらさんの銭湯に行ったり水道も共同なので水 汲みもしました。天秤棒がうまく使えずヨロヨロしたことが印象深いです。 思えばいっぱい懐かしいこと。大夕張もなくなったけれど、こころに有る故郷です。 きっとみなさんもそうなのでしょうか。 (08月25日(金)21時53分10秒:投稿)
(918)21期生は何処? 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:08月25日(金)23時58分52秒
このHPで一番元気なのが26期生の皆さんですね! 自分と同じ21期生はイマイチ弱小ですね... 工藤さんは22期生なんですね、としさんと同期生ですよね? これからもどうぞ宜しくお願い致します 平形さん、鷲谷さん、とても懐かしいお名前の方がいらっしゃいます 自分と同級生の「鷲谷只則君」とはご親族でしょうか? これからも、このHPで宜しくお願い致します。
(917)俺も仲間に入れて 投稿者:工藤 孝幸 投稿日:08月24日(木)16時31分22秒
会社のネットを何気に開いたら なんと素晴らしい 大変懐かしい 大夕張があるるでわないか。 きっと、自分の知ってる人がいると 思いながら見ていくと あった 俺は 鹿中22期生 だったんだ 安田悦子さん あなたわ確か 中1の時 同じクラスで 同じ班 あ〜懐かしい 涙が出そう 7月19日 平形、鷲谷、亀谷、と札幌で飲みました 大夕張出身みんないい人だ 今は、東京で仕事してます 暇があれば 誰かメール下さい 以上
(916)汽笛の目覚まし 投稿者:今井和弘 投稿日:08月23日(水)16時30分46秒
偶然にこのHPをみつけて、なつかしく思い投稿しました。 私は、昭和38年2月に、富士見町5丁目48番で生まれました。その後、富士見 町4丁目1番、富士見町1丁目13番と引越しをして、昭和47年5月にふるさと 大夕張を後にすることになりました。その9年あまりの間、思い出は星の数ほど ありますが、ここでは4丁目の家での思い出について書きたいと思います。4丁目 1番の場所は、栄町の購買会の裏あたり、ちょうど、富士見町と栄町への小道の 踏み切り(当然、警報機などありません)のすぐ近くのところで、汽車は、この 近辺で豪快な汽笛をならしてとおりすぎるのでありました。 正確な時刻は覚えていませんが、確か、朝6時ごろ機関車1台(単行)が走り、 朝の7時10分頃、清水沢方面の始発の混合列車がとおり、まさに目覚まし替わり の汽笛をならして通りすきた。炭山駅から4丁目の家までは、今から思うと たいした距離ではありませんが、子供の頃、炭山駅の発車の汽笛から、ドラフト 音がだんだんおおきくなり、家の前でのトドメの汽笛がなるまで、ずいぶん長く 感じたもので、いつ汽笛がなるかとドキドキしながら構えていたものです。 この汽笛は、我が家にとっては朝ご飯の時間の合図でもありました。 この汽笛の音は、自分にとってまさに生活の一部となっていたように思います。 ちなみに、おそらく98年7月に投稿がありました森田さんと、小学校1・2 年生の時の同級生です。担任は正木先生でした。 私は幼稚園が少数派だった第一聖心幼稚園組で、村山さんや山下君なども同じ でした。皆さん、お元気ですか?(ちなみに、私は当時、とんでもない悪ガキ で(知っている人は知っていると思います)、友達とのケンカの思いでのほう が多いのですが、今となってはいい思い出です。
(915)北海道新聞日曜版 投稿者:奥山道紀 投稿日:08月21日(月)23時37分47秒
昨日の北海道新聞日曜版「北へ…」に大槻文平氏の記事がありました。 三菱鉱業の労務畑を長らく努め炭鉱合理化の際には「首切り文平」の あだ名があったと言います。 北海道の勤務は札幌・美唄が中心ですが大夕張鉱業所の看板は大槻氏 直筆らしく、紙面にその写真が掲載されていました。
(914)青年の夜学 〜山奥の出張教育所〜 投稿者:飯田雅人 投稿日:08月20日(日)11時39分08秒
お盆も過ぎましたが,お盆に祖父の家に行って,祖父が残した机上の原稿用紙 をパラパラとめくっていると,大夕張という字が見に飛び込んできました。 祖父の書き残したものとしてはこれが最後になるかもしれませんが,掲載させて いただきます。 『青年の夜学 〜山奥の出張教育所〜』 長谷川 安造 今から50余年前のこと(昭和15年頃か:飯田注)大夕張尋常小学校から更に 15km位川の上流地点に冬山造材所があり,そこで数十人の青年たちが働いて いて,山奥の青年夜学出張教育所が開かれていた。 私は或る土曜日の夕刻スキーで林鉄沿いに細い雪道を,造材事務所を目指し急 いだ。歩き出してから12km地点で早や日は暮れて,自分の歩く音しか聞こえ ない静けさである。その時右手前方に突然尾太茶色の大狐が現われ,きょとんと 私を迎える様に立っている。驚いた私はストック振り上げると,大狐は素直にも 林間に隠れ入った。それから私は一段とスキーの速度をはやめ,やがて事務所に 辿り着いた。 戦前の当時は勤労動員と称し,動ける者は皆誰でも生産活動に精出ししたもの だ。そしてどんな僻地山奥にいても,学習の機会は得られた。人里離れ15km 山奥に働く青年のため,私ども4名の教職にある者交替で,道徳・国語・算数を 週一度,出張授業に当たった。出張の山行き土曜日は早飯で4時頃家を出て,午 後6時半迄に事務所につくことになっていて,2教科の授業を済ませ一泊し,翌 日帰宅する様になっていた。 一日の労働に疲れ切る青年達,面白くもない道徳と算数に耳を傾けてくれた。 彼の青年達の姿は今も私の胸に尊く残っている。そして眠気を吹っ飛ばす程の話 術の無かった自分を恥じ,反省している。 ------------------------------------------------------------------------ ここに出てくる林鉄(森林鉄道)は主夕張森林鉄道のことだと思いますが,昭和 9年に着工され,12年に開通したそうです。シューパロ川上流15.4kmあったそ うですから,大夕張は炭鉱の町として栄えましたが,採炭とはまた違った面で最 前線で日本を支えてきた人々の姿をかいま見ることができます。 また,『鉄道廃線跡を歩くV 』JTB発行(宮脇俊三編著)の大夕張周辺の森林鉄道 の項を見ると,炭鉱開発とほぼ同時期に大夕張を基点に驚く程,山奥に伸びていっ たことがわかります。 もっとも私が物心ついた頃には,すでに木材の積み出しも森林鉄道からトラックに 変わり始めた時期で,記憶の中では,木材を積み込んだ大型トラックの印象が強い ものになっています。
