(1094)想い出の駅 投稿者:奥山道紀 投稿日:02月28日(水)10時09分54秒
飯田さん、どうもありがとうございます。 昨日は新聞記事の反響で「5組なら郵送料はいくらですか…?」「先着順ですか ?2組確保しておいて下さい…」等、大変嬉しい電話を頂きました。 「高校通学に3年間使った駅」「合理化・閉山で蛍の光に見送られ故郷を離れた 駅」等、人それぞれに駅にまつわる想い出を持っているものと思います。 私自身高校通学に一時期「遠幌駅」を利用しましたし、当時通っていた南部小学 校の運動会が雨天で中止になりせっかくのお弁当を閑散とした「南大夕張駅」の 待合室で食べた記憶もあります。 今回、乗田さんの発案で「絵はがき」を企画しましたが機関車と異なり意外と駅 の写真が少ないことにも気が付きました。 「遠幌駅」は本間さん、「千年町駅」「大夕張駅」は読売新聞の高橋さんの協力 により清水沢在住の方から、「シューパロ湖」「明石町」「大夕張炭山」は夕張 市石炭博物館から借用しやっと「絵はがき」が制作できました。 皆さんの協力に感謝します。 「駅」の絵はがきを制作したことで街の記録の一部を残すことが出来ましたが、 売上益も客車の塗料の購入などに使用させて頂きます。南部新光町の高橋商店 (旧三菱体育館横)でも扱ってますのでどうかよろしくお願いします。
(1093)道新で絵葉書紹介 投稿者:飯田雅人 投稿日:02月27日(火)23時20分38秒
今日の北海道新聞に『三菱大夕張鉄道/想い出の絵葉書』を紹介する新聞記事が載っていました。 製作はこのHPの多くのページに寄稿いただいている栄町出身の乗田功一さん。セピア 色の駅の風景が懐かしく当時を甦らせます。 使われている駅の写真にはHPに多くの写真提供を頂いている本間正雄さんの写真も使 わせていただいています。 ダム工事が本格化している大夕張ですが,このまますべての建物が,モノが無くなって しまうのは本当に忍びありません。かつて大きな炭鉱が,街があったことを後世に伝え ていくために三菱大夕張鉄道の客車保存にご協力を頂ける方は三菱大夕張鉄道保存会の ページ,または下記のページからどうぞよろしくお願いします。
(1092)おかしなツール? 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:02月26日(月)23時24分22秒
池田さんの書き込みを見て思わず、フッフッと一人で含み笑い! 確かに有りましたね.... 当家では?鉄製長さ2m余りのスーパーロングサイズかんな? がありました!それぞれのご家庭でのスーパーマテリアルが 必ずや有ったんでしょうね?いったいあのツール本来の目的は 何だったんでしょうね でも、考えるだけで匂いが甦りそうです.... 池田さん、ありがとう御座いました!?
(1091)冬の思い出 投稿者:池田 憲治 投稿日:02月25日(日)18時58分21秒
いつも今ごろだったと思うが、一冬に一度、どうしてもやりたくない仕事があった。 ボッタン便所の穴から金字塔が顔を出し、中腰にならないと用が足せなくなると 汲み取り口から中に入り、まさかりで倒すのだが、摩擦熱で融けて顔に飛ぶ。 いろいろと角度を代えてやっても、駄目だった。今ならノコを使うのだが、あの頃は 知恵が無かったな。
(1090)夕張キネマ街道 投稿者:佐々木広行 投稿日:02月21日(水)18時48分52秒
