山史 中田年表
          

大夕張の年表へ

三菱大夕張鉄道 中田忠夫氏作成年表

昭和38年 8月 9日 遠幌駅売店休業。老朽車両(ハ3.4号他貨車3両)廃車。
昭和38年 8月30日 社線旅客運賃変更申請修正書提出。
昭和38年 9月 1日 大夕張炭山保線業務請負、北夕後払契約締結。
昭和38年 9月30日 遠幌駅売店廃業。
昭和38年10月 1日 大夕張産業、北菱建設工業株式会社と改称。
            夕張バス梶A夕張鉄道鰍ノ合併。
昭和38年10月14日 通勤列車を廃止し自家用バス運行開始。
昭和38年10月27日 小学校通り踏切遮断機使用開始。
昭和38年10月31日 シューパロ湖駅一時限り連絡運輸終了。
昭和38年11月11日 千年町駅業務委託。
昭和38年12月16日 旅客運賃変更認可、鉄監第1218号。
昭和38年12月25日 社線旅客運賃改正実施、旅客賃率3円、大夕張・清水沢間
            50円。夕張急行バス、北高前及び炭礦病院前に停留所追加
            新設。

昭和39年 3月    市立鹿島高校、道に移管し夕張東高等学校と改称。
昭和39年11月15日 列車運転時刻の改正。

昭和40年 2月    夕張礦第一礦坑内爆発、死者62名。
            異状集中豪雪(積雪量172p)市内交通マヒ。
昭和40年 9月20日 車両設計変更ナハ3・4号、特別室(32/10改設)を撤去し   
            車掌室に改造。
昭和40年10月 1日 列車運転時刻の改正。
            大夕張駅閉塞機撤去、大夕張炭山・明石町間を1閉塞区間と
            する。
昭和40年11月15日 車両廃車届提出、客車ホハ1、貨車ワフ2・3、チサ1。
昭和40年12月    千代田(道道)隧道完成。
昭和40年12月24日 明石町駅業務委託しホームに運転室設置。

昭和41年 2月 1日 社線内小口扱貨物営業廃止。
昭和41年 4月 5日 社線内旅客運賃の改訂(賃率3円90銭)。
昭和41年 6月 1日 列車運転時刻の改正。
昭和41年 7月 1日 列車運転時刻の一部改正。
昭和41年 7月18日 車両設計変更、客車ナハ2をナハフ2。
昭和41年 9月 6日 車両竣功届、客車ナハフ2。
昭和41年10月10日 南大夕張新礦開発起工式。

昭和42年 4月    市道清水沢・大夕張線が道道に昇格。
昭和42年 4月28日 車両特別設計許可申請、スハニ6。
昭和42年 6月25日 車両設計変更、客車ナハフ1・2。
昭和42年 8月10日 車両廃車届、客車ナハフ3・4、貨車ワフ5、ワ3・4。
昭和42年 8月25日 車両竣功届、客車ナハフ1・2。
昭和42年10月 1日 列車運転時刻の改正。
昭和42年11月11日 係員服務、懲戒、職制規定改正届出。

昭和43年 7月     北炭平和礦坑内火災、死者31名。
昭和43年 9月     北炭夕張二礦坑内崩落、死者8名。
昭和43年10月     夕張開基70周年・市政25周年記念式典。
昭和43年10月 1日  混合第4列車貨物に変更(※清水沢〜大夕張炭山間の上り混
             合列車5本に)。
昭和43年12月 7日  遠幌営林岐線撤去。

昭和44年 1月10日  大夕張炭山営林岐線撤去。
昭和44年 4月     清水沢・南部・鹿島地区町名改正。
昭和44年 4月 1日  貨物営業規則一部改正実施届(標準重量)。
昭和44年 4月30日  旅客及び荷物運賃料金並びに制度改訂申請(44.5.9認
             可)。
昭和44年 6月17日  白銀橋架設替え工事起工式(43.11.10 突風により 
             釣橋落下し渡橋中のクレーン車と運転手シューパロ湖に落
             ちて死亡)。
昭和44年 8月     南部地区上水道新設。
昭和44年 9月12日  団体旅客制度改正実施届(44.9.27認可)。
昭和44年10月 1日  三菱大夕張炭礦株式会社大夕張鉄道と改称。
             南大夕張炭礦操業開始。
             シューパロ湖駅営業廃止。
昭和44年10月 9日  大夕張駅ホーム30m削減。
昭和44年10月18日  手小荷物配達料金改訂申請。一個につき120円(44.
             11.28認可)。
昭和44年11月25日  清水沢・南部間道道舗装の完成。
昭和44年12月     夕張・平取・長沼線道道より国道に昇格。
昭和44年12月 1日  混合第9列車2K700石垣崩壊線路を支障。貨車脱線し遠
             幌駅に入場の際発見する。
昭和44年12月 2日  白銀橋架橋工事完了。
昭和44年12月10日  美唄鉄道より蒸気機関車bQ号入線(※他資料では6月30
             日譲受)。
昭和44年12月12日  清水沢駅社線ホーム36m削減。