(913)大夕張へ行きました 投稿者:佐々木 投稿日:08月19日(土)16時48分23秒
2年ぶりの北海道2年ぶりの大夕張、妻と子を連れて鹿島小学校へ行って 来ました。別に何かを期待していた訳では無いのですが、偶然に念願だった 飯田さんにもお会いする事が出来ました、しかも、先輩達やこれまた偶然に 小学校時代の湯浅先生にもお会いでき、こんなにすばらしい旅行は初めてでした。 お会いする事の出来たすべての方達に心から「有難うございました」とこの場を お借りしまして、お礼申し上げます。いつも、飯田さんのHPではお目にかかって はいるのですが、実際にお会いすると当時の思い出がかなり鮮明に蘇ってきます。 また、いつか皆様にお会いできる日を楽しみに致しております。
(912)出逢いお目にかかれたすべての方々に 投稿者:飯田 雅人 投稿日:08月18日(金)20時19分06秒
先日の交流会はほんとに思わぬ展開で,1日目,2日目とフルに参加できた 私にとっては感動の2日間でした。 大夕張という一つの地域からほんとにいろいろな方々が巣立ち,そして,様々 な個性や思いをふるさとへ寄せているのだとわかりました。 狭い大夕張という地域ですが,そこから生まれているそんなふるさとへの思い やこだわりを広い輪で支え合い,共感の輪が広がればといつも願っています。 この2日間にそれぞれのいろいろな思いで関わってくださった方々に感謝いた します。
(911)架橋 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:08月18日(金)17時30分34秒
夕張での「お泊り会」は,これまでの交流会とは一味違い,また一段と楽しいときを過ご すことができました。特に,元小学校を利用した宿泊施設に泊まるのは,我が家としては 初めての経験であり、親子4人で感動していました。 今回も新しい仲間が増え,夜中まで元教室の広〜い部屋で「あずましく」交流することが できました。 また,部屋の壁の真中には,富士見町出身の画家である佐々木辰夫さんが描いた「鹿島小 学校」の油絵を,佐々木さんとヒロさんのご厚意により飾らさせていただき,美酒ととも に鑑賞することもできました。 翌日は,鹿島小学校のイタヤカエデの木の下で,ヒロさんの提案によりバーベーキューを したところ,同窓生などの元住民の方々が集まってきて,これまた,楽しく交流すること ができました。その中には,この掲示板にも投稿されている佐々木さんも,ご家族と一緒 に愛知県から来ていました。 また,以前から鹿島小学校の横にノートを置かれていた,自称「原付デブマン」さんとも 偶然にお会いすることができました。この方は,お話しをすると,何とヒロさんと中学時 代の同期生であることが分かりました。さらに,鹿島小学校時代スキー部を指導されてい た「湯浅先生」も来ていました。 親兄弟が住んでいる訳でもなく,建物も消え原野になってしまっても,やはり,皆が帰っ てくる場所は,大夕張なのだと強く感じたところです。そんな思いを寄せる人達の心の架 橋が「ふるさと大夕張」のHPであり,イタヤカエデの木がこれから担っていくのだと思 います。 次回の交流会には,あなたも参加してみませんか。そして,皆で「大夕張」に続く架橋を 一緒に築いていきましょう。
(910)食憶8・お上品な御味 投稿者:長谷川潤一 投稿日:08月16日(水)14時48分37秒
交流会も楽しく過ごし、メロン城にみんなで寄り道。いろんなお土産があります ねー、ワイン、焼酎の酒類、羊羹、キャンディー、ケーキ類、そのものずばりの 石炭まんじゅう、地元に関するお土産がいっぱいです。この時期の地元の味とし て思い出すのは、やっぱりメロンですねー、ヒロさんとメロンの食べ方について の確認をしました。 大夕張を出て驚いたのは、メロンを食べるときに8分の1 カットで召し上がるということです! 4分の1だと食べる、2分1だと喰う、 という表現になります(ホントか?おい)。 正しい夕張人としての食べ方は、 当時、普及し始めた冷蔵庫に、ゴロンゴロンと冷やして置いて、食後に出して、 おかずを食べた後の皿にパカッと真っ二つ!にしたメロンを乗せ、カレーなどを 食べるときの大型スプーンでガボッと種を掻き出し、ブスッと刺してグルリンコ とメロンを掬って食べました。そうでしょう皆さん?流通とブランドが確立して いなかった頃は大胆に食べてましたよねー。個撰の茶色箱のメロンなど、お盆の 最後の時期になると安売りでしたよねー、板垣さん一枚で一箱買えましたもね。 朝に採れたてのメロンを、いちかばちか腐る前に無事届くようにと、木箱を縄で グルグル巻きにして、鉄道荷物で大夕張駅から東京方面に出している方もいまし た。そんな時代ですもんねー。冷蔵庫と高速流通と品質向上の夕張農協に感謝! 皆様のおかげで美味しいメロンがキチンと食べられる時代になりました、合掌。 それにしても私目もヒロ様も、夕張御出身の皆様方も、お下品な食し方かしら?