昨日ズームイン朝の番組の中で夕張市のキネマ街道と言う所が紹介されていました 昔の映画の手書きの看板が民家や店舗の軒先、外壁に掲示されているそうです。 夕張で生活されておられる方々のアイデアと思われますが炭鉱が無くなった今 「寂しくなった」で終わらせないところが夕張魂なのでしょうか、夕張を離れて 30年近くになりますが、いまだに夕張は私の故郷で誇りでもあります。 テレビ画面で見た夕張は雪に覆われて私が子供時代を過ごした大夕張と何の 変わりも無く、大変懐かしい思いを掻き立てられました。 厳しい寒さの中で生活されておられる方には失礼かも知れませんが、あの雪の 情景、あのしばれる朝の情景、今にして思えば何もかもが今の私を育んでくれた のでしょうね。できることなら子供に戻ってあの大雪の中で遊んでみたいです。
(1089)お待たせしました。「絵はがき・三菱大夕張鉄道想い出の駅」発売開始します。 投稿者:奥山道紀 投稿日:02月21日(水)12時26分07秒
オリジナルグッズ第二弾「三菱大夕張鉄道・想い出の駅」の販売を開始します。 「遠幌」から「大夕張炭山」までの7つの駅舎と入場券を配した絵はがきのセ ットで説明のカードが入ってます(シューパロ湖のみ乗車券となってます。 現物の入場券は存在しなかったのでは…と思います)。 大夕張出身者には懐かしい故郷を偲ぶ記念品として、鉄道ファンには模型のスト ラクチャー制作の資料などにもなるでしょう。 価格は1.000円、注文方法は受取人無記名の定額小為替と返信用切手90 円分を同封して 〒069−0844 江別市大麻西町1番地31−14奥山道紀方、 三菱大夕張鉄道保存会事務局 へ申し込んで下さい。 なお、ステッカー同様、夕張市南部新光町の高橋商店さんでも取扱います。 売上は塗料代など客車の補修資金として活用させて頂きます。よろしくお願い します。
(1088)昔を思い出させてくれて有り難う 投稿者:中山隆一 投稿日:02月19日(月)10時47分25秒
私、メタノール工場に最後まで勤めていてその後四日市の化学工場に再就職し て30年、昨年定年になりました。今回このHPを見つけまして感慨に浸って おります。鹿島には何回か里帰りしましたがその度に町の変貌ぶりに胸をつま される思いでした。このHP、よくぞここまで作っていただいたと心から感激 しております。これからもゆっくり拝見したいと思っております。有り難う!
(1087)朝日新聞大夕張支所 投稿者:奥山道紀 投稿日:02月16日(金)15時33分24秒
前に「北海タイムス大夕張支局」の書き込みをしましたが朝日新聞にも 大夕張支所があったようです。 幌南小学校の資料室に大夕張愛鳥会(朝日新聞大夕張支所)と記した 優勝旗↓が保存されています。おそらく鳩レースか何かの優勝旗かと思い ますが大夕張支所とあり「販売店」とは独立した存在だったのでしょうか? 読売新聞では販売店の高橋さんが通信員を委嘱されていて大夕張通信部が 置かれていましたが、このような形態だったのでしょうか。http://plaza22.mbn.or.jp/~Noritax_World/shuparojyuku/010203/010203.html
(1086)凍裂の音かな? 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:02月10日(土)21時59分46秒
凍りついた牛乳と乳酸飲料(敢えてメーカー名は控えます)これは冬の珍味? でしょうかね、飯田さん、内川さん、斎藤さんが冬の音に付いて 色々な記憶を述べていましたが、ヒョットすると山の木々が寒さの余り 凍裂を起こしていた音も有るかも... 知床付近では良くある事らしいですよ 大夕張も随分と寒かったので当然かも知れませんね 寒さをしのげたのは「貯炭式ストーブ」の威力かな?
