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1999年    
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(453)客車に飛び乗った話 投稿者:奥山 道紀  投稿日:07月31日(土)19時31分37秒

佐々木さんは、私の何年先輩になるのでしょうか。
私も夕張南高校・昭和52年卒業です。
遠幌から1年ほど大夕張鉄道で通いました。
客車に飛び乗った話ですが
大夕張鉄道の客車にトイレは無いですよね。
昔、聞いた話では我慢できずに客車から飛び降り、
用を済ませてから、再度追いかけ飛び乗ったと言う話を聞いた事があります。
清水沢〜大夕張炭山間17.2`を約一時間かけて走るのですから
かなり、遅かったと言うことですね。

(452)語り継がれた話し 投稿者:佐々木広行  投稿日:07月31日(土)14時29分00秒

久しぶりの投稿です。
このHPには良く鉄道の事が投稿されてますが、私はあまり鉄道に関して詳しく
ありませんので大変勉強になります。この鉄道で思い出が一つ有りましたので
投稿させて頂きます。もう27年前の事ですが、通学で毎日大夕張、清水沢間を
今では名前も忘れましたがSLで通っていた頃のことです。
当時私は夕張南高校へ行っておりまして毎日SLを利用していた訳なのですが
有る日、登校の時だったか下校の時だったかは忘れましたが、いつものように
SLに乗っていたのですが座席が満席の為乗降デッキで同級生の中条君(当時
南高の生徒会副会長でした。実名を出して叱られるかも知れません。このHP
を見てたらごめんなさい。)とふざけあっていたのですが、運悪くその日は
雨上がりでデッキが濡れており滑り易くなっていたようです。気がついたら
中条君ともども走っている列車から落ちてしまいました。でも、確か清水沢と
袁幌の間だと記憶しておりますが非常にスピードが落ちる区間がありまして
たまたまその区間での落下でしたので私はすぐに走って再び走っている列車に飛び乗る
事が出来ました、が、しかし中条君は当時は少し太っていましたのでなかなか
飛び乗ることが出来ないでいました。デッキにいた他の友人たちの手を借り
やっとのことで無事、事無きを得ました。そんな愛すべき大夕張のSLでした。
その後10年ほどが過ぎ、私は仕事でたまたま私より7年後輩に偶然会う事になり
色々な話しをしている内に、後輩が「私たちの先輩で例の汽車から落ちてまた
走って乗り込んだ人がいるんだよ」と話し始めました。な、何と7年も後輩にまで
私のドジ話しが語り継がれておりました。もちろん私は「ふ〜ん」と一言で済ませました。

(451)シューパロ塾からのお知らせ 投稿者:伊藤  勲  投稿日:07月30日(金)20時37分33秒

 シューパロ塾事務局の伊藤です。

 8月1日開催の学習会については、皆さん既にご承知と
思いますが、雨天時の対応についてご連絡します。
 
 雨天決行が原則ですが、中止の場合、南部コミュニティ
ーセンターでの集会開催に変更します。参加を希望される
方は天候に関係なく当日10時までに客車前にお集まりくだ
さい。
 前日客車周辺の草刈を手伝っていただける方についても
同様に同会場での集会に変更しますので、10時までに客車
前にお集まりください。

 予報では明後日(8/1)は心配ないようですが、明日は雨の
ようです。道新夕刊の空知版に載っていた岩見沢の予報は、
  今夜6時から明日6時まで 雨
  6時から9時まで 曇り
  9時から15時まで 雨
となっています。

(450)9600の音 投稿メ:飯田 雅人  投稿日:07月30日(金)17時27分17

出発進行の部屋に9600の音を追加しました。
mp3なので,ie5ならブラウザで聞けると思うのですが。
もし対応していなければごめんなさい。

(449)夕張岳登山 投稿者:丸山直記  投稿日:07月29日(木)11時21分57秒

先日鹿島中学第17回生(昭和39年卒業)の有志が東京で集まりました。
今年の10月9,10日に卒業35周年記念旅行を計画している幹事会です。
旅行は伊豆の熱川温泉で行われますが現在まで北海道在住者19名、
道外在住者58名の参加が予定されています。もしお知り合いの方が
いらっしゃったらお伝えください。その際、夕張岳にはもう登れないとの噂が
あるとのことですが真偽のほどはいかがでしょうか?そんなことはないと
思うのですが。また来年7月の夕張岳登山の話が掲示板に載っていたことを
話しましたら皆さん、非常に興味を持っていました。

(448)集めた宝物 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月27日(火)17時49分13秒

大夕張に来た有名人は,私の記憶は『池田屋食堂で食べていた青空はるお・あきお』
ですね。でも,この話の真偽はどうなんでしょうか。どなたかご存知ありませんか。

長谷川さん,いいなあ食い物と店が鮮明に結びついていて!
私は遠足の時に買った購買会向かい帯向の隣りの商店で買った
ウルトラマンチョコ・・・くらい。
むしろ,岳富町田村商店で買った,『うつし絵』(切手のように
10枚ほどつながっていて,水でぬらしてこすってはがすと絵が写っ
ているもの。手などによく貼っていました。)
かなりたくさん集めたドンドコやパッチ。(巨人の王・長島,大洋の桑田,
近藤などプロ野球選手や少年ジェッターや海底人間8823の『絵』が
二重に印刷されていました。)
ほとんど伊藤おもちゃ屋や田村商店で買って集めていたと思います。

ドンドコやパッチは木製のみかん箱をひっくり返してその上でやったなあ。

とここまで書いたら夏の遊びについていろいろ思い出してきました。
次回は夏の遊びということで書くことにして今回はここまで。

(447)健さんのおもいで 投稿者:成松 泰彦  投稿日:07月26日(月)23時52分11秒

そろそろ26期パワーの爆発?
久しぶりにおもいでを掲示板に書き込みしようと思いつつ、
我々が昨年、全国から集まった同期会の仲間たちと神社に掲
げてきた黄色いハンカチのことと高倉健さんのことを呆然と
思い浮かべていると偶然にも今日BSUで「遥かなる山の呼び声」
が放映されました。高倉健さんと賠償千恵子さんの名作です。
何度か見たことのある映画ですが、最後に賠償さんが健さん
に渡す黄色いハンカチのシーンでは今回も泣き崩れてしまい
した。黄色いハンカチにはまた逢いましょう!の意味がこめ
れているのですね・・・夕張にぴったり。

話は変わり、僕が小学校5年生の時です。
大夕張の駅舎にあの高倉健さんが現れたのです。番外地シリ
ーズのロケをSLの中でやったのですね。
がっちり握手をしてもらったのを覚えています。以来健さん
の虜になりました。
その後友人と「大夕張にどんな有名人が来たっけ?」と話題
になったことがありました。
バーブ佐竹でしょ。ドリフターズでしょ。
                   あとは……?

交流会でお話ししましょ。

(446)閉塞的社会環境の食文化論 投稿者:長谷川 潤一  投稿日:07月26日(月)11時16分45秒

チャットの「バクダン」の匂いで私めの食欲というか大夕張での食憶がムクムクと・・・。
あいばさんの5円アイス・池田屋さんのパンジュウ・とらやさんのクリームパン・本間さん
の北隣のお店のオヤキに型抜きドーナッツ・生協の中の餡ドーナツとクリームドーナツ、
量り売りのいろんなジャムや水飴・5円のくじの駄菓子・吉井さんで正月にもらったおまけ
のウメ仁丹?などなど・・。
参加予定の皆様、交流会では大夕張の庶民の食文化について大いに語りましょう!

追伸:交流会の場所はどうか美味しい所にしてくださいませ。
90`の食いしん坊よりのささやかなお願い・・

(445)第2回交流会に行きましょう 投稿者:稲村 美奈子  投稿日:07月25日(日)23時27分02秒

私は、26期生です。第1回目交流会に参加しました。
その時は、パソコンのパの字も知らなくてどうしよう
か迷いましたが、行って良かった。池田食堂のおばさん
にも会えたし・・・。それから何ヶ月か経ってからパソ
コンを買い、インターネットを始めました。
多分あの時行かなかったらこのホームページも見ること
がなかったでしょうね。飯田さんをはじめあの時のみな
さんには感謝しています。月日の経つのは早いものです。
このホームページを見るのも楽しいのですが、たまには
顔を見ながらのおしゃべりも楽しいですよ!
私は、逆になってしまいましたが・・・。
夕張に住んでいたというだけでもう友達ですから。
今回は、日曜日ですがいつもここを覗いてるあなた!!!
来て見ませんか?きっと懐かしい顔に出会えることでしょう。
そうですよね!飯田さん!斎藤さん!26期のみんな!
稲村はお待ちしています。

(444)ラジオ体操 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月24日(土)08時28分47秒

札幌市内の小学校は,昨日が終業式で,今日から夏休みです。
子供たちは今日から5日間,朝のラジオ体操に出かけます。
学校からもらったカードを首からぶら下げ朝の6時半から
でかけます。地域の父母にハンコを押してもらうのが楽しみ
なようです。

昭和40年頃,私が夏休みのラジオ体操に出かけていったのは,
富士見町のクラブの向かいに在った小さな公園でした。
そこで,近所のおばさんに印鑑をおしてもらい,たまっていくのが
楽しみでした。朝の風がさわやかで,気持ちのよかったものでした。
今も昔も変わらない子供の姿です。

今,その公園の在ったところへ行ってみると,赤茶色に錆び付いた
ジャングルジムが背丈まで伸びた草原の中にのぞき,かつて公園だっ
た場所を教えてくれています。

(443)今井さん、私ではありません 投稿者:伊藤  勲  投稿日:07月23日(金)19時59分30秒

 今井さん、幌南町に住んでいたのですね。

 当時は幌南町31のあたりは、三菱や北菱産業の社宅
がかなり建っていましたね。
 私が南部に引越したのは昭和60年8月ですが、幌南
町とは国道(当時道道)と線路を挟んだ反対側の夕南町
でした。
 私が現住所の幌南町31番地に引越したのは昨年10月
ですから今井さんのお隣の伊藤さんは別の方です。
 でも、当時はお互い近いところに住んでいたのですから
ご近所で顔を合っているかもしれませんね。

 ちなみに私が60年に夕南町に引越したのは、同じ係の先
輩が奥さんの両親と同居するため、紅葉山に移りその後入
居者を募集していたためです。当時は職員住宅の空きが少
なく先輩の転居のおかげでやっと入居できました。その先
輩の奥さんのご両親が実は三菱鉄道で今井さんとご一緒
だった中田忠夫さんです。4年前に亡くなられましたが。
 中田さんには先輩の自宅に遊びに行った時、何度かお会い
しています。当時は鉄道に全く興味がなかったので鉄道の話
はしませんでしたが。
 昨年、奥山さんからの依頼で中田さんの鉄道関係の遺品を
お借りしたことがありますが、実に几帳面な方だったそうです
ね。先輩の話では「三菱鉄道の資料をかなり持っていて、大
学教授らしい人に貸したところ、返してくれないので何回か、
催促の電話をしていたそうです。名前はわからずじまいにな
ってしまったが」と憤慨していました。

