2代目タイガーマスク

年譜


1984年

7月25日:この日発売の「ゴング」誌9月号と、「東京スポーツ」紙が「新生タイガーマスク、全日本プロレス8・26田コロ決戦に登場」をスクープ。話題騒然となる。

7月29日:「週刊ゴング」誌が全日道場(東京都世田谷区砧)でのタイガーの練習風景を撮影。8月2日に発売された8月16日号(No.13)の表紙と巻頭カラーグラビアで紹介される。UWFでのザ・タイガー復帰戦の掲載号と重なったが、同誌はザ・タイガーの試合に限り取材拒否を受けていたらしく、話題潰しを狙った?全日側とも利害が共通、「絶妙」なタイミングだった。「ゴング」は以後、タイガーを独占的に取材し毎号の目玉として売り出しをかけた。また当時、タイガーマスク2号を出現させてタッグを組ませるプランも報じられたが、実現しなかった。

7月31日:全日本プロレスの蔵前国技館大会でリング登場。徳光和夫アナウンサーによってファンに紹介される。正体はメキシコEMLL遠征から帰国した三沢光晴だった。

8月:新格闘術士道館の道場(埼玉県所沢市)で、キックの特訓に入る。添野義三館長直々の指導を受ける。

8月8日:G・馬場、川田と共にハワイ特訓を開始。

8月26日:田園コロシアムで注目のデビュー戦。L・フィエラを猛虎原爆固め'84で破る。日本初公開のトペ・コンヒーロなども披露し、合格点のつけられる好ファイトぶり。なおこの日は新日本プロレス興行(後のジャパン・プロレス)との業務提携第1戦だった。

9月6日:大阪府立体育会館のリング上からファンに挨拶。

10月5日:横浜文化体育館での「ジャイアント・シリーズ」開幕戦で、J・エストラーダと対戦。プランチャ・コンヒーロ(タイガー・プランチャ'84)を初公開し圧勝。この日からシリーズにもフル出場する。

11月16日:後楽園ホールでのチャリティ興行で、タッグのエキジビションながら天龍と組み、馬場、鶴田組と夢の対決。この日から全日に参戦したD・キッド、D・スミスと一触即発になり、エキジビションで急遽キッドとのシングル戦が組まれた。結果は3分時間切れ引き分け。

12月8日:愛知県体育館でP・モルガンを下す。この日の試合はゴールデンタイムで中継され、全国のお茶の間にアピールした。


1985年

2月1日:ジャパンの「虎ハンター」小林邦と、札幌中島体育センターで初めてシングルで激突するも、マスクを引き裂かれた挙げ句両者リングアウトで引き分ける。

3月4日:両国国技館で小林邦との再戦に臨んだが、またも痛み分け。

6月21日:日本武道館での特別興行「スペシャル・ウォーズ・イン武道館」で小林邦の保持するインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦。大技を間断なく繰り出し幾度となくあわやのシーンを見せるも、網打ち式原爆固めを食いデビュー以来初のフォール負けを喫する。以後約2ヶ月間欠場し、痛めていた左ヒザの治療と肉体改造に専念することとなる。

8月31日:両国国技館での2ヶ月ぶりの復帰戦で、小林邦を新兵器・猛虎原爆固め'85で倒し、インターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取、第6代王者となる。欠場中にウェイトアップに成功、ヘビー級ばりの上半身を作り、マスク・コスチュームもオレンジ色を基調にしたものに変えた。なお同王座の前身は新日本がロスのM・ラベール派と設立し、藤波、木村健らが獲得したNWA世界ジュニアヘビー級インターナショナル選手権(略称は『NWAインターナショナル世界ジュニアヘビー級王座』)。大仁田の手で全日本マットに持ち込まれ、82年にNWAが認可しPWFが認定するインターナショナル・ジュニアヘビー級王座として改称・新調されたものである。

10月28日:会津若松市体育館でC・ゲレロを下し、インターナショナル・ジュニアヘビー級王座初防衛に成功。かつてジュニアの不沈艦とまで称されたチャボも往年の精彩を欠いていた。なおタイガーの同王座の防衛戦はこれが唯一であり、のち世界ジュニアヘビー級選手権と改称されたことから、これが最後ともなった。

11月27日:札幌中島体育センターで、「'85世界最強タッグ決定リーグ戦」の特別試合として、D・キッドとシングル対決。引き分けに終わり、再戦はついに実現しなかった。

1986年

1月2日:後楽園ホールで、M・マスカラスとの新旧アイドルマスクマン対決が実現。マスカラスが既にピークを過ぎていたこともあり、好勝負とはならず、引き分けに終わる。この正月興行の放送では、タイガーの試合は「第1部」として独立する特別扱いだった。

1月4日:東京スポーツ新聞社制定の「昭和60年度プロレス大賞」授賞式で、敢闘賞を獲得。

1月28日:東京体育館でT・G・カブキとの人気者対決。当初はD・キッドとのインターナショナル・ジュニアヘビー級王座防衛戦が予定されていたがキッドのWWF入りにより流れ、続いてタイガー挑戦をアピールしていたS・冬木とのシングル戦に改められたが実現せず、このカードに落ち着いたもの。試合は冬木の乱入でノーコンテストに終わった。

2月14日:全日本の台湾遠征に参加(16日まで)。現地では「虎面人」として人気を集め、マスクマンのS・ドラゴンに戻ったH・薗田(故人)や渕との好カードが実現、連戦連勝だった。