(1085)寒い寒い 投稿者:飯田雅人 投稿日:02月04日(日)20時38分43秒
寒い朝,窓に一面に咲いた氷の花。 爪を立ててガリガリとひっかいていました。 外においた牛乳は凍ってしまい,スプーン でさくさくつついて食べました。うまかった。 すると,外は冷凍庫の中の温度ということ?? 手袋を「はいて」外へ出ないといけなかった。 玄関戸の金具が寒さで素手で触るとバチッバチッ とくっついたっけ。 そうそう鼻毛がくっつく寒さ・・。 本当に鼻の中で毛がくっついてしまうのですよ。 鼻をすすると鼻の穴がピタッとくっついてしま うのでしたね。 夜中の音,僕も聞いたことがあります。眠れない静かな 冬の夜。窓の外に移る雪の影。そんな音の無い世界で 突然の音,,,あれは家の身震いだったんだ。
(1084)「バツーン」 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:02月04日(日)17時28分17秒
内川さんが書き込んでいるように,僕も「厳寒の音」を聞いたことがあります。 ところは,栄町のブロック住宅。ときは,真冬の夜半。どういう訳かそれは,いつも静か な冬の夜にやってきました。 「バツーン」外気との気温差が大きいシバレタ夜,ブロックが音を立てて鳴り響くのです。 それはそれは,迫力のある超重低音サランドシステムなのです。 鼻毛もくっつくほどシバレタ冬の夜,「バツーン」は栄町ブロック住宅のあちらこちらにや って来たようです。
(1083)寒さは? 投稿者:内川 准一 投稿日:02月01日(木)19時03分50秒
MEWさんへのご返事(にならないか!) 大夕張の寒さですが、 実は、計ったことが無いのでわかりません。 ただ、室内の温度は推測できます。 居間で小さく白熱ストーブをたいている状態で その隣の4畳半の部屋の床近くは、たぶんは0度くらいで、時々零下。 最近、寒い日に、バケツでアイスキャンドルを作ったりしてますが、 暖かい札幌では1日では完成しません。 零下10度を切る寒さだと2日間が必要です。 それが、当時の長屋では、家の中で(!)、1日で可能でした。 台所の窓近くはおそらく零下10度以下だったと考えられます。 台所の床板が凍っていて、スリッパが滑って転んだ方はいませんか? 一段としばれる夜は、羽目板のはじける音が聞けました。 いったいあれは何度だったのか? これは昭和30年代中頃の思い出です。 やっぱり答えていませんね。 どなたかフォロー願います。
(1082)大夕張の記録 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:02月01日(木)08時28分58秒
今朝の読売新聞朝刊30面「まるごと.ワイド」地域ニュース に97年から長期連載された「湖底に沈む街ー大夕張から」を精力的に 取材された「遠藤富美子記者」がA4サイズの小冊子にて 自費出版されたとの記事が掲載されております 自分も昨年1度お会いし僅かですがお話をさせていただきましたが 暖かく、また緻密な取材姿勢には頭が下がりました そんな彼女が何とか記録として残す事が義務感として考えられ 300部を自費出版され、その多くは関係者への配布に当てられたそうですが 若干の余裕があり、先着20名へ無料贈呈する...以上 読売新聞記事より抜粋させて頂きました 希望者は9日までに、官製ハガキで 〒060−8656 北海道札幌市中央区北4西4 読売新聞北海道支社編集部報道課 御中 詳しくは本日の読売新聞朝刊をご覧下さい
(1081)やっと・・・ 投稿者:MEW 投稿日:01月30日(火)14時51分04秒
こちらを見つけてから1ヶ月ちょっとかかって やーっと全部見る事が出来ました。 色々なことを思い出しながら写真を見たり 知らなかった大夕張を知ったり楽しい1ヶ月でした。 子供の頃して住んでいなかったので知らない事の方が 多かったですが・・・ これからも度々拝見させて頂きます。 ところで下の方に内川さんが書いていらっしゃいますが 大夕張の冬っていつも何度くらいだったんでしょうね。 隙間だらけの家で今よりずっと不便な生活だったけど とても楽しかったのは小さかったからなのかな・・・
(1080)お久です 投稿者:山口 投稿日:01月28日(日)23時26分29秒
みなさん、ご無沙汰してます。 ところで鹿島の歩道橋がなくなったと聞いたので いよいよ街の景色がなくなってしまうと残念に思っていたのですが 最近の大夕張の画像で商店街の一角や駅前の大通りの建物がまだ残っていたので なにかホットしています。 しかし綺麗な景色ですね
(1079)BGM 投稿者:石原 賢治 投稿日:01月26日(金)23時26分34秒
飯田先輩ご回答有り難うございました。 上手く言えませんが、このHPを開く時に よくマッチした曲だと思いました。
(1078)真冬の夕張! 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:01月26日(金)20時51分16秒
皆さん、こんばんはー 「富良野塾」夕張公演ですか見たいような、でも少し暗めで.... 金曜日の夜同じヤマの物語、ひかれるところは多いですね 真冬の夕張はしばらくご無沙汰しているなー 熱っいー ラーメンやソバをすすりながら、日本酒の熱燗と メチャクチャ凍ったお漬物、これが食べれるのなら最高かな! やっぱり、大夕張の味は あの場所だけにしかないんだよねー 「居酒屋 大夕張」何処かにないでしょうか...
