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2001年    
大夕張掲示板Index題名一覧へ/ 9月 10月

平成13年 10月 先頭にもどる


(1497)音の伝言 投稿者:田中紀子  投稿日:10月31日(水)00時48分42秒

久々湊さん、貴方の詩を読み感動いたしました、
是非聞いてみたいですね、「消える町からの音の伝言」
今の大夕張人の心の中が良く現れています、あまり淋しく
思わないように時代の流れを自分なりに受け入れようと
思っておりますが、現実を見るとやはり空しいものがありました、
これからの私の故郷はあの雄大な夕張岳と母なるシューパロ湖
と思うようにしました、景色は永遠に不滅です、
23年間見た大夕張の春夏秋冬の景色は今も目に焼き付いています、
最後のイベントに参加出来て本当嬉しかったです、
これからはこの掲示板で語り合いたい、皆様宜しくね。

(1496)みんながうらやましい 投稿者:小林光志  投稿日:10月30日(火)22時47分31秒

29日のお誘いを何度もいただきましてありがとう。
最初のは、北京で、二度目は、香港で、今、自宅に帰って送信
しています。
登校されている皆さんは、私より若い方たちですが投稿を見て
いると、ふるさとが見えてきます。春日町から雪の日も雨の日
も通った鹿島小学校、鹿島中学校、夕張工業。
懐かしい比志先生などの名前を見ると元気なことを知り安心です。
私たちも歳を取りましたが、先生たちも・・・かな?
残念な悲しい知らせもありますが、元気でいられて自分に感謝しています。
これからもこの投稿欄で楽しませてもらいます。

(1495)音の伝言 投稿者:久々湊 眞一  投稿日:10月30日(火)22時42分26秒

皆さんロケへの参加、ご苦労様でした。私も行きたかった!です。行けなかった
私は、さっそく「思い出ノート」への書きこみをさせていただきました。
============================================================
何も無くなった鹿島小グランドでは、風のつぶやきが聞こえた。(第三楽章)
笹薮に埋もれたシュ―パロ湖の淵では、鎮魂曲が流れた。(第四楽章)
私の原点、大夕張が消える。。。嗚呼。
============================================================
この時に聞こえた音(幻?)を、MIDIにしてみました。大夕張からの音による
メッセージかも?と、勝手に思っています。
(幼稚な曲で恥かしいのですが、私の「大夕張への思い」です)

『消える町からの音の伝言』 
第一楽章:雪解けの頃(大夕張4月)…雪が解けて徐々に地面が見えてくる時の
  「うれしさ」。。。大夕張人は、わかりますよね。
第二楽章:せせらぎ(宝の沢)…勢いが良い雪解け水の流れをクラシック・ギター
  のトレモロで表現。川の流れは昔と同じでした。。
第三楽章:風のつぶやき(鹿島小グランド)…ただ風がささやいていているだけ
  の何も無いグランド。祭囃子も聞こえたような。。。
第四楽章:湖底の歌(シュ―パロ湖)…暗い水の中。炭坑で亡くなった方々の声
  も聞こえたような。。。
第五楽章:木もれ日(鹿島中跡)…林から洩れる夕暮光の中で佇んだ。フォーク
  ダンスのメロディが頭の中で流れた。。。

これらの曲を聴いてみたいと思われるご奇特な方がおられましたら、
私宛てにメールを頂ければ、お送りします。
飯田さんと小野さんには、無理やり送りました(笑)。

(1494)一生の思い出になりました 投稿者:佐々木(海野)真由美  投稿日:10月30日(火)21時40分12秒

28日のあんなに賑やかな大夕張のことは忘れません。昨年訪れた時は、あまりの変わり
様に、自分も一緒にダムに沈んでしまおうかと思ったほど、ショックが大きく、精神的に
もかなりの打撃に、病院通いをした私です・・・。だからこそ、もう、行くべきじゃない
と思う私を、大夕張は、待っていてくれたかのようでした。
ロケで皆が集まるシーンでは、皆の笑い声が私の心に大きく残されました。
皆、バラバラにいろんな所に今は住んでいても心は一つ、同じ故郷を思う気持ちは、家族
同然ですね。
元気にまた、頑張る力が湧き出てきました。皆さん、ありがとうございます。

(1493)忘れられない日になりました 投稿者:高橋歌子  投稿日:10月30日(火)18時49分02秒

前日から旭川に泊り込み、両親と共に行ってきました。
母は張り切って、朝5時から起きてお弁当を作っていました。
実家にはPCはなく、前日の時間変更を知ることは出来ませんでしたが、
少し早めに行ったので、両親は校歌の撮影に参加することが出来ました。

私は大勢の人に圧倒されて怖がる息子をおんぶし、神社の山に登ることにしました。
曇ってはいましたが、くっきりと夕張岳が見えていました。
いつもは人気のないグラウンドに大勢の人が集まり、ピアノの伴奏で歌う校歌、時々起こる笑い声。
息子と二人だけで見るにはあまりにもったいない素敵な光景でした。

久々に人々の行き交う大夕張の駅前通りを眺めながらお弁当を食べ、幸せな気持ちで
帰ってきました。

飯田様、本当にありがとうございました。

(1492)力添えできませんでした 投稿者:市橋 勝  投稿日:10月30日(火)15時09分41秒

せっかく飯田さんからお声をかけていただいたのですが、何もお力添えが出来なくて申し訳ありませんでした。
恥ずかしながら、詩を作りました。
掲載しますので御笑覧下さい。

-------------------------
化石の街

ふるさとの街は
もうどこにもない

僕が帰れる街は
もうどこにもない

優しく出迎えてくれる場所は
もうどこにもない

いつか
水の底に沈むという
小さなふるさと

あの日の
小さな想い出と一緒に
深く静かに横たわる

いつまでも
忘れないでおくれ
たとえ名も無き花だとしても

いつまでも
忘れないでおくれ
たとえ名も無き風の山だとしても

いつまでも
忘れないでおくれ
名も無き僕達のことを

(1491)思い出ノート 参加できなかった方々へ お願い 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月29日(月)21時24分09秒

28日鹿島小グランドで私たちは,ふるさと大夕張への思いを泊川さんの『思い出ノート』
に綴ってきました。そこに書かれた思い出や思いの一部は1月12日(土)放送予定の
ドラマで聞くことができるでしょう。

そこで,当日参加したくてもできなかった方々へ,お願いです。今日から放送当日1月12
日までの間,インターネット版の思い出ノートを用意しました。鹿島小グランドで私達が
書き込んだのと同じように,皆さんも大夕張への思いや思い出を2,3行で結構ですから
お聞かせください。
ここに書き込まれたものは,かならず『思い出ノート』の泊川さんに渡します。

そしていつの日にか10月28日,参加した私たちが鹿島小グランドで書いた『思い出ノート』
と,参加したくてもできなかったみなさんの思いの込められた『思い出ノート』を一つ
にして公開できらたらどんなにすばらしいことかと思っています。
ご協力どうぞよろしくお願いします。

http://ooyubari.cool.ne.jp/aska/aska.cgi


(1490)私のふるさと物語 投稿者:田中紀子  投稿日:10月29日(月)20時56分12秒

草野さん、飯田さん、楽しい1日でした、有り難う
ございました、雨も降らず、少し寒さ有りましたが、防寒コート
を着ていきましたので大丈夫、昔と変わらない美しい姿の夕張岳を
仰ぎ見ての楽しいロケでした、懐かしい人達にお会いでき
感動でした、みんな大夕張がなくなりましたが、どこかで元気に
暮らしているのですね、又何時の日か再会出来ます事を願い帰路
につきました、それにしてもあの犬今年の冬越す事が出来るでしょうか、
心配です。

(1489)行けなくて残念です 投稿者:まこっち  投稿日:10月29日(月)20時46分29秒

とっても参加したかったです。僕は大夕張出身ではないのですが、
毎回訪れる度に「懐かしさ」を感じています。
実際まだ鹿島小の校歌も知りませんし、詳しい歴史も町名も解り
ませんが、それでもなんとかして仲間に入りたい!と思っている
次第です。
忘年会....都合が合えばぜひとも参加したいです。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=IMAIMAN


(1488)土屋先生 投稿者:成松  投稿日:10月29日(月)19時31分57秒

昨日の鹿島小学校グランドに飯田ファミリー自称広報担当?として行ってまいりま
した。写真もたくさんとってきましたよ。
終日、夕張岳が僕らを雨から守ってくれ顔を出してくれていました。
お祭りの時に、でみせが出店していたように体育館の下の道端には久しぶりに車・
車・車・・久しぶりに賑わった大夕張。その数100名。そして今回来られなかった人
の声ものせて校歌がいつまでもこだましました…(ちょっと寒かったけどね)

今回の企画に遠方からたくさんの方がこられた中に、横浜から来られた方がおりま
した。土屋先生です。
あえて先生と呼ばせていただきます。僕の記憶の先生だから…
当時私5年生。以前(192)に書き込みしたように、故河村先生がおられたカトリック
教会の塾生でした。土屋先生はたぶん大学生。夏休みで里帰りをしていて、たまた
ま僕らの夏休みの課題のドリルを教えにお手伝いに来ていたものだと思います。
塾の時間以外にも遊びに・スポーツにと夏休みの一こまを刻んでくれた記憶が強く
ありました。田舎育ちの僕にとって土屋先生はスマートで垢抜けた、都会のお兄さ
んって印象でした…

いつかお会いしたいと思っていた方と今回、このような形でめぐり合うことがでま
した。ありがとうございます。
飯田さんのHP万歳!
大夕張万歳!だから皆さんも思い出作りには積極的に参加しましょうね!

(1487)皆様に感謝! 投稿者:草野 桂  投稿日:10月29日(月)18時57分43秒

今回、大夕張出身者でもない私の応募がきっかけで
こんなに素晴らしい体験をできることとは思ってもみませんでした。
今までは「ふるさと大夕張」を見たりしながら
すでに誰もいなくなってしまった大夕張に毎年お伺いしていました。
たくさんの思いを生で聞き、校歌も歌い(さすがに覚えました!)、
大夕張の方々の暖かい心に触れられたことは、
私たち夫婦の貴重な財産になりました。
飯田さん、泊川さんには特に多大なご苦労をおかけしたことと思います。
また、貴重なお写真や絵葉書を下さった方々、鹿島小学校で食べた焼肉、
…言葉では語り尽くせない感謝でいっぱいです。
本当に、本当にありがとうございました!

大夕張の寒さとは打って変わって、
帰りの飛行機で羽田に降りたったときの気温は21℃、
「イリュージョン役」で皆様と一緒に出演したはずが、
帰ってきてみたらまるで私たちが
世界最強の素敵なイリュージョンを見せていただいた気分です。
帰りの車の中では思わず二人で
「あぁ〜大夕張♪」と歌いながら帰りました。

末筆になりましたが昨日は寒い中一日中戸外に居りましたので、
くれぐれもお風邪など引かない様…。
私達が寒さに関しては一番甘チャンだとは思いますが!

(1486)今年は忘年会参加 投稿者:佐藤順一  投稿日:10月29日(月)17時05分18秒

昨日は、仕事の関係で、行けず残念ででした。
今年は,忘年会で、皆様に会えることを,楽しみにしています。

(1485)今年もやるよ:大忘年会 投稿者:ヒロトシナリ  投稿日:10月28日(日)20時50分55秒

本日,大夕張に駆けつけてくださった皆さん,ご苦労様でした。特に飯田さん,今回の総
元締めお疲れ様でした。こちらもお陰様で,BBQ,焚き火と大夕張を満喫することがで
きました。

あわせて,現地で企画会議を開き,今年の「ふるさと大夕張忘年会」の開催を次の日程で
行なうことになりました。今年はアクセス10万件突破祝賀会も兼ね「ふるさと大夕張」
の交流会の歴史に残るような「大忘年会」をと幹事一同気合が入っています。
同期会とは一味違って,色んな年代層が集まって来て,また格別な大夕張の味付けとなっ
ています。
是非今からスケジュール調整の上,皆さんの参加をよろしくお願いいたします。
また,今までの交流会,忘年会の模様はトップ・ページ「ふさとの輪〜交流会」をご覧く
ださい。

* 2001年ふるさと大夕張忘年会
【と き】12月1日(土)午後6:30
【ところ】札幌市(会場が決まり次第お知らせします)

(1484)感動の一日 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月28日(日)20時49分20秒

大夕張でのNHKのお正月ドラマロケに参加された皆さん,お疲れさまでした。心配された
天気も午前中には薄日がさすなど,雨にあたることなく無事終了しました。シューパロ
湖に映える周囲の山々の紅葉がでむかえ,夕張岳が,一日中見守っていてくれました。

午前中の田中豊一先生が演奏された「鹿島小校歌」のピアノ伴奏。合間に入れてくださった
「ふるさと」,そして6才〜70?才の世代による校歌。しかも「ああ大夕張」は2部
合唱。胸にしみました。
午後,駅前通りにてのロケ。緑町集会所と池田屋食堂の交差点で懐かしい出会い,
幼い日のような屈託のない笑顔,笑い声,大勢の人と人との思いが交錯しました。
思い出のノートの朗読では,一人一人のみなさんの思いを聞きながら自分の思いと重な
り胸がいっぱいになりました。

大夕張にこれだけの人の声がこだましたのは,あの鹿島小の閉校式以来ではないでしょ
うか。たくさんの方に声をかけていただきとっても嬉しかったです。時間があまりなく
十分にお話ができなかったことが本当に残念で,申し訳なく思っています。

