大夕張 年 表

(簡略版)(詳細版)

(2007/11/11 更新)

資料から,とにかく年月日がつながるようにいろいろな事がらを入れています。幅広く大夕張の出来事を網羅していければと思っています。参考の資料は下記をご覧下さい。もしこれ以外の資料が手に入れば,その都度加除修正をおこなっていきたいと思います。また,資料について貸して頂けたり,情報をお寄せいただける場合はぜひこちらまでお願いします。
『夕張市鹿島一番地』。そんな狭い一地域のこととはいえ,こうしてみると,まぎれもなくそこには人々の生活があり,歴史があったことがよくわかります。大夕張の歴史は,やはり炭礦の歴史そのものでした。もともと原生林だったところを採炭のために人を集め,町を作り上げた。土地も民有地がなくすべてが国有地。それを会社が借り受け,操業。閉山とともに,国にもどす。炭礦が閉山をした時に,町としての役割は終えてしまったのだと思います。土地を愛してきた人々のくらしとともに,自然に朽ち果てるまでそっとしておきたかった。そんな思いがしてなりません。

西暦 年号 出 来 事
鉱業所 生活 鉄道
写真
/
引用
1635 寛永
12
松前藩主が家臣に命じて,アイヌ人数百人に数年間にわたり夕張岳を中心に夕張川上流で砂金の採集をする。














































1888 明治
21
夕張川岸15尺の大露頭が発見される。(南大夕張 旧錦坑)しかし、地形峻険の為、開発は進まず。
1897 明治
30
10月 30日,京都合資会社設立。
1898 明治
31
福山某(福山米吉説有)が二股川岸露頭の試掘権を得て開礦する。福山礦という。
1906 明治
39
1月  18日,川崎繁美,通信省鉄道局に対し,清水沢〜二股間専用鉄道敷設免許申請提出。
6月 坂本則美を社長とする
京都合資会社が,炭礦を買収。炭砿事業を開始する。同時に専用鉄道敷設のための、馬鉄工事に着手。
8月 2日,清水沢−二股(南大夕張)間約8.9kmの専用鉄道敷設認可。
10月 1日,北海道炭礦鉄道,国有化。 京都合資会社が
福山抗及び滝ノ沢抗開抗(福山坑より北方10数町,滝の沢上流)。二股に事務所と貯炭場等施設を備ける。
国立国会図書館(坂本則実)
1907 明治
40
1月 請願巡査1名設置。
6月 1日,大夕張炭礦事務所の建築工事を請け負っている土建業兼物品販売業川畠義雄、作業中の問題で会社より叱責され、請負停止。紛争を醸したが、巡査部長村瀬某、巡査多村謙次郎の仲裁で一応解決。 2日,飯場主火音感次郎、会社の措置を不都合として,若し川畠をやめさせるならばこれに対抗すると称して、飯場在住の坑夫全員を休業させた。 3日,川畠は夜飲酒して会社と一戦すると称し、夕張在住の実父川畠雄五郎に応援を求め,実父は直ちに21名の坑夫を派遣した。会社は、60名の坑夫を非常動員し,警戒にあたるが,流言は飛び,住民は不安のうちに夜をあかす。 4日,早朝,会社の食糧部藤田吉右衛門の仲裁で,双方和解し,事なきを得る。 24日,清水沢簡易教育所大夕張特別教育場設置(学級数4 職員2)。
【夕張清水沢通信(北海タイムス6月10日)】
大夕張炭山 当駅より五里をへて京都合資会社の経営に係る大夕張炭山あり 鉱区は豊富にして尚創業中に属するも設備は大計画を以って進行し、当駅より電話架設しあり 馬鉄を以って石炭搬出の計画は昨年5万円の費を投じて線路布設済みとなり 鉱夫長屋建築中にて請願巡査派出所病院等の設備も出来し今や鉱夫募集中なれば昨今鉱夫大工木挽等の入込み居る者200余人 8月に至れば800余の鉱夫入山のはず
清水沢駅 市街には右大夕張炭山出張所 鶴谷木材部出張所、土木請負関出張所あり 夕張出張所には炭鉱汽船会社木材揚場ウインチ設備あり

7月 京都合資会社から炭砿部門を分離して「
夕張炭砿株式会社」を発足。福山坑付近に錦坑を開坑。錦坑を中核とし施設拡大。 11日,坑夫80名同盟罷業。14日に至って解決。
8月 
馬鉄工事完成,石炭の搬出開始。専用鉄道完成までの4年間,二股在住佐藤庄太郎が石炭の積出しを請負う。
1909 明治
42
このころから大夕張と呼ばれるようになる。
8月
 28日,「
大夕張炭坑株式会社」と社名を変える。
この頃,賃金支払いの手段として山札(金券)が発行され(一銭・五銭・五十銭・壱円の4種),坑夫は指定商から買い物をした。
当時の指定商「永原商店(魚介)」「 坂本呉服店」「中田呉服店」「沢本呉服店(酒,肉類も扱う)」「中村豆腐店」「高田甘泉堂(菓子)」「山本料理店(女給一人)」の各店。この他,土木造財搬出業 佐藤庄太郎(大正3に梅原組に土木関係事業を譲る),  細川運送店(清水沢からの荷物運搬)
 『一 本券引換ヘニ用度品ヲ交附ス  一 本券ハ現金ト引換ヘヲナサズ  一 本券ハ社外人ニ交附スルコトヲ禁ズ 大夕張炭礦鑛業所事務所』
1910 明治
43
3月 坂本則美をはじめとして取締役退任。25日間程取締り役不在となる。
10月
 専用鉄道,道床工事,
葡萄山隧道遠幌加別川橋梁工事が完成。
1911 明治
44
4月 1日,大夕張特別教授場(この年児童数126)が公立大夕張尋常小学校となる。
5月 7日,大夕張尋常小校舎建築。12坪教室3室の校舎建築。旧校舎と併用。児童数226名4学級編成。
6月 1日,大夕張炭坑株式会社が清水沢−二股(南大夕張)間
専用鉄道線完成。運転開始。二股駅(南大夕張駅)開業するが,駅舎はなかった。鉄道院へ運行管理委託。機関車は鉄道院追分機関庫の7214号、石炭車はト号10屯車他その後,大型鉄製車(オテセ)入線。
>この頃、錦坑が断層に阻まれ、予定されていた出炭量が確保できず、若葉坑の開発に取り掛かる。
10月 賃金未払い事件。(10月に払うべき9月分の賃金を11月に、11月に支払うべき10月分の賃金を12月1日に支払う。)
>この頃、山札の使用が行われる。
12月 23日,
三菱合資株式会社が大夕張炭坑株式会社に8万円の資金を貸与し,石炭の5年間一手販売に関する契約を結ぶ。
1912 明治
45

大正元
3月 21日,大夕張尋常小学校2教室増築。
6月
 滝の沢の北方の渓頭に
若葉坑開坑。
7月  錦抗閉抗。滝の沢抗縮小し,若葉抗に主力を注ぐ。
【大夕張炭山近況(北海タイムス8月6日)】
従来の施設と将来の計画松隈鉱長曰へ大夕張炭礦株式会社時代に於る同鉱の施設は一見頗るハイカラ風にして坑内外の経営は略ぼ完成したる如き観かるも仔細に之を検覈せば凡て外観を美装したるに過ぎずして其実質に至りては確たる方針の上に樹立したる設計にあらず為に今後其用を成すもの尠かるへしと目下出炭をなしつつあるは滝の沢坑のみにて同鉱の宝庫と目されつつある若葉坑は現今掘進中にして毎日多少の出炭あるも石炭輸送機たるインドレスの完成せざる為め輸送をなす能わず目下鋭意工事進行中にて遅くも十月頃迄に完成せしむる筈なりしと同時に若葉坑附近に更に一ケ所の坑口を開鑿する計画にて之亦諸般の準備中なりし亦現今廃坑となりし錦坑は巨額の起業費を投じたるも事業進行に連れ断層に逢着し更に巨額の資金を注入し探堀を為すの要あるが故に前大夕張炭礦会社経営の時代に於ては資金の関係より廃坑となすの余儀なきに至りしも三菱合資会社の掌裏に帰したる上は相当なる調査を遂げ或は復旧するや難儀と云う
鉱区の面積大夕張炭礦会社所有の鉱区数は十四にして此面積千三百八十万坪余此延長三里余に跨りつつありしが若葉坑奥に於ける鉱区内の炭層は頗る有望にして其埋蔵炭量の如き予め知る能わざるも非常の巨額に達するならんと現在の私設鉄道は更に三里余を延長し之等の豊富なる石炭の輸送をなす計画ありとの世評なりしが斯の如きは近き将来に於て実現すべからざるも三菱の同社を手中に収めたる必ずやより以上の画策あるならんと推せらる少なくも北海道石炭界に於て三井三菱相対抗し覇を争わんとせば夕張炭の多少を以て縢を制するの覚悟なかるべからざるは自明の理なるを以て世評の決して偶然ならざるを知るに足る之を要するに三菱の本道石炭界に嘱目したる一日にあらず而かも実地に其掌裏に収めたる大夕張炭山を以て第一着手となせるを以て同鉱事業経営は世人の尤も注目する処にして本道石炭界に一新紀元を画すべき一大規模の経営と欧米最新の方法を斟□□て採炭をなし以て本道鉱業界に貢献□□啻に邦家の利益のみにあらざるなり(一日付特□員)
停車場
1913 大正
2
2月 火力発電所(75キロワット)竣工。
12月 23日,若葉坑開坑により大夕張尋常小学校若葉特別教授場開設(本校の北側傾斜地を登る30間余の地点)尋常科3年までを収容して授業開始。

>北部大夕張への踏査開始。
1912 大正
3
この頃の人口およそ3000.
1915 大正
4
4月 1日,大夕張尋常小学校(職員5 生徒 男126女109 学級4)
1916 大正
5
1月 24日,三菱合資会社が大夕張炭坑を1.625.000円で買収し,「三菱合資会社大夕張炭坑」(炭坑長/松隈三郎)となる。(買収鉱区夕張郡登川村大字大夕張川字夕張山などの採掘権及び試掘権)(譲受建築物,事務所8棟,社宅20棟,鉱夫長屋74棟,倉庫8棟,工場9棟 輸車路 倶楽部1棟 桟橋5箇所 浴場3棟,停車場1棟,拝殿1棟,烟道2基,烟突4基,上家8棟,火薬庫3棟,貯炭場2棟,洗炭ポケット1棟,給水タンク2個)  26日,大夕張炭坑病院開設(二股,現大宮町)。(鉱業社史)
2月 山札が廃止される。
4月 鉄道に乗客を乗せるようになる。(二股-清水沢間大人五銭)
5月 私設大夕張消防隊発足。隊長並木松之助。
>前年(大正4年)大夕張二股(南部)にあった木工場が全焼したのを契機とし、漸く消防機関設置の必要を認め,小紙元春、小寺菊太郎の尽力により在郷軍人を中心主体に二股,若葉地区に私設消防隊ができる。
12月
 
若葉地区に第2斜坑と第3斜坑開鑿。
>大夕張尋常小学校生徒数315。
>三菱滝の沢坑を若葉坑と改称
【夕張市人口 32825 : 大夕張地区人口 2385 】
1917 大正
6
4月 1日,大夕張尋常小学校補習科修業年限2年を設置。
【夕張市人口 35325 : 大夕張地区人口 - 】
【大正7年以前出炭量累計:185.315t】
1918 大正
2月 滝の沢斜坑,開鑿。二股選炭場隣に骸炭製造を計画,ビーハイブ式窯52の建設に着手。
4月 10日,三菱合資会社から炭坑部が分離して,「
三菱鉱業株式会社」を設立。
6月 14日,二股駅を
大夕張駅と改称。
7月 三菱鉱業が
北部大夕張(鹿島)を調査し始める。北部開発第1次案として北部-万字間鉄道調査。万字の石川呉服店を根據として調査を開始するも急坂のため廃案。
11月 南部コークス炉工事着手。
12月 20日,夕張川河畔に500kw発電所建設。大夕張発電所と称す。 12月末現在,大夕張尋常小学校(尋常科6学級)
【夕張市人口 37624 : 大夕張地区人口 - 】

【社内炭砿人員:965】
【出炭量:72.396t 累計:257.711t】
1919 大正
8
4月 大夕張尋常小若葉特別教授所を大夕張尋常小学校若葉分教場と改称。
8月 南部コークス炉完成。
9月 東北帝大矢部理学博士,三菱鉱業今井孝次郎博士が北部大夕張に石炭を発見する。
36尺層露頭採炭(常盤沢露天堀個所より西南300mの幌向川上流)北部大夕張ボーリング調査,2号,3号。
12月 末現在人口3,253,戸数813(大夕張,若葉,滝の沢)
北部開発第2次案として独逸人「ベンネッケ」氏により通洞案(夕張川本流を溯り、通洞をして北部炭田に達するもの)が立案されたが工事の着手には至らなかった。
【夕張市人口 45315 : 大夕張地区人口 - 】

【社内炭砿人員:1090】
【出炭量:92.310t 累計:350.021t】
1920 大正
9
4月 1日,大夕張尋常小学校に高等科を併置,校名を大夕張尋常高等小学校と改称。この時児童数尋常科436名(8学級)高等科32人。  大夕張土工請願派出所に1名請願巡査配置。(11月廃止)
6月 私設消防隊を改編し,大夕張義勇消防組創立。(二股・六尺・若葉)人員を60名とし,初代組頭に新豊利右衛門就任し,腕用ポンプその他を配置した。(34市史)
8月 常盤沢試錐スエーデン式4号5号。(北部)
9月 香取沢試錐スエーデン式6号7号。(北部)
10月 15日,大夕張炭坑,大夕張砿業所と改称。

>菱友閣できる(五層の坂の上,六尺と若葉の間)。こけらおとしにトーキー映画「大尉の娘」を上映。尚昭和6年協和会館建築の際に解体された資材が使われた。
【夕張市人口 51064 : 大夕張地区人口 3253 】

【社内炭砿人員:926】
【出炭量:104.955t 累計:454.976t】
1921 大正
10
5月 6日大夕張郵便局(請願により夕張郡夕張町字大夕張炭坑に設置(昭和5年南大夕張郵便局に改称)
7月 鹿島沢地域試錐9,10号・北卸沢探炭試錐英式1号。(北部) 25日,新錦坑でガス爆発。死者5名。
10月 春日沢試錐英式2号。(北部)
11月 香取沢試錐英式3号。北卸沢試錐英式4号。(北部)
北部開発第3次案として遠幌-北部間の測量を開始。遠幌加別川を溯り、北部炭田鹿島沢附近に達する鉄道を立案。測量を開始したが、全線40分の1(1000分の25)の急勾配となる上、延長40鎖(800米)に及ぶ隧道の外、2、3ヶ所の隧道を必要とする悪条件のため実現に至らず。
【夕張市人口 50769 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:905】
【出炭量:102.363t 累計:557.339t】
1922 大正
11
1月 鹿島沢試錐スエーデン式11号。(北部)
2月
 1日,三菱鉱業の合理化により,大夕張砿業所を美唄砿業所の支坑に改める。
4月 香取沢試錐スエーデン式12号。(北部)
6月 大夕張尋常小学校,4教室,児童,職員玄関等増築。 校旗制定。
8月
 パンケ大二股試錐13号。(北部)
11月 中の沢試錐スエーデン式14号(北部)
12月 中の沢試錐スエーデン式15・16号。(北部)

【夕張市人口 44530 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:906】

【出炭量:98.116t 累計:688.455t】
1923 大正
12
4月 10日,火葬場できる。(14坪釜2基)
6月
 鹿島沢探炭坑道開鑿による炭層調査開始。(北部)
12月 三菱大夕張鉱に実業補習学校(鉱業)を設置。小学校高等科卒業の男子を入学資格,修業年限を3ヵ年とする。
>北部開発,第2次案を最良として測量開始されるが,関東大震災のため中止。