(1077)今日、悲別で 投稿者:内川 准一 投稿日:01月26日(金)18時59分22秒
おがさわらさん、お久しぶり。今日の読売新聞に載ってましたね。 記事によると、「富良野塾が夕張で公演:夕張商工会議所主催」 2月2日午後6時30分から夕張市民会館で上演 ヒット作「昨日、悲別で」を改訂。閉山した炭坑を舞台に、人間のエネルギーや 希望などのテーマを問いかける。羽鳥靖子特別出演 前売り券@4000円、当日券@4500円 01235−2−3266(夕張商工会議所) とありました。 それにしても。いまだに故郷!を引きずっていて、 やっぱりこれらに足が向くものなんだね!なんかほほえましいような。 同類だ。 休暇とって行ってくっかナ。無理かな
(1076)Re.バックミュージック 投稿者:飯田雅人 投稿日:01月25日(木)22時59分14秒
石原さん,どうもです。ご質問の件ですが,ここのHPのBGMは,この曲で 3曲目ですが,いずれも出典は同じところからです。1997年インプレス社 発行の『インターネットホームページ素材集Midi&WAVコレクション』と いうデジタル素材集を使っています。 『明るい感じの曲』『元気のいい感じの曲』・・・等グループ分けされて いますが,『さみしい感じの曲』の中に入っている曲です。『さみしい』 とはありますが,夜,落ち着いて聞ける曲をという意図での選曲です。 自作できたら,大夕張をテーマに打ち込みたいものですね・・・音楽の センスないので,無理ですが・・・。
(1075)バックミュージック 投稿者:石原 賢治 投稿日:01月25日(木)22時19分51秒
前から一度伺いたかったのですが、このHPを開いてしばらくすると 流れてくる曲はいったいどんな曲名なのでしょうか? 又、採用されたいわれを差し支えなければ教えていただきたいと思います。 癒し系の曲だと思いますが、何ともいえずにいいもんですから。 ひょっとして自作なのですか?
(1074)上海の旧正月 投稿者:小林光志 投稿日:01月24日(水)11時56分58秒
今年も正月を二回経験しました。ラッキーな思いでいます。 今日24日は、中国の正月にあたります。昨日は、大晦日になります。 最低気温は、2〜3度、最高気温は8〜10度。東京都とあまり変わらないです。 中国の正月は、二回目の経験ですが、’87年の前回は、陽州市の近くの 田舎のほうでした。 中国の正月は、日本と似た様な雰囲気ですが大きく違うのは爆竹の音です。 それはもう、前回の田舎の爆竹と上海の爆竹は、スケールが違います。 ここでちょっと注意しておきますが、上海市内中心は、販売も購入も行為も 爆竹禁止になっていますが、環状線の外は禁止ではありません。 給料の数か月分を大晦日から正月早朝まで続きます。 大の大人が真面目にダンボール箱数箱も購入してゆきます。 最近は、打ち上げ花火もありますが、人気は、爆竹です。 田舎のは、散発的ですが、上海は、延々と朝まで続きます。 遠くのは、爆撃機の爆音のような、近くのは、それはもう やかましくて寝てなんかいられません。 田舎と上海の違いを中国人に聞くとお金のあるかないかの違いだと。 貧富の差を知る私は、納得です。 現在の上海は、東京と同じような近代都市になっています。 地上450mのビルなどハイテクからローテクまで全てそろっています。 昨日からの酒がまだ残っている私ですが、来年も上海の正月かなと 思いをめぐらしています。 20年代の大夕張の正月は、10円のお年玉をもらう事、冬休み、 正月料理以外は、楽しみが少なかった時期でしたが。 中国は、金持ちも貧乏人もみな元気です。
(1073)寒い日が続いています 投稿者:内川 准一 投稿日:01月23日(火)21時53分43秒