 長くなってしまいましたが、今井さんとは何かご縁があった
のですね。これからもよろしくお願いします。

(442)「だいばりせん」について 投稿者:奥山 道紀  投稿日:07月23日(金)12時36分13秒

皆さん「だいばりせん」て聴いたことがありますか。
私が高校生の頃、同級生たちが三菱大夕張鉄道を「国鉄夕張線」に対して
「大張線」と呼んでいました。「大夕張線」を縮めた訳ですが
いつの時代も「新語」は若者から、なのでしょうか。
今井さん、鉄道時代の思いでを
「ぽっぽや」風に投稿願います。

(441)暑中お見舞い申し上げます 投稿者:今井 一郎  投稿日:07月22日(木)22時34分41秒

 いや〜皆様。暑い日が続きますね。
 夕張に住んでいた頃、こんな感じの夏があった記憶があります。
 昼間はとっても暑く、空はとっても青く、雲はとっても白く、
夕張岳方面からモクモク昇る入道雲。
 夜はうって変わって涼しくなる。メリハリのある夕張の夏は大好き
でした。

追伸
 伊藤様
 バスの運転の件はOKです。こちらこそよろしくお願いいたします。
 話はがらっと変わりますが、私の夕張時代の住所は伊藤さんの住所と
同じです。確か、お隣のお名前が伊藤さんと記憶していますが、もしか
したら・・・・。

(440)鉄道の思い出について 投稿者:奥山 道紀  投稿日:07月22日(木)21時00分28秒

資料室に「出発進行」のコーナーが出来、素晴らしい出来に
驚いてます。
さて、8月1日に大夕張鉄道の廃線跡巡りを行いますが
皆さん都合はどうでしょうか。
斎藤さん、内川さんはじめ、皆さん鹿島小学校や大夕張の街と
同じように、列車に色々な思いを持っていると思います。
その思い出を聞かせていただけたらと思います。

(439)シューパロ塾からのお知らせ(訂正) 投稿者:伊藤  勲  投稿日:07月22日(木)00時13分23秒

 前回の投稿で「バス借上げ料として1人千円程度
負担していただき、会の運営費の財源にする」と連絡しま
したが、あくまでも任意あってご賛同していただける方は
ご協力お願いいたします。
 事務局の不手際を訂正してお詫びいたします。

                   事務局  伊藤 

(438)シューパロ塾事務局からのお知らせ 投稿者:伊藤  勲  投稿日:07月21日(水)22時04分23秒

 シューパロ塾で事務局を担当している地元南部在住
の伊藤です。一昨年から飯田さんのHPを愛読していま
すが、投稿するのは3回目というEメール未熟者です。
 そんな私ですが、よろしくお願いします。

 次回の活動については、奥山さんの書き込みで
皆さんご承知されていると思いますが、事務局から3
点ほど連絡させていただきます。

 (1) 地元の小中学校の児童生徒に参加を呼びか
   けたところ、学校側より傷害保険の加入を指摘
   されました。児童生徒は塾の負担で加入します
   が、大人も希望者は加入することにしました。
     7/29、加入手続きするので、希望する方は
   前日までに氏名と年齢をお知らせ願います。 
    保険料は1人161円です。当日いただきま
   すが、釣り銭のいらないようお願いします。
  
 (2) マイクロバス借上料を1人千円程度負担して
   いただくことになります。人数の関係でバスに乗
   れない人も出てくるかもしれませんが、会の運営
   費調達のため、子供・学生以外は一律にいただき
   たい、と考えておりますのでご理解願います。
    今井さん、バスの運転よろしくお願いします。

 (3) 7/31に夕張に宿泊する人たちで懇親会を開催
   しようと考えています(塾長も大賛成のようです)。
   詳細はこれから決めますが、希望する方はご連絡
   ください。

 以上、事務局からの連絡でした。

 シューパロ塾の活動はいよいよ本格化します。地元では
当面の最重要課題である客車の保存に向けた活動に取り
組みます。
 皆さんのご支援・ご協力よろしくお願いします。

(437)「夢の街」独占 投稿者:内川 准一  投稿日:07月21日(水)18時25分30秒

飯田さんありがとう。かえって手間をかけてしまった。
しかし、こんなふうに出てしまうのなら、文章は押さえ気味にし、
絵も丁寧に描くのだった!
出過ぎてしまったようで、ちょっと気恥ずかしいのですが、
中身はホントの気持ちです。
ふんどし一丁になった気分とでも言えば近いかも?

先日なりさんのチャットにどちらがパパかお父さんか?
とありましたが、私がパパで、飯田さんがお父さんとの
勝手な想定で書きました。
子供らが小さかった頃、私たち夫婦をパパちゃんママちゃん
と呼ばせて育てて、油断して、
お父さん、お母さんに直しそびれたのです。
ちゃんがとれただけで現在に至ったのは私の誤算でした。
まだ間に合う人は注意しましょう!
しかし、行間から私のこだわりを読みとる貴方は恐ろしい。

(436)第2回交流会の開催 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:07月20日(火)13時01分40秒

「ふるさと大夕張」へのアクセスも,大夕張の最盛期の人口をとうに超え二万七千代に突
入しています。それだけ,大夕張と係わりのある多くの人たちに「ふるさと大夕張」が愛
されている証だと思います。ここまで愛されるHPを育て上げてくださった飯田さんの努
力には,敬服するばかりです。
 このただならぬ努力の人「飯田さん」を囲み,夏の夜に第2回の交流会を開催したいと
思います。(飯田さんには,昨夜佐藤次男さんと一緒にお会いし承諾を得ています)
 常連の皆さんはもちろん,いつも懐かしい写真を提供してくださっている本間さん/千
年町旅館跡で思春期を過ごされたKAZさん/掲示板での書き込みの先輩である小笠原さ
ん/スキーで活躍された小林さん/東高の先輩でもある阿久津さん/98.1.12まで
大夕張郵便局に勤務されていた杉淵さん/坂道が心の風景であられる常磐町の菅井さん/
97.5. 20に「寂しいね」を投稿された井上さん/97.7.5に「私も閉校式に行
きました」を投稿された西村さん/97.12.10に「懐かしいですね」を投稿された
大沢さん/97.12.21に投稿された1951年生まれの林崎さん/鹿島中学第26
期同期会の皆さん/その他いつもご覧になっている沢山の皆さんの参加をよろしくお願い
致します。

【開催日時】8月29日(日)午後5時30分
【開催場所】札幌駅周辺(会場は後日申込者に直接連絡致します)
【申込み先】佐藤次男〜t-sato@north-wind.ne.jp
      斎藤敏幸〜toshi31.saito@nifty.ne.jp


*参加者名簿を作成しますので,申込みの際は住所・電話番号を明記してください。

(435)内川さん『大夕張の夜』公開バージョンのことですが。 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月20日(火)10時06分04秒

内川さん,掲示OK!というお言葉に力を得て,勝手ながら公開バージョンにしてみました。
回想部分の文章に色付けをし,文字の大きさを変えさせていただきました。また,内川さん
ご自身の素適なカットも添えさせていただいて・・・。『夢の街』での掲示にしましたけれど・・。
いかがでしょう。

『出発進行!』と『大夕張生協ネガ』ともに資料室にアップさせていただきましたが,
これまで多くの方々が資料等提供してくださっています。掲示板に声を残していって
下さっている皆さんを含めて,みなさんの『大夕張』への思いをみなさんでわかちあえ
ることの喜びを感じています。ありがとうございます。

(434)次回、活動ついて 投稿者:奥山 道紀  投稿日:07月19日(月)21時46分44秒

今年の夏は、いつになく忙しい。
月に最低でも2回は夕張に通っている。
いかに、今までの生活が怠惰だったか。
でも、何もせずにいて南大夕張の客車や石炭車が解体されては悔しい。
はっきり言って、私は「C623」や「C11」には
それほど関心を持てなかった。
やはり、自分の生活に関連したものでなければ興味はない。
私にとって汽車は大夕張鉄道の車両なのだ。
「ノスタルジー・郷愁」で物は残らないと言う。
しかし、今井さんの言うとおり、「一人のわがままも、百人集まれば世論」
である。というわけで
シューパロ塾、次回活動詳細決定しました。
7月31日 南大夕張駅跡の環境整備。早い話が草刈りです。
10時集合。草を刈り翌日の準備をします。労力奉仕大歓迎です。
8月 1日 南大夕張駅跡に10時集合、マイクロバスで一旦遠幌に
戻り、南大夕張までの4q程の廃線跡を歩きます。途中、鉄橋跡や北夕炭礦跡
などのポイントで炭鉱と鉄道の歴史を学びます。
南大夕張に11時30分頃到着、車両の解説を受け、昼食です。
南部の街に飲食店がありませんので、各自用意して下さい。
その後、バス(地元の人が優先となります)と各自の車に分乗し
大夕張炭山跡まで入ります。途中、展望台、明石町等に停車し
廃線跡の解説を行います。雨天決行ですので雨具の準備も忘れず
に願います。

(433)シューパロダムふるさと会総会について 投稿者:奥山 道紀  投稿日:07月18日(日)19時15分20秒

鹿島小学校を会場に行われた、平成8年のダム移転補償協定締結時
鹿島地区在住者による、ふるさと会に参加してきました。
市内から90名、市外から20名ほどの参加で
市議会議員高橋氏の好意により「シューパロ塾」と
今井一郎さんを会長として発足した「三菱大夕張鉄道保存会」の
PRをして来ました。
鹿島小学校資料室の資料移転も終了し
いよいよ、解体の入札が行われる模様です。

(432)いいですね夕張岳登山 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月17日(土)13時32分13秒

このページをご覧になっている皆さんには,きっと夕張岳には特別の思いを
持たれている方々が多いと思います。
4月に亡くなった私の祖父も夕張を出て以来36年家の茶の間の壁に大きく
引き伸ばされたモノクロの夕張岳の写真が飾られていました。私自身どこか
出かけて遠くの山並みを見るときは夕張岳がまず見えるかどうかとても気に
なっていたものです。
『2000年登山』いいですね。ぜひ2回目の登山に挑戦したい気持ちはいっぱい
です。でも,体力がちょっと不安です。
とりあえず,明日のTV番組チェックしたいと思います。

(431)僭越ながらご提案 投稿者:今井 一郎  投稿日:07月17日(土)07時52分48秒

思いつきで誠に恐縮しながら皆様にご提案があります。
来年、2000年7月8日(土)に、オフ会の山の会
部会として夕張岳登山会を開催しませんか?
素晴らしいですよ〜!!夕張岳。
飯田さんのご意見をお聞きしながら参加者を募りたいと
思いますが如何でしょうか?

