(昭和40年代 ) @@画像をクリックすると拡大表示されます@@
【栄 町】 小林 俊治さん (平成9年11月8日)
栄町に移ってから中学へ行きました。前に住んでいた春日町は、屋根の雪降ろしが大変でしたし、雨漏りや鼠の徘徊がいつも年中行事のようなものでした。また、断水が頻繁だったので、台所にかめをおいて水を溜めていました。当然、鼠がそこに落ちて、死んでいたこともあった。台所の排水溝を覗くと、ねずみが居たりする。鼠との格闘が毎日続く。へびもよく来ました。 特に詰所でアオダイショウを発見します。冬の雪降ろしや雪跳ねは休日家族総出で行わなけれならない。屋根からすべって落ちたり。
それから、栄町の住宅(2階建)に移りました。鉄扉を開けると左には石炭を入れる物置がある。右には水洗トイレがある。 画期的だった。トイレットペーパーとのご対面。但し、断水も多かったので、何かと不便なときもあった。ですからいつもバケツに水を溜めておく。鉄筋コンクリートの建物なので、最初のうちは自分の家を間違えて、よその家に入ってしまったりもした。石炭は背負い子のようなもので運びます。(パートの方が)灰は各住宅の脇に捨てる。 1階と2階の間ぐらいの高さに溜まってきたら回収されます。11月ごろ?になると窓から大根を干していた。(漬物の準備をしていた)
プールは7月下旬から9月中旬まで泳げ、近いこともあり、夏休みはほとんど泳ぎに行っていた。夕方以降はコースにロープが張られ、鹿島中の水泳部員が練習していた。(私もその一人だった)コーチは藤本さんでした。日没と同時に終了。ロープをまとめる。プールの有刺鉄線の塀は公園側から、人が掴まって見るせいか、その方向に傾いていた。浄化設備はないので、水はあまりきれいではない。ぼうふらを見ることもある。
冬の夜、スキー場の方を見るとナイターの灯りに照らされ、滑っている人影が見える。
【提灯行列の思い出】 乗田 功一さん (平成9年11月6日)
提灯行列、懐かしいですね。空き缶の底に五寸釘で細かい穴をたくさん開けて、針金で取っ手を作る。ローソクを灯し、そしてみんなで歌を歌いながら家々を回りローソク集め。収穫をみんなで自慢しあう。
「ローソク出〜せ 出〜せよ 出〜さ〜ないと カッチャクぞ・・・」
これは北海道特有の風習でしょうか?昔、「北の国から」というTVドラマでこの場面がありました。(ちなみに私の住む神奈川では「カッチャク」は全く通じません(^^;))私の思い出は、各家を廻りそれぞれの家では快くローソクを手渡してくれるのですが、栄町のあるブロック住宅の2階のお宅で、玄関でいくら大きな声で「ローソクちょーだい!」と言っても誰も出て来ません。よく見ると下駄箱の上にミカン箱が置いてあり、中には大量のローソクが入っています。つまり、入れ替わり子供たちが訪ねて来るのでその応対に煩わされるのを避けるための苦肉の策なのでしょう。もちろん、手のひら一杯のローソクを戴きました・・・(^^;)
【最後の記念写真】 斎藤 敏幸さん (平成9年9月29日)
栄町アパートには、東高を卒業するまで住んでいました。当時の住所は、栄町2丁目14番地の8です。ここには、元木造の八軒長屋が建っていましたが、それらを取り壊して立てられたものでした。私は、小学校に入る前年に新築時に入居しました。コンクリートブロックの住宅は、当時としては珍しく、入居した初めての夜は、家族みんなが興奮して寝付かれなかったことを思い出します。 1972年3月10日、東高卒業式の朝は、同じアパートに住んでいた幼なじみの同級生「加藤美代子さん」と一緒に、栄町アパートをバックに写真を撮りました。その後、翌年に閉山になってしまったため、これが、栄町アパートで撮った最後の記念写真となりました。 栄町アパートには、沢山の同級生が住んでいましたが、今は集まる機会もありません。
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