いやあ寒い日が続きましたね。暖かい札幌でも零下10度以下の日ばかりでした。 こんなときは、大夕張も「ひっそりと、青くけぶる景色の中にあるのだろう」と 出勤途中に思いながら信号の変わるのを待っていると、目の前にN君が立ってい て、「先週末に大夕張(南部)に行って泊まって来た」と言う。 こいつは千葉県出身のくせに、大夕張ダム勤務が終わってからも、大夕張の空気 を吸いにたびたび戻る半分大夕張人なのだ。 「何度あった?」と聞くと、「31度だった」と言う、平然と! 聞いてください、みんな!そうなんだよね。 お互い死なないで良く育ったもんだよね。 あの頃 台所の水がめに張った氷が厚くて、毎朝木槌で叩き割った。 火を大きくたくほどに、羽目板の隙間からは冷気が吹き込んで背中が寒かった。 暖かいのはストーブの回りだけ。 夜の間に消えてしまったストーブの上のやかんの水が凍っていた日もあった。 丹前の縁には、吐いた息が凍って霜が降りた。 自分用の「湯たんぽ」から取り出したぬるま湯で毎朝顔を洗った。大切な「お湯」 それでも明るい顔で、笑って暮らしていた。 今よりずうっと! そうなんだ、みんな! だから、ね、もう少し明るい顔で暮らさんとだめよ。
(1072)今日、悲別で 投稿者:おがさわら 投稿日:01月22日(月)13時59分23秒
お久しぶりです。 一昨日は東京でも雪が降りました。 昨日、富良野塾公演”今日、悲別で”(倉本聡)を見に行きました。 我ら余に遅れ、不要といはれたり。 よって此処を去る。何をかいはんや。 文明我らを踏み石にし、 高所に上りて踏み石を捨てる。 踏み石の言葉、既に聞くものなし。 子等よ、いつの日か文明が滅び、 人類が絶望にひんしたるとき、 カプセルを開き、中に求めよ。 我ら、希望をこの中に封じるなり。 演劇としての出来はともかく、少年時代を炭坑の町で過ごした者としては、 大夕張や奔別、幌内の記憶が重なって響きあい、 万感胸に迫るものがありました。 2月には夕張での公演もあるそうです。
(1071)音 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:01月18日(木)22時41分58秒
飯田さん、寒い中お疲れ様でした 本当に寒さと言うか、厳しさが見て取れるようです 雪の中で埋もれている、わずかばかりの街の面影 今は静寂に包まれているのでしょうね... どんな音が流れているのかな? 木々の間を荒ぶ風音、木々と雪が擦れ合う様なざわめき こんな山間で皆たくましかったなー とても素敵なスナップを有難うございました!
(1070)大夕張レポートに感激 投稿者:石原 賢治 投稿日:01月17日(水)22時29分13秒
とても懐かしいと申しますか素晴らしい写真の配信有り難うございます。 大雪で寒い中の取材といいますか探検隊の気持ちでの報告拝見いたしまして 羨ましい気持ちです。 道路は見事に除雪されていますね。 建物も残っているとは、大夕張のたくましさを感じます。 勝手申しますがこういった写真を見せていただくと昔の エネルギーがわいてきて、仕事でももう少し頑張って みようという気持ちになりました。
(1069)モバイルの条件? 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:01月15日(月)21時30分36秒
飯田さんはMtレースイのスイートルームからでしょうか? そうなんですサスガのdodemo携帯電話でも 大夕張は不感地帯なのですよーでも夕張岳は全道の山岳地域の中でも 屈指の伝播地帯と言うべきか電波反射の強い所なので なぜに携帯が使えないのか以前から不思議に思っていました アマチュアハムの間では夕張岳反射を使って随分と長距離の 通信も行われていましたねー 頂上に中継タワーでも建てればかなりなハズですが でも気象条件も厳しい山岳だから無理なのでしょうね!! でもリゾートからのアクセスは楽しいですね、これからも 色々な所へ出かけてモバイルを楽しいんで下さい ラジオは「オールナイトニッポン」がお気に入りで聞いてました ちなみに今は<ノースウェーブ>がお気ニーです
(1068)夕張から 投稿者:飯田雅人 投稿日:01月14日(日)22時50分41秒
