ネットワークと精神医学


まえがき
以前,「精神科ア・ラ・カルト」という雑誌にホームページについてのエッセイ風の文を書いたことがあるが,編集部からの注文もあって,あまり立ち入った内容のことは書けず,ほとんど「インターネット入門」に留まってしまった。ここでは,ネットワークと精神医学の関わりについて小生の思ったところをもう少し書き進めてみたい。読者の対象としては,心理学や精神医学に興味があって少しかじったことがある...程度の人を想定しているので,心理学や精神医学用語が断りなしに出てくるところがあるのは了解していただきたい。

精神科医のホームページ
私が自身のホームページを立ち上げた96年頃の状況と比べると,ネットワーク上の精神科医のホームページは非常に増えた。メジャーな検索サイトで「精神科医」をキーワードに検索すると,5年前にはせいぜい数サイトだったのが,サイト検索でも20〜30以上が出てくるし,ページ検索だととても数え切れないヒットがある。全くの個人で運営しているところもあれば,病院・医院として運営されているサイトもある。また,マスコミに露出の多い精神科医は当然のように自身のサイトを持っている。精神科医「らしき」人が運営しているものまで含めるとすでに100や200は下らないと思われる。
内容としては,精神科医療の紹介,精神医学の啓蒙,個人の趣味的なものが多いが,掲示板やメールによるカウンセリングを中心としたもの,自著の紹介やマスコミ活動の宣伝などもある。百花繚乱,とまではいかないものの,およそ考えられるありとあらゆる内容が存在し,さすがは精神科医,たとえ専門外の趣味的な内容でもそのレベルは極めて高いものが多い。見ていて本当に飽きさせない。

ところで,私のような暇人や単なる興味本位の場合を除けば,検索サイトで「精神科」関係の検索をする人達のニーズは何であろうか。おそらく自分自身や周囲の調子の悪い人のことで真剣に精神科医療に関する情報を求めている場合が多いはずである。こういうニーズに対しては,非常に詳細なQ&Aを提供するサイトがいくつかあり,数年前と比べると,総論的な知識はすでに十分に得られるようになってきていると思われる。これらのサイトは,個々の相談のメールに対してサイトの運営者である精神科医がQ&A形式で一般的な回答を掲載するという形式であり,極めて多数の項目を持つために,自分の得たい情報にたどりつく困難さはあるが,かなり個人的な内容にまで何らかの回答が与えられている。これらのサイトは全くのボランティアで運営されており,かつ大量の相談件数を考えると,運営者の超人的な努力には全く感動させられる。

ただ,現実の相談のニーズを振り返ってみると,その内容は相談者の住む特定地域の情報だったり,特定の処方薬の組み合わせについてだったり,自分自身の精神状態や,もっと個人的な主治医とのやりとりに関することであったりすることが多い(私のメールカウンセリングの経験上)。メールの文章しか情報がない状況ではこれらの相談に一般的な回答を与えることは困難であるし,むしろ第三者が安易な回答を与えることは控えるべき場合もあるだろう。相談のニーズに完全に答えることはなかなか難しい。

私も,ホームページを開設して半年ほどのあいだ,メールによる無料のカウンセリング*を行っていた。6年前,まだインターネットが今ほどの普及を見せていない頃であっても,半年で1000通ほどの相談メールが寄せられた**。中身はすごい長文もあれば2〜3行のものもある。だが実は,これら全ての相談に責任をもった返答をすることは,極めて難しい。メールの文面が落ち着いたもので,内容もまとまっており,緊急性のない要件ならば,回答はそう難しくない。だが,わずか数行しかない,しかも極めて混乱した文面だが明らかに自殺を予告した切迫した内容のメールなら,あなたはどう対応するだろうか。それが自分の勤める病院の外来で,目の前の患者が訴えていることなら,まだ介入は容易であろう。だが,手許にあるのはPCのキーボードだけ,という状況でできることはせいぜい,「さしあたっての自殺企図を思い止まらせ医療機関の受診を強く勧めるメールをなるべく早く返信すること」ぐらいしかない。しかも相手が本当に切迫しているかどうかは分らない。ひどい場合はいたずらの可能性もある。すでにきちんとした主治医が別にいるのに,第三者の私が巻き込まれた対応をしてしまっている可能性もある。どのくらいの距離を保った文面にするかはとても難しい判断になる。