【夕張市人口 44994 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:726】

【出炭量:78.164t 累計:733.619t】
1924 大正
13
2月 常盤沢試錐・スエーデン式17号。(北部)
3月 9日,六尺の輸送路近くの下河原松太郎監督下の飯場で火災。炭車暴走し選炭場が被害。
12月 通洞坑口予定地の初音台地に坑夫社宅6戸建2棟建てられる。(翌年春にかけ)
【社内炭砿人員:822】
【出炭量:86.798t 累計:820.417t】
1925 大正
14
2月 11日,若葉第1斜坑 発破による死者1負傷8。
3月 大夕張炭山派出所を廃止。
9月 4日,大夕張義勇消防組,公立大夕張消防組として認可。(34市史)初代組頭小紙元春。
12月 鹿島沢探炭坑道,炭層状態確認をして一時中止。

【夕張市人口 48697 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:652】

【出炭量:80.050t 累計:900.467t】



























































1926 大正
15
昭和元
7月 1日,大夕張青年訓練所開所。
8月
 北部開発,第2次案の通洞案に決定。南部二股市街-ダニ峠-通洞台地(鹿島小グランド)まで馬により資材・機械を運ぶ。
9月 
通洞開鑿工事に着手
11月 三菱鉱業,
大夕張北部新鉱開発5ヵ年計画に着手。南部−北部大夕張間の鉄道工事始まる。専用鉄道は既成線4哩55鎖地点を起点とし、夕張川本流に沿い6哩10鎖を延長、昭和4年9月完工の目標をもって工事を開始。
12月 北部大夕張鉄道工事場派出所に1名請願巡査配置。

【夕張市人口 47463 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:677】
【出炭量:78.172t 累計:978.639t】
1927 昭和
2
3月 17日,専用鉄道北部延長工事申請。
4月 8日,本店,技術部沢田技師,はじめて工事予定線を踏査。 10日,大夕張砿直轄鉄道係設置,事務所を用度係事務所(既成線終点4哩70鎖の山川附近)内に置くこゝとした。
5月 中旬,専用鉄道延長工事担当者として沢田技師発令。 22日,沢田技師着任。
6月 10日,美唄礦業所から独立し,「
三菱鉱業株式会社大夕張礦業所」となる。初代所長勝呉英氏。  15日,専用鉄道北部延長工事認可、監第1494号。
7月 11日,北部開発鉄道係設置,鉄道係主任沢田技師発令。  22日,帝室林野庁より工事承認を受ける。
8月 12日,馬鉄工事予算7万余円にて大井、梅原組に決定。 18日,鶯沢橋梁基礎工事着工(梅原組)。 22日,吉野沢橋梁基礎工事着工。 25日,香椎沢橋梁基礎工事着工。  28日,旭沢橋梁基礎工事着工。 31日,第1期道床工事完工
9月 1日,
第2期道床工事(大井組,梅原組請負)及び馬鉄工事着工。 8日,竜田沢付近にて熊射殺。 13日,五十鈴沢橋梁基礎工事着工。15日,向田幸蔵夕張町長他来賓出席のもと、通洞開鑿地鎮祭。大夕張礦業所が北部大夕張通洞開削に着手する。(初音沢付近)     28日竜田沢橋梁,基礎工事着工。
10月 6日,通洞完通。 11日,五十鈴沢橋梁基礎工事完工。12日,大夕張鉄道北部延長工事の為,
馬鉄が敷設完成。馬車軌道完成により請負人佐藤庄太郎により機械及び物資の搬入を開始。5哩65鎖附近の馬匹難所である巻上線脇の岩山上に佐藤組馬頭観音を建立。 14日,鶯沢橋梁,基礎工事完工。 29日,吉野沢橋梁,基礎工事完工。 30日,竜田沢橋梁,基礎工事完工。
11月 2日,明石沢橋梁,基礎工事着工。 4日,
第3期道床工事着工(小樽在住の橋本組請負)。沿線渓沢の名称が決定。(1号の沢 鶯沢,2号の沢 吉野沢,3号の沢 五十鈴沢,4号の沢 香椎沢,8号の沢 明石沢,5号の沢 旭沢,6号の沢 竜田沢,7号の沢 宝沢, 名取沢,初音沢。)  中旬)橋梁橋桁の入荷を始める。 22日,香椎沢橋梁,基礎工事完工。 26日,明石沢橋梁,基礎工事完工。 27日,旭沢橋梁,基礎工事完工。
12月 通洞入口(初音台)に建てられた事務所,職員合宿,鉱夫合宿使用開始,140名(世帯持ち-鉱夫のみ-24名)。
>真宗本願寺派願正寺設立(炭鉱開発と同じ頃入植,山野を開きながら布教。寺号公称昭和22年)
【夕張市人口 47983 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:951】
【出炭量:100.048t 累計:1.078.687t】
1928 昭和
3
2月 初)橋梁橋桁到着完了し,南部在住佐藤庄太郎により馬橇により運搬開始。
3月
 初)橋桁運搬完了。 三菱大夕張に請願巡査1名。北部に1名派出所。(向こう1年間許可)
4月 1日,鶯沢,吉野沢橋梁,架橋工事に着工。 6日,五十鈴沢橋梁,架橋工事に着工。 15日,香椎沢橋梁,架橋工事に着工。  30日,鶯沢橋梁架橋工事を完了。
5月 1日,宝沢橋梁,基礎工事に着工。(大井組) 5日,軌条敷設工事を開始。 8日,旭沢橋梁,架橋工事に着工。 鉄道事務係事務所明石沢下流に移転し、測量隊の合宿と併置。 25日,明石沢橋梁,架橋工事に着工。
6月 1日,軌条敷設工事6哩70鎖に到達し,中継所設置。3080蒸気機関車運転開始し,物資運搬。建築列車用蒸気機関車3080号は、元より美鉄において運転不能なるものを応急修繕の上無理に使用したもので、運転中屡々故障を生じ且つ蒸気漏洩のため6哩間を一気に運転できず,途中停車により蒸気の快復を待ち再び運転を再開する状況にして、9201号蒸気機関車を使用する10月末に至る5個月間を辛じて運転する。 6日,三菱大夕張礦業所が公立主夕張尋常小学校校舎建設に着手 15日,第2期道床工事完工。 21日,竜田沢・宝沢橋梁,架橋工事着工。 25日,宝沢橋梁,基礎工事完了。26日,吉野沢橋梁,架橋工事完了。
7月 8日,明石沢橋梁,架橋工事完了。23日,
第4期道床工事着工(橋本組請負)。
8月 20日、4号香椎沢橋梁上、軌条敷設工事中橋脚附近より原因不明(煙草の吸殻と推定される)の出火により、東南の風に煽られ瞬く間に山手御料林に延焼、一時殆ど絶望と思われたるも幸い風向きの変化と各員必死の奮闘により7、8町歩の延焼に止まり午後1時鎮火。
9月 12日,主夕張尋常小学校通学区域を南大夕張より北方約2里,鹿島沢一帯の地域及び夕張川本流に沿い,北東3里の地域を連絡包容する境域と定める。 15日 三菱大夕張礦業所が
主夕張尋常小学校校舎新築完成,夕張町に寄付。(教室8その他 352.75坪〜1160.77平方平方メートル) 21日,第3期道床工事完了 25日,主夕張尋常小学校第1代佐藤勇蔵校長
10月 1日,公立
主夕張尋常小学校開校(初代校長佐藤勇蔵,教諭小林清次) 2学級 児童数123。
【開校当時をふり返って 小林清次(開校25周年記念誌より)】
その始,学校長と二人きりで建築列車に便乗「バラス」の上に乗せられた梱包にしがみつき「がたん」「がたん」と揺られ,発破作業中の「函岩」近付で若しやと思うくらい肝を冷やしながら北部大夕張に運ばれた。(中略)大夕張駅も当時鋸目のある坂で仮に造られたレール終点兼糧秣倉庫の地点に山の親父がまかり出て「がりがり」と板壁をひっかく音に2名(和井田,土田)の係員をふるいあがらせた翌日着任。 本校も河原の様な校庭にポツンと人待ち顔に立っていた。開校準備の手休めにと,校庭をそぞろ歩きしている自分の姿を見つけ,「学校の先生がいる」と数ヶ月間、学校に飢えた子等、数人駆け寄り日焼けした面に瞳をかがやかせ、それでも遠慮勝ちに「何時から学校が始まるの」といった頭の大きい年嵩の子供。(後略)
  4日鹿島墓地ができる。 24日、予て払下出願中の9201号蒸気機関車が到着、これに若干の修繕を加え10月31日より運転を開始。 25日,第4期道床工事完成。
11月 三菱大夕張礦業所医局開設,緑町(後の保養所付近)で治療開始。 27日,
専用鉄道の延長工事終了。「通洞」まで到達。  30日,火葬場(21坪釜3基 s27年改築)ができる。
12月 12日,建築列車に便乗する者多く、線路も稍整備せるをもって、美鉄より同時払下の客車1両を連結1日4回の運行をする。
官行・富士見・栄・千年町ができる。(砿員住宅400戸,社員住宅62戸)
【夕張市人口 49944 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:1.201】

【出炭量:106.012t 累計:1.184.699t】
1929 昭和
4
1月 22日,大夕張の駅名を南大夕張,北部駅(主として旅客の乗降及び購買会用品等少量の貨物を取扱うを目的とする)を大夕張駅と改称。 終点を通洞駅(一般乗降客を取扱わず専ら石炭積出し及び砿業所物資の積卸しを行うを目的とする)と命名。
2月 4日,この日から客車2両を連結運転。
4月 主夕張青年訓練所設置。
5月 7日,午後1時30分,通洞(-鹿島沢間)貫通。 専用鉄道自営運転に備え,美唄鉄道より元国鉄の9201・9237蒸気機関車譲受。(使用認可15日) 8日,午後7時,第2斜坑でガス爆発。死者3人。 9日,
大夕張山神社できる。(昭和24年大夕張神社と改称)  13日,大夕張通洞(長さ3.050m×2)の工事完成式典。  通洞選炭場使用開始。  22日,主夕張尋常小学校 高等科併置される。校名を主夕張尋常高等小学校と改称。  
6月 1日,南大夕張〜北部大夕張の間に,
三菱礦業所専用鉄道が開通。自社運行送炭開始
7月 26日,午後1時第2斜坑でガス爆発。負傷者5人。
8月 23日,午後2時通洞第4〜7目抜間でガス爆発。死者不詳,負傷者28人。
9月 20日,主夕張尋常高等小学校校舎増築(教室7,職員室,応接室等409坪 児童数428) 24日,三菱鉱業大夕張砿業所が
北部に移転。 大夕張砿業所が在郷軍人,青年団等を中心に私設三菱大夕張義勇消防組を創設。3部制。(栄町・緑町・千年町)組員90名,初代司令に藤井賢造が就任。(34市史)
10月 26日,選炭場完成。 >鉄道事務係事務所,明石沢下流より,北部事務所落成により移転
12月 7日,
大夕張劇場近藤利作が建築開館。(千年町)炭砿の勤務と合わせながら土・日のみ開場。土間むしろ敷き。   大夕張警部補派出所設置。
緑町ができる。
指定商24名,7号の沢の緩傾斜地(千年町市街)に入地。1戸当たり間口4間,奥行き12間として営業地及び営業種別を指定。
高田文次郎(菓子),山口辰之助(雑貨),中村保(後に富田外治・魚菜),井若喜三郎(煙草,新聞),堀田正夫(牛乳),杉田文治(履物),坂本サダ(呉服仕立),長江房太郎(魚菜),石川由作(呉服),織田静賢(酒屋),北島鉄蔵(豆腐),坂本勇次郎(バー),坂本理髪店,中川薬店,斎藤金物店,川西恂三(ブリキ),相沢半七(クリーニング),福井静枝(料亭生月),永原久弥(料理),井出豊平(土建),大井鉄平(土建),今狩蔵(ふとん),今井幸作(葬儀店),門馬雄寿(旅館),近藤利作(大夕張劇場)25名。
【夕張市人口 50611 : 大夕張地区人口 - 】

【社内炭砿人員:1.446】
【出炭量:164.831t 累計:1.349.530t】
学校
1930 昭和
5
5月 11日,大夕張俳句会設立。小幡頁同(60名)。  第2次指定商11店入地(千年町)。
土屋商店(飲み屋),駒商店(時計,新聞),佐藤庄太郎(造材),小須田信一(運搬業),小原庄次郎兄弟(建具),篠崎公正(石炭運送),東田左官,帯向商店,千葉金一(理髪),酒井洋品店,熊谷市助(大工)12名。
8月 26日、鉄道係主任沢田技師本店技術部に転任、既に専用鉄道延長工事も完結せるをもって、9月5日鉄道係を廃止し工作係に合併。
10月 1日,炭砿事務所内に
大夕張郵便局開設(特定集配局:集配区域は南部,大夕張一円)。旧大夕張郵便局は南大夕張郵便局と改称(9月21日)。
11月 15日,三菱礦業所,
南大夕張事業所廃止。労働者の大部分は北部大夕張へ移動。   26日,字名改正により,主夕張尋常高等小学校から大夕張尋常高等小学校へ校名変更。北部移転により児童数急増13学級 児童数818。  大夕張尋常小学校を南大夕張尋常小学校に改称。    公立大夕張消防組(大夕張義勇消防組)が北部に移転,私設義勇組を改組統合し,本部を千年町に置く。(1部千年・2部南部・3部礦業所)組員103名。消防機構公私合体し,単一となるが第3部のみは、公立ではなく礦業所の私設であった。)(34市史)
12月 主夕張青年訓練所を大夕張青年訓練所と改称。大夕張青年訓練所を南大夕張青年訓練所に改称。
代々木町できる。
>この年出炭量約29万トン。

【夕張市人口 51967 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:989】
【出炭量:257.744t 累計:1.607.274t】
1931 昭和
6
1月 26日,大夕張郵便局,電信電話通話事務取扱を開始。 大夕張第1斜坑採炭開始。
4月 10日,大夕張尋常高等小学校第2代佐々木久五郎校長。
6月 13日,曹洞宗大夕張説教所(
大聖寺)千年町に創立。(昭和3年炭鉱開発されたとき,当時南部の説教所で布教していた初代鉄山和尚が会社の要請によって,昭和6年説教所をかまえたのが始まり。昭和18年7月22日寺号公称を許される)
8月 
協和会館(三菱大夕張礦業所)完成。
【夕張市人口 43526 : 大夕張地区人口 - 】

【社内炭砿人員:925】
【出炭量:270.483t 累計:1.877.757t】
1932 昭和
7
2月 採炭方式変更(V型採炭法)。
4月 2日,『協和会報』(三菱大夕張礦業所発行所。 阿部金作発行人)発刊。月1回不定期発行。
6月 2日,夕張町会議員選挙。藤井賢造,成相淑,有江忠五郎大夕張から当選。
7月
 16日,大夕張郵便局局舎新築移転(名取沢右岸)
9月  宝沢道路工事着工。
10月 20日,従来の大夕張砿業所清水沢出張所に休養所を加え移転(社起点より150米、清水沢駅より353米地点)執務取扱い開始、新清水沢駅兼出張所と称し開業。
12月 20日,大夕張衛生組合(組合長石川田作)設立。
>清水沢〜大夕張間道路の建設計画が会社の賛成を得られず実現せず。
【夕張市人口 39563 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:815】
【出炭量:305.256t 累計:2.183.013t】
1933 昭和
8
1月 21日,宝沢道路工事完了。千年町と緑町が道路で結ばれる。
3月 
31日,大夕張尋常高等小学校第3代伊沢豊久校長。
4月
 1日三菱大夕張礦業所が
三菱大夕張幼稚園を三菱大夕張病院横に開設。(園長 鉱業所々長西原民平 園児82)
8月 8日,香椎沢橋梁の橋脚流失。(30日まで,函館ドックの手による仮工事完了迄折り返し運転を行う。) 30日,香椎沢橋梁復旧工事完了。31日,大夕張鉄道列車運転再開。
9月 
1日,大夕張尋常高等小学校校舎増築(運動場,廊下137坪 児童数819 13学級)
10月
 1日,大夕張尋常高等小学校屋内運動場落成式,並びに宝沢道路開通式(1月落成)挙行。 12日,第1斜坑で落盤事故,死者1名。 26日,北部選炭場増設工事完成。
>鹿島沢に自家発電施設設置。
【夕張市人口 40863 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:956】
【出炭量:382.402t 累計:2.565.415t】
1934 昭和
9
2月 北卸で石炭を出す。 主夕張森林鉄道工事着手(〜昭和17) 第12回全日本スキー選手権大会(青森・大鰐),ノルディック50kmにて箕輪正治(大夕張)優勝。
4月 1日,三菱大夕張幼稚園設立。園長山崎徳也。学級12,職員9名。園児,男265名,女300名 合計565名。 7日,葡萄山隧道なだれのため崩落。(17日まで折り返し運転を行う。)  17日,葡萄山隧道外線仮工事完成,列車運転。
5月 コークス炉造営開始。
7月 上旬) 主夕張森林鉄道,熊曳沢までの7.9km竣工。 30日,通洞駅構内御料木材土場入岐線工事着工。
9月 北部コークス炉40基完成。 15日,葡萄山付近外線工事完了。 公立大夕張消防組規律訓練優秀につき、金馬簾1条使用許認。
10月 遠幌加別川橋梁,橋脚に亀裂を発見。架け替え工事着工。
11月 
鉱泉の沢坑開坑着手。
12月 26日,
大夕張郵便局局舎大夕張駅前に新築移転,翌27日より電話交換事務取扱を開始。
【夕張市人口 39934 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:1.012】

