(992)「星空物語」 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:10月29日(日)18時38分47秒
ホンマ、最高の星空が大夕張で見る事が出来ますねー 出来れば、移動天文台+オートキャンパー+キャンプファイヤーのセットで いかがでしょうか? 鹿島小グランドでベンチを並べ星空をボーット見ているだけで癒されるような 気持ちになる事は請け合いと思いますが... だいぶ以前に「支笏湖」で一夜キャンプを張った時に丁度、しし座流星群の時期と 遭遇して、もの凄い流星ショーを体験しました、こんなことが大夕張でも最高の 環境のもとで、再現出来るんじゃないかな! ツアータイトルは「星空物語」ってのはいかがなものでしょうか? なーんにも明かりの無い所で出来る企画は結構あるんじゃないかな 黄色の旗がある所は最高のポイントの一つと思いませんか!
(991)子供の記憶・・ 投稿者:菅井宏史 投稿日:10月29日(日)02時47分00秒
長らく御無沙汰してました。久しぶりにお邪魔します。 長谷川さんが大夕張時代の「食億」をお持ちのように(「食億」シリーズ いつも楽しく拝見してます)人それぞれ大夕張の、あるいは大夕張時代の 一連の記憶というものがあるのかもしれません。 昭和30年代後半から40年代前半が私の大夕張の記憶の全てなのですが、 あの時代の思い出といえば(これは大夕張の記憶ではなく大夕張時代の記憶 と言うべきですが)テレビ番組や映画等のことがどうしても中心になって しまいます。 エイトマン、スーパージェッター、鉄人28号、オスパー、サンダーバード、 オバケのQ太郎、ウルトラQ、,ウルトラマンなど子供向けの番組意外にも、 NHKでやっていた「タイムトンネル」(その第一回は確かあのタイタニック 号の場面だったような・・)や「ワイオミングの三兄弟」なる西部劇物が あったのも何故か覚えています。 食べ物に関しても子供向けのテレビや映画との結びつきでしか思い出せま せん。例えば丸美屋のふりかけ(すきやき、のりたま等)の中に入っていた エイトマンのシールや、「トコちゃんキャラメル」のおまけに入っていた ガメラやギャオスの(あれは何と言いましたっけ、見る角度によって絵が 違って見えるプラスチックの)カードを集めただとか、ケロッグの付録に 入っていたプラスチックのおもちゃを集めたとか・・まあそんな程度です。 今の子供達がポケモンのキャラクターに夢中になってるように、私の子供 時代はテレビや映画の怪獣の名前、特徴、武器などを周りの友だちと争う ように覚えたものです。そういった意味では当時も今も子供が夢中になる ものは大差ないですね。 子供時代(大夕張時代)の古き良き思い出です。こんな当時の子供の記憶 を辿ることくらいしか今の私には大夕張を語ることは出来ません。
(990)空知観光ルート 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月28日(土)23時27分45秒
今日、交通公社ガイドブックの取材で奈井江、芦別とまわりました。 帰りに国道452号経由鹿島・札幌へと抜けました。 国道も芦別・桂沢間は通行量がかなりありますが桂沢を過ぎると極端に 少なくなります。 最近、産業遺跡ツアーで三笠・鹿島・夕張とたどるツアーが3回ほど 行われています。ひとつは空知支庁主催、もうひとつはJAS、そして 先日の開拓記念館主催のものです。 今月末にも赤平で科学技術史の学会があり、鹿島・夕張方面を見学する ようです。 今後、この方面のツアーも有望ではないでしょうか?
(989)星空 投稿者:飯田 雅人 投稿日:10月28日(土)20時24分25秒
内川さん,鹿島地区・・・星空を見るには比較的空が広くいい条件で見れるんじゃ ないでしょうか! 去年の夏鹿島小前で過ごした夜空の下の2時間を忘れることが出来ません。 僕にとっては,漆黒の森と星明りで輝く夜空。時折出現する流れ星。 そして,時折聞こえる小鳥の高い鳴き声,蛙や虫達の大合奏,低く響くシューパ ロ川の流れる音。 自然のBGMも最高ですよ!
(988)(無題) 投稿者:内川 准一 投稿日:10月28日(土)15時10分09秒
仕事で、いま、道央圏の新しい観光ルートを考えている。 その中に1つ、「奥空知 樹海と星空の旅3日間」というのを 考えてみた。本州の観光客にとってこれも「あり」と思ったから。 夕張と芦別に泊まり、峠を越えて旭川に抜ける2泊3日にコースだ。 鹿島地区には構造物は何もないが、豊かな自然林や夕張岳の眺め、 原始河川での水遊びや、人工光の少ない条件下での星座観察は、 芦別市と連動して、ここならではの財産になるかもしれない。 やりようでは「漆黒の星空」は実現できる。と、考えている。 どう思います?
(987)(無題) 投稿者:祐子 投稿日:10月27日(金)23時40分25秒
S32年生まれ。小学6年生の途中で 転校しました。最近毎日 大夕張のHPを 見るのが とても楽しみな 日課になっています。古い記憶をたどり なかに でてくる方々を 思いうかべ想像しています。去年 主人と子供たちと 行った のですが あまりにも 何もなくなっていて 通りすぎるところでした。 シュ−パロ塾の正木先生。小学校のころの大好きな 担任の先生でした。
(986)食億9・歩道橋の3時 投稿者:長谷川潤一 投稿日:10月26日(木)22時26分52秒
やっと暇ができたので大夕張に行って来ました。ちょっと来ないとなんか寒々と 広い感じがするなー、紅葉の季節も終わりだしなー・・ちょっとまてよ、おい! 何か変だと思ったら、あの歩道橋が無ーいー!。鹿少時代、みんなで渡り初めを した歩道橋。冬の朝、誰も歩いた跡がない階段に一番乗りの長靴の跡をつけ喜ん でいた歩道橋。板で塞がれ、誰も渡らなくなったけど、うちの息子と尻滑りをし て遊んだ雪の歩道橋。とうとうお亡くなりになりました。じつは、あの歩道橋は 僕のオヤツタイムの特等席でした。くじ屋でいろんな駄菓子を仕入れては、あの 歩道橋の一目高い所で、下々の暮らしぶりを見ながら食べる。という一味違った 物理的な優越感というか生活的な快感というか、それは美味しゅうございました。 マンボ、ニッキ、ゲソ珍味、宝引きイチゴ飴、黒糖パン、コリスガム、マル川、 ラムネ、味噌パン、的飴、えびせん、水飴せんべい、ハッカ、野球チョコ・・・ これしか思い出せませんが、皆さんも忘れられない味のもの何かあるでしょう? 私、これを歩道橋の上でオヤツタイムしてました。汽車の屋根が見え、足の下を バスや車が走り抜け、お風呂に行くお年寄り達や買い物篭を下げたお母さんたち、 消防のおじさん達のホース巻き、緑町の長屋からはポヤポヤと煙突の煙、とても 良い気分でした。最後の渡り初め、ならぬ渡り終え?をして、その特等席で息子 とオヤツタイムやりたかったです。大夕張の最後の主、歩道橋さんに、合掌。
(985)縁 投稿者:飯田雅人 投稿日:10月26日(木)21時19分24秒
池田さんの書き込みを見て,早速母に掲示板の投稿を見せたところ, 母も池田さんのご両親のことをよく存じ上げていました。 私の親戚で常盤町に住んでいた池田さんの娘さんと結婚した叔父が います。私とは6才しか年の差はない叔父です。 その叔父が埼玉にいた時にもお世話になっていたそうです。 叔父が結婚した叔母が池田姓だったことは知っていましたが,まさか 池田さんがその池田さんの親戚の縁につながる方とは驚きました。 私と,遠い親戚にあたるわけですね。
(984)びっくりでないかい! 投稿者:池田正史 投稿日:10月26日(木)20時27分18秒
人生には、驚くことか゜3回有るとかいいますが事実として体験することは、稀有 のことと思えます。40年ぶりに皆さんにお会いできたということに、なつかしい を飛び越えて唖然、驚愕言葉を超える感覚であります。ぜひいつでもメールくださ い待ってます。 先日埼玉にいる母に飯田さんの話をしたら母は大夕張の病院で看護をやっていて お父さんを知ってると言ってました。また長谷川先生も担任だっだとか久々に昔話を して神奈川に帰りました。ありがとうございます。S25年のかたがたにも御礼申し 上げます。またぜひぜひ連絡くださいでわ。
(983)AIRDO CLUB 12 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月25日(水)21時07分39秒
AIRDO本社が会社の近くなので早速、機内誌を頂いてきました。 郵便貯金の広告で、「小説の舞台になった北海道のまち探訪」として松本清張の 「屈折回路」が取りあげられ、その舞台となった夕張市がイラストで紹介されて ます。 小説の舞台は主に大夕張地区、鹿島小学校・シューパロ湖・南大夕張駅の紹介の 他に、「うさぎや」(鹿の谷)の餡ドーナッツや「のんきや」のラーメン、「藤 の家」のカレーそばまで紹介されてます。 一昨日のNHKニュースに続き南大夕張駅もかわいい車両のイラストで紹介され ていて、ありがたい事です。
(982)かわいい、イラスト入りでした。 投稿者:向 啓子 投稿日:10月24日(火)22時19分10秒