昭和45年 1月24日  病院前自動踏切警報機設置。
昭和45年 2月24日  列車途中停止損害金の改訂(混合2.000円、貨物
             2.500円)
昭和45年 3月19日  北夕炭礦閉山。
昭和45年 3月31日  貨物運賃計算方変更認可申請、併算制(45.4.4認可)
昭和45年 4月15日  雄別鉄道(営業粁44.1q)営業廃止。
昭和45年 7月28日  若美町第2踏切に自動踏切警報装置設置。
昭和45年 8月 1日  三菱南大夕張礦営業出炭開始。
昭和45年 9月 1日  南大夕張駅構内自動踏切遮断機設置。
昭和45年 9月 6日  千年町駅無人化連絡運輸取扱廃止。
昭和45年10月 8日  北炭夕張新礦開発起工。
昭和45年12月 5日  モーターカー導入。

昭和46年 4月     清水沢・南部・鹿島地区地名改正。
昭和46年 4月 5日  老朽車両の廃車(客車ナハフ2・貨車ワフ5・ワム1・チキ
             1)。(※他資料ではナハフ2は10月1日用途廃止)
昭和46年 5月     南大夕張新礦落成記念乗車券の発売(SL9201号・bR
             号・C1101号 3枚1組240円 セット外 南大夕張
             駅入場券 20円)。
昭和46年 5月10日  南大夕張新礦完工式。
昭和46年 7月 1日  美唄鉄道より蒸気機関車bW号入線。(※他資料では6月の
             入線となっている)
             三菱大夕張炭礦鰍ニ美唄炭礦轄併
昭和46年 8月 6日  北夕岐線撤去。
昭和46年 8月22日  鉄道友の会・北大鉄道研究会共催によるSL3重連撮影会実
             施。
昭和46年 9月17日  大夕張メタノール工場閉鎖。
昭和46年11月 1日  車両廃車(ナハフ1)。(※ナハフ1は現存しており、明らか
             な誤記)
昭和46年11月     夕張鉄道・夕張本町〜栗山間旅客荷物営業廃止。

昭和47年 1月 1日  混合31・32列車貨物列車に変更。※南大夕張〜大夕張炭
             山間の区間混合列車廃止。
昭和47年 1月10日  遠幌駅車扱貨物と手小荷物の取扱廃止。
             大夕張駅車扱貨物の取扱廃止。
昭和47年 1月27日  北菱鹿島炭礦自然発火。
昭和47年 2月 2日  貨物93列車10K700吉の沢付近通過中雪崩発生列車支  
             障。
昭和47年 2月29日  北菱鹿島炭礦閉山。
昭和47年 4月     新夕張炭礦閉山。
昭和47年 5月 1日  寿都鉄道営業廃止。※他資料では5月11日廃止許可。
昭和47年 5月10日  北菱岐線撤去。
昭和47年 5月30日  美唄鉄道営業廃止。
昭和47年 9月10日  明石町駅車扱貨物取扱廃止。
             大夕張炭山駅手小荷物の取扱廃止。
昭和47年10月 1日  車両廃車届(蒸気機関車C1101愛知県長島温泉に譲渡)。
昭和47年11月 2日  南大夕張礦出炭増に伴う輸送増強と旅客減少の対応として貨
             物2往復増発・混合2往復削減。※他資料では11月13日
             時刻改正。
昭和47年12月     冷水山国際スキー場完成。
昭和47年12月 8日  南部営林岐線踏切道自動遮断機付警報機設置(4種から1種)。
             車両設計申請(貨車トム8)

