独語・空笑 〜日記風に〜


とある病院に勤務していた(現在は某国に逃亡中)精神科医の日常の雑感です。



平成14年5月7日 おお,アカハラ!

総額100カナダドル以上かかったが(それでもせいぜい1万円くらいか),庭の改造は完了した。記念に3月末の雪景色とほぼ同じアングルで写真を撮ってみた。一応ちゃんと芝生の庭になったでしょ。


こんな感じ (庭の北半分)

写真右側の緑色のモコモコした物体は庭中央の花壇に生い茂る正体不明の植物である。最近つぼみがいっぱいついているのできっと正体不明の花が咲くのであろう。塀の手前にチューリップが何本か咲いているのがお判りだろうか。
この塀の上はリスたちの通り道で,しょちゅうトタタタ...と右へ左へ走りまわっている。塀の下はウサギの通り道でよくのんびり草を食んでいる姿を見かける。のどかなもんである。

前回小鳥の話をしたが,ウチの庭は小鳥も多い。一番多いのはスズメ(House sparrow)で,これは日本のスズメとほとんど変わらない。こちらの方が少し大きいかな,というくらい。目立つのは,真っ赤な"Northern Cardinal",メジャーリーグで有名な青い"Blue Jay"。こいつら,ほんとにキレイな鳥で,最初はてっきり飼い鳥が逃げたものだと思っていた。他にもコンコンコンコンとんでもない音をたてるWood Pecker系の鳥もいるようだ。

→鳥の画像を見たい方はこちらのページ(Shioko's Bird Room)か,こちらのページ(プリンスエドワード島の鳥たち)も見てみて!

黒っぽい頭と羽にオレンジ色の胸と腹,クリンとした目をした"American Robin"も庭でよくお目にかかる。こいつが可愛らしい顔つきに似ず結構ワルサで,地面をトコトコ歩きながら芝の枯れたり薄くなったところを口ばしでひっくり返してエサを探すので,芝生の痛んだところがさらにボロボロになってしまう。実はこいつ,日本の"アカハラ"という鳥にそっくりで,種類的にも近いらしい。
私は一時期ある事情で「アカハラ」という語を検索にかけることが多かったのだが,私が本来探している「アカハラ」以外に,この鳥の「アカハラ」に関するページがいつもたくさんヒットした。そのため実物を知らないままちょっとしたアカハラ通になっていたので,こちらにきて初めてこいつに出会った時には,「おおアカハラ,ここでお前に会おうとは」と感動した。(→興味のある方は「アカハラ」で検索かけてみて下さい。本来のアカハラの意味も分かります。)

鳥が多い分,鳥によるトラブルというのも多いようで,対処法を色々紹介しているサイトもある。ここ(USのサイトだが)によると,Wood Pecherが家の壁をコンコンするとか,玄関や窓の上に巣を作られるとか,車にフンをされるとかが多いようだが,いずれも前回述べたように,無理やり追い払ったり巣を壊したりしてはならない。そんなことしたら罰金モンである。庭に誘導用のエサ場を作ってやったり,偽の巣やフクロウの置物を置いたりしてごくごく穏便に御移動・御ひきとり願わねばならないのである。こちらでは人間より御鳥様の方がえらいのである...まあ,そこまでではないが,本当に野生の鳥類や小動物が大事にされているのが分かる。

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平成14年5月1日 農夫と鳥と国家と法

学会発表用の抄録を作っていて独語・空笑の更新が少し遅れました。ちゃんと本業もやっています。

さて,庭に芝の種を蒔いた話の続き。

ウチの裏庭はキャッチボールをするのにちょうどいいくらいの広さがあり(日本でもこんな家に住みたいよ),以前は花壇や芝生や敷石もあってキレイにガーデニングされていたようなのだが,ウチの先代の借家人が水撒きなど手入れを長期間全くしなかったらしく,ウチが入居する前は,芝生はすっかり消え雑草や低木が大人の背丈ほど生い茂るジャングルと化していた。
ウチが入居する時に大家さんが夫婦2人でやってきて,2・3日かけて一生懸命お掃除してくれたのだが,その後は地面がむき出しで所々に花壇や芝生の残骸が散在するというこれはこれで何ともホラーな状況になっていた。

近所の家や,お友達の家の庭はみんなキレイな芝生である。この先,日本へ帰っても一生こんな庭は持てないだろう。やるなら今しかない。大家さんの許可をとって(大家さんは大喜び)裏庭芝生化大計画発動だ。借家でそこまでやるのはバカだと言われたが。

カナダは"Do it yourself"の国だ。大きなホームセンターがあちこちにあり,大工道具どころか,特殊工具から大型・小型建材,水道などのパイピング類,電気部品,本当に何でも置いてある。私のラボの元ボスなど自分で一からログハウスを作っているくらいだ。因みに車関係のDo it yourself度もすごい。エンジンクレーンとかエンジン内部用の工具とかわけ分かんないプーラーとか,どう考えても素人用じゃない工具が普通のホームセンターにいっぱいある。融雪剤の関係かエグゾーストがよく痛むので素のパイプもいっぱい売ってる。
ガーデニング関係のアイテムもその充実度はハンパじゃない。芝関係の種・肥料・土などは山積みになっている。芝刈り機は電動式を始め,2ストエンジン・4ストエンジン,手押し型から乗用まで各種あるし,農薬類も虫用,雑草用各種そろっていて英語の説明書を読んでいるだけで頭が痛くなってくるほどだ。

種と土と肥料と一通り買って来る。気分は完全に農夫だ。まる3日かけてスコップと鍬と熊手みたいなので土を平らにならし,種を蒔く。土とよく混ぜた後に上からさらに土をかけ,肥料を蒔いて水をやる。さあ,これでどうだ。

...すると,翌日いきなり雪が降る。うーむちょっとばかりタイミングを計り損ねたみたいだ。しかしめげずに発芽を待つ。

...すると今度はどうだ。スズメやら何やら小鳥がいっぱいやって来て,発芽したばかりの種をせっせと食しているではないか!うーぬ,お前らニッポンのサムライ農夫をなめたらアカンぞ。ぶっ殺して焼き鳥にして食ってやる! どうぞ向うへ行って下さい!,と(英語で)怒鳴ったところで3分もすればまたみんな戻ってくる。さすがに失業精神科医でヒマ人の私も一日中裏庭でスコップを振り回してチャンバラやってるわけにはいかない。また,カナダには"鳥類憐みの令"とでも言うべき鳥類に関する保護法があり,むやみに鳥類を痛めつけてはならない。カナダは,お札の裏が全部鳥のデザインになっているほど鳥類に優しい国なのである。巣や卵など壊そうものなら罰金モンである。

スコップ抱えて途方にくれていると,すぐ足元まで赤っぽい小鳥がやってきて一生懸命地面をついばんでいる。仕草が結構可愛らしい。
もう,いいよ。お前ら,どんどん食え。
心優しい農夫であるYASU-Qはそれ以上彼らを追うことはできなかった。それにこれ以上鳥をいじめてるとこの国では本当にヤバイ。

しかし裏庭芝生化計画はあきらめられない。仕方ないので,代わりに最初から土付きの芝生がロール状に巻いてある"sod"とかいうものを買ってきて庭に敷きつめることにした。これなら鳥どもも手が出まい。
ところがこの"sod"というシロモノ,重い上に結構かさばる。ウチの車は小型乗用なのでどうがんばっても1回に10ロールぐらいしか積めない。結局,毎日10ロールずつ買ってきては庭に敷きつめる毎日である。

今のところ庭の半分だけはキレイな芝生になった。半分だけ芝生になった庭は,本当に半分だけキレイで,キカイダー(初代)の顔のようだ。そして残り半分の庭には今日も小鳥達が群がって,おのれの欲望を満たしている。お前ら,せいぜい今の内に食っとけ。キカイダー01は強いぞ!(意味不明)

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平成14年4月22日 ある農夫の錯覚
ここしばらく暖かい,と言うより暑いくらいの陽気だったのに,今朝起きたら

ヲイ,雪降ってるよ...

あまけに日中の最高気温2℃だよ。本当に4月下旬か?