羽田行きの機内での事なのですが、配られた雑誌を何気なく見ましたら、 夕張市の事が、イラスト入りで載っていました。 しかも、驚くことに、鹿島小の事やシューパロ湖、南大夕張のラッセル車の ことなど、かなり詳しく載っているではありませんか! 鹿島小のところは、「大夕張の中心だった鹿島地区は、数年後には、大部分が ダムの底に沈んでしまう。現在、鹿島小学校の跡地には、多くの子供達が遊んだ 木が残っているのみ。」と書かれ、イタヤカエデの木のイラストには、ターザン ロープとブランコも、ちゃんと書かれていました。 ヒロさんの写真と同じだ! チョト緊張するフライトも、楽しいひと時になりました。 (たくさんの、かわいいイラストをお見せ出来なくて残念!) 雑誌は、AIRDOCLUB(エア・ドウクラブ・初冬号)です。
(981)野村先生 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月20日(金)09時40分00秒
夕張東高校に教諭として努めていた野村崇先生が本日午後5時からの NHK「だいすき北海道」に出演します。 考古学の第一人者として、その魅力を語ります。
(980)三菱大夕張鉄道保存会の活動 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月19日(木)21時49分46秒
夕張岳の頂が白く輝き、各地から初雪の便りが聞かれる季節となりました。 大夕張鉄道が現役の時代には、そろそろ客車にダルマストーブが設置され、 機関庫では本格的な冬将軍の到来に備えラッセル車の整備が開始される頃 でしょうか…。 当会も11月まで作業の予定ですが、11月の冬籠もりの前に21日、22 日と南大夕張駅跡で作業を行います。 22日には北海道開拓記念館の見学会一行も立ち寄る予定ですので、週末に 紅葉狩りを予定の方々もお立ち寄り頂ければと思います。
(979)前回の投稿内容の訂正 投稿者:西山正男 投稿日:10月17日(火)22時33分07秒
前回、「ふるさと鹿島25年会」関東スペシャルバージョンの報告を投稿しまし たが、基本的重要なミスが有りましたので、訂正させて頂きます。 本会の対象者は”25年会”と銘打ってはおりますが、幼稚園〜高校まで同窓の 昭和25年から昭和26年生まれの同窓の方々です。 訂正させて頂きます。
(978)関東の空の下で青春集合! 投稿者:藤田 育雄 投稿日:10月17日(火)13時47分39秒
10/7同窓会...30名全国から集合、49才まで生き抜いて来ました軍団 が関東の空の下で生死、青春、少年少女の気持ち、青年時代の顔、 忘れかけた大夕張の思いでを修復するために全員でタイムカプセル に乗って一晩をすごしました。 残念ながら気持ちは100%タイムスリップしましたが身と顔面だけは タイムスリップ出来ませんでした。まだ現代の科学では無理なので しょうか?でも顔にはそれぞれ思いでと面影があり懐かしく楽しく 優しく一時を満喫しました。 ある所の温泉なは若返りの湯がありまして、5時間も命がけで湯につ かりましたら〜おおおお!!!!青年の顔に戻った..と感動しまし たが...苦労したわりには30分でまたききめが消滅!やっぱりダメで すね〜。 でもチョツトでも少女に戻りたいと御考えの大夕張育ちの女性の方 で若返りの秘密の湯を知りたい方はメ-ル下さい。 と言う訳でロマンに燃えた青春の時間は終わってしまいました。 毎年5月第3土曜日サッポロで「ふるさと鹿島25年青春タイムスリップ」 開催しております。 以上
(977)ふるさと鹿島25年会、関東スペシャルバージョンin2000 投稿者:西山 正男 投稿日:10月16日(月)01時01分45秒
10月7日(土)、18:00〜21:00 東京日比谷「帝国ホテル」において、 『ふるさと鹿島25年会 関東地区スペシャルバージョン』が開催されました。 今回は特に、札幌在住の8匹のヒグマ達が死ぬ前に一度、東京ディズニーランドの 「熊のプーさん」に会いたいと上京したのを機会に、同窓生が集合しました。 冗談はさておき、当日は関東近県その他(宮城県、岐阜県、滋賀県など)を含め、 総勢30名が懐かしい顔を揃え、2次会・・3次会・・はたまた都内某ホテルでの4次会まで、朝方まで盛上がりました。 当会は夕張東高校卒業生を中心とした同窓会でしたが、平成10年から小・中・高 を問わず大夕張出身の昭和24年、25年生まれの(鹿島小第35期生、鹿島中 第19期生)同期生が集う会へと移行しました。 我々の年代は小学校3年生過ぎから、炭坑産業の衰退に伴って転校して行く同級生 を見送る機会が多くなっていった事が記憶に残っています。 そんな同級生に、再会できる嬉しさは格別のものが有りますね。 (全国に散らばっている同級生へ、毎年5月第3土曜日札幌で開催してます) −飯田さんへ、ご報告まで− PS: 鎌田修君、金森君、藤井君、長南好子さん・・・ このページを見たら連絡下さい。
(976)道新にシューパロ塾が紹介されます 投稿者:伊藤 勲 投稿日:10月15日(日)22時22分29秒
北海道新聞の毎週月曜日の夕刊に「はつらつグループ」という コーナーがあり、明日16日、シューパロ塾の活動が紹介されます。
(975)虹の彼方 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:10月15日(日)20時49分54秒
大夕張の紅葉,神社の黄色い旗たち,束の間の晴れ間から見えた虹の出現,懐かしい晩秋 の空気の冷たさ,還暦を迎えた鹿島小学校第9期卒業生たちとの出会い,BBQ奉行ヒロ さんが焼いてくれた塩ホルモンの味,焚き火を囲む妻たちの笑顔,校庭に響く子供たちの 歓声,それらを優しく包むイタヤカエデの木。 本日のBBQの集いは,大夕張の秋を満喫し,楽しくときを過ごすことができました。 垣間見た虹の彼方には,薄っすらと雪を散りばめた夕張岳が輝いて見えました。それは, 誰もが見慣れた,昔のままの,晩秋の夕張岳でした。
(974)鹿島でBBQ! 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:10月12日(木)22時44分01秒
もう秋も真っ只中ですね!紅葉狩りの季節も最高潮です そんな秋の終盤戦に大夕張の定番?「鹿島でBBQ」を開催しちゃいます! 時:10月15日(日) 12:00集合 所:イタヤカエデの下 *各自 飲み物と食べ物はご持参下さい 尚 仮設トイレが歩道橋の傍にあります 季節も季節なので「バクチク」も有るととても効き目最高ですよ いかがでしょうかね...とりあえず<BBQマイスターを自負する>ヒロは一人でも やります!但し雨も降りやすい時期なので、準備も忘れずに! 秋の真っ只中の「鹿島.イタヤカエデの下で」会いましょう ps:BBQ省大臣の「としさんファミリー」もいらっしゃるそうです ブラリと錦秋の鹿島、 素敵じゃないですか! まってまーす
(973)夜空を見てふと思ったこと 投稿者:石原 賢治 投稿日:10月12日(木)22時43分27秒
私の住む所は最近晴天続きで晴れ晴れしております。 夕方の帰宅の頃空を見ますと大きな月が出ておりました。 満月のようですがちょっと欠けてるのかな?というかんじでカレンダーを 見ると確かに旧暦の15日でした。そういえば、最近夜空を見ても月明かりは あっても星を見る機会がないなと思います。 子供の頃大夕張の夜空は晴れの日の夜であれば星をいっぱい見ることが 出来ました。それこそ、理科の本にある星座の群れやら天の川なんてものも 見ることが出来ました。 ネオン等の明かりの関係やらか、空気の汚れやら或いは自分の視力の衰えやらか わかりませんが最近はなかなか星を見ることがなくなりました。 大夕張の夜空は年間通じてよく星を見ることが出来たと思います。 北斗七星など代表的でしたしオリオン座とかカシオペア座といったポピュラーな 星座はわかり易かったです。 流れ星もよく見ましたね。 夜、そろばんの帰りとかに、星空を見ていたら、ただそれだけで時間が過ぎて いたこともありました。 田舎だからといってしまえばそれだけかもしれませんが、今では体験できない すばらしいものを見せてもらった気がします。
(972)ありがとう!黄色い旗と、思い出ノート 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:10月09日(月)20時39分30秒
今晩は− 秋もいよいよ佳境に入りましたが、色づきはイマイチ遅いような.. 今日はユックリと原付デブマンさんが置いてくれた 「思い出ノート」を拝見させていただきました。 自分と同期生の泊川君がこんな素敵な思い出作りの仕掛け人と分かったのは ごく最近の出来事でした。 本当にありがとう!!これしか言えませんね 一枚の白いページに残された沢山の思い出達が再び命を吹き込まれ 大夕張と言う名の一大叙事詩として甦ったような気がします どんな形になるのか分かりませんが、ここから巣立っていった仲間達へ このノートに満ち溢れている故郷への敬意と愛おしさを出来る限り 伝えて行きたいと思います。泊川君、飯田さん、長谷川さん、ありがとう 次編も楽しみにしています!!