(430)18日朝、NHK必見!! 投稿者:今井 一郎  投稿日:07月17日(土)07時29分39秒

 7月18日(日)、AM7:45〜 NHK総合の「自然百景」で夕張岳が
放映されます。山は登ってみなければ価値はわかりませんが、映像でどこまで
夕張岳の素晴らしさが表現されているか楽しみです。
 皆さん、必見ですよ!!!

(429)鹿島小学校が。 投稿者:小林 秀範  投稿日:07月16日(金)03時26分39秒

鹿島小学校が取り壊されるとの事、
本当に本当に・・・・・さびしいです。
今月ですか?
昨年私は、親友2名とグランドでキャンプをしました、
今年も、と思っていたのですが、なかなか予定がつかずにいます。
親友は、田森睦夫、遠藤直樹です。
必ず今あるうちに
静かに暗くなる大夕張と
鮮やかな朝焼けの大夕張を 小学校があるうちにもう一度見ておきたい。
今回のシューパロ塾参加できません、とても残念です。
是非今度お願いしたいと思います。

tigermask@pep.ne.jp

(428)公開バージョンとは? 投稿者:内川准一  投稿日:07月14日(水)18時00分07秒

先日は思いがけないところで出会いましたね。
大夕張と地崎バラ園、共通項はどちらも消滅しかかったという点、
共通でなかったのは、バラ園が、ともかくも残ったことか?
ちょっと不謹慎な発言?
でも、当日、お互い良きパパ、お父さんでありました。

さて、鹿島小学校の消滅は本当に残念なことです。奥山さん
有り難う。 でも本当ですか? 今月にも! ですか! (絶句)

「大夕張の夜」は、掲示はOKなのですが
気持を整理するための記録文章なので、どんな形にしたらいいのか
が分かりません。
事柄の一つ一つ毎に何回かに分けるか。
内容を簡素化して一回で載せるか、あるいは、
形を変えて読みやすくなるようなら、ご教示のほどを。

(427)シューパロ塾・今後の活動予定 投稿者:奥山 道紀  投稿日:07月14日(水)13時04分29秒

シューパロ塾の今後の活動予定は以下の通りです。
詳細は決定しましたら随時お知らせします。
7月18日 塾長・事務局長他で、旧鹿島小学校を会場に開かれる
「鹿島ふるさと会」で客車保存に向けた署名集め。
7月31日 10時より、住民の手で客車周辺の草刈りを行います。
客車所有者の夕張市が一切、管理をしないので、草刈りだけでも
住民の手で行います。
8月 1日 廃線跡歩きと、客車・石炭貨車見学会。午前10時
客車前集合、一旦遠幌に戻り南部・南大夕張まで廃線跡を歩きます。
11時30分より鉄道車輌の解説、昼食を各自行い、午後から
大夕張まで入る予定です。大夕張まではバスを借りる予定ですが
詳細は未定です。
また、バスも定員が限られるため参加者が多い場合は
各自の車を利用する事になります。
9月25.26日 南大夕張体育館で開かれるシューパロ展での
展示協力。鉄道模型の運転会も予定しています。
以上、現時点での活動予定です。
旧鹿島小学校校舎の解体は早まるようです。
無人地区となり、ガラスも割られ
治安上も危険と言うことで今月中にも
解体工事に入るようです。

(426)一人一人の思いをつないで・・・ 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月12日(月)18時00分46秒

内川さん,先日はバラ園で偶然お会いしましてびっくりしました。
あの日たまたま子供が花の絵を描くということになったので,近場
でと思い連れて行っただけなのに・・・。偶然って不思議ですね。
郵送していただいた『大夕張の夜』面白く読ませていただきました。
突然現る太陽に突然訪れる夜,一日の夕張岳の表情の変化・・・・
鹿島小校舎の可愛い闖入者。土地や自然と結びついた子供の頃の遊び。
一日大夕張にじっくり過ごすことで自分自身の中のふるさとがまた豊か
に甦ってくるものなんですね。
私も内川さんのように一晩かけたキャンプまではできないかもしれま
せんが,夏の一夜,大夕張の星空観察に出かけたいものだと思ってい
ます。夜の大夕張と対面してみたいと思いました。きっといつもと違っ
た感想なり感慨をもつことを期待して・・・。

そして,思い出したこと,思ったことをみなさんとわけあい,伺うい
ながら断片的な思いや思い出をつなぎ合わせ,自分の中の大夕張を
を確かめ,豊かにしていきたいと思っています。

内川さん,『大夕張の夜』,ぜひ公開バージョンにしていただけること
を期待しています。よろしくお願いします。(すみません,勝手なおね
だりをしてしまいました。)

(425)HP作りました! 投稿者:乗田 功一  投稿日:07月11日(日)04時57分16秒

夕張の産業遺産をテーマにしたHPを開設しました。
まだまだ工事中の見切り発車ですが、よろしかったら
見て下さい。
「シューパロ塾」や客車保存の話題もあります。
よろしくお願いします。

http://plaza6.mbn.or.jp/~Noritax_World/

(424)夕張が全国に誇れる花の山「夕張岳」 投稿者:今井 一郎  投稿日:07月10日(土)17時37分03秒

飯田さんと奥山さんの投稿を読ませて頂きまして、やはり、鹿島、南部地区に
住んでらした方は必ず夕張岳に何らかの想いがあるのですね。
今日の夕張岳は、も〜お、最高!!!こんな山は他にないと自慢できますよ。
AM0:50 江別の自宅を出発
  2:30 登山口より10Km手前の通行止めゲートから出発
  4:15 登山口の登山者ポストで署名
       冷水コースにて、冷水の沢、望岳台、憩沢にてタバコタイム
       前岳をかわし、湿原、がま岩、ひょうたん沼、お花畑。
       私には花の名前はわかりませんが、白、黄色、紫色の花が
       がま岩に群生をなして張り付いているとこなんぞは何と健気な
       ことか。この辺りからお花畑の先まで、お花だらけ。
       なんとまあ、「すごいすごい」の感動の言葉が自然に独り言と
       なって連発してしまう。(他人に聞かれたらはずかしい)
       登山道が「花道」となっている。花のひとつひとつはとても小さく
       たよりないが、あれだけワサワサ咲いていると、やはり「すごい」
  7:30 頂上着。風はないが、高層雲で日がささない。しかし、絶景!!!
       大雪連邦、日高方面は雲が低く山々の頂上は望めなかったですが、
       札幌、後志方面は雲が切れて石狩平野全望。手稲山、ムイネ、札幌
       岳、恵庭岳、樽前、遠くは小樽の高島、羊蹄山、積丹半島も望む。
  8:30 朝食、鳥の声と虫の羽音を聞きながら少々の休眠後出発。と、同時
       に2番手の方が頂上着。少々お話してから下山開始。
 11:30 途中、「登山者にお花はどう?」と聞かれ、
       「もう、満開で最高ですよ。お花を見れば疲れも吹っ飛びますよ」
       と云い続け、馬の背コースにてヒュッテ着。
       管理人のIさんと話し込む。Iさんも大夕張鉄道のOBとのことで
       ここでは話の花が咲く。鹿島や南部の昔の事や、ダムによる移転
       補償の不平や不正(?)を語って頂きました。
       「今度来るときはゆっくり来いや、また話しようや」
       という温かい言葉に見送られ、
 11:30 登山者ポストにて下山時刻記入
PM1:25 ピーカンの太陽の下林道をテクテク。途中、ひざがケラケラと
       笑い、足の裏に水豆ができてきて苦痛で顔が引きつりながらも
       車に到着。
追伸
 夕張岳のお花の命は短いので今がチャンス!!夕張岳もゆっくり登れば恐くな
い。でも、工事通行止めで往復20Kmの道程は余計です。しかし、登るだけの
価値は十分にありますよ。うん。

(423)霧と熊の夕張岳登山 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月09日(金)23時01分36秒

今日,私の住む札幌市西区からも夕張岳が見えていました。きっと明日は頂上からの
眺めも格別でしょうね。私は,中学3年生の時かな。奥山さんのように,3年D組の
参加者を担任の斎藤宏先生が希望者を募り行きました。夏休み期間中だったように
思います。お花畑ってどんな奇麗なところなのか,頂上からは,どんな眺めが見られ
るのだろう,大夕張の町は,富良野は見えるのかな,なんてあれこれ想像しながら楽
しみに前の日をむかえていたところ,テレビで普段はほとんど出てこない「夕張岳」
の言葉の後に,「登山道の近くに熊の足跡と糞が見つかりました。登山される方は熊
にご注意下さい・・・」というニュースが流れてきました。
職業柄,登山遠足なる学校行事もありますが,昨年は,この熊の出没のニュースで,
登山は中止になったくらいです。
この時は音の出るラジオや笛などを持っていくということになって出発しました。
大夕張駅に集合し,車に乗って白金の山小屋に行ったように思います。(小,中の記憶
は夢の中みたいなもので具体的なことがはっきりと思い出せません)
山小屋で級友達とバレーボールなどをして遊んだあと,食事をして仮眠をとりました。
夜中の2時頃,頂上に向けて出発しましたが,この頃から天気も小雨模様となり,終始
べとつく空気を体に感じながら霧の中を進み,熊よけの笛の音ばかりが耳に響き,ずい
ぶん心細く必死で前の仲間のあとをついていきました。
ます。夜が明け始めたころ,お花畑のところだよと教えられましたが,深い霧で先に進
む仲間があまりよく見えないくらいでしたからもちろん何もみえませんでした。頂上に
ついても下界の様子はもちろん,目の前にあった石の碑すら霞の中で,早々に下山して
しまいました。
大夕張駅で解散した時,登山の時の疲れと雨降る人通りの少ない駅前の様子になんだか
ずいぶんさびしい印象を持ったものでした。

これが,私のたった一回の夕張岳登山でした。天気さえよければ全然印象は違ったものに
なっていたのにといつも残念に思っています。

明日の登山は眺めもきっと格別でしょうね!