(909)ありがとうございました 投稿者:奥山道紀 投稿日:08月15日(火)18時36分59秒
先日は交流会に参加させていただきありがとうございました。 実家への里帰り中の参加の為、中座してしまい申し訳ありませんでした。 飯田さんにも会員となっていただいている「シューパロ塾」は長らく大夕張 で教員を勤めてきた正木英造氏が塾長を努めており、何とか地区の歴史を残し 、今後の街づくりを考えようと昨年来活動を続けています。 また、正木氏は夕張市の文化財保護委員も努めており、鹿島小学校資料や他の 資料の保存にも尽力しています。 (鉱業所前のゲートの三菱マークは幌南小資料室に保存されてますし、他の大 形の資料等は芸術の館に保管されてます) その中でも最大のもは三菱大夕張鉄道保存会が補修を進めている鉄道車両ですが、 両会とも毎月何らかの活動を夕張で行っています。 飛び入りの参加も歓迎ですので、里帰りの際にお立ち寄り頂ければと思います。
(908)楽しかったよー 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:08月14日(月)10時03分25秒
次男さん、はじめ幹事の皆さん本当にお世話になりました。 楽しい、楽しい2日間でした、鹿島小のグランドでは、本当に多くの 同窓生や先輩にお会いしたりと、イタヤカエデのパワーを感じました もっと、沢山の大夕張出身者の人達も気軽に参加しましょう! また、いつかイタヤカエデの下でお会いしましょう!
(907)交流会(お泊り会)お疲れさまでした。 投稿者:佐藤 次男 投稿日:08月13日(日)23時18分52秒
お盆の時期にもかかわらず交流会(お泊り会)に参加して下さった皆様ありがとうございました。 また奥山様、高橋様お忙しい中を宴会だけでもと参加していただきありがとうございます。 今回も、新しい方の参加があり第一回交流会から今回まで参加された方の人数が30人近くなり どんどん交流会の輪が広がっていっているのを実感でき大変嬉しく思っております。 ただ残念なのが私の代以外の人達の参加が少ないということです。 是非今度は、もっと色々な代の人達の参加があればなと思っておりますので宜しくお願い致します。 今回は泊りと言うことで腰を落ち着けて朝方まで皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。 たまには、泊りで行うのもいいものですね。 そして、翌日は参加して下さった皆さんと大夕張に行きイタヤカエデの木の下でバーベキューと いつもの交流会の倍の楽しみを味わうことが出来ました。 バーベーキューの用意をされてきたヒロさんありがとうございました。 また参加して下さった皆様本当にありがとうございました。 今後も皆さんの参加をお待ちしております。
(906)業務連絡(??)新規『思い出投票箱』 投稿者:飯田雅人 投稿日:08月12日(土)13時23分17秒
皆様 ご愛用頂いています思い出投票箱ですが,新しいcgiに更新しました。 今までのものは投票が千件を超えると古いデータから削除されましたが、 今回のものは残ります。また,投票と同時に書き込みもできるので, そちらの方も一言ぜひ書き込んでみてください。
(905)大夕張尋常小学校 夕張岳登山(2) 投稿者:飯田 雅人 投稿日:08月09日(水)22時21分35秒
前回の祖父の大夕張尋常小学校時代の思い出の続きです。タイムカプセルの話,確かに あったような・・・。たいていの場合,グラウンドの端の木のそばに埋められているよ うな気がします。自分が植えた記憶は思い出せないですが。 大夕張尋常小学校 夕張岳登山(2) 長谷川 安造 翌早朝は洗顔もそこそこに、薄く霞む霧の中を足元に気遣い、皆言葉もなく黙々のぼる。 明け行くとともに、お花畑の美しい登りを過ぎ、はい松の群生を横断し、間もなく急な 崖道になる。大石のごろごろ重なり続く道。これを登り切ると頂上だ。東の空は幸い明 るい。登り着いた者から「万歳万歳」の声。しばらくして一同ご来光を眼前に神々しい 壮観に見とれ感慨無量。 用意の汗とりと厚着に身を包み、ゆっくりと腹ごしらえにかかる。小樽・苫小牧の海 、日高連峰、十勝岳、芦別岳を眺め、雲間からわずかに見下ろすことのできるわが街を 見つけ、皆大喜びの爽快ぶりだ。下山は急がず走らず今日の恵まれた天候に感謝いっぱ いでヒュッテに着く。 汗拭き、川原で手足を洗い、これから昨夜同様夕食の準備に入る。 その矢先、一人の児童があわただしくかけより、 「先生!Mちゃん橋から落ちたの!」 私は驚いた。 「ええっ!」 すぐ、ヒュッテ横の小川にかかる二本の丸太掛け橋(高さ4・5メートルくらい)にか けつけた。M子は石の川原に起き上がり、 「先生・・・私の手動かないの、どうしよう」 と泣き寄る。 見ると片手首複雑骨折らしい。 「大丈夫、しばらくがまんしてよ」 となだめ、持ち合わせの麦粉と酢、を練り合わせ、油紙で患部に塗布、それから風呂敷 で前腕を吊り固定する。そして安静に休ませ一夜明けるのを待った。この驚きと心配で にぎやかな昨夜にかわり、隠忍自重といった様子で夜明けを待ち下山の途に着いた。 M子は朝食もふだんと変わりなくとり、以外と元気であった。日頃から明るく、滑けい 味のある性格で、応急処置の吊り腕ながらも友を笑わせて下り歩いてくれた。 橋から落ちた際もわらじの紐をほどき、そのまま足を引きづり飄々と渡って、紐を踏ん で落ちた様である。 下山後は直ちに町内に整骨治療には有名人がいたので、そこで手当てを受けた。治癒 も順調に進み、完治までの日数は長かったが、事無く終わり、私もようやく胸なで下ろ す次第であった。いつもの世でも児童と教師父兄が一つに心になれることだ。M子は今 は天理市で相も変わらず朗らかに、還暦を迎える頃と思う。益々幸多かれと祈る。 (昭和62年8月17日 記) ------------------------------------------------------------------------------ これで昭和16年の夏休みの大夕張尋常小学校の夕張岳登山の話は終わりです。 これを読まれているみなさんもご両親や,親戚の方などの大夕張の話をご存知でしたら ぜひお知らせください。
(904)タイムカプセル 投稿者:石原 賢治 投稿日:08月09日(水)19時10分23秒
最近テレビ番組で10年前ですとかもっと昔の子供の頃、学校でタイムカプセルを 埋めてそれを再び掘り出す様子を見ます。大人になったらこうなりたいとか、 当時の絵だとか作文なんかが入っていて見ているほうがほほえましくなったり、 目がウルウルになったりします。 私の記憶違いかもしれませんが、鹿島小の私らの学年の下の年代の人達がそんな ことをしていたように思っています。あくまで子供の記憶なのであいまいです。 当時は大阪万博の開催前で未来の人類に残すものというキャッチフレーズだった と思います。そういった事が全国的に行われていたんだと思います。 自分たちのことでなかったので、偉そうな事はいえませんがもしそんな事が あったのならどうなったのでしょうか? 私は今年44歳になりましたのでこの前後の方々なら何か御存知では?