【出炭量:434.995t 累計:3.000.410t】
健保
1935 昭和
10
1月 18日,遠幌加別川橋梁,架け替え工事完成。 22日夕刻より大吹雪となり、翌23日も依然猛烈となり専用鉄道各所に吹溜りを生じ列車不通、24日に至るも開通不能のため1、2番方共採炭休業、総動員をもって除雪に当り消防組その他の援助により全線600余名を配し復旧に努め、同日午後9時漸く列車の開通を見、吹雪は24日午後10時漸く止めり。
2月 9日〜11日、第13回全日本スキー選手権大会(札幌),ノルディック50kmにて岡崎作治(大夕張)優勝。
4月 25日,遠幌加別川橋梁残工事着手。
5月 19日,遠幌加別川橋梁落成,列車運転開始。
6月 30日,通洞駅構内御料岐線落成。(7/2使用開始。原木の積出搬出を行う)
7月
 2日,青葉峠落石覆,増設工事着工。  
千年町に電灯がつく。   新錦坑でガス爆発。死者5名。 大夕張尋常小学校門柱竣工。
8月 1日,大夕張青年訓練所と実業補修学校が統合し,大夕張工業青年学校に改称。  コークス炉製造開始。
9月 24日,青葉峠落石覆,増設工事完工。
10月 15日,大夕張尋常小学校校舎増築(教室4 110坪 児童数924) 23日,葡萄山外線付近,外線改良工事完了。  南卸で石炭を出す。

【夕張市人口 42508 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:1.096】
【出炭量:501.578t 累計:3.501.988t】
1936 昭和
11
4月 第2北卸の開鑿を開始。
6月 
鹿島沢400hp扇風機設置。
7月
 木製ラッセル車(キ28)入線。
8月 夕張森林鉄道工事場に請願巡査派出所許可。(11月まで)
9月 10日,大夕張尋常小学校校舎増築(廊下,宿直室,湯呑場など83坪 児童数928)
弥生町ができる。
【夕張市人口 42605 : 大夕張地区人口 5337(鹿島) 660(南部)】
【社内炭砿人員:1.169】
【出炭量:587.811t 累計:4.089.799t】
1937 昭和
12
5月 15日,主夕張森林鉄道,大夕張貯木場から二股沢までの15.4km竣工。
7月
 21日,専用鉄道を地方鉄道に改組申請。
8月 12日,地方鉄道改組に備え新製蒸気機関車9603号入線。『No.3』
10月 客車ナハ1入線。 15日,大夕張尋常高等小学校校舎増築 教室5,廊下,東側玄関 255坪 学級数(尋常科15高等科4)児童数1,090
【夕張市人口 48375 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:1.601】
【出炭量:637.671t 累計:4.727.470t】
1938 昭和
13
2月  中央斜坑掘削開始。
10月  20日,大夕張鉄道が,専用鉄道から地方鉄道への改組が認可。通洞の駅名を大夕張炭山と改称。 31日,清水沢出張所を新清水沢と改称。
11月 15日,大夕張発電所設置(鹿島沢の2発電所は廃止)。
宝町ができる。
【夕張市人口 57306 : 大夕張地区人口 - 】

【社内炭砿人員:1.995】
【出炭量:699.495t 累計:5.426.965t】
1939 昭和
14
1月 1日,帝室林野局大夕張出張所発足。
4月 1日,大夕張鉄道旅客運賃改正 粁当賃率1銭5厘6毛。 20日,地方鉄道「
三菱鉱業株式会社線」として一般運営業を開始。社線内旅客及び貨物の取扱を開始する。タブレット閉塞器設置。旅客賃率1銭5厘6毛。 大夕張〜新清水沢間24銭。 石炭賃率18粁50銭。当時の駅【新清水沢-南大夕張-大夕張】
5月 31日,勅令「警防団令」交布により、夕張警防団設立。第8(南大夕張),第9(大夕張)分団
7月 14日,日蓮宗
妙法寺千年町に移転(設立者鍋谷寛明,清水沢より。寺号公称昭和27年4月12日)
9月 4日,公立大夕張消防組として認可。
10月 19日,朝鮮人労働者入山(第一回177名)その後,中国人も入山。 31日,大夕張尋常高等小学校校舎増築(教室14・東側便所 使丁室その他546.75坪 学級数29,児童数1,590。s13,14の両年教室不足の為2部授業を行う。)
11月 20日,南大夕張駅構内御料岐線完成。
>主夕張森林鉄道,二股沢から4.4kmの日陰沢線竣工。南大夕張を起点として下夕張森林鉄道着工。
錦町ができる。
【夕張市人口 62791 : 大夕張地区人口 - 】

【社内炭砿人員:2.116】
【出炭量:731.846t 累計:6.158.811t】
学校
1940 昭和
15
1月 7日,木製ラッセル車(キ28)胆振縦貫鉄道に譲渡認可。
2月
 三菱大夕張鉱に巡査部長1名請願派出所許可。
3月 12日朝鮮人労働者516人の内,140人労務係退陣を求め争議。
5月 三菱鉱業職員健康保険組合を設立。 大夕張警防団発足(大夕張分団が夕張警防団から独立)。初代団長山内亀三郎。
6月 1日,帝室林野局と遠幌加別川より木材積出協定締結。 15日,遠幌加別駅新設申請。
8月 25日,遠幌加別駅新設認可。 新斜坑開鑿工事に着手。
9月 1日,大夕張鉄道
遠幌加別駅開業。木材積出開始。御料岐線完成。
10月 20日,
大夕張警防団として独立。第1分団(礦業所・千年町),第2分団は南部に置く。 新斜坑(第1卸・第2卸)開坑着手。
11月 13日,佐々木鬼一郎氏「誉の子宝賞」表彰(11人)  21日,私立三菱大夕張青年学校開校。
12月 1日,大夕張尋常高等小学校校歌できる。(作詞 加勢蔵太郎 作曲 工藤富太郎)  25日,大夕張劇場,岩見沢の新田睦吉経営となる。
【夕張市人口 64998 : 大夕張地区人口 - 】

【社内炭砿人員:2.548】
【出炭量:722.108t 累計:6.880.919t】
砿業所
1941 昭和
16
1月 人車卸,ベルト卸の掘進を開始。 増備の第2陣として9604号蒸気機関車を新製、美唄鉄道に於る輸送力の関連から当線には直接入線せず美唄鉄道に配属、支援に美唄鉄道より9217号蒸気機関車を借受け使用9604号蒸気機関車新製9237号と交換使用。
2月 三菱大夕張鉱に巡査部長1名,請願派出所許可。 16日,木製ラッセル車(キ28)胆振縦貫鉄道に引渡し。 28日,鋼製ラッセル車(キ1)入線。
3月 1日,建設業中島組設立。大夕張鉱業所指定業者になる。  大夕張炭山駅に
機関庫落成。
4月 1日,大夕張尋常高等小学校から
大夕張国民学校へ校名変更。 大夕張警防団団長山内亀三郎退任。 2代目団長片岡頼義。
6月 25‐30日,朝鮮人労働者213名食事改善を求めてデモ。検束34名。
12月 8日,太平洋戦争はじまる。 この年の出炭量762.500t,戦前における最高を記録。12月の在籍労務者数2849。
>大夕張鉄道,宝沢鉄橋(千年町−大夕張間)の橋桁部分に亀裂を発見。鉄橋を廃し築堤とするための
宝沢埋立工事開始。
【夕張市人口 72053 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:2.956】
【出炭量:199.500/762.500t 累計:7.080.419/7.842.919t】※1
1942 昭和
17
3月 大夕張警防団3分団制に。(第一分団礦業所・第二分団千年町・第三分団南部)
4月 1日,三菱鉱業健康保険組合設立(従来各場所毎の組合を全社一本化 ただし三菱鉱業職員健康保険組合は翌S18.4.1収集合併)  行政町名を大夕張から
鹿島に変更。   大夕張国民学校から鹿島国民学校へ校名変更。児童数1,712 31学級編成。
5月  夕張岳森林鉄道着工。
6月 1日,遠幌加別駅,駅舎新設。(現駅跡より東方100M)駅員2名配置。
8月 1日,遠幌加別駅を遠幌駅と改称。乗降客を取り扱うが乗車券は発券せず。
11月 26日,春日卸でガス爆発。死者4人,負傷者39人。
12月 夕張町会において鹿島地域の分村問題について討論される。
>京都から勤労挺身隊が入山。

【夕張市人口 62201 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.057】
【出炭量:690.500t 累計:8.533.419t】
学校
1943 昭和
18
1月 20日,鹿島書道会設立。小野政志(s31年時会員97名)
2月 
(株)夕張卸売市場,鹿島卸売市場支店を設置。
4月
 1日,夕張市市制施行。夕張市鹿島国民学校へ校名変更。大夕張警防団から鹿島警防団と改称。
6月 20日,
夕張市役所鹿島出張所できる。(初代所長香川庄造他1名任命7月) 人口1万1860,戸数1954戸。  大夕張劇場(千年町),映画常設館となる。
10月
1日,遠幌駅,車扱貨物連絡運搬実施。乗車券の発売開始。当時の駅【新清水沢-遠幌-南大夕張-大夕張】
>三菱大夕張従業員による戦闘機「大夕張号」献納。
>池建設(代表者池五八)明石町に設立。
【夕張市人口 73953 : 大夕張地区人口 11860 】
【社内炭砿人員:3.459】
【出炭量:700.000t 累計:9.233.419t】
鉄道
1944 昭和
19
3月 1日,大夕張鉄道旅客運賃改正。旅客賃率1銭6厘。大夕張〜新清水沢間26銭
4月
 1日,省線の運賃改正に合わせ大夕張鉄道旅客運賃改正。粁当賃率2銭5厘。大夕張〜清水沢間40銭。 4日,北部人車卸で落盤死者8人
6月 22日,南卸でガス爆発死者13人,負傷者31人。
7月 20日,鹿島国民学校第4代内山清治校長。
8月 中国人労務者176人入山。 25日,清水沢駅乗り入れ協定締結。構内工事着手。 鹿島警防団長片岡頼義退任。3代目団長松井栄就任。
9月 1日,
北海道拓殖銀行夕張支店大夕張出張所開設。S25大夕張支店に昇格。   30日,宝沢の築堤化工事完了。 鹿島警防団長3代目団長松井栄就任。
11月 22日、地崎組受け入れ中国人労務者387人、入山。 尺別よりC1101機関車転属入線。

12月 3,4日,国民学校教育研究会,第一師範学校地方出張講習会鹿島国民学校にて開催。修身・国語・国史。
【夕張市人口 75010 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.961】
【出炭量:738.000t 累計:9.971.419t】
1945 昭和
20
4月 1日,旅客運賃改正。粁当3銭。大夕張〜新清水沢50銭。 三菱大夕張鉱業所盤沢中国人労務者宿舎より伝染病ペスト発生。5人全員死亡。
5月 6日,
農場前臨時乗降場(s25より明石町駅)開業。
8月 15日,終戦。
9月 1日,鉄道課設置。資材倉庫に事務所。(初代鉄道課長宇賀村進) 24日,
中国人労働者ほう起。(当時の入山数 中国人450名,朝鮮人約3300名)鎮圧中警察官殉職。
10月 12日,23日,朝鮮人労務者1200人待遇改善を要求。  23日,鹿島革新同志会結成大会が鹿島国民学校体育館で開かれる。(大夕張炭鉱夫労働組合の母体)
11月 10日,大夕張炭鉱夫労働組合結成。  14日,団結権,団交権の承認,物価手当要求を掲げスト。
12月 4日,中国人労働者帰国の途につく。  第2回目のストライキ,組合全面勝利で解決。(内容は日給11圓75銭、出勤時間7時間、休憩時間を1時間とする等)。 20日,大夕張鉄道交通従業員労働組合発足。
下夕張森林鉄道(南大夕張-パンケモユウパロ川ルベシップ)全線16.8km竣工。

【夕張市人口 74665 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.386】

【出炭量:361.000t 累計:10.332.419t】




























































1946 昭和
21
1月 2日,一般労働組合結成。  6日,三菱大夕張幼稚園栄町3丁目18番地に園舎175坪建設。園児350。職員16名。(のち健保会館横に移転。) 鹿島警防団長松井栄退任。4代目団長吉田重明就任。
2月 1日,大夕張鉄道の
第二農場前臨時乗降場(後のシューパロ湖駅付近。s32.2.1大夕張ダム建設の為廃止)開業。それまでの農場前臨時乗降場を第一農場前臨時乗降場とする。  日本画家蔦子葉「大夕張画塾」を開く(s31年年時会員35名)。  15日,大夕張礦業所職員労働組合結成。  
3月 14〜18日,雪害の為鉄道運休。キ1+蒸機3重連の除雪列車を運行するが,未開通。炭砿の全従業員及び一般住民による昼夜兼行の除雪作業で18日夕刻復旧。
4月 1日,全林野労働組合札幌営林局支部大夕張分会結成。  大夕張主婦会結成。 旅客運賃改定旅客賃率9銭,大夕張新清水沢間1円50銭。 鹿島警防団長吉田重明退任。5代目団長久保簾三就任。
5月 戦後初のメーデー(第17回メーデー)に参加。(炭労,協和会館にて臨時大会,その後,統一会場の国民学校グラウンドまで,一般・土建・林業・職組・青年会合流しながら千年町-鉱業所まのデモ行進)【記念行事「全大夕張歌謡曲,舞踊コンクール大会」伴奏:黒ダイヤ楽団・ラッキースターズ】
7月 1日,大夕張高等女子家政塾できる。三菱鉱業で従業員子女の教育を重視し,昼夜授業,本科2年・専修科1年,年々70〜80名の卒業者。生徒180名。(〜s37)栄町3丁目18番に幼稚園と同居。  5日,南部市街で火災24戸焼失。
10月 5日,ラッキースターズ(音楽団体)設立。沢口文悟。
>夕張市,緊急開拓事業地(鹿島,南部,清水沢,沼の沢,紅葉山中島,十三里,川向)として638町歩を林野局より無償貸下。
>夕張岳森林鉄道11.6km全線竣工。