(422)夕張岳登山の思い出 投稿者:奥山道紀  投稿日:07月09日(金)21時03分38秒

今井さん夕張岳登山、天気が良ければいいですね。
先日の山登り(南部・旧若葉坑)で、途中でリタイアしてしまいましたが
私も中学校、高校時代の2回、夕張岳登山の経験があります。
中学時代は真谷地在住で、沼の沢の向陽中学に通っていました。
その時の2年A組で希望者を募り担任を引率者として
夕張岳に登りました。沼の沢から国鉄で清水沢に
駅前の店で夕食のカレーライスの材料を買い、9時15分発の
大夕張炭山行きの列車に乗りました。
昭和47年当時、既に客車を引くSLも少なくなり
級友たちは窓から顔をだしたりして大変喜んでいました。
明石町で下車し、級友のお父さんが木材運搬のトラックを運転していたので
そのトラックの荷台に乗り登山口まで行きました。
カレーの夕食が済むと、プレハブの山小屋で仮眠し
夜中に登山をしてご来光を見ました。
冷水沢、憩沢、望岳台、お花畑、がま岩、ひょうたん沼、三吉神社
色々な思い出が残っています。
級友も今では、「おじさん・おばさん」
私のように、もう山歩きも出来ない人はいないと思いますが、
この9月にはその級友たちとのクラス会があります。

(421)明日、夕張岳に登ります。 投稿者:今井 一郎  投稿日:07月09日(金)20時15分05秒

 明日、11月振りに夕張岳に登ります。
 たまたま、某病院の山の会の方と夕張岳の話をしたら、
「今年の大雪で林道が崩壊して復旧工事しているはずだよ」
との話で夕張市の教育委員会に電話をしましたら、
「林道は現在工事中で、10Km手前から通行止めです。でも、
歩いては行けますよ」

 午前2時頃からテクテク頂上を目指す事にします。

 工事は今月下旬までの予定らしいので夕張岳登山の際はご注意下さい。

(420)尋ね人の時間 投稿者:丸山直記  投稿日:07月05日(月)19時53分33秒

私の前の世代の人達はよく覚えているかもしれません。
子供の頃、夕方に遊び疲れてラジオの前で夕方の子供番組を
よく聴いたものでした。
私が待っている番組の前に必ずあるのが「尋ね人の時間」でした。
「満州現在の中国東北地方のどこそこに住んでいた○○さん、
お友達の××さんがお探しです。」
という放送がありましたね。時々子供の消息を尋ねていることもありました。
母に自分たちがいかに幸せであるかを諭されました。
本当にそうだったんですね。
今ではこのホームページが私の「尋ね人の時間」です。

(419)仮装行列 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月04日(日)23時35分55秒

中1『夕張に来た全学連』中2『西部開拓』中3『万国博』という学級のテーマ。
次の年は無かったんですね・・・。
中3の時,確か雨が降っていたのは覚えています。学級写真を見たらみんな寒そ
うな顔をしている。行列は中止だったんだ。
服装を考え,墨で顔に髭を書き,玄関横にあった(?)物置きで木材を組み,
放課後遅くまで残って何かしていたそんな時期でした。
秋くらいに行なわれたんでしたっけ。

(418)仮装行列の想いで 投稿者:佐藤次男  投稿日:07月04日(日)14時13分32秒

仮装行列というと鹿島中学校の仮装行列しか記憶になく
東高のは知りませんでした。
私が、小学生のとき鹿島中学校の仮装行列を見て、早く
中学校に入って仮装行列をやってみたいと思ったものです。
念願かなって中学1年生になり、仮装行列の準備を何日も前
から行い、ようやく当日がきてみれば雨で仮装行列は中止
翌年から仮装行列は廃止、結局仮装行列の準備だけをした
という思い出があります。
本間さんの提供して下さった東高の仮装行列の写真を見て
こんなこともあったなと、その当時のことを思い出してしまい
久々に投稿させてもらいます。

(417)緑濃くなる過去の街 投稿者:今井 一郎  投稿日:07月02日(金)23時26分46秒

「炭都」夕張を知らない方が、現在の夕張の姿を見た時どういう印象なのかを
知りたいと思います。私自身、全盛期の夕張は知りません。私は、私の住んで
いた頃の夕張が「私の夕張」であって、私の愛する夕張は「私の夕張」です。
 現在、千代田のトンネルを抜けると背中がゾクゾクします。夕張が私の知ら
ない数週間でどう変わったのか。それは自然の変遷や人工的な行為の中での移
り変わりを自分自身で、どう受け止められるか。
 例えば平和砿のズリ山。未だに熱を放ち続けるが、焼きズリの採取が始まり
赤茶の道が眩しい。ズリ山も産業遺産。今更いじって欲しくはない。ただ、そ
れは私のワガママであることは承知している。
 草木が覆い景観だけは明治以前の過去に戻ろうとする自然の生命力。人間の
価値観の個性で残したい物と風化していっても気にならない物がある。
 私とは違った思考を持つ人間が私の知る過去を抹消せんとしている姿に反す
る事はやはり私のワガママ。
 自然の生命力に未来への全権を委任するのが正当なのか?
 それであれば諦めもつくが、人工的に抹消されれば腹が立つ。

 内川さんに刺激された一人キャンプ。
 そこでの結論は
「ワガママも百人そろえば世論である」

 7月10日の夕張岳登山。
 我が愛する秀峰から見渡せば新たな考えも生まれるやも知れぬ。

 旧三菱地区産業遺産保存への想いでした・・・。

(416)「若葉坑のビール瓶について」 投稿者:奥山道紀  投稿日:07月02日(金)20時12分09秒

先月26日の若葉坑の探検の際、正木先生が持ち帰った
ビール瓶は、現在の「サッポロビール」の前身、
大倉ビールのもののようです。
開拓史の麦酒醸造所は明治19年、大倉喜八郎率いる
大倉組商会に払い下げられます。明治20年から
明治29年頃まで、大倉ビールの名で販売されてました。
瓶には「東京・大倉・ボトル」と入っておりますが
若葉坑の開発は明治44年以降のことであり、
明治20年代の瓶が再利用されていたものと思われます。
坑内の厳しい労働から開放され飲んだ、明治時代の
ビールの味はどんな味だったのでしょうか。
シューパロの展望台も消滅との報告。
跡には、巨大なダムと新しい道路しか残らないのでしょうか。
故郷が、そうならないよう声をあげなければならないのでしょうか。

(415)東小の上のブロックの教員住宅 投稿者:飯田 雅人  投稿日:07月01日(木)22時18分06秒

談話室でしゅうさんが書きこまれた東小の上のブロックの教員住宅ですが,
小学校の高学年の頃(昭和40年前後)いとこが住んでいて,よく遊びに行き
ました。いとこの父親は,鹿島中の先生だったのですが,その頃の教員住宅に
は,鹿島小の佐々木マサノ先生や,音楽の小野先生などが住んでいたことを
覚えています。
いとこと楽しく遊んだあと,家に帰る時には朝日荘前からグレーの車体の三菱
バスにのって帰りました。いとこの家は教員住宅の2階でしたが,そこの窓か
らシューパロ川にかかる鹿島橋が見え,常盤町からやってきたバスが橋を渡っ
てくるのを見て,「来た,来た!」ということで,それを合図に朝日荘前のバ
ス停に向かったものでした。

平成11年 6月 先頭にもどる


(414)展望台の解体 投稿者:伊藤  勲  投稿日:06月30日(水)19時55分46秒

  今日(6/30)、16時頃仕事で鹿島地区に唯一残っている会社
 に行きました。 鹿島に行くのは2週間ぶりだったのですが、ダ
 ム管を過ぎるといつも見慣れたものがないのです。シューパロ
 湖展望台がきれいに解体され更地になっていました。土日に 
 なるとと展望台には結構観光客が立ち寄っていたのにと、残念
 に思いました。おまけに観光案内の看板まで徹去されていまし
 た。 園芸センターの隣に残っていた民家も解体中でした。
 
  会社の工場長さんは「なにも今、展望台を壊さなくてもいいの
 に」と話していましたが、全く同感です。
 
  私は休日に度々自宅のある南部から鹿島までサイクリングし、帰
 途展望台で一服していたのですが、もうありません。明石町の
 駅舎も解体され、展望台も消えてしまいました。
 
  国策 とはいえ建造物を消してしまうスピードが速すぎる、と改
 めて感じた今日の夕方でした。

(413)客車保存について 投稿者:泉 俊弘  投稿日:06月30日(水)09時54分33秒

奥山さん、いつも新鮮な大夕張情報をありがとうございます。(先日は、資料も
ありがとうございました。)南部の車両群、たいへん厳しい状況のようで、気に
病んでおります。
 先日、昼間の番組(番組名、失念)で万字地区の現況レポートというのを見ま
した。インタヴューに登場した万字坑労組の書記長だったという方は、地区の現
況について「自分の中の負の記憶である」という旨の発言をなされていました。
炭鉱の全盛期を知る人々にとって、朽ち果てた建物や無人の廃屋などは、心の重
荷になっていることを知らされた思いです。
 大夕張ゆかりの施設・車両などの保存を訴えていくには、このような住民の意
識にも十分配慮しなければならないでしょう。行政レベルで「住民合意」をとり
つけるむずかしさが感ぜられます。
 そうであればなおのこと、外部から保存する意義や学術的価値について声をあ
げていくことがますます必要かと思います。社会学の方面でも「地域の記憶」の
もつ生産的意義に関して注目が高まっているようですので、地元や札幌、中央の
学識経験者に現状を訴え、保存に向けての行政の包囲網をつくりあげたいもので
す。博物館(石炭の歴史村)で企画展を開くだけでも、随分と全国からの注目を
集めるのではないでしょうか?−「全国区」での運動の必要性を痛感します。

(412)客車の解体について 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月28日(月)19時11分22秒

乗田さんの投稿にある通り、現在開催中の議会で
市議の多喜氏が「客車問題」につき質問したところ
市長の答弁は「財政難で解体したい」との事でした。
南部地区では過去、「鉄道公園」の要望もしており、
「客車保存に役立てて」と市民からの寄付もなされています。
それを12年間も、放置し転倒し「危険」になったから
「解体」では地元住民が納得しないと思います。
夕張市の方向性は、本当に何処を向いているのでしょうか。
歴史村や映画祭だけではなく、「炭住」や「廃線跡」などを求めて夕張を
訪ねる観光客は多いでしょう。
また、それらを懐かしく思い、再訪する旧市民も多いはずです。
これらの意見を無視するのは、夕張市にとって
大切な「観光客」を無視する事と同様です。
この不景気で工場誘致も進まないでしょう。
今後の市の振興策は交流人口の増加にあるのでしょう。
今の料金体系では「歴史村」にもリピーターは
多くは無いでしょう。
何処にでもある「テーマパーク」や、日本に数十もある「映画祭」より
「炭住」の景観や、「三弦橋」「客車・石炭車」の方が
「観光資源」としての価値は大きいと思います。
どうして、「歴史村」の背後にある
炭住を「バンガロー」に転用し活用するなどの
考えが出てこないのでしょうか。
三菱は地域振興基金として10億円、開発局からは
ダム対策基金として35億円のお金が夕張市に落ちてます。
これらは、ダム工事で直接協力を強いられる南部・鹿島地区の
地域対策に使われておらず、「歴史村」や「映画祭」の
借金の返済に当てられています。
客車の修理はたったの2000万円です。
市民に関心を持ってもらうのも大切ですが
外部からの働きかけも大切でしょう。

(411)客車保存について 投稿者:乗田 功一  投稿日:06月28日(月)00時43分41秒

現在発売中の『Rail Magazine』8月号に、南大夕張の客車群
についての奥山さんの投稿記事が掲載されています。
最近の奥山さんからの情報によりますと市側では車両という形
での保存は考えていないようで、解体・部品として保存という
意向ということです。
しかし、これではあの車両たちの本当の価値を残せません。
たしかに例えば3軸ボギー台車や室内灯などの今ではなかなか
見ることのできない「部品」としての価値は大きいのですが、
3軸ボギー車が車両としての形で残っているのは日本では南大
夕張だけでしょう。
最近、全国で産業遺産としての鉄道関係の認定物件が増えてき
ているようですが、この南大夕張の車両ももう少し注目されて
もいいと思います。
そして鉄道専門家達の問題としてだけでなく、大夕張地区の貴
重な生き証人としてこの地に保存し、大夕張を語り続けていく
事を望みます。