(971)病院前踏切 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月09日(月)00時04分42秒
先日「倶楽部通踏切」として投稿しましたが、どうやら「病院前踏切」の 誤りでした。飯田さんはじめ皆さんを混乱させて申し訳ありませんでした。 栄町岐線と思ったのは大夕張炭山駅の引上げ線で、遠くに購買会支所が写 っていて↓下記の「病院前」の場所と同一でした。
(970)魂の声 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:10月08日(日)21時08分28秒
「黄色い旗と思い出ノート」のページ一気に読みました。そして,たまらない感動と切な さを感じました。泊川さんの熱い思いと,このHPが蓄積してきた思いとが,沢山の人た ちの手を経て醸し出してきた,崇高な魂の声が聞こえてきます。 本当に素晴らしい企画です。ぜひ,大夕張を去って行った沢山の人たちに読んでもらいた いと思います。そして,どんなに時が流れても,みんな,今でも大夕張の絆で繋がってい ることを知ってもらいたいと思います。 泊川さん,ありがとうございました。飯田さん,長谷川さん,ご苦労様でした。
(969)花火の思い出 投稿者:池田 憲治 投稿日:10月08日(日)14時00分27秒
以前、チャットで記憶違いを書いて失敗したので、書くのを迷ったのですがー。 宝町に住んでいた北沢さんの近くに私の友人が居り、その関係で私もs.33〜s.35年 打ち上げに行っておりました。 北沢さんはもう亡くなったそうですが、火薬をケチって鉄砲用に使っていたので 時にはあまり上がらず火の粉が落ちてきて、ゴザの上に並べてある花火の上に身を 伏せたりしたものです。不発の物は、時間のある人が、朝早くから探しにいきまし た。北沢さんは、警察に始末書を書いたりしていました。 筒は4〜5個ありましたが、花火は150発しかないので2時間(もしかすると 3時間)持たせなければならないので、今度は俺の筒だと思っても、すごく待ち遠 しい打ち上げでした。あの頃、ボーイスカウトも在ったようで、私達が神社の登り 口にくると、少年たちが番をしておりました。
(968)花火のこと 投稿者:石原 賢治 投稿日:10月08日(日)11時38分36秒
出張で実家(福岡)に寄り父親と話した際、この大夕張掲示板のことが話題に なりました。時々印刷して送っておりますので。 (885)7月17日の ヒロ 三浦さんの投稿にお盆の花火のことがありましたが 花火のことで書いて欲しいといわれまして、ひと言。 お盆8月15日(旧の盆)の夜、山神社脇から打ち上げ花火をあげていました。 専門の花火屋さんを雇うわけでなく会社の社員の方で北沢さんという方が あげていたそうです。 他にも何かの連絡ごとで明るい時にもあげていたようです。例えば運動会の朝の 決行合図とかでしょうかね。 この明るい時の花火には日の丸を描いた紙の落下傘が付いていてそれをめがけて 子供たちが走り回っていました。もちろんその中には私も入っていました。 ちょうど家がスキー場横にあった時期がありまして、その時は頭上で花火の炸裂 があり、見物するのに首を曲げっぱなしにしていたようです。 風の向きによっては、花火のもえかすがパラパラとふってきたようです。 この花火が終わり2、3日後から学校が始まるのかと思うと なんだか寂しい気がしたもんです。それと共に夏の終わりの行事で あったのでしょうね。 昨日、出張から戻りましたら、夜突然ドカン・ドカンと音がするので 外を見ると、じゃんじゃかと花火が打ち上げられていました。 近くの新都心というところで街開きがあったようでそのけいきずけ だったんでしょう。 ちょうど花火のことを書こうとしていた矢先のことでグッドタイミング でした。
(967)『黄色い旗と思い出ノート』のページ 投稿者:飯田 雅人 投稿日:10月08日(日)09時40分26秒
本当に遅くなりましたが,『黄色い旗と思い出ノート』のページアップしました。 旧神社の旗と鹿島小前のノートは最近の大夕張を訪ねた人の中では,知らない人は いないと思います。旗もノートもいつもきちんとしていてどなたかが管理されてい ることはすぐわかりました。 それが,このページになるまでの経緯を若干説明させていただきますと,8月13 日,前日の『ふるさと大夕張』の夕張での交流会の後,大夕張へ流れました。 その時,鹿島小グランドのイタヤカエデの木の下で当日私たちと同じように大夕張 を訪れた大勢の方々との出会いがありました。その中の一つに泊川俊雄さんとの出 会いがありました。その時,貴重なノートの写しをいただきました。ノートは長谷 川潤一さんの手によりテキスト化され,私が最後のタスキを渡されていましたが, ようやく公開することができました。ほっとしています。 8月13日イタヤカエデの木の下に集ったみなさんの連携でこんどのページはでき ました。また,当日はあいにく参加できなかった内川准一さんの撮影された写真を タイトルバックに使わせていただきました。ありがとうございました。
(966)雪虫 投稿者:飯田雅人 投稿日:10月07日(土)23時30分17秒
今朝,雪虫を見ました。アスファルトの道路の上を一匹・・・。 子供の頃,大夕張は山の中でしたから,寒くなるのも急にという感じでした から,朝夕,雪虫がどっとたくさん出てきます。 遊んでいるときには洋服についてしまう雪虫はいくらほろってもほろっても きりがないのでした。時には口の中に何匹もくわえ込んでしまっては慌てて 吐き出すのでした。 大夕張で雪虫が見られると,雪の季節は猛スピードでやってくるのでした。
(965)南部にいました 投稿者:MABO 投稿日:10月07日(土)21時58分32秒
南部菊水町にいました。南部小学校 幌南中学校 夕張北高出身です。 就職後、札幌 横浜 広島を経て 高松市在住です。 母親が南大夕張炭鉱で食堂のおばさんをやっていました。 三ツ井の名にご記憶のある方は、この掲示板に実名をいれてご連絡を願います。 阿寒郡 雄別に関係される方もいれば同様に
(964)゛さっぽろサマーカーニバル゛真夏を突っ走れ 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月03日(火)21時04分54秒
昭和47年当時、私は真谷地に住んでいましたが三菱バスに勤めていた叔父が代 々木町におり「ドリターズ」がロケに来るというので泊まりがけで遊びに行った 記憶があります。当時の新聞によると 【昭和47年7月30日北海道新聞・空知夕張版】 夕張でコント・ロケ「さっぽろカーニバル」 《札幌》UHBは北海道新聞と共催で8月1日、札幌市真駒内スピードスケート場 で開く「さっぽろサマーカーニバル」の模様を、同17日夜8時から9時26分ま での「テレビグランドスペシャル」で録画放送するが、この番組に挿入するコント のロケーションを次の日程で行う。出演はザ・ドリフターズ、ザ・ピーナッツ、 谷啓、トワエ・モア、小柳ルミ子らの人気タレント。 ≫第一班=31日午前11時から、夕張市大夕張地区(谷啓、なべおさみ、トワエ ・モアほか) ≫第二班=同午後4時頃から、札幌市内(ザ・ピーナッツ、森進一、欧陽菲菲) ≫第三班=同午後(時間未定)洞爺湖畔(梓みちよ、小柳ルミ子、平尾昌晃ほか) ≫合流班=8月2日午前8時ころから、大夕張駅構内(ザ・ドリフターズ、谷啓、 なべおさみ、大信田礼子、トワエ・モア) 【昭和47年8月4日北海道新聞・空知夕張版「談話室」】 UHBは北海道新聞社と共催で、『テレビグランドスペシャル・札幌真夏を突っ走 れ』の録画収録を7月31日から各地で行っていたが、ザ・ドリフターズ、ザ・ピ ーナッツ、谷啓などが2日朝から来夕、三菱大夕張鉄道・大夕張駅構内などでこの 番組に入れるコントのロケーションを行った。市内鹿島地区は夕張岳やシューパロ 湖、さてはSLありで「まさに“北海道”らしい」雄大さがロケ地に選ばれたわけ 。人気タレントの一行が来た―というので、隧北方面から駆けつけたヤジ馬もかな りいて、約三百人以上の人出。炎天下の見物とあって、付近の商店ではパンや飲み 物が飛ぶように売れてホクホクだった。―夕張― 【昭和47年8月29日北海道新聞・みもの】=番組欄 「本道舞台に歌・コント」おなじみドリフや森・小柳ら人気歌手 ◯火曜ワイドスペシャル『真夏を突っ走れ・さっぽろサマーカーニバル』―UHB 午8.0 札幌五輪の会場、真駒内スピード・スケート競技場に特設ステージを設 けて行われた「真夏のカーニバル」のもようを中継録画で。これに加え、札幌市内 や洞爺湖、大夕張など本道の雄大な自然をバックにザ・ドリフターズ、森進一、小 柳ルミ子、欧陽菲菲らがロケしたフィルムを紹介する。真駒内会場では、歌、コン トの豪華なショー。ヒット曲からポピュラーまで歌いまくる欧陽菲菲、沢田研二。 しっとりとした味で聞かせる実力派の森進一。