【夕張市人口 68523 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.451】
【出炭量:315.700t 累計:10.648.119t】
1947 昭和
22
1月 15日,三菱大夕張鉄道,国鉄清水沢駅に乗り入れ始。 16日,大夕張鉄道新清水沢駅廃止。当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張-大夕張】
2月 鹿島警防団長久保簾三退任。6代目団長池田幸吉。
4月
 1日,帝室林野局大夕張出張所が
大夕張営林署に昇格。 学制改革により鹿島国民学校から夕張市立鹿島小学校と改称。33学級児童数2366人。  栄町岐線120メートル敷設。 旅客運賃改定旅客賃率12銭。大夕張ー清水沢間2円
5月 1日,鹿島小に
鹿島中学校併置開校(職員数10,生徒数517,学級数10)。これにより鹿島小教室不足に陥る。鹿島中の移転まで2部授業5日制授業実施。鹿島小第5代亀井茂房校長。鹿島中第1代内山清治校長。
6月 1日,夕張市支所設置条例により鹿島出張所が
鹿島支所に昇格。
7月 7日,鉄道運賃改定。大夕張・清水沢間8円50銭。 10日,鹿島中校章制定。
8月 鹿島警防団を
鹿島消防団と改称。(4月に「警防団令」交布により、夕張警防団を夕張消防団に改称)初代団長池田幸吉。  南部開発踏査開始。
9月16日,豪雨の為南大夕張-大夕張間10.850km地点の暗渠が詰まり築堤崩壊。進行中の始発代2列車乗務員が発見,非常制動手配をとるも及ばず,牽引運転中の9217(借入機)が約10m下の沢に転落し,大破。ついで緩急車も転落,更に客車も徐々に転倒。機関士と機関助士は泥流から無事脱出し,旅客にも死傷者なし。9217は破損のまま美唄鉄道に返却。18日,復旧工事完了。
11月 春日町ができる。
12月 15日,
大夕張炭山駅の駅舎,鉄道課事務所の新築工事落成。 南部錦坑開坑着手,9604号機関車入線『No.4』。
>小寺仙峰,鹿島小学校において鹿島書道会主催の全道展と書道の講習会を開催。審査員は,金丸悟舟。

【夕張市人口 82123 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:4.521】
出炭量:426.700t 累計:11.074.819t】
1948 昭和
23
1月 遠幌駅構内北炭枝線完成。北炭遠幌砿送炭開始。
2月 
1日,鹿島青少年団育成会(小河内孝男1100名)
3月 
1日,中島組,中島工業株式会社に。(本店夕張市鹿島一番地 取締役社長中島政雄)  緑町青年会(小井出政吉53名) 7日,大夕張駅構内にて下り列車側線進入脱線事故。 21日,常盤町青年会(古地保 37名)
4月
 1日,鹿島小補食給食開始。 大夕張鉄道,従業員優待乗車券制度を制定。
5月 19日,鉄道,旅客運賃改訂大夕張・清水沢間15円50銭。 23日,大夕張鉄道交通従業員労働組合,大夕張炭鉱労働組合に合併。 24日,北炭と遠幌駅舎及び社宅等の協定締結。(6月18日,これを受け三菱の所有とする)
6月 遠幌駅舎(40坪)・付属建物(6坪)・住宅6戸を北炭より引き渡される。
7月 15日,清水沢・鹿島間道路指導継続事業として着工。清水沢遠幌間に作業員として囚人150人,その他30人が入地。  18日,旅客運賃改定旅客賃率1円90銭,大夕張清水沢間30円。 20日,桜ヶ岡開拓農地に南部小分教室を設置。場所は湖畔亭対岸付近。のちに大夕張ダムにより水没。(11月に桜ヶ岡小として独立。入植者32戸住民の要請に基づき15坪の平屋掘立小屋の離農民家を使用して教室とする。児童数11人(男6女5)。南部に通学するには営林署の木材搬出用鉄道線路を歩かねばならぬ状態だった。)
9月 15日,鹿島中,常盤町に校舎建設に着手。 客車ナハ2入線。
10月 1日,鹿島書道珠算研究会設立。浜出恙雪(s31年時会員64名)。 15日,大夕張炭砿労働組合機関紙『炭山』発刊,3700部。
11月 1日,
桜ケ岡小学校校舎新築着工(道費開拓費により校舎新築着工 通学区域を桜ヶ岡開拓農地とする。初代校長小野寺利秋)。 >大夕張鉱業所職員組合機関紙『三角点』発刊 350部。  2日,大夕張炭礦寮生スト問題で,合同闘争委員会の48時間ストに発展。  9日,道立夕張高等学校鹿島分校できる(鹿島小校舎に併置)。定時制課程,普通課。1年56名。2年46名入学。各1学級。開校式。校長小野武生。
12月 南部送炭開始。
>桜ケ丘に開拓診療所新築。
【夕張市人口 92577 : 大夕張地区人口 16477(鹿島) 1651(南部) 】
【社内炭砿人員:5.210】
【出炭量:383.800t 累計:11.458.619t】
1949 昭和
24
1月 25日,遠幌小学校開校。
3月
 
常盤町。 明石町できる。(第一農場に300戸新築) ※当時明石町への道路はなく、鉄道だけがたよりであり、住民は急ぎの用事には、線路を往復、鉄橋を渡って行き来した。
4月 夕張市消防団設置区域、組織に関する規制制定に伴い夕張消防団9分団定員403名、鹿島消防団6分団定員245名に改組。  夕張高校鹿島分校から夕張北高校鹿島分校に校名変更。在校生221名。学区制男女共学開始。    真宗大谷派
本覚寺錦町に創立。
5月  7日,桜ケ岡小校舎新築完成。(木造平屋,教員住宅19坪併置の60坪)  8日,大夕張若柳会(舞踊)設立。吉田愛子(s31年次会員50名)。 10日,中島工業株式会社資本金3.000円に増資。札幌に連絡事務所を設置。  鹿島消防団長池田幸吉退任。2代目団長石坂秀一就任。
7月 1日,鹿島中,独立校舎第1次工事完成。
9月  5日,鹿島中校歌制定。 26日,北夕枝線完成,送炭開始。 28日,鹿島中,第一期工事竣工。生徒常盤町新校舎に収容。
10月 7日,大夕張炭山駅構内,流雪溝設置。 29日,大夕張劇場,岩見沢新田興業株式会社に引き継がれる。(テレビの普及とともに廃れ,そのあとにパチンコ店,そして鶏鳥店と変遷をたどる)
11月 1日,鹿島消防出張所開所(鹿島1番地緑町)。
12月 23日 
鹿島中常盤町に独立校舎完成,第二期工事終了総延坪数808坪。(2666.4u)。落成式。(普通教室15,特別教室3,校長室,職員室,事務室,静養室,理科準備室,図書室,宿直室,使丁室,湯呑場,便所,その他)。   31日,岩手県出身北田氏他,寮生有志20数名で第一回裸まいり行われる。明倫寮(後の生協本店)から神社。
>千年町に警察官駐在所できる。
>大夕張公園児童遊園地(栄町)できる。
【夕張市人口 97077 : 大夕張地区人口 17807(鹿島) 3304(南部) 】
【社内炭砿人員:4.893】
【出炭量:392.600t 累計:11.851.219t】
1950 昭和
25
2月 24日,鹿島小学校児童数増加により鹿島第2小学校建設を目的とした期成会が発足。
3月 
31日,鹿島小第6代横路時雄校長。鹿島中第2代河合清校長。
4月
 1日,
明石巡査駐在所設置。(明石町駅前の炭住の一角に。s38.駅横に新築 s49.4.1廃止)  三菱鉱業(株)が美唄鉄道(株)を吸収合併。「三菱鉱業(株)大夕張鉄道」となる。 同日,鹿島小校旗,校章制定。 30日,仮称鹿島第2小学校(鹿島東小)校舎建設地を鹿島1番地千年町に決定。面積3.8254ヘクタール。
5月 12日,旅客運賃改正旅客賃率2円,大夕張・清水沢間30円。 川西商店設立(栄町) 鹿島消防団長石坂秀一退任。3代目肥後国吉就任。
6月 輸送力増強のため国鉄より9605号蒸気機関車を払下げ入線、9603及び9604号と共に主力として活躍 『No.5』。
9月 1日,鹿島中校舎に
夕張北高鹿島分校併置。
8月 14日,千年町国有地に仮称鹿島第2小学校(鹿島東小)校舎建設着手。 >
大相撲百余名(横綱照国 関脇吉葉山 小結清水川ら)従業員慰労の為来山。
(秋) 外地からの引き揚げ者を中心に
奥鹿島の開拓始まる。入植12戸。
9月 1日,鹿島中補食給食開始。
10月 レッドパージで,21人の解雇者。 
11月 1日,
千年町停留場開業。第一農場前臨時乗降場を明石町駅に昇格,第二農場前臨時乗降場を農場前臨時乗降場に改称。当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張-明石町-大夕張】 9日,大夕張ボーイスカウト(日野政人リーダー10隊員32)
12月 1日,北海道拓殖銀行大夕張支店に昇格。  相彌流緑芳会(華道)設立。生花,萩野みどり(s31年次会員46名) 21日,大夕張炭労組合事務所落成祝賀会。 
大夕張駅改築落成。    大夕張カトリック教会建築。
【夕張市人口 99530 : 大夕張地区人口 17993(鹿島) 3874(南部) 】
【社内炭砿人員:4.467】
【出炭量:426.500t 累計:12.277.719t】
鹿島小
鹿島中
1951 昭和
26
1月 10日,鹿島裏千家松風会(茶道)設立。萩野恭子(s31年時会員17名)  18日,成人祭記念NHKのど自慢コンクール(協和会館)   
2月
 カッペ採炭開始。   10日,仮称鹿島第2小学校(鹿島東小)校舎新築工事竣工。    13日,南卸で自然発火,傷者12人。
(春) 
鹿島開拓団設立。団長吉田藤之助以下12名で開墾開始。
4月 19日,錦町山手に天理教大夕張分教会設置(設立者真鍋正夫。昭和13年大夕張炭鉱に奉職,以後布教に従事し,昭和23年布教所を設置し,分教会の創立をみる。) 鹿島中校舎増築(普通教室2,石炭庫増築)
5月 1日,弥生町少年消防クラブ(佐々木晃41名) 10日,鹿島東小猿倉義松校長。 31日,鹿島東小校舎完成。教室12,校長室,体育館,給食室など木造2階建(480坪1584平方メートル)。 鹿島消防団長肥後国吉退任。4代目団長新井格二就任。
6月 1日,鹿島小通学区域の内,鹿島第2小(仮称)分離により,宝町,錦町以南の地域である千年町,常盤町,明石町が除かれる。 13日,鹿島小より児童614名鹿島第2小(仮称)に移籍。 20日,鹿島第2小(仮称)の校名が夕張市立鹿島東小学校と決定。(校名募集当選者中島裕・三井京子)第1代PTA会長中島政雄 24日,
鹿島東小学校開校式(12学級,児童数609 職員13)。通学区域を千年町,常盤町,明石町,第2農場,鹿島開拓とする。 分離後の鹿島小児童数1910 35学級。
【当時をふり返って 濱出榮子(『鹿島小閉校記念協賛誌』より)】
 
私は昭和24年の秋に鹿島小学校へ転勤してきました。当時の鹿島は石炭産業の興隆期で、町は人口増で昼も夜も商店街には人があふれ、にぎやかな活気のある町でした。小学校も児童数の増加でマンモス化した校舎は教室が足りないので、低学年は2部授業を行い、高学年は体育館を間仕切りした仮教室を使用している状態でした。簡単な板じきりの壁で、天井があいているので、となりの教室の声や音がうるさくて、教師と子どもの対話が伝わらないため授業を進めていくことは大変だったようです。でも11月になって、それまでの校舎の一部を占めていた中学生が、常盤町に新設された中学校の校舎に移っていきましたので、体育館の間仕切り教室は解消されたのです。 25年度に私は6年生の担任でしたが、松・竹・梅・櫻・菊・桃・藤・桐、とクラスが8クラスもありました。当時の全校児童は2600名程でした。全校朝会などはどのようにしていたのか思い出せません。 昭和26年に、このマンモス学級解消のため、鹿島にもう一つ小学校が建てられました。東小学校と名称がつけられました。千年町、常盤町、明石町が東小学校の校区となり、各学年2学級ずつ編成され、合計614名児童が6月に東小学校に移転しました。私もその中の2年生の担任で、一緒に移りました。 ふたたび昭和30年には宝町、錦町、泉町が東小学校の校区に加えられ東小学校へ移りました。鹿島小学校は2つに分かれていた職員室が、もとの一つにおさまり、2部授業も解消されていったのです。
  >坑内ガス抜きを実施。 >客車ホハ1,2入線。
7月 1日,鹿島東小補食給食開始。
(秋) 鹿島開拓で12戸全員でつり橋を建設し,共栄橋と命名。農耕馬5頭導入。
9月 18日,鹿島中校舎周辺に植樹(桜,プラタナス等150本,PTA寄贈)。
10月
 1日,北菱産業株式会社設立。 28日,夕張北高等学校鹿島分校定時制第一回卒業式挙行。 緑町少年消防クラブ(日野政人40名) 大夕張一般労働組合機関紙『一般労働報知』発刊500部   
千年町〜明石町間の道路工事着手(三菱が資金650万提供)。  鹿島中,2教室,石炭庫の増築。
>清水沢・南部間道路完成。
>南大夕張からダム建設地に向けて道路改良工事。
>市営
栄町プール設置。
>井出組(代表者沢田金二)千年町で設立。
>下夕張森林鉄道延長工事着工。
【夕張市人口 100537 : 大夕張地区人口 17910(鹿島) 2464(南部) 】
【社内炭砿人員:4.022】

【出炭量:422.100t 累計:12.699.819t】
NHK
1952 昭和
27
1月 10日,大夕張カメラ連盟設立。平岡康国(s31年時会員89名)  
2月
 1日,夕張北高鹿島分校独立校舎建設運動をPTAが中心に起こし,市長及び市議会議長宛陳情を行う。 10日,鹿島東小校歌制定。(作詞,作曲小林清次,校訂上元芳男) 
3月 1日,旅客運賃改訂大夕張・清水沢間40円当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張-明石町-大夕張-大夕張炭山】 7日,
香取坑開坑着手。 15日,明石町少年消防クラブ(片山顕逸25名) 19日,鹿島東小校章決定(公募横山和昭) 22日鹿島東小校旗完成。(寄贈者大夕張劇場支配人藤原三郎)
4月 1日,夕張北高鹿島分校廃止,夕張北高校鹿島分校が夕張市立鹿島高等学校として独立認可され
夕張鹿島高校ができる。 >大夕張保育所設置(設置者大夕張鉱業所)定員70職員8児童数48 鹿島中,体育館完成。普通教室1増築。 26日,大夕張郵便局,清水沢集配事務開始により郵便集配区域が大夕張一円だけとなる。
5月 3日,大夕張炭鉱労働組合主催の地元市議によるS27年度市予算の説明会で鹿島南部地区の分町問題が活発化。 20日,鹿島高初代校長高橋厚発令。
6月 1日,大夕張祥淋会(尺八)設立。高田禅堂(s31年時会員45名) 29日,鹿島高校章制定(作者,島正位)鹿島高独立を記念し,運動会実施。
7月
 二股ダム測量開始。  20日,「鹿島南部分町促進期成会」の結成大会が大夕張礦業所長の祝辞などを得て鹿島東小にて開催。 29日,南部120屯ポケット設置。 30日,鹿島小校舎増築(物置,石炭庫,便所87.5坪)

8月 鹿島警部補派出所は警部派出所に昇格。 大夕張の歌作者ら30名が健保会館で前年5月に転入した足立敏樹を歓迎しての歌会を開く。
9月 
13日,鹿島高校独立記念式典挙行。同時に学校祭を行う。 >
新斜坑(長さ1.955m)堀鑿完了。
10月
 明石橋竣工。明石と千年が陸路で結ばれる 14日,炭労63日ストライキ(〜12月17日) 16日,宝町少年消防クラブ(工藤善次郎71名) 18日,鹿島高校第1回卒業式。 26日,鹿島東小体育館完成。 >排気竪鉱開坑着手。
12月 1日,鹿島小第7代石垣貞司校長。 12日,北菱鹿島炭砿ポケット新築。
【夕張市人口 103083 : 大夕張地区人口 18162(鹿島) 4456(南部) 】