でも,こちらの人に訊くと4月下旬に雪が降るのはそれほど珍しいことでもないそうだ。カナダの4月は寒暖の差が思いっきり激しいらしい。それにしてもビックリした。←訂正します。こちらでも4月下旬になって雪が降るのはかなり珍しいことらしい。英語がダメなもんで...失礼。

人間の認知というのは,住んでいる環境というか周りの「景色」みたいなものに大きく依存しているらしい。大学に向かう途中,雪のちらつく街中を車で走っていると,数ヶ月前にタイムスリップしたみたいなとても奇妙な感覚におそわれた。でも確かに家々の前庭の花壇にはチューリップがいっぱい咲きかけている。4月であることに間違いはなさそうだ。...人間のその時その時の認知なんて本当に脆弱なもんだ。

大学に着いてからもその時の奇妙な感覚について考えていたら,こんなことを思い出した。

電車に乗っていると,時に複数のガラスの反射の加減で,実際の進行方向と逆になった風景を目にすることがある。私は子供の頃(やはりちょっと変わった子供だったのだろう),このガラスに反射した風景を見るのが好きだった。逆になった風景を見ていると,電車が加速したときはブレーキをかけた時のように,ブレーキがかかった時は加速したように感じる。
その感覚にだいぶ慣れた時に,フッと視線を普通の車外の景色に移すと,一瞬軽い眩暈のような感じがして,そして元の普通の進行感覚に戻る。また電車が駅に止まる時に逆感覚でいると,加速しているような感じなのに実際にはだんだん電車は減速していつしか停まってしまう。どこまでも逆感覚にしがみつこうとしても,どこかのタイミングで逆感覚が破綻して元の進行感覚に戻る瞬間がある。やはり軽い眩暈というか衝撃のようなものを感じる。
私はこの遊びが好きだった。 危ない子供だな...

人の認知はこういう「景色」というか「構え」みたいなものの上にのっかっていて,その前提の上で成立している。自分の周囲の風景が右から左へ流れていれば,自分は右へ向かって動いているんだなと認知するし,身体が右へ引っぱられる力を感じればブレーキがかかって減速していると感じる。左だったらその反対だ。ガラスに映った左右が逆の風景を凝視しこれに入り込めば,実際とは逆の進行感覚が一時的に成立する。しかしこれはいわゆる「錯覚」である。
錯覚というと,平行なはずの線が平行に見えなかったり,同じ大きさのはずの人物像が違う大きさに見えたり,といったものを思い浮かべるかもしれない。これらはいかに背景を構成する周りの図形によって平行線や人物の大きさの認知が支配されているかの証としてよく登場する。ゲシュタルト心理学や知覚の現象学にもよく引用されてますな
私が季節外れの雪景色によって自分が冬のさ中にいるように感じたのも「錯覚」である。

錯覚はしばしの間私たちを拘束する力を持つ。私たちが錯覚している時,私たちはその錯覚をおこさせる風景の中にいるわけだから,その風景への依存を断ち,その風景の外に出ないと錯覚から開放されない。自力で錯覚から脱出することもあるだろうし,現実に否応なく連れ戻される場合もあるだろう。だがいずれにしても,私たちは錯覚から醒める時には景色の境界を乗り越える必要があり,この際に軽い眩暈のような衝撃を経験するのであろう。

錯覚が現実の生活の中で起これば,それはいつかは醒める。電車はいつまでも動いてはいないし,雪も明日にはやむだろう。現実は圧倒的な力で私たちを揺さぶり起こす。
しかし現実ではないところで錯覚が起こったなら...例えばネット上とか なんだやっぱりネットの話か
ずっと醒めない錯覚もあり得るし,いつかネット外の現実から逆襲を受け悲劇的な結末を迎える錯覚もあるだろう。ネット上の風景は自分が勝手に感じるものである。つまり風景さえも錯覚することができるのである。私達はある意味,そこに「見たいものを見ること」ができるのである。もちろん錯覚として。

.....そう言えば,今もう一つ思い出した。
こんな寝言を書いている場合ではない。昨日庭に蒔いた芝の種。寒さに弱いって書いてあったぞ。せっかく肥料やら何やらいろいろ準備していたのに...どうする?? 上から藁でも撒こうか。もう手遅れかなあ。困ったなあ...。芝生フカフカの庭にしたかったのに。
にわか農夫にとっては本当にイタイ,現実からの水平チョップだな。
まだここが日本であるかのような錯覚があるようだ...。

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平成14年4月16日 カンベンしてやるよ,夏時間
先週の話の続き。

先週,夏時間になってから午前中がツライという話を書いたが,同じ話をこちらのラボ仲間としていたら,カナダでも毎年この時期は居眠り運転による交通事故が増える,ということだった。みんな10月に(夏時間が終わって)時計が1時間遅くなるのが待ち遠しい,とか。なんだCanadianもみんな同じなのね。

ただ,この夏時間,結構いいところもあって,ちょっと「カンベンしてやるよ」という気にもなってきた。

現在こちらの日の出はAM6:33だが,日没はなんとPM8:01である。チョ〜陽が長いのである(夏時間でなかったら日没PM7時。これでも十分長いが)。つまり,仕事が終わって家に帰ってからの時間が長いのである。みんな公園で子供とサッカーしたり,庭いじりしたり,玄関先でご近所と駄弁ってたり,思い思いの"夕方"を楽しんでいる。夕飯も,外が明るいので庭に出て食べる。蚊などのムシも少ないし。
私も7時に家に帰ってから庭で子供とサッカーの真似事をしたり,庭に芝を植える準備をしたり。

たったこれだけのことだけど,何か気分的に豊かになったような気がして,ずっとカナダにいたくなる。
日本じゃ狭い狭いマンション暮らしだったし,家に帰ってから子供と外で遊ぶなんて絶対に不可能だったからなあ。

とは言え,これには副作用もあるようで,日光に曝される時間が長いためか,やたら陽に焼けるのと夜遅くまで眠くならないのが困る。午前中は相変わらずボーっとしているのだが,夜はまず2時3時まで眠くならない。おかげでいつまで経っても身体が夏時間に慣れない。
まあ,そのうちどうにか慣れてくるんだろうけど。

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平成14年4月9日 カンベンしてよ,夏時間
カナダは先週末から夏時間に移行している。日曜日(4/7)の午前2時がいきなり午前3時になったのである。みんな土曜の夜,寝る前に時計を1時間進めて寝るわけだ。
PCの時計もダイアログが出て自動的に1時間進められる(あんなダイアログはこちらへ来て初めてお目にかかった)。

なるべく市民生活に影響が出ないように週末の深夜に切り替わるし,時計が1時間進むだけなので,大したことはないと思っていたら大違い。たかが1時間でも結構いろいろなところに影響が出てくる。日本でもサマータイム制を導入しようという動きがあるが,(その是非はともかく)施行されたら最初は大騒ぎになるだろうな。

一番影響の大きいのが体調。毎日起きる時間が1時間早くなるわけなので,今週に入ってから起きるのが辛いこと辛いこと。また,いつもより1時間早く起きるせいか,午前中はずっとボンヤリしている。人間の体内時計というのは結構キッチリしたものなのだなあ,と感心する。

体内時計というのは正式には「サーカディアンリズム」と呼ばれ,誰にでも存在する生理的なメカニズムである。脳のはたらきだけでなく代謝や体温,ホルモン分泌,その他いろいろなものがこの機能の影響を大きく受けている。この時計はだいたい24時間にセットされており,人の身体を24時間のリズムにそって動きやすくしている。決まった時間に眠くなったり,起きたりできるのはこの時計のおかげに他ならない。

だから,実際の生活のリズムがこの時計とズレるとかなり辛いことになる。代表的なのがジェット・ラグ(時差ボケ)だろう。確かにカナダへ来た当初もかなり苦しかった。というのも,十数時間のフライトでいきなり地球の反対側に来たわけで,わずかな間に体内時計と生活時間がちょうど正反対になったことになる。体内時計は主に目から入る光の刺激により徐々にリセットされ,実際の生活時間に同調されることが判っているが,これには数日から10日ぐらいはかかる。