「私の城下町」で爆発的にヒットし た小柳ルミ子は、恩師・平尾昌晃と二人で、デビュー当時のエピソードなど語る。 ドリフはここでも圧倒的な人気者。「ドリフの忍者」「ドリフの花いちもんめ」な どおなじみの爆笑コントのほか「北海盆歌」「誰かさんと誰かさん」などの歌で約 一万人の観客をわかせる。大夕張へのフィルムロケはドリフの乗った自動車が谷啓 ・なべおさみの蒸気機関車と競争しながら真駒内のカーニバル会場へたどりつくと いう大がかりなコント。蒸気機関車は、北海道でも珍しい9600形SLで、ドリ フの車と猛烈なデット・ヒートを演ずる。洞爺湖畔の小柳ルミ子、札幌市内を散歩 する森進一、そして奥村チヨ、トワエ・モアら、北海道の自然を満喫する人気者た ちの姿も紹介される。曲は「波止場町」「旅路の果てに」森進一、「恋の追跡」「 夜汽車」欧陽菲菲、「許されない愛」「あなただけでいい」沢田研二、「瀬戸の花 嫁」「京のにわか雨」小柳ルミ子、「青い麦」伊丹幸雄、「明日へ走るよ」一番星 ほか。 また、当日の広告欄にはUHBの広告として 【臨時便9600形SLが出るぞ】とSL「bQ」を背景としてドリフと谷啓・な べおさみの写真が掲載され『ドリフ来るの報に、大夕張では約500人もの地元の 人たちがロケ隊の後にゾロゾロ。「こんなに人が集まるのは炭鉱災害か、祭りの時 くらい」と駅長さんもビックリ』とのコメントが掲載されてます。 当時、北海道新聞グループとして開局したUHB(北海道文化放送)の開局記念番 組的なところもあり、双方共広告に力が入っていたようです。
(963)大夕張ダム学習会 投稿者:奥山@シューパロ塾 投稿日:10月03日(火)13時59分42秒
『大夕張ダム学習会』再度のお知らせです。ダム堤体内部などの見学も予定され ていますので、お気軽に参加願います。 ●日 時:10月7日(土)午前10時 ●学習内容: (1)午前の部(午前10時から正午) 場所:大夕張ダム管理所 講師:北海道開発局札幌開発建設部大夕張ダム管理所長 原田政彦氏 内容:ダム施設を見学し、ダムの歴史や概要について講義していただきます。 (2)午後の部(午後1時から午後4時頃) 場所:南部コミュニティーセンター 内容:大夕張ダム建設記録映画の上映(1時間)。 ダムにまつわる寄せ書きワークショップ。 ダムにまつわる昔話や思い出、ダムについて感じていることなどを語り合います。 ●参加料:1人200円(高校生以下無料) ●その他: (1)南部から徒歩でダム事務所に行きます。参加者は午前9時30分までに旧 南大夕張駅構内に集合して下さい。(約15分歩きます) 高齢の方や足の不自由な方はこちらで用意する車両で移動します。 駐車スペースが狭いため、その他の方はるべく徒歩で行くようお願いします。 雨天時は自家用車に分乗します。 (2)午前の部、午後の部いずれかの参加でも構いません。両方参加する方は昼 食をご用意下さい。なお、当日は南部地区で昼食を調達できます。 (3)参加を希望する方は明日、10月4日までに事務局伊藤までご連絡くだ さい。 E-mail isao5011@seagreen.ocn.ne.jp
(962)デコボコ道ですね! 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:10月03日(火)00時21分41秒
本間商店2さっそく拝見しました! 大夕張のメインストリートも砂利道だったんですね... 自分の記憶の中にはなかった事柄でした 道端に打ち込まれていた「開発局」の杭が妙に目に飛び込んで来ました 開発局が発展の端緒の道路を切り開き 最後もヤッパリ幕引きは同じでしたね、「開発」の意味はナーンなのかな 地下鉄はどこから入って、どこから出てゆくのか..と言う古い漫才のギャグ を思い出させますね! 飯田さん「川面の音」は大迫力満点です!スーパーカナヅチの自分にとっては ヤッパ恐ろしい位のレヴェルでした、先日も菊地君からこのポイントの写真が 送信されてきましたが、今も変わらない風景のままでした。 ホンマ楽しい音でした、おおきに!
(961)三角形の空き地 投稿者:石原 賢治 投稿日:10月02日(月)23時27分22秒
飯田先輩、音のコーナーの開設おめでとうございます。 というよりも有り難うございます。 しっかりとサイレンの音聞かせていただきました。(夜の静寂の中で……) 向さん『とうきび』のお話し、うらやましく読ませていただきました。 トウモロコシじゃなく、『とうきび』でしたよね。 デパートで北海道物産展などあり覗いていますが、あの頃のとうきびに かなうものには遭遇していません。 奥山さん、写真拝見しました。いろんな情報を持っているんですね。 機関車のお話しですとか、その関連話しなど話題豊富な方とおみうけ しました。 健保会館横のプールから炭山駅にむかい、購買会栄町支所(?)までのスペースが わずかにあったように思います。 ちょうど鉄道の線路と栄町の道路とに挟まれたいっかくで、ちびの頃、野球の まねごとやら、サッカーといえないボール蹴りなんかしていたと思います。 その場所をフジタグミ(藤田組?)と呼んでいた記憶があります。 名前からしてその名の通り、建設関連の会社の資材置場にでも 使われていたのでしょうかね? 線路の跡はなかったと思いますが、枕木かポイントの跡くらいは 残っていたかもしれません。 ただ、広くなく、平坦でなかったようで、記憶に残っていないのが事実です。 毎度の事ながら、記憶違いがあればお許しください。
(960)昭和35年頃の本間商店 投稿者:飯田雅人 投稿日:10月02日(月)23時20分41秒
先ほど,HPに掲載した本間商店の写真ですが,本間さんが書かれているように 商店街の道路がまだ未舗装です。昭和35年頃ということですが,この頃の記憶 は小さかった私にはほとんど残っていません。私にとっての栄町商店街は新築 されて以降の印象が強いです。 それにしても店頭に並ぶ品物の数々,当時の少年達の心をときめかせたことで しょう。虫網,浮き輪,ビーチボール・・・。懐かしい店の様子です。
(959)北海タイムス大夕張支局 投稿者:長屋敏子 投稿日:10月02日(月)21時23分58秒
北海タイムス大夕張支局の関野さん・・・の名前がのっておりました。 なんという懐かしい名前がでてきたのでしょうか。 千年町の食堂のわが家に、いつもご飯を食べにきていました。その後、 確か檜山管内の寿都か岩内へ転勤されました。子供心に良く働くおじさん。 というイメージでした。あれから50余年たちましたが今でもお元気でおられ るのでしょうか。
(958)9月の同窓会 投稿者:飯田雅人 投稿日:10月02日(月)19時57分00秒
斎藤さん,鹿島中22期の会,盛り上がったんですね。そういえば,以前ここの 掲示板で,『あい@』さんが,昭和49年〜昭和50年生まれの方に呼びかけて いましたが,大勢集まれたのかな? よければ掲示板は同窓会関係の連絡にも使ってください。 栄町岐線の話ですが,どこから分岐していたのか記憶にありませんでした。 小さい頃購買会栄町支所の裏にもう一本線路があったような記憶もありますし, 実際昭和44年にはあったんですよね。それから数年後に撤去ということになった んですね。
(957)栄町岐線 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月01日(日)20時29分39秒
⇒「栄町岐線」という奥山さんの話ですが,あの辺りは線路が並行して2本走って ⇒いたのでしょうか。 昭和36年の図面を見ると16.143qから「栄町岐線」が分岐しています。 病院前の踏切が16.190qですのでその手前から引き込み線になっていた ようです。 OBの方によると「栄町」の炭住をブロックに建て替えたときに資材を搬入する ために敷設したそうです。 下は菊池さんの「山史・三菱大夕張鉄道」で紹介されている写真ですが左手の 岐線は撤去されています。
(956)読売新聞大夕張通信部 投稿者:奥山道紀 投稿日:10月01日(日)20時09分17秒
大夕張が炭鉱で賑わっていた頃には、会社の社報や労働組合の機関誌を始め 各文化サークルの会報など色々な出版物が発行されていました。 読売新聞の販売所は大夕張通信部を兼ねていましたが、所長の高橋勇治さん は昭和43年から52年頃まで「夕張よみうり」を発行していました。 昭和51年刊行の北海道地方新聞所在目録(北海道立図書館)によると 【夕張よみうり】(昭和43〜現在) 夕張市立図書館・昭和43.8.5(第5号)〜昭和47.1.15 (第89号)佐藤陽一・昭和44.8.25(第50号)〜昭和45. 11.2(第68号)欠あり となってます。昭和43年というと南大夕張の開礦を控え三菱鉱業に も勢いがあった頃ではないでしょうか。 「マスコミ」の専門学校のHPに下記の写真がありました。 取り壊し前の読売新聞大夕張通信部の姿です。