(903)メロンと言えば? 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:08月08日(火)22時39分22秒
メロンと言えば今しがた、ハーフカットを食べ終わったところですが、大夕張に 居た頃は半分にカットして種を捨て、その空間に大きなスプーンに白砂糖を山盛り にして放り込み、そしてメロンの果肉と白砂糖をゴチャゴチャにスクランブルして 食べた記憶がよみがえりましたが、現代の自分はと...振り返ると とてもじゃないけれど、できゃしないよー そんな恐ろしい食べ方なーんて あれは、超お贅沢!バブリーな食べ方でしたね! 夕輝さん、先程「イタヤカエデの木の下で」拝見しました 本当にいろんなメッセージが含まれていたような感じがして 深い感銘を覚えました。 人生ってホンマにエライし.ん.ど.い.でも人には与えられたステージ? のような物が、あるのかなーと考えさせられました。 一生懸命、精一杯、人生と言う名の舞台を演じきる事が大切なのだと... 一幕の台詞の多さで役者の優劣は決められない事もまた、しかりかな 素敵な人生の立役者でいたいなー と本当に重く読ませていただきました、ありがとう
(902)『イタヤカエデの木の下で』 投稿者:飯田雅人 投稿日:08月08日(火)09時58分38秒
夕輝文敏さんより投稿いただいた『イタヤカエデの木の下で』をアップしました。 この小説について夕輝さんは、「この街で育った子供たちが,ふるさとの絆の下に、 これから交流の輪を広げ育て上げていくという未来へつながる」ことを願って書かれ たとおっしゃっています。 内容はみなさんからの掲示板への投稿や、交流会での出会いで夕輝さんが得た「一人 一人が与えてくれた感動・心意気」が随所に散りばめられています。 ぜひお読みください。そして、お楽しみください。でも、これは、あくまでフィクショ ンのストーリーなので、掲示板へ登場されているどなたにもモデルはいないことを付け 加えさせていただきます。特に「ヒ●さん、肖像権の侵害ゴメンネ(夕輝文敏より)」 とのことでした。
(901)メロンの話 投稿者:飯田 雅人 投稿日:08月06日(日)18時37分21秒
そうそう、メロンといえば、隣の家のトシ坊はおいしいメロンが大好きで、いつも 皮に穴があくまで食べ尽くすと、おばさんが言っていたことがありましたっけ・・(~_~;) 季節には1ケ100円位で開拓の方から農家の人たちが売りに来ていたと思います。 今では夕張もメロンで有名で決して安いものではないですが、それでも夕張にいくと 買って帰ります。 先日子供を連れて夕張のメロン城に行きましたが、その隣の物産館では、いつもメロ ンゼリーを4分の1を試食させてくれます。子供共々有難く頂くのですが、それが 嬉しくまた行きたくなります。
(900)夕張岳と再会 投稿者:石原 賢治 投稿日:08月06日(日)17時28分30秒
先日、郵便局に行く用事が有り、たまたま『ゆうパック』のコーナーを見ていましたら、 夕張メロンの申込書があり手にとって見るとあの夕張岳が綺麗に写真に載っていました。 メロンもさる事ながらあの申込書(パンフ)にもすっかり感激しました。当然メロンも購 入しましたが申込書の夕張岳もしっかり残しています。大夕張から写したものでは無いか もしれませんが、あの山の美しさははまさに子供の頃みた夕張岳そのものです。扱いは夕 張郵便局(夕張市若菜)となっていました。その後申し込んだメロンは3日後に届きまし てあっという間に我家の皆に感動を持って食されました。でも夕張メロンは本当に美味し いですよ。
(899)大夕張尋常小学校 夕張岳登山(1) 投稿者:飯田雅人 投稿日:08月06日(日)00時02分03秒
私の祖父長谷川安造は昭和13年から31年まで大夕張尋常小学校(鹿島小学校) に18年にわたり勤務していました。昨年4月に96歳で鬼籍に入りましたが、 生前書き残したものから、大夕張時代のものがあったので2回に分けて掲載します。 大夕張尋常小学校 夕張岳登山(1) 長谷川 安造 昭和13年春から夕張岳に一番近い麓の、大夕張尋常高等小学校に勤めることに なった。この学校では早くから、児童の健康体力増進を重視し、その一つとして、 毎年夏休みに入るとすぐ夕張岳(1668m)への登山を計画し、年中行事としていた。 高等科1,2年生の内病弱な者をのぞき全員が参加することになっていた。岳の高さ は道内11番目くらいだが、登る途中のお花畑が美しいこと、頂上からの展望がすば らしいということもあり、麓の人はよく登った。 昭和の初めには、登山道もなく、ぺンケモユーパロ川沿いに(一名白金川)右岸、 左岸と川を渡り歩いて9時間かかり、たどり着いた上流地の木陰で一同野宿した。 翌早朝食事を済ませ、高山植物の美しく咲くお花畑やはい松の中を横断しながら頂上を めざし、ようやく登りきって、遠く太平洋上にご来光を拝む。 この快感を忘れ得ず、私など十数回登った。 その後、夕張岳には狭いながらも登山道、つり橋、ヒュッテなども設けられ、営林署 の許可を得て、学校行事として活用できることとなった。 昭和16年、7月受け持ちの高等科2年女子生徒40名と職員4名で、夕張岳登山行事 が発表された。児童は夏休みに入るとすぐ、一日千秋の思いで登山準備、私もこのたび は責任者として緊張しつつ、出発までは持ち物等再点検して待った。 いよいよ当日となり、一同予定時間どおり8合目付近のヒュッテをめざし出発した 各自のリュックには2泊分食料と衣類等が詰め込まれ、かなりの重さになっている。特 に小柄な児童には背負う大きなリュックがめだつ。途中の坂道や、所要時間等が頭に浮 かび彼の児は歩きとおせるのかなと不安が頭をよぎる。 いつもの要領で1時間歩いたら、必ず10分間は休憩を取りながら登った。嬉しくも みんな良くがんばってくれたので、午後4時前には一同ヒュッテ着となり、皆指示に 従い、疲労も忘れて夕食の準備に入った。山での炊飯は早いもの、あちらこちらと分か れて石暖炉を囲む児童達の輪から歓声が湧いてくる。 やがて、ヒュッテ内でそろいの舌鼓うち、明日の頂上への夢枕につく。
