その他のタイガーマスク

アメリカ・欧州


ミスター・タイガー/キング・タイガー/ザ・タイガー(米国版)

K・タイガーはC・キッドそっくり 初代タイガーマスク出現以前にも、「タイガー」の名をもつ外国人マスクマンが3人、来日している。
その走りはミスター・タイガー写真左)で、70年、国際プロレスに来日。腹部に虎の入れ墨を施すという異色の選手だった。正体はフランク・ブラウン。国プロの外人招聘事情が苦しかったことからまず素顔のミスター・ブラウンとして登場し、直後にM・タイガーに「変身」するという一人二役をこなしたことでも知られる。国プロには75年暮れ、キング・タイガー写真中)というレスラーも来日している。こちらの中身はビル・マルチネスというレスラーだったらしい。いずれも目立った活躍は出来なかった。
まずまずのクラスと言えるのが73年初め、新日本プロレスに来たザ・タイガー写真右)だろう。この正体はボブ・ミラー(ニック・カーター)、つまりは後にブッシュワッカーズ(シープハーダーズ、キウイズ)の一員として各国で活躍したニュージーランドのベテラン、ブッチ・ミラーと言えばお分かりだろう。

タイガーマスク(カンサス版)

あんさん、どこがタイガーマスクやねん 「NWAの総本山」といわれたセントラルステーツ地区は83年当時、興行不振にあえいでいた。起死回生策として「タイガーマスクを呼ぶらしい」というウワサは出ていたが、当時の同地区のプロモーターだったボブ・ガイゲルは馬場と親しく、新日とはパイプがなかった。まして初代タイガーはこの年の夏、引退している。
そして出てきたのが、この「タイガーマスク」だった。タイガーとは似ても似付かぬチープなマスクで、一見して偽者とわかる。しかし、ローリング・ソバットやウラカン・ラナを多用するなど、多分に本家タイガーの影響を受けており、ベビーフェイスとしてそこそこ人気もあったらしい。
同年秋には殿堂キール・オーデトリアムに出場した試合が東京スポーツ紙で報道されたが、このときちょうど佐山サトルはカール・ゴッチ、ダイナマイト・キッドと面会するために渡米しており、「正体は佐山かも?」などと書かれていた。しかし長続きはせず、84年4月ごろには姿を消してしまった。余談ながら数ヵ月後、全日が2代目タイガーを登場させると初めて聞いたときは、てっきりこのカンサス版を呼ぶのかと思ってしまったものだ。
正体についてはケン・ウェイン説やスコット・ファリス説があったが、数年後、「プロレスアルバム」誌(恒文社)上でダニー・デービスだったと報じられた。デービスはウェインとの覆面コンビ「ナイトメアーズ」で人気のあった中堅レスラーである。
01年3月26日追記)米国マット通として知られる堀江正憲さんの情報提供によれば、正体はやはりK・ウェインだったといい、少なくともここに掲載されている写真はウェインだそうだ。ウェインはナイトメアーズとしてはNWAサウスイースト・タッグ、コンチネンタル・タッグ、AWA南部タッグの各タイトルを奪った。シングルではUSジュニアヘビー級(サウスイースト地区)やWWC世界ジュニアヘビー級王座を獲得している。ジョージア地区で、ストレイ・キャットなるマスクマンに変身した経験もある。
03年5月2日追記)米国の著名なサイト「Kayfabe Memories」の中に、ウェイン自身がタイガーマスクをしていたことを告白している部分がある。
「私は数年後カンサスシティのテリトリーで働き、タイガーマスクのギミックを演じた。実際、ブッカーのバック・ロブレイは、私を『タイガーマスク』と呼んでいたのだ。レス・ソントンがこのテリトリーに来た初日、私は一緒に仕事をしていた。控室は別々だったのだが、彼が気分屋だと知っていたので、私が誰だか知らせるよう誰かに頼んだものだ」 …この後、ソントンと戦った思い出が続くので、興味のある方はご一読を。
03年5月13日追記)別の米国サイト「Central States Wrestling」は、「タイガーマスク(ケン・ウェイン)は84年初頭にデビューした」と書いている。同年1〜3月にはロジャー・カービーと抗争していたとのことだ。