(955)22才の別れ 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:10月01日(日)18時19分25秒
昨夜,鹿島中学校第22期生の7回目の同期会を札幌で開きました。1969年に卒業し た仲間達が,34名集まりました。卒業以来初めて参加した仲間も数名いました。 会の始めは「名前当てクイズ」で盛り上がりましした。見事な変身?で全く分からない人 もいました。31年の時の流れは,皆を友達にしてくれたようです。 帰る実家もなく,何もかもが消えてしまった大夕張ですが,一枚の葉書で,34名の元少 年少女達が沢山の思い出を語り明かした同期会でした。 2次会では,何故か「22才の別れを」を手拍子付きで大合唱してしまいました。 今年参加できなかった人も,来年も葉書が届きますので,是非参加して一緒に「22才の 別れ」を合唱しませんか。 工藤孝幸君,君の名前が何人かの参加者から出ていましたよ。 和多田とみ子さん,掲示板の書き込み楽しみにしています。大山君も掲示板に登場するの を待っているよ。 本当に,みんな,ありがとう。とても,楽しかったね。
(954)『倶楽部通踏切り』写真から 投稿者:飯田雅人 投稿日:09月30日(土)21時54分01秒
「倶楽部通踏切」の写真本当に懐かしいです。 私がHPのあちこちで書いているSLとの思い出はほとんどこの辺りでした。 いたづらをして機関士さんに石炭の雨をもらったのもここ,お使いで夜の購買会 栄町支所に買い物に行くたびに通った踏切,自転車で転んで青あざを作った・・ 線路に耳をあて・・・・などなどきりがありません。 山田倶楽部写真館「汽車」の浜田登さんのご好意で写真を掲載させていただきま した。 また,この場所の夏の様子は,菊地審人さんのHPにも載っています。 「栄町岐線」という奥山さんの話ですが,あの辺りは線路が並行して2本走ってい たのでしょうか。以前,石原さんの話を読んで大夕張炭山駅の辺りで,出ては戻っ てくる入替の蒸気機関車がけっこうあって,小さい頃炭鉱病院の向い辺りで白い蒸 気をはいて動く機関車を眺めていた印象が蘇ってきたのですが,やっぱりそうだっ たのかな。 下に山田倶楽部写真館「汽車」のtopページへのリンクを貼っておきます。三菱大夕 張鉄道の写真があります。
(953)倶楽部通踏切り 投稿者:奥山道紀 投稿日:09月30日(土)18時38分48秒
富士見町の炭鉱住宅とbT牽引の列車、雪道を行く人々。 清水沢起点16.092qの「倶楽部通踏み切り」の写真が山田倶楽部写真館 にありました。 左側には16.143qから分岐していた「栄町岐線」の線路も写っています。 飯田さん家の近くですね…↓
(952)「とうきび」 投稿者:向 啓子 投稿日:09月30日(土)13時36分42秒
石原さんの「トウモロコシ」のお話で、おいしいとうきびの食べ方について、 一言。 大夕張にいた時に母や祖母が作っていたとうきびは子供の私にとって、それ は楽しみで思い出の味です。 その味が忘れられなくて、畑を借り、せっせ、せっせと「とうきび」作りに 精を出しています。特に、今年は出来がよく、親戚やご近所さんに、たくさ んあげることができました。 最高においしい食べ方は、朝取りのとうきびを薄皮のついたまま、七輪で焼 いて食べることです。焦げ目もつかず、ゆでたみたいに食べやすく、とって もおいしですよ。 私の住んでいるところは札幌の街中より2度ぐらい気温の差があり、朝晩の 気温も低いので甘いとうきびが出来るのだそうです。(最近、寒くなって 2回も暖房を入れました。) 今日は久しぶりに晴れましたので、今年最後のジンギスカンを食べようとお もっています。 おいしい話ばかりでゴメンネ! ツックって おおゆうばり最高のとうきび(トウモロコシ)
(951)大夕張の音の風景 投稿者:飯田雅人 投稿日:09月29日(金)22時37分20秒
石原さんの投稿を読んで,同じような思いが随所に感じられます。学年差 一つで,上の階に住んでいた「ケンちゃん」なだけに,記憶もずいぶん近 いものがあります。そこで,タイムリーなページを・・・。 音のついての思いは結構あって,同じ虫の音一つでも札幌と大夕張のもの とでは,違う・・・・なんてわけないかもしれませんが,山の中で聞くの と,住宅街の中の公園で聞くのはやっぱり違う。 そんなわけで今回,「音のある風景」と題して,音と写真で,より故郷を 身近に感じていただきたくアップしてみました。 今後の更新の予定もどんなものが載せられるか,わかりませんが,先にも いったように音に対するけっこう大夕張の音に対するこだわりみたいのは あるので,なんとか更新していきたいと思っています。 音量になんの工夫もしていないので,夜中などに聞くとびっくりされる場 合があるかもしれないので,ご注意願います!! 注)サイレンの連続再生は止めたほうがいいですね(~_~;)
(950)秋の味覚 投稿者:石原 賢治 投稿日:09月28日(木)22時48分35秒
全国的に暑ーい夏でしたが9月も終盤になるとさすがに秋らしさを感じます。 大夕張の紅葉はもう少ししてからでしょうね。 秋の味覚で忘れられないのが、あの『トウモロコシ』です。 家の裏のちょっとした空き地に植えていましたし、手っ取り早ければ、 栄町辺りの商店で売っていたと思います。 それを蒸気で蒸かして、黄色く色づいたものに少々塩味をつけてかぶりついた 美味さは、いまだに忘れられません。 ガイドブックなどでは札幌大通り公園のトウモロコシが美味しいとかいいますが、 子供の時食べた限りでは大夕張の蒸かしトウモロコシに軍配があがると思います。 今でも時々食することがありますが、当時の味を味わったことはありません。 そういえば、店先でも蒸かしたものを売っていましたね。 大夕張、というより北海道からかなり遠くに住んでいますので、少々ピントの ずれたことを書いているかもしれませんが思い出を語るという事に免じて お許し下さい。
(949)大夕張ダム学習会 投稿者:奥山道紀 投稿日:09月26日(火)12時35分34秒
「サイレン」での時報というのは、炭鉱町独特のシステムかも知れませんね。 ところで、大夕張ダム下流の南部青葉町・菊水町ではダムの放流を知らせる 時にも「サイレン」が鳴ることがあったようです。 よく、橋のたもとに「放流注意」の看板がありましたが、サイレンの説明も 書かれていました。 少し強引ですが「シューパロ塾」では下記の通り「大夕張ダム学習会」を行い ます。 1.日 時 10月 7日(土) 10時 2.学習内容 (1)午前の部(午前10時から正午) 場所:大夕張ダム管理所 講師:北海道開発局札幌開発建設部大夕張ダム管理所長 原田 政彦氏 内容:ダム施設を見学し、ダムの歴史や概要について講義していただき ます。 (2)午後の部(午後1時から午後4時頃) 場所:南部コミュニティーセンター 内容:大夕張ダム建設記録映画の上映(1時間)。 ダムにまつわる寄せ書きワークショップ。 ダムにまつわる昔話や思い出、ダムについて感じていることなど を語り合います。 3.参加料 1人200円(高校生以下無料) 4.その他 (1)南部から徒歩でダム事務所に行きます。参加者は午前9時30分までに 旧南大夕張駅構内に集合して下さい。(約15分歩きます) 高齢の方や足の不自由な方はこちらで用意する車両で移動します。 駐車スペースが狭いため、その他の方はるべく徒歩で行くようお願いし ます。 雨天時は自家用車に分乗します。 (2)午前の部、午後の部いずれかの参加でも構いません。両方参加する方は 昼食をご用意下さい。なお、当日は南部地区で昼食を調達できます。 (3)参加を希望する方は10月4日までに事務局伊藤までご連絡ください。 詳細は下記へ↓ 8月26日、雨のため南部コミセンで砂金掘りの学習会を行ないました。9月 にあらためて夕張川で「体験実習」を行なう予定でしたが、都合により、来年 に延期しましたのでご了承願います。
(948)久々の汽笛の音 投稿者:石原 賢治 投稿日:09月25日(月)23時10分41秒
奥山さん、確かに汽笛を聞かせていただきました。ありがとうございます。 やはり今聞いても、ドキッとするところがありましたがいいもんですね。 街に時間を知らせるくらいの迫力があったのでしょうね! 音と申しますと、あの山神社脇のサイレンの音も強烈でした。 もちろん街全体に、時間やらを知らせていたのでしょうから中途半端じゃ いけないわけで、よく神社の近くで遊んでいましたが突然あの音を聞くと 思わず耳を押さえていました。 多分、会社のストライキ突入とか解除の時の合図にもなっていたようで 繰り返しウ〜ウ〜が続くと何か大事件でも起きたのかと子供心にも 心配したもんでした。 それからすると、だいぶん前の投稿にありましたが、鹿島小の夕方鳴らす 羽生の宿は安心して聞けるもんでしたが、遊んでいても、もう帰らないと いけないと催促されているようで少々寂しくなる曲でもありました。