(898)お〜い鹿中22期生やい 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:08月02日(水)21時42分51秒
第7回鹿島中学校22期生同期会を次のとおり開催しますので,案内漏れの方は連絡をく ださい。今回は,池田屋食堂の一恵さんを中心に女性パワー全快で盛り上がっています。 現在までのところ,住所の確認できる150名ほどの仲間に案内を出しとところです。 沢山の参加を,幹事一同お待ちしております。 * 日 時〜9月30日(土) 19:00〜22:00 * 場 所〜カラオケ エルサハラ(札幌市中央区南7西5・キングムー隣) * 会 費〜5000円(二次会込み) * 期 限〜9月20日(水)まで申し込みください 【幹 事】池田一恵(新姓 下田)・立花優子(新姓 北風)・安田悦子(新姓 奥山) 藤原英明・大山 茂・斎藤敏幸
(897)Re.野村先生について 投稿者:奥山道紀 投稿日:08月02日(水)12時17分05秒
野村先生は、現在厚別区在住です。 現在も開拓の村の学芸課長を努めています。 ちなみに北海道開拓記念館の二階に「三等車の車内」というジオラマがあり ダルマストーブが展示されてます。 これは、開拓記念館の開設準備の時に野村先生が大夕張鉱業所の鉄道課 (大夕張鉄道)に出向き、もらってきた物だそうです。
(896)お泊り交流会の締め切りまじか 投稿者:としつぎ 投稿日:08月01日(火)20時03分20秒
夕張でのお泊り交流会の件ですが宿泊先に人数の連絡等をしなければ ならないので今月の5日で締め切らせていただきます。 申込みに関する仔細については,トップページの「交流会ご案内」をご覧ください。 まだ迷っている方などがいましたら今すぐ参加を申込んでください。 初参加の方なども何名かおられますのでどうぞ皆さんお気軽にご参加を。
(895)野村先生について 投稿者:工藤央 投稿日:08月01日(火)14時37分39秒
お久しぶりです。 野村先生は私の父と同僚で(東校教諭)、同じ年の娘(幼馴染ですね)がいたので よく憶えております。(だから幼馴染のお父さんですね) 野村さんは教師を辞めた後北海道庁に入庁され、父も道庁に入庁したので、そこで も同僚として働いていました。 江別の公宅でまたしても近所だったため、家族ぐるみの付き合いをしておりました。 私は東京にきたので最近はお会いしておりませんが、今度父に消息を聞いてみよう と思っております。
(894)禁断の地 投稿者:飯田雅人 投稿日:07月29日(土)11時28分14秒
ダムに沈む故郷と自分なりにいろんな形でかかわるようになってから、大夕張に も今まで以上に足を運ぶようになりました。 記憶にある土地を再確認し、この目で確かめてきていますが未だ足を踏み入れる ことができていないのが、サトミ公園の跡地です。4月に佐藤さんや、長谷川さ んと大夕張に行ったときにも、国道から下る道の途中で道路跡を塞ぐ草木に断念 してしまいました。 子供の頃、学校休みの日曜日になると、良く父親と釣堀に釣りに出かけました。 いいえ、釣りに「出かけた」というよりは、釣り好きの父に連れて行かれたとい うほうが近いかもしれません。その証拠に今の自分には釣りの趣味はなく、生の 魚を触ることも嫌なくらいです。 朝早くから富士見町6丁目の家の近くに埋まっている大きな石を地面から掘り起 こし、ミミズをかき集めました。石をひっくりかえすとミミズは面白い程とれ、 父の用意した餌さ入れに次々とほうり込んでいくと、餌さ入れはすぐに薄ピンク 色したミミズでいっぱいになっていきました。 父と弁当をもって出かけたサトミ公園。けっこう子供たちや大人で賑わっていま した。丸い釣堀がいくつかあり、土手に沿って駆け上がって遊びまわっていたよ うな記憶もあります。 ボート乗り場が中学校側の方にあり、ボートに乗って向かい側の中学校下の崖の そばまでいった覚えもあります。この辺りの紅葉は大夕張で一番早く美しいと評 判だったそうです。またここに水天宮があったといいますが、確かに小さな祠が あったような気もします。 最近大夕張の写真を送って頂いたり、見せて頂いたり機会も増えたのですが、実 はサトミ公園の様子を写した写真は未だ目にしたことがありません。大夕張でも 賑わっていた場所ですし、きっとあると思うのですが。どなたか目にした方はお りますでしょうか。
(893)サスペンスドラマ見ました。 投稿者:西村武博 投稿日:07月26日(水)21時59分50秒
先日サスペンスドラマを見ていたら、殺人現場を刑事が探す。 テントに映し出された地図に川の線がある。コンピュータで照合 して地図から割り出させてのは、夕張川。「ここはどこだ?」と 先輩刑事。「夕張鹿島です。」と科学捜査斑が答える。 出てきた場所は、最初が夕張岳に向かう鉄橋、そして、駅前の 廃墟、それからダム。小学校も写ってました。(去年写したのかな?) 突然の懐かしい風景に感激、感激。でも殺人現場の設定は頂けない。 とりあえず、ダムのところで救われてよかったよかった。