みなさんこんばんは。 今日は夕張から書き込みをします。夕張市のMt.レースイスキー場の 立派なホテルからノートPC〜携帯電話を介しての発信です。便利な世の 中になったものです。その携帯電話ですが,さすがの携帯電話も南部ま でで,大夕張ダムを越えると電波は届きません。 そういえば,中学生の頃,ラジオのベストテン番組を聞いていました。 HBCラジオの4時頃から入ったベストテン北海道,STVラジオの5時頃から やっていたダイヤルリクエスト(番組名はあやふやですが)HBCでは白馬 康治,STVでは,村上もっちゃん,巻山さん,笹原(ささっぱら)など パーソナリティの名前がいまだ出てきます。 ヒット曲の新しい情報はそんな番組で仕入れていました。ようやく親に 買ってもらったラジオで聞くわけですが,大夕張は山の中です。電波の 状態があまり良くなく雑音の混じる中でラジオのスピーカーに耳をあて るようにして聞いていたように思います。特に,ブロックに住んでいた ため,家の中では受信状態は最悪でした。 確か,テレビも同じような状態で,改善されたのは,昭和44年頃に常盤 町に中継アンテナからのようにも記憶しています。 ついに大夕張は携帯電話の恩恵をこうむることもなく(?)なくなって しまうわけですが,今日行ってみた冬の大夕張は静かに純白の夕張岳に 見守られて2,3の廃墟だけが深い雪の上に顔を出していました。 そのうち写真をアップしたいと思います。
(1067)自家用車 投稿者:飯田雅人 投稿日:01月13日(土)23時40分06秒
先生の車といえば,東高の内山雄平先生のは『スズキフロンテ』。当時出た ばかりの空冷式エンジンの2ドアハードトップという宣伝が頭に残っています。 でも,どうして先生が乗っていた車・・・覚えているんでしょうね。当時車 はまだめずらしかったためでしょうかね。
(1066)東高ペナント 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:01月13日(土)21時46分44秒
東高ペナントをさっそく拝見しました! 良いですね、校舎前ショット一番手前の車は若き日の岩井先生の愛車 <スバルff1000>じゃないかな? 自分のいとこも同じスバルに乗っていたんで憶えていますが あの車でバスケ全道大会会場の帯広まで乗せていただいた記憶があります 結構飛ばし屋さんだったかな...いい思い出です ホンマ、最高のペナントですわー
(1065)百人一首 投稿者:石原 賢治 投稿日:01月11日(木)23時32分37秒
定番の全国共通かるたですが、九州出身のわが家にあったものは、読み札に 公家だの姫様だの坊主などの作者の絵がかかれていまして、『坊主めくり』など という、お坊さんには大変失礼な遊びをしていました。裏にした読み札を順番に 1枚ずつめくり坊さんを引くとそれまで貯めた札を出し、お姫様が出るとそれを もらう。公家などのその他、男を引くとそのまま続行。たくさん貯めたほうが 勝ちというゲームというか、遊びでしたがあきずに何回もやっていました。 当然、かるた本来の百人一首は難しくて、とっつきにくいもんでした。 高校に入り古文の時間に登場した時は子供の時全部暗記できればよかったのに という後悔でした。 我が家にあったものは、下の句の札も厚紙で出来ていましたが、 あるとき友達の家で百人一首を出してもらったら、下の句の札が木製で 出来ていたのにびっくりしました。 文字もなんて書いてあるのか読めずに形で判断していました。 全国どこをを境にそうなっているのか解かりませんが、北海道は木の札でしたね。 これ文化のちょっとした違いだと思います。 冬休みの今頃、町内対抗で小中学生の下の句かるた大会なんていう行事が あったことを思い出しました。 ルールは3人対3人で50枚ずつ持ち自陣を取ればそのまま自然減で相手を取れば 自分たちのを相手に渡し、早く自分らの札がなくなったほうの勝ち。 下の句だけ読むということだったと思います。 大会の前から、その道にたけたおじさんたちが指導にきてくださったと思います。 長い冬休みを過ごした行事のひとつだったような気がします。
(1064)正月の楽しみ 投稿者:飯田雅人 投稿日:01月08日(月)23時50分45秒
もうお正月気分も残っていないかも知れませんが,お正月のお話の続きです。 子供の頃,お年玉の使い道は,まず漫画本でした。 小学生の頃は,漫画雑誌・・『少年』『冒険王』『少年画報』『ぼくら』等といっ た少年漫画雑誌が出ていて,これらは当時月刊で,しかも毎月買えるほど豊かでは なく,読めなかった号の話は友達の家へ行っては,読んでくるというような読み方 をしていました。 これら月刊少年漫画雑誌の新年特大号は,その名に違わず,付録が豪華なもので, 別冊の漫画がついていたり,正月向けのすごろくやカルタがついていました。 閉じ込みの付録で本が分厚く盛り上がり,ゴムで十文字に縛り上げられたそれらの 雑誌はお正月を楽しむには十分なものでした。 いつの頃からか,漫画雑誌も『少年サンデー』や『少年マガジン』などの週刊雑誌を 中心に読むようになり,そんなお正月の楽しみ方もなくなりました。