(947)「汽車の汽笛」 投稿者:奥山道紀 投稿日:09月21日(木)19時51分42秒
石原さんの投稿を懐かしく拝見しました。 南部の青葉町に住んでいた我家では、南大夕張駅を出る列車の汽笛が聞こえると 「今、※時の汽車が行ったね…」と時計替わりに汽車の汽笛を聞いていました。 この汽車の汽笛ですが、鉄橋やトンネルの前、入替えで操車係りを呼ぶ場合等 それぞれ鳴らし方が決まっていました。 「ポ、ポ、ポ、ポ〜」と「短急汽笛」を数回鳴らすのは危険を知らせる為です。 線路際で遊んでいて鳴らされた方も居るのではないでしょうか? ↓で「大夕張駅出発」の汽笛が聞けます。
(946)羆で思い出す事? 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:09月20日(水)23時41分00秒
鹿島はもう少しすると、霜が降りる頃でしょうか? この頃になると山の中(街中が山の中にあったんですが)に分け入り 山ブドウの実を採りに行きましたね... 採ってきた山ぶどうは焼酎と氷砂糖で漬け込んで自家製ワインを無許可? で仕込んでいました、でもガキの自分らには全然美味しくなんかは無かったです 数年前に鹿島小グランドの神社側にテニスコートのフェンスが残っていたとき 美味しいそうな山ブドウが蔦に絡まるように実っていて、数粒食べましたが 味はヤッパリ、ガキの頃のままで美味しくはないんだけれど とても懐かしい味が口の中にパッート広がりました でもあのコートやフェンスもなくなり、ブドウの蔦も残ってはいないのかなー 今では世界中のワインが気軽に飲めますが、あのワインはもう味わうことは 出来ないのと思うと正に「幻のワイン」になっちゃいましたね... ワインを飲みながらフッと思い出しました。
(945)炭山駅から大夕張駅まで 投稿者:石原 賢治 投稿日:09月20日(水)00時09分10秒
大夕張炭山駅は始発駅でしたが、何度かそこから乗車することがありました。 改札口のすぐそばには今まさに出発を待つ蒸気機関車が湯気といいますか 蒸気をちらつかせ出発の時間を待ちわびているようでした。 あの、汽笛も子供にとっては大変大きな音で、いつボウ ボウといいますか ポーポーという音を発するのか大変気になるところでありまして 出発の時間には客車の座席に座っていないと耳がいかれてしまうと思っていた もんです。そして、あの熱そうな機関車に触ろうものなら大火傷を するのではなどと思っていました。 それだけ至近距離で機関車を観察できたのだと思います。 炭山駅から大夕張駅までのわずかな時間と距離でしたが、母親が買い物に行くのに 『特別遠回り』で乗せてくれたのではないかと思います。 もちろん汽車に乗らず歩いたほうが近くて早かったと思います。 炭山駅から乗る人は少なかったし大夕張駅からの乗車が多かったでしょうから、 上り線(清水沢行き)で大夕張駅で降りる人はほとんどいなかったでしょうね。 ずーっと鉄道のことを考えていたらこんなことを思い出しました。
(944)教えてください。 投稿者:つり坊主 投稿日:09月19日(火)23時02分41秒
わたくし、明日、夕張岳の麓付近で釣りをするんですが(登山口から徒歩20分、 看板らしきところから沢に入ること20分の所)、「熊」は、どうなんでしょうか? 分かる方がおりましたらメールにてお知らせ下さい。 一応、「熊スプレー」などというものを8千円もだして購入しました。 (まだ、実例がないそうですけど・・・) 「ビビルんだったら行くな!!」と言われそうですけど、よろしくお願いします。
(943)全盛期の三菱大夕張鉄道 投稿者:奥山道紀 投稿日:09月18日(月)20時54分54秒
飯田さんの報告の通り、皆さんの善意により南大夕張のラッセル車も黒く再塗装 され、昨日にはかつて営繕として三菱大夕張鉄道の車両整備に携わっていた小原 さんにより窓ガラスも入れられ往時の姿を取り戻しました。 駆けつけていただいた、飯田さん、長谷川さんありがとうございました。 さて、鉄道の話題が続いていますが昭和35年7月1日改正の三菱大夕張鉄道の 時刻表が手許にあります。道路開通以前の全盛期の時刻表ですのでここで紹介し ます。 【下り列車】 列車a@清水沢 遠幌 南大夕張 明石町 千年町 大夕張 大夕張炭山 ▲51 6:01 → 6:20 → 6:25 → 6:29 → 6:33 31 6:32 → 6:38 → 6:42 → 6:46 1 6:32 → 6:46 → 7:03 → 7:25 → 7:31 → 7:42 → 7:46 3 8:50 → 9:05 → 9:26 → 9:45 → 9:51 →10:02 →10:06 33 12:55 →13:17 →13:23 →13:28 →13:32 5 13:00 →13:14 →13:34 →13:53 →13:59 →14:10 →14:14 7 14:38 →14:52 →15:12 →15:31 →15:37 →15:46 →15:50 9 16:47 →17:01 →17:18 →17:37 →17:43 →17:50 →17:54 11 19:03 →19:14 →19:27 →19:46 →19:52 →19:58 →20:02 ▲53 20:53 →20:58 →21:02 →21:06 ※201 22:40 →22:52 →23:04 37 23:07 →23:27 →23:32 →23:36 →23:40 【上り列車】 列車 炭 山 大夕張 千年町 明石町 南大夕張 遠 幌 清水沢 ※202 4:54 → 5:00 → 5:04 → 5:09 → 5:28 → 5:33 → 5:44 ▲52 5:27 → 5:31 → 5:35 → 5:40 → 5:58 32 6:05 → 6:09 → 6:13 → 6:17 2 7:06 → 7:15 → 7:19 → 7:24 → 7:43 → 7:53 → 8:02 4 8:53 → 9:00 → 9:04 → 9:09 → 9:30 → 9:41 → 9:50 34 11:05 →11:10 →11:13 →11:18 →11:34 6 13:00 →13:07 →13:11 →13:16 →13:35 →13:44 →13:53 8 14:40 →14:46 →14:50 →14:55 →15:19 →15:31 →15:40 36 15:55 →16:00 →16:04 →16:09 →16:25 10 16:40 →16:46 →16:50 →16:55 →17:16 →17:26 →17:35 12 20:19 →20:26 →20:30 →20:35 →20:52 →21:01 →21:10 ▲54 20:35 →20:39 →20:43 →20:47 38 22:26 →22:31 →22:35 →22:40 →22:56 ▲56 23:10 →23:14 →23:18 →23:23 ※印の列車は不定期列車(三菱大夕張炭鉱の公休日に必要に応じて運転) ▲印の列車は会社公休日には運休 この当時、清水沢〜南部(南大夕張)間には夕張バス(後の夕鉄バス)、 明石町〜鉱業所(炭山駅)間に美鉄バス(翌年三菱バスに改称)が運行されてい ましたが南大夕張〜明石町間には道路が無く、文字通り三菱大夕張鉄道が唯一の 生命線でした。 その、三菱大夕張鉄道の混合列車も昭和37年の道路開通、翌年のバス運行によ る通勤列車の廃止、昭和44年の南大夕張新礦開坑による貨物列車増発などで削 減され昭和47年11月には3往復となってしまいました。
(942)今日の大夕張とラッセル 投稿者:飯田 雅人 投稿日:09月17日(日)22時08分57秒
南大夕張のラッセル,鹿島小のガラスを再利用して窓が入り,お化粧直しです。 綺麗になったラッセルを大夕張に行く際にはぜひごらんになってください。 南大夕張のホームが今日一日地元の人たちも交えて大勢の人でにぎわっていま した。 今日,大夕張に行ってきました。鹿島小グラウンドにごろごろと丸太の山があ り,何かと近づくとそれは20本程もある電信柱の山でした。 そういえば,道路脇に掘った穴を埋めた跡がここにくる前に見たことを思い出し ました。 よく見ると栄町の電信柱の林がいつものそれではなく,背の低いコンクリート製 のものにさしかえられていることがわかります。しかも電線がダラリと手が届き そうなくらい下がっています。 駅前の2,3軒を残して家がすっかりなくなってしまった大夕張。草原に電信柱が 林立している奇妙な光景を見せていた大夕張ですが,今度はその電信柱も必要な ものを残してきれいさっぱり無くなっていくのでしょう。 鹿島小グラウンドのその一角は家の近くではもう見ることのない木の電信柱に, 黒く塗られたコルタールの臭いが立ち込めていました。
(941)突放の恐怖・・ 投稿者:今井 一郎 投稿日:09月17日(日)00時41分31秒