(410)若葉抗の跡 投稿者:飯田 雅人  投稿日:06月27日(日)23時37分10秒

若葉鉱「探検」,昨日参加してきました。
大夕張の黎明期,明治44年6月に開坑されたという若葉抗で
すが,当時は褶曲断層が多く,開発に困難を要したそうです。
従業員数が1000人前後いたということを事前に聞いて,出発
しましたが,十分その跡は感じることができました。山の中に続く
切り通しになった広い道の跡,整然と植林された住宅地の跡,広い
道の跡から上に続く狭い坂道。
北部大夕張に中心が移ることになり,放棄されてほぼ60年。
長い歳月を経ても人々の営みの痕跡を,たとえ笹に埋め尽くさ
れ木々に覆われようと感じることができたのは驚きでした。

水没する鹿島は,本当に何もなくなってしまう,それだけに意図的
に何かを残していかなくては,とあらためて思いました。

それが,三菱大夕張鉄道の放置された客車や,三菱バスの保存で
あり,私にとっては,このHPにお話してくださる皆さんの一言
一言が貴重なものに思えるのです。

時が人の生活の跡を消し去るには,ものすごく長い時間をかける。
ダムは,人が・・・。

「探検」の跡は,大夕張まで,足をのばしていってみました。

とうとう明石町駅が壊され,駅は消滅しました。
建物がほとんどなくなった大夕張。鹿島小の校舎は健在でしたが,
閉校して1年以上が経ち,やや荒れた雰囲気を漂わせ,やりきれな
さを感じさせます。

大夕張駅の跡地で,シートを広げている家族,代々木町と栄町の間
の道路上でのんびりと座り、食事をしている家族,弥生町の長屋跡
から花を掘り返して積み込んでいる家族の姿など,さびしさの中で
にぎわいを見せている大夕張でした。

(409)想いは大夕張へ 投稿者:坂井郁夫  投稿日:06月26日(土)23時03分37秒

奥山さん、今井さん、そして探偵団改めシューパロ塾の皆さん、本日は参加で
きず申し訳ありませんでした。次回は是非参加させていただきたいと思います。
飯田さんにも是非、お会いしたかったのですが・・・・

今度は家族で訪れたいと思います。

(408)ヘビ(?)とカエルに囲まれた南部の夜 投稿者:今井 一郎  投稿日:06月26日(土)20時26分42秒

 本日の「シューパロ探偵団」の若葉坑探索はいかがだったのでしょうか?
 前日の雨で足場が悪そうでしたね。
 私は昨日金曜日午後8時頃より南部小学校の記念碑の前の辺りでテントを
張ってキャンプをしていました。なかなか適当な場所がなかったんですけど、
テキパキとテントを張って、中にもぐって書き物をしていたらとたんにカエ
ルの大合唱。数百匹はおおげさでなく、やかましくて。電灯を持って外に出
たら、いるわいるわ、小さな雨ガエル。電灯を照らした部分だけ鳴き止み、
ずらすと鳴きはじめる。けっこう面白くて20分位カエルに遊んで頂きまし
た。
 午後10時頃より飯田さんに送って頂いた「湖風葬」を読みはじめたら、
テントの周りのカエルが泣き止んだのです。おかしいな、と思っていたら、
「フ〜ッ、フ〜ッ」と何かの動物のうなり声がして背筋がぞっとしました。
その謎の動物はテントの周りをうなり声をあげながら回っているのです。
 山にはいって動物の気配がしたら、危険か否かは消去法で動物の特定を
しますが、どうも熊さんの様子ではなく、うなり声の発する位置が低いの
で鹿でもない、おそらくキツネかなと思いましたが、キツネにかじられて
も大変なのでジッとしていることにしました。シュラフに潜り、電灯を消
し神経をそのうなり声に集中していたら、ツンツンとテントをつつくんで
す。テントの隣の車からも鉄板をたたく音がコンコンとするのですよ。
 月夜の晩は美しいなんてとんでもない。ただ、電灯を消しても日本酒と
カップの位置はわかりましたので唯一のありがたさです。もう、こうなっ
たら酒しかない。日本酒をあおり、いつのまにか寝てしまいまして、気が
付いたら午前3時過ぎ。まだ居ました。怒っている動物。相変わらずテン
トの周りを「フ〜ッ、フ〜ッ」とうなりながら回っています。昨晩はカエ
ルの声でわかりませんでしたが、「ゾロゾロゾロ」って地べたを這うよう
な音も聞こえます。まさかと思いましたが辺りが明るくなるのを待ってチ
ラッとテントの窓から覗くと極太のヘビがいました。チロチロと舌をだし
ていましたが、ヘビがあんなうなり声をあげるのでしょうか?
 午前5時、早々に撤収し、何をしに南部でキャンプをしたのかわからぬ
まま本日の浜益村の黄金山登山のための待ち合わせ場所へ。
 まずまずの天気で、そちらはそちらで充実していましたが、先程帰宅し
不思議な24時間だったなと回想しております。

追伸
 飯田様、次にお会いできる機会を楽しみにしております。
 チャットの方では第2回オフ会のお話が出ていましたね。

(407)シューパロ塾発足 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月26日(土)19時35分43秒

従来の「シューパロ探偵団」を改め、「シューパロ塾」が正式に
発足しました。
3回目の活動は「大夕張炭鉱」の原点である南部大夕張時代の坑口探検
客車前に10時に集合し、当時の地図で説明を受け、
参加者15名程が旧南部小学校横の旧道を登りました。
最初に到達したのが、「六尺の沼」あまり大きくはありませんが、
こんこんと水が流れ出ています。
藪をこぎ、倒木をよけ進みますが、
次に旧「福山坑口」近くから湧く出る、の「夕張温泉」の源泉に
たどり着きます。沢の周りに析出物が沈殿し
「硫黄臭」がします。
皆んなわ、さらに登りますが、小生、足をつり、あえなくリタイア
一人で心細く山を下ります。
ガサガサと笹薮が揺れ驚きます、あれは「熊」だったのでしょうか?
なんとか、下におり全員の帰着を待ちます。
2時半頃でしょうか、皆帰着し様子を聞くと
残念ながら「若葉坑口」は見つからず
かつての炭住跡からビール壜を持ち帰ったとの事。
その壜には「東京・大倉・ボトル」との記載があり
大正から昭和初期のものでしょうか。
その後、山影さん宅で会則・今後の活動予定を話し散会しました。
飯田さん、どうもご苦労様でした。
大夕張の開発は、さらにあの山を越え、北部に達していたのでしょう。
あらためて先人たちの苦労を思い知りました。
また、ゆっくりとお話出来ればと思います。

(406)南部小学校の思いで 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月24日(木)20時25分51秒

今井さん、南部小でキャンプとの事。
天気が良ければ良いですね。
私は小学校三年生まで南部小学校に通いました。
青葉町の営林署の官舎から
森林鉄道の夕張川横断橋を渡り、貯木場、大夕張鉄道の営林署岐線を
通り、矢板医院の前に出ました。
学校の下には南大夕張駅があり、機関車を見るのが楽しみでした。
今では学校も閉校になり、校舎の跡には、校歌の刻まれた記念碑があるだけ。
その下の駅跡に残る客車等も喪われようとしています。
26日、南部に行きますが地元の人々と何とかしなければと思います。
鈴木助役にも、状況を連絡して頂ければと思います。

(405)夕張岳 投稿者:今井 一郎  投稿日:06月23日(水)22時29分04秒

 朝、事務所へ向うときに正面に夕張岳を望める場所があります。
石狩平野の殆どの場所から望める夕張岳ですが、前岳との関係で
色々な形が楽しめます。羊蹄山や利尻山の様に整った形の山も好き
ですが、夕張での様々な想いのこもった夕張岳は私にとって最高の
山なのです。
 3年前に「軟弱登山の会」を発足させ、年1度の樽前山7合目から
の、まさに軟弱な登山の会だったのですが、昨年より硬派な女性会員
の出現により「夕張岳の会」を発足させました。去年は8月9日。今年
は7月10日。4月に決めてから心ワクワク。遠くから眺めても、登って
も素敵な山ですし、今年は天気の良い日が続いているのでとても楽し
みです。
 26日の「シューパロ探偵団」第3回集会は南部の若葉坑跡探索で日程
が決まるまでは楽しみにしていたのですが、4月に浜益の黄金山登山の
日と決めていたので参加はできません。でも、金曜日の夜から南部小
学校跡で一人でキャンプを張る予定です。内川さんの「大夕張の夜」
に感動しまして、12年振の「南部の夜」で、夕張での私の青春を回想
したいと思います。大夕張を拓いた先人に敬意を表し、気持ちだけは
「シューパロ探偵団」に参加いたします。

(404)時間を超えて 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:06月20日(日)21時19分11秒

応援歌のメロデイ,30数年ぶりで聞きました。
本当に「懐かしい」の一言に尽きます。飯田さん,内川さんありがとうございます。
「せきがくのみね」が「夕張岳」とは,恐れ入りました。
飯田さんが打込んだ「メロデイ・ライン」も僕の記憶と同じです。
それにしても,PCを通じて,長い時間のトンネルをくぐり抜け鹿島小学校の「応援歌」
を聞くことができるとは,本当に感動的です。

(403)応援歌 ふたたび 投稿者:飯田 雅人  投稿日:06月20日(日)20時20分21秒

応援歌の歌詞をみて,自然とメロディが口をついて出てきます。意識して記憶さ
せているわけではないのに。
どうしても音を鳴らして見たくて,今日の休みを利用して子供のキーボード片手
に音を拾っていきました。
30年以上,歌ったこともなかったのに,(歌詞を忘れてしまっていたくらいです
から当然ですが)一応,全部それらしく鳴りました。

意識の中に眠っていた音ですから,間違いがあるかもしれません。ご意見ご感想を
お聞かせ下さい。

歌詞をはっきりさせてくれた,内川さんに感謝します。

(402)風の便り 投稿者:鹿島一番地  投稿日:06月18日(金)20時31分12秒

大夕張の鹿島小学校は8月にも解体の入札があるということです。
そうなると9月にはもう姿を見ることはありません。
建物が無くなるということは,想い出は,すごく辿りづらくなります。
大夕張がいよいよ消えます。

最後の対面をしようと思いながら,未だ済まされていない方々の為に…。

(401)二曲とも歌えました! 投稿者:飯田 雅人  投稿日:06月16日(水)20時23分37秒

運動会シーズンも終り,でも鹿島小の応援歌ずっと気になっていました。
応援歌二曲あったんですね。私の頭では二つが一緒になっていたようです。
思わず声に出して歌ってしまいました。
二曲とも歌えました。我ながら不思議です。
「せきがくのみね・・」当時意味も知らず歌っていましたが,
なるほど,「夕岳の峯・・」だったんですね。なっとく。

(400)鹿島小学校の応援歌 投稿者:内川 准一  投稿日:06月16日(水)17時27分39秒

以前から議論のあった応援歌の疑問が解けました。
鹿島小学校の応援歌は二つあります。

昭和36年の文集「松風」を見ますと、「運動会が6月4日に決まった。」とあり、続けてクラス担任が
「歌詞が難しすぎて、意味が分からず、練習が前に進まない。」と嘆いているのが笑えます。
以下はその応援歌です。かな使いは文集のままとしました。
「せきがく」は「夕岳」のこととは全く知りませんでした。感動!