遠く本州から参加した方はもちろん,参加したくともできなかった大勢の方々の思いが
バトンリレーされて,今日の思い出に残るロケになったことをお伝えするとともに,こ
の場を借りてお礼申し上げます。

(1483)NHKBS正月ドラマの情報を仲間に伝達しました。 投稿者:宇良田 彰  投稿日:10月28日(日)01時06分52秒

昨日(10月27日)、東高校第四期同期会の懇親会が有楽町で開催され
私も参加しました。総勢19名が参加し三次会までやって午後10時頃散会
となりました。ちょっと前に帰宅しパソコンに向かって掲示板に書き込んで
いるところです。懇親会の席上で飯田さんの「NHKBS正月ドラマ」のこと
を宣伝しておきました。
飯田さんはこの件で色々とご苦労されていることと推察致します。懇親会に
参加していた仲間は飯田さんのご苦労に感謝していますと申しておりました。
懇親会に出席した仲間のほとんどはこのサイトを知っているようです。
今回、私の方から仲間に住民登録をして第四期生の健在ぶりをアッピールする
よう薦めておきました。正月ドラマを楽しみにしています。

(1482)明日の集合時刻 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月27日(土)19時19分45秒

すみません,急ぎの連絡です。
明日の集合時刻ですが,雨の心配があるため,
できるだけ早くから撮影に入りたいという連絡が入りました。
午前10時に来てほしいということです。
急な連絡で動きの取れない方もいらっしゃると思いますが,
できるだけお願いしますということでした。
申し訳ありませんがお願いします。

(1481)ある作曲家の音楽葬 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月27日(土)17時43分30秒

昨日(10/26付)北海道新聞夕刊に9月23日に70歳で亡くなった音楽家の桑山真弓さんの
音楽葬が28日午後1時から札幌ロイヤルホテルで開かれるとの記事が載っていました。
新聞によると,桑山さんは1952年に北海道放送(HBC)に入社し,65年までHBC専属のバ
ンドのリーダーを務めていたそうです。当時のバンドの写真が載っていますが,それを
みると,アコーディオンを抱え,男らしい顔つきをした20代の頃の姿が垣間見ることが
できます。
65年の独立後,「石北峠」「網走ブルース」「北海道の旅情歌」など,道内の歌を中心
に約1000曲を生み出し,その中には,「静内ばやし」「大滝百年音頭」などの郷土芸能
も手がけられ北海道のアコーディオン協会長も務められたとのことです。。

「大夕張小唄」の作曲者 桑山真弓氏の音楽葬が明日,1時から。そして,大夕張鹿島小
学校のグランドで12時から,かつて響いたアコーディオンの音色と,小学校の校歌が響
きます。みなさん,明日を楽しみにしています。鹿島小のグランドで・・・。

(1480)同級生 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:10月26日(金)19時52分06秒

成田利夫君,田村邦男君,掲示板へのデビューおめでとうございます。今までは,鹿中26期
生が一大勢力?を誇っていましたが,僕らの同期(鹿中22期生)もぼちぼち顔を出してきた
ようで嬉しい限りです。
これまでの掲示板には,僕らのほか小倉力君(鹿島小学校途中転出),向(旧姓伊藤)けいこ
さん(鹿島小学校途中転出)が投稿しています。
また,住民登録には佐々木保君も登場しています。
また鹿島中学校の同期会の栞では,このHPの写真・資料等使わせてもらっています。そんな
訳で「ふるさと大夕張」の存在は結構広まっています。

成田君,昨夜は電話でのお誘いどうもありがとうございました。今夜は付き合えませんが,ま
た機会があれば誘ってください。豊島君にもよろしく。
今年の「ふるさと大夕張忘年会」で会えることを楽しみにしています。

田村君というより「クニオ」,君の妹が「住民登録」のコーナーに99,2,14に書き込み
をしています。その中には「田村金次郎」さんの名も出てきています。
この次東京で開催する同期会には,先日開催した鹿中同期会参加者からも何人か参加希望があ
りますので,誘ってください。

28日は家族で大夕張へ行ってきます。二人の思いもしっかりともあの大地に伝えてきます。

(1479)感謝!泊川俊徳さん 投稿者:小野美音子  投稿日:10月26日(金)13時46分38秒

今井さん、奥山さん、先日はありがとうございました
田中様、教会でお会いしていたかもしれませんね。

「黄色い旗と思い出ノート」、この素晴らしいことに、札幌からノート管理に
バイクを走らせて下さった泊川さんに心から感謝しています!!
平成10年4月から3年半という長い間、継続されている地道な努力に
敬意を表したいと思います。孤独な作業とお感じになられたり、落書きなどに
暗澹として、やめようとお思いになったこともきっとあることでしょうね。
そんな中で、「続けて下さった!!」この事が心を打ちます。
本当にありがとうございました。 また泊川さんの関係者の皆様、
お蔭様で一味違ったお正月を迎えられそうです。

残念ながら私は参加できませんが、こちらで校歌を歌うことにします!!
子供には「鹿島小の校歌ってイイでしょ!」とイバルものですから
歌詞の ああ〜大○張〜 の中に「威」が入って聞こえているようです。

当日は戸外の撮影ということで、暖かい日になることをお祈りしています。
天候によってはカイロなど(スポーツ観戦用の座布団型もあるそうです)
ご用意されまして、お風邪など召しませぬよう、そして大いに大夕張を
楽しまれて、参加できなかった人にも後でお話を聞かせて下さい!!

(1478)豊島君、元気ですか? 投稿者:田村邦男  投稿日:10月25日(木)23時45分22秒

豊島君、元気ですか?ホームページを開いていたら君の名前が出ていました。
確か海外の、靴のアメリカ屋で勤めているのでしたね。
大夕張とは時々夢の中で出てきます。君とは同じ幼稚園で、胸にハンカチがぶら下がっていましたね。
「信」と呼ばれ、弥生町1丁目10番地でしたね。
私は東京にいます。時々川下の謙ちゃんとも会っています。
28日には大夕張には行けませんが、思いは北海道に飛んでいる事でしょう。

(1477)ふるさと大夕張の思い出 投稿者:ziny  投稿日:10月25日(木)22時22分54秒

思い出は 水の冷たさ 山山葵(やまわさび)

ねこやなぎ かすむ鹿島の 馬糞風

水ぬるむ 素足で遊ぶ 磯次郎(いそじろ)の沢

(1476)NHKBSお正月ドラマ 大夕張ロケ 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月24日(水)23時19分27秒

NHKBSのお正月ドラマで視聴者参加ドラマ
というのがあり,今年は「私のふるさと物語」
というテーマで制作されます。
(↓詳しくは以下のページをご覧下さい)
http://www.nhk.or.jp/my-furusato/

2002年のお正月は大夕張を舞台にしたドラマが見られます。
いまからわくわくどきどきです。
その中に5分程度大夕張でのシーンがあるそうです。


●思い出ノートの朗読

●元鹿島小教諭で鹿小鼓笛隊を設立された田中豊一先生のピアノ伴奏による
  参加者全員で歌う鹿島小校歌

などが収録の予定だそうです。

10月28日 日曜日に,番組収録があります。詳しい連絡がNHKのディレクター
の方よりありましたので,お知らせします。

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集合時間)午後12時。

集合場所)鹿島小学校グランド
         (飯田注:お食事をすませてきていただければとのことでした。)

お願い)
        ※ 来る時に思い出の写真(例えば大夕張での生活がわかる写真、
           家での家族の写真、学校行事での写真、スキーをしている写真、
           友達との写真、など)を何か一枚持参,お願いできないでしょうか。

        ※※「思い出ノート」に書いてある思いを皆さんに朗読していただきますが、
          小学校以にも,いろいろな思い出を紹介したく思います。
          来る方々に思い出、ふるさとへの思いを新たに書いてきていただければと
          思ってます。(2,3行程度でかまいません)
          日常のスキーをした思い出とか、住宅での生活の楽しさ、神社で遊んだ思
          い出、川へ行った楽しさ、鉄道への思い、ふるさとは無くなってしまった
          が、それぞれの心の中にふるさとは生きているという思いをお聞かせねが
          えればと思います。

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尚,上記のお願いの内,思い出や思いをディレクターの方が事前に読みたいそう
なので,メールにて飯田iida@mta.biglobe.ne.jpまで送付していただけないでしょう
か?メールでなくても,掲示板等に直接書き込まれても結構です。こちらでまとめて
金曜日に連絡したいと思います。
いろいろありますが,よろしくお願いします。

何はともあれ,まずは28日,大勢のみなさんで集まって,大夕張で素敵な思い出づく
りをしましょうね。わざわざ道外から参加される方もいらっしゃいます。初めてお目に
かかる方々との出会いもまた楽しみですね。

(1475)札幌にいます 投稿者:成田 利夫  投稿日:10月24日(水)23時12分52秒

昨日は、日本に来ているだけで、何処に来ているのかわからない、えらいそそっか
しい内容でした。
早速、工藤孝幸君からメールをいただきましてありがとうございます。
豊島信行君は、10月27日(土)まで札幌にいます。
10月26日(金)に瀬川君と3人で、札幌で会う予定になっています。
どなたか気が付きましたら
連絡お願いいたします。

(1474)息吹が聞こえた 投稿者:成松泰彦  投稿日:10月24日(水)20時49分29秒

同期の長谷川君が、素晴らしい紅葉の大夕張を散策している頃、私も出張でしたが
見ごたえのある紅葉を満喫してきました。
今年の紅葉は本当に最高でしたよね。

その帰り道、富良野方面から芦別、歌志内、上砂川と通過します。
そこは、一つ一つのまちが都市を形成していた炭鉱があったところです。
いつもは何気なくバスはその町々を通過しますが、今回メンバーの中に芦別出身の
元市会議員の年配の方が一緒でした。で、『ここら一帯はべっすりハーモニカ長屋
が並んでいてな、あの丘の上にもあの山の上にもそこらじゅう煙があがっていたも
んだ。明るかったんだぞ。賑やかだったんだぞ。』と、指を指し教えてくれました

自分の生まれた長屋は知っていても、井の中の蛙…の通り他のまちには行ったこと
が無く、そこにはただススキの穂が風にたなびいているばかり…でもわかるんです
よね。見えてくるんですよね。当時の息吹が。そして家々にともる灯りと煙まで…
なんとなく力が漲ってきたのは、大夕張出身の僕だけだったのかもしれないけれど
何もない原野の叫びから元気をもらって帰ってきました。

帰宅後、いまや10万ヒットを超えるビッグマスターの飯田さんから28日の件で、わ
ざわざ電話をいただきました。そこで今回話題になっている『闇を掘る』に出演の
波多野さんが近所にお住まいのお話をしました所、ぜひ今回の小学校の校庭にお誘
いしたら?という事でお誘いと、このHPのPRをところです。その後、集合場所
やその他わかりましたか? 何か今からo(^-^)oワクワクです。

(1473)豊島君が来てます 投稿者:成田 利夫  投稿日:10月23日(火)23時41分59秒

昭和44年に鹿島中学を卒業の皆さん、豊島信行君が久しぶりに日本に来ています
10月28日(日)に帰ります。
10月25日(木)までに気がつきましたら、メールを下さい。

(1472)横山 洋様へ(その2) 投稿者:菅井宏史  投稿日:10月23日(火)20時49分53秒

メール頂きありがとうございました。返信致しましたが、下記同様送信不可
でした。送信可能なアドレスをお教え頂ければ幸甚です。
ちなみに確か横山くんとは3年、4年の時に米沢先生の竹組で同級生だった
と思いますが、違いましたか?詳しくはメールにて色々と。

(1471)ありがとうございます 投稿者:まこっち  投稿日:10月23日(火)20時47分27秒

カード届きました。僕の大切な宝物にさせていただきます。
数年前にはアパートもまだ残っていたのですね。でもこのカードを
見てるだけで、なんとなくこの中に溶け込めるような感じがします。
本当にありがとうございました。
個展などありましたら必ず見にいきます。
それでは失礼します。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=IMAIMAN


(1470)訂正 投稿者:ヒロ 三浦  投稿日:10月21日(日)15時19分53秒

鹿島小の「ポストカード」ではなく
神社山から見おろした「大夕張と夕張岳」遠望のカードでした
スミマセン!でもこれは同郷の画家「佐々木 辰雄君」の作品からの
複製カードになっています、過去に交流会等で参加された方へは
お渡ししています。
鹿島小学校題材にキャンバスに描かれた作品が実存します。
来年にはもう一度多くの方々に御覧頂ける機会が予定されていますので
この冬を越え、再び新緑がよみがえる頃をお楽しみにお待ち下さい。

(1469)横山 洋様へ 投稿者:ヒロ 三浦  投稿日:10月21日(日)08時10分56秒

横山 洋様へ
メールを頂き、早速返信を出しましたがunknouwnでしたので
掲示板を御覧と思いますので、こちらで回答をさせて頂きます。
1953年2月24日 春日町南6丁目生まれ
鹿島小学校〜鹿島中21期〜東高校7期 いずれもバスケ部に在籍でした。
同期の部員では「倉田君、蛯沢君等」中学校時代は「相坂先生」
高校時代は「岩田先生」が部活の顧問として御指導を頂きました。
相坂先生は千歳市内、岩井先生は札幌市西区内にお住まいでご健在です。
岩井先生御夫妻はこのHPを日頃御覧頂いていらっしゃるようですねー
そんな訳でお問い合わせの「オミ」さんではなくてごめんなさい!
でも同じ大夕張の仲間として、この「ふるさと大夕張」共々宜しくお願い致します

「まこっち」様へ自分の手元に佐々木辰雄君オリジナルの
「鹿島小学校全景」ポストカードがありますので、よろしければ配布も可能です。
ご希望でしたら飯田さん宛メールBOXへ御住所等お知らせ下さいましたら
郵送させて頂きますが・・・これは超レアアイテムです!
28日グランドへいらっしゃる事が出来るのであれば手渡しもOKですよ!