世の中にはこの体内時計がズレたままでなかなか生活時間に同調しない病気が知られている。例えば体内時計が人より少し遅れた状態で固定してしまう病態は実は結構多い(睡眠相遅延症候群,DSPSと呼ばれる)。患者さんは常に自分の体内時計より前進した生活を余儀なくされるわけで,非常に辛い病気である。夜はなかなか眠れず,朝は全く起きれない(単なる夜更かしとはレベルが違う)。今の私の状態は,まあたかだか1時間の遅れだが,この睡眠相遅延症候群と同じ状態ということになる。

こちらでは確かに私が日本で住んでいた所と比べると日照時間の増減がハッキリしている。夏場はかなり早くから明るいし,夜も結構遅くまで明るい。みんなで早起きした方が時間を有効利用できるというのは確かにある。しかし早起きができない(or 苦手な)人にとっては「カンベンしてよ」な制度だなあ。秋に(夏時間が終わって)時計が1時間遅くなるのが待ち遠しい。

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平成14年4月2日 私のダメ日本語について
おーい,もう4月かよ。早いなあ。

今でも英語で話す時には頭の中で必死で英作文していることには変わりないけれど,さすがにそのスピードが少し上がったらしく,以前よりちょっとは会話が会話らしくなったと自分では思う。それに伴って(かどうか分らないが)最近現われた変化がある。

一つは,日本語が下手になってきてること。

怖いよ,これ。特に過去時制を少しひねったみたいな「〜していたはずだった」とか「〜になっていると思っていたが」とか言おうとすると,「〜したんだけどそのはずだって」とか「〜になる思ったんけどそれなって」とか全然違うワケ判らんことを言ってしまう。
難しい漢字や格言なんかは確実に忘れてるし(今WAISやったら100切りそう),丁寧語もダメ。関西弁と標準語が混じったみたいな奇妙な言葉になってしまう。「あ,あの〜,スイマヘン,ちょっとそれとってくれへんですか?」

昔,エライ先生が「精神科医は沈黙で語れ」と言ったとか言わんとか聞いたことがあるが,実際の現場では精神科医にとって「言葉」は,ファンタジー系RPGの主人公にとっての「剣」の如く重要なデフォルトの武器である。私たちはこの「語る術」を磨き,「処方術」や「黙する術」を加えながらレベルアップする。まだ「黒魔法」も「召喚」もできんのに今さら「言葉」忘れてレベルダウンしてどうすんねん。
やっぱり,母国語でも廃用性に退化することはあるのね。家族や少数の友人と関西弁でアホなことしかしゃべってないからなあ。

そしてもう一つ怖いことは,頭の中に時々関係ない英語が勝手に出てくること。

特に"I had to..."とか"It should be..."とかいう言葉が文脈やシチュエーションに全然関係なく頭の中に浮かんでくる。これがもう少し感覚性を帯びて他者性が顕著になると「幻聴」になる,というかもうすでに「自生思考」か「思考吹入」に近いやんか。ソウカ,イヨイヨ俺ニモ来ルベキ時ガ来タカ。

Lacan的な精神病理学だと,言語が本来持っている「恣意性」とか「自律性」みたいなものに「他者」を認め,ヒトが言語を獲得し象徴界に入る際に脱ぎ捨てた「抜け殻」のようなモノが常に背後で主体性を保障しようとしているものの,この機能が少しでも不調を来たすと言語がその他者性を露わにする,これが統合失調症の病的体験の他者性の起源である,ってな風に解釈することが多い(ああ,やはり日本語が...)
それを考えると,この,最低限の日本語は残したままで英語の統語構造を頭の中に別に造るというのは,すでに日本語に去勢された上にさらに英語にも去勢されるという「あーもう好きにして」な体験なわけで,少々主体性が混乱するのも無理はないか。

一人でいる時でも常に頭の中では「英語」を意識しているので,少しずつ自分なりの英語プログラムが自走し始めただけだ,と考えれば納得は行くが,それにしても気持ち悪い現象ではある。患者さんにとって「自生体験」というのがいかに気持ち悪いかよく分るし,自分にも人並みに精神活動の主体性を失うこと(=狂気)への恐怖があるのだなと判って少しがっかりした。

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平成14年3月26日 寒さと慣れ
春分の日も過ぎ,陽は確実に長くなって来ているのに,結構寒い日が続く。

頭上では春の陽が燦々と輝いているのに日中の気温はマイナス4℃。道端の水たまりも,ここしばらくガチガチに凍ったままだ。夜間にハラハラ降った雪が朝にはうっすら積もっていたりする。


こんな感じ (裏庭から公園を望む)

しかし人間の身体というのは恐ろしいもので,こういう寒さにもすっかり慣れてしまった。「おー,今日はえらい暖かいなあ」と思って温度計を見ると気温0℃だったりする。今年のカナダはこれでもかなりの暖冬らしく,それほど気温が下がらなかったこともあって(私が住んでいる街では気温がマイナス10℃を下回ったのは数日しかなかった),結局日本から持ってきたダウンジャケット1枚で冬を越せてしまった。

一般家庭を含め,建物の中はセントラルヒーティングがしっかりしているので,屋内はさらに暖かい。私も普段はずっとジーンズと長袖のTシャツ1枚だ。気温からすると確かにこちらの方が寒いはずなのだが,何やら日本の冬の方がずっとずっと寒かったような気がする。

なんてことをこちらの人と話していたら,カナダの本当の寒さは「こんなもんじゃない!」と(英語で)言われてしまった。買い物へ行って,部屋に帰るまでに買った牛乳やジュースがガチガチに凍っているらしい。怖いよ,それ。何せナイアガラの滝がすっかり凍りつくそうだから,確かに今年の冬が暖かいのだろう。
何かちょっと損した気分やなあ...。まあ来年の冬に期待しよう。

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平成14年3月18日 近況 −現在の研究について
研究の方が忙しく,毎日大量の数字に埋もれて過ごしているため,オリジナルなネタを思いつかず。今回は近況報告を兼ねて現在やっている仕事の話を書いてお茶を濁そう。

私の今回の研究留学のメインテーマは不眠症の病態生理の研究,ということになっている。最終的には,特に神経症性不眠の病態生理を調べたいのだが,現在はその予備実験ということで,大学生のボランティア(わずかだが報酬は出ているのでアルバイトと呼ぶべきか)に来てもらって,ラボで30分おきに居眠りを何回かくり返してもらい,その入眠過程の脳波を調べる研究をしている。もちろん,その際に音声刺激をイヤホンで与えて,その刺激に対する反応の脳波(事象関連電位,特にCNV)を調べているわけだ。(→このへんの話はこちらも参照)

不眠の人というのは,「眠れない」「眠らなければ」という睡眠に関するこだわり思考が頭にこびりついていて,そのためにかえって床に入ったときに覚醒度が上がってしまい眠れない,という悪循環の病理の中にいる(かの森田正馬大先生もそうおっしゃっている)。これは大脳上の特定の興奮パターンを消去したくてもできない状態と考えて良い。
入眠直前に簡単なボタン早押しゲームをやってもらい,脳内に一定の興奮パターンを人工的に形成する。その後,ゲームに使ったのと同じ音刺激を聴きながら入眠してもらい,入眠過程にともなってどのように興奮パターンが消去されていくかを脳波で調べることによって,この不眠の病理を調べられるのではないかと考えているわけだ。

20〜30分でも人によっては結構グッスリ眠り込んでしまうもので,起こすのが気の毒になることもあるが,バイトだから仕方あるまい。私がシールドルームに入って行って
"Hello, are you OK??"
と(大声で)声をかけると,ガバッと跳ね起きて「ここはどこ??」状態になる人も多いし,中には「何ダ,コノ不審ナ東洋人ハ?」とでも言いたげな顔をする人もいる。それでもそれには一切構わず
"Could you get up and sit down in front of computer?" 我ながらひどい英語だ...
と言ってやる時には,ちょっとサディスティックな快感があるかもしれない。
何かちょっと複雑なことを英語で尋ねられても「ワタシ英語ワカリマセーン」と(英語で)言って笑って済ましてしまうのだから我ながらひどいヤツだ。こういう時は一緒に実験をしている学部4年生の女の子を呼ぶ。いずれにせよ,動物実験系の人達と違って,全て人と言葉でコミュニケートしながら実験して行かなければならないので,英語ワカリマセーンな私にとってはツライ。

現在すでにデータの解析を進めているが(いまだにデータ集めも続けてますが),20〜30分間×5〜6回の脳波全てを解析するので,データのサイズがハンパじゃない。EXCELのワークシートをタテ・ヨコとも使い切ったのは今回が初めてだ。1人分のデータは全部で1GB近い。マクロが(マグロじゃないよ,ってオラ座布団3枚持って行けや)勝手にやってくれる処理もあるが,どうしても手作業でやらざるを得ない部分もあって,年相応の目・肩・腰を持つ私としては,残りの部分も自動化するべく新たに大掛かりなマクロを組むか,それともここはやはり実直に手作業を積み重ねることにするかが思案のしどころである。

...てな感じで,暖かくなりつつあるカナダの気候とは関係なく,吹き荒れる数字の嵐の中を彷徨う毎日であったりするわけです。そろそろ次の実験の用意も始めなアカンし,ああ,無事にこの目・肩・腰を日本へ持って帰れるだろうか...。

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平成14年3月8日 やってもうた!