鹿島小学校応援歌ナンバー1

紫に朝雲破れ東の空映え渡る常の日の力の限り試めさばやいざきょうの日に

夕岳の峯いや高く吾が心かくあるならめくろがねのかいなとともにかざさばや勝利の美花を

鹿島小学校応援歌ナンバー2

しろの健児の応援は富士見が丘になりひびく
われらのけんわんけんきゃくをためすは今ぞこのときぞ
どうせかつならさっぱりときれいに勝てよわがせんしゅ

(399)客車は解体か 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月12日(土)11時33分26秒

大井川鉄道でSLの動態保存を行っている、
日本ナショナルトラストの米山事務局長に
南大夕張の客車について、夕張市とコンタクトを
取ってもらいました。
以下、米山氏からの返信です。

拝啓 新緑の候お元気ですか、
いつもながらお世話さまです。
さて、お問い合わせいただいた夕張の件ですが
遅くなりましたが、畠中さんに電話しました。
・修理に2000万かかること
・土地が市のもので無いこと
・車の維持管理にお金がかかること
・市の財政が逼迫していること
・ダムの整備で道路が拡幅されて用地が生み出せない事等
の理由で車両は解体して部品を保存したいとの
ことでした。
地区民はやる気がありますが
政策として市がやる気がないので
これを切り崩す力が必要です。
住民と市で再度話してみて下さい。
お願いいたします。

結論として、市は保存したくないみたいです。
解体するにも、お金はかかるはずです。
石炭貨車1両くらいの整備費くらい生み出せるはずです。
土地も、いますぐ移転の必要性は無く、
それまでに、何年かかけ、修理・補修を進めれば良いのです。
2000万円が無理なら、毎年500万で4カ年で直せます。
財政が逼迫しているなかで、住民生活と関係の無い、
歴史村の新しい遊具の建設が進んでます。
住民の要望があり、さらに住民からの寄付を
受けているのに、今更解体は無いものと思います。
ナントか、役所の政策を切り崩す必要があるでしょう。

(398)とりあえず記帳 投稿者:たかし  投稿日:06月11日(金)23時32分21秒

何もなくなった大夕張のようです。この夏に確認に行きます。
この間、大夕張神社跡地から撮影した夕張岳の写真を見ました。
懐かしいですね。いい山です。今は、あのフモトにも道路が出来
芦別方面から通過が可能になっていますね。ダムが出来るとどうなる?

ではまた。

(397)奥山道紀さんへ 投稿者:伊藤  勲  投稿日:06月11日(金)20時44分43秒

メールアドレス見つかりました。
恥ずかしい話ですが、パソコン歴4年で電子メールを使ったことがありません。
大夕張掲示板を見て自分も投稿しようと思っていましたが、アドレスを書いて
ある書類がないのです。パスワードは暗記していたのでホームページの閲覧に
支障はなかったのですが、奥山さんからメールアドレスの照会をきっかけに捜
しました。
これからはE−mailを活用します。ありがとうございました。

 アドレス : isao5011@seagreen.ocn.ne.jp

(396)「若葉坑」探検のお知らせ 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月11日(金)18時56分02秒

先日、20日と連絡した「若葉坑」の探検が
26日(第四土曜日)に変更となりました。
参加希望者は、当日午前10時までに南大夕張駅跡の
客車の前に集合して下さい。
若葉坑は明治44年開坑の坑口で「南部大夕張」時代の中心的な
坑口です。旧南大夕張駅の北方4キロ程に位置しており
当日は軽い登山の準備を願います。
昼食は持参・飲料水も用意したほうが良いでしょう。
10時より登り始め、2時間で「坑口」、そこで昼食をとり
下山の予定です。雨天の際は中止します。
旧坑口の探訪は、地元の人の案内が不可欠ですので
是非、ご参加下さい。

(395)大夕張の夜 3 投稿者:内川 准一  投稿日:06月10日(木)18時14分23秒

訂正です
前日載せた「大夕張の夜2」に間違った表現がありましたので訂正させて下さい。
鹿島小学校の校舎は、「まだ」 あります。
おかしな表現をしてしまいました。すみません。
それと、大夕張の夜は、決して無音の世界ではありません。
昼はハルゼミの世界。夜は富士見町方面のカエルが支配しています。
その間の時間は、カッコウ、ツツドリ、ジュウイチ達が、そして、結構クルマの音が響きます。
しかし、それにも拘わらず、心の中では、静かな時間が流れていきます。

何処としなく、しいいと、蝉の鳴きけり、はや、蝉頃となりしか・・・」
この詩は、どこで習ったのだったろうか・・・・・?

(394)大夕張の夜 2 投稿者:内川 准一  投稿日:06月09日(水)19時24分39秒

先日は本当に充実した週末を過ごすことができました。
探偵団に参加して、幌南小学校で鹿島小の古い資料と対面できましたし、
これの保存に尽力してくださった正木先生外の方々からいろんなお話を聞くこともできました。
32歳の三菱バスが走る場面に立ち会うこともできました。
本当に嬉しい限りです。
客車も何とか整備保存して、その姿を留めたいものです。
けれども、大夕張そのものは消滅しようとしています。
私は、今、初めてそれが分かった気がします。
斉藤さんが、先日、この掲示板にも書かれたとおり、「今、大夕張は無くなろうとしている」のです。
しかし、校庭で過ごした一日は本当に充実した時間でした。
9時を回ると交通も途絶えて静かになります。
取り残された家が10戸ほどあって、だいだい色の街灯が無人の町を照らしているのが寂し気です。
小学校は黒々と月夜の中に沈んでいます。
校庭に反響音を響かせていた鹿島小はもうありません。

熊さんの訪問も、霊さんの出現も無く、ひたすら静かな夜でした。
南部の山影さんから戴いた自費製作の本を読みながら過ごした夜でした。大変お世話になりました。

6日の朝は最高の天気。
山霧が晴れるほどに視界が広がっていく。
緑濃い山々と山陰から現われる真夏の白い雲。
それらが青い台紙に張り付けたもののように見えて現実感が薄い。
空が丸い。前岳が神々しい。
これこそ37年ぶりに会う大夕張の朝でした。本当に有り難う。

短く書くつもりがついつい長くなりました。すいません。
際限なしになりそうなのでこの辺で止めます。
けれど、校庭キャンプは、お勧めできます。
ただし、水の用意と若干の蚊、ブユ対策はしてください。

(393)保存会のこれから 投稿者:蛯子 隆一  投稿日:06月09日(水)17時37分08秒

飯田さん、奥山さん、乗田さん、どうもありがとうございます。あのバスは私個人
の作業だけでは到底ここまで辿り着くことは出来なかった筈です。保存会内部と探
偵団、そして地元の方々のご協力があってこその結果です。乗田さんの仰る様に私
も鉄道群とともに(屋根付が望まれますが)並べることが出来たらと思っておりま
す。整備した後は石鹸が灰色になる位、炭塵で体が真っ黒になり、改めてこの地が
“石炭で栄えた街”と云うことを感じさせられました。新聞記事を読み興味を示さ
れたバス趣味人も居らっしゃるようですが、車自体よりも、炭坑・ダム建設と云っ
た国策で運命が決まった街についての知識を深めて欲しいですね。飯田さんにはこ
の掲示板を通じて皆さんとお知り合いになれたこと、奥山さんには探偵団の出会い
など人との繋がりの場を設けて頂き感謝しております。これから何年掛かるかわか
りませんが、盗難に遭った部品の確保→塗装剥離→板金・防錆作業→塗装の工程を
こなさなければなりません。いつの日か皆様の目の前に“三菱(鉱)バス”をお見
せ出来るよう会員一同力を合わせ努力致します。

#今井さん、「山史」ご苦労様でした。鉄道の歴史を見ることで大夕張を支えた一
#大企業、そして街の歴史の一部を垣間見られたような感じがしました。

(392)「祝」三菱バス保存 投稿者:乗田 功一  投稿日:06月08日(火)23時12分26秒

蛯子様、三菱鉱バスの保存の件、本当にご苦労様です。
かつて大夕張で生活してきた者にとって、とても身近で誰もがお
世話になった車両ですね。
大夕張が消滅してしまった今、大夕張を後世に伝える物として非
常に貴重な物だと思います。
大夕張出身者として蛯子様のご活動に感謝いたします。
願わくば、いつの日か大夕張鉄道の車両と共に適当な場所で保存
できれば良いのではと思います。

奥山様、FAX感謝します。
北海道新聞の記事はWeb上で読むことができます。URLは、

http://www.hokkaido-np.co.jp/News/Stock/990607/0021.9782.html

となっています。

(391)三菱バス記事について 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月08日(火)20時10分44秒

保存会の記事は
読売新聞のほか、道新の空知版にもありました。
空知管内の図書館等で閲覧出来るでしょう。

(390)回想  投稿者:今井 一郎  投稿日:06月07日(月)23時26分54秒

 半年以上、飯田さんの「ふるさと大夕張」のホームページをお借りして
三菱大夕張鉄道の「山史」を連載させて頂きました。今、私は飯田さんに
本当にありがとうございますと、文字ではなくお会いしてお礼を伝えたい。
 雪が降る前に始まり、出張先にもノートパソコンと色褪せた「山史」を
持参し、なるべく早く打ち終えるように努力はしたもの、季節は移り変わ
り夕張では山の深い緑にセミの声。夕張ってこんなに四季がはっきりして
いる処なんだなと今更ながら再認識し、仕事さえあればもっと、こんなに
素敵な夕張に住んでいたかった。
 中学生の頃、ある人に「邂逅」という言葉を教わり「偶然の巡り合い」
がこんなに素晴らしい事であるのを20年以上を経て心に刻めました。
 飯田さんのホームページとの出会いはたくさんの方々との出会いの扉で
した。たくさんの方からメールをいただき、ハリマオさんとの出会いは
中学生の少年との大夕張・美唄炭砿跡地巡りとなり、奥山さんとの出会
いは「シューパロ探偵団」になり、坂井さんとの出会いは蛯子さんとの
出会いとなり「三菱バス保存会」の仲間入りとなり、
本当の意味で私の青春だった、たった3年数ヶ月の南部での生活を思い
起こし、つらい思い出で泣き、楽しい思い出で笑える期間でした。
そして、夢が広がって来ました。「三菱バス保存会」の蛯子さんや
坂井さんの背中をみて、私もバスが欲しい。動く古いバスを夕張バス
の塗色にして夕張市内を運転してみたい・・とか。
 妻にちらっと言ってみたら「ばかな事いわないで」と予想通り。
 でも、いつかは実現します。