(1468)僕の思い出 投稿者:まこっち  投稿日:10月20日(土)22時10分26秒

僕が初めて鹿島を訪れたのは、まだ鹿島小中学校の校舎もあり
消防署も無人のまま残り、旧夕張千年郵便局舎もまだあった頃でした。
歩道橋の出入り口は封鎖されていたり....初めて見る光景に実際唖然と
してしまいました。
それ以来年に度々訪れるようになりましたが、来るたびに前にはあった
ものがなくなり、特に鹿島小学校の校舎がなくなった時はしばらくの間
そこに立ち尽くしてしまいました。

また近いうちに訪れる予定です。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=IMAIMAN


(1467)千古のみどり様 投稿者:田中  投稿日:10月19日(金)00時08分20秒

初めて投稿します。飯田さんのホームページ本当に久しぶりに開いてみました。
何だか人恋しくて・・・秋ですね。なつかしい言葉、名前いっぱい見つけました。
なかでも教会の河村先生の事は忘れられません。子供の頃寂しさを紛らわす為に
行っていた日曜学校。いつも優しい笑顔で迎えてくれた河村先生。
とても救われました。清く正しく(??)生きてこられたのは先生のおかげです。
最後にお会いしたのは東京の聖路加病院で、亡くなる一週間くらい前だと思います。
身体はとても衰弱してられるのに、頭はとてもクリアーで昔のことをよく覚えてお
りました。せめてクリスマスまで生きたい。先生はおっしゃってました。
ここで泣くわけにはいかず、言葉がでません。もし自分がもうすぐ死ぬと分かって
いたら、こんなに強くいられるだろうか。。。。。とても強い方でした。
でも、本当は死にたくなかった。たとえ天国へ行くとしても。。。。
あれからもう5年。なぜか私の誕生日に逝ってしまった先生。今は天国で私達を
見守っていてくれているのでしょうか。。。。。

(1466)小野美音子様 投稿者:今井一郎  投稿日:10月18日(木)07時04分50秒

 こちらには随分と久し振りの書き込みとなります。

 坑内作業の休憩中に先山が、
「ヤマで死ぬのは交通事故より確立が低い」
と言っていましたが彼も南大夕張の事故で逝ってしまいました。
 炭鉱事故はヤマでは必ずあったこと。ヤマで暮らしたことのある人の
心の中では必ず陰の思い出として刻まれていますね。
 でも、ヤマの思い出は陽の思い出の方が多いです。
 私の青春時代を過ごした南大夕張。街は変わっても今でも大好きです。
 大夕張出身の方々は街自体が消滅してしまうんですね・・。
 やはり記憶を残すことは大事なことですね。

(1465)「その日父は帰らなかった」 投稿者:奥山道紀  投稿日:10月17日(水)22時19分32秒

北炭夕張新鉱事故と三菱南大夕張の事故に関しては法政大学大原社会科学研究所
の「日本労働年鑑」が参考になるとおもいます。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/53/rn1983-288.html
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/56/rn1986-120.html
北炭夕張新鉱の事故後、同炭鉱住宅街の清陵小学校では「その日父は帰らなか
った」というタイトルで文集が纏められましたが、北海道新聞の記事によると
28日の学習発表会で、その後同小学校と統合した清水沢小学校児童により劇
として発表されるようです。また、この文集は映画「ユーパロ谷のドンベーズ」
の原作ともなっています。

http://www.hokkaido-np.co.jp/News/general/0011/0011.article.shtml


(1464)すみません 投稿者:小野美音子  投稿日:10月17日(水)20時08分45秒

新鉱の事故と南大夕張の事故と混じってしまったようです。
詳しい方よろしくお願いします。
私自身の事故を身近に感じたときは教会でいつもミサの時に聖書を
朗読してくださったおじさんが事故を境に姿がみえなくなったことです。
昭和42年のことでした。

(1463)今井 一郎様 投稿者:小野美音子  投稿日:10月17日(水)15時34分03秒

石原さん、鹿島小の古い体育館は本当に薄暗かったですね。
菅井さん、写真と返信をありがとうございました。劇の衣装も凝っていて
綺麗ですね〜! 西牟田神父様をとても懐かしく拝見しました。
長谷川さん、美しい紅葉、涙がでそうです・・!!

今井一郎様、昨日ここの大夕張リンクから、今井さんのほにゃらら掲示板に
お邪魔させていただきました。大夕張掲示板で山史や271番の「川と自然に
ついて」の投稿に、生きている限り語り継がなければ・・という気迫を
感じていました。やはり書かれていらっしゃいました。「20年前の今日」。
今井さんの沢山のお仲間がお亡くなりになり、夕張だけではなく、日本中の
人々が悲しみに胸を塞がれた大事故でした。誰もが忘れてはならない事だと
思います。そして今日、・・ガス抜きボーリングでガスを安全な数値まで
落とし・・それを怠った行為が大事故の原因・・とお書きのところに無念が
滲んでいました。ページの壁紙のお星様がいつもはネオンのように見えて
いましたが、昨日は全く違い、お亡くなりになった沢山の方々の魂が空の
上でまたたいているように見え、思わず合掌しました。

(1462)写真 投稿者:丸山直記  投稿日:10月17日(水)08時45分32秒

この方が西牟田神父様です。
右は河村先生ではないと思います。

(1461)あの建物は? 投稿者:今井 亮  投稿日:10月17日(水)00時30分18秒

はじめまして。皆さんにひとつ質問があります。富士見スキー場跡の
斜面の中腹に見える建物(旗がなびいてる感じのところ)は何かの施
設だったのでしょうか?年に数回大夕張を訪れるのですが、いつも
「謎」に思っていました。是非よろしくお願いいたします。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=IMAIMAN


(1460)そして大夕張の紅葉も 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月16日(火)21時16分39秒

ヒロさんや,川さんこと長谷川潤一さんより大夕張の紅葉の写真が届いております。
今回は,長谷川さんの写真をムービーにして,HP公開に先駆けて公開です。
予告編(?)というところですね。あまりの美しさにみなさん涙を流さない
ように・・・ね。

http://ooyubari.cool.ne.jp/koyo.mpg


(1459)聖心幼稚園の写真 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月16日(火)20時51分33秒

第一回聖心幼稚園の卒園式の写真を菅井さんより送っていただきました。HPに仕立てる
より先にみなさんに見ていただこうと思いまして,下に置いておきます。
昭和40年度,第一回卒業生。神父様はジェームズオニール神父様でしょうか。多分,次
にいらしたのが,西牟田神父様と記憶しています。
向かって右に立っていらっしゃるのが河村先生でしょうか。当時園の先生方は何人もい
らしたでしょうし違うようにも思います。私自身の遠い記憶をはっきりさせることは
できませんでした。

http://ooyubari.cool.ne.jp/seisin.htm


(1458)翻訳 投稿者:丸山直記  投稿日:10月16日(火)10時54分42秒

飯田様
まだ翻訳システムは十分とはいえませんね。

Noki
私達家族のメッセージボードへの書き込みをありがとうございます。
james神父はOklahoma州McAlesterにある彼の兄弟の家の隣家で
殆ど過ごしています。また日本にも行っているようですが、どこかは
わかりません。
彼は今、アメリカに戻っているはずです。

(1457)Re.幼稚園関連 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月15日(月)21時32分44秒

河村先生はいつも玄関のところで,迎え送り出してくれたような気がします。
西牟田神父さまの当時の印象はきりりとした太い眉毛とがっしりとした体つき
河村先生は細い華奢な身体であったような印象です。写真を拝見したいです。
ぜひみなさんにも紹介したいです。菅井さんお手数ですが,お願いできますでしょ
うか。
下記の丸山さんのマイクさんからのメール,インフォシークの翻訳にかけたら,

---------------------------------------------------------------------

Naoki、私たちの家族伝言板に書いてくれてありがとう。 
Frジェームズは、彼の兄弟の家へMcAlester、オクラホマの中の彼の家で隣に
lotof時間を過ごしています。 
彼は、まだ日本で時間を過ごします。しかし、私はどこでかを確信しません。 
彼は今ちょうどアメリカに戻っているべきです。 
彼の兄弟フランクNishimuta、R 2、箱222-A、McAlester、OK、74501のアメリカ
によって彼に連絡することができます。 
あなたが彼を見つけるのに苦労するかどうか知らせてください。 

マイクNishimuta(フラン・ジェームズの甥)
mnish@usa.net 
----------------------------------------------------------------------
ですって・・・どなたかまともな日本文に直してくださいな・・・(^^;;;。

(1456)西牟田神父様の御消息 投稿者:丸山直記  投稿日:10月15日(月)20時39分42秒

先にご紹介した西牟田ファミリーのホームページ管理者である神父様の
甥御さんのMr. Mike Nishimuraに神父様の問い合わせをしましたところ
下記のような返事をいただきました。

Naoki,

Thank you for writing to our family message board. 
Fr James is spending a lotof time at his house in McAlester,
 Oklahoma, next door to his brother's house.
He still spends time in Japan, but I'm not sure where. 
He should be back in the United States right now.

You can reach him through his brother Frank Nishimuta, R 2, 
Box 222-A, McAlester, OK, 74501 USA. 

Let me know if you have any trouble locating him.

Mike Nishimuta (nephew of Fr. James)
mnish@usa.net

(1455)幼稚園関連 投稿者:菅井宏史  投稿日:10月15日(月)00時45分13秒

小野様へ、どうしてその写真の中の私が「東方の博士役を終えた帰り」である
ことをあなた様が御存知なんだろうかとはじめ不思議に思いました。が、考え
てみると、だいぶ以前にそんな内容のことを書いたような気もして、調べてみ
たら・・確かにありました。それで合点がいきました。この写真を飯田さんに
お送りした時には、そんな投稿をしたことはすっかり忘れてたのですけれど。
実はこの時の「キリスト誕生劇」のスナップ写真が残っています。
また入園、卒園時のクラスの集合写真があり、それには園長先生(稲村さん
によればこの神父さんはオニールというお名前だそうです)と担任の先生
(ひょっとしてよくお名前の出ている河村先生かもしれません??)も一緒
に写っております。
もしよければ、聖心幼稚園関連写真として提供させて頂きましょうか?
飯田さんよろしいでしょうか?

(1454)ビデオを観まして 投稿者:石原 賢治  投稿日:10月14日(日)22時07分06秒

『消えた鉄道を歩く〜汽笛のひびく街夕張』を観ての感想など。
1.鉄道の機関士さんの帽子をみて、小学生の頃真似して制帽のあごひもをかけて
自分は汽車の運転手さんだと言って、遊んでいました。
2.鹿島小学校の正面に立つ3階建ての校舎の風景が、思い出としてしっかり
焼きついています。そういえば、3階の上に4階がありましてというか、あの
チャイムを操作する部屋があったような事を思い出しました。
非常階段を登り狭い場所だったような??
3.鹿島小学校の昭和40年代の自分たちの通学した時代、体育館は木造で暗ーい
イメージが強いです。いつあのように鉄骨のアーチ式屋根になったんでしょうか。
鹿島中学校も同じように木造で太木の大梁が低めにかかっていました。
バレーボールするとよくその梁に当たり、中断でしたかね?いや、天井ボール
などという特別ルールがあったんではと思い出しました。バスケは影響なかった
と思います。何かで中学時代夕張東高に行ったとき、体育館の天井が素晴らしく
高く、これなら球技のトラブルも無いは、と思ったもんでした。
ついでながら、自分らの通っていた夕張北高は校舎の立て替え最中でこちらも
木造で運動場も無く(新校舎の敷地の為)暗い体育館で、過ごしました。
今は学校の体育館はどこでも綺麗なもんですね。
4.夕張岳を拝ませてもらいましたが、雪もかぶっていて綺麗なもんですね。
5.住宅の寒さ避けに窓にビニールを貼り付ける風景は、北国の知恵から来る
もんでしょうね。それでも真冬の朝は寒かった。
6.大夕張鉄道の鉄橋はあんなにきゃしゃなようですが、今でもしっかり残って
ますね。あれだけの重いものが、載っても平気だったわけでしっかりした
構造計算の上に成り立っていたんですね。
7.蒸気機関車は、走る姿が勇壮で今でもファンが多いですが、あのシュッシュッ
ポッポを観ると気持ちが熱くなってきます。でも、地球温暖化とか環境の話題の
中では申し訳ないですが、無くならざるをえないのでしょうかね?
漠然と思いついた感想を思い出とともに書き込みました。

(1453)祈りの時間 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月14日(日)21時33分48秒

みどりさん,「夕鶴」の最後は哀しい別れでしたが,せめてここの掲示板ではどうか
ハッピーエンドでお願いします。消えて行くのは土地だけで十分でございます(懇願調・・・・)
『闇を掘る』のお話聞かせていただきありがとうございました。共感の輪が広がるとい
うのか,思いが伝わってくるように感じながら聞かせてもらいました。