今日は経済的なことでショックな出来事が重なり,とってもウツな気分だ。

一つは,ボスが私の給料用に申請していたグラントが通らず,この先当分ラボで給料をもらえるアテがなくなったことだ。最初は給料なしということでこちらに来たのだが,いろいろ交渉してやっと「グラントが通れば」ある程度もらえることになっていただけに残念だ。

私は現在,ある海外留学助成金をもらっているが,これは期限が1年まで。カナダのグラントは少なくとも移民の資格がないともらえず,日本のほとんどの留学助成金は年齢制限が厳しく,私のような30代半ばを過ぎたオッサンには申請資格すらない。これでまあ,本当に移民になってしまうとかよっぽどのことがない限り,来年の春には日本へ帰ること決定,だな。

もう一つは,昨日からの急な円高。留学を考えるまでは為替相場なんて全く別世界の出来事だったが,こちらへ来てからは毎日為替サイトとにらめっこである。私は基本的に日本の口座から時々こちらの口座に生活費を送金するようにしているので,相場の影響は大きい。例えば,100万円ぐらいまとめて送金しようとした場合,1カナダドル=83円と81円では2万4〜5千円の差が出てくる。

実はコレをやってしもうたんである。あと1日相場を見ていれば良かったものを,もう円は上げ止まりだろうと読んで昨日手を打ったのが,早かった。今日になって円はさらに2円も値を上げてきた。あ〜,あと1日待っていれば...。思わず「やってもうた!」と叫んだよ。まあ,素人のにわか相場師がなかなか得を出せるもんではない。損とか得とか言うほどの額でもないしね。病院に勤めているとよく先物取引の勧誘の電話がかかってくるけど,得をしたという人は聞かんしなあ。

経済学というのは実は心理学に非常に近いと思う。いろんなデータから相場の動きを読むことは,患者さんの心の動きを読むことにとても似ている。購買だの価格操作だの,結局は人間が「得をしたい」という欲求に基づいてする行動だし。どこで介入するかのタイミングをはかるのが難しい。毎日,経済ニュースや為替のサイトを見ていると,日本へ帰った時には精神療法もうまくなってる,かな?

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平成14年3月1日 精神科医に何を求めるのか?

いろいろなサイトやBBSの書き込みを見ていると,よく精神医療の被害者と称する人たちに出会う。中には勝手にそう思い込んでるだけとしか見えない人もいるが,文章を読んで深い同情を禁じ得ない場合もある。どうしてそのような悲劇が生じるのか。

自分が精神科医であると告げると,初対面の人はみな一様に,「へえ〜」という表情でこちらの顔を見る。どこかの精神科医のサイトにも同じようなことが書いてあったが,まるで不思議な生き物でも見るような目である。この国では精神科医はまだ呪術師に類するもののように見られているようだ。そしてたいていは「どうして精神科医なんかになったの?」と訊かれる。どうしてもこうしても「なりたいからなった」に決まってるし,だいたい「精神科医なんか」とはなんだ。いずれにせよ普通の人間とは思われてないらしい。

精神科医ですらこの扱いだから,精神医学はほとんど呪術か錬金術か占いの類である。本屋で精神医療関連の本を探してみよう。それらしい面白おかしい副題のついている本が多いし,だいたい近くの本棚にメタサイコロジーや宗教や占いの本も並んでいるはずだ。人々の頭の中では,精神医学や心理学はその手のアヤシイ世界と非常に近いところにプライミングされているのである。

私がこのサイトを立ち上げた理由の一つは,等身大の精神科医を晒すことで精神科や精神医学に漂うアヤシイ雰囲気を払拭し,精神医療の現実を知ってもらいたいことであった。だから,精神科医にはこれとこれができるけどこれとこれはできない,と精神医療の限界は示してきたつもりである。

おかげでこの数年,「誰でも気軽に行ける精神科」というイメージは定着してきた。マスコミの無責任な宣伝もあり,精神科受診への垣根は確実に低くなってきている。身近な人でも(私が勧めたからだが)精神科を受診し健康を取り戻した人が複数存在する。精神科に通院していることを以前ほど隠す必要がなくなってきたのは間違いなく良い傾向である。そしてこの精神科クリニック開業ラッシュである。中にはおしゃれなラブホかバーのような雰囲気のクリニックまである(まあお酒は出んだろうが)。精神科の初診患者は確実に増えているだろう。

しかし人々の精神医療に対するイメージは前述のように大して変わっていない。人々は精神科医や精神医療に過大な,そして多分に魔術的な期待をしてその門をくぐる。おしゃれでキレイなクリニックの内装はますますその期待を高めてくれるだろう。何をしてくれるのかな,私のこの不安を全て取り去ってくれる魔法のようなクスリをくれるのかな,私の生き方を変えてくれるような魔法の言葉を処方してくれるのかな......。
そしてたいてい直面するのが,昔とちっとも変わらないオッサン精神科医と旧態然としたマンネリ処方である。ある人は幻滅し,ある人は怒り,ある人はそれでもあきらめず過大な期待を抱えたまま通院を続ける。

精神科医はただの人間だ。決して他人の心を読んで操作するとか魔法のクスリを調剤するとかそんなことができるわけではない。せいぜいうまくいって患者さんの回復の手助けがちょっとできる程度である。患者さんの問題を肩代わりすることはできないし,おクスリの効果も大したもんではない。患者さんが持って来てこちらに投影する万能感を利用して「あれも治ります,これも治ります,どうぞお気軽にどんどん受診して下さい」なんて期待させ,自分がうまく扱えずボーダー化した患者さんを他の病院に押し付けるようなことは絶対にしてはならない。ただでさえ,精神医療が精神疾患を作る,なんて言われているのだから。

これを読んでいる人。決して精神科医に過度の期待をしてはいけません。問題を解決し,治癒に至るのはあなた自身です。精神科医はあなたの代わりはできませんし,おクスリも多くは一時的な対症療法です。私達にできることは,あなたの回復を横からちょっと手伝ったり見守ったりすることだけです。

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平成14年2月21日 子供の適応力
今週いっぱい大学はBreakでお休み。したがって図書館や自分のデスクで何やらゴソゴソやっております。来週,ドドドとあと4人くらいデータをとって解析に突入する予定。今日でちょうどこちらへ来て半年になる。

今日は子供の話。

うちは上の子が5歳で当地の公立幼稚園に行っており,下の子はまだ家。こちらでは4歳から幼稚園で,2年保育の後,小学校に進む。もちろん学期は9月始まりで3学期制。8月中に前もってこちらに来たのと,ちゃんと子供用の就学visaをとって来たので,すんなり9月から通えた。今は年長組で2学期の真っ最中ということになる。

幼稚園は私立も公立もたいていは小学校に附属していて,行事なども合同。だから日本よりはスムースにそのまま小学校に上がれる雰囲気だ。うちの子の幼稚園も,近所の小学校の一角にあり,朝のdrop時には(幼稚園は全員親が送迎)小学校の生徒達と一緒で,学校の前の駐車場は結構混み合う。といっても幼稚園の方は年少・年長合同クラスで人数は20名ぐらい。公園と楓林に囲まれた平屋の校舎で,雪の積もった校庭で野生のリスやウサギがウロチョロしているというのどかな所だ。