【社内炭砿人員:3.982】
【出炭量:379.000t 累計:13.078.819t】
1953 昭和
28
1月 鹿島南部分町問題 住民投票実施。(賛成6448,反対1338,白紙及び無効120) 大夕張短歌会発足(会長 冨士元秋幸)。
3月 客車オハ1入線。 北菱鹿島炭砿送炭開始。 15日,普通定期券乗車券制度制定。
4月 
1日,イリスコール(合唱)設立。小林清次(s31年時会員43名)
5月
 1日,鹿島東小第二代PTA会長柴田敬一。 18日,大夕張産業建設株式会社設立。(大夕張鉱業所指定請負業者として事業を開始)
6月
 8日,夕張バス 清水沢ー南部間6往復運行開始。
7月 18日,鹿島
消防庁舎駅前に新築完成。  ドラムカッター採炭採用。
8月 8日,竜田沢橋梁に亀裂を発見。応急処置。 11日,大夕張炭砿生活協同組合店舗6坪で設立(旧明倫寮前)。組合員1459名。 20日,栄町少年消防クラブ(長谷川忠志57名)
9月 機関車石油併燃装置炎上(清水沢駅構内)
10月 鹿島小開校25周年記念行事が行われる。 鹿島中,普通教室2増築,体育館120坪(396u)新築。物置新築。19学級。生徒数1096人。  15日,鹿島東小校舎増築(職員室,校長室,放送室,器具室完成) 26日,鉄道課事務所及び大夕張炭山駅,旧営繕課跡に仮転居。30-31日,夕張市議会にて分鹿島南部分町問題決着。(賛成12,反対13,白票6で否決)
11月 1日,鹿島通運株式会社発足。遠幌,南大夕張,大夕張,大夕張炭山の各駅に営業所を置き,事業を開始。 29日,鹿島
警察分署開庁式。  夕張川に取水ダムを築造し,3台のポンプで神社横のの浄水場へおくり、飲料水の配水を行う。同時に、砿業所の明石町専用水道が創設される。明石の沢の取水堰より、下流270mに浄水場を設置。
12月 
15日,鉄道課事務所及び大夕張炭山駅現在地に移転(廃線まで)。 竜田沢盛土工事中島工業請負決定。
>下夕張森林鉄道延長(4.7km)工事終了。

【夕張市人口 105536 : 大夕張地区人口 23767 】
【社内炭砿人員:3.794】
【出炭量:452.300t 累計:13.531.119t】
学校
記念誌
1954 昭和
29
1月 18日,鹿島東小校舎増築(教室2) 26日,緑町に天理教北真夕分教会創立。(創立者出雲喜一岩手県より夕張に来り,北夕夕張鉱に勤務。天理教に入信し昭和3年奈良県天理市にある天理教本部に修養のため6ヶ月の教育,大夕張で布教を始める。) 29日,大夕張駅に売店開業。 大夕張鉱本坑排気立坑堀鑿開始。
4月 鹿島消防団長新井格二退任。6代目団長中山正人就任。
5月 竜田沢(千年町〜明石町間常盤町向)埋立工事着工。 鹿島支所に総務,業務課設置。助役1名常駐とする。鹿島支所に南部派出所開設。 27日,旭川電鉄よりセキ車2両譲受入線。
6月 1日,富士見町少年消防クラブ(服部忠21名) 南部錦坑一時保坑。
8月 客車オハ2入線。 大夕張炭砿生活協同組合店舗98坪に拡張。29年度組合員1722名。 31日,鹿島中第3代萱場武夫校長
9月 1日,栄町青年会(坂本勝蔵25名) 15日,鹿島小校舎増築(器具室10坪)特殊学級設置 26日,
洞爺丸台風(台風15号)。長屋の屋根の損壊,便所建物倒壊,住宅浸水等の被害,鹿島小校舎の一部にも被害。 ※遭難した洞爺丸には、三菱全国社内対抗大会へ出場する北海道4山対抗試合で優、準優勝した芦別、美唄のバレーボールチームが乗船しており、全員台風の犠牲となる。大夕張チームは、美唄チームと準決勝で対戦し、フルセットの末、敗れていた。
10月 15日,『夕張民報』(谷口孝之)発刊。1500部。週刊定期。
11月 1日,大夕張短歌会歌誌『歌詩磨』発刊。 15日,千年町支所横に,鹿島
労働会館(市立)完成。宿泊施設もあり,労働団体が主として利用。  25日,春日橋竣工。 27日,竜田沢埋立工事完了。大夕張鉄道山側に移設,新線切替完了  大夕張郵便局,国有局舎新築落成。  鹿島中普通教室2増築。 >北炭遠幌砿送炭終了。黒江微粉炭送炭開始。
12月 1日, 二股発電所建設に着工。大夕張ダム建設に着手。 同日,春日橋(市道鹿島高校通学道路として)木造吊橋,橋長60m幅1.8m。 同日,鹿島青少年団体指導者連絡協議会(鹿島錦町,千田芳雄26名) 22日,市道認定鹿島協栄線(鹿島40号地先-鹿島6号地先延長2350メートル)  27日,夕張市役所鹿島支所新築落成。 新警察法により夕張市鹿島警察分署は札幌方面夕張方面警察署鹿島警部派出所となる。
>主夕張森林鉄道,日向沢線4.0km竣工。
>労働金庫大夕張出張所できる。
>協栄橋かけかえ。

【夕張市人口 107343 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.705】
【出炭量:507.600t 累計:14.038.719t】
1955 昭和
30
2月 1日,宝町旧鹿島支所跡に夕張市立図書館鹿島分館開設。本館より300冊分冊。職員2。 25日,鹿島緑町子供会(小井出政吉15名)
3月 南部送炭終了。
4月 1日,弥生町青年会(阿部正一23名) 2日,南部錦坑操業中止(合理化の為)。
5月 1日,鹿島東小第3代PTA会長沢田金二。
6月 1日,鹿島中国旗掲揚塔建設。鉱業所援助とPTA寄贈による。  3日,北卸でガス爆発。殉職5。重軽傷者39。
7月 1日,夕張市立
図書館鹿島分館できる。(宝町,旧鹿島支所跡)職員2,蔵書300。 代々木アパート建築着工(藤田組 工費3200万円)
8月 26日,鹿島中正門設置(s29年度卒業生の寄付)。  31日,中島工業株式会社を北宝建設に社名変更。代表取締役西田勝太郎。本店を札幌市北1条西19丁目に移転,夕張支店を夕張市鹿島一に設ける。支店長常務取締役神山博。
9月 1日,新斜坑全面完成。
10月 1日,鹿島地区国勢調査で最高の18.778人を数える。 25日,鹿島東小校舎増築(教室8,音楽室)  29日,鹿島小通学区域変更(宝町・錦町・泉町)のため,鹿島東小に先生6名,児童361名移籍。7号の沢を境に通学区域をわける。鹿島東小児童数1167人,23学級。 30日,鹿島東小校舎落成及び開校5周年記念式典挙行。
11月 5日,大夕張鉄道,明石町寄山側岩盤の切取工事完了。新線切換。   
12月 29日,北炭遠幌砿ポケット撤去。 31日,この年から
裸まいり,会社組合の支援を受け,相撲部に引き継がれる。健康保養所(バス停向かい)から神社へ。 代々木アパート(4階建て),鹿島初の水洗トイレ。(明和寮焼け跡に建築)
>大夕張ダム建設の為,この年までに下夕張,旭丘,桜ヶ岡地区の開拓農家は他地区に移住。
【夕張市人口 107332 : 大夕張地区人口 22594 】
【社内炭砿人員:3.451】
【出炭量:420.000t 累計:14.458.719t】
千年
1956 昭和
31
1月 10日,北宝建設,代表取締役に中島政雄選任。
3月
 5日,大夕張主婦会創立10周年記念大会(協和会館)  >
本坑立坑貫通。
4月 2日,清水沢駅改築落成。 15日,鹿島東小校舎増築(教室2,理科準備室) 鹿島中,体育館97坪(320.1u)増築(ステージ含む)。 鹿島消防団長中山正人退任。7代目団長福田正就任。
5月 1日,鹿島東小第4代PTA会長鈴木五郎。 第27回メーデー 7日,鹿島中,大夕張営林署の指導で学校林造成。落葉松3900本植樹。(1町3段9歩12899.7u)  大夕張鉱本坑排気立坑堀鑿完了。
6月 1日,大夕張ダム工事で,桜ヶ岡小学校廃校。 (校舎を明石町駅より3.5キロの地点に移設)
8月 21日,賀川豊彦,大夕張にて講演会を開く。
9月 6日,大夕張地区内バス(山内バス)開通式典車庫横にて行われる。 11日,鹿島小校舎昭和4年建築分181.5坪は小屋組以外の構造部材の腐朽甚だしく,建築物防災判定がなされ,北海道建築部長より使用を禁止される。 16日,三菱美唄鉄道が
山内線バスの運行を開始。礦業所〜明石町及び中学校前間18往復。礦業所〜明石町・中学校前間運賃15円。
10月 10日,主婦会結成10周年記念大運動会(富士見が丘グランド)
11月 1日,
千年町郵便局が業務を始める。 9日,鹿島高校歌制定。(作詞森才一(一期生) 作曲 千葉日出城)   15日,大夕張炭山駅待合室増築工事完成。
12月 スケジュール闘争開始(翌32年3月会社ロックアウト宣言)   5日,浅野豪夫ら資本金100万円で夕張交通株式会社(夕交タクシー)設立。(後鹿島通運に譲渡)

>二股ダム水路仮閉めきり工事終了。ダム本体下部掘削工事開始。
【夕張市人口 111398 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.303】

【出炭量:552.000t 累計:15.010.719t】
メーデー
バス
1957 昭和
32
1月 富士見が丘スキー場にロープトウ.夜間照明施設取り付け。
2月
 1日,農場前臨時乗降場廃止。(大夕張ダム建設による廃止) 19日,北菱香取坑送炭開始。(3/7ポケット設置)
4月 1日,桜ケ岡小学校を移転し,鹿島東小学校
奥鹿島分校として開校。児童数11人。 14日,奥鹿島分校開校祝賀会を行う。 16日,鹿島東小第2代外山留五郎校長。2教室増築。 26日,青葉隧道工事,開発局と協定成立。
5月 1日,鹿島東小校舎増築(教室2) 鹿島中,第3便所,西生徒玄関増設。第5代PTA会長永原昌一。 7日,青葉隧道工事着手。
ダム建設に伴う鉄道移設工事開始
6月 栄町の炭鉱住宅一部を取り壊し,
栄町アパート建築。 8日,モーターカー入線。 20日,奥鹿島分校屋外運動場完成。  30日,第61回大夕張炭労臨時大会(鹿島小体育館) 協和会館改装工事。【協和会館…安い料金で映画や演劇などを常設的に開催し従業員の慰安の場とした。別館もあり,結婚式や様々な会合にも利用された。ビリヤードもあり愛好者に利用。S48,閉山式を最後に取り壊し。】
7月 鹿島開拓地区,水道施設完成。
8月
 2日,大相撲
横綱千代の山・栃錦一行が来る。鹿島小横の丘にある土俵で巡業。
9月 1日,鹿島小旧校舎(昭和4年建築分)解体。
10月 鹿島中開校10周年記念行事。 18日,雪害により電柱が倒壊し,鉄道運休。  27日,交通安全オートバイパレード(鹿島警部派出所・鹿島交通安全協会)
11月 1日,
夕張信用金庫大夕張出張所開設。 2日,明石町駅,スプリングポイント設置。  15日,洞爺湖温泉町西湖畔亭の小高い丘に健保の保養所開所。(1,2階合わせて183.95坪) 24日,第62回大夕張炭労定期大会(新装なった協和会館にて) 栄町アパート(2階建て)完成,入居。
12月 10日,青葉隧道工事完成。11日より開通式(午前10時より)列車運転。 第1期移設工事完了。
>大夕張ダム建設のため,協栄橋水没。代替えとして開拓橋建設。
>千年町駅待合室増設。
>前年賀川豊彦の講演を機縁に
日本キリスト教会大夕張教会千年町番外地(四班)に建設。
>奥鹿島農事組合設立。
第35回全日本スキー選手権大会(長野志賀高原),アルベン競技男子滑降にて出雲道男(日大)優勝
【夕張市人口 113534 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.262】
【出炭量:545.300t 累計:15.556.019t】

巡業
1958 昭和
33
4月 1日,鹿島中の特殊学級認可,鹿島小に依託開設。鹿島中学級数23。鹿島東小最大規模児童数1388人,27学級。
5月 大夕張炭山駅に三菱鉱業専用側線(メタノール岐線)設置。
6月 18日,
鹿島小校舎改築。鉄筋コンクリート3階建て校舎第一期工事改築竣工(普通教室10,特別教室2(音楽室等),昇降口,校長室,応接室,職員室,宿直室,便所 延220.221u)。大夕張主婦会より愛の鐘(チャイム)をおくられる。この年児童数2191名。 奥部立入坑道開鑿開始。
8月 遠幌加別川道路橋竣工。
9月 台風21号により奥鹿島分校の屋根飛散。2日,鹿島高明石町高台に校舎敷地の決定。
10月 27日,大夕張ダム定礎式。
11月 4日,明石町駅に旅客用地下歩道完成。  6日,奥鹿島分校に始めて電燈がつく。 27日,大夕張駅に甲種特設電話設置。  鹿島中校舎増築。音楽室,工作室。 南大夕張駅構内に開発岐線設置。 山田新市(元大先山56歳)に黄綬褒章。
12月 10日,白金地区開拓農家27戸に大夕張炭礦より電力供給開始。 
>主夕張森林鉄道撤去開始。

【夕張市人口 114239 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.239】

【出炭量:446.700t 累計:16.002.719t】
1959 昭和
34
3月 客車ナハ5入線。 31日,鹿島中第4代天野光二校長。
4月 1日,鹿島小第8代萱場武夫校長。 >美唄鉄道より9615号蒸気機関車借入。
6月
 
開拓橋完成。大夕張ダム本堰提コンクリート打設開始。  鹿島中放送設備完成。 香椎沢埋立工事北宝建設指名入札。
7月 12日,夕張市連合PTA研修会が鹿島小で開かれ,国鉄客車大夕張鉄道に乗入れ。 メタノール工場試運転開始。 香椎沢埋立工事着工。
8月 28日,鹿島し尿処理場建設着工。 29日,私有貨車タキ入線開始。
9月 2日,ベル47J SONY号鹿島小に来校。 17日,鹿島高新校舎建設の地鎮祭,起工式。 27日,台風15号(
伊勢湾台風)により奥鹿島分校校舎大破,廃校問題もでる。
10月 16日,
栄町児童公園開設。
11月 10日,香椎沢工事完成。11日より新線切替列車運転。 >吉野沢隧道工事藤田組に落札。 21日,五十鈴沢工事岩倉組が着工。 29日,9615号蒸気機関車美唄鉄道に返却。 >三菱大夕張礦業所選定歌「大夕張の歌」(近藤保太郎作詞・桑山真弓作曲・山口俊郎編曲・三橋美智也、下谷二三子歌)キングレコードより発売。
12月 6日,第67回大夕張炭労定期大会。(協和会館) メタノール工場操業開始。 鹿島消防団長福田正退任。8代目団長志茂山正蔵就任。
>夕張市地区内に
火災報知機10基を設置。
【夕張市人口 116278 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.197】