(892)文春記事に対する当会の対応について 投稿者:奥山道紀 投稿日:07月26日(水)09時15分22秒
三菱大夕張鉄道保存会・奥山です。いつも当会へのご支援ありがとうございます。 昨年の夏の発足以来、当会も今春から車両の補修に積極的に取り組んでおり、ラ ッセル車・キ1の塗装、客車スハニ6の窓枠の補修に着手しております。 さて、既にご存知かも知れませんが「週刊文春7月27日号」にグラビア記事と して南大夕張駅の紹介があり、残念なことに下記の通りの「事実誤認」の記載が ありました。 三菱鉱業大夕張鉄道 南大夕張駅跡(北海道) 【開業】明治44年【廃止】昭和62年【歴史】夕張炭坑の鉱石運送を主目的に 開通した。石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれた昭和30年代から40年代にかけて は、石炭、炭坑夫とその家族たちを運び、沿線と共に栄えた。しかし、石炭から 石油へとエネルギー事情が変わり、夕張炭坑は閉山。周辺地区の過疎化も進み貨 物、旅客とも利用が激減。76年の歴史に幕を閉じた。当時は高価だった雪除去 用のラッセル車を、私鉄が所有していた事実が、最盛期の面影をいまに伝えてい る【現在の様子】駅舎跡に訪れる人はほとんどなく、ラッセル車も放置状態であ る。平成16年にダムが完成し、この一帯は水没する予定となっている【アクセ ス】夕張市の街道沿い この記事に対しては、荒廃した駅跡を強調する為かグラビア写真はシートの被さ れた客車でなく、わさわざラッセルの全面にまわり、補修前の割られた窓を撮影 しており、当会の活動には意図的に一切触れられておりません。実際、支援者か ら当会に事実確認(保存活動はどうなっているのか?等)の問い合わせが来たり しており、支援者の善意や当会を無視したモノで、また「一帯はダムに水没する 」等事実誤認の記載もあるため抗議文を「週刊文春」編集部へ発売日翌日に送付 しています。 現在のところ、編集部よりの責任ある回答は頂いていませんが、今後、鉄道誌等 での広報を通じ当会の名誉回復を図りたいと考えています。 追伸 飯田様、後半の部分、不快な書き込みになったことをお許し下さい。でも 大メディアに対抗する手段を持ち合わせていませんのでご容赦下さればと思います。
(891)「週間文春」 投稿者:村川浩美 投稿日:07月25日(火)12時44分39秒
「週刊・文春」の記事がここまでひどいとは。 開通・廃止年以外、書いていることは出鱈目ばかりです。 昨年から活動している保存会の皆さんには非常に失礼な記事です。
(890)見たかったな 投稿者:池田憲治 投稿日:07月24日(月)22時34分12秒
21日の小林秀範さんの記事を見て、娘に観たか聞いたところ、 主人公がそこら中、走りまっくっていたよと言いました。 見たかったね。
(889)「週間文春」企画記事に関する見解 投稿者:三菱大夕張鉄道保存会 事務局 今井一 投稿日:07月23日(日)20時02分25秒
最初に・・サイトの管理人様。以下、書き込みの不躾をお許し下さい。 経緯をご理解頂き勝手ながら御協力のほどをお願い致します。 「週間文春 7月27号」におきまして、夕張市南部東町・旧三菱石炭鉱業鉄道 (大夕張鉄道)南大夕張駅構内に「保存」、「修復作業中」の鉄道車輌を「夏休み 特別企画・かつてそこには鉄道があった」と題する記事にて紹介されていました。 紹介記事は紛れも無く記者の憶測と認識不足の説明となっており、多部分で過 去の事実とは違う記述となっております。また、現状の説明においても、当地は ダム湖に水没する予定、であるとか、ラッセル車は「放置」状態である。と、い う呆れるばかりに記事となっている。 現在、この「保存」車輌は、「三菱大夕張鉄道保存会」及び「シューパロ塾」 が、所有者の夕張市と協議、連携を重ね修復計画を提出の上、今春から本格的に 補修活動を行っている。 この活動におきましては、全国の支持者より貴重な浄財を寄せて頂きながら、 細々であるが確実に前進していると自負している。 「週間文春」の記事の写真は、この活動の痕跡を意図的に隠し、ただ哀愁を誘 うためだけの記事として仕立てている。(当地を訪れた方には、我々の活動は一 目瞭然である。くだんのラッセル車においても、錆びだらけの車体を往時に近い 状態に塗装作業した後の写真である) 「三菱大夕張鉄道保存会」では「シューパロ塾」と協議の上、協調関係にある 「夕張市」、我々の活動にご理解を頂いてご支援頂いている全国の方々に対して 「誤解」を与える「週間文春」編集部に対して「虚偽事実」の認識を求め、 「訂正記事」掲載の要望を申し入れる所存であります。 今後、この件に関しては「三菱大夕張鉄道保存会」のホームページにて報告さ せて頂きます。 (下記URL) これからも引続き「三菱大夕張鉄道保存会」「シューパロ塾」の活動にご支援 をいただけましたら幸いに思います。http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5963/hozonkai.html
(888)2時間ドラマに鹿島小登場。 投稿者:小林 秀範 投稿日:07月21日(金)23時32分23秒
お久しぶりです。S33生、栄町1−15。 本日UHB「女検死官」天海祐希主演に、鹿島小学校が出ました。 小学校の中を主演女優が走り回っていました。 驚きと喜びで大興奮してしまいました、久しぶりに見た鹿小は「いかった」の一言です。 3階の教室や赤い階段の手すり等々懐かしいさでいっぱいでした。 後、かんこうの川辺も写っていました。 見た人はいらっしゃいますか?