(389)山史最終回!ご苦労様でした。 投稿者:飯田 雅人  投稿日:06月07日(月)23時24分37秒

今井さん,昨年11月から7ヶ月という長期にわたり貴重な大夕張の資料の連載
ご苦労様でした。今後は今井さんの打ち込みを元に,表形式で表わしたり資料を
より見やすかたちで表現するなど今後も山史のページでHTML化を続けて行きたい
と思います。時間はかかると思いますが,山史のページは折りをみて,今後も更
新を続けていくつもりですので,何かあればよろしくお願いします。

(388)山史(最終回) 投稿者:今井 一郎  投稿日:06月07日(月)22時21分27秒

山史(最終回)
   三菱鉱業株式会社 大夕張鉄道

自、明治39年〜至、昭和38年  58年史
   (前投稿からの続きです)

昭和36年 1月14日  国鉄準急夕張運転開始
  36年 2月 1日  社線各駅より準急券発売開始
  36年 3月 9粁300切土工事着手
         開拓橋を白銀橋と改称
  36年 4月 1日  夕張工業高校道立移管
  36年 4月 6日  国鉄旅客運賃改正 粁当賃率2円75銭
         貨物運賃改正35粁243円 石炭賃率35粁243円
  36年 4月 9日  9粁300工事完了新線切換
  36年 4月    葡萄山隧道閉鎖工事完了
  36年 4月28日  3粁付近機関車飛火で山林火災発生
  36年 5月 1日  美鉄バス、三菱鉱業バスと改称
  36年 5月 3日  9粁付近タンク車脱線
  36年 6月 1日  千年町駅売店開業
  36年 6月 3日  夕張バス、清水沢駅前より札幌急行運行開始
  36年 二股ダムえん堤高欄取付 機械設備撤去
  36年 6月27日 南大夕張、明石町駅観光記念スタンプ備付
  36年 7月 1日  石炭運賃延納取扱実施(除 社線発)
  36年 7月 3日  明石町駅乗降場に観光案内標建植
  36年 8月    えん堤管理事務所新設工事着工
  36年 9月25日  夕張観光株式会社発起人会 総代大夕張砿業所
  36年10月 1日  連絡小口扱貨物貨車直通開始
  36年10月14日  三菱バス 夕張岳線路線踏査
  36年11月25日  夕張観光株式会社設立総会
  36年11月27日  同上登記完了
  36年12月 4日  旧青葉峠落雪覆取りこわし開始
  36年12月21日  社線着代金引換小荷物の取扱開始
  36年12月22日  二股ダム湖水名をシューパロ湖と決定

昭和37年 1月11日  準急夕張DC社線乗入本店経伺
  37年 2月10日  シューパロ湖道立自然公園に指定
  37年 2月21日  北菱香取坑送炭終了 
  37年 3月15日  シューパロ湖駅起業申立
  37年 3月30日  石炭運賃延納
  37年 4月 1日  鹿島高校全日制開校
         鉄道労災保険料改正
  37年 4月 7日  8粁400陥没
  37年 4月18日  9粁300線路旧道床に移設
  37年 5月 1日  第1種急行券発売開始
  37年 5月    えん堤管理事務所落成
           南部開発岐線撤去
  37年 5月18日  運輸大臣宛シューパロ湖駅新設実施届提出
  37年 6月 1日  シューパロ湖駅開業
  37年 6月 8日  北菱香取坑ポケット撤去
  37年 6月10日  湖畔亭開業
  37年 6月17日  観光会社現金鉄道で輸送開始
  37年 7月 1日  車両料金美唄鉄道と一括計算
  37年 7月 4日  陸運局運転監査
  37年 9月 1日  第2種急行券発売開始
  37年 9月26日  9237号蒸気機関車 芦別専用鉄道に譲渡
  37年10月 6日  鹿島道路開通
  37年10月 7日  夕張急行バス運行開始
  37年10月11日  芦別専用鉄道より9606号蒸気機関車入線
  37年10月    9粁付近工事終了をもって移設工事完了
  37年10月27日  社発石炭運賃通算制申請
  37年10月31日  同上認可監第1072号
  37年11月 1日  同上実施 石炭賃率実収約215円
               読売新聞後払契約締結
  37年12月 2日  明石町駅小口貨物及び荷物配達作業廃止
  
昭和38年 1月23日  9201号蒸気機関車芦別専用鉄道に譲渡
  38年 1月30日  芦別専用鉄道より9607号蒸気機関車入線
  38年 3月31日  苫小牧港完成により送炭開始
  38年 5月 1日  遠幌駅売店開業
  38年 5月 5日  バス運賃改正
  38年 5月21日  シューパロ湖駅一時限り連絡運輸申請
  38年 5月27日  貸切バス認可
  38年 5月29日  大夕張駅待合室公衆電話設置
  38年 6月 5日  貸切バス実施
  38年 6月10日  シューパロ湖駅一時限り連絡運輸実施
  38年 7月 5日  山史編集委員会発足
  38年 7月13日  社線旅客運賃変更認可申請
  38年 8月 9日  遠幌駅売店休業
  38年 8月28日  夕張バス 清水沢からの札幌急行3往復に増加
  38年 8月30日  社線旅客運賃変更申請修正書提出
  38年 8月〜9月 老朽車両(ハ3、4外貨車3両)廃車
  38年 9月 1日  大夕張炭山保線業務請負 北夕後払契約締結
  38年 9月30日  遠幌駅売店廃業
  38年10月 1日  大夕張産業、北菱建設工業株式会社と改称
         夕張バス 夕張鉄道に合併
  38年10月14日  通勤列車を廃止し自家用バス運行開始
  38年10月27日  小学校通り踏切遮断機使用開始
  38年10月31日  シューパロ湖駅一時限り連絡運輸終了
  38年11月11日  千年町駅業務委託
  38年12月16日  旅客運賃変更認可 鉄監第1218号
  38年12月25日  社線旅客運賃改正実施 旅客賃率3円
         大夕張・清水沢間50円
         夕張急行バス 北高前及び炭砿病院前に停留所追加新設

以上、三菱鉱業株式会社大夕張鉄道 山史 明治39年〜昭和38年 58年史の
掲載を終了いたします。ありがとうございました。

元三菱石炭鉱業南大夕張砿業所鉄道課南大夕張駅外勤 今井 一郎

(387)「明日萌」駅にて 投稿者:飯田 雅人  投稿日:06月07日(月)19時48分39秒

崩れかけた石のホームに立ち
峠の向こうから小さな汽笛が響く
3両の客車を引いたC11が
小さな駅に黒い煙を上げながら
力強く 入ってきて 止まった。
断続的に 吹き上げる白い蒸気と音
黒くたくましくて
でもどこか人間的くさい蒸気機関車に
遠い日の記憶が重なる。

SLすずらん号として復活したC11は
留萌線恵比島駅に土日と夏休み,
午後12時18分と,午後15:27分
に到着します。

追伸 その1)
奥山さんからのお話ですが,8日午後1時から
TVHで「新網走番外地・嵐を呼ぶ知床岬」
という映画が放送されるそうです。
昭和46年に大夕張鉄道で撮影されたものです。
私が最初にこの映画の話を聞いたのは,当時まだ
大夕張にいた中学校時代の友人からです。
「高倉健が大夕張にきたぞ」という話として聞きました。
「遠幌の鉄橋を渡る混合列車」「シューパロ湖沿いを行く列車
での乱闘シーン」等が登場するそうです。

追伸 その2)
5日の南部での三菱バス,探偵団の活動ご苦労様です。そして
ありがとうございます。
三菱大夕張ゆかりのもの達が保存に向けて動き出したことは,
鹿島小校舎が失われようとしている今,たいへん心強いかぎりです。

(386)保存会の皆様ご苦労さまです。 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月07日(月)19時02分29秒

大夕張〜美唄〜南部へと
無事帰着ご苦労さまでした。
当日の様子は今日の読売新聞に出ていたようで
FMエアーGでも照会されたようです。
これから修復を行い、地元でのイベントにも
活用出来たら素晴らしいと思います。
鉄道車両もなんとか後に続きたいものです。
蛯子さん、酒井さん、今井さん、その他の
皆さん本当にご苦労さまでした。
蛇足ですが明日、TVHで「新網走番外地」が放送されます。
これは、昭和46年に大夕張鉄道で一部撮影されたものです。

関心のある方はビデオチェックしてください。

(385)続:三菱バス保存会 投稿者:蛯子 隆一  投稿日:06月07日(月)18時41分42秒

今井さんの書きこみにも御座いますように、シューパロ探偵団の活動日と同日に目
出度くバスを移動させることが出来ました。この場をお借りして改めて皆様に御礼
申し上げます。ここまで来る事が出来ましたのも私共保存会の力だけでは無く、探
偵団の方々や大夕張や南部を愛する皆様のご協力があってこその賜物でした。本来
ですと仕方なく函館の置き場に移転するところを、探偵団で知り合ったM先生やY
さんのご協力でかつて活躍していた土地から離れる必要が無くなりました。親友が
発見してから1年半、雪降ろし、移転先の確保、故障個所の修理など大きなハード
ルを幾度も超えてここまで参りまして、6月5日、イサオ製作所が廃車にしてから
11年目にして「再び走る事がなかったであろう」大夕張の路を自力で、永い眠り
を覚ますかのように元気よく走りました。夕刻、南部に無事到着すると「あら懐か
しいわね」と子供を連れた2人の奥さんがバスを見学してゆき、私にはその光景が
とても嬉しく映りました。それだけでも今までの苦労が報われた気がしたからで
す。「人の心が温かい街・夕張、そして南部、大夕張」・・・私は大好きです。

<TT>追伸:バスは解体の運命を逃れ、再び命を得ることが出来ました。南部</TT>
<TT>   の客車群も再起することを切に望みます。          </TT>