3月4日:大阪城ホールでT・G・カブキと再戦するも、毒霧攻撃を浴び痛い反則勝ちを拾う。

3月13日:日本武道館での「全日本vsジャパン 6対6全面対抗戦」で長州とシングルで激突。サソリ固めを返してのけるなど沸かせたが、フォール負けを喫する。

3月29日:後楽園ホールのリング上でヘビー級転向を宣言、インターナショナル・ジュニアヘビー級王座も返上する。

4月18日:G・馬場、プロレス入りを宣言した元横綱・輪島と短期米国遠征へ。19日はニューオーリンズ・スーパードームで馬場と組み、NWAの「J・クロケットSr.メモリアル・タッグトーナメント」(いわゆる世界タッグ五輪)に出場、準決勝でマグナムTA、R・ガービン組に屈する。20日はメトロ・ドームでのAWAのビッグイベント「レッスル・ロック」に出場し、元AWA世界ライトヘビー級王者のB・ズモフをシングルで破った。米国への本格的な遠征はその後も噂されたが、ついに実現しなかった。

7月31日:両国国技館での「猛虎7番勝負」番外戦でT・G・カブキと3度目の対決。フォール勝ちで決着をつけるも、すっきりしない内容だった。

10月20日:岡崎市体育館での「猛虎7番勝負」第1戦で、谷津とシングル初対決もフォール負けを喫する。

11月22日:「'86世界最強タッグ決定リーグ戦」に馬場と組み初出場(12月12日まで)。成績は3勝4敗1分けに終わる。

1987年

2月3日:夕張市総合体育館での「猛虎7番勝負」第2戦は原との対戦が予定されたが、原が雪害のため会場入りできず。窮余の一策としてF・ランカスターが「UN王座挑戦の実績を評価して」代役に選ばれたが、タイガーはこれを一蹴。皮肉な形ながら7番勝負初の白星となる。

3月9日:高崎市中央体育館での「猛虎7番勝負」第3戦でNWA世界ヘビー級王者R・フレアーとの対戦が実現。巧みなインサイドワークに苦杯。

4月16日:熊本市体育館での「猛虎7番勝負」第4戦でようやく原との対戦が実現。反則勝ちを収め、通算2勝2敗のタイに戻す。

6月1日:石川県産業展示館での「猛虎7番勝負」第5戦で、「革命」を呼号していた天龍と激突。好勝負の末に敗れる。この試合を契機に、天龍革命は本格的に推進されていった。

7月3日:後楽園ホールでJ・鶴田と組み、S・ハンセン、T・デビアス組を倒しPWF世界タッグ王座奪取、第3代王者組となる。ヘビー級転向後初のタイトル奪取で、またタッグ王座も初戴冠だった。

7月11日:米子産業体育館でJ・鶴田と組み、S・ハンセン、T・デビアス組に敗れPWF世界タッグ王座初防衛に失敗。1週間天下に終わる。

7月19日:後楽園ホールでの「猛虎7番勝負」第6戦で、WWF入りを控えたT・デビアスにフォール勝ちの金星。通算3勝3敗とする。

11月21日:「'87世界最強タッグ決定リーグ戦」に、ジャパンから全日本入りした仲野とのコンビで出場(12月11日まで)。

1988年

1月2日:後楽園ホールでC・へニングの保持するAWA世界ヘビー級王座に初挑戦。リングアウト勝ちを収めるもルールにより王座は移動せず。

3月9日:横浜文化体育館での「猛虎7番勝負」最終戦でJ・鶴田に挑むも、バックドロップに玉砕、有終の美を飾れず。通算成績は3勝4敗で終わった。

4月2日:両国国技館での梶原一騎追悼興行「'88格闘技の祭典」に出場。G・馬場と組み、A・T・ブッチャー、G・スコーラン組を下す。リング上で初代タイガーマスクの佐山聡との握手が実現した。

5月10日:G・馬場夫妻の媒酌で、女優の椎名友美と挙式。正式に素顔と本名を公開する。

6月10日:仲野、高野俊、高木、田上と「若手決起軍」を結成。「打倒天龍同盟」を旗印にしたが結果が伴わず、1年後に馬場の命令であえなく解散した。

9月15日:後楽園ホールでの特別興行「エキサイティング・ナイト・イン後楽園」で、J・スヌーカとの日米飛行コンビが実現。カブキ、佐藤組を下す。

11月19日:「'88世界最強タッグ決定リーグ戦」に、スヌーカとのチームで出場(12月16日まで)。

1989年

3月8日:日本武道館でR・スティンボートの保持するNWA世界ヘビー級王座に初挑戦するも、フォール負けを喫する。左ヒザ負傷が悪化し、長期欠場に追い込まれる。

1990年

1月2日:後楽園ホールで、約10ヶ月ぶりのリング復帰。マスクもデザインを改め、レモンイエローのものを新調。タイツもエメラルドグリーンを基調にしたものに変えた。

2月10日:東京ドームでの新日本の「'90スーパーファイト IN 闘強導夢〜プロリンピックPART2」に歴史的参戦。天龍と組み、長州、G・高野組を破った。天龍のパートナーは当初、川田が予定されていたが変更されたもの。

3月6日:日本武道館で小橋とのシングル初対決が実現、快勝する。

4月9日:岡山武道館で小橋と組み、C・エキスプレス(D・ファーナス、D・クロファット組)を破りアジアタッグ王座奪取、第53代王者組となる。同王座は素顔に戻った後に初防衛し、返上した。

4月13日:東京ドームでのWWF・全日本・新日本3団体合同興行「日米レスリング・サミット」で、Bre・ハートとシングル対決。20分時間切れ引き分けとなる。ハートは初代タイガーの好敵手だったこともあり好試合が期待されたが、内容はいまひとつだった。

5月14日:東京体育館で川田と組み、谷津、S・冬木組と対戦中に突如マスクを脱ぎ捨てる。試合後、素顔に戻ることを宣言し、タイガーとしての歴史を終えた。



評伝

国内シングル全戦績

覆面の変遷



TIGERMANIA