【出炭量:590.000t 累計:16.592.719t】
1960 昭和
35
1月 1日,大夕張駅売店,大友二葉に名義変更。 14日,私有貨車タキ14両入線完了。 15日,10粁700および吉野沢工事着工。 27日,大夕張炭山駅からメタノール輸送開始。
2月 11〜15日に開催された第38回全日本スキー選手権大会(新潟妙高高原)にて,アルベン滑降・大回転にて出雲道男(天理スキー)優勝。
3月 19日,宝町鹿島荘において小児マヒ発生。21日,千年町駅運賃設定。当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張-明石町-千年町-大夕張-大夕張炭山】
4月 1日,鹿島東小第3代中山長一校長。 >特殊学級(すみれ学級)鹿島小より鹿島中へ移設。 >美唄鉄道より9615号蒸気機関車借入。 >大夕張メタノール工場の営業運転を開始。
5月 1日,鹿島東小第6代PTA会長日比野晴義。 10日,千年町消防分遣所開設(s52,8,10廃止)ポンプ車1台。職員2名配置。 鹿島中特殊学級を鹿島小より移設。 25日,鹿島小飼育小屋完成。   三菱大夕張礦業所職員の希望退職募集始まる。
7月 1日,夕張信用金庫大夕張支店に昇格。 12日,明石町の高台に夕張鹿島高校新築竣工。  17日,鹿島高新校舎へ移転。  19日,
小児マヒのため,自衛隊来山し消毒施行。(小児マヒ流行で10名死亡)。
10月 10日,鹿島東小給食室完成  20日,鹿島東小完全給食開始。   31日,鹿島し尿処理場完成。  鹿島中,2階建て校舎219.75坪(725.17u)増築(理科室,音楽室,調理室,美術室,普通教室2)。34学級,1528人の在籍を数える。 >五十鈴沢工事完工。 
11月 5日,10粁700工事完成新線切換五十鈴沢線路移設。6日より列車運転。 >9615号蒸気機関車美唄鉄道に返却。 30日,鹿島し尿処理場操業開始(S55まで稼動)。  大夕張鉱奥部立入坑道(2500m×2)開鑿完了。
奥部第1立坑(深さ743m)の開削着手。   大夕張ダム本体完成。 常盤橋(常盤町-明石町)完成。
12月 3日,大夕張ダム午前8時より湛水開始。 5日,南大夕張-明石町間11.390km付近の路盤が川側に崩壊しているのを巡回中の線路班員が発見。初列車より現場折り返し運転。貨物は運休。26時間後に復旧。 7日,吉野沢隧道完成,新線切換。 15日,二股発電所竣工一部使用認可。市立
図書館鹿島分館新築。 30日,吉野沢橋梁撤去。
>s35〜36年,炭礦病院に研修医として渡辺淳一が勤務。

>外村工務店(代表外村和夫)千年町にて設立。
【夕張市人口 107972 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:3.130】

【出炭量:650.800t 累計:17.243.519t】
1961 昭和
36
2月 各駅で,国鉄準急券発売開始。
3月
 開拓橋を
白銀橋と改称。 鹿島橋(千年-常盤)竣工 9粁300切土工事着工。
4月 1日,鹿島高校(定時制)独立校舎へ移転,鹿島中校舎共用を解除される。鹿島中34学級となる。  鹿島小に鼓笛隊できる。(田中豊一80名) 9日,9粁300切土工事完了新線切換。葡萄山隧道閉鎖工事完了。 25日,千年町駅売店工事着工。  28日,3粁付近機関車の飛火で山林火災発生。

5月1日 三菱美唄鉄道バスが
三菱鉱業バスに名称変更。 3日,9粁付近でタンク車脱線。 7日,鹿島高校舎第2期工事着工。 21日,鹿島高グランド造成の為,陸上自衛隊第一施設部隊(岩見沢駐屯地)着校。(隊員33名,ブル3輌) 鹿島橋(千年町−常盤町)完成。
6月 1日,千年町駅に売店開業。 5日,三菱バス,それまでのボンネット型60人乗り2台に加え,リアエンジン大型バスを一台大夕張出張所へ配車。(いすゞ型式BA741型61年式定員68三方シート) 大夕張駅ホーム改修工事。 24日,鹿島東小開校10周年記念式典挙行。 27日,南大夕張駅,明石町駅に観光記念スタンプ設置。 
暁橋(千年町-常盤町)完成。
7月 3日,明石町駅乗降場に観光案内標設置。 鹿島中特殊学級教室増築落成。 24〜26日,夕張地方集中豪雨。
8月
 11日,鹿島高第2期工事竣工(生物・食物・被服・作法・美術教室)  23日,鹿島高第2期工事,体育館増築工事竣工。陸上自衛隊によるグランド整地第一次工事終了。 >ダム堰堤管理事務所新設工事着工。
9月 20日,鹿島東小奥鹿島分校校舎改築竣功。児童数14人(最大規模)  25日,夕張観光株式会社発起人会 28日,鹿島中開校記念日(9/28)決定実施。
10月 大夕張炭砿生活協同組合店舗314坪に拡張。(31年度組合員数2388名,34年度組合員数4150名) 14日,三菱バス,夕張岳線,路線踏査。
11月 25日,夕張観光株式会社設立総会(三菱大夕張鉱業総代)
12月 4日,旧青葉峠落石覆い取壊し開始。 22日,ダム呼称選考委員会により湖名を「
シューパロ湖」と決定
>下夕張森林鉄道10.4kmの延長工事終了。主夕張森林鉄道撤去完了。

【夕張市人口 111608 : 大夕張地区人口 23751 】
【社内炭砿人員:2.690】
【出炭量:593.900t 累計:17.837.419t】
学校
1962 昭和
37
1月 16日,鹿島高校全日制課程設置認可。(通学区鹿島・南部)
2月
 10日,シューパロ湖,道立富良野・芦別道立自然公園に指定を受ける。 大夕張鉱
奥部第1立坑堀鑿完了。
3月 
奥部第2立坑(深さ940.2m)堀鑿開始。 19日,病院前踏切にてNo.4牽引の混33列車,トラックと衝突。死傷者なし。 31日,大夕張ダム完成シューパロ湖と名付けられる。
4月 1日,鹿島中最大規模,生徒数1661人。34学級編成。 鹿島高校全日制課程創設。 7日,8粁400陥没。 18日,9粁300線路,旧道床に移設。
5月 1日,第1種急行券発売開始。  堰堤事務所落成。  南部開発岐線撤去。 鹿島高,女子制服制定。 15日,シューパロ湖湖水開き。 21日,陸上自衛隊真駒内駐屯部隊施設大隊第3中隊鹿島高グランド整地の為,来校,作業開始。
6月 1日,シューパロ湖畔に,
シューパロ湖駅開業。社線内旅客取扱開始。当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張-シューパロ湖-明石町-千年町-大夕張-大夕張炭山】 8日,北菱香取坑ポケット撤去。 10日,夕張観光株式会社,湖畔に湖畔亭を開業。ボート数十隻を配し,鯉・桜鱒・ワカサギ等の魚卵及び稚魚を放流して釣場とし.水上スキー・ボートレース等を開催。 29日,十勝岳噴火。鹿島高,グランド整地作業終了。竣工式。
7月 鹿島消防団 消防庁長官から表彰状授与。
8月 1日台風9号による豪雨。大夕張鉄道明石町駅構内上り線築堤崩壊。
9月 1日,第2種急行券発売開始。 26日,9237号蒸気機関車芦別専用鉄道に譲渡。
10月 3日,午前6時半頃,シューパロ湖管理事務所付近に熊出没。上り列車を止める。 6日,
清水沢〜鹿島間道路開通。(昭和23〜)開通式。諸行事行われる。
【道路開通記念碑除幕式(午前10時シューパロ湖畔),開通式(午前11時半湖畔亭前),旗行列(午後12時半出発,A班明石町-鹿島小,B班常盤町-鹿島小),完工式(午後12時半鹿島高),祝賀会(午後2時鹿島高)】   親睦野球大会(於数春日川向グラウンド(三菱大夕張労組鉱泉の沢自治会)  7日,夕張-鹿島間急行バス運行開始。三菱鉱業バス7往復(夕張駅前〜協和会館前),夕張バス8往復で,夕張−大夕張間に急行バス運行開始。(片道約70分) 大夕張駅前-夕張駅前間運賃120円   記念行事【マラソン大会(午後12時半スタート,高校男子一般=消防署本部前,中学生男子=湖畔亭前,高校中学女子=明石町駅前),主婦会マスゲーム(バス巡回披露),地元祝賀会(午後2時鹿島小,会費300円)】
シューパロ湖岸で市民写生会。参加者小中高生中心に約150名。(夕張美術協会主催) 11日,芦別専用鉄道より9606号蒸気機関車入線『No.6』。 9粁付近工事終了をもってダム建設に伴う鉄道の移設工事完了  19日,鹿島小児童(白峰教諭他児童3名)大夕張鉄道列車試乗会。
>ポンプ車鹿島出張所へ配置。
>鉄道各駅の駅名標塗り替え整備(シューパロ湖観光施設整備に合わせて)
11月 4日,大夕張竿友会,浜厚真,鵡川で遠征魚釣大会。 8日,奥鹿島分校,電話開通。
12月 13日,千年児童公園開設。

【夕張市人口 106804 : 大夕張地区人口 21728 】
【社内炭砿人員:2.253】
【出炭量:544.000t 累計:18.381.419t】
1963 昭和
38
1月  三菱大夕張鉱が標準作業量の引き上げを中心とする合理化案を提案。 23日,9201号蒸気機関車芦別専用鉄道に譲渡。 30日,芦別専用鉄道より9607号蒸気機関車入線『No.7』。
3月 31日,苫小牧港完成により,送炭開始。
5月 1日,遠幌駅に売店開業。 5日,バス運賃改定。礦業所〜明石町・中学校前間20円 夕張急行線大夕張駅前-夕張駅前間140円  29日,大夕張駅待合室に公衆電話設置。
6月 1日,三菱鉱業バス貸切バス運行開始。
7月 朝登(霜降)俊光,大相撲7月場所において初土俵。 5日,山史編纂委員会発足。 鹿島消防団長志茂山正蔵退任。9代目藤平寛就任。
8月 1日,鹿島小第9代岩佐佐太吉校長。鹿島中第5代金田潔校長。 9日,遠幌駅売店休業。 老朽車両(ハ3号,4号他貨車3両)廃車。  10,11日,札幌で開かれた第14回全道少年野球札幌地区大会に,夕張代表として鹿島中チームが出場。  28日,夕張バス,清水沢からの札幌急行3往復に増加。  30日,健保体育館でダリアと盆栽の展示会(三日間大夕張園芸協会,大夕張ダリア同好会,大夕張くさむら会共催))
9月 1日,大夕張主婦会,午前10時,午後1時半,大夕張駅前,鹿島小踏切,協和会館前,炭鉱病院前の四カ所で一日交通指導員。 19日,大夕張竿友会,長沼町で魚釣大会。 30日,遠幌駅売店廃業。 鹿島中陶器窯完成(PTA寄贈)
10月 1日,大夕張産業が北菱建設工業株式会社と改称。  夕張バスが夕張鉄道に合併。 14日,三菱大夕張鉄道が通勤列車を廃止。自家用バスで従業員の輸送を始める。  27日,小学校通り踏切椀木式遮断機の使用開始。(総工費20万円,市内では,8月24日に使用開始になった本町1丁目国鉄夕張線踏切に次ぐ,二番目のもの)  大夕張鉱
奥部第2立坑堀鑿完了。出炭開始。
11月 明石町巡査駐在所新築完成。(木造平屋,モルタル作り59平方メートル)
12月 25日,北高前,炭砿病院前停留所追加(三菱バス) 大夕張鉄道旅客運賃改定 旅客賃率3円,大夕張ー清水沢間50円
【夕張市人口 101607 : 大夕張地区人口 18614 】
【社内炭砿人員:1.856】

【出炭量:684.600t 累計:19.066.019t】
1964 昭和
39
2月 22日,鹿島児童会館できる。(栄町3丁目)職員1,遊具施設等。
3月 31日,市立鹿島高校,道立移管。北海道夕張鹿島高等学校。
4月 1日,私立
大夕張聖心幼稚園を富士見町(鹿島小横)に設立。s40年度園児320名教職員11名。(園長ジェームズ・オニール)  鹿島中,女子制服制定。この年,29学級。
6月 25日,シューパロ湖隧道着工。
7月 15日,鹿島高,校門完成。 17日,鹿島小校舎第2期工事改築竣工。鉄筋にて2階建て(普通教室9,図書館,理科室,同暗室,同準備室,給食調理室,配膳室,保健室,用務員室,倉庫,便所)延1.658.804u,総工費36.182.000円)  19日,鹿島高道立移管記念式典,祝賀会。研究紀要発行『15年の歩み』  
9月 1日,鹿島小学校完全給食開始。 鉱泉の沢終掘。
10月 24日,シューパロ湖隧道完成。
11月 10日,鹿島スキークラブ(湯浅純治30名) 15日,列車運転時刻改正。
12月 21日,夕張千年郵便局新築移転(道々大夕張線拡張の為)
>森林鉄道夕張岳線全線廃止。下夕張森林鉄道撤去開始。

>郵便の逓送が自動車便となる。
【夕張市人口 100292 : 大夕張地区人口 17385 】
【社内炭砿人員:1.794】

【出炭量:703.900t 累計:19.769.919t】
1965 昭和
40
1月 1日,夕張鹿島高等学校から夕張東高等学校と改称。
2月 異常集中豪雪(積雪量172cm)市内交通マヒ。
3月 1日,鹿島簡易郵便局設置。 10日,『シューパロ』No.1発刊(夕張東高校郷土研究部機関誌)
4月 炭鉱病院裏の隔離病棟跡に,三菱大夕張高等鉱業学校設置。(グラウンドは鹿島小学校のものを使用。s47.8月閉鎖。)  大夕張本坑排気立坑廃坑。 鹿島消防団長藤平寛退任。10代目団長吉岡和夫就任。
5月 鹿島中,G5型ピアノPTAより寄贈。グランド学校林側にバックネット新設。
7月 大夕張
奥部第3立坑堀鑿開始。
8月 本坑区域より,奥部地域への移行完了。
9月
 車両設計変更。ナハ3.4号特別室(32/10改設)を撤去。車掌室に改造。
10月 1日,列車運転時刻改正。
11月 10日,大夕張炭労結成20周年記念大会。 21日,大夕張炭労創立20周年記念大会。
12月 三菱バス
札幌−大夕張間特急バス運行開始。(一日二往復のち三往復) 「奥鹿島分校のうた」制定。 千代田隧道完成。
【夕張市人口 85141 : 大夕張地区人口 12956(鹿島) 3675(南部) 】
【社内炭砿人員:1.854】
【出炭量:670.200t 累計:20.440.119t】
1966 昭和
41
1月 23日,「奥鹿島分校の歌」制定。 31日,夕交タクシー札幌太平交通株式会社に買収。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、北海道知事から竿頭綬授与。
3月 10日,『シューパロ』No.2〜特集 夕張川流域の遺跡〜発刊(夕張東高校郷土研究部機関誌) 鹿島消防団、夕張消防団とともに、消防庁長官から表彰旗授与。
4月 1日,鹿島東小第4代竹田辰男校長。鹿島中第6代畑山喜久雄校長。
5月
 1日,第37回メーデー
6月
1日,列車運転時刻表改正。
7月 1日,列車運転時刻一部改正。  夕張東高校定時制教育振興設立。
8月 1日,大夕張炭鉱労働組合『二十年史』発行。
9月 20日,三菱鉱業,南大夕張開発事務所を設置。
10月 10日,14:30頃,大夕張炭山駅構内にて殉職1。  11日,三菱鉱業所
南大夕張新鉱開発起工式。  大夕張奥部第3立坑堀鑿完了。 14日,大夕張ダム工事殉職者12名の慰霊碑を下流左岸の広場に建設。夕張川水系土地改良区連合によって、慰霊祭が行われる。
11月 9日,南2片第5立入,発破衝撃によるガス突出。
12月 鹿島中,2,3線校舎補修工事(土台・暗渠)及び体育館フローリング張替え。
>下夕張森林鉄道全線撤去。