こんなところです→http://www.dsbn.edu.on.ca/Schools/Briardale/

子供は一般的に外国語環境への適応が早いと言われるし,実際早い子は2〜3ヶ月でコミュニケーション可能になるらしいが,これは子供の性格によってかなり異なることがうちの子を見ていると分かる。うちの子はよく言えば完全マイペース,悪く言えばボーっとしていて周りのことが目に入っていないことが多い。周りの子が英語で話し掛けてきても,自分が何かに没頭していれば完全無視。彼なりにオリジナリティーへのこだわりがあるらしく,遊びでも周りの子のマネはめったにしない。自分から人にモノを頼むのは嫌い。ああ,私の子だなあ...と思うけど,これでは英語はうまくなるまい。

特に最初の頃は,日本の幼稚園でのクセが出てよくケンカをしたので,先生に苦情を言われた。日本の幼稚園ではケンカに弱いとイジメられるので「ケンカには絶対負けるな」と密かに教育していたのだが,これが裏目に出たようだ。誰かがちょっかいかけてくると,言葉が分からないものだから,全てパンチを食らわしていたらしい。こちらの幼稚園の平和的な教育方針(ケンカは御法度,ピストルごっこすら禁止)から見ると相当な問題児だ。何回か先生に時間をとってもらい懇談してもらった。幸いとても良い先生で,彼のことを理解してもらえたし,うちの子もここは日本とは違うということが分かったようで,その後はケンカはなくなった。
しかし半年経っても,クラスメートと英語でコミュニケーションしている姿はほとんど見かけない。まあ最近はそれなりに他の子と遊んではいるようだから大丈夫だとは思うけど,心配だなあ...。

下の子は,嫁さんに似ているのか,周りの様子を見て適宜マネをし,うまく適応しようとする。まだ2歳だし,周囲の子との接触がほとんどないので英語は話せないが,デイケアでも行きだせば,家中でこの子が一番話せるようになるのでは,とすら思える。
大人でも同じことだと思うが,変にプライドを気にして,いい格好しようとしたり失敗を恐れてしまうと,なかなか英語は上達しないようだ。どんどん周囲の人の輪に入り,めちゃくちゃでもいいからとにかくしゃべること。要は度胸と根性。文法の知識なんかよりこっちの方がずっと重要な気がする。

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それから,これは余談だが,こちらでは朝の始業時に必ずみんなで国歌を歌う。カナダの国歌は"O Canada"というとてもモダンな感じのする曲だ(オリンピックでかかってるかな)。毎朝子供を送って行って聴いているうちに,すっかり気に入ってしまった。

ここから聴けます→http://www.pch.gc.ca/progs/cpsc-ccsp/sc-cs/anthem_e.cfm

毎朝,国歌を歌って一日が始まる。日本とはえらい違いだな。年に一度のイベントですら,歌う歌わないで大騒ぎ。国歌を歌えと強制する政府もあれば,絶対に歌わないと肩をいからして抵抗する人たちもいる。もちろん歴史の違いを考えれば仕方ないことだけど,国歌を歌うこの国の人たちのさわやかな表情を見ていると,とてもうらやましく感じます(念のため:私は決して右よりの人間ではありませんし,純粋な左翼でもありません)。

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平成14年2月14日 カナダのバレンタインデー
カゼをひいてしまい,更新が遅れました。

2月になってからも,雪が積もって融けてをくり返しているが,次第に陽が長くなってきているのが分かる。こちらは緯度が高いので日照時間の増減が極端だ。日本でも季節性気分障害というのはあるが,こっちの方がより現実的だろう。こちらへ来た頃は夜の8時ぐらいでも薄明るかったし,クリスマス前後は逆に一日中薄暗かったような印象がある。

さて,2月14日である。カナダでもバレンタインデーはある,というかこっちがむしろ元祖だろう。ショッピングモールなどへ行くとラッピングしたチョコレートがいっぱい積んであるのは日本と同じだ。だが,買うのは男。こっちでは女性からではなく,男性が女性に送ることになっている。
男性が女性に送るのだということは聞いていたが,こちらでもチョコレートがポピュラーだとは知らなかった。てっきり日本の菓子メーカーの陰謀だと思っていた。ただ,チョコレート以外に花やアクセサリーなども一般的だという。確かにいろいろなものが大売出し中である。

また,「義理チョコ」などというのは日本だけの風習かと思っていたが,こちらでも仲のよい友達や同僚,上司などにもよくプレゼントするらしい。学校でも友達同士で交換するので,現在うちの家は子供が学校へ持っていく予定の義理チョコであふれかえっている。

カナダという国は,意外と日本的なところがある国だ。アメリカほどざっくばらんでおおっぴらではないが,意外にみな気をよく使い,細かいところまで気配りをするところがある。そのうえヨーロッパほど東洋人に冷たい感じがない。なるほど日本からの移民が多いというのもうなづける。気質的に合うのだろう。

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実験の方は,だいぶデータが集まってきた。とりあえず今はデータ集めが中心で,解析はしていない。2月いっぱいはデータ録り続行の予定。その後は怒涛の統計計算の日々が.....。

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平成14年2月4日 私のダメ英語について
カナダに来ていよいよ半年近くになるが,まーだ英語がちっとも分からない。前に「少し単語が耳に残るようになってきた」と書いたが,そこから全然進んでないような。自分が否定疑問文を投げかけといて,答えが"No"だと,結局それが「真」なのか「偽」なのか分からなくて混乱してしまう。最近は意識して難しい構文を使わないようにしているが,文部省教育の成果の悲しさで,何か言いたいことを表現しようとすると,すぐに関係代名詞節だの複文だのになってしまって,余計相手に伝わらない。伝わらないと,不必要に焦ってしまって,相手の言葉も素直に頭に入って来ない。

それでも,カナダの人は親切である。私が身振り手振りをまじえ,顔をゆがめて踊るようにしゃべっている内容をじっくり聞いて(観察して?)たいていは理解してくれる。話が伝わるとこっちも少しずつ落ち着いてくるので,たまにはちょっとジョークめいたことを言ってみたりすると,それにもちゃんと反応してくれるので,傍目には一応コミュニケーションが成立しているように見えるだろう。だがこれは偏に相手の好意による。

「話す」ということと「聞いて理解する」ということは,もともとは別のはたらきと考えられていた。脳においてもそれぞれ別の部分が司っていて(有名なブローカ野とウェルニッケ野ですな),「意味」を出力するのが「話す」ことで,耳に入る音から「意味」を抽出するのが「聞く」ことだと考えられていた。だが実際に脳の血流などを調べると両部位はほぼ同時にはたらいており,「話す」と「聞く」は実は一つの現象の表と裏に過ぎないのでは,と考えられるようになってきた。私の場合は,このあたりがまだ完全に日本語の統語構造に支配されていて,英語を出力するのも入力するのもスムースに行かないのだろう。いったんある言語の統語構造に基づいた頭ができてしまうと,結構,頭の中は他の言語システムに対しては排他的になってしまうんじゃないかと思う。母国語の統語構造がまだ確立していない子供で外国語習得が簡単なのは,こういうわけなんだろう。長い留学経験のある友人も,ある時点で頭の中がグルリンと入れ替わる,と表現していた。真のバイリンガルと大人になってから外国語を学んだ場合では,結果としての語学力は変わらなくても,外国語を扱う際の大脳皮質の興奮パターンが違うとか読んだことがある。

だから,単に「耳が慣れる」というのと本当に外国語ができるというのは別のことなんじゃないかと思う。よく,「〇〇時間テープを聞くだけで英語が分かるようになる」とか,中には「話せるようにもなる」とか言って商売しているけど,ちょっとウソがあると思う。長時間「聞く」ことで耳を慣れさせることは可能だろうけど,それだけで頭の中に(日本語抜きの)英語の入出力構造を作れるとは思えない。もちろん,やらないよりはいいだろう。耳が慣れることは外国語ができるようになる必要条件ではあると思う。私も病院の行き帰りに必死でテープを聞いていたし。でもそれだけで話せるようにはならない,という生き証人だな。