(887)9月に同窓会!!!! 投稿者:あい@ 投稿日:07月19日(水)21時06分49秒
9月に同窓会を開こうと思っているのですが、 連絡先が全然わかりません。。。。。 昭和49年4月〜昭和50年3月生の方で、 この掲示板を見た方は、ぜひぜひメールくださいぃ〜〜〜〜〜。
(886)緊急告知!23日(日曜日)は南部(夕張)に集合! 投稿者:今井一郎@三菱大夕張鉄道保存会事務局 投稿日:07月18日(火)02時57分03秒
三菱大夕張鉄道保存会にとって今年度は試練と飛躍の年! いよいよ禁断(?)の客車に手を入れます!・・・スハニ6・・・ 例の如く、汚れても良い格好で 10:00 に集合しています。 勿論、「通りすがりの冷やかし」も大歓迎!メガホンを持って応援して下さい 酒持込みもOKです!夏のアチアチの太陽の下、健康的に労働したあとは 勿論、ビールの燗でしょうな!(冷蔵庫はありません) 「スナック・シューパロ」も開けます。(カビ臭いので風通しが必要) 冷蔵庫は危険です!(真冬に○○が花盛り・・夏は・・想像したくない・・) あ、大好評の「オリジナル・ステッカー」も増版いたしましたので、 現地に奥山会長が「ミカン箱」を持込み(うそ)即売をいたします(押し売り注意・・) 弁当必携!道具をお持ちの方は持参願います。 また、楽しくやりましょう! (関連HPへの書き込み同内容)
(885)お盆の頃は...と言えば 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:07月17日(月)22時20分29秒
自分自身はあまり、お盆頃の記憶が少ないんですよ あの頃は、毎日部活(バスケ)で体育館で汗を流す毎日だったかなー 中学から高校までは、多分同じ事の繰り返しのような気がします! それと栄町のプール跡も、まだまだ充分に確認することが出来ますね 自分のお水恐怖症の始まりもこのプールに背後から投げ入れられたのが発端でした 今もこれを仕組んだ悪のやつらとは交友があるので、その内何とかお返しを と思ってはいますが...せいぜい温泉のお風呂に沈めるめる事くらいでしょうか でも、いまどきのシューパロは本当に清流の言葉がピッタリ!! 川べりでの焼肉も最高です!また行きたいものです お盆の頃は神社の山から打上げ花火が行われたような記憶があるんですけれど どなたか、覚えていませんか?夏は花火!花火で終わったような... 山の秋はメチャクチャ早かったなー <ふれあい>でお会いしましょう!
(884)国土地理院 1/25000 大夕張の地形図 投稿者:飯田雅人 投稿日:07月17日(月)19時41分13秒
今日の新聞に国土地理院が日本全国の縮尺25000分の1の地図をネットで無料閲覧 サービスをはじめたと報じていました。 国土地理院のHPから地形図閲覧サービスに入って全国の地形図を見ることができ ます。 当然大夕張についても、のっています。5万分の1の石狩鹿島の「栄町」と「シ ューパロ湖」を探すとみつかります。 現在の地形図は平成元年発行のものと思われ、住宅などまだたくさんのっています。 これらはそのうち改訂されるでしょうから、私は書店で何枚か購入していました。 でも、こんな詳細な地図がネットでしかも無料で見られるなんて信じられません。 下に、国土地理院の石狩鹿島のページに直リンクをはっておきました。
(883)丸山浩二先生のこと 投稿者:早坂治敏 投稿日:07月17日(月)18時15分59秒
本当に久しぶりにこのHPにアクセスさせて頂きます。6月13日に投稿された ヒロ三浦さんの問合せの件につきまして、一言記述します。 「昭和40年代中期に鹿島中学校で音楽の教鞭をとっていた丸山先生に関しての 件」について、丸山先生は恐らく「丸山浩二先生」のことを指すのだと思います。 もしも、そうだとしたら、丸山先生は昭和38年か39年に鹿島小学校から鹿島 中学校に転任された先生だと思います。私は昭和36年度に鹿島小学校の4年桜 組で担任して頂き、昭和39年度に鹿島中学1年生の時に再び音楽の担任をして 頂いたことを記憶しております。古典派の音楽家の名前の暗記方法を以下のよう に教えて頂きました。 「バッハと屁が出る。ハイドンとなれば、モッサリ弁当こてんと食う。」聊か 下品な覚え方ですが、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト、ベートーベ ンと5人の古典派の名前が網羅されているでしょう。また、先生は、余興で、 バイオリンを奏でたこともありました。(演奏の方はいまいちでした。) さて、前置きが長くなりましたが、丸山浩二先生は鬼籍に入られております。 合掌。
(882)交流会のご案内 投稿者:飯田雅人 投稿日:07月16日(日)22時37分29秒
昨日、「ふるさと大夕張」の交流会のご案内をアップしました。平成9年12月に 第一回の交流会が行われ、世代を超えて大夕張についてお話ができる楽しい集いです。 今回の交流会は夕張の「ふれあい」で行うことになりました。夕張や札幌近郊の方、 そして、大夕張掲示板や住民登録などで、すでに「ふるさと大夕張」にデビューをはた されている方も、そうでない方も、これを機会に一度参加してみませんか。http://www.asahi-net.or.jp/~bx5m-iid/oyubari/osirasekoryu.htm
(881)ラッセル車と夕張岳 投稿者:奥山道紀 投稿日:07月13日(木)21時43分02秒
9日、台風の上陸が予想されましたが良い天気となり南部へ出掛けました。 当日はシューパロ塾の夕張岳登山学習会と重なりましたが作業の遅れもあり、 南大夕張の駅跡でラッセル車の表記入れを行いました。 4〜6月の作業で錆も落とされ真黒に塗装されたラッセル車ですがJR苗穂 工場勤務の川合氏により慎重に表記が白ペンキで入れられました。 真黒い車体に鮮やかな三菱マークが甦り、後は窓ガラスを補修するだけです。 23日にも作業を予定しています。
(880)はじめまして? 投稿者:ねぎぼうず 投稿日:07月10日(月)13時15分34秒
まささん お久しぶりです。 こちらには始めての書き込みになります。 九州は 夏日が続いていましたが今夜当たりから雨になりそうです。 この雨があがると 梅雨明けといったところでしょうか 今の時期は 北海道に住みたいですね ではまた
(879)野村 崇氏その他 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:07月08日(土)23時43分27秒