飯田さん、どうもお久しぶりにお邪魔いたします。 石原さんの思い出に便乗させて頂きます。 貨車入替のとき、わざわざ機関車が最後まで押さなくても良いように突放は 基本でした。入替作業の時間短縮には非常に効果がありますが・・・ 私が勤務していたのは南大夕張駅で「三菱石炭鉱業鉄道」の時代です。 (入替例) 清水沢からDLがセキを20両連結して駅構内に入ってきたら10両+10 両に分割してホッパー(石炭積出施設)に差し入れます。 1回目の10両は機関車が押します。貨車の先頭乃至2両目に連結手が乗り 貨車の制動でピタッと先頭の貨車をホッパーの口に当てます。 その間、機関車は機回り線をまわり、残りの10両を押し上げます。 ホッパー線は若干の傾斜があり、ポイントを交わしたら連結を解除して機関 車は即座に逃げます。そうすると、じわりじわりと貨車は動き出します。 転轍手が機関車が通過したらポイントをホッパーに向けます。 2回目の貨車に乗った連結手は1回目の貨車の後尾に上手に連結されるよう に制動をかけます。 冬、車輪と制動子の間に雪が詰まり、制動が利かないことがしょちゅうあり ました。いくら制動をかけても減速せず勢いよく止まっている貨車に当たるこ 時、当たる前に潔く逃げます。当たった瞬間車輪が浮き上がります。 「ほ〜・・脱線しなかった・・」 とヒヤヒヤは屡々でした。
(940)鉄道の魅力 投稿者:石原 賢治 投稿日:09月16日(土)23時36分57秒
奥山さん、ご教示有り難うございました。 せっかくですから大夕張の鉄道で学んだことなどを。 明石町駅ですとか南大夕張駅、遠幌駅は上り線と下り線が交差する駅であった と思います。 先に到着した列車から反対側の車線に入線した列車を眺めていますと 突然自分達が乗っている列車が動き出したと思いきや、周りの景色を見て 実は反対車線の列車が動いているんだたとかいうことにたびたび出くわしました。 今でも単線区間の鉄道に乗ると同じような体験をします。 これは単なる錯覚なのでしょうが、あえていえば相対性原理の入口を見ているの ではではないかと思っています。 こういった現象を体験することで鉄道の魅力を感じて興味を持ったりするように なるのかと思います。 かつて、プラレールといってプラスチック製のレールをつなぎ電池で動く機関車 を走らせる子供用のおもちゃがあり買いましたが、決して子供だけのものでなく 高架橋ですとか操車場やら分岐などがありましたので大人でも充分に楽しめる ものでした。
(939)交流会と石炭車のこと 投稿者:飯田 雅人 投稿日:09月15日(金)20時04分29秒
遅くなりましたが,先月の交流会ようやくアップしました。 出席された方との交流が楽しかったのはもちろんですが, 参加できなかった方々のHPを通して得られた様々なメッ セージがあったからこそ,交流会がまた楽しさを加えてい ると,この場を通して皆さんに感謝いたします。 (交流会に掲示板の投稿を印刷し冊子にしてもっていきま したが,電話帳にも負けないくらいの厚さになりました。 通し番号で1000にも迫ろうとしています。) --------------------- 大夕張駅の引き込み線の話,そういえば,昭和45年の頃貨物 のコンテナが大夕張駅に停車していた記憶がよみがってきま した。富士見町の線路脇の道路の辺りでは,いつも油と機械 の焼けたような臭いがしていたことや,石炭置き場で石炭車 が下の扉を開閉して石炭を下に落とし込んでいた光景が私の その辺りの記憶として残っています。
(938)Re.貨車の不思議 投稿者:奥山道紀 投稿日:09月15日(金)19時02分57秒
石原さん、こんばんは。 →国鉄線の駅で気動車が貨車を押し、 機関車で貨車を押し、惰性で入替えを行うのを「突放入替」といいます。 ちなみに、人を乗せた客車や危険物を積んだ貨車は「突放禁止」。 遠幌駅では長い貨物列車の時など、突放を行う機関車があの高い鉄橋上まで 達したそうです。
(937)貨車の不思議 投稿者:石原 賢治 投稿日:09月14日(木)22時43分45秒
ずうっと小さい頃、富士見町の詰め所横の空き地でよく遊んでいました。定期的に 列車が入り大夕張駅にも引込み線があり、貯炭場へ石炭の供給をしたり、購買会 へ品物の納入ですとか、運送会社への貨物の受け渡し等の業務をしていたと 思います。そんな中で目にしたのはひとりで動く貨物車でした。 ゆっくりと、機関車に押されもせず、じわっと移動しているのはなぜなのか、 子供心にとても不思議な情景でした。 魔法使いが運転しているとか言っていたように思います。 でもある時、どこかの国鉄線の駅で気動車が貨車を押し、あるところで切離した後 は慣性の法則で動く貨車と、無人といっても乗っている制御係の方の感覚によって なされるブレーキ操作に拠るところでうまく停車していたのだろうと思います。 かなり想像がはいっていますので間違いがあればお許しください。 そんな列車の動きをを見るのが大好きで操車場の機関車を見ると胸がわくわく したものです。
(936)大夕張関連の飲食店 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:09月14日(木)22時39分30秒
ウーン、大夕張出身者のお店ですか...としさん達と入った飲食店は 店名「シューパロ」でママさんは清陵町(清水沢)のご出身者でした ススキノをパトロールの途中に発見したので、予約もしないで押しかけたのですが 気持ちよく迎えていただきました、料金も良心的でしたね 住所は南5条西4丁目アイシンビル内に有ったと思いますが 情報としてはこの程度ですかねー、明日はまた同級生10名程でBBQなので その席で聞いてみますね!でも意外と札幌市内では少ないかなー ヤッパリこのページで皆さんのお力をお借りするのが一番でしょうね
(935)オリンピックと大夕張 投稿者:山中 佐喜男 投稿日:09月13日(水)21時20分00秒
シドニ−オリンピックも間近です。その中で女子競泳陣へのメダルの期待度は 高まる一方です。本道出身の田中雅美さんのご両親は、かつて鹿島中学校で 教壇に立たれていました。昭和45年から47年ごろかと思います。 岳楓寮でご一緒させて頂きました。お母さんは、旧姓宮崎先生です。 この掲示板をごらんの方の中にもおそらく体育で習った方がたくさんいると 思います。
(934)居酒屋 投稿者:飯田 雅人 投稿日:09月13日(水)19時37分32秒
先日,次のような横浜市に在住しておられる大夕張出身の方からメールをいただきまし た。その中で次のように聞かれました。 >飯田さんのホームページにお願いがあります。 >大夕張出身者で、札幌等で飲食店等を営んでいらっしゃる方のお店を紹介して >欲しいのです。 >出張時の時間のある時に、大夕張には行けずとも大夕張との触れあいと懐かし >さとを求めて伺いたいと思うのですが。 薄野にはなかなか縁の無い私には苦手な分野なのですが,どなたか,札幌近郊で大夕張 出身の方が営んでおられるお店はご存知ありませんか。 2,3年前,たまたま行った札幌市中央区南4西5の『夕張』という居酒屋に行ったこと があり,そこの夕張出身者のマスターは気さくな方で店内も夕張の写真に飾られ夕張 出身者の方が常連で大勢集まっているようでした。 旭川市東光には,99年11月21日にこのHPに住民登録された京極さんのお父様がやって おられるという(鹿島中11期卒だそうです)居酒屋『シュウパロ』があるそうです。
(933)「炭鉱の記憶の旅」 投稿者:奥山道紀 投稿日:09月13日(水)14時17分03秒
空知支庁では炭鉱の遺物の見直しを進め、今後の地域振興に活用しようと 「炭鉱の記憶発掘」事業を展開していますが、その成果がホームページで 公開されてます。 これはCD−ROMで各自治体、図書館、学校等に配付されたものと同一 内容ですが大夕張関連のものも多く含まれてます。
(932)鹿島=deer.s island 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:09月12日(火)22時47分41秒
鹿島は少しづつ炭鉱が開かれる前の自然に戻っているんですね... 先週、鹿島小へ行った時は置いてきぼりになった犬が1頭 バーベキューをしている自分達のところまでやって来ました。 原付デブマンさんも丁度この日にグランドでお会いし、お話を聞たところ悲しい事に 最近はここに愛犬を置いてきぼりにする人がいるそうです そんな人にどうか、止めて下さいとお願いします! 自分達が飼い始めた動物たちです、最後まで手元に置いて責任をとるべきです! 持っていったお肉を、ほんの少しばかり焼いて置いてきましたが.. 思い出すたびに、とても悲しい気持ちになります 大夕張にはこんな事をする人はいないと信じていました。 こんな状況で何をするべきかを考えています..又 今度合う事が有ったなら せめて、鹿の親子が暫くは穏やかに暮らす事が出来ればと願います。
