ネットワークと精神医学(2)


掲示板の心理学(1) ---掲示板上のコミュニケーションの特殊性について
最近,掲示板上のトラブルが訴訟にまで至るケースが出てきている。また,掲示板上の情報を用いた犯罪が行われたり,さらに重大な事件のうちにもネットワーク上の掲示板と少なからず関係を持つケースがあった。

ここを読んでいるくらいの人なら,まず掲示板を知らないということはないだろうが,一応説明をしておく。掲示板というのは,現実に駅や学校にある掲示板・伝言板などと同じように,ネットワーク上の誰もが閲覧でき,かつ書き込みをすることができる仕掛けを持つページのことで,ユーザーは誰でも「匿名で」好きなことを書き込んだり,関係するページや画像,プログラムへのリンクを貼ることができる。通常,掲示板にはそれぞれ「テーマ」があり,そのテーマに関心のある者がそのテーマについての書き込みをすることで,文章による会話や討論を楽しむことができる。ただ,匿名で書き込むことができるために,その掲示板本来の用途以外の書き込みも多く,公の場に掲示しておくことが不適当と思われる書き込みについては,掲示板の管理者・設置者がこれを削除することになる。

この掲示板という仕組みは,インターネットが普及する以前より「パソコン通信(以下パソ通)」上にも存在した。実際にこのパソ通の掲示板においても,現在と同じような問題は発生しており,犯罪に関係した例もある。しかし,パソ通の世界はインターネットとは違い,限られた数の会員の中だけの世界であり,たとえニフティーサーブやPC-VANといった大規模なパソ通でも,現在の全世界規模のネットユーザーの数と比べると極めて小規模な世界であった。管理者の管理も比較的容易で,問題が起きても,現在ほどは大規模なものにはなりにくく,内部で隠密に処理されることが多かった。もちろんこの頃から,管理者の方針で,書き込みの削除やアクセスの制限をほとんど行わない掲示板があり,これらの掲示板の上では,参加者同士の激しい非難中傷合戦や,プライバシー情報の悪意ある公表,犯罪行為に関係する書き込みなども見られ大きな問題になったケースもあったが,最終的には悪質なユーザーの排除や,その掲示板の閉鎖などで対応が可能であった。

ところが,インターネットの普及によりこれらの状況は一気に拡大,複雑化するようになった。インターネットは,既存のネットワーク同士をつなぎ合わせている「ネットワークのネットワーク」に過ぎず,特定の管理者がいるわけではない。このネットワークに接続する回線を提供する企業が「プロバイダー」だが,彼らはあくまで接続回線を提供するだけで,いったん接続が成立すれば,ユーザーが世界中のどこのネットワークのどのコンピューターにアクセスしようが管理することはできない。この点がパソ通とは大きな違いである。パソ通はあくまで「閉じられた空間」であったが,インターネットは「開かれた空間」であり,全体としての管理者は存在しない。また,国外のコンピューター上で起こっていることに日本の法律をそのまま適用することもできないから,法的な責任も極めてあいまいになりやすい。つまり,悪意のある者の参加を排除する警察機構が全くなく,その上ユーザーは全くの匿名で自身を特定されることもない。ユーザーがどのような態度でネットに臨むかは,実にそのユーザーの倫理観というか,超自我機能に委ねられているのである。

問題を掲示板でのコミュニケーションにしぼろう。

掲示板でのコミュニケーションは,文字のみを媒体にしている。しかも,この文字は何らかの紙の上に手書きで書かれたものではなく,ASCII文字の配列でしかない。極端に言えば,2進数,つまり0と1の配列でしかない。他の通常の文字媒体によるコミュニケーションには,意外に文字の配列以外の情報が多く含まれている。どのようなモノに,どのような筆記具で,どのようなレイアウトで,どれくらいの筆圧で,どのような筆跡で,それがいつどこでどのような手段でこちらの手に入ったか...等々,いくらでもあげられる。相手との関係も重要である。相手が誰か判っていれば,その相手に関する情報が常に文字の背景に潜在している。相手と自分とが共有する情報があれば,常にそれらが文の前提となっている。そして,書かれたものの意味を解釈する際には,これらが見えないところでかなり重要なはたらきをしている。
ところが掲示板上では,文字は極めて純化された状態で現れ,「言外の余情報」とでも言うべきものは,せいぜい,改行位置,句読点のうち方,顔文字やその掲示板独特の言い回しを使うかどうか,といった限られた情報しかない。余分な情報が乏しい分,少しでも文の内容にあいまいな点があれば,解釈の範囲は「言外の余情報」の量に反比例して拡がってしまう。意味の解釈の幅を制限するべき情報が少なければ,読み手の勝手な感情の投影や,掲示板の前後の文脈によって全く違った正反対の解釈すら許してしまう可能性すらある。しかし掲示板は,その構造上,あまり長文の書き込みはしにくい(書き込み画面は意外に小さい。また,あまり長文の読みにくい書き込みはエチケット違反である)し,特定のよく知っている相手へ発言するというシチュエーションは稀で,たいていは不特定多数の読み手,あるいはその掲示板の上でのやりとりを通じてしか知らない相手に対して発言することになる。会話の前提となる,お互いが共有する情報は限りなく少ない。
つまり,掲示板というものは,もともとコミュニケーション手段としてはかなり厳しい手段なのである。かなりの努力がなければ,自分の言いたいことを正確に相手に伝えるのは難しいのである(このあたり言語学的にもっともっと論じたいところだが,別の機会に)。