【夕張市人口 84078 : 大夕張地区人口 - 】
【社内炭砿人員:1.891】

【出炭量:854.600t 累計:21.294.719t】
年史
1967 昭和
42
1月 24日,午後9時半頃,南部南2片第6立入延先にて落盤,殉職4,負傷4。 25日,第二聖心幼稚園前の車道に母の会が連名で,横断歩道と信号機の設置を要請。
3月 5日,『夕張川流域の先史遺跡』発刊。(北海道夕張東高等学校郷土研究部)
4月 大夕張第二聖心幼稚園を栄町に開設。(園児136人 園長ジェームス西牟田)  市道清水沢・大夕張線,道々に昇格。 1日,鹿島中26学級。第7代安孫子美義校長。
5月 第38回メーデー 冨士元秋幸の東京転出により休会状態だった大夕張短歌会再結成(会長 冨士元秋幸)。
7月 奥鹿島分校,開校10周年記念式典。 10日,三池CO患者家族入山(2名)
8月 24日午前10時40分頃,奥部二片盤下ベルト坑道第六立ち入り付近で崩落。殉職1。
9月 大相撲9月場所,朝登新十枚目。
10月 1日,列車運転時刻表改定。
11月 鹿島中,第3線校舎全面改築完了。 鹿島中学校開校20周年記念行事。 14日,10:15頃,奥部南1卸1片捲上付近で殉職1。
12月 坑外輪車路で炭車脱線転覆事故。1名殉職。
【夕張市人口 81435 : 大夕張地区人口 12871(鹿島) 4221(南部) 】
【社内炭砿人員:1.836】
【出炭量:723.000t 累計:22.017.719t】
記念誌
1968 昭和
43
2月  8日,8時40分頃,奥部南1卸斜坑で事故殉職1。  28日,午後3時50分頃,奥部立入第2立坑でガス燃焼,殉職1,負傷15。
3月 15日,『シューパロ』No.4 発刊(北海道夕張東高校郷土研究部機関誌)
4月  1日,鹿島小第10代佐々木幸一校長。 奥鹿島分校教員定数2名となる。 鹿島中第8代牧田繁雄校長。 22日,宝町2・12 正午頃火災発生(6世帯罹災) 人口減少により鹿島警部派出所は巡査部長の警察官派出所となる。
5月  1日,第39回メーデー。 鹿島東小第7代PTA会長藤本昭夫。 16日,午前9時49分
十勝沖地震
6月  2日,鹿島小運動会。
8月  26日,18時35分頃,新斜坑第2卸坑口より650m附近で崩落事故。 鹿島中,第2線校舎全面改築完了。 放送施設全面取替,放送室改修,放送機(PTA寄贈)
9月  11日,鹿島小学習発表会(〜13日) 12日,南2片下段払において、カッターケーブル破損し,該箇所でスパーク,発火事故発生。 18日,奥鹿島分校にて全市単複式研究会開催。 27日,鹿島小10周年記念鼓笛パレード 28日,鹿島小全校マラソン大会。 29日,鹿島小学校40周年記念式典  >道々夕張−芦別線道路工事着工。 鹿島消防団長吉岡和夫退任。11代目団長、小泉勤就任。
10月
 2日,劇団さっぽろ記念公演(鹿島小学校40周年記念) 6日,夕張市制25周年式典。
11月 10日,午前4時半頃,突風のため
白銀橋落橋事故
12月 4日,鹿島児童公園開設。 7日,遠幌営林岐線撤去。 水槽ポンプ車1台消防鹿島主張所へ配置。
>三菱大夕張礦坑道と南大夕張坑道と貫通。
>鹿島中学裏に白金に抜ける道路ができる。
【夕張市人口 79577 : 大夕張地区人口 12543(鹿島) 4911(南部) 】
【社内炭砿人員:1.795】
【出炭量:900.500t 累計:22.918.219t】
文化祭
記念誌
1969 昭和
44
1月 10日,大夕張炭山営林岐線撤去。  
2月 4日,朝登関帰郷。  6日,健保会館で十両優勝祝勝会。 17日,雪害の為9日公休を8日に振替。
3月 
大相撲3月場所朝登初入幕(西前頭10枚目)
4月
 1日,鹿島東小第5代木村四郎校長。 >町名改正。【鹿島明石町(明石町)鹿島千年町(千年町と錦町の一部)鹿島錦町(錦町・泉町)鹿島宝町(宝町)鹿島富士見町(富士見町・緑ヶ丘)鹿島緑町(緑町・岳富町)鹿島栄町(栄町)鹿島弥生町(弥生町)鹿島代々木町(代々木町)鹿島春日町(春日町)鹿島北栄町(官行・大夕張鉱事業所)鹿島常盤町(常盤町)鹿島白金(鹿島開拓)】。 >鹿島中,普通教室に蛍光灯全面取付。
5月 1日,第40回メーデー
6月
 6日,NHK中継所が常盤町にできる。 14〜16日,鹿島小グラウンドにて第24回天皇杯全日本大会兼第21回道民体育大会南北海道軟式野球大会開催。 17日,白銀橋架設替え工事,起工式。
7月 9日,大相撲7月場所において,朝登(東前頭3枚目)が横綱柏戸を破り金星をあげる。 「夕張市葬祭苑」(清水沢)の完成により,火葬場は閉鎖。
8月 南部地区上水道新設。
9月 1日,夕張東高,給食室完成。完全給食の翌一月より実施。 18日,奥部南本片第6立入で崩落殉職2,負傷4。 30日,三菱鉱業,石炭部門分離。大夕張鉱業所と南大夕張開発事務所の営業を
三菱大夕張炭礦株式会社(社長望月健二郎)に譲渡。10月1日,発足。 >市道舗装工事,鹿島,栄,春日線舗装事業完成。
10月 1日,「
三菱大夕張炭礦(株)大夕張鉄道」となる。 シュ―パロ湖駅廃止当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張-明石町-千年町-大夕張-大夕張炭山】  5日,新会社発足記念式典。 9日,大夕張駅ホーム30m削減。
11月 25日,清水沢-南部間道々舗装完了。 鹿島中,陶器窯移設。 16日,南大夕張炭鉱労働組合結成大会。
12月 1日,大夕張鉄道夕張−遠幌間土砂崩れで貨車脱線。乗客50人は無事。 2日,
白銀橋架設工事完了。(6.17〜) 10日,美唄鉄道より蒸気機関車『No.2』入線。 12日,清水沢駅社線ホーム36m削減。
【夕張市人口 76330 : 大夕張地区人口 11927(鹿島) 7207(南部) 】
【社内炭砿人員:1744】
1970 昭和
45
1月 4日,8:10頃南本片第4立入で自然発火発生。 15日,午前4:50通洞硬捨場にて大久保組臨時夫罹災殉職。 16日,15:14頃,奥部南本片坑道南1卸捲立付近にて殉職者1。 24日,病院前,自動踏切警報機設置。 ポンプ車1台消防鹿島出張所へ配置。 
3月
 17日〜21日,猛吹雪のため大夕張鉄道運休。 22日,大夕張鉄道開通,平常送炭体制。 
4月 1日,鹿島中第9代石崎孝治校長。 28日,北夕炭砿閉山。 鹿島中18学級。 29日,16:40新斜坑第7BC原動機附近にて殉職者1。
5月 1日,第41回メーデー 28日,5:20頃奥部北向下段払にて殉職者1。
6月 22日,北海道拓殖銀行大夕張支店廃止。 28日,5:20頃,奥部北向下段払にて作業中殉職者1。 郵便の日曜休配を実施。
7月 28日,0:55頃奥部第2立坑坑底チプラーにて北菱作業員1名殉職。
8月 1日,三菱大夕張炭礦株式会社が南大夕張礦業所の営業出炭を始める。
9月 1日,南大夕張駅構内自動踏切遮断機設置。 6日,千年町駅無人化連絡運輸取扱廃止。 8日,鹿島運動公園完成。
10月 1日,鹿島小校舎 石炭庫,視聴室(映画室)解体。春日グラウンド野球場完成。  奥部南上1片にて崩落,負傷者5。
12月 19日,三菱健保,政府管掌移行。
>柔道の世界チャンピオン,笹原冨美男5段母校鹿島小を訪問。
>相撲の朝登関幕内入報告の為,母校鹿島小を訪問。

【夕張市人口 69871 : 大夕張地区人口 11007(鹿島) 8028(南部) 】
白金
1971 昭和
46
2月 16日,19時25分頃,栄町浴場(女子浴室)天井落下事故。 22日,大夕張鉱業学校卒業生10名新採用教育。(入学者減により閉校きまる。校舎は一般病棟として利用がきまる。)
3月 28日,大夕張地区町内対抗のど自慢大会。
4月 1日,鹿島小第11代西村政雄校長。 >大夕張・南大夕張山内で190戸の炭住新築。栄町に平屋3DK50戸。代々木・宝・錦各68戸6畳1間を増築。老朽住宅600戸の天井張替。一万坪の屋根トタン板張替。坑口浴場,洗濯機で洗濯できる洗濯場増築。
5月 1日,鹿島東小第8代PTA会長千葉一男選出。 16日,南大夕張炭鉱竣工式典。
6月 9日,8:50頃,雁皮原露頭掘で興和ブル職員殉職。 20日,鹿島東小開校20周年記念式典挙行。
7月 1日,三菱大夕張炭砿社,美唄炭砿を合併。 美唄鉄道より蒸気機関車『No.8』入線。 4日,主婦会坑内見学。大夕張,美唄炭鉱合併式  26日,東宝『新網走番外地』ロケ。三菱大夕張鉄道で高倉健の格闘シーンを撮影。大夕張駅では100人以上の人が集まる。 23日,奥鹿島分校バックネット建設。  28日,メタノール工場内にて事故北宝作業員殉職。
8月  1日,奥鹿島分校第2教室二重窓取付。 鹿島小木造校舎1部解体(便所,廊下…昭和14年建築分) 22日,大夕張鉄道で鉄道友の会・北海道大学鉄道研究会SL3重連撮影会。 鹿島中,石炭庫移設。
9月 14日,メタノール工場閉鎖を組合に提案。 20日,(〜11/10)大夕張生協増築工事 29日,メタノール自治会解散式。 31日,大夕張メタノール工場閉鎖。 ポンプ車1台消防鹿島出張所へ配置。 鹿島消防団長小泉勤退任。12代目団長浅山五生就任。
10月 29日,10時40分奥部南上1片南向き下段払上部災害発生。5名重軽傷。 
12月 1日,鹿島小グラウンド,学校専用として所管替えになる。(大夕張礦業所所管分)
【夕張市人口 70503 : 大夕張地区人口 11446(鹿島) 9833(南部) 】
1972 昭和
47
2月 2日,貨物93列車吉野沢付近を通過中、雪崩発生。 17日,14時頃,奥部南上片北向き坑道北第1立入奥で鉱員重傷事故。 28日,北菱鹿島炭礦が閉山。
4月 17日,金子診療所(内・小)開設。
5月 1日,第43回メーデー。  三菱大夕張炭砿社,美唄炭砿を閉山。 10日,北菱岐線撤去。 この頃,大夕張で初めての自動販売機が岳富町八幡商店に設置。コーラと,ビールを扱う。
6月 20日,鹿島小グラウンドに体育遊具施設整備(回旋塔,天秤シーソー,低鉄棒10連,砂場2,ブランコ釣鉄取替)
7月 松橋登,田村亮,吉田まゆみら大夕張駅を舞台にCM撮影。3両編成の特別列車を用意。 31日,UHBのTV番組収録午前11時から大夕張地区で(谷啓,なべおさみ,トワエモア他)
8月 2日UHBのTV番組収録午前8時頃から,ザ・ドリフターズ,ザ・ピーナッツ,谷啓,なべおさみ,大信田礼子,トワエ・モア)などが大夕張駅構内などでコントのロケを行う。大夕張駅は300人以上の人出で賑わう。 8日,健保会館改築工事終了。完工式。『大夕張小体育館』として従業員や住民に開放する。  三菱大夕張高等鉱業学校廃止。 鹿島中,東玄関改修,下駄箱設置。西玄関改修,男子更衣室に変更。
9月 29日,大夕張地区労定期総会。
10月 8日,常盤町開町25周年記念。 15日,夕張東高20周年記念式典。記念誌「シューパロ」を発行。
11月 13日,4時30分頃,選炭機火災事故。 18日,この日より午後1時5分発,清水沢駅発大夕張駅行きの客車混合列車の客車部を廃止。夕張北・夕張南・夕張工業高生など,代りに通学専用バスを運行。 29日,奥鹿島分校水道管,学校専用の一本敷設。  30日,清水沢〜大夕張間道路全面舗装

12月 7日,志垣太郎三菱大夕張鉄道でCM撮影。 22日,奥部南1卸本片捲立分岐付近にて災害事故発生罹災殉職者1。
>10月以降坑内の自然条件悪化で出炭の大幅な減産が続き,この頃より『閉山』の噂が広がる。

【夕張市人口 67624 : 大夕張地区人口 11041(鹿島) 9713(南部) 】
記念誌
1973 昭和
48
1月 15日,泉町火災。
2月 18日,町内対抗のど自慢大会。
3月 第二聖心幼稚園閉園。  18・20日,映画『塩狩峠』ロケのため,遠幌‐大夕張炭山,南大夕張‐大夕張炭山間臨時列車運転。
4月 1日,鹿島中,19学級(含特学1)生徒数720。 19日,
午後1時より開催の本社臨時経営協議会席上、大夕張砿業所の閉山提案。 23日,鹿島小木造校舎1部解体(東側1,2階8教室南側廊下,中庭渡り廊下)
5月 1日,第44回メーデー。  鹿島東小第9代PTA会長萩野宗英選出。 8日,大夕張鉄道,4台の蒸機の車体に「ヤマの灯を消すな」「閉山反対」「団結」等白ペンキで大書され運転。 15日,政府調査団入山。
6月 25日,大夕張炭山駅の側線撤去。 29日,終掘。 30日,大夕張炭砿閉山決定。
7月 1日,全山投票閉山確認(在籍2036名,投票総数1840,閉山確認1427,闘争を続ける389,白紙4,無効20) 閉山協定調印 16日,大夕張礦閉山対策臨時総合相談所開設 22日,三菱大夕張炭鉱労働組合第86回臨時大会(解散大会・解散式典) 23日,三菱大夕張炭鉱労働組合解散宣言。 25日,シューパロ湖岸でTVドラマ『走れ,K-100」ロケ。「k-100大爆発!」(夕張の巻)本物のSLと撮影用のk100(ミニSL)が線路と道路を走る。
8月 1日三菱大夕張鉱業の独身寮『啓心寮』が,離職者子弟寮となる。(〜s50.3月)   21日,
三菱大夕張炭礦株式会社大夕張礦業所閉山式
【閉山直前の商店】
(飲食店)丸源すし・喜多乃屋・高島屋ラーメン・喜久寿司・富士・双葉食堂・十八番すずらん食堂・千年食堂・てっちゃん・八千代・松尾ジンギスカン・池田屋食堂・相馬食堂・だるまやラーメン 
(飲食・喫茶)陽気屋・ゴールド・リリー・ひさごや・ダイアナ・銀嶺・スミレ・銀の目・スナックイブ・さつき・みやちゃん・たつみ・鍋千両・夕渚・キャンドル・喫茶純 
(パチンコ店)平和会館・大夕張会館(劇場跡)・ニュー平和・富士ホール 
(酒屋)帯向商店・織田商店・八幡酒店・購買会
(文具類)高田商店・本間商店・本間文房具(千年町)・谷野書店・川西書店 
(玩具類)高田商店・所玩具・伊藤おもちゃ屋 
(衣料品店)丸紅衣料・鐘信商事・山口呉服・大井商店・フタガミ百貨・長塚呉服店・日装(川口)・川西商店・高橋呉服・にしき呉服・石川呉服・木村呉服・山内洋品店・今ふとん店 
(時計・メガネ)キンセイ堂・高橋時計店・石田時計店・福川メガネ店 
(はきもの)佐々木履物・小田桐履物・安田靴店・杉田履物・吉田靴店 
(一般商店)枝沢・岩野・津留・紀之国屋・里城・丸山・北島商店・小山商店・高橋商店・宮森商店・正木商店・とみた商店・阿部精肉・寺尾・富田商店・田村商店・斉藤商店・志村菓子店・佐々木連治・松本菓子・堀田ミルクプラント・中西豆腐・富成豆腐・光野天ぷら・丸ヨ商事・
(その他)小原楽器・今井表具・波多野塗装・熊本指物・みなと印刷・柳谷板金・伊藤金物・吉井薬局・小林自動車整備・杉村クリーニング・相沢クリーニング・加川写真館・パークドライコーナー・藤田写真・駒井電気工事・高橋電気・つばめ電器・中島電機・三津野電気・福川印房・山内左官業・武田自転車・松村自転車・工藤種物店