皆さん今晩は−北国の夏は今年も気まぐれ100%ですね... 今年は30度を越える日は来るんでしょうか? 20日からは札幌夏祭りウイーク大通り公園のビアーガーデン 今年は鳥肌で震えて飲まなければならなかったりなーんて 野村 崇氏に関してですが、司馬遼太郎著 街道をゆく三十八 オホーツク街道の文中43ページから始まり、遥かなる人々の章まで 随所にお名前が登場していますよ、自分も司馬さんの一ファンとして 何冊か読んでいるうちに、図書館でこの本と出会い数ページを読んだ所で グイグイにと引き込まれ、思わず書店は買い求める為に足を向けていました まさか、この野村崇さんが同郷の方とは知らずじまいでお恥ずかしい限りです! 自分もこのオホーツクの風景が大好きで何度か、サイクリング等で訪れる事が 何度かあり、その都度厳しい大自然の手痛い歓迎に合ったりもしましたが それにもまして、広大な海と空と緑、冬は流氷とその姿に心がリフレッシュされました 野村 崇氏とオホーツクに興味のある方に是非オススメです この本は、朝日新聞社から発刊されていますのでご参考まで ISBN4-02-256639-6 co326 1700円ですが ナカナカ良いと思います。 でも今日は結構重たいですね、ヤッパ5万人分の気持ちがこもっているからかな? イマイチつながりが悪いのでアップしてゆきませんわ 疲れましたので、今日はこれでオヤスミナサーイ 夏ばてしないようにガンバです、ファイト、ファイト
(878)短い夏 投稿者:佐々木 投稿日:07月08日(土)15時40分27秒
飯田さんのHPのファンの皆様、いつも楽しく貴重な情報をありがとう ございます。大夕張で生まれ育った私は、今愛知県に住んでおりますが 皆様の投稿をいつも拝見し、私の子供の頃、多感だった青年の頃を懐かしく 思い出させて戴いております。 自分一人で何かを思い出そうとしても中々記憶が蘇ってきませんが皆様の 投稿のおかげで、当時の頃がすこしづつ明確になって来ています。 思い出が蘇ると共に、無償に北海道へ帰りたくなります。 この時期になるとやはり栄町のプールでしょうね、おそらく当時の子供たちは 子供に限らず大人もそうですが、短い夏の一時期大夕張の人たちは皆一度は お世話になったことがありますよね、子供プールと大人用プールがあって、確か 料金は無料だったんですよね、夏休みの時には雨降り意外は毎日通ったものです。 プールで鍛えて今度は官公の川にデビュー。また、あの川で遊んでみたいです。
(877)(無題) 投稿者:和多田とみ子 投稿日:07月07日(金)22時43分36秒
昭和47年4月大夕張を離れ札幌に来ました。 夕張東高の八起会では4年に一度同窓会を開いています。
(876)あっーと良うまの5万人! 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:07月06日(木)21時04分15秒
カウンターを見ると、なーんと5万人オーバ−ですね! スッゴーイ大記録、当時の人口を2倍も超えたなんてオドロキです。 これも全て、飯田さんが種をまいて、丹精こめて作り出した世界ですね! これからも、楽しい事一杯、思いで一杯の素敵なページになります様 応援してゆきますのでも宜しく! 8月の<ふれあい>とても楽しみに参加します。 また多くの方々との出会いが有りますように期待しています。
(875)野村嵩先生 投稿者:丸山直記 投稿日:07月06日(木)18時05分33秒
先月の週間朝日の連載の司馬燎太郎さんの記事で野村先生 との出会いの記事がありました。私も一昨年野村先生に お会いしました。先生は北海道と樺太、シベリア等の交流の 研究計画に張り切っていました。 また私の職場で会議をしている時に私の先輩が野村先 生の高校の同級生であり、また北海道出身の同僚が野 村先生に考古学の手ほどきを受けたということがわか りびっくりしました。It's a small world.
(874)大夕張での先輩たちの活躍 投稿者:飯田 雅人 投稿日:07月05日(水)22時34分08秒
以前,見せて頂いた夕張東高の閉校記念誌『岳窓』の特別活動のページに,スキー部や, 卓球部の昭和40年代の活躍と並んで,郷土研究部の記述があります。 この本を目にした方もそう多くはないと思いますので,紹介します。 ----------------------------------------------------------------------------- (前略)全日制では,この時代(昭和40年代 注:飯田)に特に活躍したクラブがあ る。郷土研究部がそのひとつである。この頃は,全道的に高校生の郷土研究活動盛んな 時で,当時の職員で,野村先生の指導のもと十名前後の生徒で発足する。40年の三月 には,クラブ誌「シューパロ」一号を刊行し,毎年の成果を載せて四合まで及んだ。42 年,札幌で開かれた第一回の全道高校郷土研究大会では,「夕張川流域の先史遺跡」を 発表。その成果は,学界にも寄与するところ大なのでぜひ公刊するようにという講評者 の言葉もあり三月に刊行する。(後略)・・・『岳窓』p153・・・ ----------------------------------------------------------------------------- ↓昭和42年当時の郷土研のメンバーの方々
(873)野村先生 投稿者:奥山道紀 投稿日:07月05日(水)20時46分34秒
今日の北海道新聞朝刊に北海道開拓の村の野村崇学芸課長が「北の考古学散歩」 (北海道新聞社・1400円)を刊行したとの記事がありました。野村さんは夕 張郡長沼町の出身で夕張東高校の教諭を経て学芸員として北海道開拓記念館に勤 務、北海道の考古学研究の中心的な人物として現在も活躍しています。 昭和40〜43年頃の夕張東高校勤務の時も郷土研究部を組織して夕張川流域の 遺跡調査を行い、その成果は「シューパロ」bP〜2、「夕張川流域の先史遺跡」 としてまとめられています。 私は、大学時代の「博物館実習」の際にお世話になりましたが、ご存知の方も居 られるのではないでしょうか?
(872)5万の絆 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:07月04日(火)12時20分52秒
飯田さんをはじめ,このHPに思いを寄せている沢山の皆さん,アクセス5万件達成おめ でとうございます。 いつのまにか,最盛期の人口の2倍以上もの人々の思いが蓄積されてきたのですね。 3年前,はじめてこのHPにアクセスしとときの興奮を今でも覚えています。このHPを通 じて,沢山の人たちとの出会いを持てたことを感謝しています。お蔭様で,懐かしい友人 とも再会することもできました。 飯田さん,これからもお元気でご活躍ください。そして,沢山の仲間が,これからも, 「ふるさと大夕張」に集まりますように。
(871)暑いです 投稿者:山口 投稿日:07月04日(火)02時03分02秒
こんにちはみなさん、ご無沙汰してます。 大阪は最近猛烈に暑く、不覚にも夏ばてしてしまいました。 ところで8月の5日から北海道に行くことになりました。 大夕張にももちろん行く予定なのですが 近況をご存知の方がおられれば教えていただきたいのですが