(1063)「鉄道員」と「大脱獄」 投稿者:奥山道紀 投稿日:01月08日(月)00時03分14秒
「鉄道員」、感動的でしたね。 最後に炭鉱街の時代考証に協力した夕張市石炭博物館の名称がクレジットに きちんと入っていました。 さて、清水沢駅の跨線橋。きちんと映画に登場しています。 しかも跨線橋に佇むのは「鉄道員」と同じく高倉健さん。 昭和50年東映制作の「大脱獄」に列車の乗り換シーンとして登場します。 ※↓に解説があります。 昭和30年代、清水沢駅の乗降客は大夕張方面の乗換えも含め札幌鉄道管理局 管内でも十指に入ったといいます。 長い跨線橋は、まさしくその頃のシンボルとも言えます。
(1062)ふるさとの駅と山 投稿者:飯田雅人 投稿日:01月07日(日)22時29分27秒
『ぽっぽや』,こちらでは今の時間帯TVで流れていますが,みている方も多いかな・・。 清水沢駅の駅舎,三菱大夕張鉄道で一番駅舎に近いホームに降り,夕張方面に向かう ためにその跨線橋の階段を母や弟と荷物を持って急ぎ足でかけていた時の印象が残っ ています。ホームをまたぐような跨線橋のある駅舎はいかにも都会を感じさせる立派 なもので実際,ホームを行き来する人たちも大勢いたものでした。 今も清水沢駅の駅舎は当時のまま風格を漂わせています。 さて,昨年末の北海道新聞に札幌市内のビルを前景に大きく望遠レンズでとらえられた 夕張岳の写真が写っていました。「空気が澄んだ日に年に数回札幌市から見ることの できる山」と紹介されていましたが,今日はその幸運な一日でした。 私の住む手稲の方でもちょっと高くなっているところにいけば,青空の下で白く輝いて 増毛連山から樺戸連山,十勝岳連峰,そして夕張山地にと続くすばらしい大パノラマを みることができました。しばし車を止めて見とれていました。 きっと道内の方々はご覧になった方も多いのではないでしょうか。
(1061)清水沢駅 投稿者:石原 賢治 投稿日:01月07日(日)17時57分25秒
遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。 全日空スカイホリデーの北海道ブックといいまして、北海道各地の食べ物屋さん レストラン、お土産や地図の記載されていますガイドブックがありますが その中に清水沢駅の記載がありました。 何故かしら、帯広特集の『北海道の名物駅に途中下車』というコーナーに載って います。記載してみます。 映画のような情景を持つ駅舎 石勝線 清水沢駅 石勝線の夕張支線にある『清水沢駅』。ここはかつて、炭坑の街として栄えた 夕張の恩恵を受け、多くの列車や人々が往来した駅である。現在はその活気も影を 潜めているが、代りに古き日の情景がすすけた木造のこん線橋がまるで映画の ワンシーンもさながらに残っている。ところで、映画「鉄道員」を撮影するに あたって、旧国鉄時代の情景が今も残る清水沢駅を舞台づくりのヒントにしていた 事実はご存知だろうか。清水沢駅は、クレジットに載らない名エキストラなのだ。 (ANA's HOKKAIDO BOOK P170から転記させていただきました) ところで、今日の夜はテレビで「鉄道員」が放送されるようです。 まさに今ごろは雪一色の世界でしょうね。
(1060)あけましておめでとうございます 投稿者:奥山道紀 投稿日:01月04日(木)03時30分59秒
新年おめでとうございます。 元旦の夕張は天候も良く、シューパロ湖は全面結氷し白一色。 夕張岳も白銀に輝き静かなお正月でした。 また、今年も「シューパロ塾」「三菱大夕張鉄道保存会」を よろしくお願いします。
(1059)正月 投稿者:飯田雅人 投稿日:01月03日(水)20時04分02秒