(384)三菱バス保存会 投稿者:今井 一郎  投稿日:06月06日(日)06時57分06秒

 とうとう私も仲間に混ぜてもらった「三菱バス保存会」。
 昨日、大夕張にて十数年たたずんでいた元三菱(鉱)バスが、南部に移動
されました。車庫の中に忘れ去られたように眠っていたバスは、発見された
時には現役当時のままの奇麗な姿でしたが、車庫が大雪で倒壊し屋根に損傷を
受け、表に出されると心無い者のいたずらで部品が盗まれたり壊されたり、
また、大夕張の厳しい自然環境でかなりみすぼらしくはなったものの、
仮ナンバーを付けられたバスは昭和42年のエンジンのうなりをあげてダムに
沈む街、大夕張を後にしました。
 途中「シューパロ探偵団」の集会と合流し、保存に協力して下さった美唄の
美鉄バスの本社に向いました。なんと高速道路も走ってしまい料金所の方も
驚いていました。
 このバスで昨日、ドラマも生まれました。
 我々がバスを美鉄バスの構内に駐車し、美鉄バスの管理職の方々とお話を
しているとき路線バスが戻ってきました。この運転手さんは元大夕張営業所で
働いていたとのことで、昨日が誕生日。定年で最後の乗務の日でした。勿論、
復活したバスにも乗務されていて、思いがけないなつかしいバスの前で花束を
渡され涙を拭くシーンもありました。その後、定年の運転手さんが運転する
元三菱バスに管理職の方々も乗り込み美唄市内をくるっと一回り。
 美鉄バスに別れをつげて再び高速道路で岩見沢へ。そして南部の
保管場所に落ち着きシートを被せて昨日の移動大作戦は終了しました。
 これから時間を見つけては外観の修正や車内の掃除、メンテナンスをして、
いつの日か「三菱(鉱)バス」として皆様にお披露目します。
と、新オーナーの蛯子氏は熱く語っております。

(383)ノートとボールペン 投稿者:斎藤 敏幸  投稿日:06月05日(土)19時32分50秒

今日妻と子供たちを新千歳空港まで送って行った帰り,大夕張を訪ねて
みました。
大夕張とは,およそ2年ぶりの再会です。2年前は大夕張がとても小さ
くなったような気がしていました。今日は,大夕張がどこか遠い所へ消
え去ってしまったような気持ちになりました。
建物がなくなってしまうと目印となるものがなく,元住んでいた場所で
さえおおよそでしか確認できませんでした。
唯一,鹿島小学校の存在だけが遠い昔を語ってくれました。校舎の玄関
の横には,木箱の台の上にプラスッチクの収納ケースが置かれていまし
た。近づいて見ると,中にはノートとボールペンが雨に濡れないように
入っていました。そこには訪れた人たちが思い出を書けるようになって
いました。
グランドには,黄色いタンポポの花が一斉に咲いていました。池田屋食
堂の跡地にも,本間商店のあった場所にも,タンポポをはじめ野の花た
ちが咲いていました。そして,ウグイスたちもさえずっていました。目
を閉じると鳥たちのさえずりの他,セミの声とカエルの合唱も聞こえて
きました。
何にもなくなってしまた原っぱから大夕張神社に目を移すと,沢山の黄
色い旗が風にたなびいているのがはっきりと見えました。
神社に登り確認すると「鹿島中学校第26期卒業生」と刷り込まれた寄
せ書きがありました。次男君,成松さん,長谷川さん,早苗さん,稲村
さんたちの同期会の作品です。
かなりよじれていましたので,元に戻し広げ直してきました。
訪れるたびに,町は姿を変えてしまいますが,鹿島小学校に置かれてい
た収納ケースの中のノートとボールペンが心をなごませてくれました。

(382)探偵団2回目集会について 投稿者:奥山道紀  投稿日:06月05日(土)18時38分08秒

探偵団2回目の活動は本日9時より幌南小学校資料室を見学、
その後、空き教室を借り13時まで展示資料の感想、
これからの街作り、会の今後の活動につき、活発に意見が
交換されました。
参加者は地元夕張市内だけでなく、室蘭市、遠くは埼玉県と
約25名程の参加者がありました。
夕張市議も2名参加していただき、三菱大夕張鉄道の車両に
ついての説明がありました。
やはり、車両の所有者は夕張市であり
今後の、復旧・整備ついて夕張市に働きかけていただけるとの事でした。
しかし、市に任せるのでは無く、どこかに住民との接点を
つくり、単に車両の保存だけでなく、それをイベントに活用するなり
する必要があると思います。
また、「三菱バス保存会」の皆さんも
車両の移動の途中に寄っていただきました。
かつての、住民たちの足がよみがえったのは
大変意義があり、また地元での保存は喜ばしい限りです。
今回の集会には「北海道新聞」「読売新聞」「夕張タイムス」の記者の
方々も取材に来ており、いずれ新聞報道されると思います。
3回目の集会は20日に「大夕張炭鉱」の原点となった
かつての「若葉坑」跡を探検します。
追って、集合時間・場所等を連絡します。
末筆ですが今回、大変お世話になった、「幌南小学校」の方々に
感謝いたします。

(381)大夕張の夜 投稿者:内川准一  投稿日:06月04日(金)17時53分11秒

旧・鹿島小の校庭で
一人テントを張って
無人になってしまった大夕張の夜を過ごす
つもり!
あの賑やかだった大夕張が
どんなに深い闇の中に沈んでいるのか
何が大夕張を支配しているのか
そして
長い長い空白を経て
いま50歳を迎えた私が
どれだけ昔の人を身近に思い出せるのか
怖くて厳粛な
これは儀式なのです。

(380)初夏の大夕張 投稿者:飯田 雅人  投稿日:06月02日(水)18時09分57秒

昨日の仕事の休みを利用して5才の娘を連れて大夕張に行きました。
明石町の高台の東高跡に行ってみました。かつての校庭に大きな水溜り
ができていて,おたまじゃくしがいっぱいいました。子供と童心に返り
飛び交う蚊の攻撃の中,すくってきました。茶色い野うさぎが目の前を
横切って行きました。
錦町のかつて大聖寺や営林署のあったあたりには,『土砂仮置場』の
大きな看板が立ち,巨大な土砂の山が出現していました。
その異様な大きさは近々何らかの大規模な工事が始まることを予感させました。
せみや野鳥の鳴き声はいつもと変わらぬふるさとの声でした。

鉱業所ゲート前にはよく手入れされた懐かしい型の三菱バスが一台止まってい
ました。5日の出発に向けて準備が進んでいるのですね。

三菱バスが車両達とともに,南大夕張に落ちつくことができるよう心より
願っています。5日の成功を祈ります。

(379)山史 (27) 投稿者:今井 一郎  投稿日:06月01日(火)22時18分33秒

山史(27)
   三菱鉱業株式会社 大夕張鉄道

自、明治39年〜至、昭和38年  58年史
   (前投稿からの続きです)

昭和33年 1月 1日 5代鉄道課長 大関健二
  33年 1月15日 大夕張炭山駅構内で石沢英治轢死事故
  33年 5月 2日 北夕閉山問題発生
  33年 5月29日 メタノール岐線設置試運転完了
  33年 7月17日 陸運局会計監査

  33年 8月 遠幌加別川道路橋竣工
  33年10月 1日 北夕後払契約解除 現払扱とす
  33年10月 7日 同上拓銀小切手を認む
  33年11月11日 芦別専用鉄道に客車ホハ2廻送
  33年11月 南大夕張駅構内に開発岐線設置
  33年11月27日 大夕張駅甲種特設電話設置
  33年12月 1日 中尾昇二鉄道教習所入所
  
昭和34年 1月 10粁700工事北宝建設に落札
  34年 3月 2日 中尾昇二鉄道教習所終了
  34年 3月 客車ナハ5入線
  34年 4月 美唄鉄道より9615号蒸気機関車借入
  34年 5月 1日 鉄道移設工事担当者として所長付坂本友吉新任
  34年 5月15日 夕鉄通過連絡乗車券発売開始
  34年 6月 1日 朝日新聞後払契約締結
                日本通運後払契約改訂
  34年 6月 香椎沢埋立工事北宝建設指名入札
  34年 二股ダム本えん堤コンクリート打設開始及び二股発
         電所工事開始
         開拓橋完成
  34年 7月 香椎沢工事着工
         メタノール工場試運転開始
  34年 7月12日 PTA研修会で国鉄客車乗入
  34年 8月29日 私有貨車タキ入線開始
  34年 9月 名取沢開渠変更工事完了
  34年10月 2日 南大夕張構内で今川五郎傷害事故
  34年10月30日 夕張昭和通り舗装完成
  34年11月 9日 石勝線建設線として決定
34年11月10日 香椎沢工事完成
  34年11月11日 同上新線切換列車運転
  34年11月 吉野沢隧道工事藤田組に落札
  34年11月21日 岩倉組五十鈴沢工事着工
  34年11月29日 9615号蒸気機関車美唄鉄道に返戻
  34年12月 1日 千年町駅誤扱に関し陸運局より示唆
  34年12月 メタノール工場製造開始

昭和35年 1月 1日 大夕張駅売店大友二葉に名儀変更
  35年 1月14日 私有車タキ14両入線完了
  35年 1月15日 10粁700及び吉野沢工事着工
  35年 1月19日 クレペリン適性検査施行
  35年 1月27日 メタノール輸送開始
  35年 2月26日 各駅現金収入直接経理課に納入
  35年 3月21日 千年町駅運賃設定正式取扱
  35年 4月 3日 芦別専用鉄道よりセ号車借入入線
  35年 4月     美唄鉄道より9615号蒸気機関車借入
  35年 5月 1日 毎日新聞後払契約締結
  35年 6月15日 6代鉄道課長 大和哲男 工作副長が兼務
  35年 7月 1日 国鉄旅客運賃改正 粁当賃率 2円40銭
                貨物運賃改正 等級引上げ 石炭等級6級となるも
                35粁211円据置
  35年 7月19日 小児麻痺発生のため自衛隊来山消毒施行
  35年 8月15日 7代鉄道課長 成田 茂
  35年         鹿島高校校舎落成
                二股ダム本えん堤打設完了
  35年10月    五十鈴沢工事完工
  35年11月 5日 10粁700工事完成新線切換
                五十鈴沢線路移設
  35年11月 6日 同上列車運転
  35年11月     9615号蒸気機関車美唄鉄道に返戻
  35年12月 1日 遠幌駅電灯料金北炭夕張砿業所に支払
  35年12月 3日 午前8時 二股ダム湛水開始
35年12月 5日     国鉄夕張線管理長室制定
  35年12月 7日 吉野沢隧道完成 新線切換
  35年12月22日 二股発電所運転開始
  35年12月30日 吉野沢橋梁撤去

                  続きます

追伸

 次回は最終回となります。

 以前に書き込みのあった大夕張の元三菱バスは、三菱バス保存会の方々
によりまして整備され今月5日(土曜日)に永年過ごした大夕張を離れ
自走廻送により、一旦幌南小学校での「シューパロ探偵団・大夕張資料見学会」
の時間にあわせて立ち寄り、美唄の美鉄バスの事務所に向い、再び夕張に戻り
南部新光町で保存されます。しかし、ここも一時の立ち寄りとしたいのです。
元三菱鉄道の車両たちと、夕張の三菱地区を知る産業遺産とともに永久に保存
したいのです。その行方は「シューパロ探偵団」が握っているといっても過言では
ありません。今月5日の「シューパロ探偵団」の見学会にはできるだけ多くの方に
参加してもらいたいのです。お願いします。

再度追伸

 5日、私は三菱バス保存会と行動を共にします。あしからず・・・・


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