もう一つ,外国語で話していると,会話というのは,いかに文字にできる「言葉」以外のものに頼って成立しているのかということがよく分かる。上記のように私の英語はダメ英語なので,中身が痩せている分,身振り手振りや顔の表情によって情報を補っているのである。だから,こっちが自閉的・回避的な気分になって伝える気が萎えてきたり,相手が醒めた目でこちらを見ている場合,せっかくの補情報も役に立たない。また,相手が知っている人であれば,私についてもともと知ってくれている情報があるわけで,これらが会話の前提となってお互いの理解をかなり助けてくれる。だから,知らない相手との電話が一番悲惨である。補情報を伝えるべきチャンネルが全くない。こっちでもよくセールスの電話がかかってくるが,相手が早口だったりすると,「分からん分からん全然分からん何言うてるか全然分からんあんたの言うてること全然分からんごめんごめんごめんもう切るわ」と言って一方的に切ってしまう以外ないこともある。このあたりネットワーク上のコミュニケーションと非常によく似ている。

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平成14年1月30日 気になる女性
カナダに来て以来ずっと,とても気になっている女性がいる。と言っても,別に色っぽい話ではない。
家の近所に高速道路をまたぐ高架橋があり,そこを通る時によく見かけるおばあさんのことである。彼女はいつも朝の決まった時刻にここに歩いて来て,欄干から高速を見下ろし,通る車に向かって大声で何やら怒っている。私は車で通りかかるだけだし,そもそも英語がよく理解できないから彼女が何を怒っているのかは解らない。でも,怒る彼女はとても元気そうで生き生きしている。
ここしばらく見かけなかったので,カゼでもひいたんじゃないか,肺炎にでもなってないかとすごく心配していたのだが,今日久々に見かけてホッとした。

ここまで読んで「ああ電波さんだな」と思った人は正しい。私も,たぶん統合失調症の患者さんだと思う(老人性痴呆の患者さんだとすると,易怒性や独語が存在するレベルなら地誌的認知もかなり障害されているはずで,家族が心配して一人歩きを許さないケースが多い)。きっとこの朝の一喝は彼女の長年の習慣で,彼女の(身体的な)健康維持にも大いに役立っているに違いない。
(もちろん,念のため付け加えるが,統合失調症の患者さんがみなこういう行動をとるわけでは決してない。こういう患者さんは典型例ではなく,ごく一部のタイプに過ぎない。)

私は,こういう,街で生き生きしている患者さんが大好きだ。そしてこういう患者さんがいる街も好きだ。日本にいた時も,近所によく似た「怒りんぼオバさん」がいて,時々出会えるのを楽しみにしていた。こういう人たちが生き生きできる街というのは,雑然としていてもどこか活気があり,そして余裕がある。私が今住んでいる街も,そうである。彼女の存在は街の風景にとてもなじんでいる。違和感がない。

精神科医というのは因果な商売である。時としてこういう人たちの目の光を奪い,病院で一日中ゴロゴロしているだけの患者さんに仕立て上げてしまう。患者さん本人ではなく,社会や家族の顔色ばかりを見ながら「治療」をしなければいけないことがある。もちろん,幻覚や妄想といった症状が患者さんを翻弄し消耗させている時には,それを抑えることはまあ治療と呼んでいいだろう。だが,抑えなくていいものまで抑え込もうとしたり,そっとしておいてあげた方がいいものを「賦活」しようとしたりしていないか。社会や家族のためだけに,自身の治療者としてのヘンなプライドのためだけに患者さんを支配しようとしていないか。私は残念ながらこの問いに顔をあげて答えることができない。

精神医学を,精神科医を作るのは社会である。私は日本の精神科医である。
カナダの精神医療が無条件に良い,ということはないであろう。だが,それでも平均在院日数はケタ違いに短い。というか日本だけがケタ違いに長い。もちろん平均在院日数が全てを決めるわけではない。しかしこういった患者さんの置かれた状況が変わらないまま,DSMだのEBMだの異国の文化の成果を形だけとり入れても,本来の機能を果たすとは思えない。病名が変わるというのも,それ自体は良いことだと思う。でも,それはあくまでやるべきことの一つであって,まーだまだ課題はいっぱいある。

こちらにいるうちに,ボランティアなどの形でもいいから精神科病棟に潜り込んで,いろいろ見てみたい。マジで。

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平成14年1月24日 「統合失調症」によせて
精神神経学会で「精神分裂病」という病名を「統合失調症」に変更しようということになったらしい。単なる学会の決定なのでどのくらいの拘束力を持つのか知らないが,おそらくこの病名変更は正式に大会で了承され,世間もまたこの流れにそっていくように思われる。私はこの学会には所属していないが,日本へ帰ればこの病名を使うと思う。

実はこの病名変更の案件は最近のものではなく,ずっと以前から出されていて,提案者である患者や家族サイドにとっては,「やっと」の結果であっただろう。確かに「精神」「分裂」「病」という病名にはいろいろな問題があったと言える。英語のschizophrenia,ドイツ語のSchizophrenieの訳として「精神分裂病」という語は,語源からいっても,誤訳ではない。ただ,あまりにも直訳すぎる感じはする。

言葉は人の精神を支配する。言葉は大きな自立性をもち,人の精神が言葉を生み出すというよりもむしろ言葉が人の精神を制限し構成する。人のある対象への認識はその対象の「名前」によって作り出されている。我々がある人のある状態を「精神分裂病」と名付ける時,我々のその人への認識は「精神・分裂・病」という言葉によって構成され,我々のその人への態度は「精神・分裂・病」という言葉によって決定される。精神科医は精神分裂病がどのような状態を名付けているものか,一応,知っている。それでも我々の分裂病患者の認識は「精神・分裂」という言葉に多分に影響されていると思う。まして,分裂病患者を全く知らない一般の人なら,その認識はほとんど「精神・分裂・病」という言葉の語感そのものから構成されているだろう。

「分裂」という言葉はあまりポジティヴなことばではない。というより,はっきりネガティヴな言葉だと言っていいだろう。何かが複数の部分に「分裂」する。そこには,本来分かれるべきでないものが分かれてしまった,という裏の意味が感じられる。「精神分裂病」以前に使われていた「早発性痴呆」もそうであるが,この精神病への名付け(あるいは病名の邦訳)は,明らかにその予後の悪さや精神症状の不可解さなど「精神病への恐れ」が影響していたと感じられる(繰り返すが,確かに誤訳ではない)。精神病への恐怖を刻印された「精神分裂病」という病名が,一般の人に無用の誤解や恐怖を与えてきた,というのはあながちウソではないと私は思う。「ブロイラー病」という病名案に鶏肉業界が反対した,というのも,もちろんくだらない偏見に基づくものではあるが,精神病の病名というものの重大性を如実に表すエピソードだと思う。

「統合失調症」というのは"schizophrenia"を訳そうとした言葉ではない。分裂病の病態を表現しようとした病名と思われる。これが分裂病の本態を表しているとは正直思えないが,分裂病全体の軽症化や隔離的治療の見直しなどの流れを考えると,少なくともこの時点での病名変更は正解だと思う。そしてこの毒にも薬にもならないような中身のあいまいな「統合・失調」という言葉の語感を考えると,この疾患の「結局よく分らない」部分にはマッチしているような気もする。また,「病」から「症」に変わったことについても,単一疾患というより症候群ととらえる近年の傾向を反映しており,私には評価できる変更であると感じられる。

名前を変えただけでは何も変わらない,という意見はもちろんあるだろう。だが,名前は人の認識を支配している。幸い,新しい名前はまだ何も色のついていない白紙の状態だ。ここに明るい色が現れてくるようにしていきたいものである。

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平成14年1月17日 カナダの食について
お正月以降,いったん雪は完全にとけたが,今週に入ってまた降ったり止んだり。今日もうっすら2〜3cm積もっている。

先日,午後から移民のお友達一家に誘われて,ミシサガ(トロントのとなり街)のショッピングセンターをウロウロする。ミシサガには韓国系や中国系のお店が多く,アジア食材が日本系のお店よりかなり安く手に入る。妙な漢方の強精剤とか,蛇の剥き身の冷凍とか,面白いモノがいっぱいあり見ているだけでもなかなか楽しい。夕食は韓国料理の店で久々に焼肉を食い,セガのゲーセンで遊んで帰る。ゲームも日本よりだいぶ安い。