最近は元日から営業を開始する店もけっこうあって,道は人も交通量が少ない とはいえ,人出も結構あります。2日には,テレビは東京方面に帰省からの Uターンラッシュが始まるとのニュースが渋滞の高速道路を映し出していました。 大夕張にいたころは・・・大夕張がそうだったのか,時代がそんな時代だったの か,お正月の休みは1週間位あって,商店街も店を閉じ,のんびりしていたと思い ます。 雪深い山奥のこととてどこに出るわけでもなく,栄町や岳富町の商店街が店を開け る日には,待ちかねたように,もらったお年玉を握りしめて模型や本を買いに家を 飛び出していった覚えがあります。 正月の数日間,『夢の街』で夕輝さんが描かれているあの時代の『家庭』がそこ にはあったと思います。
(1058)最後の大晦日・そして新年 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:01月02日(火)22時10分24秒
「ふるさと大夕張」に集う大夕張ッ子の皆さん,新年明けましておめでとうございます。 掲示板の投稿を読みながら,僕も大夕張で過ごした最後の大晦日を振り返ってみました。 正確には,大晦日の前日の事なのですが。 1972年12月30日。この日夕張東高第8期生(同年3月卒業)の同期会を,確か千 歳町の婦人会館で開催しました。もう記憶は定かではありませんが,沢山の同期生が集ま りました。女子・男子が入り混じって手作りのつまみを用意し,未成年でありながら酒を 酌み交わし盛り上がったのを覚えています。そして,2次会は岳富町の「てっちゃん寿司」 の2階の座敷で行ないました。 誰とどんな会話をしたのかほとんどもう忘れてしまいましたが,仲間と会えたことがとて もうれいくて仕方がなかった「心の躍動感」だけは,今も覚えています。 あの頃は,もうじき閉山が迫っているとも知らず,受身的に「とき」と接していましたが, もし「あの日」をもう一度再現できるという奇蹟にめぐり合えるなら,一瞬の動きもしっ かりと記憶しておきたいと思うことがあります。 年が明けて新年になると,街の生活に帰る社会人の友人を,学生の仲間たちと「また来年 な」とバス停で見送りました。あの日「来年も同期会で皆に会える」と誰しも疑うことは ありませんでした。 現実には,翌年閉山になり,二度と大夕張では再会を果たすことができませんでした。 最後の大晦日と新年のことを振り返ると,東高の同期会とバス停での再会の誓いを思い出 します。
(1057)あけましておめでとうございます 投稿者:今井 一郎 投稿日:01月02日(火)18時24分54秒
あけましておめでとうございます 最近・・というか、ホントご無沙汰しています。 でも、皆さんの書き込み、拝見させていだだいています。 今年も宜しくお願い致します。
(1056)A HAPPY NEW YEAR !! 投稿者:ヒロ 三浦 投稿日:01月01日(月)11時07分59秒
新年明けましておめでとうございます。 この新世紀も様々な事が起きるんでしょうね シューパロダムもその一つに成る事は事実ですし 自然形態が変わっても、心のつながりは変わる事無く 連綿と続いてゆく事でしょう 素晴らしい仲間達に乾杯!毎日が乾杯って、なりさんが言いそうですが まー 21世紀もワイングラスを最良の友した我が人生!
(1055)21世紀になりました 投稿者:飯田雅人 投稿日:01月01日(月)01時02分52秒
新年あけましておめでとうございます。 みなさんはどこでいかがおすごしですか。うちでは, 大晦日,家族そろって平凡に時は過ぎ,21世紀を迎えました。 午前零時,突然近所の石屋製菓(あの有名な白い恋人の)チョコ レートファクトリーから打ち上げ花火があがり盛り上がったこと が,世紀越えの年越しを感じさせたことくらいでしょうか。 大夕張にいた15歳の頃,21世紀を空想していたある日のこと をよく覚えています。 まず,自分の年を数えて,四十ン才になっていて,自家用車をもっ ていて,テレビが壁かけになっていて,家に一台お手伝いロボット がいて,ほとんど,ボタン一つで家の中のことができて,・・・・ なんて世界を思いながら,ずいぶん遠い世界のことのように思って いましたが,ついに・・・きたんですね。そして,当時の夢けっこ う実現していますよね。 新世紀元年,これからもよろしくお願いします。