これまで教会との接点は,大夕張のカトリック教会がすべてでした。必ず賛美歌とお祈
りの時間があって,正面に基督様,壁にはマリア様の像がかかっていました(かな?)
あの神聖な講堂で,聖水(?)で手を清め,十字を切り,ひざまずく。・・・聖書を開
き,「天にましますわれらの父よ 願わくは (ゴニョゴニョ・・・)」とあとは,家に
帰ってからのご飯のおかずを考えていたような・・・(懺悔)。
賛美歌の時の河村先生がオルガンをひいている後ろ姿と,自己と対話するという習慣を
育まれた静寂につつまれたあの祈りの時間は忘れられないものになっています。

(1452)『闇を掘った』方々へ感謝 投稿者:千古のみどり  投稿日:10月13日(土)23時19分56秒

 これでやめよう、これでやめよう、と思いつつ、又々投稿してしまいました。
これが所謂“ハマル”ということでしょうか?
全国一千万人?のファン??の皆様
もう『つう』の羽根は残りわずかでございます。

飯田様、御推薦の『闇を掘る』万難を排して最終日の昨日、行って参りました。
続けて二度観ていようと思ったのですが、小さな映画館で誰も残らず
かなり後ろ髪を引かれながら帰って参りました。
最終日にしか行けなかったのが悔やまれますが、又観る機会があると思っています
藤本監督様、よくぞお撮り下さいました。
炭坑で育った者として、感謝の言葉しかありません。
最初に登場された永井さんに『参りました』…まるで父そのものでした。
面差しといい、(この人は秋田だな…)と思っていましたら、
ナレーションで、永井さんは、東北の秋田生まれとのこと(やっぱり)
話し方といい、明るさといい、前向きさといい、
たくさんの人の長であったことといい
あれは父の性質ではなく、秋田人の性質だったのでしょうか。
父とまったく同じ訛と語り口に、久し振りに生きた父に会ったおもいで
私はのっけから“グスグス”としておりました。
強制連行されてきた朝鮮の人達へのひどい扱い、まったく父から聞いていたとおりでした。
それが大夕張だけでなく、ロシアでも同じことをしていたこと。
今も祖国に帰されないままロシアに残されている韓国の人達。(だけではありませんが)
家族の誰もいない、李さん…。彼の願いは、当時、日本人学校で一緒に勉強した同級生に
一人でも会えたら悔いが残りません…というものでした。
その苛酷な運命を思うとき、今のこの平和は何と、とてつもないものでしょう。
彼らの犠牲と、日本の経済をささえ、家族を養うために、命がけであの暗い闇で
35年間も石炭を掘り続けた父や、たくさんの男達、それを蔭でささえた母達を
思わずにはいられませんでした。

上映前の監督さんの、御挨拶というのも初めての経験でした。
上映後、待機されていたので、何か話されるのをお聞きしたかったのですが…
(近い内にロシアへ行く方が、李さんの同級生を捜してくれるようでした)

映画館でパンフレットを買い、昨日からしみじみと読んでいます。

(1451)教会の思い出(1) 投稿者:小野美音子  投稿日:10月12日(金)22時52分11秒

思い出帖「人々」の「鹿島小学校前にて」の写真にジ〜ンときたことが
あります。東方の博士役を終え満足そうな菅井さん、3人を見守るように
お母様が身体を少しかしげ、かごを持つ姿にどこか聖らかで暖かいものを
感じたからです。 そしてバックに映る美しい教会のたたずまい・・!
日曜日が楽しみでした。最初に暗記するのは小学校低学年には??の、
お祈りの言葉。今になると美しい文語調と思えますが、唱えているうちに
意味が変化してきました。記憶に残っている部分を少し・・。
カッコの中が当時の連想部分です。
天にまします(増します)我らの父よ、・・・・・(父が増える!?)
御名が(皆が)尊まれんことを・・・・・・・・・(皆シアワセ!)
御国が(三国が)来たらんことを・・・・・・・(日本と天国とどこ?)
我らに日用の糧を(日曜の勝てを)与えたまえ・・・(神様が勝つのね!)
めでたし聖寵(成長)みちみてるマリア・・・(マリア様も大きくなる!)

河村先生は優しく意味を説明してくれたのに・・・
それでも高学年になると正しい意味が少しずつ分かってきましたが・・・
もしかしていまだ・・!?(カンコウという前科もあることだし・・)
みどりさん、あのお祈りで私を助けて!
菅井様、お母様によろしく。

(1450)『ソニー号』映像の中から 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月12日(金)20時52分24秒

数年前の冬,誰もいなくなった大夕張でズリ山を滑り降りてくるスキーヤーを見たこと
がありました。見た時は目を疑いましたが,本当にそんなツアーがあるのですね。今日
『闇を掘る』札幌での上映最終日でしたが,ご覧になった方,ぜひ感想をお聞かせくだ
さい(私はよっぽど2回目行こうと思いましたが,こんなこと初めてです)
大夕張映像館の『ソニー号の来校』メディアプレーヤーの一時停止ボタンを押しながら
みていますが,その中から気がついたこと一つ・・・。
ヘリがグランドを飛び立ってすぐ幼稚園,健保会館の上空を通過していきますが,プー
ルと栄町購買支所の間に(栄町アパートの前)建物らしきものが写っています。
自分の少年時代そこは空き地でした。昭和34年,大夕張の最盛期ともいえる時代にはプ
ールの横に何が立っていたのでしょうね。住宅だったのでしょうか。

(1449)850 投稿者:高橋歌子  投稿日:10月12日(金)18時17分27秒

久々にアウトドアショップ行ったところ「ノマド」のガイドツアースケジュール
冬号が出ていました。
今年も「850」へのツアーがありました。

日時は2002年3月14日(水)7時半札幌駅北口集合で、登り4時間の
中級コースです。帰りに温泉に寄るようです。
ガイド料8,000円、定員8名。

スキーなどの道具はレンタルもあるようです。(ビーコンは無料)
ウエアーはレンタルはなさそうです。ゲレンデスキーをするようなスタイルでは
多分無理です。きっちり冬山装備が必要になると思います。

くわしくは「ノマド」HPをごらんください。
・・・って「ノマド」の回し者じゃないんですけど、掲示板にふさわしくないようなら、お手数ですが削除してください。

http://www.hokkaido-nomad.co.jp/


(1448)違和感・・・ 投稿者:小野美音子  投稿日:10月11日(木)00時29分07秒

違和感に同感!で〜す。
そういえば北海道の結婚式は会費制が殆どでしたがこちらは招待制が多いですね。
由緒正しい母子家庭同士(私の方は歴史が浅め)の結婚でも主人が招待制で行う
と言ったので、内地は面倒そう・・と思いましたが、今では暖房も北海道式です。
北海道方言の「ばくって」「ごみをなげる」を使った時のお姑さんの反応も思い返
すと目が点になっていましたね〜(笑)
反対に私が点になったのはかぼちゃの事を「とうなす」と呼んでいた事です。
大夕張にはお年寄りが少なかったと思いますが、近所は3世代同居が多いです。
「本家」「分家」という言葉が会話の中に良く出てくるのは、「ダさいたま」
と呼ばれる埼玉県よりさらに奥の群馬県だからでしょうか。
それともお年寄りとの付き合いが多いからかもしれません。
私のことを若年○と呼んでくださったあのキュートな池田様にそろそろ
お目にかかりたいような、人恋しい秋の夜長です。

(1447)違和感 投稿者:久々湊 真一  投稿日:10月09日(火)16時51分45秒

SONY号は懐かしいですね。上空からの映像があったなんて、涙、涙です。

寒くなってきましたね。本州は、そろそろ炬燵を引っ張り出す季節になりました。
私が中々馴染めなかったものに、このコタツがあります。下半身のみ炬燵に入り、
背中がスース−する形で暖をとるのは、非常に違和感がありました。部屋全体が暖
かくならないと、なにやら落ちつかないので、その時期になると石油ストーブを出
してバンバンつける。女房には、もったいないと叱られる。というパターンが数年
続きました(笑)。友人からは「手足を温めて頭を冷やす事こそ肝要。炬燵はこの
ニーズにベストマッチ!」私の炬燵嫌いをズバリ批判、と散々です。
ゆえに私が取った対策は「頭だけを出して身体全体を炬燵にすっぽりと横たえる」
ものでした。これはグッドアイディア!かなり違和感が薄れますよ。ただ回りの人
には、頗る評判が悪いけれど(笑)。こういう悪戦苦闘(?)の経過を経て、少し
づつコタツ生活にも馴染んだのでした。

温暖な茨城県の太平洋側にも、時には雪が降ります。そうすると、みんな傘をさす
のですね。これにも心理的な抵抗がありました。大夕張では傘なぞは用いず、身体
についた雪をさっと振り払って玄関に入りましたよね(格好良い)。習慣になって
いるので、こちらでも同様に振り払ったら、なんと「水しぶきが飛び散る」ではな
いですか。更に、服はぐじょぐじょでパンツまで濡れネズミ状態(笑)。うーん、
傘をさすのは、正しい姿であったか!と気がついたけれど遅かりし由良の介。
良く観察すると、雪とは言っても、大夕張のサラサラ雪とは似て非なる代物。
雪になりかかったシャーベット状態の物質なのです。身体に触れると消える(水に
なる)魔可不思議な物体で、すぐにミゾレなどと称するものに変身するのです。
こういう雪でも温度が低い朝方には、一面の銀世界になります。通勤途上で眼にす
るのは、見事に転ぶ姿、姿。どうすれば、あのように見事に転べるのか不思議でし
たね。もっとも、内地の人から見ると雪道でも全く変わらずにスタスタ歩く私に、
違和感があったようです。『イヨッ! 大夕張人ここにあり!!』

内地在住の大夕張人の皆さん、いろんな違和感に戸惑いませんでしたか〜(笑)

(1446)SONY号 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月09日(火)00時13分52秒

寺田さん,ありがとうございます。てっきりSONYのPR用ヘリか何かだろうと思っていました・。
そういえば,ありましたね。そんなテレビ番組。お話を伺って記憶が蘇ってきました。・・
山火事を決死の思いで消し止めるシーンなど,当時,ヘリが飛び回るアメリカという国はず
いぶん広いんだ。スケールが違うとそんなことで妙に感心していたような気がします。
(当時カラー放送ではなかったはずなのに,場面の印象はカラーで残っているのが不思議です。
鹿島小にもキャンペーンの一つしてやってきたのでしょうね。鹿島小の校庭にも大勢の人達
が集まってきています。当時中村先生が乗ったというのは,鹿島小の先生で,8mm映写機の
扱いが堪能だったということで中村先生に白羽の矢が立ったと聞いています。
下のページは昨日見つけたのですが,意味がよくわかりませんでした。寺田さんのお話で
つながりました。

http://web9.freecom.ne.jp/~asukado/gallery/gallery.html


(1445)「SONY号の冒険」 投稿者:寺田牧夫  投稿日:10月08日(月)23時08分53秒

突然の飛び込みで失礼いたします。
昔昭和30年代前半にテレビで「ソニー号の冒険」というアメリカのドラマがあり、その
主人公が「SONY号」というヘリコプターでした。いわゆる「森林警備、レスキュー」も
ので、遭難した人を助けたり、密猟者を捕まえたりする一回ごとのシリーズだったと思
います。当時トランジスタラジオでエポックを起こした日本のメーカーの「SONY」との
関係は実は定かで無いのですが、日本国内の放送のスポンサーはSONYでした。このシリ
ーズがヒットしたので「SONY号」が来日し、キャンペーンで全国を回った記憶があり、
私も見に行ったと思います。全国的に大変な人気で、多くの見学者が集まりました。
きっと抽選による体験乗車(?)などもあったのでしょうね。当時珍しかったヘリコプ
ターを身近に見るチャンスなんてめったにありませんでしたから。たしかベル○○型と
言ったと思いますが、銀色のボディに大きく書かれた「SONY」のロゴがかっこよかった
ものです。「エース・オー・エヌ・ワーイ、ソニー」なんてテーマ曲の一節を思い出し
ました。そうそうプラモデルも作りました。
13日には千葉県から汽車フェスタ2001に参加します。よろしくお願いいたします。

(1444)見てきました『闇を掘る』 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月08日(月)22時45分35秒

つい先程,6時40分からの狸小路6丁目『シアターキノ』での『闇を掘る』
を見てきました。
題名から「なんだか暗そうだな」という印象はぬぐえないでいましたが,それは
大きな間違いだったことに今は気がつきました。
「良質な映画」です。でも地味ですから,きっと大映画館での上映は考えられな
いです。
舞台はどこということはなく,炭鉱そのものが舞台です。もちろん,大夕張の人
たちも登場します。いろいろな人物が登場し様々な事実を描写していきますが,
そこに出てくるどの人たちもみんな前向きで,やさしいのです。
共感する部分が多くあり,ジンワリと後からきます。