(931)鹿の親子 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:09月11日(月)21時00分21秒
日曜日の午後,天人侠温泉の帰りに,桂沢経由で大夕張を通過してきました。生憎雨が強 く降っていましたので,鹿島小学校のイタヤカエデの木にだけでも会ってこようと思い車 を進めました。 校門の坂を登りきると,既に先客がいました。鹿が4頭イタヤカエデの木の手前で,草を 食んでいました。母鹿と3頭の小鹿からなる親子のようでした。鹿を発見するとすぐに車 を停止させましが、鹿も耳を立て警戒体勢に入りました。雨の中親子団欒を楽しんでいる ようなので,それ以上立ち入るのは止め車の向きを変えました。すると,鹿も安心したの かまた草を食べはじめました。 妻も,娘も動物園ではなく野生の鹿を見るのは初めてだと感動していました。 校庭が見えるまでは,訪れる人もなく,雨に打たれている侘びしい情景を想像していまし たが,鹿の親子がいることによって,ほっとしたところでした。 鹿の親子のお陰で,私たち親子も,ほのぼのした気持に包まれながら,鹿島小学校跡地を 去ることができました。
(930)大夕張フリーク 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:09月10日(日)10時33分21秒
NAKAJIさん初めまして! 自分は1953年生まれで高校まで暮らしていましたが 現在は札幌市に在住です。 そこに住んだ事は無くても良いんじゃないですか! 鹿島に関心を持って頂けてとてもうれしい限りです シューパロ湖やその周辺に広がる風景は いつ眺めてもホッとしますね これからも一鹿島フリークとしてこのHP共々宜しくお願い致します。
(929)鼓笛隊 投稿者:石原 賢治 投稿日:09月10日(日)00時09分37秒
思い出帖の中に鼓笛隊が掲載されています。私も当時所属していました。確か4年 生から入部出来たのではないかと思います。低学年の頃は運動会ですとか何かの 行事ですとかでパレードする姿を見てとてもまぶしい気持ちで眺めていました。 子供心ながらにクリ−ム色のベレー帽まっ白のシャツにエンジ色のネクタイ。 水色の半ズボンにこれまたまっ白の運動靴にハイソックス。とてもおしゃれな服装 だと思いました。 入部の理由は覚えていませんが何かあか抜けした事でもやりたかったのだと思います。 最初は皆縦笛と言いますか、リコーダーをやったと思います。 それから上級生になるにつれ別の楽器をあつかわせてもらえたと思います。 リズム系の打楽器である大太鼓とか中太鼓、小太鼓やシンバルといったものや メロディ−系のアコーディオンとかピアニカという楽器がありそれぞれ希望して 使わせていただいたと思います。6年生の女子はバトンといって楽器でなく バトントワリングを出来たと思います。 出番は先程記したように運動会ですとか交通安全の行事ですとか卒業式の演奏 だったように記憶しています。夕張市内の小学校の鼓笛隊の大会があったような 記憶もあります。そういえば、大夕張に初めて横断歩道橋が出来た時も、盛大な? 渡り初め式ありまして、その時は制服なしの普段着でパレードしたことが有りました。 今、小学校で音楽教育のレベルアップもあるのか、いきなり吹奏楽なんていうのを やっているようです。クラリネットですとかフルートですとか本格的な楽器を 小学生たちが堂々と演奏している姿に時代の差を感じます。 ところで、あの思い出帖の写真に自分が写っている姿を見たときは、恥ずかしい やら何やらで思わず顔を覆いたくなりましたが、こんな時代もあったのかなどと 妙に開き直って、まじまじと見直しております。ちなみに6年生に時は指揮棒を ふっていまいた。
(928)始めまして 投稿者:NAKAJI 投稿日:09月09日(土)23時02分11秒
始めまして。 というか、自分は夕張鹿島地区とは全然関わりないですが。。 こんな自分ですが、すいません。 母親が、夕張出身で小さい頃良く夕張に行ってました。 そして数年経ち、車も持つようになり去年くらいに夕張に行きました。 その時に、色々なところを見てこようと思い鹿島の方へと。 初めて行ったんですが、すごくリラックスする所でした。 それからというもの、たまに休みの日に気分転換に札幌から鹿島にある 展望台に行ってボーっとする時間を作ってました。 自然を見ながらストレスが解消されてました。 その展望台も、今年無くなってしまいました。警察署もあったのが 無くなってしまいましたね。 母親に、鹿島地区って最初知らなくて色々と聞きました。 仕事関係で関わりある人が、小さいときに鹿島に住んでいたことが あったらしく、色々と当時の話を教えてくれました。 汽車の話・夕張メロンを食べまくっていた話・家での石炭を小屋に詰める話 などなど。。 今は、芦別方面へ行く道路となって鹿島地区の存在を知る人もいないかも しれません。 自分的に、大夕張地区がダムで沈んでしまうのは悲しいです。。 機会があれば、今度社内報で大夕張地区をピックアップして多くの人に その存在を知ってもらいたいと思ってます。 最近、大夕張を知った人間ですが。。周りに色々と大夕張を知っている人が 親戚を含めているので、時間をかけて色々と知っていきたいと思ってます。 なんか、関係もない人間が書き込みしてすいませんでした。
(927)シューパロ展報告 投稿者:奥山道紀 投稿日:09月09日(土)22時50分27秒
秋の気配も強まった夕張市南部で2〜3日、「第6回シューパロ展」が開催され ました。会場には地区住民の絵画、写真などとともに往時の大夕張地区の写真も 展示され市内外からの来場者の目を引いてました。 シューパロ塾・三菱大夕張鉄道保存会からもパネル等が展示され、飯田さんの 「大夕張色の情景」が人気を集めてました。http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5963/syuparoten2000.html
(926)記憶の断片 投稿者:工藤 央 投稿日:09月09日(土)20時33分27秒
お久しぶりです。 さて、子供の頃のことを思い出していて、夕張東高校のことを思い出しました。 父が教師だったというのは前に書いておりますが、幼稚園が冬休みの時などに、 父に弁当を持っていったときの記憶です。 毎朝高校に行く父は、私のスキーを持って出かけていきました。 11時すぎ弁当が仕上がった段階で、母から「お父さんのところに持っていって」 と私に以来がきます。 私は「ヤッケ」と長靴で武装して、夕張東高校へと向かいます。 当然体が小さかった私には雪深く感じられますが、とにかく高校を目指して一直 線・・・といっても、道は曲がっていましたが(^^; 高校へつくと職員室へ行き、ダルマストーブの前に事務のお姉さんと隣あわせで 座って、父の弁当箱を温めていました。 4時間目の授業が終わる鐘を聞いた後、父が現れ軽く頭を撫でて私のスキーを用 意し、私は父に見送られ麓の家まで滑って帰っていました。 その時に父の教え子の方などに可愛がっていただいていたことも憶えています。 また、夏休みには父が女子バレー部の顧問をしていた関係上、家にバレー部の方 が合宿に来ていたということも憶えています。 あんな狭い家に7〜8人くらい来ていたんでしょうか? それから夏の思い出としては、教え子の方から「夕張メロン」をいただいていた ことでしょうか? ほぼ毎日に近い状況でメロンを食べていたことを憶えています。 今だと問題になるようなことなのでしょうが、当時は「先生食べて!」といって 持ってきていたような気がします。 当時うちにいらした方、本当にありがとうございますm(__)m
(925)大夕張色の情景 投稿者:飯田雅人 投稿日:09月02日(土)16時56分32秒
小学校の頃,図工だけは好きで,「あんたは図工が得意だね」といってくれた先生 をはじめ親,近所の大人たちの何気ない一言がどれだけ自分の自信となり支えてく れていたことでしょう。 思春期,挫折しそうになった自分の心の支であったかもしれません。 でも,いつかそんな自信も吹き飛んでしまいましたが。 でも今もまんざら絵や工作が嫌いではないのは,その頃の周囲の温かい言葉かけが あったからと感謝しています。 HPでも写真で載せている『大夕張色の情景』は,故郷への思いが模型工作に走ら せたのかもしれません。 シューパロ湖畔を走るバスと鉄道のイメージですが,実際にある風景をもとにした わけではありません。・・・などといっていると,たいしたものを作ったように聞 こえるかもしれませんが,工作好きの四十過ぎた親父が楽しみながらつくったもの ですからたいしたことはありません。 このHPに集まってくるみなさんの思いや交流がなければ自分もあのようなものを 作ることはなかったと思います。 伊藤さん,明日午後からシューパロ展に顔出します。よろしくお願いします。