9月 1日,鹿島簡易郵便局廃止(事務引継:大夕張)
10月 10日,鹿島中生徒急減による学級編成替10学級(含特学1)生徒数310。 31日,炭労解散記念誌『未来にむかってたくましく歩もう』発行。
11月 1日,鹿島中,在籍298。 鹿島消防団長浅山五生退任。13代目団長佐藤健一就任。
12月 15日,三菱大夕張炭礦,三菱高島炭礦合併。
三菱石炭鉱業株式会社としてスタート。  三菱大夕張鉄道(大夕張炭山〜南大夕張駅間9.6km)鉄道部分廃止。蒸気機関からディーゼルへ。「大夕張炭山・南大夕張間一部廃止さよなら列車」運行。 当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張】  28日,清水沢-南大夕張間「SLさよなら列車」運行。
>大夕張開発対策委員発足。

【夕張市人口 57958 : 大夕張地区人口 4504(鹿島) 8863(南部)12月末 】

住宅
記念誌













1974 昭和
49
1月 イサオ製作所大夕張工場操業。(礦業所跡) 21日,鹿島中完全給食開始。
2月 園芸センター設立。
3月 単板加工会社大夕張ユニオン開業。(弥生町)
4月 鹿島小,7学級児童数261名。 鹿島東小,6学級児童数110名。 鹿島中,7学級216名。 消防南部分遣所を出張所に改組。職員4名配置。菊水分遣所設置。ポンプ車1台、職員2名配置。
5月 12日,三菱大夕張鉄道,線路の撤収工事(〜7月9日まで 大夕張炭山〜南大夕張間9.6km レ−ル延長24.566m,708.365t)
6月 2日,鹿島小木造校舎第2次解体(非常階段を除く,全木造部分)
7月 1日,鹿島サッカークラブ(鹿島小佐藤善樹36名) 9日,三菱大夕張鉄道,線路の撤収工事完了。
8月 鹿島中学級編成替。 27日,大夕張郵便局,電通合理化(自動交換)により,電話交換業務廃止。
10月 5日,労金大夕張支店,清水沢支店に店舗新築統合。12日,三菱大夕張鉄道跡地(大夕張ダム随道手前〜展望台〜白金橋まで)サイクリングロード着工。
11月 ポンプ車1台南部主張所へ配置。
12月 鹿島勤労市民センター設立。 三菱大夕張炭砿病院南大夕張に移動。旧病院跡は診療所となる。 1日,鹿島小僻地特別指定校となる。
1975 昭和
50
3月 31日,聖心幼稚園廃園(s49年度園児38名)。 鹿島小放送施設新設替
4月 1日,鹿島東小第6代今井欣一校長。 奥鹿島分校児童数1となり,教員定数も1となる。 鹿島中第10代工藤善一校長。 >大夕張保育所開設。
8月 鹿島中,第4線校舎(製図室,柔道室)の壁撤去通し教室に改造,第3便所改修。
10月
夕張市園芸センター完成(明石町炭住跡地) 7日,植樹(校門南側150本,南部営林署苗甫寄贈)
1976 昭和
51
3月 7日,夕張東高定時制課程閉課式典。記念誌『美春』発行。 31日,北海道夕張東高等学校定時制課程閉課。  鹿島中第1線校舎解体,側線校舎一部解体。第2線校舎を管理棟に改修。 階上音楽室を図書室に改修。この時,生徒数183人,7学級編成。
4月 2日,鹿島小第12代真田甲子郎校長。
6月 鹿島消防団長佐藤健一退任。14代目団長太田好彦就任。
>スポーツ少年団サッカー部全道大会に出場(第1回)。

【夕張市人口 - : 大夕張地区人口 2859(鹿島) 7780(南部) 】
1977 昭和
52
1月 鹿島勤労市民センター類焼により全焼。
3月 13日,奥鹿島分校学習発表会開催。  31日,電話普及により火災報知器の廃止。
4月 鹿島東小複式規模に児童数減少。PTA総会において鹿島小への統合を決議。
5月 1日,鹿島東小第10代PTA会長中井久雄選出。 29日,鹿島東小第26回運動会(町内会と共催)
6月
ICA国際ボランティア鹿島で活動(昭和55年までの3年間活動は続く)。カトリック教会跡地にメンバーが入り,地元の開発対策委員会の協力により,一週間にわたる会議がもたれた。外国人100人を交えコンサルタント達が世界での23に及ぶ実績の上に立ち,様々なプログラムが討議された。
7月
 3日,鹿島小鹿島東小PTA親善球技大会(鹿島小体育館)懇親会。 5日,鹿島小,鹿島東小統合に向けて第1回目の児童交流会(鹿島小体育館)。 22日〜23日,鹿島東小夕張岳キャンプ登山。
8月
 千年町消防分遣所廃止。
9月 29日,鹿島東小閉校記念植樹。(苗赤えぞ末300本,北栄町苗甫)
10月 10日,奥鹿島分校20周年記念誌刊行。 22日,鹿島東小,鹿島小へ記念樹移植(オンコ) 23日,奥鹿島分校20周年記念式典。 30日,鹿島小,鹿島東小統合に向けて第2回目の親善球技会
11月 消防南部出張所庁舎新築移転。職員8名配置。菊水分遣所廃止。
>スポーツ少年団サッカー部全道大会に出場(第2回)。
1978 昭和
53
1月 ポンプ車1台、消防南部出張所に配置。
3月 
19日,鹿島東小閉校式。 
4月
 8日,鹿島小・鹿島東小統合式。
鹿島東小学校閉校。それに伴い鹿島東小学校奥鹿島分校が鹿島小学校奥鹿島分校と改名。 鹿島小体育館解体開始。
5月 大相撲5月場所をもって,朝登引退。
10月 鹿島中学校,鹿島小学校と併設。生徒数110名3学級。常盤町校舎用途廃止となり解体。   鹿島小学校50周年記念。
11月 郷土資料集「鹿島のあゆみ」(鹿島小)発刊。
12月 19日,太平交通,営業廃止。営業権を第一タクシーの本間秀夫に譲渡。
>第一回大夕張ふるさとまつりが行われる。
記念誌
1979 昭和
54
1月 旧,大夕張駅舎に大夕張診療所(平池正医師)開設。
2月 夕張信用金庫大夕張支店が大夕張出張所に変更。

4月 1日,鹿島小児童数160人。7学級。 奥鹿島分校児童数2人1学級。鹿島中112人。4学級。第11代斉藤與四政校長。
5月 
三菱南大夕張第2斜坑ガス突出事故,死者17名。

>この年,立教大学マンドリンクラブ・北海道大夕張ワークキャンプ実施。その中には後にオウムによる坂本弁護士一家殺害の犠牲になった立大生の都子さんが参加していた。キャンプでは、スキー場の草刈り、駅舎のペンキ塗り、盆踊り大会への参加などが行われたという。地元の人々と交流した参加者は、帰京後地域の人々のために何かできることはないかと考え、「メロン新聞」という壁新聞をつくり鹿島小学校に送る活動を行った。
1980 昭和
55
4月 1日,鹿島小第13代川村良利校長。 >三菱大夕張診療所,夕張市に移管。
5月 鹿島消防団長太田好彦退任。15代目団長安月允也就任。
6月
 夕張信用金庫大夕張出張所廃止。    鹿島小学校と白金の奥鹿島分校統合。
7月 三菱南大夕張炭鉱営業開始10周年,生産1000万トン達成。
9月 5日,東高サッカー部全道大会出場。
【夕張市人口 - : 大夕張地区人口 1962(鹿島) 7086(南部) 】
1981 昭和
56
2月 東高スキー部全国大会出場。
3月 鹿島し尿処理場閉鎖。
4月 消防署組織規則改正により南部出張所を支署に改組。
8月 5日,台風による大水で大夕張ダムがオーバーフロー。鹿島地区孤立する。
1982 昭和
57
2月 東高スキー部全国大会出場。
3月 1日,大夕張営林署統合により閉鎖。
4月 1日,東高生徒募集停止。
10月 奥鹿島分校閉校式。
1983 昭和
58
3月 道立夕張東高校閉校。閉校記念誌『岳窓』を発行。 鹿島消防団長安月允也退任。16代目星靖男就任。 
4月 1日,鹿島小第14代会田鉄男校長。 鹿島中第12代高林広己校長。
12月
 消防鹿島出張所新築移転。
>白銀地区市道に街灯設置。舗装工事開始。
記念誌
1984 昭和
59
5月 5日,鹿島栄町元鹿島旅館で三菱南大夕張炭砿下請日高組宿舎が火災。保険金目当ての放火による出火。消防職員1名殉職。
1985 昭和
60
5月 17日,三菱南大夕張炭礦事故。死者62人。
1986 昭和
61
4月 1日,鹿島中第13代藤井昌隆校長。
5月
 三菱南大夕張炭鉱殉職者慰霊碑序幕。
>人口1000人を割る。
1987 昭和
62
4月 1日,鹿島小第15代藤岡光蔵校長。 鹿島中第14代北山信一校長。
6月 
鹿島消防団長星靖男退任。17代目団長野田眞就任。
7月
 22日,三菱大夕張鉄道(清水沢〜南大夕張間7.6Km)
全線廃止。 鉄道廃線記念乗車券発行(3枚組360円) 鉄道廃線記念絵葉書(3枚組)発売。 この月末鹿島の人口794人。
10月 鹿島北栄町を通り,芦別へぬける
道々夕張−芦別線開通
1988 昭和
63
1月 鹿島浴場の設置。
4月 夕張市消防署鹿島出張所を分遣所に改組。
10月 鹿島小開校60周年記念。全校児童(34名)で記念植樹。
1989 昭和
64
平成元
4月 1日,鹿島小第16代山賀宏一校長。 鹿島中第15代中野尚幸校長。
12月
 鹿島生活館落成。夕張市鹿島連絡所移転。
1990 平成
2
1月 鹿島労働会館解体。
3月 
三菱南大夕張炭礦閉山鹿島図書館解体。
6月 30日,夕張千年郵便局,利用者減少により廃止(事務引継:大夕張)。
7月 鹿島消防団長野田眞退任。
11月 鹿島消防団が夕張消防団に統合。
>夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール優秀賞(千年町町内会)
>白金地区ごみ収集開始。
1991 平成
3
3月 8日,鹿島中,学校林売却利益にて校旗新調。
4月 1日,鹿島小第17代澤崎洽英校長。 鹿島中,生徒数27人,4学級編成。第16代黒沼満三校長。
>多目的ダム建設計画表面化。
>夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール優秀賞(千年町町内会)

【夕張市人口 - : 大夕張地区人口 583(鹿島) 1544(南部) 】
1992 平成
4
4月 夕張シューパロダム対策協議会発足。
10月 生活相談所の開設。
>夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール最優秀賞(千年町町内会)
>白金地区、簡易水道整備。
1993 平成
5
4月 1日,鹿島小第18代進藤徳雄校長 鹿島中生徒数15人,3学級編成。第17代大黒利勝校長。 道道夕張芦別線,国道に昇格。(一般国道452号)
>夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール最優秀賞(千年町町内会)
1994 平成
6
4月 1日,鹿島中,生徒数10人2学級編成。
>夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール最優秀賞(千年町町内会)

【夕張市人口 - : 大夕張地区人口 519(鹿島) 1370(南部) 】
1995 平成
7
4月 1日,鹿島中,生徒数7人2学級編成。第18代里口勝校長。 夕張市鹿島消防分遣所が夕張市消防団大夕張分団詰所になる。
11月 補償客体検討専門委員会設立。
>夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール最優秀賞(千年町町内会)
>住民,ダム建設条件付き賛成。
1996 平成
8
3月 10日,鹿島中閉校記念誌『鹿島』発刊。 鹿島中学校閉校
4月 1日,鹿島小第19代山岸武司校長。
6月 住民損失補償基準に調印。
8月 仮装盆踊り大会
12月 美鉄バス 札幌−大夕張急行線撤退。

>夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール最優秀賞(千年町町内会)
記念誌
1997 平成
9
3月 夕張-三笠R452北海道歩くスキー大会。
6月
22日,
鹿島小学校閉校式。閉校記念誌『かしま』を発行。
7月 6日,
鹿島解散式。 自衛隊登山訓練・地域住民との交歓会(平成2年より毎年開催)
11月 30日,美鉄バス大夕張での運行廃止。
この年,各報道機関にダムに沈む街として鹿島が頻繁に取り上げられ報道される。

【夕張市人口 - : 大夕張地区人口 356(鹿島) 871(南部) 】
記念誌
ニュース
1998 平成
10
2月 『大夕張鹿島で暮らした日々』発刊
3月末 鹿島小学校閉校大夕張郵便局閉鎖(事務引継:清水沢) 夕鉄バス運行廃止。 消防大夕張分団解団。
5月 29日,代々木アパート解体。
10月末 夕張市役所鹿島出張所,鹿島駐在所閉鎖。
この年を最後に鹿島の人口は0となる。
シューパロダム工事工事用道路建設着手。
記念誌
ニュース







1999 平成
11
10月 道東自動車道千歳夕張間開通。
2000 平成
12
シューパロダム付替道路着手
2001 平成
13
10月28日(日)NHKBS視聴者参加ドラマ『私のふるさと物語』ロケ レポ
2002 平成
14
1月12日(日)NHKBS視聴者参加ドラマBShi BS2にて『私のふるさと物語』放映(午後7:30〜9:00)
2003 平成
15
シューパロダム仮排水路工事着手
映画『雨鱒の川』取水堰付近のシューパロ側にてロケ
2004 平成
16
シューパロダム仮排水路工事完了、1次転流開始
映画『北の零年』砿業所跡地でロケ。
ロケ
2005 平成
17
シューパロダム本体工事着手
2006 平成
18
※1 出炭量については,昭和15年までは暦分(1〜12月),昭和16年以降は会計年度分(4〜3月である。その調整のために,昭和16年分の左に昭和16年1〜3月までの出炭量を外数表示した。(社史)
【参照資料】
 ■三菱鉱業社史 S51
 ■20年史(大夕張炭鉱労働組合)S41
 ■未来に向かってたくましく歩もう(大夕張炭鉱労働組合解散記念誌)S48
 ■山史(三菱大夕張鉄道58年史)
 ■夕張市史(更科源蔵編 夕張市)S34年
 ■夕張市史(夕張市)S56
 ■追補夕張市史(夕張市)H3
 ■鹿島の歩み(夕張市立鹿島小学校)S43
 ■鹿島の歩み(夕張市立鹿島小学校)S53
 ■夕張地名豆辞典(広報「ゆうばり」)
 ■鹿島小郷土室年表
 ■夕張歌壇史
 ■大夕張鉄道-98年版-(赤城英昭氏)
 ■岳窓(夕張東高閉校記念誌)S58
 ■しろがね(夕張シューパロダムふるさと誌)
 ■大夕張(鹿島でくらした日々)
 ■かしま(鹿島小閉校記念誌)


 資料の収集にあたり,一人一人お名前は記しませんが,多くの方々にお世話になっています。ありがとうございます。この年表は多くの皆さんのご協力で成長を続けています。三菱の開発開始以来73年の歴史を刻んだ大夕張の歴史を私たちの手で記録したいと思います。何年,何月,何日,記憶している大夕張の出来事,資料等ありましたら,どんなささいなことでも結構ですので,掲示板メールでお知らせ願えればと思います。よろしくお願いします。
 資料については,大夕張図書館の方もご覧下さい。

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(01/9/15より)