タイガーマスク(カナダ・カルガリー版)/ブラック・トムキャット

果たして再登場はあるのか? 新日本プロレスの練習生で、タイガージムにいたこともある森村方則がその正体。といえば分かるように、FMWで長く活躍したリッキー・フジである。森村は病気などの理由で日本ではデビューに至らず、ミスター・ヒトを頼ってカナダに渡り、88年6月、スタンピート・レスリング(スチュ・ハート派)のリングでタイガーマスクとしてデビューした。銀地に黒デザインのマスクを日本に注文したとかで、スーパー・タイガーに近いものだったのかも知れない。しかしあまりに連敗が続いたためタイガーを名乗ることを遠慮して、マスクはそのままながらリングネームを「ブラック・トムキャット」に変えたという。
しかし3ヶ月後、レス・ソントン(元NWA世界ジュニアヘビー級選手権者)が主催するNWWFに移籍、再びタイガーマスクを名乗り、スティーブ・グラスビーからNWWFジュニアヘビー級王座を奪っている。89年3月には自ら新団体CIWFを設立し、ここでもタイガーマスクとしてファイトした。だが同年6月、ケーアス・キッドの保持するCIWFジュニアヘビー級王座にルーザー・リーブタウン・マッチで挑戦して敗れたのを機にマスクを脱ぎ、R・フジに改名したという。
98年9月5日追記)フジはその後の98年8月15日、みちのくプロレスの山形大会で「一夜限り」としてB・トムキャットに再変身(写真)し、S・デルフィンにシングルマッチを挑んで敗れた。カナダ時代と同じ物かどうかは定かでないが、オリジナルデザインのマスクだ。側面部分は初代タイガーの「大阪タイガー」にも似ている。

タイガーマスク(WWF版)

あのWWFもタイガーマスクを計画したことがある。正体として予定されていたのは天才児オーエン・ハート。88年、ハートのWWF入りに際し、マスクマンに変身させて子ども向けのアイドルとして売り出すことが考えられ、ビンス・マクマホン・ジュニア自らがタイガーマスクを提案したという。しかしこれは実現せず、ハートはブルー・ブレイザーとしてWWF入りを果たした。 その後の99年、再びB・ブレイザーとして売り出しをかけられていたさなか、リング登場時のアクシデントで他界したことは記憶に新しい。

タイガーマスク(欧州CWA版)

海外マットではいまのところ最新のニセタイガーだ。97年6月1日のドイツ・ポツダム大会に「アメリカから」という触れ込みで「タイガーマスク」が出場。正体はエディ・スタインブロックという若手選手だという(情報提供:山本浩二さん)。その後は名前が聞かれない。なおかつて新日の獣神T・ライガーが欧州に遠征した際に「タイガーマスク・獣神ライガー」を名乗ったこともあり、現地ではタイガーマスクの名はやはり相当影響力があるのだろう。このレスラーの写真・映像をお持ちの方、お貸し願えれば幸いです。

チェックメイト

ようやく画像入手できました! 82年、テキサス・ダラス地区に現れたマスクマン。米国マットの偽タイガーとしてはパイオニア?的存在である。マン島出身と称し、ヒールとしてT・G・カブキ(高千穂明久)やM・ドラゴン(H・薗田)らと組み、エリック兄弟らと戦っていた。ファイトスタイルはラフ中心で、同年10月4日、フォートワースでB・アーウィンからWCCWテレビ王座も獲得しているが、翌年には消えてしまった。マスクは写真のように初代タイガーの「伝説」の初期タイプ(『元旦』)に酷似しており、金ラメ地のものだがやや崩れた感じ。コスチュームは白のツーショルダーとシューズだった。デビュー当初のマスクはチェス盤と駒をあしらった白いものだったらしく、さらに後にはグラップラーに似たデザインの銀ラメのものを被っていた時期もある。
当時、本人は「週刊ファイト」紙のインタビューに答え、「日本にタイガーマスクが存在するのは知っており、本当は素顔でやりたい」と話している。正体について同紙は「英国系のベテラン」とのみ書いていたが、初代タイガーのライバルだったレス・ソントン説が長らく信じられていた。ネット上に流布している実名リストなどには、いまでもそう書かれているのがほとんどである。
00年11月4日追記)しかし 堀江正憲さんの情報提供によれば、82年秋、ソントンが来日していた間もチェックメイトは試合に出ていたという(「TIGERROOM」バックナンバーvol.5参照)。同氏によると、正体は同じ英国系で、ソントンと組みテキサス・タッグやジョージア・タッグ王座を保持したこともある、トニー・チャールスが正解だったという。
01年3月26日追記)堀江氏が確認されたところによれば、当時ダラスでレフェリーをしていたマーク・ノルティ氏(フロリダ地区のTVアナウンサー)も、正体がチャールスであることを証言したとのことだ。ちなみにチャールスは「ウェールズの魔術師」と呼ばれ、ドロップキックの名手として知られたテクニシャン。68年国際に初来日、保持していた英国西部ヘビー級王座をG・草津に奪われたが、その後も草創期の新日マットで活躍した。南部を主戦場とし、ミッドアメリカ・ヘビー級やUSジュニアヘビー級(サウスイースト地区)、サウスイースト・タッグなどの王座に就いている。
なお、このレスラーについては「特集:Check the Checkmate」で詳しく紹介しています。