10月12日(金)までです。早めにご覧になるといいですよ。
ぜったいおすすめです。

それ以降は東京でも上映されるということでした。

(1443)ご声援ありがとうございます 投稿者:奥山道紀  投稿日:10月08日(月)20時11分19秒

飯田さん、貴重な映像拝見しました。昭和30年代の大夕張の活気が伝わって
くる資料と思います。

皆さん「保存会」への声援ありがとうございます。
「汽車フェスタ」、是非成功させたいと思いますが同時開催の「シューパロ展」
の方もよろしくお願いします。
さて、今春には保存車両の部品盗難にも遭いましたが、今回の「悪戯書き」も、
どうしても避けて通れないものと思います。保存活動の成果が出てマスコミへの
登場頻度が高まるほど、その可能性も高まるものと考えます。イタチゴッコにな
りますがその都度解決していきたいと考えてます。
大夕張の街の記憶としては、ほんのささやかな「一部分」ですが南大夕張の車両
を後世へ継承したいと思います。微力ですがよろしくお願いします。

http://www2.to//ooyubari


(1442)昭和34年 ソニー号鹿島小に来校 投稿者:飯田雅人  投稿日:10月08日(月)16時17分42秒

先程,大夕張映像館にアップした『ソニー号来校』というビデオは,一昨日内川准一さ
んより預かったものです。このビデオは昭和34年の大夕張の街を8mmフィルムでヘリコ
プターから撮影したものがおさめられている大変貴重なビデオです。
鹿島小学校の中村素先生の撮影です。ソニー(SONY)号が何で,当時どのような経緯で
やってきたのか知識を持ち合わせていません。どなたかご存知の方はいらっしゃらない
でしょうか。
撮影者の中村先生が先日,40年ぶりにフィルムをを発見し,それが内川さんの手を経て
公開することができるようになりました。より多くの大夕張の方に見てもらえればとい
う中村先生のコメントもいただきました。
上空から大夕張を見ているものだけに当時の建物や様子がよくわかります。今回はとり
あえず,解像度を落としたサイズの動画による公開ですが,他の活用方法も探りたいと
思います。

昨日,紅葉の大夕張へ行ってきました。シューパロ湖に赤や黄色の影を落とし涙がでる
ほど美しい光景でした。今週から来週あたりが見頃でしょうか。
誰も住んでいないはずの大夕張,道路の両端にはきれいに歩道がつけられていました。
いったいここを歩くのは,誰?大夕張を去るときには夕張岳が周囲の山々の黒い影の向
こうにひときわ赤く輝いていました。

公開されている南大夕張の客車の中に入って展示も見てきました。休日ということもあ
り,カメラ片手に見学していく方々が何組かいました。車内もきれいに清掃されていて
くつろげます。また保存会のご苦労が伺われます。都合で行けませんが,来週の日曜日
の『汽車フェスタ』成功を祈ります。・・・残念なことに客車の壁に落書きの跡を目に
してしまいました。多くの人の思いや努力を踏みにじる残念なそして哀しい行為ですね。

(1441)みどりさんに感謝! 投稿者:小野 美音子  投稿日:10月08日(月)09時22分38秒

千古のみどりさん、河村先生のお話を心から感謝してます。
はやく御礼を・・と思っていたのですが、子供の行事その他で投稿が遅れ
ました。でもみどりさんのお陰で、深く大きな感慨に満たされていた
ここ数日でした。
小学生の精神年齢で感じたキリスト教ですが、遊びの中で理不尽な思いを
した時、河村先生のおっしゃった「あなたの隣人を愛しなさい」
「左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさい」という言葉に新鮮な
感動を覚え、心が開かれた記憶があります。
「天地創造」の幻燈(カラーで綺麗だった!)を見せていただいたり
ロザリオの話、ルルドの泉、良きサマリア人の話、クリスマス会の練習の
懐しい思い出、先生と楽しいお喋りをしたことなど沢山のことが思い出さ
れました。
ひつぎの中の先生が司祭服のウエディングドレスと白百合の花と共に
永遠の命を得て、神様のところへ行かれた・・と思うと先生が語られた
「死ぬことは決して恐いことではないのです。良心を無くして生きる
ことのほうが恐いのです。」という言葉を思い出しました。
先生の最期の様子を知りたいと願っていましたので、みどりさん、
本当にありがとうございました。
クリスマスに向け、先生や神父様の懐しい思い出はまた投稿して
いきたいと思っています。

兄さん、西牟田HPのゲストブックで神父様のアドレスを聞いていた
ようですが、マイクさんから御返事があったら私にも教えて下さい。
斎藤さんや成田様もお書き下さってますが、お知り合いの方はどうぞ
思い出をお聞かせ下さい。神父様へのクリスマスプレゼントに沢山
プリントしてお送りできれば・・! と思っています。

(1440)私もオマハにつれてって 投稿者:千古のみどり  投稿日:10月07日(日)23時00分56秒

 『汽車フェスタ2001』開催おめでとうございます。
この掲示板を通して皆様の並々ならぬ、御努力に本当によくぞここ迄漕ぎ着けられた
と頭が下がります。
一人でも多くの方が参加され、楽しまれますように…

 丸山様へ、河村先生は「聖路加病院」で亡くなりました。
東京にいる知人、数人には先生がそちらへ行ったら会いに行って下さいと
お知らせしたのですが、行き届かなくて申し訳ありませんでした。
先日書きましたように、先生は驚く程、皆さん一人一人の事をよ〜く覚えて
いらしゃいました。
又、西牟田神父様のHP見させて戴きました。
(読ませて戴きましたといいたいところですが、何分…いづれ辞書を片手に…)
ありがとうございました。
お話は、神父様から伺っておりましたので、だいたい、こんなことかな…
と思いながら見させて?いただきました。

 成田様“オマハ”へのゴルフツァー?こんな御時世ですが、
実現出来たら楽しいでしょうね。

 美音子様、実は私、例の曲のCDの解説で、ほんの少し、かいつまんで書かれて
いたので『千夜一夜物語』を、一度読んでみなければと思っておりましたら
あのお便り…さっそく近所の本屋さんへ行きましたら、取り寄せで二週間掛かります
とのこと。すぐ読んでみたかったので古本屋さんへ行き「3冊100円」也。
かなり、カビ臭く(イヤな予感)開くとさっそく“虫の栞”が出てまいりました。
細かな字がぎっしりと並んでいて、解説を読んでいる内に……
そんな訳で、果たしていつになったら読み終わることやら…
いつもながら、“楽しい反応?”して下さりありがとうございます。
“当たらずとも遠からず”と言いたいところですが、“あなたはするどい!”

(1439)西牟田神父様 投稿者:成田正史  投稿日:10月05日(金)22時16分38秒

丸山さんの書き込みに掲載された
西牟田家のサイトにはびっくりしました、
神父様からも詳しく聞いたことのない鹿児島からのルーツが掲載され、
とても興味ぶかいサイトです。
英語に苦労しながらじっくり目を通そうと思います。
丸山様ありがとう。
このサイトを作られた飯田さんやどんどん情報が集まるこのサイトが
ますます重要になります。
”千古のみどり”さん、皆を誘ってオマハに遊びに行きましょう。
神父様はきっと元気にゴルフを楽しんでいる事でしょう。

http://www.khobho.co.jp


(1438)「汽車フェスタ2001」 投稿者:奥山道紀  投稿日:10月04日(木)23時23分25秒

三菱大夕張鉄道保存会では夕張市南部地区の文化祭「シューパロ展」開催に合わ
せ10月13、14日(土、日曜日)に、夕張市南部東町・旧三菱大夕張鉄道南大
夕張駅構内において、下記の通り「汽車フェスタ2001」を開催します。

                 記

1.時 間 13日午前10時から午後5時頃
    14日午前10時から午後1時

2.内 容 
1.キ1(ラッセル車)のメモリアル点灯(13日午後5時から6時頃迄)
2.三菱大夕張鉄道の資料展示(客車内)
3.資料映像ビデオ上映(客車内)
4.喫茶コーナー(客車内)
5.ダルマストーブ体験
6.三菱大夕張鉄道保存会オリジナル・グッズ販売
7.鉄道模型(N)運転会(夕張市南部市民体育館,シューパロ展会場・13
日のみ)等を予定いたしております。
       
秋の紅葉シーズン、シューパロ湖・大夕張は紅葉の真盛りと思います。
清水沢・南部経由で富良野、芦別、桂沢に向のも絶好のコースとなります。
皆様のご来場を心よりおまちしております。

また、通常の車両整備活動も行う予定です。そちらにご参加の方もお待ちして
おります。「大夕張告知板」との二重投稿になりますがm(_ _)m。
久々湊様の投稿の通り「紅葉狩り」には最適かと思います。 
    
ラッセル車の試験点灯の様子です。昭和62年7月の廃止後、14年の歳月を
経てかつての駅に明かりが灯りました。

http://www1.mat.muroran-it.ac.jp/ishigaki/gio/special/nanbu.jpg


(1437)河村先生・西牟田神父様 投稿者:丸山直記  投稿日:10月04日(木)21時10分27秒

河村先生のことはよく覚えています。お亡くなりになる前に
一度はお会いしてお別れを言いたかったです。
東京のどちらの病院でなくなられたのでしょうか?
また西牟田神父様にも思い出がたくさんあります。
現在の様子を知りたければ下記のアドレスにアクセスしてください。
お顔が見られますよ。

http://nishimuta.net/james.htm

(1436)袋田滝 投稿者:久々湊 真一  投稿日:10月04日(木)17時52分39秒

紅葉の季節ですね。奥山さんの計画が「大夕張の紅葉を見る会」を兼ねるといいで
すねー。内地に比べると、大夕張の紅葉は鮮やかさが違います。ただ、期間が非常
に短いのでタイミングが悪いと、見損なう恐れもある。奥山さんの計画がジャスト
タイミングであることを祈っています〜遠く離れた内地で。

内地に住んでの感想は以前書きましたので割愛しますが、印象的な事柄として、車
があります。交通量の多さには、勿論驚きましたが、車の色の違いに感慨深かった
のです。本州は、なぜか「白や灰色」系統の車が多いのですよ。北海道は、赤や青
など もっと多様な色の車が走っていたような気がします。
これを見て「あー、雪国ではない場所に来たんだなー」との感慨を持ったのです。
白や灰色は、雪の中では保護色になり、見え難い背景があるのでしょう。

茨城県では、もう1件 私の興味を引いたものがありました。
「袋田滝」という滝なのですが、素直に読むと「ふくろだたき」ですよね。これは
どんな滝なのか見に行かねば!! きっと、非常に「痛い」滝なのかも(笑)。
・・立派な滝でしたよ。看板を良く見ると「ふくろだのたき」となっていました。
「の」をつけるのか、りょーかーい(汗)。

袋叩きと言えば、狂牛病ですかね。茨城県の飼料を使った、千葉県の業者で発生と
近隣の事件です。私は、基本的に魚党であり、心配はしていません。好きな肉は
1に鯨(入手不能)、2に羊(ジンギスカン)ですしね。でもこの嗜好は、女房に言
わせると「大夕張丸出し」なのだそうです。そうなのかしらん(笑)。

(1435)覚えていますよ 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:10月03日(水)20時58分02秒

千古のみどりさん,教会のことも河村先生のことも良く覚えています。僕は信者ではあり
ませんでしたが,勉強を習いに小学生の頃一時期「教会通い」をしていました。
河村先生の顔は今でもはっきりと思い出すことができます。先生は大夕張に来られる前は,
長崎にいらしたようで,あちらのことを話してくれたことがありました。

亡くなられて今日で5年になるのですか。以前にも掲示板に河村先生のことが書き込まれ
ていましたが,とても信念が強くそれでいて優しい女性であった印象が残っています。当
時はまだ20代ぐらいの若さだったのでしょうね。

また,2年前の10月3日はこのHPの仲間で鹿島小学校のお別れ会を開催した日でもあ
りました。あのときは,既に教会の建物はありませんでしたが。
何か10月3日という期日には,大夕張を結びつけるものがあるようです。

この掲示板をご覧になっている方で,河村先生を覚えている方は,是非思い出を書き込ん
でいただければと思います。きっと河村先生も天国からご覧になって喜ばれると思います。
そうですよね、千古のみどりさん。

(1434)河村先生 投稿者:千古のみどり  投稿日:10月03日(水)01時17分26秒

 学校でお世話になった先生は、沢山いらっしゃいます。
覚えていますか…鹿島小学校の上の、小高い丘の上にあった『大夕張カトリック教会』を?
『人は何のために生まれ…そして死ぬのだろう…』
あそこへ行ったら、教えてくれるかも知れない…
そんな思いで教会の門を叩いたのは、私が小学生の頃でした。
それから高校を卒業して大夕張を去るまで
近くに親戚付き合いの全くない私が、唯一いつでも黙って入っていける処が
この教会でした。
そこで当時、こちらも私の大好きな西牟田神父様と共に、生涯独身を通され
ず〜っと、地元の人達、子供達のお世話をしていたのが、河村郁子先生でした。
今日で亡くなられて5年が経ちました。

息を引き取られたのは、東京の病院でしたが、その直前、札幌の病院に入院されて
いた時(そのことも知りませんでした)
ある朝、電話が掛かってきました。
聴き取ることが難しいくらい、細く小さな声でした。
聞き返すのが、とても申し訳なかったのですが、
『すみません、良く聞こえないのですが…』
『ごめんなさい…これが精一杯です…私はもう少しで死にます…大夕張時代の
子供達にお別れが云いたいので、連絡を取って下さい。…今、私は黄疸が強く
飛行機に乗れる状態ではありませんが、少しでも収まれば、東京に弟がいるので
そちらで死ななければなりません……。』
というものでした。
時間がせまっていました。
私は仕事を持っていましたので、数日かけて、出社前と退社後に出来る限りの人に
事情を説明して、もし行けたら行って、先生とお別れをして下さい。と連絡しました。
苦しい役割でした。
(今思うと、それが私に与えられた役割でした。そのことに深く感謝しています)