カナダは料理のうまいところではない(ケベック州を除いて)。「カナダ料理」というものは存在せず,イタリア系の料理,フランス系の料理,アジア系の料理などがそれぞれ独立して存在する。その家庭によって,主食はイタリア系のものが多かったり,アジア系が多かったりするようである。レストランよりも家庭料理の方がおいしいとも聞くが,スーパーではみな大量に冷凍パスタとか冷凍おかずを買っているので,真偽のほどは分からない。あるカナダ人家庭にホームステイしている嫁さんの友達は,時々うちで晩メシを食って感涙にむせんでいるから,推して知るべしだろう (我が家は嫁さんががんばっていて,日本とほとんど変わらない食生活を送れている)。ケニアから移民したお友達に招かれてケニアの家庭料理をごちそうになったこともあったが,これは素敵にうまかった。

"Sushi"とか"Sashimi","Teriyaki"という看板は結構よく見かけるが,たいていは韓国人か中国人のお店である。味も日本のものとは相当異なる。内装も"Japan"を意識しているらしいのだが,勘違いが甚だしい。売れるとなればたとえ日本の料理でも売る。なかなかたくましいものである。といっても,日本の中華料理だってたいていは日本人がやっているのだからおあいこだな。

ケベック州は(11月にちょっと行って来た)さすがにフランス圏だけあって,料理がうまかった。何ということのないビュッフェでも明らかにオンタリオとは味が異なる。まあその分,看板もメニューも全部フランス語だし(オンタリオでは必ず英語とフランス語の併記),街の人もなかなか英語をしゃべってくれないので困ったが。

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さて,実験だが,やっとパイロットスタディを終わって,今週末より実際のデータ録りに入ることとなった。まだ,波形はきれいじゃないし,振幅も小さいが,入眠過程によって後期CNVの波形がきれいに逆転していく様を追えるようになった。能書きよりとにかく実際のデータである。2週間で4〜5人のデータを録る予定。

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平成14年1月10日 カナダの本屋
その後,市内の一番大きな本屋へ行き(と言っても,京都でいえば丸山書店ぐらいのもんだが)カナダの国試情報を求めたが,あっさり「ねえよ,そんなもん(英語で)」と言われてしまった。くやしいのでその後も店内を徘徊し,思いっきり立ち読みしてやった。ここの本屋は,店内にソファーやらイスやらが置いてあって,最初から基本的に立ち読みフリーなので,向うは痛くもかゆくもないみたいだったが。ついでに店内にはスターバックス(日本と同じコーヒー屋)まであり,ここでコーヒーを買ってすすりながら本(もちろん売り物の)を読んでるお年寄りが多い。優雅なもんだ。この本屋,ここまで商売っ気がなくていいのかといらん心配をしてしまう。

本は,安い。紙の質は良くないが,日本で何千円するものがこちらでは10ドル台で手に入る。メルクマニュアルのペーパーバック版なんか8ドルなり。精神科関係で言えば,日本で訳がある有名な本はたいていこちらにもある。セシュエーの「分裂病の少女の手記」とかレインの「引き裂かれた自己」とか。さすがに木村敏や中井久夫は見当たらない。面白そうだったのが"Toxic Psychiatry",副題がたしか「なぜ治療・共感・愛はクスリと電気ショックと生化学理論にとって代わられたのか」という本。レインなんかの引用が多かったし,いわゆる反精神医学系のもの。こっちにもこういう人,いるのね。ただ,全体的に一番多かったのは分析系やアディクション,AC,摂食障害もので,やはりこちらの流行なんだろう。今度はトロントの本屋を探検しよう。

明日,今年初の実験の予定が入っていたが,また流れた。データ処理のためのソフト関係は準備進んでるけど,こんなんで本当に論文書けるんかなあ。

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平成14年1月7日 移民になりたい
道がパリパリに凍っている時には足元に気をつけなければならない。ゴミを出しに表に出たら,スッテンコロリン,頭を打たないように身体をよじって倒れたせいか,首をいためてしまった。ちょうどムチウチか寝違えのひどいやつのようで,痛い痛い。以前,通勤途中で横断歩道を渡っている時にも,道が雪が凍りついていて,スッテンコロリンしたことがあるが,その時はケツに青あざができた。時々(日本にいた時に)ニュースで,ころんでケガをした人が...とかやっていたが,他人事ではない。

先日,こちらに移民している日本人のお友達の一家に招かれてごちそうになった。他の日本人移民ファミリーも来ていて,夕方からなんと深夜の1時まで飲んだり食ったりしながら日本語のおしゃべりを楽しんだ。その間,子供たちも全員起きていて(3家族とも子供2-3人同伴),走り回ってはしゃいでいた(日本語で遊べる機会は少ないので)。

こちらでは,よく移民になることを勧められる。カナダも,アメリカ同様,基本的には移民の国なので,移民の制度が法的にも社会的にもしっかりできている。私は現在は正式なワーキングビザを持っているが,それでも移民の人たちと比べると,いろいろと制約があるし,健康保険や社会資源の利用についても割高になる。しかも,9月までに新たなスポンサーを見つけてビザを更新しなければならない。それに比べて,こちらで職を見つけて完全に移民になってしまえば,そんな苦労はなくなる。

ただ,日本での医師免許はこちらではただの紙切れで何の役にも立たない。カナダで臨床医として働くには,こちらの医師免許試験を受けて(日本の医師ならば受験資格はある),研修も一からやり直しとなるため,現実的には不可能に近い。日本で,先生,先生,と(一応)敬われ甘やかされてきた自分が,こちらで一から会社員やお店の店員,自動車整備工(これが一番適性あるか)として働けるかというと,これも難しいだろうし,第一,研究をする時間が限られてしまう。かといって,研究職でポストを得るのは相当優秀な研究者でも至難の業らしい。いっそ米国に渡ろうか,やはり無理だろうな,と思いつつも,医師免許試験の情報を求めて,本屋に向かう私だった。

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平成14年1月1日 想えば遠くに来たもんだ
皆さま,明けましておめでとうございます。

クリスマス以降も何回か雪が降り,カナダらしい白銀のお正月になった。嫁さんが作ってくれた年越しうどんを食べ(私はソバにひどいアレルギーがあるので,我が家では年越しはうどんを食う),暖炉の前でちょっぴり残った日本酒とワインをチビチビ飲みながら年を越した。除夜の鐘は聴こえないし,「行く年来る年」もないが,この一年の自分の境遇の激変を想うとなかなか感慨深いものがある。去年の今ごろは,留学できるかどうかすら確定しておらず,他にもいろいろな問題を抱えていて,お先真っ暗に近い状態だった。

想えば精神科医になって以来,いろいろな場所で新年を迎えたものだ。日本海側にあるイナカの精神病院で雪の元旦を迎えることが多かったが,市内の忙しい病院で,除夜の鐘の音をBGMに病棟でナートしていた年もある。我が家でゆっくり年を越したことは少ない。まして貧乏な精神科医のこと,異国で新年を迎えるなど,考えたこともなかった。...それがこの年越しだ。

人間,何でもやってみることだと,今年も蛮勇を奮って進んで行く決意を固める。

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平成13年12月27日 カナダのクリスマス
今年のカナダはかなりの暖冬で,雪なしのクリスマスになるかと噂していたら,24日から寒波が到来し,たっぷり20cm以上降った。気温も,最高気温がマイナス2℃,とかそういう感じで,やっとカナダらしくなってきた。庭に雪で大きなスロープを作ってやって,嫁さん・子供達はソリ遊びで歓声をあげ,私は雪見酒。

カナダも,アメリカ同様,かなりの多民族国家なので,カナダ人といってもキリスト教徒ばかりとは限らない。単純に"Merry Christmas!!"と言ってはいけない相手もいるわけで,「クリスマス」の代わりに「ホリデイ(holiday)」という語を使うことが多い。"Have a happy holiday!!"とやるわけである。また,日本では24日が本番だが,こちらではもともとクリスマスの25日が本命で,この日は全てのお店がお休み。はでなイベントがあるわけでもなく,みんな家庭でそれぞれ団欒のときを楽しむようだ。