ザ・ジャガー(テネシー版)

本邦初公開の画像です! 83年下半期ごろ、テネシー地区に出現した豹のマスクマン。短期間で姿を消してしまったものと推測される。これまで日本国内では詳細に紹介されたことが皆無で、正に「幻の偽タイガー」だった。上記のタイガーマスク(カンサス版)やチェックメイトと混同する報道も一部散見されたが、いずれも誤りである。つまり、それだけ情報が少なく、かつ錯綜していたということだ。
01年3月26日追記)上記の堀江正憲さんからの情報提供によると、タイガーマスク(カンサス版)と同様、正体はケン・ウェインだったという。
03年5月2日追記) ただし上記「Kayfabe Memories」は、ダニー・デービス説を支持している。デービスは上記のナイトメアーズとしての活躍に加え、シングルではサウスイースト・ヘビー級、英連邦ミッドヘビー級、USジュニアヘビー級(サウスイースト地区)、GWFライトヘビー級など多数のタイトルを獲得。91年、USWAライトヘビー級王者として素顔で第2次W★INGに来日した。近年はWWEの傘下団体であるOVW(Ohio Valley Wrestling)を、J・コルネットと共同経営している。
03年11月16日追記写真は当時の試合画像だが、このレスラーの映像が日本で公開されたのは恐らく、これが初めてだろう。マスクは豹柄の布地で、白い縁取りは古き良き時代の米国マスクマンの定番だった、いわゆるグラップラー・タイプだ。耳やボアも付いており、上記のタイガーマスク(カンサス版)と似たデザインだが、さらに洗練されたように思える。タイツはルチャ風のもので、パンツと膝当てが金ラメ、脚部は紫の布地を使った。試合ではローリング・ソバットや振り向きざまのダイビング・ボディアタックを見せるなど、それなりのタイガーマスクらしさが見られるファイトだった。
なお、このレスラーについては「特集:幻の魔豹、吠える」で詳しく紹介しています。

タイガー・キャット

かなり凝りまくったマスク。しかし呼吸しづらいだろう 95年3月24日、ニューヨーク州ロングアイランドで小規模インディペンデント「ユニバーサル・スーパースターズ」のスポットショーに出現したこの男、中身はなんと、新日本プロレスの西村修なのである。西村は当時米国マットで修行中で、この翌日にはニュージャージーで素顔に戻り、ダン・スバーンが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも挑戦している。
この日はプロモーター側の要請を受けての一夜限りの変身だったといい、大物ウォーロードと両者反則ながら引き分けるという好結果を出している。全身コスチュームを着用したが、これはプロモーターのサミー・ディー氏が個人的に所有していたものを借りたそうで、下記のジャイアント・キャット(カナディアン・ジャイアント)のものと同様の虎縞柄である。

ジャイアント・キャット

まさかと思うが、T・キャットと同じマスク? 92年ごろ、東部マットに出現。身長228センチ、体重204キロという超大型で、マスクマンとしては故アンドレ・ザ・ジャイアントの変身したジャイアント・マシーンをも上回り、史上最長身ではなかろうか。正体は91年、アックス・デモリッションのパートナーとして1回だけ新日に来日した、カナディアン・ジャイアントである。帰国後はポール・バションという名前(“ブッチャー”ポール・バションとはもちろん別人だが、C・ジャイアントのデビューの相手はブッチャーの兄“マッドドッグ”モーリス・バションであり、バション兄弟とは何か関係があったのかも知れない)で木こりスタイルになったとのことだが芽が出ず、マスクマンに再変身したものだ。比較的出来のいいマスクと虎縞柄の全身コスチュームを着けたが、あまり話題になることもなく消えていった。マスク、コスチューム共に、上記のタイガー・キャットとそっくりなのが気になるところである。

チータ・キッド(初代)/チーター/チータ・キッド(2代目)

(右)「ワールドワイド」でE・ゲレロにやられてた 初代(写真左)は偽タイガーというよりさしずめ偽ブルー・パンテル?だが、猫系キャラクターということで挙げておく。90年3月、ペガサス・キッド(ワイルド・ペガサス、クリス・ベノイ)と共に新日に初来日。あるいは2人のキッドの覆面コンビを売り出すつもりだったかのも知れない。ライガーともシングルで対戦しており、トリッキーなファイトで沸かせたが、いかんせんパワー不足が目立ち、以後はお呼びがかからずじまい。ペガサスとは対照的な初来日になった。しかしその後、第2次W★INGにも来日し善戦。短期間ながらチーターと改名してWWF入りも果たしたこの男、正体はテッド・ペティである。つまり、後にECWでパブリック・エネミーの片割れとしてトップに立ったロッコー・ロックの前身だったといえば、驚かれる方も多いのではないだろうか。なおこの選手は02年9月、心臓麻痺で急逝した。
99年10月31日追記)2代目(写真右)は97年ごろ、米WCWに出現した。正体はプリンス・イヤウケアだったといい、ジョバーの域を出なかったようだ(ビリー・キッドマン説もある)。写真でも分かるように耳や白毛をつけるなどかなりタイガーマスク風なマスクとなり、ヒョウ柄のロングタイツをはいていた。しかし2代目が登場するとは、C・キッドもあちらではそれなりに名前が売れていたキャラクターだったのかもしれない。