後日、神父様のお話ですと
3日間で150人の人が(大夕張の人だけではありませんが)
先生にお別れを告げに行ったそうです。
(もちろん、私が知らせたのはそんなに多くの人ではありませんでした)
危篤の人が150人の人と話をしたのです。
その時大きな力が働いて、とても生き生きとされていたそうです。
もしかしたら、このまま直るんじゃないかと思われた位だそうです。
私は3度、病院へ足を運びましたが、
いつも疲れ切って休まれていましたので、お話は出来ませんでした。
(ホスピスだったので本人の希望で会わせていたのですが、看護婦さんは、あまりの
面会人の多さにとても困惑していました)
最後に行った時は、もう東京へ行かれました。という知らせでした。

東京での現世のお別れの会での先生は
生前、神父様からいただいた白い司祭服を、お友達に頼んでウェディングドレスに
仕立て直したのを準備され
『最後にこれを着せてね…私はこれを着て、神様の処へお嫁に行きます…』
と云われたということです。
そうして先生の最後の希望の『ひつぎには、沢山の白い百合を入れてね…』
との言葉通りだったそうです。

何故、突然我が家にパソコンが来たのか…
何故、『IT講習』の申込用紙が、ある日会社の私の机の上にあったのか…
ある日飯田さんのHPをのぞいたのか…
(このHPには、先生の事を解ってくれる人が沢山いる)
…すべては今日の日のためだったのでは…
河村先生が、私の手を通して、飯田さんのHPを通して、皆さんに語りかけたかった
のではなかったのか…
あの時、お別れを云えなかった人達へ…たくさんの大夕張の先生の子供達へ…

先生のお宅にあった、思い出のアルバムには
たくさんの大夕張の子供達が写っていました。

平成13年 9月 先頭にもどる


(1433)ドヒャ〜驚き! 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:09月30日(日)16時31分42秒

ヒロさん,オガの社長さんが大夕張それもヒロさんのご近所の春日町とは驚きですね。
としつまも「えっ,あのオガの社長が大夕張人!」とたまげています。
ということは,昨夜はススキノに相当数の「大夕張人」がうろついていたんですね。
やはり,そろそろ世代を超えた「大夕張連合会?」の総会(飲み会)を開かないとダメで
すね。
百人単位の大夕張人でススキノを練り歩いてみたいですね。
それにしても,偶然とはいいながら,驚きの夜でしたね。

飯田さん,大夕張関係者のお店を紹介する「告知板」のようなコーナを設けてみたら如何
でしょうか。意外な所に元ご近所さんのお店があるかもしれませんね。

(1432)またまた見っけ!大夕張人 投稿者:ヒロ 三浦  投稿日:09月30日(日)11時08分07秒

としさん、昨夜は大盛り上がりで何よりでした!
恩師の方々もお見えになったそうで本当に嬉しい限りですね。
時を同じくして、昨夜ススキノで川崎市から来札した同級生を囲み約10名程で
同じく大盛り上がりで2時過ぎ迄飲みまくり、語りまくりと楽しい土曜の夜を
過ごす事が出来ました。
殆どの仲間が彼女と再会したのは約30年ぶりでどうなる事かなと心配しましたが
顔を見るともう、あっーと言うまに、学校時代へタイムスリップ!
怖い先生がいないので、正しく騒音発生源の一団と化しました。
で、その後二次会のお店へと向かう訳ですが
場所は南4条西2丁目 4・2ビル6Fワインバー OGA(オガ) 0112512291
実はこのお店の社長さんとは私共の取引先でも有る為面識は有るのですが
仲間同士の雑談の合間に一言社長さんへ御挨拶、ところで三浦さん御出身地は?
「はーい、夕張市ですが」社長さん「夕張市のどこですか?」
自分「一番山奥の大夕張で〜す」社長「エッー大夕張ですか!」
社長「自分も大夕張出身なんです、春日町南2−6ですが」
自分、蛯沢君「エッー私共2人、春日町南6丁目6番の隣同士なんですよ!」
ここでようやく判明しました、なんと正真正銘の大夕張人なのでした!
この社長さんのお名前は「小笠原 勇一さん」鹿島中学校27期生で
その後夕張南高校へと進学され、以降ススキノにイタリアンで有名な
ワイン食堂「オガッチャ」を始め4店舗を経営していらっしゃいます。
特に非常に女性客が多いお店で味もグットなんです。
お話の中で斎藤さんの書き込みに有りました、高田先生が恩師でいらっしゃる
事もお聞きしました。
でも、本当に不思議な出会いの一夜でした。
これまでは単なるお取引先かとばかり思っていたのでしたが
同じ春日町出身とは(゚.゚)、昨夜は店内も大賑わいで、その後はユックリと
お話する時間も無いほどで、このHPのことも伝え次回の訪問をと言う事で
また仲間の席に戻りました。
ワイン食堂Ogacha(オガッチャ)住所:南4条西3丁目ニュー北星ビル8F
電話:0112413189です、一次会〜二次会も同時にセット出来る事で
まさしく飲み会や仲間の会合にはハマリです。
夜景を見ながら食事が出来るシートもあり雰囲気も女性客には好評です。
小笠原さんはOGAにいらっしゃる事が多いようです。
鹿中27期生の皆さん「小笠原 勇一さん」にピーンと来た方は
是非訪ねてみてはいかがでしょうか!!
また一人、仲間を発見! 
素敵な出会いの一幕!これで終了です。

(1431)三先生来る 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:09月30日(日)10時23分24秒

昨夜札幌市において「第8回鹿島中学校第22期生同期会」を開催しました。今回は当時お
世話になった教職員(住所の確認できる)全員にご案内を差し上げたところ,三先生が駆
けつけてくださいました。
山村金太郎先生,川内藤孝先生,高田義孝先生の三先生です。それぞれクラスごとに席を
作り,思い出話で盛り上がりました。特に山村先生(70歳)は,千葉県から来てください
ましたが「ぜひ,君たち同期生に会いたいと思っていた」との言葉に出席者一同感動を覚
えました。
幾つになっても「生徒」に会うために駆けつけてくださる「先生」がいてくださって,僕
ら22期成は本当に幸せ者だと思ったところです。
これからも,毎年こうして集まる場を皆で作り上げていくことを確認し,来年の再会を誓
い合い深夜ススキノで解散したところです。
三先生,本当にありがとうございました。来年もまたお元気で「熱い話」を聞かせてくだ
さい。

(1430)うれしい・・・ 投稿者:工藤雅之  投稿日:09月29日(土)20時29分23秒

歌子さんも市橋君も覚えていてくれてとてもうれしかったです。
私は6年生の夏休み中に転校してしまい挨拶もできずに
みんなとお別れだったのでほとんどの人の住所もわからずにいままできてしまいました。
ほんとうにふるさと大夕張に出会えてよかったです。
あっ今、社長が帰ってきたので打合せをしなくてわいけないので短いですが
今日はこれにて失礼します。今回はちゃんと改行できたかな・・・

(1429)シェエラザード! 投稿者:小野 美音子  投稿日:09月27日(木)20時32分10秒

皆様、こんばんは〜!
保存会の皆様、23日はお疲れ様でした。
菊地様、残念ながら私はわかりませんが、心当たりに聞いてみます。
みどりさん、はかなげな「つう」より夜毎面白い話をするシェエラザード
の方がイメージに近いですね〜! 遠いアラビヤの昔語りを美しい旋律に
のせ、サルタンの心を変えていく・・。 哀れに見えた女性が段々自信に
満ち、最後にはシェエラザードの主題が大きく、サルタンの旋律が
低音になり、かかあ天下になっていくのも興味深いですね〜!?
シンドバッドやカランダール王子、若き王子と王女などの配役に
大夕張の方々をつい想像してしまい、一人で楽しんでしまいました。
何かを始めるにはみどりさんのおっしゃる通り遅すぎることは無い
ですよね。みどりさんの同級生?と思われるユーモアプリンス親爺の
あの素敵な先輩が水泳をマスターされた感激を語って下さった時も、
多いに共感させていただいた覚えがあります。

プリンスといえば石原さん、思い出帖の鼓笛隊で指揮をしてらっしゃる
写真はどこか王子様のイメージがありますね〜。
石坂浩二さんの上を行く石原浩二さんの息子さんですものね。
私の父も浩二といいますので、とても親近感がわいています。
江沢様との邂逅は、私も嬉しく、人生が少し味わい深くなったような
気がしています。

(1428)義兄の思い出 投稿者:菊地健二  投稿日:09月25日(火)22時13分40秒

はじめまして。
私の義兄は昭和33年頃まで、代々木町の詰所近くに住んでおりました、安藤新一
と申します(父は安藤哲夫、母はキヨと申します)。先日、何十年振りという義兄
とともに大夕張へ行ってきました。
清水沢で道を尋ねた通りすがりの男性に”もう何もないよ”と忠告され、ある程度
覚悟して向かったのですが、南部を過ぎて30分も車で走った頃でしょうか、
”こんなに、南部から遠いわけはない”と引き返し、変電所跡付近にて、やっと
何も無くなってしまった大夕張に気が付き、声も出ない程驚いておりました。
義兄の微かな記憶から、駅付近と思われる高橋商店の廃屋の前より、草木の生い茂った、
市街跡を車を走らせましたが、遠い記憶は蘇りませんでした。
そんな次の日、このHPを見つけ義兄を始め、兄弟で大騒ぎで拝見させて頂きました。
義兄の妹にあたる私の妻も、幼少の頃、母に連れられ大夕張線に乗っていたようで、
鉄橋がとても怖かったと思い出話をよくしております。
どなたか、昭和24年生まれで33年頃まで代々木町に住んでいた安藤新一をご存知
の方がおりましたら、ご連絡頂ければ幸いです。
ちなみに、近所に叔父の上野梅太郎と林昇という親戚がおりました。
このHP上の代々木町地図で、ご近所の名前を見て子供のようにはしゃいでおります。
どなたか義兄(父母)もしくは代々木町の林昇、上野梅太郎をご存知の方がおられま
したら、よろしくお願い致します。
ご迷惑な投稿、また大変長くなりまして申し訳ありませんでした。

(1427)三菱大夕張鉄道・客車ギャラリー 投稿者:奥山道紀  投稿日:09月25日(火)21時28分06秒

一昨日夕張へ行きましたが、既に夕張岳の頂には白いものがあり冬の到来が近い
ことを告げていました。
来月13〜14日に夕張市南部市民体育館で南部地区の文化祭「シューパロ展」が
開催されますが、それに合わせ三菱大夕張鉄道保存会でも旧南大夕張駅を主会場に
「汽車フェスタ」を開催します(シューパロ展会場では模型運転会)。
汽車フェスタでは客車内で資料の展示を予定していますが、その準備として一部
客車内に資料の展示をしをしています。こちらの飯田さん、本間さん、長谷川さん
の資料もカラーコピーをかけたものですが使用させて頂いてます(事後承諾です
がm(_ _)m)
これから、紅葉狩りには最適なシーズンですので客車内に自由に入り展示資料を
見ていただければと思います(資材等の保管場所には危険ですので立入禁止の表
示をしています。またホームも一部崩れかけていますので注意して下さい)。

http://www1.mat.muroran-it.ac.jp/ishigaki/gio/image01/P9230098.JPG


(1426)江沢弘志様へ 投稿者:石原 賢治  投稿日:09月24日(月)12時16分31秒

先だって、小野さん経由で江沢さんからメッセージを頂き、大変恐縮しており
ます。江沢さんとお会いした当時は、中学3年の生意気盛りだったんでしょうが
おっしゃる通り、あの時の自分と同年代の子を持つ親となりまして(高2と中1)
それぞれ親の言う事もだんだん聞かなくなり少々手を焼いています。
自分も然る事ながら、江沢さんも我々の事をよく覚えて下さいましたね!
よほど印象が悪かったんでしょうか?(笑)
当時、何故悪い事をしていないのに怒られたのか?それと見知らぬ人に何故
怒られるのか?ということに合点がいきませんでした。
よく考えれば、山小屋という他人同士が寝泊りする中で、深夜もしくは早朝
から登山したり、仕事に出る方からすれば、夜中は静かにしていてもらわないと
いけない訳で騒がれたら迷惑な話しですよね。その辺の配慮不足に気付いたのは
しばらく経ってからでした。
それと悪い事には誰にであろうと、注意したり指導するは勇気の要る事です。
今の時代に欠けている事かも知れませんが、そう言う意味では、よくぞ叱って
下さいました。こういった怒られ談や失敗談はいつまでも良い意味で思い出に
残っていきますよね。
ところで卒業式の時頂いた写真は実家にあるアルバムの中だと思います。
最近、見ていませんので、来月出張の時に寄ってじっくり昔を懐かしんできます。
白老牛と新鮮な魚で一杯とお誘いまで頂き有難うございます。
最高のお誘いのお言葉と思います。
いつかそんな機会が有ればと楽しみにとっておきます。
大夕張や夕張岳のお話しなどお聞かせ頂けること楽しみにしておきます。

小野さんへ
お手数でしょうが、江沢さんへは宜しくお伝え下さい。
(言われずともわかってます!とお返事頂けたと思います)