昭和48年 2月 5日  貨車購入(トム8)。
昭和48年 3月31日  清水沢駅に第二種継電連動装置設置。
昭和48年 4月19日  三菱大夕張礦閉山提案。
昭和48年 7月12日  車両設計申請(DLbP号・bQ号・bR号)。
昭和48年 8月 1日  大夕張礦閉山による貨物減のため大夕張炭山〜南大夕張間4
             本・大夕張炭山〜清水沢間2本の列車削減。
昭和48年 8月20日  三菱大夕張炭礦株式会社大夕張礦業所閉山。
昭和48年 9月27日  手小荷物運賃改訂申請(120円〜170円 48.9.
             29認可)。
昭和48年10月 1日  南大夕張〜大夕張炭山間一部区間営業廃止申請(48.12.
             6認可)
昭和48年10月25日  蒸気機関車9600形式bV号・bW号廃車とし江別山田某
             に売却。※他資料では10月20日用途廃止。
昭和48年11月26日  DLbP号・bQ号・bR号竣功。
昭和48年12月     鉄道一部廃止記念乗車券の発売(機関庫にてSL5両・炭山
             駅構内SL3重連・鉄橋進行中のSL 3枚1組240円)
昭和48年12月15日  三菱大夕張炭礦鰍ニ三菱高島炭礦轄併、三菱石炭鉱業株式
             会社と改称。※他資料によると12月17日。一部廃線さよ 
             なら列車(混合4.5列車)運行。
昭和48年12月16日  三菱石炭鉱業株式会社鉄道・南大夕張〜大夕張炭山間9.6
             Kの営業廃止。
昭和48年12月19日  遠幌駅上り本線、貨物線撤去。
昭和48年12月20日  遠幌駅業務委託。
昭和48年12月31日  幌南中学校前踏切道自動遮断機付警報装置設置(4種から1
             種)・住之江町踏切道に自動遮断機設置(3種から1種)。

昭和49年 1月16日  蒸気機関車9600形式bQ号廃車としてスクラップ。
             蒸気機関車9600形式bS号廃車として夕張歴史村に譲渡。
※ 両機とも1月15日で用途廃止。
昭和49年 2月 1日  三菱石炭鉱業株式会社鉄道と改称。※他資料では48年12
             月17日。
             車両廃車届(客車オハ2・貨車ト3・トム2・4・5・6・
             7)※1月31用途廃止。
昭和49年 4月 1日  蒸気機関車9600形式bR号廃車として江別山田某に売却。
             蒸気機関車9600形式bT号・bU号廃車としスクラップ。
※ 3両とも3月30日で用途廃止。
             夕張鉄道栗山〜野幌間旅客荷物連絡運輸廃止。
昭和49年 9月 3日  手小荷物・貨物運賃改訂申請(49.9.5認可)。
昭和49年 9月17日  荷物配達料金改訂申請。
昭和49年 9月30日  車両の廃車(貨車トム8・トラ1・ワフ1)
昭和49年10月 2日  特別扱雑誌運賃割引実施届。

昭和50年 3月22日  荷物関係制度一部改訂申請(50.3.24認可)。
             火薬類の貨物一口の最低重量特定認可申請(50.3.24
             認可)。
昭和50年 4月 1日  夕張鉄道営業廃止。
昭和50年 6月 1日  北炭夕張新礦営業出炭。
昭和50年 9月18日  荷物運賃制度の一部改訂申請(50.9.19認可)。
昭和50年10月 5日  貨物運賃制度の一部改訂申請(50.11.13認可)。
昭和50年10月16日  体育館横踏切道自動遮断機付警報装置設置(4種から1種)。
             温泉踏切道自動遮断機付警報装置設置(4種から1種)。
昭和50年12月 1日  旅客運賃と運輸に関する料金変更申請(51.2.24認可)。

昭和51年 1月23日  ディーゼル機関車に無線装置設置。
昭和51年 3月 3日  旅客運賃改訂、賃率7円となり暫定運賃として実施。
昭和51年 9月 1日  大夕張地区荷物取継所廃止。
昭和51年 9月 3日  旅客運賃、料金申請運賃を実施。
昭和51年10月 1日  小荷物運賃の改訂。
昭和51年11月 6日  荷物及び貨物運賃料金の制度改訂。
昭和51年11月12日  旅客料金の改訂。

昭和52年 5月 1日  車扱貨物運賃割戻実施。
昭和52年 7月18日  DL無線装置設置により機関車乗務員単独乗務となる。
             運転取扱心得改定。
昭和52年 9月24日  車扱貨物運賃割戻認可申請。
昭和52年10月27日  2K650付近コンクリート擁壁工事着工。
昭和52年11月25日  同上工事完成。
昭和52年12月13日  清水沢道道踏切交通信号併置工事着工。