もちろん,数回のメールのやりとりで相談者が問題を無事にクリアすることができるケースもあるし,セカンドオピニオンとして貴重な情報を提供できる場合も少なくない。不安障害によるひきこもりのケースなどで,まさにメールという媒体でなければどうにも介入できないケースを,受診→症状軽快にまで持ち込めた例もある。統合失調症らしきケースを早期受診させることのできたケースも複数ある。言葉のやりとりによって相談者の問題解決をサポートするという狭義のカウンセリングのみならず,救急精神医学的な介入や,適切な情報提供という役割まで含めると,メールによるカウンセリングのニーズは潜在的には非常に高いのである。

ただ,個人が無料ボランティアでできることには限界がある。前述のように非常に神経を使う対応を休みなしに継続するのは,通常の勤務医にはとてもできないことである。私も自身の精神衛生や生活そのものに深刻な影響が出始めたため,半年ほどでメールカウンセリングを停止せざるを得なかった。現在メールカウンセリングを行っているサイトのほとんどが有料化しているのは,相談者の動機付けや,(言葉が悪いが)ふるいわけを考えれば当然の流れであろう。ただ,有料化してしまうことで自ら敷居を高くしてしまっている面は否定できないし,無保険診療との境界の問題や,結果的に相談料がかなりの額になってしまってもメールという媒体にこだわるべきか(通常診療の方が効果があるケースも出てくるのでは?)などの倫理的な面も少なくとも私には気になる点である。メールカウンセリングの限界を考えると,治療効果と相談料の対応はきちんと検証されなければならない問題であろう。
また,メールという言葉にのみに依存したコミュニケーション手段は,当然,言語化を強制する面がある。場合によって早急な言語化が極めて危険な効果をもたらすことがあるのは臨床家には周知の事実だが,これに留意しながら,なおかつ言葉のみでのやり取りを続けるのは非常に困難なことである。結局,メールでの(狭義の)カウンセリングは対象を極めて厳密に選択せざるを得ない。その適応は,精神療法における表現療法,言語化の適応などよりも一層慎重に考えるべきであろう。決して安易に言語化を促してはいけない。
現在,メーリングリストや企業がスポンサーとなる形で無料のカウンセリングを続けているサイトが少数あるが,私個人としてはこれらの活動を,批判と期待の両方をこめて見守って行きたいと思う(「掲示板」については項を改めて述べる。)

精神科医のホームページが担うべき重要なテーマの一つとして精神医学や精神科医療全体の啓蒙活動があるだろう。不幸にも精神障害者が関係する重大事件が散発し,世間の精神科医療への目は以前よりいっそう厳しい。「ネオむぎ茶」のケースのようにネットワークが少なからず関与している場合もある。しかし,社会に対して精神科医のホームページが十分な啓蒙活動を果たしているかはまだ疑問である。もちろん社会防衛的な考え方を持つ精神科医もいるだろうし,立場上旗色を鮮明にできない方も多かろう。だが,患者サイドのホームページの活動と比べると精神科医のホームページは一般に静かに感じられる。
もちろんホームページ上でいくら言葉をあやつっても,世間の人々に,精神科医療や精神障害者の本当の素顔を理解してもらうのは不可能に近いことではある。ホームページというのは他のマスコミ媒体とは違い,常に受動的に閲覧される存在である。興味を持たれなければ目に触れることがまずない。また,精神病の世界,それはそもそも言語を超えたモノに対する本能的な不安や恐怖を烙印された異次元の領域である。いくら言葉を尽くしても,ともに時間と空間を共有しなければ理解できない世界である。

だが...決して何もできないというわけではない。少なくとも,興味を持って閲覧してくれた人に何かを訴えることはできるはずである。有効な言葉がないなら黙っている方がいい,ということにはならない。精神障害者が全て犯罪者予備軍と言わんばかりの風潮にはもっと声高に異議を唱えてもいいのではないか。

精神科医のホームページは非常に増えた。一般的な情報の提供と言う面では,ほぼ完成の域にあるとも言える。しかし,ネットワークの持つ可能性は単なる「情報提供」だけで終わらないはずである。もっと様々な形の参加形式があるのではないか。と,自分のことは棚に上げたままで筆を置く。

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*ここでいう「カウンセリング」とは狭義のものではなく,一般的な医療相談の類も全て含んでいる。

**以前ここに出していた数字"1500通"は誤りでした。申し訳ありません。回答に対するお礼のメールやリンク関係のメールまで数に入れてしまっていたようです。これらについての統計はこちらを参照して下さい。

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