(1425)恥を忍んで… 投稿者:千古のみどり  投稿日:09月23日(日)14時07分48秒

 あこがれのマドンナ様よりの歓迎の(そうとってよろしいのでしょうか?)お言葉
恐縮致します。
ここ一ヶ月程、時間と体力?をみつけては、この掲示板の初めからず〜と見て参りまして
マドンナ様の感性と、温かさと、教養と、深い思いやり…(今日の処はこの位で…)
に感銘を受け、涙で目がかすんだことも度々でした。
お陰様で、恵まれまして「つう」は今日も一人「機織り部屋」で織物に余念がありません。
羽根も大分抜けて参りましたが、「与兵」の喜ぶ顔が見れるなら…
(いいかげんにせんか…と云う声がどこからか……。失礼しました。)

 最後の音楽の授業は、レコード鑑賞でした。
私は卒業したくない生徒でした。学校を離れたくありませんでした。
大夕張を離れたくなく、社会に出たくない子供でした。
ここに一冊の古ぼけた大学ノートがあります。
恥を忍んで当時の17才の少女が、授業中に何を書いていたか、お見せしましょう。

    ー春ー
今日から三月 春はもうそこまで来ている
春が来るって うれしいことなの?
もうすぐ新学期は来る
心残りがいっぱい 二年生に心が残る
いいの? このまま心だけを残して…
最後の芸術の時間 今 私はこうやってペンを走らせている
レコード鑑賞
もう還ってくることのない日
曲名は『シェエラザード』
いつかは忘れてしまうだろう
この最後の芸術の時間を 忘れたくない一心に
果てしない夢の世界を 忘れたくない一心に
彼女は必死にもがく
時の流れに 逆らおうとして
それがむだな あがきであることは
終わりを告げるチャイムが すべてを教えてくれるだろう
そして あきらめるだろう
みんな お願いだから そんな平気な顔をしないで
最後の芸術の時間なんだから
最後の…
レコードよ そんなに急がないで
シェエラザードよ そんなに私を感激させないで
あゝ チャイムよ鳴らないで
私は 今はじめて
この世で音楽の世界が いちばん美しいことに気がついた
曲名は『シェエラザード』
あゝ チャイムよ鳴らないで
                            S 43  3  1

だってさ…(真っ赤)

それから25年程して、私は初めて『シェエラザード』のCDを手にしました。
クラッシックをゆったり聴けるような生活がしてみたい…
とかつて思った少女でした。
(今あらためてこの曲を聴いていますが、やっぱりとてもいい曲じゃないですか…
あれっ、たしか機を織っていたはずでは……)
思いは今もありますが、実際には
♪きっと 帰ってくるんだと〜 お岩城山に 手を振れば〜♪
といった生活でしょうか…。
将来の夢がないまま、いい歳(りっぱなという意味)になってしまったので
今になって将来をめざして?少しずつ何かを始めています。
きっと遅すぎるということはないでしょう。

(1424)千古のみどり様へ 投稿者:小野 美音子  投稿日:09月22日(土)17時43分08秒

千古のみどりさんのお出まし、早苗さんと同じく大変嬉しいです!
お名前は、鹿島小校歌の、太古の森〜からかと思いましたが、
鹿島中、東高校歌の歌詞に「千古のみどり」がしっかりあるんですね。
(私は小学校途中で去ったので最初、わかりませんでした。)
みどりさんの思い入れが伝わって来ました。
いつも時代に遅れる私ですが、10万人の瞬間はたまたま見ました。
19日の朝食の支度の合間に見ると「9」がぞろぞろ・・。更新ボタンを
押したら10万になり、どなたかがアクセスしたのでしょう、6時45分頃
だと思います。(まさか更新ボタンは数に入りませんよね?)
自分では、飯田さんの「応援おばん」のつもりですが、その数が増えて
掲示板がにぎやかで豊かになると楽しいですね〜。
パソコン操作もいまだ遅く、私より下手だと思っていた小学生の次男が
高速チャットに潜入しているのを見て、あぁ〜と溜め息が出そうでした。
みどりさんの「夕鶴物語」も面白く共感しました。家では皆、同じ部屋で
パソコン早く空かないかな〜という3人の視線を感じながらなので
「つう」になれるみどりさんが羨しいですよ〜!
お陰様で初めてHPを見た時の感動を私も思い出しました。どうぞ
「継続」して投稿して下さるのを楽しみに期待してます。
**********
先日「みかんの花咲く丘」は静岡県の伊東で放送されるのを記念して
作られたとTVで言ってるのを見ました。

(1423)技術が伴わない? 投稿者:千古のみどり  投稿日:09月22日(土)09時52分05秒

 簡単に書き込んでいるようで、実はそうではない!
前回の最後の一行は、ミスプリントです。(投稿した後は消せないのでしょうか?)
文壇?へデビューするには、それなり(私なりには)の準備が必要です。
まず「IT講習」へ出かけ(いまなら全国の市町村で無料で受けられます)
基礎中の基礎(ここが大事)を習います。
「芸のある年寄り」になるための、その@
(ここで「明日のジョー」のテーマソングが聞こえ出したら、あなたはそれなりの
年令でしょう)
万全の用意を整え、「機織り機」のある隣の部屋へ行きます。
その際、「与兵」には必ず「覗かないように」と声を掛けます。
…そして、羽根を一本ずつ抜いては、パッタン…パッタン…
「つう!…どうしたんだ、そんなに痩せちまって…(実はさっぱり痩せない)」
と心配しても、「決して覗かないように、覗くと、もう一緒には暮らせなくなる
のよ…」と云い続けます。そうでないと、反物を二、三反残して、遠い空へ飛び立た
なければなりませんのよ…。……。……。
『何を云ってるんだ』とお思いの方もおありでしょうが、『う〜ん、そんな感じか
な…』と妙に納得してくださる方も、多々いらっしやるのではないでしょうか。
 この原稿には血と汗と涙が滲みております。
云いたいこと(書きたいこと)は、たくさんありますが、お察し下さいませ、技術が
伴わないのです。(と云いながら結構書いていましたか?)

 家といえば、長屋だと思っていました。
短靴(今、こんな風には云わないか…)といえば、ゴムだと思っていました。
(すごいものが流行っていましたね)
父親の職業といえば炭坑夫で、勤務は三交代制と思っておりました。
家族といえば、6〜8人位が普通と思っておりました。
“プライバシー”とか“自分の部屋”などという言葉は知りませんでした。
あの山のず〜っと向こうへ行くと、海があるらしい…、船が浮かんでいるらしい…
それが世界のすべてでした。

(1422)遠い日の記憶 投稿者:千古のみどり  投稿日:09月20日(木)21時02分41秒

 ある時『復活するとしたら、どんな時を望みますか?』と問われて…
私は迷わず『夕張岳の見えるあの教室!』と答えていました。
父にもう一度、地の底へもぐって石炭を掘って…とは決して思いませんが…
故郷を離れて30数年…かすみがかかった遠い日の記憶…
再現するなど到底無理な話でした…。それがどうでしょう。
このHPを見て、なんとおびただしい数の記憶、記憶…
なる程〜。へ〜そうだったの。へ〜そうだったの…うなり声を上げるばかりです。
まったく再現されているではありませんか。
お世話になった恩師のその後、どうしているだろうと思っている先輩の…後輩の、
懐かしくも生き生きとした書き込み…
これを復活と呼ばずして、何を復活と呼びましょう。
すべて素晴らしく、私としては「校歌」「音のある風景」が好きですが、
圧巻は「住宅地図」と「サイレン」でしたね。
注意事項があったにもかかわらず、ドキドキしながら、今か今かと待って
いざ鳴り出したら、やっぱりビックリです。何とも言えない恐ろしい音です。
思えば理科の授業で神社へ行って、秋の木の実やら、木の葉の採集をしていて、
ふいにサイレンがなった時の恐怖ったらなかったですね。
ビックリして体はかるく30pは飛び上がったと思います。
まるで空襲にでもあったように一目散に逃げ出しましたね。

(1421)祝!10万アクセス 投稿者:市橋 勝  投稿日:09月20日(木)14時28分26秒

アクセス数10万人突破!おめでとうございます。
飯田さんの御尽力に改めて感謝申し上げます。
今後とも充実したホームページを期待しております。

(1420)At Seventeen 投稿者:宇良田 彰  投稿日:09月19日(水)23時02分43秒

大夕張出身の団塊の世代の皆さん! お元気ですか?
世の中不景気ですが頑張ってください。暗い話題が多い今日この頃ですが
多感な頃を大夕張で過ごした同郷の仲間には頑張ってほしいと思う今日この頃です。
17才の頃、大夕張の地でそれぞれの青春を過ごした仲間にジャニス・イアンの
「At Seventeen」を贈ります。

(1419)大夕張駅スタンプ 投稿者:奥山道紀  投稿日:09月19日(水)21時39分39秒

「資料室」にも南大夕張駅・明石町駅の観光スタンプが紹介されていますが
こちらに夕張岳観光連盟結成記念と記された大夕張駅の観光スタンプが紹介
されています。
http://plaza22.mbn.or.jp/~Noritax_World/
設置は両駅と同じ昭和36年6月頃との事ですが夕張岳観光連盟なる団体は
現在存在しません。大夕張ダムの建設に伴い付近は夕張岳と共に富良野芦別
道立自然公園に指定されましたが、湖畔亭等を経営するために三菱大夕張鉱
業所も会社を設立するなど地元商工業者間にも観光開発の機運は高まってい
たようです。夕張岳観光連盟は、そんな背景で結成されたのでしょうが詳細
をご存知の方がいましたらご教示下さればと思います。

http://plaza22.mbn.or.jp/~Noritax_World/


(1418)大いなるもの 投稿者:千古のみどり  投稿日:09月18日(火)22時25分41秒

 ひと月程前、ひょんなことから我家に、パソコン導入の運びとなりました。
何より見てみたかった、「うわさ」の飯田さんのHPを見てみました。
さっそく、忘れもしない東高の校歌と、忘れていた運動会の応援歌を深夜にも
かかわらず熱唱しました。たいていの歌は覚えているのですが、不覚にも応援歌
だけが、はっきりしていなかったのです。
掲示板を見ていますと、この曲が完成される(思い出される)迄の紆余曲折があり、
よくぞここ迄と思いました。
かくして完全再現された貴重な応援歌を、ありがたく拝見、熱唱しますと…
嗚呼…あの純朴?な全校生徒2000名の、力一杯の歌声が四方の山々にこだまし
まさに大地をゆるがす、その迫力の歓声が本当に聞こえてきましたよ。
あなたの声、あなたの声、そしてあなたの声が……2000のかたまりとなって、突如
私の耳に蘇ったのです。(感涙)

 この掲示板で、再三再四、飯田さんを絶賛する声が載せられています。
私もやはり云わずにいられません。
飯田さんと御家族と、とりまくスタッフ?とファン?と信者??と……の方々
たくさんの貴重な時間と、労力と、アイディアと、温かい思いをさいて下さった
かと思うと、まさに「与えられた人」と思わずにはいられません。
(幸い家の方角では、飯田さんには足をむけていません…余談)
山の街大夕張、石炭を掘り、生活し、閉山となり、散っていった人々…
そして、今、湖底に沈みゆく大夕張…
建物がなくなる、人がいなくなる、ふるさとがなくなる…
 時は21世紀を迎え、時代はインターネットへ、そしてこのHPへと…
無くして得たもの…それは二度と取り去られることのない「大いなるもの」

(1417)夕張岳の仕事師さんから 投稿者:小野 美音子  投稿日:09月17日(月)20時17分23秒

石原さん、皆様、お晩でございます 。
沖縄の石原さんの所は緊張が高まっているのでしょうか・・。近くに
補給基地があるとお聞きしてますが慌ただしくなるのでしょうか・・。
7月の石原さんの投稿の夕張岳で出会われた江沢弘志様から石原さんに
お伝えして下さいというお葉書が届きましたのでお知らせします。

拝啓・・・・石原賢治君の投稿を懐しく読ませていただきました。
30数年も前の事が鮮明に脳裏に蘇りました。有難う存じました。
石原君もいいお父さんになっていることと思います。是非一度会って
みたいですね。来道の機会があればご一報戴きたいですね。この風光
明媚な白老町で当時を偲びながら、白老牛と新鮮な魚類でもつつき
ながら、夕張岳談義で一献傾けたいです。宜しく・・(略)・・敬具        

石原さんの個人メールにお送りしようかと思ったのですが、石原さんの
お父様や皆様も御覧になると楽しいかと思い投稿させて戴きました。
江沢さんはそのうち大夕張の思い出を書いて下さるそうですので
どうぞ皆さん楽しみにして下さい。

(1416)映画『闇を掘る』 投稿者:飯田雅人  投稿日:09月15日(土)16時08分34秒

新しく大夕張の住人に登録された成田利夫さんから映画『闇を掘る』の情報を
いただきました。

>2001年9月29日〜10月12日まで札幌シアターキノで「闇を掘る」
>というドキュメンタリー映画(監督藤本幸久)が上映されます、
>何年もかけて完成したそうですが、大夕張がダムに沈むというこ
>とで町が撮影されているそうです、暗そうな題名ですが笑いも
>入った結構楽しそうな映画らしいです、前売り券は4プラ・大
>丸・道新・YESP・Gチケットピアパルコ店で発売しているようです。