昭和53年 1月31日  清水沢道道踏切交通信号併置工事完成。
昭和53年 2月15日  清水沢道道踏切、保安設備、発光信号設置に伴う運転取扱心
             得の一部改正。
             清水沢道道踏切保安設備の使用開始。
昭和53年 3月16日  車扱貨物運賃割戻認可申請。
昭和53年 4月20日  7K089若美町踏切4種から3種に変更。
             南大夕張駅上り列車出発合図器設置(若美町踏切作動連動)。
昭和53年 6月 1日  定期貨物列車102列車・101列車を不定期貨物列車
             1002列車・1001列車に変更。
昭和53年 7月     特殊乗車券bP発売(DLbP号・キ1号・SL7214号 
             3枚1組400円)。
昭和53年 7月 8日  荷物・貨物運賃料金制度の改訂。
昭和53年 7月22日  南部小学校水泳教室のため臨客運転。
昭和53年 7月24日  南部小学校水泳教室のため臨客運転。
昭和53年 9月 5日  運輸省事務官による実態調査。
昭和53年 9月 9日  車扱貨物運賃割戻認可申請。
昭和53年 9月18日  幌南町踏切道4K795地点より4K785に移設。
昭和53年10月 2日  列車運転時刻の改正。
昭和53年12月28日  貨物108列車1K902にて人身事故発生(道道より自家
             用車転落線路支障・死者1名)

昭和54年 3月14日  車扱貨物運賃割戻申請。
昭和54年 3月20日  荷物配達料金の改訂。
昭和54年 4月 1日  保線関係職名の変更(工手長を軌道検査長、副工手長を軌道
             作業長、工手を軌道掛)
昭和54年 5月 4日  荷物及び貨物運賃料金の制度改訂。
昭和54年 5月15日  南大夕張礦業所坑内ガス突出事故発生、死者17名。
昭和54年 6月     特殊乗車券bQ発売(SL3重連・SL9201号・DL
             2号 3枚1組360円)
昭和54年 7月 2日  4K029遠幌駅構内踏切4種から3種に変更。
昭和54年 7月 9日  南部小学校水泳教室のため臨客運転。
昭和54年 7月20日  清水沢駅乗降場(全長23m)補修工事着手。
昭和54年 7月27日  清水沢駅乗降場(全長23m)補修工事完了。
昭和54年 9月 3日  南部小学校水泳教室のため臨客運転。
昭和54年 9月22日  車扱貨物運賃割戻認可申請。

昭和55年 2月 1日  列車最高速度を50Kから40Kに変更。
昭和55年 4月 8日  荷物運賃料金及び制度の一部変更申請(55.4.12認可)。
昭和55年 4月28日  車扱貨物運賃割戻実施届。
昭和55年 7月 1日  夕張歴史村オープン。
昭和55年 9月18日  車扱貨物運賃割戻認可申請(55.9.29認可)。
昭和55年 9月20日  幌南町踏切道に自動警報機設置、4種から3種に変更。
昭和55年10月 1日  列車運転時刻の改正(昼間時間帯への集約)。
昭和55年12月31日  清水沢礦前踏切道(4種)廃止。

昭和56年 1月20日  貨物列車運転時刻の改正。
昭和56年 4月 1日  荷物運賃料金の一部変更認可申請(56.4.10認可)。
昭和56年 4月20日  荷物運賃料金の一部変更実施届。
昭和56年 4月30日  車扱貨物運賃割戻実施届。
昭和56年 8月 5日  夕張線滝ノ上・川端間豪雨による道床決壊のため不通となる。
             社線10日間貨物列車全休。
昭和56年 9月10日  北夕・北菱岐線踏切道に自動警報機遮断機設置(4種から1
             種)。
昭和56年 9月21日  貨物運賃割戻認可申請(56.9.28認可)。
昭和56年 9月30日  夕張線紅葉山・登川間営業廃止。※6月30日で休止、バス
             代行となっていた。
昭和56年10月 1日  石勝線営業運転開始。
             車扱貨物運賃割戻実施届、列車運転時刻の改正。
昭和56年10月16日  北炭夕張新礦ガス突出事故発生、死者93名。
昭和56年12月22日  国鉄セキ8000形式直通乗入認可。