またネット上の匿名性も問題を大きくしている*。もし掲示板というものが,全て実名で書き込みをしなければならないものだとしたら,こんなにもはやらなかっただろう。匿名が保障されているからこそ,人は,気安く参加し,書き込むことができる。匿名だからこそ,本音や,裏情報や,差し障りのある内容でも正直に書き込むことができる。が,逆に匿名であれば,発言者は発言への責任を感じにくくなる。貴重な情報を含む発言も多くなる代わりに,無責任な放言や,嘘や,悪意のある書き込みが多くなるのは必然的な結果である。人に何かを伝えようとする時,まして上記のようにもともと意図するところの伝わりにくいネット上の掲示板という媒体を使う以上,自分の意思を正確に表現しようと努力するのは発言者の責任ともいうべきだが,そもそもこの責任を自ら放棄している発言が多いのである。

人が掲示板を利用しようとする時,その人はどこにいるだろうか。
職場や学校といった公の場にいる人もいるかもしれないが,大多数は自宅の自室のPCからアクセスしているだろう。しかもたいていは一人なのではないだろうか。もちろん,そこは居間かもしれないし,ダイニングかもしれない。その空間で彼が(彼女が)どのくらいの時間を過ごしているか,どの程度(家族を含めて)他者がその場を共有するかは様々だろう。しかしいずれにせよ,彼の周りには,極めてprivateな日常の事物が存在し,そこは極めてprivateな空間である。彼はそこでprivateな日常生活を送っている。そこに存在する物,そこで起こる事はたいていは彼が自分でコントロールできるものであり,それ故,そこは「彼の空間」「彼が支配している空間」である。
いつ・どのようにネットワークにアクセスするか,掲示板にアクセスするかは全くその人の自由である。つまりネットへの参加は高い随意性・随時性を持つ。接続を切るのも,その人の自由である。チャットの真っ最中にいきなり接続を切ってしまっても,存在するのはエチケット上の問題だけである。つまり人はテレビをつけたり,CDをかけるのと同じ感覚で,任意にネットにアクセスし,それを切ることができるのである(以前は接続料の高さがネックになったが,現在のISDN・DSL環境はさらにアクセスの随時性を高めた)。掲示板に書き込むという行動も,実は,物理的には自室で一人でキーボードをカタカタ打っているに過ぎず,それは全く随意な行動で,彼が自分で支配している行動である。
このように人は極めてprivateな形式で任意に掲示板にアクセスする。そのアクセスはある意味で極めて「私的」で「自分中心的」な行動である,と言えるだろう。もちろん悪い意味の「自己中」ということではなく,行動のあり方が自分中心的で,その視野には他者の存在が希薄である,という意味である。

ところが,掲示板に書き込みをするという行動は,本来,前述のような高いコミュニケーション能力と発言に対する責任を要求する。だが,そのアクセス形式は極めて私的で自分中心のものである。ここに大きなギャップが存在する。また,書き込まれ,いったん送信されてしまったものは,いまだ書き込み者の手許で表示されているとはいえ,もうすでに彼の手にはない。それは送信された瞬間に彼の支配をすり抜け,公共の共有物になってしまう**。
つまり,いったん書き込まれたモノは極めて高い公共性を持つはずであるのに,書き込まれる形式が極めてprivateなのである。日記を書くが如く自室でこっそりとprivateに書き込みをしているのに,書き込まれた内容は,送信された瞬間に書き込み手のもとを離れて大衆の共有物となってしまう。駅の便所の個室でこっそり落書きをしていたら,実はそれが外を通る人全ての目に晒されていたようなものか。掲示板に書き込みをする際には,掲示板の向うにラッシュ時の駅前のように種々様々な多数の人々がいることを感じなければならないのに,それを非常に感じにくい,むしろその対極にある状態で書き込みをするところにその難しさがある。そして大多数の人はその困難さをあまり感じていないか,過小評価したまま書き込みをしていると考えられる。

もちろん,掲示板とはそもそもそういうもので,別にそこまで他者を気にしなくても良い,ある程度私的な感情や無責任な内容を書きなぐったって別に構わない,イヤな者はそこにアクセスしなければいい,自分も無責任だが他者の無責任さもまた許さねば仕方ない,という「大人の考え方」もあるだろう。また,掲示板へのアクセスを会員制にして参加者を制限したり,内容を特殊化していくことで部外者を立ち入りにくくしてしまう,といった運営方法もあるだろう。このように掲示板の管理形態や参加者の規模,表示形式など様々な要因から,その掲示板ごとの雰囲気のようなものが形成され,ある意味で,それが参加者を規定する唯一のルールになってくる。幸いたいていの掲示板は,全くの無法地帯ではなく,このように参加者を(ごく弱くだが)拘束し方向付けする何らかの自治的な機能がはたらいていると思われる。だが,全ての人が「大人の考え方」を持てるわけではなく,場の雰囲気を読めない人も多いのである。通常の(会員制ではない)掲示板ではこういった「小児的な」***あるいは病的な参加者を拒むことはできない。

----------------------------------------------------------------------

...参考文献:特に無し

*最近は,書き込み者の経由サーバーのIPアドレスが表示されるなど,発言者の限定的な個人情報を強制的に表示する機能のついた掲示板もよく見かける。ただ,これらにはいくらでも抜け道があり,また匿名性を失った掲示板には魅力もなくなるので,どこまでやるかは難しいところであろう。

**最近はいったん書き込んだ内容を後から自分で削除したり訂正したりできる機能を持った掲示板が登場している。だがそれでも,最初に書き込んだ内容が一度はそのままの形で表示され,大衆の目に触れることには変わりない。

***中学生→中坊→「厨房」と呼ばれる。

[戻る] [次へ] [駄文集のメニューに戻る]


ホームページへ

Copyright (C) by YASU-Q