ファイヤー・キャット/バトル・キャット(WWF版)

なんか元子夫人に嫌われるようなことしたのかな? ファイヤー・キャット(写真左)も猫系のマスクマンで、91年秋に全日本プロレスに出現。正体は87年5月、やはり全日に来たブラディ・ブーンだった。なかなかケレン味のないファイトをしていただけに、その後は来日の機会がなかったのが実にもったいなかった。ジュニア戦線でチャンスを与えてやれば、そこそこいい試合はできたと思うのだが。このあたりに、馬場の小兵への冷たさが現れているとみるのはうがち過ぎだろうか。帰国後も素顔で、全米各地のインディペンデントを舞台に活躍を繰り広げていたと聞く。
バトル・キャット(写真右)は80年代末期ないし90年代初頭にWWFマットに登場した。正体はこれもB・ブーンだったが、後にボブ・ブラッドレーに変わったという。回転エビ固めや、「キャット・クレイドル」と称する変形DDTを多用していたとの事だが、残念ながらあまり話題に上ることもなく消えていった。
なおB・ブーンは98年12月15日、米フロリダ州パルメットの路上で、居眠り運転による交通事故で他界した。まだ40歳の若さだったという。

バトル・キャット(英国版)

頬のデザインなどにタイガーの影響が こちらはイギリスのレスラー。96年、大英帝国ライト級王者としてみちのくプロレスに初来日を果たした。全身に刺青を施していたが、正体はジミー・オーシャンなるレスラー。リッキー・ナイトと組んだ「スーパーフライズ」なるチームで大英帝国タッグ王座にも何度か就いている実力者といい、本国ではそれなりに人気もあるようだ。上記のF・キャットにヒントを得て変身したとか。同年8月17日の能代大会で4代目タイガーの挑戦を受ける予定だったがタイガーの負傷欠場により薬師寺に変更となり、タイトル防衛を果たした。タイガーとの「猫系マスクマン」対決の仕切り直しが期待されるが、その後は残念ながらなかなかお呼びがかからない。性格からか他のレスラーになじめず、疎まれたともいう。
なお97年12月、過積載とスピード違反で逮捕され、98年1月には禁固6ヶ月の有罪判決を受けたという。これにより、自ら主宰するWAWなる団体も一時、興行能力を失ってしまったとのことだ。

エル・ガトー

アマゾン経由で中古ビデオゲット! 96年夏、WCWに突如出現した。同年6月16日、ボルチモアでの「グレート・アメリカン・バッシュ」でコナンが保持していたUSヘビー級王座に挑戦したマスクマン。その後は消息が聞かれず、その場限りの変身だったようだ。マスクはジャージ地らしくややチープな作りだが、初代タイガーの「伝説」(『元旦』タイプ)を模したデザインで、目の開口部がかなり大きくとられている。コスチュームは黒っぽい道衣のようなパンタロンで、試合では本人もカンフー風ファイトを意識してか、スローモーな蹴りを連発していた。結局、コーナーのコナンに馬乗りになったところを高角度パワーボムで切り返され、ジャックナイフであっさり散っている。なお、「ガトー」はスペイン語でオス猫を意味する。
正体はパトリック・タナカが定説。タナカは日系レスラーの大御所デューク・ケオムカの息子で、84年、新日本プロレスの留学生としてデビューした。88年にはポール・ダイヤモンドとの「バッド・カンパニー」でAWA世界タッグ王座に君臨。他に同南部タッグ、CWAインターナショナル・タッグ王座なども獲得している。日本でも92年、ユニバーサル・プロレスでB・パニッシュ・KT(現・外道)と組み、UWA&UWFインターコンチネンタル・タッグ王座を保持した。01年にはGOKU-DOの名で、新日本の常連となった。
このレスラーについて、ある米国の著名なサイトは次のように言及している。「90年代に入り…悪いことにアメリカのプロモーターは、外国のマスクマンを勝手に盗み始めた。…パット・タナカは販売用レベルのタイガーマスクを被り、世界のスーパースター、エル・ガトーとしてWCWのPPVに出た。これは、本当に恥ずかしいことである」


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