日本でも最近,玄関先や庭の立ち木など家の外回りにクリスマスの飾りを付ける家を見かけるが,こちらではほとんどの家がそれをやる。しかもかなり気合を入れて。夜に住宅街を車で通ると,パチンコ屋が並んでるのか,とカン違いしそうなほど家の外回り全部にハデな電飾をつけている。ホームセンターとかスーパーみたいなとこへ行くと,各種電飾大売出しである。うちも,家族そろって大の負けず嫌いなので,日本人をなめるな,とばかり電飾大盤振る舞い(こんなことに金使ってる場合か)。当然,家の中にも「ツリー」が要るわけで,こちらも張り込む。そんなこんなですっかりクリスマス貧乏になってしまい,正月用にトロントでお節料理を買い込むお金がなくなってしまった。.....ただ,すっぽりと雪をかぶり人っ子一人通らない深夜の住宅街に,クリスマス飾りの灯りだけが仄かにまたたく有り様はまさに異国情緒あふれる(異国だから当たり前だが)情景で,これを拝めただけでもカナダに来た甲斐があったと思わせるものだった。


こんな感じ

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平成13年12月22日 カナダの医療初体験

嫁さんが尿管結石を再発したらしく,時おり脇腹を押さえてのたうちまわるので,病院へ行った。カナダの医療サービス初体験だ。オンタリオ州は国民皆保険制度が徹底していて,健康保険に入っていれば医療費そのものは全くタダである(健康保険は結構高いのでちっとも得した気はしない。あと,クスリ代も別---かなり高い)。ただ,人的・物的医療資源はかなり不足しており,手術や検査の待ち期間は非常に長く,大きな社会問題になっている。トロントですら,麻酔医の不足から手術ができない病院が多く,事態は深刻である。

私の場合は,まず英語力が深刻な問題なので,あわてて嫁さんの既往歴・家族歴・現病歴を英文の手紙にして持って行った。文部省の英語教育のおかげで,読み書きだけは何とか通じるので,いつも何かあると手紙を書いて持っていくことにしている。

カナダでは何かあるとまず"home physician"(ファミリードクター)にかかり,そこから専門医を紹介してもらう制度になっている。総合病院にいきなり行っても,救急以外は診てもらえない。ただ,うちはそんなものあるわけもなく,また最近はhome physicianも不足していて確保できないことが多いらしく,そんな時のために"walk-in clinic"という予約なしで誰でも診てもらえる診療所がある。うちが行くのはそこだ。

中はいかにも「診療所」という感じのきれいな造りで,雰囲気は日本とそう変わらない。ただ,順番が来て中に入ると,診察室がやたら狭い。完全な個室にはなっているが,ベッドも小さいし,ここである程度以上の処置をするのは無理そうだ。椅子も1つしかない。子供2人と一緒なので嫁さんをベッドの横に座らせて,私と子供達は立っているしかない。やってきたドクターはひげ面で愛想の悪いおっさんだ。手紙に,ワシは日本の精神科医や,ということを書いておいたが,「Brock大にいるのか。研究は何だ?」みたいな話をちょっとするだけだった。

手紙に結石の既往があることは書いておいたし,現症もどう診ても結石の再発だったので,尿検査をしてRBCがようけ出てたら結石だ,ということになる。尿検査はclinic内ですぐできた。やはりRBCいっぱいだ。とりあえず,鎮痛剤(NSAIDだった)を処方され,確定のためにはUSが必要なので,予約をとって帰ること,もし手に負えない痛みが起こればいつでも再診可能なこと(25日以外は年内は開いている),夜間は他病院の救急へ行くことを指示される。で,この予約がすぐとれるのかと思ったら,このclinicの中ではUSはやっておらず,隣町のクリニックへ1月2日に行く予約になっている。USぐらい置いとけよ。こちらでは21日まででたいていの公共機関は終わってしまい,その代わり新年は2日から開くようだ。クスリは同じ建物内のDrug store(文字通り薬屋---半分コンビニだが)で買って帰る。ただ,嫁さんはもうピンピンしていて,今日は一人で買い物へ出かけてしまった。10日以上も経ってからUSかけても何も出ないと思うのだが...。

結論:どこの国の医療システムにもいろいろ問題はある。たとえ,はた目には良く見えても。



PS: 実験はうまく行った。だいぶましな波形が出てきた。ただ,まだまだノイズが多い。電極の装着や固定などについて話をもっとつめて行きたいが,今年はもう誰もラボに出て来ない。全ては年が明けてから(これがこちらのペース)。

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平成13年12月17日 雪だ!CNVだ!

先週の金曜日,夕方から雨が雪に変わり,翌朝は今シーズン初めての雪景色となった。よりによってそういう日に限ってトロントまで行く用事があったりする。ナイアガラではせいぜい5cmぐらいの積雪だったのがトロントでは15cmくらいあり,オールシーズンタイヤではちょっと心配だったが,さすがにカナダのタイヤだけあって全く平気だった。こちらにはスノータイヤとかスタッドレスとかいうものは(たまに見かけるが)あまり普及しておらず,みんなオールシーズンタイヤで平気で走っている。みかけはただのラジアルだが,トレッドにスタッドレスっぽい切込みが少し入っており,このために雪道でも走れるようだ。

さてお仕事の話。先日やっとCNVをとることができたが,そこからまた話がなかなか進まない。仕方ないので自分で勝手にマクロを組んでExcel上で平均加算してしまった。これがカナダでの初の成果。

しかしご覧の通り,振幅は異常に低いわ,S/N比は悪いわでお世辞にもほめられた波形ではない。問題の一つが,脳波記録ソフトのcalibrationの設定の間違いであることを今日確かめることができた。明日ももう一度記録することになっているので,明日はうまくいくことを祈る。

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平成13年12月11日 苦節3ヶ月半

カナダに渡ってきて苦節3ヵ月半,今日やっとCNVを記録することができた。遠かった...。でもまだ加算していないため,ちゃんと波形が出るかどうかとても心配。明朝すぐに,というか今晩中にでも加算したかったが,まだ平均加算のソフトは使ったことがないため,一人ではできず(泣)。ここからまた時間がかかるのかなあ...。

最近になってやっと少し周りの人たちの会話が耳に単語として聞こえるようになってきたが,まだ「意味」として理解できるところまでついて行けてない。いつになったら言いたいことをきちんと言い討論できるようになるのだろう。

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平成13年12月9日 「医局」

ここ数日続けて朝の最低気温が氷点下を割り,久々にカナダらしい気候。それでも暖かい方みたい。
元教授2人に有罪判決 奈良医大汚職事件
奈良県立医科大学の医師派遣をめぐる汚職事件で、収賄罪に問われた元同医大付属病院長で元教授中野博重(61)と、元教授宮本誠司(66)両被告に対する判決が7日、大阪地裁であった。上垣猛裁判長は「教育者という立場を忘れ、県民の信頼を裏切った責任は重いが、社会的な制裁を受けている」と述べ、中野被告に懲役2年執行猶予3年追徴金300万円(求刑懲役2年追徴金300万円)、宮本被告に懲役3年執行猶予5年追徴金1170万円(求刑懲役3年追徴金1170万円)の有罪判決を言い渡した。

国公立大学から病院に医師を派遣することが教授の職務権限にあたるかどうかについて初の司法判断となったが、上垣裁判長は「医師派遣は、臨床経験を積ませるためだけでなく、医師の生活を保障する面などがあるものの、教育という教授本来の職務の域を超える」と指摘。医師派遣の人事権を事実上、教授が握っていることをとらえて「本来の職務ではないが、職務に準じた行為にあたる」とし、収賄罪の成立を認めた。

判決によると、医師派遣の見返りとして、中野被告は大阪市内の民間病院から96〜00年、計300万円を、宮本被告は2病院から95〜00年、計1170万円を受け取った。(12/7 朝日新聞-asahi.comより引用)

日本の大学医学部の「医局」が本来果たすべき機能をうまく果たせますように。

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平成13年12月6日 活動再開 〜帰ってきた電波石〜
もうここに戻ることはあるまい,と思っていたのに戻ってきてしまった。
あれからもう3年か...。いまどきこうやってエディタで手書きでタグ書いてる奴もいないやろうなあ。でも勝手にメタをいっぱい書き込むソフト嫌いやし。
私は現在日本にいません。どこでどうなったか国外逃亡中,いや留学中の身です。あれから実にいろいろなことがありました。とても語れないようなこともありますが,また少しずつ独語しようと思います。

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