札幌近郊にお住まいの方対象の情報かな?パンフレットの画像もいただいた
ので,貼り付けておきます。ご覧下さい。

http://ooyubari.cool.ne.jp/yamihoru.htm


(1415)砂金掘体験会のご案内 投稿者:奥山@シューパロ塾  投稿日:09月14日(金)19時25分04秒

 朝晩はすっかり涼しくなり、秋が一歩一歩近づいています。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
 9月16日に南部青葉町で砂金掘体験会を行います。昨年は
雨のため、南部コミセンで藤田進さんと佐久間大さんのお二人
に砂金掘に関わる講話をしていただきました。今回はなんとか
天候に恵まれてほしいと願っています。
 体験会の詳細は下記のとおりです。皆さんのご参加をお待ち
しています。

                     記

日   時  平成13年9月16日(日)午前9時集合
集合場所  夕張市役所南部連絡所前(南部東町)
講   師  佐久間大氏(南部大宮町在住)
参 加 料  300円(高校生以下無料)
持参するもの  長靴・軍手・タオル・雨具・昼食・飲物等
その他 
申込み・問い合わせ先:事務局 伊藤勲さん(01235-5-5011) 
雨天の場合は、屋内での学習会に変更しますので、定刻までに
集合場所へお集まりください。

http://plaza22.mbn.or.jp/~Noritax_World/shuparo.html


(1414)覚えていますよ!(笑) 投稿者:市橋 勝  投稿日:09月14日(金)10時23分09秒

工藤雅之君が「大夕張でビューした」と歌子さんから連絡があったので、
早速覗いてみました(笑)。
工藤君のことは覚えていますよ。
私の記憶に間違いがなければ、確か常磐町に住んでいて、本間君などと
一緒に登下校していましたよね。
とっても足が速く、運動会の時の100m競走ではいつも1位だったので、
凄いなぁと思っていた記憶があります。
そう言えば、一緒に東小のグラウンドで野球をしていた記憶もありますよ。
私は随分下手くそでしたが、工藤君はスポーツ万能だった印象があります。

お元気そうで何よりでした。
そして、何年ぶり、いや何十年ぶりの「再会」に改めて驚いています。
これからも宜しくお願いします。

それから、歌子さん、知らせてくれてどうも有り難う。
三上君とは今でも会うことがあるのですか?
もう今から何年も前になるのですが(いや20年も前かも(^^;)、一度東小の
同窓会というのをやったことがあるのですよ。
まだ、東小の校舎が残っている時で、もう最後だろうということで、当時集
まれる者だけでやりました。参加人数は10人もいなかったように思うのですが。
申し訳ないことに、その時誰が幹事だったのかもう失念してしまったのですが(^^;、
確か吉田要作先生が出席して下さいました。
参加メンバー最中に、三上君もいました。
それ以外では、熊谷さん、笠原さん、渡辺君、畠山君、織田君なども出席した
記憶があります。
実家に写真があったと思うのですが、見つけだせる自信がありません(^^;。

何はともあれ、皆さんが元気で暮らしていることを願っています。
ではまた。

(1413)やっぱり 投稿者:工藤雅之  投稿日:09月12日(水)22時04分54秒

やっぱり歌子さんと市橋くんだったんですね直接2人にぼくの事を
知っているか聞こうと思ったのですがもし知らないと言われたら寂
しかったので知っているかたずねてみました。覚えていてくれてよ
かったです。このふるさと大夕張のことはうちの姉が8月末に北海
道にいって友達に聞いてぼくにおしえてくれました。そしてさっそ
く会社の人に頼んで開いてもらいました。とても懐かしくいろいろ
見てみました。そうしたら歌子さんと市橋くんの名前があったので
メールしてみました。パソコンほとんどできないけど今、必死に打っ
てます。家にもパソコンおいてがんばろうと思ってます。ほかの人
もメール来るともっともりあがりますね。これからも必死にメール
送ります。これだけでかなり時間くってます。

(1412)鍋谷 国康さんのこと 投稿者:小野 美音子  投稿日:09月10日(月)23時30分25秒

河野さん、皆様、お晩でございます。
40代の若さで国康さんが逝かれたと聞いたときは本当に残念でした。
目には力がみなぎり、太い眉が印象的な顔立ちで、百日の荒行中に
高峰美枝子さんのワイドショーが来て、沢山の修業僧の中、国康さんを
焦点に撮影し放映されたというエピソードが残っているそうです。

河野さんのお祖父様も国康さんに引導を渡されたそうですが、私の父の
時も遠くから駆けつけて下さり、朗々と響く素晴らしい読経で送って
いただきました。心打つ法話だったそうですが、私は動転していて
全く覚えておりません。
会葬して下さった方々が、あんな立派なお経は聞いたことが無い、
何処のお寺のお坊さんか、と後で母に訊ねたそうです。国康さんは
当時40才位だったそうです。骨揚げの昼時に国康さんが腕にできた
大きな瘤を見せ、「こんなのが体のあちこちにあるんだよね〜」と
豪快に笑いながらおっしゃっていました。私は癌につながるとは知らず
昔話の瘤取爺さんは実在したかも知れない・・と呑気に余計なことを
思ってしまいました。どこかやんちゃな魅力のあった方でした。
遺された御家族を沖先生御夫妻が愛で支えていらっしゃると
風のたよりでお聞きしております。

(1411)紅葉NEWS 投稿者:ヒロ 三浦  投稿日:09月10日(月)07時40分45秒

昨日は雨の中「大夕張ダム」近くの新ダムサイトで東屋を借りて
飯田さん一家、小幡兄弟?(姉、弟)蛯沢さん、でBBQやっちゃいました!
大夕張は大型のアブがブンブン飛び回り、あぶなーい感じ
紅葉は1割〜2割位が色を変え始めています、今年はかなり順調なようです
清水沢付近から大夕張にかけては、紅葉前線が確実に進んできているのが
良く分かりますよー 
9月下旬から10月初旬が大夕張の紅葉が最高じゃないでしょうか!
今回、お会する事ができなかった「ウタさん」また9月〜10月にかけて
出かけてみませんか (^。^)
今年の紅葉、本当に楽しみ!です。

(1410)ひさしぶりです 投稿者:河野直幹  投稿日:09月09日(日)22時47分04秒

といっても、ご挨拶のカキコ以来になってしまい恐縮なのですが・・・・・・。
小野様のご投稿に国康氏のことが載っていたので、つい懐かしくなってしまいま
した。実は我が祖父の葬儀で引導を渡されたのが彼でした。見栄えのする、聴き
栄えのするお坊様で、若くして亡くなられてしまったのが惜しい方でした。
盆には北海道に帰ったのですが、夕張を訪ねる時間はありませんでした。ダムの
建設が進んでいるということですが、来夏あたりにはまだ大夕張を訪ねることが
できるでしょうか? 

(1409)待っていました 投稿者:高橋歌子  投稿日:09月06日(木)20時38分23秒

他の年代の仲良しグループを見ては羨ましいなーと思っていました。
今まで竹組の市橋さんしか同級生がいなかったので、工藤さんの出現はものすごくうれしいです。
とは言うものの、女の子は結構覚えているんですが、男の子の記憶というのがあ
まりなくて・・
卒業文集や「山の子」を見ると、工藤さんの名前がありました。

私は48年の夏休みに芦別に引っ越した後、翌年には旭川に引っ越してしまい、
さらに就職して札幌に引っ越してしまったので、同級生たちとはほとんど交流が
ありません。
竹組の三上君とは母親同士が仲良しなので連絡することができます。
これを機会に昭和36,7年生まれの鹿島東小学校の同級生の輪を広げていきま
しょう。

これはちょっと自慢ですが、先日実家の食器棚を見たところ、転校するときに
鹿島東小学校でもらった先われスプーンが出てきました。閉校になるのがわか
っていて、記念にくれたのでしょうね。食器も最近まであったそうなんですが、
捨ててしまったと母に言われました。

(1408)連絡オクレ。 投稿者:工藤 雅之  投稿日:09月06日(木)14時53分12秒

昭和48年に鹿島東小学校の6年生(松組・吉田要作学級)でした。
みんなに連絡をとりたいので僕を知っている人はメールください。
今は横浜に住んでます。夕張のサイトがあるとうわさを聞いたので、
なつかしくてアクセスしてみるとほんとに「ふるさと大夕張」があり
知ってる名前も何人か見かけたので思わず書きこんでしてしまいました。
あいにく自宅にパソコンは持っていないので会社から見てるんで、
メールも携帯ですが会社のほうにメールもらえればうれしいです。
m.mochiduki@sansetu.co.jp
です。ちょっとほかの人のアドレスですが気にせずメール送ってください。
お返事ください。待ってます。

(1407)不協和音 投稿者:久々湊 真一  投稿日:09月02日(日)23時28分52秒

大夕張の化石は懐かしいですね。場所は忘れましたが、車のタイヤに近い大きさの
アンモナイトが岩に埋まっている所がありましたよ。岩盤と一体化していたので、
取るに取れず 皆な諦めていたような。。。
話題はガラッと変わりまして、「化石人間のような私」の思い出です。

 昭和39年、夕張東高2年の時のことです。音楽の時間に作曲の宿題が出ました。
私はひそかに「シメシメ」と喜びました。何故なら、鹿島中時代に上村先生から私
の曲を誉めていただいた、栄光の歴史(笑)があったのです。そして、自信満々に
宿題の曲を提出したのでした。
翌週、先生から宿題の総評があり、最も優れた作品をピアノで弾いてくれることに
なりました。選ばれたのは、ブラスバンド部に所属していた井田真帆(名前出して
ご免)さんの作品で、「アルプス一万尺」に似た佳曲でした。何故か、最近フッと
この曲を思い出し(実に30数年前!)楽譜に書き取りました。
先生が「誰か弾いて欲しい人はいるかな?」と言われたので、自信満々の私は「ハ
イ」と自分の楽譜を渡し、演奏をして頂きました。自分の曲って、自分で聴くと心地
が良いんですよネ。だが、愕然としたのです。「アレ?違う 音が違うぞ、半音
ずれているゾ」。そして、先生からは「不協和音を用いるのもいいが、意味のある
使い方をしましょう」とのコメント。教室全体が、爆笑の渦となりました。
返却された楽譜をよく見ると、フラットの位置を間違えていた(汗)のでした。

現在は作曲ソフトを使うようになり、この当時の幼稚な曲も入力して懐かしんでい
ます。当時は、楽器も無く(勿論パソコンも無く)紙と鉛筆だけで、よく作ったも
のだなーと、我ながら感心しています。
古びた音楽ノートには、12曲の小品が書かれていました。

(1406)化石探検会 投稿者:飯田雅人  投稿日:09月02日(日)22時05分41秒

今日のシューパロ塾の化石探検会に家族で参加してきました。秋晴れの日曜日,
親子でとてもいい体験ができました。シューパロ川上流でハンマーをもって
白亜紀の化石を求めてコツコツと・・・何も考えずにひたすら石を割り,のぞ
き込んで・・。子ども達は明日は学校から帰ってきたら化石を洗ってみるんだ
と楽しみに床につきました。
思いがけず同級生の笠原さんも一緒に参加されていて,お目にかかれて嬉しかっ
たです。
みなさん,ありがとうございました。

小野さん,『虫めがね』が必要なこと,よくわかりました。

(1405)化石採取 投稿者:奥山道紀@シューパロ塾  投稿日:09月02日(日)21時02分34秒

秋晴れの一日、ご家族での化石採取ご苦労様でした。
肝心のシューパロ川上流ではアンモナイトは見つけられませんでしたが、
本町の崖では植物化石が沢山採れたことと思います。

また優香お姉ちゃんには、当方の愚息の面倒まで見ていただき感謝して
います。 

(1404)お誘いありがとうございます 投稿者:佐々木  投稿日:09月01日(土)15時56分08秒

9月9日BBQお誘い下さいまして有難う御座います。
是非参加させて頂きたいのはやまやまなのですが・・・・、チョット遠いかな
大夕張は、無理やり出張で北海道と言う手もありますが9日はあいにく他の仕事
が入ってしまいました、と言ってもゴルフですが。
大夕張に住んでいた頃はこんな田舎を早く出たいと思っておりましたが、遠く
離れていると、どんどん恋しくなって行き近くに住まわれている方々に嫉妬心
さえ感じております。
後ひと月もすると大夕張は紅葉が始まり山葡萄やコクワが沢山実る時期を迎えま
すね、今でも特に懐かしく思うのはオンコの赤い実です、あの甘さが忘れられな
いんですが愛知県では見たことが無いので特に懐かしく感じられます。
9月9日に皆様が集まられた時のお話をお聞かせ下さい、今回はお話だけで
ガマンする事にします。

(1403)9月9日は鹿島小学校に集合 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:09月01日(土)11時08分12秒

今年も,鹿島小学校のあのイタヤカエデの木の下で,9月9日にBBQをやります。詳細
は,告知板にヒロさんが書き込みましたので,ご参照ください。

我家は,また家族4人で参加させていただきます。ちなみに,妻は岩手県の生まれ育ちで
すが,この種の大夕張関係の行事には,全て参加していて完全に「大夕張人」になりきっ
ています。
昨年は,とても感動的な虹を夕張岳をキャンパスに見ることができました。今年は何を見
て感動できるのか今から楽しみにしています。
ご都合の良い方は,是非鹿島小学校に集合ください。

愛知の佐々木さん,ドラエモンの「どこでもドア−」でも借りて,またご家族でいらっし
ゃいませんか。お持ちしています。

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