昭和57年 3月 1日  清水沢駅連絡荷物中継作業部外委託。
昭和57年 4月 2日  荷物運賃料金の一部改訂申請(57.4.12認可)。
昭和57年 4月 8日  旅客料金改訂認可申請(57.4.12認可)。
昭和57年 4月20日  荷物運賃料金の一部改訂実施届。
             旅客料金改訂実施届。
昭和57年 4月21日  南大夕張駅構内11号分岐器発条転轍器に変更。
昭和57年 4月28日  車扱貨物運賃割戻実施届。
昭和57年 5月23日  2K680コンクリート開渠改修工事着工。
昭和57年 6月 1日  南大夕張・清水沢線路班を統合、三菱スターワゴン車を導入。
昭和57年 6月 7日  2K680コンクリート開渠改修工事完了。
昭和57年 7月 1日  客車ナハ5廃車し保線物品庫にする。
昭和57年 8月30日  石勝線沼ノ沢・紅葉山(※既に新夕張に改称)間道床決壊流
             失、豪雨によるもので同区間の道路も決壊、鉄道不通、道路
             迂回。社線貨物列車全休し石炭、トラック輸送。
昭和57年 9月13日  若美町第2踏切道に自動遮断機設置(3種から1種)。
昭和57年 9月20日  石勝線不通により全列車運休し旅客バス輸送に切替。
昭和57年10月 1日  駅、機関庫関係鉱員全員一時離職(列車運休間40日)。
昭和57年11月10日  石勝線復旧により列車運転開始。
昭和57年11月15日  列車運転時刻の改正。
昭和57年12月 1日  車扱貨物運賃割戻実施届。

昭和58年 3月15日  荷物運賃料金の一部変更認可申請(58.3.23認可)。
昭和58年 4月 1日  協定貨物制度の実施、車扱貨物運賃割戻実施届。
昭和58年 5月16日  特殊乗車券bR発売(DLbR号・客車スハニ6号3軸ボギ
             ー・SL3080号・SL9237号・C1101号 4枚
             1組1.000円)
昭和58年 6月 1日  列車運転時刻の改正。
昭和58年 8月22日  郵便局裏踏切道に遮断機付自動警報機設置(4種から1種)。
昭和58年 9月10日  車扱貨物運賃割戻認可申請(58.9.20認可)。
昭和58年10月 1日  営林岐線廃止し撤去、踏切保安設備遠幌駅保管。

昭和59年 1月31日  手小荷物営業廃止届。
昭和59年 2月 1日  列車運転時刻の改正。
             手小荷物営業廃止、旅客連絡運輸の範囲の変更。
昭和59年 4月 6日  荷物運賃料金変更認可申請。
昭和59年 4月27日  車扱貨物運賃割戻実施届。
昭和59年 6月 1日  遠幌駅業務委託廃止、無人駅となる。
昭和59年 8月 8日  4K263岳見町踏切道、3種から1種に変更。
昭和59年 9月 5日  車扱貨物運賃割戻申請。

昭和60年 3月14日  列車運転時刻の改正。
昭和60年 4月10日  荷物運賃料金の一部変更認可申請。
昭和60年 4月25日  車扱貨物運賃割戻実施届。
昭和60年 5月17日  南大夕張礦坑内ガス爆発事故発生、死者62名、坑内員自宅
             待機。
昭和60年 6月20日  南大夕張礦坑内復旧操業再開(26日目)。
昭和60年 7月 2日  南大夕張礦坑内火災発生、全員退避後坑内注水、坑内員自宅
             待機。
昭和60年 7月12日  南大夕張坑内復旧操業再開(9日間)。
昭和60年 9月27日  車扱貨物運賃割戻認可申請。
昭和60年10月13日  夕張駅新駅舎に移転営業開始、新駅舎16.9K、旧駅舎
             18.2K。
昭和60年10月27日  北大鉄道研究会主催による臨時旅客列車「ゆうばり号」運転。

昭和61年 1月15日  吹雪のため全道的に交通マヒ、社線混合2.3列車、貨物全
             列車運休。
昭和61年 3月28日  車扱貨物運賃割戻実施届。
昭和61年 4月24日  清水沢駅構内転車台線267.5mと33号分岐器撤去。
             南大夕張駅構内木材線60mと26号分岐器撤去。
昭和61年 5月26日  五層ノ沢道床陥没、レール桁補強、列車徐行運転。
昭和61年 8月21日  幌南町踏切道に自動遮断機設置(2種から1種)。
             同上踏切電力、北電より社電力に切換える(8.9)。
昭和61年 9月24日  車扱貨物運賃割戻認可申請。
昭和61年10月28日  南大夕張駅構内転車台解体撤去(解体業者・金森)。

昭和62年 4月 1日  国鉄分割民営化となり旅客関係は北海道旅客鉄道株式会社、
             貨物関係は日本貨物鉄道株式会社と各々契約類の更新。
昭和62年 4月 7日  テレビ朝日・ドラマ「誘われて二人旅」、4列車にて撮影。
※ ドラマではなく紀行番組。
昭和62年 4月28日  三菱本社に於いて炭礦合理化の一環として鉄道の廃止発表。
昭和62年 5月17日  労働組合臨時大会にて鉄道廃止正式決定する。